第8章 ふたたび美しい星に帰る日をめざして
Image may be NSFW. Clik here to view. ペルーのイカの石に描かれた「星を見る人』
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宇宙遊泳するタッシリの少女
一般には知られていないが、一九六〇年代にきわめて重大な意味をもつ発見があった。それはトルコのカッパドキアにおける巨大な地下都市群の発見である。これまでわれわれは太古の高度な文明の存在をオーパーツによって断片的に知るだけであったが、この時からそのような先史の失われた文明の研究・調査は現代科学の最先端をいく専門家の最重要課題となった。トルコの地下都市から発見されたものは太古の高度なサイエンスおよびテクノロジーの存在を証明するものだった。そして、このような地下都市が世界各地に百か所以上も存在すること、またこれらがムー文明として知られる太古宇宙文明の遺産であることが、いまや明らかになろうとしている。「ムー」とは吉代シュメール語で「飛行物体」という意昧である。われわれがムーという言葉で表している高度な文明は、かつて地球全体を美しい惑星として統治していた日本人の祖先、クル族(カラ族)が築いた宇宙文明そのものをシンボリックに表現したものであることがはっきりしてきた。太古の失われた文明がどのようなものであったか、われわれは今ようやくその一端を知りうるようになつた。以下、これまでに明らかになったムー文明のスーパーサイエンスのいくつかをこ紹介しよう。
地球探検1
古代字宙文明の大いなる遺産
インドの国際サンスクリット研究所のG・R・ホスエ所長が英訳した古文書『ヴィマニカ・シャストラ』(航空学概説)には、今から二七〇〇年前までインドにあった各種飛行機械のつくり方や使用法が詳しく述べられている。古代インドの賢者マハリシ・バラドワジャの手に成り、今世紀の初めにバラモンの官阿桶旧パンディット.S・シャストリに伝えられたこの由緒あるテキストには、地球の上空を飛べるだけでなく惑星間飛行もできた三つのタイプの航空機の構造と材料、性能、建造法、操縦法などが具体的に記されている。今日の物理学でタキオンとして知られている超光速粒子を電気に変え、三相交流モーターで超電導状態を実現して宇宙空問を飛行するこのヴィマナは、現在アメリカやロシアが必"死になって開発している""空飛ぶ円""盤""そのものである。"古代インドのヴィマナは空を飛ぶことができただけでなく、空中に停止することも、水上に浮かぶことも、水中を潜行することもできた。また、機体を取り巻く電磁場を操作することによって光を放射・吸収したり、雲や嵐を発生させることもできた。重力の問題をすでに解決していた古代インドの科学者は、あらゆる形の飛行機械をつくることができたばかりでなく、住居や都市、巨大な島さえも宇宙空間に浮かべることができたのである。これらの記述に似たことはインドの有名な叙事詩『マハーバーラタ』や『ラ!マヤナ』などにも記されており、今から三~四〇〇〇年前に、"クルの神々は""空飛ぶ島""ともいうべき巨大な宇宙ステーションとさまざまなタイプの宇宙船を持っていたことがわかる。インドの数多くの伝説は、紀元前八世紀の宇宙工学者マヤが周囲一万キュービット(直径一・五キロ、円周四・七キロ)にも達する星間宇宙船を造っただけでなく、カガナカーラ・サブハをはじめとするいくつかの巨大な宇宙都市や宇宙ステーションを造ったと述べている。『サマランガナ・スートラ・ダーラ』は、かつてブラフマンが造ったヴィラヤ、カイラサ、プシユパカ、マニカ、トリビスタパの五つの宇宙都市のことを伝えているが、この書物に紀元前9世紀のエジプトの墓に描かれたファラオの乗り物.現代のカプセル型宇宙船と燃料ロケットそっくりの形をしている。
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よれば、クベーラ(金比羅)の宇宙都市プシュパカは五五〇キロ×八○○キロという信じられないような規模を持ち、銀河系でひときわ美しい輝きを放っていたといわれる。インドとは別に、古代のアンデスやメキシコに高性能の飛行機械があったことは一九四〇年代以降、中南米の各地で進められたいくつかの考古学調査と遺物の再評価から次第に明らかになってきた。一九五二年にメキシコ国立人類学研究所のアルバート・ルース・ルイリエル博士がパレンケの""碑銘の神殿""と呼ばれるピラミッドの地下で"発見した巨大な王の枢ひつぎの蓋石には、ロケット型の飛行機械を操縦する古代のパイロットの彫刻画がはっきりと描かれている。イギリスの航空技術専門家J.J・サンダーソン博士がパレンケの飛行機械の復元を試みたところ、それはエドウィン・グレイの考案したEMAモーター(従来とは異なるエネルギーを利用した無限に近い連続運転可能な電磁パルス式モーター、アメリカ特許番号第3890548号)の構造とよく似ていることが明らかになった。