アルクトゥルス星人 クリスマスのより深い 意味を考えてください【バシャール/スピリチュアル】
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アルシオン・プレヤデス65:5周年、量子跳躍という大躍進、遺伝的な変化の瞑想、光子・光
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バシャール:即答できる事
テーマ:新しい地球のスターシード達へ
質問に対する”ためらい”の後のYES(はい)は、100%NO(ノー)という意味である事に気がついてくださいと、バシャールは話しています。躊躇やためらいはNO(ノー)を意味しているのです。そうでなかったら、YES(はい)と即答できるはずです。例えばバシャールはこういった質問を投げかけます。”貴方は常にワクワクを追いかけ、できるところまでワクワクを追求していますか?”。たいていの人はちょっと間を置いてからYES(はい)と答えます。しかしバシャールはいつもこう返します。”ためらいはNO(ノー)という意味ですよ”、と。
ですからYES(はい)と即答できる事が貴方にとっての本当のYES(はい)であって、間のあるYES(はい)はNO(ノー)を表しているのです。本来貴方は自分に対して嘘をつく事ができません。だから嘘を隠そうとたくさんの層をまとっているのです。自分を欺くために、レイヤーを着て分からないよう、見つからないよう隠してしまっています。
『YES(はい)』と即答できる、ポジティブな要素を沢山集めてゆきましょうと、バシャールは話しています。『YES(はい)』と即答できる事が沢山集められると、貴方の軸も一緒に強化されてゆきます。なぜならば、『YES(はい)』と即答できる貴方は、貴方の”すべて”が細胞ごとYES(はい)!と言っている事になるからです。
アルシオン・プレヤデス21-1 (再公開): 光子によるDNAの再コード化
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アルシオン・プレヤデス22-1 (再公開): 私達のDNA-RNAの向上と光の人々
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アルシオン・プレヤデス21-2 (再公開): 地球外生命の助言者とプラズマの光の船
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アルクトゥルスの集団 : 2016年12月18日 [アルクトゥルスの主、集団、存在達]
アルクトゥルスの集団
The Arcturian Group
2016年12月18日
DECEMBER 18, 2016
December 19, 2016
マリリン・ラッファエーレ経由
Via Marilyn Raffaele
親愛なる皆さん、わたし達は、今年もう一度、クリスマスのさらに深い意味を、皆さんが単純に人々や2000年前の出来事を祝うだけではなく、それを個人的に経験する意味を、皆さんに伝えたいと思います。
キリストになったイエスまたはヨシュアの誕生の物語は、あらゆる人間の物語です。
イエスは、その地上への転生のひとつとして2000年前に生まれた時に、既に高位の霊的指導者でした。
彼の意図は、高い密度と幻影に巻き込まれていたひとつの世界に、真実と光をもたらすことでした。
その当時、非常に少数の人々だけしか、彼の教えの深みを把握することができませんでした。
大衆は、まだ彼が教えた真実を充分に理解できるほど霊的に進化しておらず、それでその代わりに、彼をひとりの“神”に仕立て上げて、真実を個人的に彼に押し付けました。
進化していない3次元の分離の考え方は、“わたし”という言葉を、ただその使者だけに言及しているものとして解釈しました。
その結果として、そのメッセージを見落とす一方で、その人間の崇拝を始めました。
あらゆる人間に関する真実となっているものとしての“生き通しの神性”を無視することを選択する際に、大多数の人々は、目覚めていない状態で単純に生き続けました。
この偽りの教えは、現在もまだ霊性の名の下にその使者を崇拝しそのメッセージを見落としている数多くの教会の中で存続しています。
これは、数々の世代を貫いて人類が進化する支援をするために転生することを選択し、その結果拒絶されるか神々として崇拝された、数多くの啓発された霊的指導者達の物語です。
真実は今までいつも、そして今後もいつも、個人的な信念体系を脅かし、たとえ現状が苦痛に満ちて生命を抑圧するものであるとしてもその現状を維持しようと試みて、結果としてその使者への怖れと暴力行為をもたらします。
世界は、まさに今これを目の当たりにしています。
さらに高い次元の数々のエネルギーが地球に注がれて世界意識が広がり始めるにつれて、二元性と分離の信念によって創り出され維持される幻影が砕け散り始めることになり、そこから恩恵を受ける者達を激怒した状態のまま放置して、その人々を所定の場所に留めます。
あらゆる個人が、その進化の旅の同じ時点で、もしも今回の生涯の中でないとすればその時は別の生涯で、ひとつの個人的なクリスマスを経験します。
人間の本質である神性は、霊的な即応性を持つ特定の時点で、キリストが個人的に誕生することを許す目覚めへ向けて突き抜けることになるでしょう。
世界は、それぞれの個人的な自覚的意識に従って解釈され経験される、ひとつの霊的な宇宙です。
激しく条件付けられたひとつの精神を通して善悪の信念で解釈するひとりの個人は、既に一体性の意識を獲得している個人とはかなり異なって行動して世界を経験することになるでしょう。
慣れ親しんだクリスマスの物語は、皆さんが認識するように、ひとつの霊的な活動の物質的な感覚です。
これはその出来事が起こらなかったことを意味する訳ではありませんが、しかしすべての物事と同じように、探索すべきさらに深い数々の層があることを意味します。
外見的に味気なく粗野な飼い葉桶は、キリスト意識の誕生が起こるために必要な意識状態を象徴します。
もはや3次元の概念や信念で取り乱していない、ひとつの意識です。
過去も今も、その宿屋に部屋はありません。
その宿屋は、人間の基準に従ってより適切だと考えられたひとつの場所(意識状態)になっています。
キリストが誕生できるのは、その場所のために二元性と分離の創造に力を与える偽りの信念を含まない意識状態の時だけです。
その“宿屋”は、既に満室です。
聖母マリアは、キリスト意識を産むことができる創造的な純化された意識状態になっていることを象徴します(神聖なる女性原理)。
ヨセフは、あらゆる自己が持つ愛に溢れながらもの強い監督者の部分(神聖なる男性原理)であり、母と新たに誕生するキリスト意識を外部の干渉から保護します。
二人は伴に、完璧に統一した状態になっている女性原理と男性原理を象徴します。
賢者達は、キリスト意識を認めて称えるために旅をした進んだ光の存在達であり、数々の贈り物と敬意をもたらします。
賢者達と謙虚な羊飼い達は、世界のすべての部分と社会のすべての水準の内部に存在する霊的な自覚を象徴します。
キリスト意識は、決して特定の人種、国籍、そして性差に限定されることはありません。
新たに誕生するキリスト意識は脆弱であり、強くなり成熟する時間が必要になります。
その“嬰児”は、それが充分に現れて実践される時が訪れるまで、近くに抱き締められて保護され、内部に安全に隠されることが必要になります。
充分に発達したキリスト意識が怖れを持たない理由は、それがキリスト意識自体を認識し、従って一体性の無条件の愛の中でそれぞれの瞬間を生きるからです。
親愛なる皆さん、クリスマスの物語は皆さんの物語であり、皆さんが3次元の意識から皆さんのありのままの姿を役割の真実の中で皆さんという存在を生き、移動し、経験することに向かけて旅するように、今皆さんが生きている物語です。
今後ある時点で、皆さんは個人的なひとつのクリスマスを経験することになるでしょう。
3次元の世界の中で、クリスマスはそれぞれの個人、社会、伝統、宗教的な信条、そして意識状態に従って変わる数々の概念に基づいています。
あらゆる人が、自分達の個人的な認識の水準を通して共鳴し、世界を解釈します。
気が付くともはや皆さんが同じように祝日の活動に共鳴しないとしても、驚かないでください。
過去において皆さんはその興奮を楽しんだとしても、慣れ親しんだ宣伝、音楽、そして感情的な販促活動は今、耳障りに感じる可能性があります。
この理由は、皆さんの共鳴がもはやそれに同調しないからです。
皆さんは、皆さんはクリスマス気分を喪失してしまったと考えるかもしれませんが、しかしそれはむしろ単純に、既に皆さんはクリスマスの季節の数多くのより物質的な側面から霊的にはみ出してしまっているからです。
義務ではなく選択によって、その季節を祝ってください。
歓びは、霊的な存在としての皆さんの先天的な権利であり、特権です。
パーティー、礼拝、贈り物の交換、音楽、あるいは依然としてクリスマスをその古い姿で理解する家族や友達と過ごす時間は、すべて無条件の愛を表現する機会です。
皆さんがこのお祝いの時期に誰にでも与えることができる最も素晴らしい贈り物は、その人々の真の姿に関する皆さんの認識です。
神聖なる認識という贈り物は、それが個人の達成された意識状態になり、その結果それは既にその個人として充分に統合されているため自覚的意識を持たずにそれが淀みなく流れる状態になるまで、意識的に与えられます。
彼が何処に行こうと、あらゆる言葉を通して流れて、そのエネルギーを受け入れる力があるあらゆる人に影響を与えます。
数多くの人にとって、その人々の大量の贈答は、依然として罪悪感と義務感から流れます。
小売業者達はこの意識を生き甲斐にして、もしも買って買って買いまくらなければ小売業者達が愛着を持つことはない潜在的な購買者を説得しようと努力して、感傷的な広告を通して販売を促進します。
もしも皆さんが気付くとこの種の圧力を経験しているなら、立ち止まって、皆さんの信念体系を分析してください。
“わたしはわたしをこう感じさせる何を信じているのだろうか?”
もしも皆さんが、もはや皆さんが共通したものを何ひとつ持たない人々またはもはや皆さんの経験の中にいない人々のために習慣から贈り物をすることを止めるとしても、空が落下することはないでしょう。
皆さんがこの季節に交換するあらゆる物質的な贈り物が、霊的な自覚のエネルギーを運ぶようにしてください。
物質的な姿をした霊の贈り物です。
すべての皆さんが本当のクリスマスを過ごしますように。
わたし達は、アルクトゥルスの集団
We are the Arcturian Group
12/18/16
http://sananda.website/the-arcturians-via-marilyn-raffaele-december-18th/
翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。
転載される場合には、出典を明記してください。
バシャール:貴方の一部
テーマ:新しい地球のスターシード達へ
『知恵』の始まりは、自分が知らない事を認識する事から始まります。知らない事を認識したいという想いから、”向上心”が芽生えます。向上心があるからこそ知らない事を知りたいという、探究心が誕生するのです。そして探究心は好奇心、ワクワクへと繋がってゆくというわけなのです。
貴方のワクワクは、貴方が必要な”すべて”を全部兼ね揃える『エネルギー』を表します。心も体も、そして貴方の細胞もワクワクにシンクロできるのが、このワクワクの『エネルギー』です。ワクワクは宇宙を象るエネルギーで出来ているだけでなく、貴方仕様に調律されている特別な『エネルギー』です。ですから貴方以外の人に”同じように”機能する事はありません。
貴方は状況に応じて、ワクワクのアプローチ方法をどんどんシフトさせています。たとえ物質界を去て非物質界の人生にシフトしても、貴方の基本的なワクワクは変わる事はありません。他の転成の人生でも、同じ事が言えるのです。なぜならば、貴方という存在は絶対に変わらないクオリティだからです。つまりワクワクもまた、変わる事がない貴方の一部であり、貴方のクオリティの一つだからです。
【闇の搾取】サラリーマン大増税時代!2021年までの「手取り年収」はこうなる
Ray:税は違法 (納税とは奴隷制度に洗脳された慣習行動、もっともらしく金貸しが詳細に因縁をつけているようなもの) 税:語源~国家や支配者が人民の収入や収穫の内から抜き取って徴収するもの。年貢。近世では田畑や土地から徴収するものを「租」といい、品物や収入から取るのを「税」という。【解意】八(はぎとる)+兄(頭の大きいひと)の会字で、人の着物をはがしてぬきとるさま。収穫の一部をぬきとること。奪(ぬきとる)と同系のことば。
転載: http://diamond.jp/articles/-/154465
2017.12.27
12月14日に2018年度税制改正大綱が発表になった。今回の目玉は、所得税の見直しだ。安倍政権による「働き方改革」の旗印のもと、減税要素と増税要素の入り乱れた、かなり難解な改正案となった。
今回の所得税改正案をダイジェストすると、『給与所得控除は一律10万円縮小し、基礎控除は10万円拡大。年収850万円以下は、プラスマイナス0で影響なし。年収850万円超の会社員は給与所得控除が頭打ちになるので、原則増税となる』となる。税金の仕組みになじんでいないと、すんなり理解できないだろう。
年収850万円超の人のうち、22歳以下の子どもや、介護が必要な家族がいる場合は増税の対象外となるので、実際に増税となるのは、会社員と公務員の約4%にあたる約230万人とのことだ。
しかし、税制改正大綱には「所得税の見直しは今後も継続する」とあるので、次の段階では「中間層」が増税になる可能性は大きい。
今後迫ってくるだろうサラリーマン大増税時代に備え、給料にかかる税金の知識を身に付けたい。知っておくべきなのは1つだけ。「控除」の仕組みだ。これだけ知っておけば、増税のニュースの理解が早まる。
税金は収入そのものにかかるわけではなく、いくつかの「控除」を差し引いた残りに税率を掛けて課税する。自営業者を例にとると、「売上(入ってきたお金の総額)」に税金がかかるわけではなく、「必要経費(仕入れや人件費など)」を差し引くことができ、残りが「所得」となる。「控除」された部分には税金がかからないので、「控除=非課税の枠」と考えるとわかりやすい。
サラリーマンも同様で「額面年収(勤務先から受け取った給料の総額)」から、「給与所得控除」を差し引くことができる。今回の改正案で話題になっているのが、この「給与所得控除」だ。給与所得控除は、実際にお金を使わなくても「一定率」または「一定額」を差し引くことができるので、「サラリーマンのみなし経費」と言われている。

その他にも「控除」がある。図中の「所得控除(1)」は、社会保険料や生命保険料、医療費控除など。実際に使ったお金、もしくはその一部を「控除」として差し引くことができる。
「所得控除(2)」はヒトにかかる控除で、自分自身が生きていくための「基礎控除」、養っている人がいれば「扶養控除」などを所得から差し引くことができる。
すべての控除を差し引いた残りを「課税所得」といい、これに税率を掛け税額が計算される。
つまり「控除」の額が多いほど「所得」が減り、税金は安くなる。反対に「控除」が縮小したり、廃止になったりすると、増税になるということだ。
年収が高い人ほど増税の影響は大きい
「控除」がわかったところで、冒頭の改正案ダイジェストをもう一度見てみよう。
『給与所得控除は一律10万円縮小し、基礎控除は10万円拡大。年収850万円以下は、プラスマイナス0で影響なし。年収850万円超の会社員は給与所得控除が頭打ちになるので、原則増税となる』
年収850万円以下が増税にも減税にもならないのは、すんなりわかるだろう。後半の『850万円超の人は「給与所得控除」が頭打ちになるので増税になる』がキモとなる。
今回の改正案の影響を年収別に見てみよう。従来、給与所得控除は「一定率」だったので、年収が高くなるほど、差し引ける非課税枠が多い。今回、年収850万円に線を引き、850万円を超えると給与所得控除に上限が設けられる。つまり、基礎控除が10万円拡大しても、給与所得控除が頭打ちになるので、年収が高くなるほど増税の影響を受けることになるのだ。
現行の38万円から10万円拡大する基礎控除も、年収2400万円超から縮小し、2500万円を超えると48万円の控除がゼロになる。このクラスの年収の人は、給与所得控除の頭打ちと基礎控除の縮小・廃止で大きく増税となる。
年収2500万円超は、全体から見たら一握りの人かもしれないが、もともと税負担が重いのに、自分が生きていくための基礎控除すら使えなくなり、さらに増税なるのは気の毒だと思う。
給与所得控除の頭打ち、実は何年も前から実施されていた!
