Update from the Galactic Federation of Light and the Spiritual Hierarchy
You, dear Children, are the Light of this world. You are the candle of the Light that no one can extinguish. Use this to bring the wonders of this time to swift fruition.
a. 道徳律法(モーセの十戒)・・十戒は二枚の石の板に書かれ、幕屋の中の契約の箱の中に納められる。イスラエルが旅をするときは、神の箱が先頭になって進んだ。それは神の道徳律法がすべての中心であることを、このことを通して神がお示しになった。すべての律法はこの十戒を中心としている。 b. 祭儀律法・・・礼拝に関する規定が記されている。 c. 社会律法・・・民事裁判等の規定が記されている。
Image may be NSFW. Clik here to view. ノアの箱舟には8人乗っていた。
造
聖書・創世記二・七に、 「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は生きものとなった」 と書かれています。土から形造られた肉体に、いのちの息=霊が吹き込まれて、人が「創造」されたのです。 創造の「造」の字は、 造=土+ノ+口+Image may be NSFW. Clik here to view. となっています。このうち、「土」は、アダムの肉体を形成した「土」を思い起こさせます。 また「ノ」 (のかんむり)は、生命を表すものだそうです。たとえば「鳥」「牛」「血」「生」の字に見られるように、「ノ」は生命に関係しています。 「口」は、いのちの息をアダムに吹き入れる神の口を想起させます。 また「Image may be NSFW. Clik here to view.」(しんにゅう)は、歩行を表します。たとえば「送」「退」「迎」「追」「逃」「迷」「進」「道」などの字に見られるように、「Image may be NSFW. Clik here to view.」は歩行を表すのです。 ですから「造」の字は、 "土に、神の口からいのちの息(ノ)が吹き込まれ、歩く(Image may be NSFW. Clik here to view.)ようになったこと" を表すもので、まさにアダム創造の出来事を想起させる字であるわけです。
先
アダムは、人類最初の人でした。彼が、人類で一番「先」の人だったのです。 この「先」という字は、 先=土+ノ+Image may be NSFW. Clik here to view. となっています。「Image may be NSFW. Clik here to view.」は、「Image may be NSFW. Clik here to view.」(にんべん)と同じように、「人」を表します。 つまり「先」は、 "土で形造られ、生きる(ノ)ようになった人(Image may be NSFW. Clik here to view.)" のことで、まさにアダムのことです。アダムが、「先」なのです。
元
さて、神はアダムを造られたのち、女エバを造られました。アダムのわきから取って、エバを造られたのです。 彼らアダムとエバが、私たち全人類の両親です。彼らが全人類の「元」となりました。 この「元」という字は、 元=二+Image may be NSFW. Clik here to view. です。先に見たように「Image may be NSFW. Clik here to view.」は人を意味しますから、これは、 "二人" ということで、私たちにアダムとエバの二人を思い起こさせます。彼ら二人が、全人類の「元」となったのです。
完
アダムはエバを妻とし、一つの住まいをかまえました。こうして家庭が「完全」になりました。 この「完」という字は、先の"二人"を意味する「元」に、「Image may be NSFW. Clik here to view.」(うかんむり)をかぶせたものです。「Image may be NSFW. Clik here to view.」は、屋根を意味します。つまり「完」は、 "一つ屋根(Image may be NSFW. Clik here to view.)のもとにアダムとエバの二人(元)が暮らすようになった" ことを表し、こうして家庭が「完全」になったのです。
田
アダムとエバは、「エデンの園」に暮らしていました。聖書によるとエデンの園からは、地下水がわき出ていて、四つの川となっていました。 「一つの川が、エデンから流れ出て園を潤し、そこから分かれて四つの川となった」(創世二・一〇) と書かれています。 ところで「田」という漢字を見ると、 田=口+十 で、境界線を表す「口」の中に、中心から四方向に線「十」が出ています(古代漢字の「田」は、もっと丸い形をしていました――Image may be NSFW. Clik here to view.)。 日本語で「田」というと「田んぼ」のイメージしかありませんが、じつは中国で「田」は「田んぼ」だけでなく、「園」や「畑」のようなところも意味しました。 つまり「田」の字は、まさに四つの川が流れ出ていたエデンの園を、思わせる字であるわけです。
アダムは、エデンの園で創造されてのち、神の「祝福」のもとにありました。 この「福」(Image may be NSFW. Clik here to view.)という字は、 福=ネ(示)+一+口+田 となっています。 このうち、「ネ」(しめすへん)は、じつは単に「示す」ということでなく、「神」を意味するものです。たとえば「禊(みそぎ)」(清め)、「祠官(しかん)」(神官)、「祠祀(しし)」(やしろを建てて祭ること)というように、「示」(しめすへん)は、それだけで神を表すのです。 また「一」は、数字の「一」です。 「口」は、「くち」の意味もありますが、中国では「人」の意味もあります。日本でも、「人口」という言葉があるように、昔の人々は口の数をもって人を数えたのです。 また「田」をエデンの園と解すれば、結局「福」の意味は、 "一人の人(口)がエデンの園(田)で、神(示)と共にいる" ことです。神はエデンでアダムと共にいて、彼を祝福されたのです。