ということは、この飛行機械が現在でも実用化されていないタキオン駆動式の航空機であった可能性を物語っており、古代のメキシコにも宇宙船といえるものが存在していたことを示している。古代のアメリカ大陸にはマヤの宇宙船以外にも別のタイプの巨大な航空機があった。それは、中米のコスタリカから南米のコロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ペルーに到る地域から出土した大小二十数個の奇妙な黄金製品の研究から明らかになったものである。動物学者かつ考古学者として知られるイギリス海軍情報部のアイヴァン・サンダーソン博士をはじめ、ベル・ヘリコプターの設計者としても知られるアーサー・ヤング、世界最の大宇宙船を操縦するパレンケの飛行士初のロケット・パイロットであるジャック・ウルリッヒといった第一級"の専門家がこれらの""動物形態品"""を鑑定した結果、まちがいなく古代の航空機の模型であるという結論が出た。
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それらの航空機は現代のスペース・シャトルよりはるかに高度な性能をもった宇宙船といえるもので、インドの飛行機械と同様、空中から海中へ、海中から空中ヘスキップし、ジャンプできる機能を備えていたと報告されている。
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地球探検Ⅱ
地球から銀河へ旅立った神々
それでは、これら太古のムー文明の航空機は当時どのような形で使われていたのだろうか。中国に伝わる世界最古の地理書『山海経せんがいきよう』によれば、当時の飛行ルートはこうである。「アンデスのティアワナコ遺跡(ボリビア)から飛び立ったヴィマナは、イースター島に着陸し、そこから南西太平洋のトンガに飛行した。トンガからさらにニューギニア上空を越えてヒマラヤ山中の神々の地下の館 、古代ムー王国の地下都市シャンバラ(仙洞)ネットワークを目ざしたヴィマナは、当時ヒマラヤにあったシャンバラ(仙洞)と呼ばれるムー文明の都からヨルダンのバールベック宇宙港に立ち寄ったのち、さらにエジプトやガ!ナを経て、ティアワナコの宇宙港に戻った。」
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当時のヴィマナは地上に着陸するとき、ナスカ(ペルー)やソールズベリ(イギリス)、あるいはコーカサス山脈東麓のウスチウルト台地に描かれた地上絵を航空標識として利用していた。別の星と地球を往復するときは、アンデスやヒマラヤ、コーカサス山脈が大きな目印になった。"『山海経』にはこれらの山脈に""天""帝の下界の都""があり、神々の地下" の館(地下都市)が地上の航空標識やピラミッド、人造湖をともなって、世界各地に造られたと記されている。太古ムー文明の宇宙船は、地球の七つのチャクラに造られた地下都市から月や火星へ飛び立ったのである。太古ムー文明は、現在NASAが計画しているスペース・コロニー(宇宙植民島)をはるかに凌ぐ宇宙ステーションをいくつも持っていた。それらは月と地球の重力が均衡するラグランジュ・ポイント、特にNASAが注目しているL5ポイント周辺に造られたとみられる。そして、月のクレーターにはいくつかの月面基地が、また、クレーター内部には地球と同じように巨大な地下都市が造られていた。中国の古い記録には、宇宙飛行士の后 こうげいが恋人の常餓じようがとともに月へ向かい、月面上に立ったとき、「凍ったように見える地平線」が見えたので、そこに「大寒宮だいかんきゅう」を建てたと記されている。この常蛾は火星の人面岩として知られる航空標識のモデルとなったムーの女王とみられる。
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ムー文明はさまざまなタイプの宇宙船や宇宙ステーションを生み出しただけでなく、そこには超光速素粒子タキオンを利用した発電装置が作動する快適な都市が栄えていた。ティアワナコの太陽の門やトンガの太陽の門は、当時のタキオン発電装置の遺構とみられる。また、中米コスタリカの石球やオーストラリア、アフリカの各地に残る石球は、当時のタキオン照明装置の一部であろう。この時代は宇宙医学と宇宙芸術が栄えた時代でもあった。現在、ヨガや経絡けいらくとして伝わっている高度な知識は、当時の宇宙飛行士のために組まれた健康法の一部であった。この時代の医学が現代の医学よりはるかに進んでいたことは、アンデスやヨーロッパ、あるいはコーカサス、中央アジアなどの各地から出土した遺骨に見られる脳外科、心臓外科手術の成功例によって確かめられている。