新聞報道によると、今回の所得税改正案による増税の影響は以下のようになる。
年収850万円以下:影響なし
年収900万円:1万5000円
年収1000万円:4万5000円
年収1500万円:6万5000円
年収2000万円:6万5000円
年収3000万円:31万円
(増税額は、所得税と住民税の合計額)
改正案が国会で可決されると、施行されるのは2020年である(住民税は1年遅れで2021年)。
では、いつものように「手取り」ベースで数年間の推移を見てみよう。下記は、2012年から2021年までの額面年収(900万円・1000万円・1300万円・1500万円)に対する「手取り年収」を試算したものだ。

年収900万円と1000万円の手取り年収は、今回の改正案が実行される2020年にわずかに減っているが、微減であることが読み取れる。
一方、年収1300万円と1500万円の手取り年収は、2020年に給与所得控除頭打ちの影響を受けて減少している。しかし、グラフをよく見ると、この2つの手取り年収は、2018年と2019年にも減少している。これは、昨年の税制改正で発表になった「高所得の人の配偶者控除・配偶者特別控除の縮小・廃止」の影響によるものだ。施行されるのが2018年と2019年からなのである。
さらにグラフをよく見ると、年収1300万円と1500万円の手取りは、2016年と2017年にも減少している。

実は「給与所得控除の頭打ち」は、高年収帯では数年前から実行されていたのである。
【給与所得控除の頭打ちの概要】
2013年:年収1500万円超は245万円で頭打ち
2016年:年収1200万円超は230万円で頭打ち
2017年:年収1000万円超は220万円で頭打ち
大きな話題になっていなかったが、サラリーマンの増税はずいぶん前から始まっているのだ。
ここまで読むと「そんなに年収は高くないから、自分は増税の影響を受けない」と思うかもしれないが、前述のように、所得税改革は今後も続く予定である。次の段階では年収600万~850万円の中間層が増税の対象となりそうだ。他人事とは思ってはいけない。
サラリーマンなら、給料にかかる税金の知識を身に付けて備えるべき。まずは「控除=非課税枠」だということだけでも知っておきたい。
((株)生活設計塾クルー取締役 ファイナンシャルプランナー 深田晶恵)
12月19日:シェルダン・ナイドルニュース
NEW!2017-12-26 22:22:33
http://www.galacticchannelings.com/english/sheldan19-12-17.html
12月19日:シェルダン・ナイドルニュース
Selamat Balik! かなりの期間が空いてしまいましたが、再び地球のこの神聖な時期に、地球の周辺では何が起きているかについて、しばしお話しさせて頂ければと思います。時には、地球で何が実現しつつあるかを、完全に把握するのは難しい事もありますが、私たち銀河連合の視点から、何が起きたかをちょっとお伝えしたいと思います。私たちはようやく、地球の関係者たちから、みなさんに約束されてきた豊かさの実現の為にも、より積極的に手伝って欲しいというお誘いを受けました。ですので、どうかこの時間を使って共に集まって、ここ数週間のうちに起きるであろう、歴史的な変化に備えようではありませんか。地球の関係者たちは、しつこい闇の存在たちの介入を完全になくす為の、私たちの戦略を活用する準備が出来ており、やる気は満々です。
闇の秘密組織、及びその無数の仲間たちからの継続的な邪魔によって、何かしらの方針を練るのが難しくなっています。しかし、こういった邪魔にも関わらず、光はみなさんが大いに得るに値する勝利の数々を間違いなく得なければなりません。ライトワーカーのみなさんは、その導き(直感的な叡智)を活用する運命にあり、それによって、勝利という結果を出します。常に光と闇のバランスを取りながら、私たちはやがて勝利を得ようと考えています。
あなたの完全勝利は最重要です。そして、まっさらで新しい銀河を創造するべく前進するには、闇の秘密組織の壊滅も不可欠です。だからこそ、私たちは戦略と慎重さの両方を導入して、地球の仲間たちが、神聖なタイミングで闇を退治できるようアドバイスをしているのです。みなさんに知って頂きたいのは、ほとんどの方が思っているよりも、闇の壊滅はまだ先であるという事です。私たちの計画は、ゆっくりと安定したペースで進む事であり、全ての為に、神聖なタイミングで勝利を達成するという事を固く決心しています。
ナマステ!私たちはあなたのアセンデッドマスターです!本日は自分に優しくする事と、慈悲心についてお話しさせて頂ければと思います。慈悲心とは、あなたの心の底から、そして私たちの神から来る愛の一種です。慈悲心を使って、この世とその複雑さをうまく認識してください。慈悲心の中には、あなた個人としての自己表現を望む内なる望みが抱えられています。更にそれは、世界があなたに対してどのように反応しているかを表現しています。どうか愛しいハートのみなさん、いかなる時もこの世界から自分を切り離す事を知ってください。あなたが、世の中の出来事をどう見るかによって、この世界はあなたの知らない間に反応しているからです。ですから、あなたがあなたである、非常にパワフルな存在として目覚める際には、どうかご自分に優しくして頂きたいのです。どうか、ご自分のハートと繋がってください。何故ならそこにあなたのパワーが宿っているから。あなたはそうする事で、ハートを転換させ、この世をどう見るかさえも変わってきます。
同様に、慈悲心とはハートの一機能でもありますが、その機能する理由は違います。どうか、ご自分を創造主の愛で包んであげてください。究極の創造主には企みなどありませんし、内なる愛を表現するのに“全員に共通する”やり方などありません。慈悲心とハートのエネルギーと愛の恵みを組み合わせる事によって、自分自身はもちろんの事、あなたの社会が世界を全体的にどう見ているかをより良く理解する事ができます。私たちが気付いた事は、あなたがご自分の力と私たちの力とが繋がるのを許す事で、真のご自分をもっと享受できるという事です。私たちは、あなたの目覚めを手助けしに来ています。あなたはここで、肉体を持つという事を学んでいます。ハートとは、純粋な愛の事で、愛は真の自分でいさせてくれます。この世界が慈悲心と愛の恵みをどのように捉えているかを学んでください。
この世界で共に協力し合う事で、優しさや慈悲心という価値を用いながら、互いに助け合う方法を見出す事が出来ると言われています。こういった価値観を理解する事の出来る人は、その価値を保ちながら、互いに愛し合い成長し、優しさと慈悲心の重要性についてより良く理解するようになります。これらの価値観がどういう風に相互に繋がっているかを理解するのは、今日においては不可欠な事なのです。私たちの多くにとって、慈悲心というのは両刃の剣です。慈悲心が人を手助けする際、世界のあり方を解決する際には、その状況を概念化する事ができます。マスターたちの長の重要な仕事の一つとして、人類がより良くなるために慈悲心がどのように役立つかを説明する役目があります。多くの方は、この世界での自らの条件をより良いものにする為に、‘ご慈悲を’と祈りますし、その一方でその他の人たちは慈悲を願う祈りによって、いかにこの領域をより良くする事が出来るだろうかと考える方もいます。慈悲心というのは、より住みやすい世界を実現する為に使う事の出来るツールでもあります。
慈悲心をどのように使うと良いかを示す、良い例がこの世に存在します。大昔に、ある子供が私たちの元にやって来て、その子は自分の生活状況について今後はどうなるのかと酷く心配していました。そして、どうか自分の祈りが叶う様にと願いました。すると、このような答えが返ってきたのです:自分の事だけではなく、人類の為になる事は何かという視点で、自分なりの知識を基に考えてみなさい。人類とは、ハートやスピリットのあり方を無視する事で、自ら困難な状況を招いてしまいます。成功した、楽しい人生を送る為には、普遍的な宇宙の法則を学び、人生に取り入れる事です。そうすれば、あなたは神の流れに乗る事が出来ます。
本日は、みなさんにメッセージをお届けする事が出来ました。どうか、引き続き忍耐強くいて頂き、内なる輝きを輝かせ続けてください!ミラクルが溢れる、壮大な時間が間もなく佳境を迎えるという事実を、是非受け入れてください!どうか知ってください、無限の供給と終わる事の無い天の豊かさは、実にあなたのものであるという事を!そういう事です!一つであれ!喜びの中にあれ!
Website: Planetary Activation Organization
訳JUN
フルフォードレポート英語版(12/25)
2017年12月26日
メリークリスマス:13イルミナティ血統家族は平和を求めている 惑星地球の古代の支配法則が崩壊しているのを見ている13のイルミナティ血統家族が平和を求めている今、地球上の平和とすべて(人類だけではなくすべての生き物)との友好は2018年の現実的目標のように思える。先週、G7(ドイツ、英国、米国企業、日本、イタリア、フランスとカナダ)が平和の問題を議論するために白龍会代表と会ったと、その会議に出席した白龍会メンバーは言う。もちろん、G7は13血統家族にとっては政治的全面である。この会合は軍産複合体内部の人々がイエス・キリストの精神で行動することで可能になったことは間違いがない。だから、彼らに「メリークリスマスと新年あけましておめでとう」 秘話を交渉すると言う血統の申し出は、米国大統領ドナルド・トランプが先週宣言した非常事態に直結する。それをまだ見ていないなら、下のリンクから歴史的文書をお読みください。 https://www.whitehouse.gov/briefings-statements/text-letter-president-congress-united-states-6/ 「ハヌカーの後、トランプは緊急事態を宣言し、12月20日に人権侵害と汚職の被告人の資産を凍結する大統領令にサインした。ブッシュ、クリントン、ソロス、オバマ、徒党と世界的ユダヤマフィアを倒産させるためのすべてを包含した方法は、国防総省情報筋がその状況をどのように纏めるかであった。 国家の緊急事態はトランプに、資産を奪い、大量逮捕を実行し、軍事法廷で裁判を行うために軍隊を出動させ、効果的に戒厳令を課すことを可能にしたと、その情報筋は続ける。 国防総省情報筋はまた、「ソロス/ヒラリーの紫革命に勝利した12月18日に彼の国家安全保障戦略を明らかにしたときに、トランプは紫の服を着て、手錠を模擬した両手で水を飲んだ」と言う説明文をつけて、この写真のコピーを送った。
バシャール:周囲に
2017-12-28 01:41:29 NEW !
テーマ:新しい地球のスターシード達へ
問題解決が必要な時、その時に貴方がワクワクの波動域にいれば、問題に対する答えが直ぐにやってくる事ができます。貴方がピュアな波動域にいればいるほど、答えがやってくるスピードが早まる事を意味しています。ですから、愛する人を如何に効率的にサポートできるのかというと、それは貴方自身がピュアな波動域にいる事なのです。つまり、貴方が高波動を受信するアンテナとなってサポートをダウンロードし、必要な人に必要な情報を提供する事ができるというわけなのです。
貴方がワクワクにいれば、シンクロが貴方をガイドしてくれるようになります。例えば、貴方の助けを必要とする人がいたら、シンクロが貴方を必要な場所に必要なタイミングで送り出してくれます。そして貴方は、助けが必要な人に必要な情報をその場で与える事ができます。つまり、貴方がワクワクの波動域にいるからこそ可能となります。
このように、貴方がワクワクの波動域にいるからこそ周囲のために動く事ができるのです。貴方がワクワクの波動域にいるからこそ周囲が何を望んで、何を必要としているかを察知する事ができるのです。しかし貴方がワクワク外にいては、解決策や必要な情報を得る事ができません。そもそもワクワク外の貴方は、答えを待つ側にいる事になるので、貴方は自分の力で答えを掴む波動域にはいない事を意味しているのです。
【すべては真理探究の道筋】世界最後の謎を解き明かす(ムー大陸探検事典) ~第3章 異変で滅び去った高度な文明:ムー文明の痕跡をさぐる
天帝の秘密の都ティアワナコにそびえる太陽の門
アイヌ語で「カラ族の浜辺」という意味をもつカラササーヤの神殿
これまで教わった歴史によれば、われわれは過去一万二〇〇〇年間に一度も大ぎな異変を経験しなかったことになっている。が、アンデス山中の遺跡は、人間が都市文明を築きあげたつい最近の数千年問に、何度も巨大な異変に遭遇したことを物語っている。三〇〇〇年前のエジプト文化がどれほど高度な水準に達していたか、われわれは最近になってようやく気づき始めたところだ。紀元前七~八世紀の大異変以前に地球規模の広がりをもって栄えたムー文明の痕跡は、見方を変えれば、誰でも世界各地で発見できるのだ。
エピソード1
歴史時代の異変を物語る遺跡
世界最古の地理書『山海経』せんがいきようの中で、「天帝の秘密の都」と記されたティアワナコ。インカ帝国の都タスコの南東およそ五〇〇キロメートル。ペルー~ボリビア国境のチチカカ湖のほとりにあるティアワナコは、日本の富士山(三七七六メートル)より高い三八○○メートルの高地にある巨石造りの神殿都市である。ボリビアの首都ラパスから西に向かってキムサ・チャタとアチュタの山あいを越え、今は不毛の地となった荒涼たる原野を横切ってチチカカ"湖をめざすと、そこには有名な""太陽の門""をはじめとするいくつかの".巨石遺構、アカパナと呼ばれるピラミッド状の遺跡や、カラササーヤの神殿、巨大なプマプンクの廃擁がある。そしてこの周辺のチチカカ湖の底にも、また海抜六〇〇〇メートルを越える万年雪をいただいたイリャンプの山々の斜面にも、いたるところに大小無数の遺跡があって、ここがインカ以前に、アンデス一帯に栄えた壮大な文明の中心地であったことは疑いようがない。十六世紀のフランシスコ・ピサロ以来、この地を訪れた多くの人々は、つい百年前まで昔の原型をとどめていたティアワナコについて、次のように書いている。湖の町チュキユト(ティアワナコの別名)の建物の中心部には、長さ二四メートル四方の正方形の広場がある……。ここには今でも多くの男女の像があり、まるで生きているようだ。それらは飲み物を飲んでいる人や川を渡ろうとしている人、あるいは赤ん坊に乳をあたえている女性の姿を表している。ーデイエゴ・デ・ラ・コバカここには世界で八番目の不思議な宮殿がある。その宮殿は長さ三七フィート(一一、一メートル)もの巨石で造られており、一つひとつの継ぎ目がわからないほど完全にぴったりと組み合わされ、はめこまれている。ーヒメネス・デ・ラ・エスパーダ巨大な宮殿の中には、長さ四五フィート(一三、五メートル)、幅二ニフィート(六、六メートル)の部屋があり、その屋根はクスコの太陽神殿の屋根と同じ形をしている……。大広間にはたくさんの柱が並び、湖水が大広問に続く階段を濡らしている。ティアワナコの村人によれば、この宮殿は、世界の創造主ビラコチャを祭るために造られた神殿だという……。 ーシエサ・デ・レオン
ティアワナコは大洪水のあと、その名も不明の巨人族が一夜で建設したという。巨人族は、太陽の神がやってくるという予言を軽んじたため、神の光で滅ぼされた…。 ーインディオの話十六世紀の年代記作者シエサ・デ・レオン(一五一八?ー一五六〇)がこの地を訪問したとき、カラササーヤの神殿の壁と壁寵がんには、金や銀、銅をはりつけた像がいくつもあり、その足もとには高価な腕輪や金の釘があった。今では個人のコレタションでしかその内容をうかがえなくなってしまったが、昔のティアワナコには、現在知られている品々を上回る重さ三キロの純金の杯、皿、茶碗、匙さじなどはかり知れない富があったとみられる。ティアワナコをだれよりも愛したドイツの考古学者アルトゥール・ポズナンスキーは、海抜四〇〇〇メートルの高地にあるこの遺跡が、かつて海辺の港町であったと考えた。チチカカ湖一帯を調査した彼は、湖の底に破壊された道路や神殿の跡があること、湖の湖岸線や山の洞窟の壁が異変によって大きく傾いた跡を示していること、山の斜面にある農業用の段丘(棚田)が、今ではどんな作物も育たない万年雪の雪線(五〇〇〇メートル前後)まで続いていることなどから、ティアワナコがつくられたのはアンデス山脈が隆起する前の時代であると考えたー。「現在のアンデス高原は荒れ地で、ほとんど何も育たない。今の気候のもとでは、どの時期を考えてみても、"先史時代に""世界のへそ""といわれ"たティアワナコで大勢の人々が暮らしていけたとは思われない。」(ポズナンスキー)ティアワナコの一帯がかつて太平洋の沿岸部にあったことは、チチカ力湖の動物群が海洋性起源を示していることや、チチカカ湖の水が海水とほとんど同じ成分であること、アンデス山脈のいたるところにサンゴの化石や貝殻が散乱し、昔の海岸線が隆起した跡をとどめていることによってすでに証明されている。『種の起源』を著したチャ:ルズ・ダーウインは、ビーグル号でチリのバルパライソを訪問したとき、海抜四〇〇メートルのアンデス山中にある海岸線の跡で、貝殻がまだ腐っていないことに大きなショックを受けた(貝殻が腐っていないのは、その場所がつい最近、四〇〇メートルも隆起したことを物語っている!)。また彼は、太平洋の海岸部から一〇〇〇キロ以上も奥にある標高二〇〇〇メートルのウスパラータ山地で、古代の海岸にはえていた巨木の群落がいったん海底に沈み、その後二〇〇〇メートル以上も持ち上げられた明臼な証拠を目撃している。このような証拠にもとづけば、アンデス山脈が隆起したのは、何百万年も何十万年も前のことではなく、文明をもった人間が地上に都市をつくりはじめた何千年前か、何万年前であったことははっきりしている。チチカカ湖の一帯は、ここにティアワナコの町がつくられた頃、太平洋の水位とほとんど変わらないところにあったが、その後の異変で湖の位置が引きあげられ、アンデス山脈全体が何回か上昇を続けて、今の高さになったことはまちがいないのである。今世紀の初めに、イギリスの王立地理学会の会長をしていたレオナード・ダーウィンは、アンデス山脈が隆起したのはティアワナコの都市がつくられたあとではないかと述べた。ポズナンスキーによれば、ティアワナコが建設されたのは一万六〇〇〇年前のことであり、その他の考古学者によれば、最古の遺跡が造られたのは四〇〇〇年くらい前のことである。が、アンデスが隆起し、ティアワナコの町が崩壊したのであれば、それはいったいいつ頃のことだったのだろうか。この点について、世界各地の地質学者や地理学者、考古学者、歴史学者はいろいろな見方をしている。今のところ、最終的な結論は出ていないが、多くの研究者が注目している異変の年代は、一万二〇〇〇年前、三五〇〇年前、あるいは、二七〇〇年前のどれかである。ロシアの指導的な地質学者の何人か(ジロフ、オブルチェフ、ハゲメイステルら)は、この異変が起きたのは、C14年代で今から一万年~一万二〇〇〇年前だとみている。C14法(放射性炭素年代測定法)を開発してノーベル賞をとったアメリカの化学者ウィラード・F・リビーも、今から約一万四〇〇年前(C14年代)に、地上の各地で人間の痕跡が突然消え失せ、大きな断絶が起こったことはまちがいないと述べている。これに対して、ヨーロッパと北アメリカの氷河時代を研究してきた欧米の実証的な地質学者(アップハム、ド・ラパラン、ライトら)や、気候変化の歴史を調べてきた北欧の学者(A・ブリット、アンデルソン、セルナンデルら)は、地球規模の異変があった時期を三~四〇〇〇年前のこととみており、ロシアの学者が一万年前に終わったとみなしている氷河時代は、C14法で調べた結果、三五〇〇年前より古いものではないというデ―タを得ている。
