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そのときが来るまで天の機密だった約束の地カナン(世界が探し求めてきた聖地)とは
諏訪湖を中心とした日出国(ひづるくに)日本!
キリストを信じる人達は日本の存在に気づくでしょうか?
神社は立ち上がれるでしょうか?
天の声は響き渡っています。
みなさんによって、世界の平和は日本から始まります。
モーゼの紋章は日本海軍旗
キリストの紋章は日本国旗
転載:http://riversidechapel.blog.fc2.com/blog-entry-33.html
2013年04月12日
3月29日と4月5日の二回にわたって、イエス様が十字架上で「裂かれた岩」が私たちにもたらす恵みを見て来ました。聖書では、「岩の裂け目」と「裂かれた至聖所の垂幕」を、同じ意味で捉えています。
血の塗られた救いの岩であり…、十字架で打たれて永遠の命の岩清水の源泉であり…、肉体の垂幕を裂いて天への門を開き…、天からの栄光から私たちの肉体を守る岩である…、キリストとしての契約の箱を見て行きたいと思います。
それにはどうしても、キリストとしての幕屋を深く知る必要がありますので、今回から「キリストの幕屋(略してCT)」の探求に入ります。
本日は、「至聖所」とは何か、そして「垂幕」とはどの位置にあるのかを、モーセの幕屋から学んで行きたいと思います。
出エジプトをしてちょうど一年目、シナイ山の山頂に現れた主が、天国にある幕屋を見せて、モーセにその通りに造るように命じました
★ 使徒7:44 私たちの先祖のためには、荒野にあかしの幕屋がありました。それは、見たとおりの形に造れとモーセに言われた方の命令どおりに、造られていました。
そして今の私たちの為には、イエス様が十字架の三日間で建てられた「キリストの幕屋(神殿・宮・教会)」があるのです。・・・先ずは、基本となる「モーセの幕屋」の全体から見て行きましょう。
(1)モーセの幕屋
モーセの幕屋は教会(神殿・宮)の基本であって、その構造を見ると、私たちが目指すべき「生ける宮の完成」を良く理解する事ができます。先ず、全体の構造を大まかに把握しましょう。
下記は、幕屋の庭を含む全景と平面図、建物(幕屋)部分の横断面です。
これから、庭を緑で、聖所をピンクで、至聖所を黄色で統一して行きます。
下は幕屋全体の断面図で、幕屋の七つの器具のおおよその意味も書きました。契約の箱は、全体と蓋の上部に分けて考えて行きます。
建物部分は、二枚の幕と二枚の覆いが掛けられているので「幕屋」と呼ばれています。
二つの部屋に別れ、入口側の長方体の部屋が「聖所」、奥の正立方体の部屋が「至聖所」で、その間の仕切りがが「垂幕」です。上図では赤字で記しました。
入口を背にして、聖所を見ています。四本の柱に垂幕があります。その奥が至聖所で、年に一度だけ大祭司が垂幕を潜って入ります。
イエス様の十字架の時に、垂幕が裂かれた以後の聖所の様子で、奥に至聖所が見えています。
このように、全ての器具と柱は金で覆われているので、燭台に灯がともされると非常に美しい光景です。
一年に一度、大祭司が至聖所で自分と民の知らずにおかした罪の民に祈っている所です。
★ヘブル9:7.12「第二の幕屋(至聖所)には、大祭司だけが年に一度だけはいりますそのとき、血を携えずにはいるようなことはありません。・・・(キリストは大祭司として、)ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」
![412の12至聖所の大祭司]()
(2)垂幕とケルビム
至聖所に置かれた契約の箱の上部は「贖いの蓋」と呼ばれ、その上に向かい合ったケルビムの像があり、その間に神の臨在がありました。
上記は出エジプト25:22ですが、申命記にははっきりと、モーセがこのケルビムの隙間から語られる神の御声を聞いた事が記されています。
★民数記 7:89 モーセは、主と語るために会見の天幕にはいると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。
この「贖いの蓋」の上の二体のケルビムには、非常に重要な意味があります。
かつて、エデンの園にいたアダムとエバが、神に禁じられていた「善悪の知識の木の実」を食べ、罰としてこの地に降ろされた時、神は彼らを守る為、園に戻れないように門に門番ケルビムと回る炎の剣を置きました。
※詳しくは、心のチャペル(4)「エデンの東」(2013.01.25)
ここをクリック【 】