そののち、アダムとエバのもとにサタン=悪魔が、「へび」の姿をして近づいてきました。そしてふたりを誘惑しました。 悪魔の「魔」という字は、 魔=Image may be NSFW. Clik here to view.+木+木+鬼 というふうになっています。このうち「Image may be NSFW. Clik here to view.」 (まだれ) は、"おおい"を表します。 また二本の「木」は、エデンの二本の木を思い起こさせます。つまり悪魔は、 "二本の木の陰に隠れていた(Image may be NSFW. Clik here to view.)鬼" であったわけです。 この「鬼」ですが、 鬼=田+ノ+ム+Image may be NSFW. Clik here to view. となっています。「田」はエデンの園、「ノ」は生きていること、また「ム」は、漢字辞典によると「ぼう」と読み、「某」の意味だとのことです。「Image may be NSFW. Clik here to view.」は人です。 つまり「鬼」とは、 "エデンの園にいたある霊的存在" を意味するものでしょう。
大洪水後、人々は再び地上に増えていきました。数百年たって、地上に最初の帝国主義があらわれました。 人々は、その帝国主義の象徴として、「バベルの塔」と呼ばれる巨大な塔を建設しようとしました。しかし神は、その試みをお喜びにはなりませんでした。 神は人々の言葉を「乱す」ことによって、塔の建設を中断させ、人々を全地に散らされました。 「それゆえ、その町の名はバベル(混乱の意)と呼ばれた。主(神)が、全地の言葉をそこで混乱させたから、すなわち主が人々をそこから地の全面に散らしたからである」(創世一一・九) 。 「乱」という字は、 乱=舌+Image may be NSFW. Clik here to view. となっています。「舌」は言葉を話す舌、「Image may be NSFW. Clik here to view.」は人を意味する「兀」の右足部分です。 つまり「乱」は、 "人々が舌をみだされ、全地に散って歩いて (Image may be NSFW. Clik here to view.) いった" という、バベルの塔の出来事を象徴している字に見えます。
私たちは創造主なる神を信じ、救い主なるキリストを信じることが大切です。私たちは、そのことによって救われるのです。 「救い」とは、結婚のようなものなのです。男性が女性に求婚しても、女性が「ウン」と言わなければ結婚はできないでしょう。また女性が男性に求婚しても、男性がそれを受け入れなければ結婚はできないでしょう。 同様に、「救い」は人が神との"愛と生命の交わり"の中に入ることですから、人の側で、 「はい、神様とイエス様を信じます」 と言って、神様とイエス様を心に受け入れなければ、神との交わりには入れず、救われません。 私たちは、素直に神とキリストを信じる「信仰」によって救われるのです。 「信」の字は、 信=Image may be NSFW. Clik here to view.+言 で、「Image may be NSFW. Clik here to view.」と「言」が夫婦のように互いに寄り添っています。 「Image may be NSFW. Clik here to view.」(にんべん)は人です。一方、キリストは聖書の中で、「神の言」とも呼ばれています。 「はじめに言 (ロゴス) があった。・・・・このかたは初めに神と共におられた。・・・・言は人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハ一・一~一四) 。 つまり「信」とは、 "人が神の言なるキリストと共に歩むこと" です。キリストが「花婿」、私たち人間が「花嫁」なのです。夫婦のように共に歩んでいくこと――それが「信仰」なのです。
主イエス・キリストは言われました。 「私が道です」(ヨハ一四・六) この「道」という字は、"首"と"Image may be NSFW. Clik here to view."(しんにゅう)から成っています。 道=首+Image may be NSFW. Clik here to view. "首"について、聖書にはこう書かれています。 「キリストは教会の首(かしら)」 (エペ五・二三 文語訳)。 「かしら」は今は「頭」と書きますが、昔は「首」とも書いたわけです。キリストが"首"なのです。 一方"Image may be NSFW. Clik here to view."(しんにゅう)は、「行く」とか「歩く」の意味を持っています。それは「迎」「追」「迷」「速」「通」の字に見られるように、歩行を表します。 つまり「道」は、"かしら"(首)なるキリストの"歩まれた"道のことでしょう。キリストは私たちに、模範として足跡を残されたのです。 「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を示されました」(Iペテ一二・二一)。 私たちは人生の中で、「これが道だ」「あれが道だ」という多くの声を聞きます。しかし真実の道は、一つしかありません。 すなわち、イエス・キリストの示された道です。私たちは迷わず、この道を歩もうではありませんか。
Image may be NSFW. Clik here to view. 「信」とは、人が神の言なるキリストと歩むこと。 「道」とは、"かしら"なるキリストの歩まれた道。