サンクト・ペテルブルク寺院にある大洪水の絵
世界各地の海岸線が歴史時代に入ってから隆起している事実を発見したアメリカの地質学者R・A・デーリによれば、その時期はおよそ三五〇〇年前のことだという。しかし、これらの見方とは別に、異変が発生したのは今から二七〇〇年ー二八〇〇年前のことだと考えられる有力な証拠もある。そのひとつは、一九一九年にアメリカのカーネギー財団が発表した太陽活動のグラフだ。このグラフをつくるためにセコイアの年輪を調べていたA・E・ダグラスは、紀元前八世紀の終わりと紀元前七世紀の初めに、セコイアの成長が急激に止まったことを発見している。これは、その時期に激しい気候の変化があったことを意味している。また、太陽活動と密接なかかわりをもつ地磁気の変化を調べた何人かの学者(フォルヘレーター、マーカントンら)は、古代の青銅器や陶器に含まれる磁気を分析した結果、地球の磁場は紀元前八世紀に逆転していることを突きとめた。一般に磁場の逆転は、地軸の変化と結びついているので、この時期の地軸変化によってアンデスが隆起し、激しい気候の変化が生じたことは十分に考えられる。サンクトペテルブルのエルミタージュ博物館にある紀元前のスキタイの黄金のバックルに、氷河時代の末期に死滅した剣歯虎けんしこの姿が描かれていることや、メキシコで石器とともに発見された氷河時代のマンモスのC14年代が、権威ある『ラジオ・カーボン』誌二巻で二六四〇年前となっていることは、氷河時代末期の異変が紀元前七〇〇年頃に発生したという見方にとっては有利な材料である。現地のインディオによって、遠い昔、世界の中心に位置する都として輝いたと伝えられるティアワナコが、地軸をゆるがす大異変によって滅び去ったのはいつの時代か!われわれ日本探検協会では、近い将来、本格的な学術調査を進めたいと考えている。
エピソードⅡ
紀元前の高度な医学
一九六八年にソ連の学者コリン・メグルーチアン博士らは、アルメニア共和国の首都エレバンの南にあるアララト山のふもとで、前二〇〇〇年期に湖るとみられる大規模な冶金工場の跡を見つけた。欧米の考古学者によって世界最古の本格的な工場跡とみなされたこのメドザモール遺跡には二〇〇個以上の炉の跡があり、ここではマスクと手袋をつけた職人たちが金や銅、鉄、鉛、亜鉛、錫、マンガンなどを精錬加工して各種の金属製品をつくり、メタリッタ・ペイントやセラミッタス、ガラス製品まで生産していたことがわかった。メドザモール遺跡から出土した製品は、いずれもみごとな出来ばえで、十四種類にのぽる金属製品の中には、今日の外科医が使っているピンセットと同じものさえあった。鋼鉄でできたこのピンセットを定量分析したロシアの科学者たちは、古代の製品が現代のものにまさるとも劣らない高い純度をもっていることを知って驚いた。驚くべきことは他にもあった。アルメニア共和国にはメドザモール遺跡の他にいくつも重要な遺跡がある。エレバンの東方およそ百キロ地点のセバン湖のほとりにあるイチクネー遺跡もそのひとつであるが、この遺跡からは現代でも困難な脳外科手術にみごとに成功した跡をとどめる人問の頭蓋骨が見つかっている。エレバン医学研究所の脳外科部長アンドレニエタ・ヤガリアン教授が、三十五歳前後で死亡したとみられる女性の頭蓋骨を調べたところ、この女性は若いころ頭をケガして脳が露出するほど致命的な状態にあったにもかかわらず、動物の骨でできた栓をうまくあてがわれて命びろいしたことがわかった。四十歳前後で、死亡したもう一人の女性の頭部には、これより大がかりな開頭手術に成功して十五年ほど長生きした跡があった。これらの脳外術手術の成功例を詳細に調べた後で、ヤガリアン教授は、先史アルメニアの外科医が「今日の外科医より技術的に優秀だったにちがいない」と述べている。イチクネー遺跡はさきのメドザモールと同じ前二千年期の遺跡である。おそらく当時のイチクネーの外科医は、メドザモールでつくられたすばらしい冶金技術の産物である鋼鉄製のピンセットを使って現代より進んだ脳外科手術を行なったとみられる。古代エジプトの医学一九六九年から七〇年にかけてエジプトを調査したジェームズ・ハリス博士を団長とするアメリカ調査団は、カイロ博物館に安置されたファラオのミイラをX線分析した結果、いくつかの遺体の内部に今日の外科医学で使用されるものとよく似た治療器具が埋めこまれているのを発見した。エジプト第十八王朝のトトメス三世(前九〇〇年頃の王)の右前腕には""黄金のブローチ""があり、十"九王朝のセティ一世(前八○○年頃の女王)の左前腕には""聖なる眼""がはめ"こまれていた。ラムセス二世の王妃ノジメート(前七〇〇年頃の女王)の胸には卵形の器具と四つの彫像があった。これらの器具が心臓病などの治療を目的とした器械であったのかどうか報告書の中では触れられていない。しかし、アメリカの高名なエジプト学者J・H・ブレステッドが内科学の権威E・B・ラックハートの協力を得て翻訳したエドウィン・スミス・パピルスに、脳手術や心臓手術に関するきわめて科学的な指示をふくんだ古代エジプトの高度な医学知識が記"されていたことや、""王家の谷""から"発掘された数多くのミイラに現代の歯科医が作ったものと何ら変わりないブリッジや義歯が認められたことなどを考えあわせると、今から二七〇〇年以上前のエジプトのファラオたちが、現在の最先端の医学より進んだ延命処置を施された可能性は大いにあり得る。
古代ヨーロッパの医学
これよりさきに一九五〇年代からヨ;ロッパ各地の開頭手術骨を調査してきたドイツのウルリッヒ博士とヴァイタマン博士は、一九六五年に、先史ヨーロッパの外科医学が驚くほど高度なものだったことを裏づける研究成果を発表していた。二人が調べたおよそ四〇〇体の手術例によれば、紀元前二〇〇〇年期から一〇〇〇年期(ヨーロッパの新石器時代から青銅器時代)にかけて行なわれた脳外科手術は現代よりもはるかに高い成功率を示し、ドイツでは八八パーセントの患者が手術後も生き続けたことを示していた。彼らがワイマール先史博物館の協力で一九五八年に発掘したノルトハウゼンの先史の遺体安置所からは、現代の外科医すら圧倒される最大長一六五ミリ.最大幅一三二ミリの手術例が見つかり、ゴータ付近の遺跡から出土した頭骨は、
ヨーロッパにおける脳外科手術骨の分布
古代ヨーロッパの脳外科手術が成功したことを示す頭蓋骨
患者が脳腫瘍の除去のため二回にわたって手術を受け、これに成功して長生きした跡をはっきりととどめている。スペインやフランス、イギリス、ドイツ、デンマーク、ノルウェーなどの各地から出土したこれらの開頭手術骨は、これまで漠然と石器時代や青銅器時代の魔術的な儀式に関係づけられてきたが、今から三〇〇〇年前のエジプトに高度な医学知識と外科技術が存在したことを示す実例が見つかった以上は、ヨーロッパの外科医もファラオの医師団と同様の知識をもち、同じ時代(紀元前一五〇〇年頃~紀元前七〇〇年頃)にこれらの手術にあたったと考えてよい。
ミイラの謎
かつてエジプトのミイラを詳細に研究したイギリスの解剖学者エリオット・スミス博士は、パプア・ニューギニアのミイラがエジプトのミイラとほとんど同じ高度な外科的処置を施されていることを確認して以来、世界各地の人工ミイラは、エジプト第二一王朝時代に完成したミイラの製造法が、巨石文化や太陽崇拝、頭蓋変形の習慣などとともにエジプトから世界に広がったと考えた。一九一五年に出版された『初期文化の移動』の中で、スミス博士は十項目から成る特異なエジプト文化複合が紀元前八○○年頃から世界各地に伝播したことを、多くの貴重な実例に基づいて論じている。しかしその後、文明の独立発生を重んじる学間的傾向が強まる中で、彼が指摘したエジプト文化の世界的な広がりは見失われ、前一〇〇〇年期の南アメリカでもエジプトと同じ頭蓋変形やミイラの製造が行なわれたことや、ヨーロッパ、コーカサス、中央アジアにおける外科手術骨が彼の唱えるエジプト文化複合の伝播地域から出土していることに注意を払う学者がいなくなった。けれども、彼が作成した「特異文化の移動図」をさきに掲げた地図(ヨーロッパにおける頭骨手術の中心地)と見比べてみると、両者の地域はほとんど重なり合っている。また、南アメリカの開頭手術骨は、スミスの地図に示されたアンデスのエジプト文化複合伝播地域から出土している。エジプトの高度な外科医学がヨーロッパの海岸部と内陸河川沿いに、またアンデス地帯に伝えられたことは、スミスが指摘する頭蓋変形やミイラの製造技術などの一致から間接的に証明されるだけでなく、これまでエジプトのファラオにしか認められなかった血液中の特異なRh因子がヨーロッパ先史文化の担い手の子孫とみられるイベリア半島のバスタ人や、アンデスのミイラからも検出されていることによって直接的に証明"されている。ファラオのミイラに""インカ骨""と呼ばれる特異な縫合線(前頭骨と頭頂骨の中間に三角形を描いて出現する非常に稀な縫合線)が、古代アンデス人と同じ高い割合(現代ヨーロッパ人の一パーセントに対して四~五パーセントの割合)で認められることや、バスク人の言葉が古代アンデス語を受け継ぐケチュア語にきわめて近いことは、前一〇〇〇年期にこれらの地域で脳外科手術を行なった人々が同一の人種(クロマニヨン系、もしくは地中海系の人種)に属していたことさえ示しているのである。"注""インカ骨""と並んでアンデスの"古人骨に高い割合で認められる".前頭縫合""は、縄文時代の日本人"と古代イスラエル人(アムッド人)の頭骨においても高い頻度で現れていることが確認されている。
古代アンデスの医学
古代のアンデス地域で盛んに脳外科手術が行なわれていたことを最初に学問的に明らかにしたのは、十九世紀のフランスの解剖学者ポール・ブロカ(一八二四~一八八○)だった。彼は、一八六三年にペルーのクスコでアメリカの外交官E・G・スクワイヤーが発見した奇妙な頭蓋骨を調べた結果、頭蓋の一部が四角に切り取られたこの頭骨の内部に六本の細い金属線が埋まっているのを見つけた。クスコの頭蓋骨は、彼の所見によれば、明らかに脳障害の患者にみられる病理学的な特徴を備えていた。そこで〃ブロカの中枢〃として知られる大脳の言語中枢を発見したこの有名な学者は、前一〇〇〇年期のアンデスで、患者が生存中に脳外科手術を受けたことはほぽまちがいないと結論づけた。しかし彼の結論は当時としてはあまりにも進みす
ぺルーのイ力遺跡から出土した石の表面に描れている古代アンデスの心臓外科手術図
ぎていたため、古代アンデスに高度な外科医学があったことは、一九二〇年代にペルーの考古学者フーリオ・テーヨ博士がパラカス・カベルナスを調査するまで確かな事実とみなされなかった。このときペルー南部のパラカス半島にあるセロ・コロラドのカベルナス(紀元前七五〇年頃から営まれた地下式墳墓)を発掘したテーヨは、ここで頭蓋変形を施された多数のミイラを発見し、埋葬骨の四〇パrセントに脳外科手術の跡があることを確認した。その後、同じような外科手術を受けた頭蓋骨はナスカ(ペルー)やティアワナコ(ボリビア)、タルカ(チリ)などでも相次いで発見され、今では紀元前一〇〇〇年期のアンデスの外科医が、エジプトやヨーロッパの外科医と同じ高度な医学的処置を患者に施したことは疑えない事実となっている。アンデス地帯の数多くの頭蓋骨を長年にわたって調査してきたペルーの神経外科医フェルナンド・キャビサス博士が一九七五年に明らかにしたデータによれば、チリのタルカにおける開頭手術は実に八五パーセントという高い成功率を示しているとのことだが、これはウルリッヒ博士が示したドイツの成功率とほとんど変わりない。前一〇〇〇年期のヨーロッパでこのような技術を駆使したバスク人の祖先が、アンデスの原住民ケチュア人と密接なつながりをもっていたことはさきにも述べたが、言語学者によってバスク人と同じ系統に属し、人類学者からクロマニヨン人と同系の人種とみなされているカナリア諸島の原住民グアンチ人の間で、かつてエジプトやプレ・インカと同じミイラが作られ、開頭手術が行なわれていたことは、以上に示されたエジプト文化の広がりをさらに補強してくれる。グアンチのミイラの頭蓋骨こま、ヨーロッパやアンデスの頭蓋骨と同じように丸のこぎりを使った跡があり、手術後に金や銀の板をかぷせて患部の回復をはかる技術がペルーにもあったことは、大西洋の両側で同じ時代に同じ技術があったことを示すものだ。以上の諸点から、われわれは三〇〇〇年前のエジプトに今よりもっと高度な外科医学があり、前八00年以降、いくつかの退化の徴候を示しながら地中海地域から全世界に広がっていったこと(あるいは、かつて世界的な広がりをもっていたエジプト文化が前八○○年以後、相互のつながりを失って次第に退化していったこと)を事実として受け入れなければならないのではないかと思われる。
[アカンバロの土偶]
メキシコ・シティの北西約一六〇キロ地点にあるアカンバロから大量に出土した謎の土器群。一九四五年来、地元の「雄牛山」と呼ばれる高台のふもとから続々と発見された土器は、人類がまだ存在しなかった七〇〇〇万年以前の恐竜や翼竜などを形どった土偶をふくみ、本物か偽もの物かで大論争を引き起こしている。本物とすれば、人類は何千万年も前に恐竜とともに生きていたか、恐竜は比較的最近まで絶滅をまぬがれたかどちらかである。土器とともに出土した動物の歯を古生物学の世界的権威ジョージ・シンプソン博士が鑑定した結果では、その歯が氷河時代に絶滅した古代馬のものと判明。地質学者チャールズ.ハプグッド教授も、偽造説は成り立たないと結論づけている。本格的な調査と慎重な議論が望まれる遺物。
[ヴェリコフスキー]
一九五〇年『衝突する宇宙』を発表して世界的反響をまき起こしたアメリカの高名な学者。コペルニクス、ダーウィン以来の天才とも称えられた彼の理論は、われわれの太陽系秩序が歴史時代になって再編成されたという革命的内容をもち、地球はこれまで二度にわたり金星や火星の接近によって大異変を経験したと説いている。晩年のアインシュタインも評価したといわれる彼の研究は、古代世界の天文、地質、生物、考古、歴史の全般にわたる再編成を企てる本格的なもの。東大名誉教授竹内均が翻訳したヴェリコフスキーの『古代地球大異変』はアトランティス滅亡の真相に迫る画期的著作とみられている。
[エリオット・スミス]
英国マンチェスター大学とロンドン大学の解剖学・人類学の教授で、その当時世界的に名を知られた権威であった。スミスは、専門の解剖学的立場からミイラの研究に取り組んで世界各地にその痕跡を求める調査を続けるうちに、巨石文化の伝播の問題に入っていった。そして、エジプトとまったく同じようなミイラ製造法が、はるか離れたパプア・ニューギニアのトーレス海峡の島で行なわれていることを発見し、そのような事実は、二つの地域問に文化の伝播があったと考えなければ説明がつかないと考えて、図のような「特異文化の分布図」を作成した。巨石文化、ミイラ作り、太陽崇拝、スワスチカ(鍵十字の文様)、ヘビ信仰、頭骨変形、耳の穴あけ、天地創造、大洪水などの特殊な伝説、入れ墨、擬娩ぎべんなどの風習はいずれも古代エジプト第二十一王朝に行なわれていた風習である。それらの風習がワンセットで世界各地の沿岸地方や島々に集中していることに注目した彼はこれらは、これらをエジプトから伝播していったものではないかと推測した。古代エジプトの高文明が、世界各地に広がったとする雄大な伝播理論の第二の前提として、彼は「文化複合」という考えを導入している.つまり、ピラミッドやミイラなどの分布を個々に調べても、伝播の大きな流れを捉えることはできない。ある風習によっては、ある地点まで伝播して消滅したり、ある地点から急に飛び地したりするものである。が、これらを総合すれば「特異文化」全体の伝播状態が再現されるだろうというわけである。スミスは「文化複合」の伝播をミイラの製造年代から推測して、紀元前八00年頃からと結論している。日本では縄文時代後期に当たる。近年注目されはじめた「紀元前の大航海時代」が、従来の考古学・民族学・歴史学などの常識をはるかに越えて、実際に行なわれていたことを、スミスはいまから八十年前に、豊富な体験と綿密な調査で、すでに立証しているのである。