![エデンの東4]()
至聖所への入り口の番人であるケルビムは、契約の箱の贖いの蓋の上で、天からの栄光・御声を通す条件である、贖いの血があるかないかをを見張っています。
旧約時代には、ここにいけにえの動物の血がなかったら(又はその他の約束違反で)、大祭司は死んでしまいました。(旧約聖書の前半には、契約の箱の取り扱いを誤って、ウザをはじめ、多くの民が死んだ事が記されています。)
![412の20大祭司の死2]()
大祭司は年に一度、至聖所に入る時には足に縄を縛り付けて入りました。大祭司の他には至聖所に入れなかったので、外から遺体を出せるようにです。その為に大祭司の装束の裾には錘の布で出来たざくろと、動いている事を確認する為の鈴が交互に付けられていました。
贖いの血があればこそ、大祭司の贖罪の祈りは天に届き、天からの栄光で打たれて死なず、モーセは岩の裂け目に隠され、エリヤは岩に囲まれて守らて天の神と語り合う事ができました。
※私;福田には、キリストを表す契約の箱全体が「岩」に思え、贖いの蓋の二体のケルビムとその隙間が、「岩の裂け目」を表しているように感じます。
ダビデ王もまたモーセのように契約の箱を愛し、この契約の箱だけをダビデの町エルサレムに運び入れ、この御前に座り込み、賛美をささげ、神と語り合う事を最上の喜びとしました。
★詩篇16:8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
ダビデは、契約の箱の前で、祭壇を築き、いけにえを捧げました。
★Ⅱサムエル6:17 こうして彼らは、主の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真中の場所に安置した。それから、ダビデは主の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。
モーセと同じように、ダビデもまた、神の御臨在の前に出、神と語り合う時には、贖いの血が不可欠である事をいやと言うほど知っていました。
しかし、今を生きる私たちは・・・、
永遠の中でたった一度、動物の血ではなくイエス様が十字架上で血を流され、モーセの幕屋でもソロモンの神殿でもなく、天にある真の幕屋に入られたので・・・、
★ヘブル9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所(幕屋や神殿)には入られたのではなく、天そのものには入られたのです。
・・・堂々と、天の御座の前に進み出て祈りと賛美を捧げ、神と親しく語り合う事ができるのです。
★ヘブル10:19 ・・・私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
そればかりではなく、第一のアダムの後に付いて地に降ろされて帰る門を閉じられてしまったいた人類は、第二のアダムであるイエス様の後に付いて、天の御国へ帰る事ができるようになりました。
門番のケルビムがイエス様の十字架の血を見て、私たちを天の御国へ帰る事を許可するを許可すると言う真理を、幕屋は象徴的に教えているのです。
天からの栄光も、命の水の川も私たちに届き、それを世の人々にも飲ませて乾いた魂を潤してあげる使命があります。
私たちは今、十字架で岩が裂けて栄光に浴する事ができ、至聖所への垂幕が開かれているので、思う存分に御座の前で礼拝を捧げる事ができます。
私たちがダビデのように御座の前に座り込んでいればいるほどに、モーセのように私たちは神の栄光を鏡のように反射して、世の光となる事ができ、私たちの人生の目標(ガラテヤ2:20)であるイエス様の似姿に近付いてゆきます。
★Ⅱコリント3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
私たちは、毎日見ているものによって影響されて行きます。
私たちがダビデのように御座の前に座っている事を
最上の喜びとして主の栄光を見続けているのなら
十字架の使命を果たして栄光を受けられた
イエス様に似る者と日々変えられ続け
終末のモーセとして天の御国(乳と蜜の流れるカナン)へ
家族や親族、周りの人々を連れ上る使命を果たす事ができます。
![412の15イエス様と同じ姿に]()
上記は古い賛美なので
少しメロディが違う所がありますが、また英語ですが、
ここ
【 】をクリックして、御一緒に賛美してはいかがでしょうか。
![★花のライン17休憩]()
2013年4月19日(金)
コチラに続きます。
キリストの幕屋「②四枚の幕」についてです。