オーパーツ
文明が存在しなかったはずの地層から出土する謎の加工品。Out of place Artifact(場違いな人工物)の略。オーストリアの数千万年前の第三紀石炭層から発見"された""ザルツブルク立方体""や、六〇〇〇万年前のイギリスの岩から出てきた金の糸と釘、アメリカのコロラド州ロッキー・ポイント鉱山の銀の鉱脈から見つかった人問の骨と銅の矢じり、カリフォルニア州コソ山脈の五〇万年以前の岩の中にあった点火プラグらしき機械装置、マサチューセッツの数百万年前の地層から出土した金属製の壷、同時期のゴビ砂漠で確 認された金属靴の跡、コロンビアの黄金ジェット機など多数ある。ガスマスクをつけた古代人(ヴズペク共和国〉
[オヤンタイタンボの要塞]
ペルーの旧都クスコの北"西七〇キロ""聖なる谷""ウ"ルバンバ河を見おろす高地に築かれた前インカ時代の巨石要塞。"今日""太陽神殿""の一部"と考えられている高さ約四メートル、幅約一五メートル、厚さニメートル前後の"屏風岩""は、五〇―六○ト"ンにおよぶ六個の花崗岩をすきまなく結合したもので、巨石要塞の中でもひときわ注目される。
[グアンチ文字]
アフリカ大陸の西方カナリア諸島のいくつかの島に、これらの島の原住民グアンチ族が残した文字。グアンチ族はクロマニヨン系の頭蓋骨を持ち、ヨーロッパではアトランティス人の末喬とみなされている。しかし彼らの残した文字のいくつかは日本に伝わる古代文字と似ているところから、地球文化研究所では次のように解読している。・アラタナルホアゲニツクル(新たなる帆上げ荷造る)・ハテナムラハナレナ.ムナゴリニ(果てな村離れなむ名残りに)右の解読結果によれば、グアンチ族はアトランティス人の末喬というよりは、むしろ原目本人、カラ族の一員とみなすことができる。ヨーロッパの研究者はこのグアンチ族をイベリア半島のバスク人に非常に近い人種であったとみなしている。テネリフェ島のグアンチ文字とその解読結果
本の古代文字で読み解ける
[クィクィルコの円錐ピラミッド]
メキシコの首都メキシコ・シティの南方郊外にある厚さ七メートルの堆積層に埋もれていた遺跡。紀元前四~五世紀に建造された中米最古のピラミッドとされるが、考古学者バイロン・カミングスの出した推定建造年代は、三五〇〇年前で、エジプトのピラミッドをはるかに上回るものである。底部の直径約一五〇メートル、高さ二五メートル、頂上の円形平面部の直径約八Oメートル。内部は土を盛りあげ、側面や上面を溶岩と泥で固め、昇降用の斜路をつけたうえ、全表面を石灰などで白く化粧した基壇の中央に建っていたらしい。
[グローゼル文字]
フランスの旧石器時代遺跡グローゼルより出土した石板に刻まれた文字。この遺跡はC国年代測定によれば、今から一万二〇〇〇年以前に溯るものとみなされている。したがって、そのような古い時代に、はたしてこのグローゼル文字が残されたか否か、大きな関心と疑惑を呼んでいる。多くの先史学の権威はこの出土物はまちがいなくグローゼル遺跡の下層部より出土したことを認めている。けれども旧石器時代の文字の存在を認めることができない人々は、これは明らかきようざつに後世の來雑物、混ざり物とみなしている。しかし、従来の論争を離れて、これらの記号を周囲の文字群と比較検討してみるならば、グローゼル文字は明らかに古代のサパラ地域で使われていたテイフィナグ文字の系統に属することがわかる。この文字板をティフィナグ文字で解読した結果によると、次のような文が記されている(高橋解読)。栄え賜はめ神をば祭らむ大いなる見せしめありわれらは虐げられたりカラの神をば祈らむば右の解読結果によれば、このグローゼル文字板は、紀元前八世紀にアッシリヤに虐げられた古代イスラエルの民、カラ族の記録とみなすことができる。おそらくこの文字板は、BC六八七年の異変の頃、イベリア半島地域からフランスにかけて生き残ったカラ族の司祭が残したものであろう。
グローゼルから出土した石板
コスタリカの石球コスタリカのディキス川からコト川に到る地方で発見された謎の石球。最大のものは直径二・五メートル以上、重さも二〇トンを越える。石球の大半は花円岡岩でできておりこの堅い石材を完全な球体に仕上げた目的や技術は不明。「宇宙船の模型」説(デニケン)の他〕、昼問貯えた熱を夜間光に変える装置で、ムー文明の結晶体科学の産物とする説(高橋良典)もある。
コスタリカの石球はタキオン照明装置の一部か
[コロンビアのジェット機]
コロンビア北部のシヌー地方で発見された謎の黄金製品。I・サンダーソンやウルリッヒら専門家が三角翼と垂直尾翼の特徴から現代の超音速ジエット機にも似た古代のジエット機模型であると結論。さらにAホイアーは海空両用の潜水飛行機であった可能性を、A・ヤングは母船と地上を"往復する""スペース・シャ"トルのような着陸船であった可能性を指摘している。
古代のコンピュータ
一九〇〇年、クレタ島に近いアンディキシ⊥フ島沖の海底で見つカったギリシア時代のコンピュータイギリスのプライス博士の研究によって、四〇の歯車と目盛りをもつこの器械ま、太陽や月惑星の位置を計算するために用いられたコンピュータと判明。古代科学の水準が意外に高かったことを証明する事例である。
エトルリア時代に沈んだ船から引き上げられた古代のコンピューター
古代の電池
ドイツの考古学者W・ケーニッヒによってイラクのバグダードで発見された数千年前の電池。銅の筒と鉄の棒をさしこんだ陶製のつぽの中に硫酸銅を注ぐと電気が発生することをアメリカの技師W・グレイが実験的に証明。近代になって発明されたといわれる電池が、二〇〇〇年以上も前から古代人によって電気メッキや照明に応用されていた可能性がにわかに現実的となった。
近代の電池の原型となった古代イラクの電池
サッカラの航空機一八九九年エジプトのサッカラ郊外で発見された古代の航空機の模型。直線状の翼と垂直の尾をもつこの奇妙な木製品は、当初「鳥」を形どったものと考えられたがのちにカリル・メシパ博士らの研究によってグライダーの模型であることが判明。古代のエジプト人が、「パリデイアモン(光の神の贈り物)」と名づけたこのような航空機を駆使していた可能性が注目されている。
エジプトの砂漠から発見された太古のグライダー模型
[サハラの宇宙人]
サハラ砂漠の中央、アハガル山中のタッシリにある謎の岩絵群。宇宙服を着た人物を思わせる絵は考古学"者アンリ・ロートにより""タッシリの火星人""と名づけ"られた。他にもアンテナつきヘルメットを被かぶったようなジャバレンの""小悪魔""""やティヌタザリフトの""泳ぐ人""などがある。"アンリ・ロートは、これらの岩絵を今から数千年前に描かれたものとみなしたが、地球文化研究所の高橋によれば、それらは紀元前七〇〇年頃のもので、エチオピア出身のエジプトのファラオ、タルハカがサハラ全域で活躍した時代に流行した円頭人の様式に属する
宇宙遊泳するタッシリの少女
[錆びない鉄柱]
インドのデリー市郊外クトゥブ・ミナール寺院の入口にある謎の鉄柱。「アショ力王の柱」と呼ばれる高さ約十メートルのこの鉄柱は、すでに一六〇〇年以上も風雨にさらされていることが確かめられているが、不思議なことに今も錆ひとつない。このような古代製鉄技術の高さを示す例は西ドイツのコッテンフォレストにやきんもあり、現代の冶金学者たちを驚かせている。
水晶頭蓋骨
一九二七年、ミッチエヘッジスによりホンジュラスのルバアンタン遺跡で発見された謎の水晶製品。人間の頭蓋骨そっくりに仕上げられ、しかも正面から光をあてると眼が輝くもので、現代の技術では製作不可能とみられる。問題の水晶製品は他にもいくっカありメキシコのモンテアルバン遺跡ではみごとな水晶の杯が発見されている。
[セテ・シダデス文字]
ブラジル北東部、ピアウイ州の州都テレジナの近くにあるセテ・シダデス(七つの都市)と呼ばれている遺跡から見つかった文字群。古代南アメリカに栄えた伝説のカラ帝国の七つの都のひとつ、セテ・シダデスには、その数、数万とみられる碑文が眠っている。地球文化研究所では、それらの碑文のひとつを次のように解読した。我がシヴァ国けむに焦がされないえ(地震)溶けて深く波に覆われ隠るイギリスのフォーセット大佐は、カラ帝国の七つの都市のひとつがエルドラードであると考え、その行方を探し求めた。この碑文によれば、フオーセットの求めた太古のカラ帝国とその黄金都市は、巨大な異変と津波によって滅亡したことがうかがわれる。
セテ・シダデスの廃墟
セテ・シダデス遺跡平面図
廃虚から見つかった謎の碑文
[タルテッソス文字]
イベリア半島西部のガダルキビル川河口近くにあるタルテッソス遺跡から出土した古代の指輪に刻まれた文字。ガダルキビル川河口一帯は、古代イスラエルのソロモン王の植民地があったタルシシの地として知られているため、指輪はタルシシ人が残したものとみなされている。このタルテッソス・リングに刻まれた記号ないし文字は、グローゼル文字やロシュベルチエ文字と非常に近いため、一万二〇〇〇年以前に栄えたといわれているアトランティス王国時代の遺産とも考えられた。しかし、地球文化研究所でこれを解読した結果は次の通りである。牛飼うヒブルをイサクが治め末永くイサクが守れ以上の解読結果を前提とすれば、文中にイサクという名前が登場するところから、この指輪は紀元前七二二年にアッシリアに滅ぼされたイスラエル王国最後の王ホセア、すなわちイサクの時代のものとみなすことができる。イスラエルの失われた十部族にまつわる伝説によれば、ホセアはアッシリヤの地メディア(現在のイラン)に移されたとみられている。しかし、別の可能性として考えられることは、ホセアがその当時、同盟関係にあったエチオピアに亡命し、エチオピア王タルハカの庇護のもとにイペリア半島へ移住して、この地の王となったことが考えられる。
タルテッソス・リングに刻まれた文字の解読結果。
[ナスカの地上絵]
一九三九年以来、ポール・コソックやマリア・ライヘらによって次々と発見されたペルー南部ナスカ高原一帯の地上大図形。万を越える直線や円、ラセンなどの幾何図形、鳥や猿、クモを描いた八00近い動物模様はいずれも航空考古学の調査によって空から確かめられたもの。中には全長"約五〇キロに及ぶ""矢じる""し""図形もある。これらの"図形がいつ、何のために描かれたかは今も大きな謎であるが、有力な仮説としては古代の宇宙基地説や航空標識説がある。ただしこの仮説は、古代人の宇宙文明を仮定する立場と異星人の地球訪問を仮定する立場に分かれる。
バハマ海底遺跡
一九六八年バハマ諸島のアンドロス島沖で発見され"た謎の海底遺跡。""神殿の"跡とみられるこの遺跡は、縦三〇、横一一〇メートルの石壇で、島の北部、水深二メートルの浅瀬に横たわっている。この土台は、ユカタン半島のマヤ遺跡ウシュ"マルにある""亀の神殿""の"礎石によく似ているというアンドロス島付近ではこのような海底遺跡がすでに十数個見つかっているが、その全貌はまだ明らかになっていない
ビミニ海底遺跡
一九六八年以来フロリダ沖のビミニ島周辺で発見され問題になっている海底遺"跡。その代表的な遺跡は""ビミニ・ロード""と呼ばれる"巨石群で、北ビミニのパラダイス・ポイントカら『キロほどの海底に長さ数百メートルの壁面をなして横たわっている。直方体や多面体の石塊を敷きつめたこの"""巨石舗道""の近くにはU字"形の遺跡や円柱、矢じり形の配石や人工的に掘られた溝なども確認された。
ピリ・レイス地図
一六世紀、トルコの海軍提督ピリ・レイスの残した謎の古地図。この地図には氷に覆われる以前の南極大陸の海岸線や山が正確に描かれており、また南米の海岸線は八OOOキロ上空から撮った衛星写真と同じ歪みをもっている。原図の製作者や作られた時期、作図法は謎である。
[ロシュベルチエ文字]
ヨーロッパ旧石器時代のマグダレニアン文化期(マドレーヌ期)に属するといわれるロシュベルチエ洞窟の文字。グローゼル遺跡出土の文字と並んで注目されている。フランスのロシュベルチエ洞窟で見つかった図のような記号は単なる絵か、表意文字かそれともアルファベットか、いろいろとこれまで憶測を呼んできた。が、これらをティフィナグ文字として読むならば、エシヲバシテカカシム(絵師をばして描かしむ)となる(高橋解読)。おそらくこのロシュベルチエ洞窟の年代は、C14年代で一万五〇〇〇年前、歴史年代では一一七〇〇年前とみられ、これらの記号は氷河時代の文字とみなすことができる。旧石器時代の洞窟に描かれた壁画のそばに刻まれた文字記号としては、このほかにラスコーの壁画の馬の横に記された、マ(馬)の記号など、注目すべき事例がいくつかある。
ラスコーの壁画
ロシュベルチエ洞窟から発見された文字
[倭人が残した未解読文字]
太平洋の各地には、イースター島の文字とよく似た文字がいくつも残されている。イースター島の文字板に刻まれたロンゴ・ロンゴ文字がインダス文字や中国の甲骨文字のいくつかと似ていることは、ハンガリーの言語学者ヘヴェシやオーストリアの考古学者ハイネ・ゲルデルンの研究によって広く知れわたっているし、揚子江やインダス河の流域以外にも、これとよく似た文字がたくさんあることは比較的よく知られている。今世紀の初めに太平洋各地の言語を精力的に調べたJ・F・スティムソンは、早くからイースター島の文字と同じものがタヒチの南のオーストラル諸島(ライヴアヴアエ島、ツプアイ島、ラパ・イティ島)にあると報告しているが、ドイツの言語学者トマス・バルテルも、このような文字がタヒチ諸島(ラパテア島)とその北東のマルケサス諸島にあることを確認している。また、イギリスの民族学者マクミラン・ブラウンは、太平洋のカロリン諸島(ウォレアイ島)でイースター島文字とよく似た文字を発見し、フランスの民族学者アルフレッド・メトローも太平洋東部のパナマ地域に住むクナ・インディアンの文字がロンゴ・ロンゴ文字やインダス文字にきわめて近いことを発見している。ロシアの言語学者クノロゾフやイタリアの考古学者ガブリエル・マンデルは、ロンゴ・ロンゴ文字とシベリア、蒙古地方のクーク・ツルキー文字がインダス文字を介してつながりをもっていることに注目している。ハワイ諸島に行けば、イースター島の文字とよく似た文字を確かめることができるし、アメリカ大陸の西海岸や太平洋のその他の島を調べれば、まだまだ報告されていない文字を発見するチャンスはたくさん残されている。これまで日本では漢字以前に文字はなかったとか、アイヌは文字をもたなかった、縄文時代に文字はなかったなどと、よくよく調べもしないで権威をふりかざす門外漢が幅をきかせていたため、この方面の研究は確かに外国に比べて遅れている。けれども、図1を見ていただければわかる通り、古代日本のアイヌ文字はイースター島のロンゴ・ロンゴ文字やインダス文字とよく似ている。この文字は明治初年に東京大学の坪井正五郎博士が""北海道異体文字"""として東京人類学会誌第十八に紹介したもので、当時の駅逓大臣・榎本武揚も千年以上前のものと鑑定した古い獣皮に金字で記されている。いっしょに出土した石片が六角柱であったところから判断すると、同じような六角柱をアッシリアが使っていた紀元前七〇〇年ころまでさかのぽる貴重な資料である。このようなアイヌ文字資料は、北海道だけでなく、北陸や九州でも見つかっており、戦国時代の中国各地の貨幣にも使われている。一九七五年ころ中国江西省青江県の呉城遺跡から出土した土器の文字や、漢字の発明者・蒼額の書と伝えられる西安郊外の碑文にも
アイヌ北海道異体文字(アイヌ文字)が刻まれた土器と石片
北海道異体文字50音図
いまだ解読されていないイヌ文字が使われている。もしもアイヌ文字の読み方がわかるなら、日本人がロンゴ・ロンゴ文字やインダス文字を解読したり、太平洋各地の同様の碑文の意味を一挙に明らかにするチャンスは残されているのである。はたして日本人にそんなことができるだろうか?私たちは日本人なら誰でも、アイヌ文字を勉強すればそれが可能だと思っている。欧米人に自分たちの祖先の文字(インド一ヨーロッパ語族の古代文字)が読めるなら、日本人にも太平洋各地に広がった祖先の文字を読めないはずはない。アイヌ文字の読み方が現在まで伝わっているとすれば、その可能性はなおさらのことである。図2に示したアイヌ文字の読み方を参考にすれば、読者にも何らかの文字は読めると思う。いずれにせよ、太平洋とその周辺にこれだけ多くの似た文字があることは、それぞれの民族がお互いに何の関係もなく文字を発明した結果とはみなせない。アルゼンチンの言語学者ホセ・イムベロニは、このような事実をふまえて、この地域にはインダス河流域とセイロン島、中国南部、インドネシア、ウォレアイ島、イースター島を環とするインド目太平洋線文字システムがあったと考えた。ここに日本のアイヌ文字をはじめとするさらに多くの文字群をつけ加えるなら、紀元前のいつの時代か、太平洋をとりまく広い地域に統一的な海洋文明(原日本文明)カあったことは事実といえるだろう
チチカカ湖から探検協会が引き上げた石箱と黄金製のヘァピン(佐藤進一撮影)
大空の彼方より流星群のように落下し
巨大な火の玉となって炸裂する弾丸が発射されると
突如、あたりは深い闇に包まれてしまった------
恐るべき竜巻がにわかに起こり
黒雲が耳をつんざく音をたてて
空高くあがる
この武器によって
太陽さえも輝きを失い、
宇宙全体があつくなった…
-『マハーバーラタ』
テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 3
今日の 破・常識!
ムーの文明は 現代文明と大きく違う!
テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 3
それは 約1億3千万年前の出来事でした。
現在 テラ(地球)の誕生は 約46億年前だと言われているけど・・・
テラが生まれて 約44億7千万年後に テラは核兵器によって
傷つけられ 意識を失ったのです。
約一億年と言う長い間・・・
テラのスピリット(精神体)にとって
あまりにショックが大きすぎたのです。
テラは 一億年の間 高次元の存在からヒーリングを受け
眠り続けました。
私たちには 想像できないくらい その出来事は
テラにとって悲しい経験でした。
昨日の記事を書いているときに
「重い内容だけど あまり暗くならないよう
軽い調子で書いていい?」って、私が聞くと、
テラは 「いいわよ!」って、
快くやさしいエネルギーで 答えてくれました。
一億年の眠りから テラはやっと目覚めたのです!
さて、今日は ムー大陸の人々の生活について
お話ししようと思います。
ムー大陸の人間の人口は 最終的には
6千万から7千万だったのですが・・・
ムーの人々には いろんな科学技術や
天文学などを教えてくれる
宇宙人の存在がいました。
その宇宙人とは?・・・
さくやさんと 同じ種族、5次元の存在です。
現在、ドラコニアン(水棲 龍族)・・
という名称が使われているみたいなので、
わかりやすいように そう呼んでいいわよって
さくやさんが言ってくれました。
ムーの人々は 友達であり 先生みたいな立場として
ドラコニアンと交流していたのです。
ムー大陸は 当然 領域は3次元。
3次元のムーの人々は 5次元の存在である ドラコニアンから
多くのことを教えてもらっていました。
少しだけ 詳しくお話しすると・・・
そのころの人間の寿命は 約200年くらい!
病気が無く ストレスなかったしぃ・・・
すべてのものを 皆で共有していたから 争う必要なし・・・
今の結婚制度みたいなものはなくて・・・
でも、男女の恋愛? はあった。
お互い両想いになったら 選んだ相手と一生楽しく生活していたらしい。
子供が生まれたら 共同体みたいなグループみんなで
育てていた・・とのこと。
住居は、イメージを説明するのが やや難しいけど・・・
「アバター」っていう映画の中で 大きな木(生命の樹)のまわりに
各々ハンモックみたいな寝床があって 共同で暮らしていた。
自然と切り離した現代の家ではなく 土地のエネルギーを理解し
自然と共存した生活・・・
こうやって話すと
とても原始的な生活みたいに 私たちは思っちゃいますが、
実際は すごくハイテクな生活だったということを
さくやさんは 私たちにわかってほしい・・って、言ってます。
食べ物は?
穀物、果物、野菜、木の実、などなど・・
海の近くの人は 魚、貝、も食べていた。
ほとんど 内陸だったから 海産物は一部の人だけね。
どうやって 調理していたかわからないけれど
パンみたいなものを焼いて
いろんなものを乗せて食べることもあったらしい。
飲物は?
水、果汁、は当然ながら、果実酒、発酵酒も飲んでいた。
別に 食事時間とか決まっていないから それぞれお腹がすいたら
自由に あるものを食べていた。
動物は 食べていなかった。
基本は 自然と共生すること・・・
テラがすべてを与えていてくれていたので、
自然に感謝し 皆で共有した生活!
こうやって書くと 今まで歴史の教育を受けてきたせいで、
未開の原始人みたいな印象を持ってしまう私たちがいますが・・
実際は 本当に人間として理想的な生活なんだと 私は強く思います。
天文学も教わっていたので 現在の私たちと比べ物にならないくらい
宇宙のことを理解し 波動(エネルギー)も 上手く使っていました。
ムーの文明は 現代の文明とは相当違うものなので、
理解するのは なかなかむずかしいかも(汗)
さくやさんが言うには ものすごくハイテクだったって
教えてくれるんだけど、正直言って
私にはそのイメージがなかなか浮かばない・・・
でも、とにかく 常識を破って
想像することが大切だな・・って思ってま~す(笑)
ムーの人々は 波動(エネルギー)を理解していたから、
水や 石の波動をうまく使っていたそうです。
私たちが使っている 電気みたいなエネルギーも自然の中から
作り出していた・・とのこと!
そのエネルギーを 作物を作るにも 利用していたみたい。
テレパシーは ドラコニアンと会話する時に使い、
人間同士のコミュニケーションは、言葉を使っていた。
平たく 長い 音の言語・・・
あ~~、え~~、い~~、お~~、う~~、みたいな?
よくわからないや(笑)
ムーの文明は 完全に 「今 ここ」
今を楽しく生きる文明だったのです。
一方 アトランティス文明は・・・
続きは 次回に・・・
破・常識 あつしの歴史ドラマ ブログ! より転載
J-CPAC2017 バノン・レセプション・スピーチ & OPENING SESSION
民主主義を取り戻す、アメリカの変化が見える!いやまだよく見えない?単なるプロパガンダトークのようです。
GYAO動画:J-CPAC2017 バノン・レセプション・スピーチ & OPENING SESSION
https://gyao.yahoo.co.jp/player/03000/v00600/v0000000000000003636/?auto=1&rep=2&ap_cnt=3&second=0
J-CPAC2017 日米仮想通貨サミット2017
「通貨はエネルギー」だという落合氏の話のみが際だちます。
法定通貨に変わる新しい電子通貨の兆しでしょうか!?
ベンジャミン氏が言ったように実勢取引の1000倍のマネーゲームが行われています。
そういう意味で仮想通貨はマネーゲームの詐取経済の一貫でしかありません。
実勢取引の1000倍のマネーゲームは投機という名目で闇の搾取の原資としてうごめいています。
世界の数%の支配階級がその背景にありますが、それでも専門家のトークは少しずつ根本問題に近づいているのでしょうか?
或いは騒がしているのでしょうか?
いずれにしても実勢経済から世界の勤勉な人達の糧をいかに奪うかという仕組みが行われています。
J-CPAC2017 日米仮想通貨サミット2017
GYAO動画:https://gyao.yahoo.co.jp/player/03000/v00600/v0000000000000003623/
【すべては真理探究の道筋】世界最後の謎を解き明かす(ムー大陸探検事典) ~第4章 古代核戦争と謎の地下都市:高橋良典の仮説1
Ray:新しい社会システムで『ピラミッド型社会システム、すなわち階級制組織構造は太古の時代から存在していたのだと、バシャールは話しています。つまり、アヌナキの時代にまで遡る事ができるシステムなのです。ロイアルティーや特権社会制度、王制や年功序列の世界観は、古い概念の世界観では大いに機能する事ができましたが、これらかの新しい時代ではもはや機能しない概念となります。』と伝られているように、新しい時代は未体験の世界です。過去の歴史の真実を参照することは自分自身をおしはかる意味で確かな手がかりではないでしょうか。
第4章 古代核戦争と謎の地下都市 : 高橋良典の仮説1
ムルロア環礁の水爆実験でできた巨大なキノコ雲
紀元前の高度な文明は、今からおよそ二八○○年前に発生した核戦争とそれに伴う異変で滅び去った、という壮大な仮説がある。この仮説は、チャーチワードが唱えたムー文明の滅亡原因を明らかにしてくれるだけでなく、アトランティス人と戦った地中海の謎の民族の正体をもうまく説明してくれる。世界各地のミステリー遺跡や遺物、不可解な伝説群を総合してみると、従来の歴史家たちが消し去ってきたムー王国の住民力ラ族の栄光の物語がよみがえってくるというのだ。
証拠1
地球が誕生してから考えられないほど長い時間がすぎた。人類の存在などそれにくらべればほんの一瞬にすぎない。しかし、その一瞬の時間の中で起きたことが、どうしてもわからないのだ。そして、地球には数知れないほどの謎が残されたままになっている。ここに取りだしたものは、ひとつの仮説(高橋良典の古代核戦争地球大異変説)を証明する、さまざまな謎である。これらの謎が解き明かされた"とき、""古代に核戦争があった""とい"う仮説が証明されるのだ。しかし、それはたやすいことではない。ひとつひとつの謎が、複雑にからみあい、あるものはさらに新たな謎を追加する。こうした謎の追跡は、だが、まったく思いもかけない結論を生むかもしれないのだ。常識をはるかに超えた、驚異の結論を------。
秘境にひろがる荒れ狂った大地
トルコの首都アンカラの南東にあるアナトリア高原中部に、二〇〇キロ平方にもわたる広大な荒地がある。いまも"世界屈指くつしの秘境"とされているカッパドキア地方だ。一年の半分以上は日照りが続き、緑ひとつない裸の土地が露出している。見渡すかぎり岩山と荒地が続く風景は、まさに地の果てといっていい。そのあたりの小高い丘に登ってみると、さらに圧倒的な荒漠こうばくさが見る者の心をつかむ。地表を大きく裂き、深く臼い谷がある。その向こうには鋭くとがった三角の岩が林立するかと思えば、古代の巨石文明を思わせる壮大な岩山が散らばる。そしてその背後には、数キロメートルにも及ぷ長い断層。それは幻想的でさえある光景なのだ。だから、見る者の心は、このカッパドキアが創生されたその瞬間を夢想する。そのとき、あたりはもうもうたる炎やガスに包まれ、天と地の境もなかったに違いない。大爆発にしやくねつようがん岩は灼熱の溶岩流となり、飛び散り、溶け、激動し、叫び続ける----。とにかく、とてつもなく巨大なエネルギーが、この大地に荒れ狂ったことだけは実感できるのだ。この秘境カッパドキアは、一部の人にはその名をよく知られている。この荒地の内部には町らしい町はほとんどないのだが、そのかわり無数といっていいほどのキリスト教洞窟修道院がある。岩山や断崖に掘られたその修道院は、ほとんど廃彊になっているが、その一部にはたくさんの宗教壁画が描かれており、そのためキリスト教美術の宝庫とされているからだ。この魂をゆさぷるような荒野にキリスト教の修道士たちが入りこんだのは、三世紀の初めごろだとされている。彼らがなぜ、この不毛の荒野で神に祈らなければならなかったのか、それもひとつの問題だ。だが、いまここで取りあげたいのは、その洞窟修道院のさらに地下深くひろがっている、とてつもなく大きな穴ぐらのことである。
数十万人が住める巨大地下都市があった
それはイェラルトゥ・シェヒル(地下都市)と呼ばれる。地元の村人たちには古くから知られていたらしいが、そのうわさが政府に伝わり、トルコの考古学者が初めて調査したのは、一九六五年五月のことである。そして彼らが発見したのは、まさに地下都市と呼ぶのにふさわしい機能を備えた、巨大な地下遺跡だったのだ。トルコ政府の報告書はこう伝えている。「地下都市は、人間がそこで快適な生活を営むのに必要な機能を完全に備えていた。まず、最重要な通気孔(エアコンディショナー)が、地表から一五〇メートル以上もの深さまで、都市の中心部を貫いている。その都市は確められただけでも、地下八階建ての構造があり、各階層は階段や傾斜した通路でつながれている。通路と部屋の境目のところどころには、輪状の石扉が備えつけられていた。井戸もあった。共同炊事場もあった。炊事場には汚水おすい処理の溝と、煙を通気孔に導くベンティレーションが備えてある。寝室、仕事場、大広場があり、三条に分れた堂々たる地下歩道があった。」そして、カイマクルと呼ばれるようになったこの地下都市の推定収容人口は、なんと一万五〇〇〇人だという。いま、世界のどこにこれだけの人々が、日常と変わりのない生活を送れる地下都市があるだろうか。 しかも、こうした地下都市は一か所だけではない。一九六五年の調査で発見、確認されたのが、ほかにデリンクユ地下都市(収容人口六〇〇〇人)、ギョズテジン地下都市の二つ。その後、さらに収容人口がなんと六万人というオズコナーク地下都市が発見され、マヴルージャンという所にも地下都市が存在することが、最近明らかになった。その事実だけでも驚くべきことだが、このカッパドキアには、大小とりまぜてもっと多くのアンダーグラウンド・シティがあるらしいのだ。
戦争に備えた地下都市の疑問
それについてはいっさいが謎に包まれている。というのは、この地下都市群があまりに巨大すぎて、ほとんど調査ができていないからだ。地下八階まで確認されているカイマタル地下都市にしても、土砂が完全に取り除かれて見学可能なのは、上の数層にすぎない。そしてそこからは、ほとんど何の生活用具も出土していないのである。そこで、この地下都市群を研究している人たちは、地上にある洞窟修道院と関係づけて考えている。四世紀末、キリスト教はローマ帝国の国教となり、カッパドキアは東ローマ帝国に組み入れられた。そして六世紀になると、ササン朝ペルシアが東ローマ帝国をおびやかしはじめたため、両国の国境に近いカッパドキアは戦乱の場と化した。さらに七世紀になると、ペルシアにかわったアラブの回教軍がカッパドキアを襲う。修道士たちはこうした攻撃を防ぐために、地下都市を築いたのだ……。これが現在考えられている一応の解釈なのである。その根拠のひとつとして、この地下都市が、〃ある一定"の期間だけ使用された臨時の都市"""だったと推定できる調査結果がある。しかし、古代から現代までの戦争の歴史で、地下都市にたてこもって侵略者に対抗したという国や民族があったろうか。中国は旬奴きようどに対抗するため万里の長城を築いた。日本の歴史でも戦争のために築かれたのは、城や砦とりでである。とはいっても、カッパドキアの地下都市が、戦争に備えたものであったことは明らかだ。というのは、地下にたてこもって往き来できるように、デリンクユ地下都市と隣のカイマクル地下都市は、秘密の地下道で結ばれていたからだ。この二つの地下都市は九キロも離れている。当然、発見されたトンネルも九キロの長さを持っている。この距離は日本の丹那トンネルよりも長く、清水トンネルの長さに匹敵するのだ。地上に回教徒軍が攻めてきたとき、洞窟に隠れるくらいならまだしも、一〇万を越える人間が地下一五〇メートルの奥まで逃げなければならない戦争とは、いったいどういう戦争だったのだろうか。ひとつの地下都市がやられたら、九キロもの地下道pをくぐりぬけて別の都市へ移らなければならない戦争とは、いったい何だったのか。さらに不思議なことがある。一〇〇メートルや二〇〇メートルの距離ならともかく、九〇〇〇メートルもの長さの地下道を掘って、二つの都市を正確に連絡できるような技術を、六~八世紀の人々がほんとうに持っていたのだろうか、ということだ。二十世紀に行なわれた丹那トンネルの掘削くっさくでさえ、国家的な大事業だったのだ。今から一二○○~一四〇〇年も前のこと、それは想像を絶する大土木工事だったはずである。また、カッパドキアの荒れた地上風景を見るかぎり、この地方が六~八世紀当時、一〇万人以上もの人間が生きていけるほど豊かだったとはとても考えられない。まして戦争に備えて地下生活をする以上、かなりの食料や生活必需品を貯えておく必要があるが、キリスト教徒たちはそれをどこから手に入れたのだろうか。それともこのカッパドキアは、かってそんなに多くの人間を養えるほど豊かな土地だったというのだろうか。そして、騎馬のアラブ軍団と弓矢を武器としたキリスト教徒との闘いが、豊かな緑野をこんな草木もはえない不毛の岩山に変えてしまうほど激烈なものだった、と!こうした疑問は、はたして解決できるのだろうか。合理的な説明はつけられるのだろうか。
核戦争が地下都市を襲ったその問いに答えるのは、非常にむずかしい。しかし、まず大胆な仮説をあげて、それについてさまざまな検討を加えてみたい。その過程でカッパドキアの秘密は、明らかにされるはずだ。さて、その仮説とは次のようなものである。《カッパドキア地下遺跡は、昔、核戦争で滅んだ都市の跡だ》もちろん、現在の歴史の常識では、想像もできないような飛躍である。"しかし、カッパドキアの秘密は、""古代核戦争""を仮定すると、すべてに"合理的な説明がつけられるのだ。決して単なる空想ではない。その仮定には数多くの裏づけがあり、それらのひとつひとつを組み立てると、まさに恐ろしい大破壊"核戦争が、このカッ。ハドキアを襲ったことがわかるだろう。まず、人間が戦争に備えて地下深くもぐるのは、どんな場合かを考えてみよう。七世紀のアラブ軍団のような侵略者に対してだったら、人間はこんな馬鹿なことはしないはずだ。なぜなら、侵略者は少数の兵力で洞窟の入口を占領すれば、勝利をおさめられるからだ。入口をおさえれば、中に閉じこめられた人間はいずれ餓死してしまう!また、飛行機による火薬爆弾類の爆撃なら、第二次世界大戦をふりかえってみればわかるように、ちょっがんじようと頑丈な地下室で十分防げるのだ。とすると、地下一五〇メートルの地下都市が備えるのは、核兵器による攻撃以外にはありえない。"広島と長崎が.人類で初めて""と"いわれる核兵器攻撃の洗礼を受けてから半世紀。核兵器は今やインド、中国といった発展途上国にまで拡散した。と同時に、世界の国々は核戦争に備えて、軍事基地や貯蔵施設、研究所、工場などを続々と地下に移すようになっている。一時的には十万人以上の人間を収容できる地下都市も、世界各地につくられているほどだ。
デリンクユ地下都市の平面図
たとえばモスクワや北京の地下には、網の目のようにトンネルが掘られている。ワシントンの地下には、核戦争のとき避難してきた人々を、一定期間養えるだけの必要物資が貯えられている。ノルウェーは、軍港まで地下に移してしまった。そして、外国の一般市民は、個人用核シェルターをつくることに必死になっている。平和の国スイスに放射能汚染に備えた地下避難所が、数多くつくられていることは有名な事実だし、イギリスでは政府が核シェルターづくりを奨励している。アメリカの核シェルター・メーカーは成長産業だ。
このように核攻撃に備えた現代の地下都市と、カッパドキアの地下都市と、どこに違いがあるだろう。むしろあまりの類似に驚くばかりだ。
証拠Ⅱ数百万度の熱でできたガラス層
人類が核兵器を初めて手にしたのは、一九四五年のことである。とすれば、それ以前、はるかな昔に築かれたカッパドキア地下都市が、核戦争に備えたものである、というようなことが考えられるだろうか。しかし、ここに驚くべき事実がある。この地球のあちこちでは、いつとは知れぬ遠い昔に、核爆発があったという証拠が、次々に発見されているのだ。一九五二年にイスラエルで発掘作業にあたっていた考古学者たちが、五メートルあまりの深さの地層から、厚さが約六ミリで二~三〇〇メrトル四方に広がっている、溶解した緑色のガラス層を掘りだした。それは石英の砂の層が、その部分だけ溶けて変色したものだった。このような砂のガラス化現象が起こるには、きわめて高い温度が必要だ。火山活動や通常の爆発、火事などではこんな現象は生じない。それには数百万度の数…が必要だが、地球上でそれだけの熱が得られるのは、熱核反応しかないのである。そして、アメリカの考古学者たちは、それと似たガラス状物質をかつて見たことがあった。ニュー・メキシコ州の核実験の跡で!一九七三年にはイラク南部の砂漠で、同じようなガラス層が見つかった。この層はバビロニアやシュメ;ルなどの遺跡のかなり下に薄くひろがっていた。その南のアラビア南部の砂漠には、ハラスと呼ばれる強烈な放射能を受けたことを示している、黒く焼けこげた石の原っぱが二八か所ある。また、油田の調査をしていたフランス人の技師は、サハラ砂漠南部で緑色のガラス層のひろがりを見つけ、そこの溶解した珪土けいどが、「ホワイト・サンズ(アメリカの原爆実験場)のものと似ている」と報告している。モンゴルのゴビ砂漠でも、焼けてガラス状になった地層が発見されている。核爆発の証拠は、こうした不毛の砂漠(この砂漠自体、重要な問題を示している)だけでなく、世界各地の遺跡にも見られるのだ。
高熱破壊の遺跡は何を語るのか
ブラジルのピアウイ州に、セテ・シダデス(七つの都)と呼ばれる遺跡群がある。なかでも最大のものは、長さが約一・六キロもある都市だが、その中心にある大きな建築物の遺跡をのせた岩は、その南面が溶けてガラス状になっており、赤い金属が溶解して岩壁に涙のしずくのようにこびりついていた。探検家の一入はこう報告している。「あそこで発見されたいくつもの都市の遺跡は、規模として最大のものだと思われるが、一部は焼けつきてガラス状になっているし、溶解した石やクレーターだらけだった。無気味な裂け目が入った石の舗道や家があるかと思えば、岩がたぎってできた親指ほどの泡もある。それは、まるで巨人の火かき棒で襲われた跡のようだ!」さらに新大陸では、似たような遺跡がほかにもある。ペルーのタスコからそう遠くないところには、約一・六キロ四方にわたって山の岩が溶解し、結晶化している地域があり、城塞とおぼしき建造物の花崗岩かこうがんブロックは、高い放射熱によってガラス化している。このようにガラス化した遺跡は、北アメリカの南カリフォルニア地方、アリゾナ州、コロラド州でも見つかっている。もちろん、旧世界にも核爆発の影響を受けた遺跡がある。アイルランドのダンレアレとエニスの城塞の壁には、花商岩が溶けてしまうほどものすごい高熱の跡が残っている。また、古代ギリシアの地理学者であるストラボンは、その著書『地理』に、"""死海の地域には、原因不明の火によってとけた岩がある〃と書いている。場所がカッパドキアに近づいてきたが、もう二つだけ証拠をあげておこう。ごく最近、小アジアのハットウサの遺跡が発掘された。すると、ここではレンガ積みの家が溶けて、赤いかたまりになっていたのだ。かつてこの町は、想像を絶する高温によって破壊されたのである。また、古代バビロンの地域には、"何人かの学者が""これがバベルの塔""の名残りだ""と主張している、高さ"四六メートルの塔の廃墟がある。ここにもまた、人工的につくりだされた高温破壊の跡が残っている。これについて学者の一人は、「数万のレンガを赤く熱しただけでなく、これを溶かし、塔の骨組全体と粘土壁全部を焼きこがしている。こんな高熱はどこから生まれたのだろうか。説明がどうしてもつかない……」と話している。有史以前、文明が栄えた中近東やアジアのみならず、ヨーロッパの辺境アイルランドや南北アメリカにまで、核爆発としか思えないようなすさまじい破壊の跡が散らばっているのだ。このことは、いつとは知れぬ古代、全地球的規模での核戦争があったことを物語るのではないだろうか。ひとつの都市、ひとつの地域ではなく、当時の文明すべてを滅ぽすような、そんな大規模な戦争があった。しかも核という最終兵器を使って……。
伝説の兵器は現代の核ミサイルか?
こうした大破壊があったとしたら、それはなんらかの形で後世に伝えられて必ず人類の記憶として存在するはずである。それを示す文献はないものだろうか。それがある。インドの古代サンスタリット語文献の中で、最も有名な『マハーバーラタ』は、さながら核戦争についての教科書のような文献だ。この文献は二五〇〇年前から現在の形で存在していた二〇万行からなる叙事詩だが、古代では考えられないような超兵器のようすを、くわしく伝えているのである。ヴィマナ(鉄でできた胴体に翼がついている空の戦車)に落ちつきはらって陣どっていた英雄アドワッタンは、水面に降りたち、神々すら抵抗しがたいアグネア兵器を発射した。並みはずれた殺傷力を持ち、煙をともなわぬ火を放つ鉄の矢は、束になって敵を包みこんだ。流星が光を放って空から落ちた。たちまちのうちに敵の軍勢の上空は、濃い闇におおわれた。天も地もわからなくなった。強烈な風が吹きはじめ、不幸をもたらすたつまきが生じた。黒雲がとどろき、空高く登っていった。チリや砂が突然降ってきた。太陽でさえ目をまわして、ゆれ動いているようだった。地球はこの兵器の恐ろしいまでに激しい熱にゆれ、焼けこげた。広大な地域で、動物たちが大地にくずれ落ちて死んだ。水は蒸発して、その中の生物たちは死にたえた。あらゆる角度から炎の矢が絶えることなく激しく降りそそぎ、敵の戦士たちは猛火に焼かれた木立こだちのように倒れた。何千もの戦車が横転した。これはまさに核弾頭を備えた対地ミサイルの爆発ではないか。そして兵士たちも、この兵器の性質を知っていた。というのは、助かった少数の兵士たちは、まだ戦闘が終わっていないのに、大急ぎで近くの川にいき、自分たちの衣服や武器を洗って"いるのだ。""死の灰""による放射能障"害を防ぐための行動によく似ているではないか。『マハーバーラタ』が伝えるのは、核ミサイルだけではない。核爆弾による都市攻撃をも報告している。高速のヴィマナで飛んでいたグルカは、三つの都市に向けて、宇宙のすべての力を秘めている弾丸を投下した。太陽が一万個集まったほど明るい、煙と火がからみあった光り輝く柱がそそりたった。ヴリシュニとアンダーカの全住民が灰と化した。死体はひどく焼けていて、見わけがつかなかった。髪の毛やツメは抜け落ちていた。まるでだれかが、広島や長崎のあの日を見て書いたような文章ではないか!米国ロス・アラモスの最初の原子の火を見たジャーナリストは、"""一〇〇〇個の太陽より明るかった"""と報告したが、この爆発の様子、立ち上る煙と火の柱、犠牲者の姿、放射能による汚染の影響……などの記述は、核兵器以外のものを考えさせない。そして、インドにはこの『マハーバーラタ』を裏づけるような証拠がある。『マハーバーラタ』は、核戦争のあった場所をガンジス川上流だとしているが、まさにその地方に、焼けこげた無数の遺跡があり、岩石が"溶けてできたかたまりは、""溶解した"鋼鉄がすず鋼の中を貫流したかのように""中空になっている。"また、ずっと南のデカン高原にも、建物の中の調度品すらガラス状になっている高熱廃嘘がある。そしてこの地方では、普通のものの五〇倍の放射能を持った人間のガイ骨が発見されているのだ。こうした古代の核戦争の存在を伝える文献や伝説はほかにもある。同じインドの古文書『ドロナ・パルバ』は、五十万人をまたたく間に壊滅さ"せた""カピラの閃光せんこう""について記述"している。中国にも古代核戦争を伝える文書がある。シベリアやカナダの原住民"のあいだには、""金の貝がら""に乗っ""て空を飛び、""輝く光の矢〃で都市を"破壊しつくした戦士の話が伝わっているのだ。こうした古文献の記述を、すべて古代人の空想とみることも可能だ。事実、核兵器が開発される前は、おとぎ話として放置されていたのである。しかし、核兵器の実態が知られるにつれ、古文献の研究者たちは、こうした記述の再検討を迫られ、そこに新たな意味を見つけだしつつあるのだ。
アルタミラ
スペイン北部にある有名な先史洞窟。一八七九年、一少女によって偶然発見されたこの洞窟の内部には見事な牛の絵が描かれている。最近はこの洞窟に先史の宇宙船らしき各種の円盤模様が描かれてしるということで、新たな注目を集めている。
ヴァル・カモニカ
イタリアのミラノ北東百キロの地にある峡谷。この谷の岩に彫られた線刻画は、先史時代からローマ初期のものまで[万五〇〇〇点を越え、中にはヘルメットをカぶった宇宙人が向かいあって戦う場面を描いたとされる不思議な絵がいくつもある。カモニカ漢谷の一帯は、紀元前八世紀の戦争と大異変の時代に、づアジアのトロイから亡命した原日本人カラ族の一派、カムナ族が移り住んだ地域とみられ、日本の神字(カムナ)とそっくりの刻文が残されている点で注目される。
[エジプトの地下都市]
世界各地に存在する地下都市や地下トンネル網は、転襯や神話の中で、迷由員黄泉の国、地下の楽園、または地獄として描かれている。ギリシア神話の英雄イアrソンに率いられたアルゴr号の乗組員たちは魔女メデイアの住む黒海沿岸の地底王国コルキスを訪ね、龍の車(宇宙母船)と黄金の羊の皮ごろも(宇宙服)を手に入れたといわれたり、エジプトのファラオは女神アメンティの住む地下の楽園を訪ね、そこにある宇宙基地チュアト(星に向かうところ)からかホルスの眼"と呼ばれる宇宙船に乗って星の彼方に飛んだといわれる。これまでエジプト神話のオシリスの国、暗黒の地下世界は空想的なものと考えられ、何ら実体がないとみなされてきた。が、探検協会ではオシリス神話の世界が太古のエジプトに実際にあった地下都市の記憶をとどめるものと考えている。最近エジプトのピラミッドで新たに謎の地下室が発見されたところから、伝説的なピラミッド回廊の存在が再び注目されている。サッカラの階段状ピラミッドの下に、強い放射能を含む塵ちりに満たされたトンネル網があることを知っている人は、王家の谷の性格を従来とは異なった視点からとらえなおしているかも知れない。おそらく古代エジプトの信仰を今もとどめるコプト派の人々の中には、エジプトからスーダン、エチオピアにかけて実在した太古の地下都市の記憶を伝えている人もいるにちがいない。探検協会では、ナイルの源流地帯に今なお太古の遺産を秘めた地下都市があることを固く信じており、いつの日か、パピルスに記されたチュアトの存在が明らかになるのではないかと、目下、調査を進めている。
王家の谷
エジプトのテーベ郊外にある王家の谷は、『死海写本』で有名なヨルダンのクムラン洞窟、トルコのカッパドキア遺跡とともに、考古学上画期的な発見がなされた地として知られる。クムランやカッパドキアそっくりの外観をもつこの地の洞窟群から発見されたッタンカーメンの黄金のマスクや歴代ファラオのミイラ、数々の豪華な遺品と遺構は、昔目のテーベの繁栄をしのばせるに十分である。しかし王家の谷は、古くからファラオの呪いに満ちた死の影が漂う土地でもあった。その呪いは、ツタンカーメン王墓の発掘にたずさわった関係者が次々に謎の死を遂げた時、すべてのエジプト学者をふるえあがらせた。原因は何だったのだろうか?この問題を調査した学者たちはやがて意外な事実を発見した。それは、王家の墓が大量の放射能を含む塵ちりに埋もれていたことだ(ゴネイム論文)。この事実は何を物語るものだろうか(同じ地形をしたクムラン地方でも二万人の遺体を収容した地下墓地と放射能が確認されていることは注目される)。
[オデッサ回廊]
オデッサ・力タコームとして知られるウクライナの地下回廊はロシア有数の第四紀動物化石の産地で、一九二九年、グリツァイによって発見され、現在までロシア科学アカデミーが継続的に調査している。オデッサ市の地下三〇平方キロにわたって図のように張りめぐらされたトンネル網の一部は明らかに人工的なものであり、キエフ市の地下トンネル網やクロマニヨンの地下マンション(収容規模二万人)との関係が注目される。オデッサ地下回廊平面図
カイマクル
トルコのカッパドキアにある謎の地下都市群のひとつ。人口数万人を収容できる地下八階構造の大遺跡として知られる。中央部のタテ穴の深さは一五〇メートル以上。各階の部屋は傾斜した通路や階段で複雑に結びつけられ、地下八階には三条に分かれた堂々たる回廊もある。八階にうがたれたトンネルは十キロ離れた隣の地下都市デリンクユに通じ、さらにデリンクユから他の地下都市へも伸びている可能性があるカイマクルの内部
[カッパドキア]
トルコのアナトリア高原中部にある広大な不毛地帯カッパドキアは、ギリシア語のカッポータス(つまりゼウスの異名「落とす者」)に由来する「雷挺の落ちたところ」だ。ウチュヒサールと呼ばれるこの地方の中心にある奇怪な岩山に立つと、周囲数十キロを赤々とした崖に取り囲まれた盆地のいたるところに、異様な形をした尖塔群が林立するさまを見ることができる。尖塔のひとつひとつは数階建ての洞窟で、その内部にほどこされた無数の宗教画と彫刻の存在は、この地を東口ーマ帝国時代のキリスト教美術の宝庫としている。
しかしこの地の最大の驚異は、ウチュヒサールを囲む台地の下に眠る巨大な地下都市群の存在であろう。現在までに調査済みのカイマクル、デリンクユ、ギョズテジン、オズコナークをはじめ、マヴルージャンその他の地に存在するいくつかの地下都市は、すでに確認されたオズコナークだけでも推定収容人口六万入の規模を誇るもので、ここにかつて生活した人々の数は数十万にのぽるとみられる。しかも注目されるのは、これらの地下都市が、デリンクユとカイマクルを結ぶ長さ約十キロの地下トンネルを一例として、かつては相互に結ばれていたとみられることだ。一九六五年にこれらの遺跡を調査し、初めて世界に地下都市の存在を紹介したトルコの考古学者ヒクメット・ギュルチャイとマフムット・アコクの二人は、この巨大な地下施設の建造年代を六~十世紀と推定した。しかしその後の高橋の調査によれば、これらの建造年代は、カイマクル・カレの一部にみられる高熱による風化作用の跡や同地域で検出される高濃度の放射能、アナトリアの巨石文化や王家の谷の成立年代などからみて、少なくとも紀元前八○○年ころまでさかのぼるとみられる。カイマクル・カレという地名が「クリーム状の城」、すなわちクリームのように溶けてしまった都市を意味していることは、これら地下都市の造られた目的と無関係ではなかったろう。
カイマクル地下都市断面図
紀元前8世紀の核戦争マップ
[クーガ王国]
チベットの最奥地、ナムナニ峰の麓に広がるアリ高原には、今も謎につつまれたクーガ王国の遺跡がある。海抜四五〇〇メートルを越えるこの地の、異様な山肌を表した比高三〇〇メートルの山頂にクーガ王国の都城はあり、断崖絶壁によって周囲の台地から隔てられたこの王宮へと到る道はただひとつ占厘の麓に口をあけた洞門をくぐって、暗黒の通路を登りつめる以外はない。そしてこの絶壁の急斜面にもまた、無数の洞窟が口を聞き、何百という建物が頂上まで連らなっているのである。これらの遺跡は、チベット王朝の末期にランダルマ王によって弾圧された仏教徒が、ラサ、シガツェからこの地に亡命して建てたクーガ王国の遺産とみられている。しかし、彼らが立てこもったこの王城の設備はあまりにも当時の水準からかけ離れたみごとなトンネル技術の跡を示している。クーガ遺跡と同じ構造をもつ要塞は、インドやセイロン、ブラジル、南アフリカなどに数多く残されているが、それらは本来、どのような技術と意図をもって造られたのだろうかクーガ王国の北西に位置するパミール高原で、ロシアの調査団はすでに巨大なホールと階段、整然とした区画をもつワハンスカヤ地下都市を発見しているが、この地下都市の建設者とクーガ遺跡を残した人々との問には、どんなつながりがあるのだろうかすべては大きな謎につつまれたままである。
ダージリンより見たヒマラヤ山脈
クレタの迷宮
一九〇〇年、イギリスのA・エヴァンスによって発見された地中海クレタ島のクノッソス宮殿のこと。複雑怪奇な迷路と近代的な設備(水洗便所など)をもつこの四階構造の石造宮殿は、ギリシアの英雄テセウスが退治した牛人ミノタウロス"の住む""クレタの迷宮""と"して神話に語り伝えられたもので、シュリーマンのトロイ発見に次いで、神話が歴史的真実を含むことを証明した画期的な遺跡である。 <!--[if !vml]--><!--[endif]-->
紀元前の目本人が建設した?クレタのクノッソス宮殿
[古墳シェルター説]
核爆発にともなう放射能の被害を防ぐには、なんらしやへいかの遮蔽物が必要だ。鉛によるものが効果的であることは知られているが、土や水も効果がある。たとえば、土を一メートルほどの厚さに盛って、よくつき固めた場合、放射線は地上の五〇分の一に減ってしまう。核攻撃のときに、このような盛り土を固めた""古墳"""内部の石室、石棺、木棺の中にしばらく(四~五日問)避難すれば、一次放射線を浴びて死んだり、重い放射線病にかからないですむだろう。このように、""古墳""はもともと死者を埋葬する施設というよりは、緊急避難用の簡易シェルターとしてつくられたのではないか。たまたまこのシエルターで生き残った人々が、新たな文明再建の中心になったため、子孫が彼らを祭る場所とし"て崇拝した。これが""古墳"""造営の始まりとも考えられる。
[サハラ砂漠の謎]
地球上最大の砂漠サハラには、かつてアルビエンヌ海と呼ばれる広大な湖があった。有名なタッシリ遺跡"やセファールの""七つの都市""を含む、""炎の島""ハガ"ールのまわりに広がるこの美しい湖は、伝説によれば、太陽神ヘリオスの子パエトーンの操作する車が誤って地上に落ちた時、一瞬のうちに消え去ったといわれる。その原因は何だったのだろうか。古代の歴史家や詩人たちが繰り返しその悲劇をとりあげたパエトーン伝説の真相を解き明かす鍵は、リビアン・ガラスとも呼ばれるテクタイト(ギリシァ語のテクトス「溶けた岩」に由来するもの)の成因にある。テクタイトは岩石が最低二五〇〇度の高温で溶けたあと急激に冷えてできたもので、これまで火山生成物ないし隈石であろうと推測されてきた。しかしリビア砂漠のテクタイトが火山生成物であるという証明はなく、隕石説も、テクタイトの成分が砂漠の砂とほぼ同一で地球外起源の成分を含んでいないために無理がある。むしろわれわれは、テクタイトに含まれる放射性同位元素の存在などから、その成因を核爆発の高熱に求めるべきだろうサハラ砂漠が核爆発によって誕生したとみられる別の根拠としては、エジプト、チュニジア、モロッコにある地下都市や地下回廊、今西探検隊が偶然発見したサハラの玉石(簡易式シェルター)などがある。また最近の人工衛星写真によれば、サハラ砂漠の西には巨大なウラン埋蔵地があることも確かめられている。この地に近いオクロで「天然原子炉」の跡が発見されていることは何を物語るのだろうか。
[C14年代測定法]
年代測定には"上の地層は下の地層より新しい〃というぐあいに時問の前後関係だけを示す「相対年代」と、"今から何年前"というように年数で示す「絶対年代」とがある。この二つのうち絶対年代は、古代史研究には欠かせないものだ。よく聞かれる「放射年代測定」もこの絶対年代を出すためのものだが、その中のひとつに「放射性炭素法」(C14法)がある。これは現在の大気中のCロ量を一〇〇とした時、ある遺物のC14量が五〇であれば、C14量が五〇パーセントに半減する期間五七三〇年をもとに、その遺物は五七三〇年前のもの、と測定する方法だ。放射性元素の崩壊速度は、まわりの温度や圧力などに左右されず、規則正しく進行するので、このC14法なども比較的正確な絶対年代を測るものと思われてきた。ところが、高橋良典は、この測定法には落し穴があるという。仮に今から五七三〇年前の大気中のC14量が五〇しかなかったとすれば、遺物に含まれるC14量は二五になっているはず。にもかかわらず今までの方法だと、一○○のものが五〇になるのに五七三〇年、さらに二五になるまでの五七三〇年を加えて、一万一四六〇年という年代を出してしまう、というのだ。そして地球上のC14量は変化している、という最近の研究成果を考え合わせると、このC14年代は再検討する必要がある、と指摘するのだ。もしこの指摘どおりなら、現在知られている古代地球の歴史は、大きく書きかえられることにもなるのだが、はたしてその真相は?
シカゴ大学のリビー博士が開発したC14年代測定法には問題がある
[シルダリア地下回廊]
ロシアには、昔から豊富な地底王国の伝説がある。カザフ共和国のシルダリア地下回廊にまつわる話もそのひとつだ。四世紀の終わり頃、フン族に侵略された中央アジアの遊牧民族サルマートの言い伝えによれば、彼らは征"服者の迫害を恐れて""秘密""の地下道""づたいに""シャンバラ""へ逃がれたといわ"れる。カザフ共和国の歴史家ドスジャノフは、この伝説の真偽を確かめるため長年中央アジアの伝説と洞窟調査を続けてきた。そして彼は、遂に伝説のトンネルとみられるものをシルダリア川の上流に位置するタシケントの郊外で発見した。高さ約ニメートルのこのトンネルは、支柱を使わなくても安全な堅い岩盤に高度な技術を駆使してつくられたもので、約二〇メートルことに地上部に達する通気孔が天井に設けられているという。彼の発見したトンネルが、昔からこの一帯にあると噂"されてきた""シャンバラ国"""の地下回廊の一部をなすものかどうか不明であるが、シルダリアの流域にはこのほかにもいくつかの人工トンネルがあり、それらは、十九世紀の初めにチベット文献を調査したハンガリーの探検家ケーロスが明らかにしたシャンバラ(クジルオルダの北東・北緯四五~五〇度一帯)の地下都市につながるものとみられる。シルダリアが流れるツラン低地とアラル海の周辺は、地下都市研究が盛んな地域のひとつで、無数の地下川がその下を流れるウスチウルト砂漠の表面に、ナスカの地上絵をはるかに上回る規模の巨大な地上絵が数多く残されていることは、地上絵と地下都市の秘められたつながりを物語っている(ナスカ台地の下にも推定延長数百キロに及ぶ地下トンネルの存在が確認されている)。
ロンドンのシェルター図
カイマクルの迷宮
テクタイト
エジプト、スーダン、リビア三国の国境地帯、ウェイナット山の近くのクレーター周辺から、リビアン・ガラスと呼ばれるテクタイト(ギリシア語のテクストケ"溶けた岩""を意味するもの)が見つかっている。これは隕石のカケラとみなされてきたが、地球外起源の成分を含んでいない。逆に、リビア砂漠の砂と化学構造が非常に類似していることが判明している。一般にテクタイトは、岩石が最低二五〇〇度の高熱で溶けたのち、急激に冷えてできたものとされている。このような高温は火山活動でも生じるが、リビア砂漠が火山活動でつくられたという証明はない。むしろテクタイトに放射性同位元素が含まれていることから、これをつくったのは核爆発によるものだと考えることができるのである。
トロイ
ヨーロッパの地図を開くと、ひとつの奇妙な事実に気がつく。「卜ロイ」という地名が、あちこちに見られるのだ。たとえば、イギリスの「トロイ」は古くから信仰の中心地とされ、そこには迷路状の地下道がある。また地下宮殿で有名なクレタ島には、「卜ロス」と呼ばれる地下墓地がある。この「卜ロス」が「トロイ」という言葉に関係することは確かだ。さらにヨーロッパを離れると、アフリカのチュニジアには「卜ログローディス」と呼ばれる地下生活者がいる。「卜口」は「卜ロイ」に関係ある言葉と思われる。こうした「トロイ」に共通するのは、「地下」とか「洞穴」ということだ。つまり大胆に仮説を提起すれば、「トロイ」という言葉は、単に小アジアのトロイをさすのではなく、地下回廊や迷宮などの.地下都"市がある場所""を示しているといえるかもしれない。
[パエトーンの落下]
ギリシア神話に描かれた次のような核戦争の記憶。今、地上は高い山々まで炎に包まれ……大都市はその城壁もろともことごとく崩れ落ちている/工トナ山は二重の火によって高々と巨大な火柱をあげ、パルナソスの二上山、エリュクス山……カフカス山脈……アルプス山脈の高峰、雲をまとったアペニン山脈まで炎に包まれてしまった/リビアは熱のためその水分をすっかり失い……ナイル河は七つの河口の水がかれて砂漠となり……大地は到るところで裂けた/海は干あがってかつての大海原は不毛の砂漠と化し、深い水におおわれた海底一の山脈があらわれてキュクラデのごとき島々となった/パエトーンはその髪の毛をちりぢりに焼かれながら、空に大きな弧を描いてまっさかさまに墜ちていった……(オヴイディウス)
バベルの塔
聖書に史上初の権力者ニムロデが築いたと記された塔。イラクのバビロン遺跡にあるジッグラトがその遺跡とされる。推定によれば、底辺と高さがそれぞれ九〇メートルの階段状ピラミッ頂上の神殿で宇宙神マルドゥクを迎えたという。この塔跡で不可解な高熱で溶けたレンガが発見されている。高熱で破壊されたあとを示すバクダットの階段状ピラミッド
ヒッタイト
トルコのアナトリア高原を中心に栄えた謎の帝国。ヨーロッパからアジアに進出したその民族は一時は西アジア一帯に勢力をふるいエジプトとも戦った。アナトリアに残された首都ハツトゥシャの遺跡は、随所に巨石を用いたもので、家々のレンガが当時としては想像もつかない高熱で溶けた跡をとどめている。マブレヤ文字に似駄鎚以字や前インカに似た絨毯をつくったヒッタイト人は、帝国もろとも謎の消滅をとげ、その技術、文化も多くの謎につつまれている。
「ラーマヤナ』の舞台となったキシュキンダーの王城ハットウーシヤ <!--[if !vml]--><!--[endif]-
古代核戦争の廃墟から出撃するアトランティスの軍隊1
[放射能の後遺症]
核爆発は、人体に直接・間接に悪影響を及ぽす。それは広島・長崎の例でもよくわかるが、古代に全地球的規模の核戦争が行なわれたとすれば、放射能による後遺症の記録が、なんらかの形で残っているはずだ。この点に関し、地球文化研究所の高橋は、イースター島のモアイ・カヴァカヴァやオルメカ、チャビンの彫刻が、放射能障害としてのケロイドや奇形、甲状腺腫、.クレチン病などを表していると指摘する。このような土偶や石像、木像は、似たようなものが世界各地で見つかっている。ネアンデルタール人がクル病にかかっていた、というのは有名な話だが、クル病は放射能障害の後遺症とみることもできるのだ。古代核戦争の結果、生き残った者の子孫はその悪影響で退化したことも十分に考えられる。
ケロイドのあとを示すオルメカ遺跡の出土品
蛙子ひるこをかかえて悲しむ父親(イザナギ)
[ボリショイ・キテジ]
ロシアの民衆の問に今も生き続ける地底王国の伝説の中で、最もよく知られ、親しまれているのがボリショイ・キテジの物語である。ジンギスカンの孫バツーの率いるモンゴル軍の攻撃のさなか、突如、地底に消えたスズダリ公国の都ボリショイ・キテジの話はロシアの作家や詩人、リムスキー・コルサコフのような作曲家が取り上げたおかげで、今なおその存在を信じる人が跡を絶っていない。一二三六年に消えたこの都の住民は、伝説によれば、今も地底でしあわせな生活を送っており、スズダリ公国の故地に近いスベトロヤーリ湖の水面に、ときおり町の姿を映し出すといわれている。実際にこの湖を調べたダイバーたちは、伝説を裏づける証拠を湖底に見つけることはできなかった。しかし、この小さな円い湖を取り巻く周辺の台地には、かつてこの地を訪れた信者たちが掘ったとされる人工の洞窟が無数にあり、内部は何層かの迷路になって、地上に通気孔が残されている。さらにスベトロヤーリ湖一帯を含む、ヴォルガ沿いのマリ族居住地区の到るところに、このような人工洞窟や地下トンネル、地底湖や地下川、あるいは巨大な陥没地がある。ということは、やはりこの一帯にかつてボリショイ・キテジの伝説を裏づける地下都市が実在したことを物語っているのではないだろうか。
[マハーバーラタ]
インドに伝わる世界最大の叙事詩。バーラタ族の戦争伝説を中心とする全一八巻ニニ万行に及ぶ詩編の起源は、遠く二七〇〇年前まさかのぼで遡る。作者はヴィヤーサと呼ばれるマハーバーラタの勇士と同時代に生きた伝説的聖人。物語の舞台となるのはガンジス河とヤムナ河のメソポタミア両河にはさまれたクルの大平原である。ここでバーラタ王の血を分けあった二組の子孫パーンダヴァとカウラヴァの両派が王位をめぐって対立を深め、遂には最終戦争によって共倒れの悲劇に終わる。全編の筋書きは、ホメロスの伝えるギリシア叙事詩『イーリアス』の構成に通じるものがある。両陣営が決戦に臨んで用いた兵器の数々と戦闘の場面は、この説話が今から二七〇〇年以上も昔の戦争を扱ったとは想像もできないほど現代的であり、ククラやアグニのような核ミサイルを思わせせんこうるもの、核爆発の閃光とその後生じる放射能障害を描写したようにみえる記述が"十八日戦争"を扱った六~九巻の随所にあらわれる点は大いに注目されてよい。また、この叙事詩に登場するクル族(バーラタ族)の英雄が、日本神話の高天原で活躍したわれわれの祖先と一致することも興味深い(徳間書店刊『謎の新撰姓氏録』参照)。
[ムー王国の地下都市]
紀元前六八七年の最後の異変前に、シュメール語でムーと呼ばれた宇宙船を駆使していたわれわれの祖先は、以下の地域を含む地球上の各地に、大規模な地下都市群とトンネル網を残したとみられる。
クーガ(中国)
ラサ(〃)
トルファン(〃)
トンホワン(〃)
コイリン(〃)
ユエヤン(〃)
ムスタング(ネパール)
アティス(モンゴル)
コリマ(ソ連)
キテジ(〃)
シルダリア(〃)
オデッサ(〃)
カフカス(〃)
アルメニア(〃)
カーネーリ(インド)
ジュンナール(〃)
ワハンスカヤ(アフガン)
ゴルガン(イラン)
アニ(トルコ)
カッパドキア(〃)
サモス(ギリシヤ)
クレタ(〃)
ローマ(イタリア)
クマエ(〃)
エニャーツィア(〃)
モーディカ(〃)
べツサ(〃)
カルパート(チェコ)
プロバン(フランス)
ピレネー(スペイン)
グランカナリァ(〃)
タンジール(モロッコ)
アハガル(アルジェリア)
マトゥマタ(チュニジア)
バールベック(レバノン)
クムラン(ヨルダン)
エルサレム(イスラエル)
ギゼー(エジプト)
ゴンダル(エチオピア)
クライン(南アフリカ)
ワマ(ナイジエリア)
マラニヨン(フラジル)
ロンカドル(〃〉
サンタカタリーナ(〃)
ロライマ(〃)
アタカマ(チリ)
ラノララク(〃)
ティアワナコ(ボリビア)
ナスカ(ペルー)
クスコ(〃)
マチュピチュ(〃)
クエンカ(エクアドル)
サンアウグスティン(コロンビア)
テクパン(グァテマラ)
ロルトゥン(メキシコ)
アカンバロ(〃)
チョルーラ(〃)その他
[ムスタング]
チベットとネパールの国境地帯に、ムスタングと呼ばれる地方がある。ここにはかつてムスタング王国があり、チベットやネパールの諸王朝から独立した王侯が、長い間勢力をもっていた。フランスの探検家ミシェル・セペールは、一九七〇年代の初期に、ヒマラヤ山中の険しい谷に囲まれたこの地を調査することになり、ロ・バス族の居住地に近い荒涼とした山の絶壁で、みごとな掘削技術の跡を示す二九の人工洞窟群を発見した。これらの洞窟は、絶壁の中ほどに等間隔で口をあけ、中に入ると秘密の通路でつながっていて、奥には広いホールと大小無数の部屋があった。現代の石工も及ばない高度な技術を使ってきれいに仕上げられたこの洞窟遺跡は、明らかに、いつの時代か、大勢の人間が共同生活を営んだ跡にちがいないが、セペールによれば、この地に長く住むロ・バス族も、この遺跡を残した人々については、何も知らなかったこの遺跡に関する情報をマイケル・グラムリーから入手した地球文化研究所の高橋は、一九九二年に現地におもむきジョング河谷の北面斜面にうがたれた無数の人工洞窟を調査した。しかしその後、この遺跡を中国政府やネパール政府が本格的に調査したという話は聞いていない。ヒマラヤ山脈の国境をめぐる関係諸国の紛争の原因は、案外、これらの洞窟に眠る未知の文明の遺産にかかわりがあるのかも知れない。
ラーマヤナ
『マハーバーラタ』と並び称されるインドの英雄叙事詩。全七巻。作者は前三世紀の詩人ヴァールミーキと考えられている。物語はヴィシュヌ神の化身ラーマがガンジス河の北にあるコーサラ国王ダシャラタ王の息子として生まれるところから始まる。首都アヨーディヤの宮廷に育ったラーマはシータと結婚し王位を約束されていたが、継母の陰謀によって森に追放され、そこで魔王ラーヴァナにシータを奪われる。猿王スグリーヴァと同盟を結んだラーマは、ハヌマーンの協力でシータがランカの宮殿にとらわれている二とを知り、ラーヴァナとの一大決戦におもむく。ラーヴァナとの壮絶な戦いと勝利の後シータを取り戻したラーマは、シータの純潔を確かめた上でアヨーディヤに凱旋がいせんし、王として迎えられて善政をしく。このような内容をもつラーマ物語は一片の美しい口マンだが最近この叙事詩は、ヴィマナ"と呼ばれる""宇宙船や""プシュパカ""と"いう不思議な空中戦車が登場することで注目されている。この叙事詩の中で魔王に仕立て上げられたラーヴァナが美女ヘレネーを誘拐したトロイの英雄パリスとして欧米に知られている太古日本の大王オモタルヒコであったこともさらに注目されてよい(『謎の新撰姓氏録』参照)。
国常立の息子クベ-ラとシバの都とされたチベットのカイラス山
その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変わってしまった…:
尭・舜の時代に地球全土は戦火に包まれ、禺は洪水の後始末に追われた
ところが、このような戦争と異変の混乱に乗じて、人身牛首の神を祭る者、蛇身人首の鬼を祭る者が西から東へ次々と来たり、我らの地に住みついた
ー『契丹古伝』
続く・・・
テラ(地球)が見ていた 日本の歴史の真実! 4
今日の 破・常識!
アトランティス文明の流れの中に 現代の私たちはいる!
一方 アトランティス文明は?・・・
ムーの文明との一番大きな違いは 自然と共生するという意識が
まったくなかったことです。
アトランティス大陸の人口は 約2億人で、
ムー大陸以外は ほとんどがアトランティス文明の文化圏でした。
ムーの人々の先生的存在だった ドラコニアン(水棲 龍族)と、
同じような立場の宇宙人が アトランティスの人々にもいました。
それが レプティリアン(爬虫類人)です。
もともと レプティリアンも ドラコニアンと同じ
5次元の存在だったのですが、
レプティリアンは ディセンドしてしまい
4次元領域に入ってしまったのです。
レプティリアンは 4次元と3次元を 行ったり来たりしながら
アトランティスの人々を教育し 愛と調和ではなく、
恐怖による支配を行いました。
そして アトランティスの人々に ピラミッドの支配構造を作らせ
自分たちの都合のいいように 人間社会をコントロールしていました。
そのレプティリアンに教育された人々の中で、上層部にいた一部の
人間たちが 自分たちの欲望のままに・・・
最強の武器を手にするという欲望に溺れ
挙句の果てに クリスタルの増幅装置を使い
核兵器の実験を繰り返していたんです。
結局 その人間たちは 自分たちをコントロールすることが
出来なくなり
実験に失敗し テラ(地球)上の すべての生命を絶滅させ
テラ(地球)は傷つき 一億年の眠りに入ったのです。
ここまでが ムー文明とアトランティス文明の大まかな話ですが・・・
さくやさんは アトランティス文明の話は
私たちに説明しやすいんだけど
ムーの文明を理解してもらうのは 難しいわね・・
って、よく言ってます。
それは どういうことなのか? あなたは もうお分かりでしょう!
私たちは アトランティス文明の流れの中の社会で生きているため、
まさしくピラミッド社会構造の中での
教育により刷り込まれた価値観により
なかなか ムーの文明を理解することが 出来ない状況なのです。
私たちは 今 これまで刷り込まれた価値観を手放し
新しい世界へ進むために イメージ(想像力)を
フルに使わなければならないのです。
私は 最初に 今回のテーマは ムーの波動 を
思い出すことを掲げています。
そして 日本の歴史の真実を思い出す旅に出たのですが・・・
ここまでの話では ひとつの大陸が割れ
ムー大陸とアトランティス大陸の
一部が沈み 現在のような地球の形になったと・・・
では、どうして 私たちの国である日本が
ムーの波動を受け継いで来たのか?
ここから 私たちの 日本の真実の歴史が始まるのです。
破・常識 あつしの歴史ドラマ ブログ!より転載
バシャール:貴方のエネルギー
テーマ:新しい地球のスターシード達へ
サイキック能力とは、”今ここ”のエネルギーから情報を掴んで降ろす能力の一つを指しているのであって、予言を意味しているわけではありません。そもそも私たちが考えているような”予言”というものは、この世に存在していません。エネルギーは常に動いて変化しています。ですから、未来も過去も”今ここ”と同様に自由に変化変容が可能というわけなのです。
エネルギーが濃く重なり合った部分を掴み、そのエネルギーを言語に置き換える能力がサイキックです。よって”すでに存在しているエネルギー”で、勢いがあって目立つエネルギーを掴んでいます。しかし時に、物質化に向けて勢いがついたエネルギーは方向転換ができない場合があります。つまり、急な坂を駆け下りる岩の動きを”イキナリ”方向転換させる事はできません。それだったら終了するまで待って、また新たに始める方が得策となります。
エネルギーが濃く重なり合った部分とは、貴方が繰り返し考える思念の部分を指しています。ですから貴方の目の前に現れる困難やチャレンジは、みんな貴方が繰り返し考えていたエネルギーからやってきているのです。つまり、”貴方自身”のエネルギーなのです。よって自分の投げたエネルギーだからこそ、乗り越える事ができるのです。
【ブラック国技の隠蔽体質、関係者は天皇・検事・暴力】ネット炎上。貴乃花親方の降格処分は白鵬の減給に比べバランスを欠く裁定か
12/29(金) 5:00配信

協会は貴乃花親方で降格処分を下したがバランスを欠く処分にネットは炎上した(写真・アフロ)
日本相撲協会は28日、臨時理事会を開き、貴乃花親方の「理事解任」を評議委員会へ提案することを当事者の貴乃花親方を除く全会一致で決定した。評議員会は1月4日に臨時評議員会を開き、その解任提案を了承するかどうかを決めるが、協会寄りの評議員会が受け入れることは間違いなく事実上の「降格処分」。引退した日馬富士が起こした暴力事件の被害者側である貴乃花親方に「降格処分」が下されるという異例の結末となった。
この日、会見を開いた危機管理委員会の高野利雄委員長は、理事解任(降格処分)を決めた理由として巡業部長として暴力事件の協会への報告義務を怠った点、協会による貴ノ岩に対する聴取を拒否するなど問題解決に非協力だったことの2点を挙げ、「理事としての忠実義務違反」と断じた。これらの“非”について貴乃花親方は文書による説明に加え、協会の聴取の際にも直接弁明をしたが、高野委員長は「極めて不可解な弁明」「危機管理能力を問われる問題」と論破した。
この協会の貴乃花親方に対する処分を巡ってネットやSNS上では早くも様々な意見が飛び交っているが、「厳しすぎる」「異様」「納得がいかない」「おかしい」との声が大半を占めた。
特に目立った意見が、ここまで行われた加害者側の関係者の処分よりも、被害者側の貴乃花親方の処分の方が重いという矛盾に対する批判だ。
協会の懲罰規定には「懲戒解雇」「引退勧告」「降格」「業務停止」「出場停止」「報酬減額」「けん責」の7段階あるが、今回、貴乃花親方に下された「降格」は3番目に重い処分。
暴行事件の加害者である日馬富士の師匠である伊勢ケ浜親方は、自ら理事の辞任を申し出て、結果的に「降格処分」となったが、今回の暴力事件の引き金を作り“黒幕”と目される横綱の白鵬は、1か月半の「報酬減額」だった。また協会の最高責任者である八角理事長も自ら3か月分の報酬返上を申し出たが、それらの処分に比べ「最も重い処分がなぜ被害者側の貴乃花親方に下されるの」と疑問を呈する意見が圧倒的だった。
相撲ジャーナリストの荒井太郎さんも、「考えていたよりも重い処分。白鵬らが報酬減額処分だったことを考えれば、多少バランスに欠けるかなとも感じた」という意見。
さらに「ただ降格は3つ目に重い処分だが、業務停止に比べると、稽古場の指導も、次の理事選挙への出馬も可能になる。実情としては、そこまで重い処分ではない。間をとって落としどころを探したようにも感じた」と続けた。
理事会終了後の会見で八角理事長は、「1月場所の後に行われる年寄会の理事選挙に立候補することは可能」と明言しており、貴乃花親方が出馬すれば当選は濃厚で、理事降格処分は、事実上、1か月の謹慎のような形になる。もし一段階下の「業務停止」処分だった場合は、理事選にも立候補できず、部屋での指導もできなかったため実質は“軽い処分”だったというわけである。
それでも、被害者側の貴乃花親方が、暴力行為をその場にいて止めず事件のきっかけを作った白鵬よりも遥かに重い処分となったことに違和感を感じる「忠実義務違反」があったことは否定できないとはいえ、貴乃花親方側の弁明を考慮して、同じく減給処分まででよかったのではないか。そもそも加害者側の事件に関する処分と、貴乃花親方の理事としての責任を問う処分を“同じ土俵”で裁くことにも問題がある。
なぜここまで厳しい処分になったのか理解に苦しむ。
「懲戒解雇」「引退勧告」「降格」の3つの処分は、理事会が単独で決めることはできずに評議員会が最終決定するシステムになっている。協会とすれば、「決めたのは我々でなく外部の評議員会」とのスタンスをとりたかったのかもしれない。
前出の相撲ジャーナリストの荒井さんは、「多分に協会側の感情的なものが入ったのではないか。加えて評議員会の池坊保子議長がメディアを通じて貴乃花親方の一連の行動に否定的な意見を発信してきたことも影響を与えたと思う」と推測する。
もし協会の姿勢に反旗を翻している貴乃花親方に対する何らかの感情の加わった裁定であれば、なおさら「公益財団法人」である組織としてのガバナンスを問われることになるだろう。
今後、気になるのは、1月4日の評議員会で「降格処分」が正式に決定した後の貴乃花親方のアクションだ。 理事会で文書を配布したり、聴取に弁護士を同席させたりしていた一連の貴乃花親方の行動を見ると「地位保全」など、今回の処分に関して法的な訴えを行う可能性も捨てきれない。
もし法廷闘争に、この問題が持ち込まれることになれば、泥沼化は必至。前出の荒井さんも、「私は法廷闘争になることは、協会には当然のことだが、貴乃花親方にもメリットは何もないと思う。そうなると、この問題は泥沼化してしまう」と危惧する。
だが、貴乃花親方へのバランスに欠く厳罰は、協会が今なお“なあなあ”の“お仲間意識”で固まった旧態依然とした組織から脱却できていないことを露呈したように思える。相撲界が根絶できていない暴力問題の再発を防止するには、いっそのこと泥沼化することも必要なのかもしれない。