古代のアルメニアでは、現代のものにまさるとも劣らない手術用の鋼鉄製ピンセットをはじめとする各種の手術用器具が見つかっており、エジプト、ペルーでも歯科用のブリッジ、義歯などの使用が確認されている。芸術面においては、地球の各地で光と音のハーモニーを自然の中で再現する宇宙芸術(コズミック・アート)が実践されていた。アンデス高地のマルカワシや日本の中央高地には、当時の芸術劇場の跡がある。また、南極の厚い氷の下には火星の人面岩と同じような人物の絵が大地に刻まれているだけでなく、ブラジルのリオデジャネイロの近く、コロンビアのボゴタ周辺、メキシコのロルトゥン洞窟、日本の北アルプスの穂高岳その他には、自然の岩山を削り取って加工した神々の像が描かれている。このように進んだ当時のムー文明にあっては、宇宙船、宇宙ステーション、地下都市などの建造にレーザー光線や超LSIに代表されるスーパーテタノロジーが使われていた。その証拠としてプレ・インカのビーズ(穴の直径わずか○・三ミリ)やメキシコのモンテ・アルバン遺跡から発見された黄泉よみの神ミクトランテタトリの仮面(見方を変えれば、太古の超LSI回路図)などがある。また、この時代の地球上の各地にはさまざまな大模規構造物が造られた。その一例として、ギザの大ピラミッドがそびえ立つナイル河口の台地から西へ向かって、アフリカ大陸の西端モロッコまで築かれた総延長四〇〇〇キロに及ぶサハラ大運河の存在があげられる。この巨大な運河 の形は、ピリ・レイス地図と並んで有名なイブン・ベンザーラ地図に詳しく描かれている。
Image may be NSFW. Clik here to view. 大異変前のエーゲ海大異変後のエーゲ海
ユーカラの宇宙船今から二七〇〇年以前(放射性炭素C14年代法で一万二〇〇〇年以前)に栄えた以上のようなムー文明ーその痕跡は日本にもある。たとえば、ヴィマナと同じような航空機が日本のアイヌに伝わる叙事詩』ーカラ』にも登場する。そこには、カムイチセ(神の家)、カムイマウ(神風)、シンタ(ゆりかご)、フリ(星問宇宙船)というタイプの異なる宇宙船の存在が記されている。『ユーカラ』とは別に、茨城県の皇祖皇太神宮に伝わる『竹内文献』にも「天の浮舟」「天の鳥舟」と呼ばれた太古日本の宇宙船に関する記述が見える。同書には上古第三代天皇の時代に、れんげ北アルプスの蓮華城で大型宇宙船八隻と小型宇宙船一六隻が造られたこと、また当時、仙洞(シャンバラ)と呼ばれる地下都市が造られたことなどが記されている。また、第九代天皇の時代には、メソボタミアに大黒人山(デーグロト山目ジッグラト)と呼ばれる階段状のピラミッドが造られたという記述もみられる。
Image may be NSFW. Clik here to view. ユーカラ戦争地図(『謎の新撰姓氏録』徳間書店刊)
地球文化研究所の調査によれば、日本には三〇〇〇以上のピラミッド山があるが、北アルプス、奥多摩、干葉県の印旛沼と手賀沼の一帯、利根川流域のピラミッド山をつないでいくと、それぞれの地域には、なんと太古の宇宙船の設計図が浮上してくる!そして、当時の日本におけるヴイマナの飛行ルートさえ、次のように復元されている。縄文時代以前の飛行ルートのひとつは、南アルプスの農鳥岳のうとりだけ (約三〇〇〇メートル)から北アルプスの雲の平の上空黒部源流地帯の上空を越えて能登半島へ向かうものであった。農鳥岳のノトルとは、アイヌ語で〃岬への道""という意味を表している。"日本列島には、この飛行ルートに関連したピラミッドが数多く残されており日本アルプスの各地には今なお当時の地下都市の跡がある。われわれはこれまで、チャーチワードによって唱えられたムー文明の存在が、縄文時代以前の日本とどのようにつながっていたか十分に把握していなかった。が以上のような最近の調査結果を踏まえると、今から一万二〇〇〇年前に滅んだとされるムー文明は、紀元前八世紀まで栄えていた太古日本のグローバルな宇宙文明を、当時の飛行物体の愛称"ムー"にちなんで、別の形で表現したものだという結論に導かれる。つまり、太古日本のピラミッド・地下都市・宇宙船文明こそが、ムー文明の実態であったといえるのである。その昔、この美しい地球から銀河の彼方に旅立ったわれわれの祖先は、インドに伝わる世界最大の叙事詩『マハーバーラタ』によれば、シャンバラの王クベーラとシバの兄弟が築き上げたクル族(カラ族〉の偉大な宇宙文明を享受していた。
Image may be NSFW. Clik here to view. 東日流地底城(日本探検協会調査)
現在の日本人は、『マハーバーラタ』に登場するクルの大王ドリタラーシュトラ(シバ神の父親)が日本神話の国常立くにとこたちの神であり、『ユーカラ』の主人公コタンカラカムイ(国造りの神)でもあることを忘れ去って久しい。が、日本の各地に祀られている金比羅様は、太古日本のムー文明時代に活躍したインドの宇宙神クベーラにほかならず、京都の鞍馬山に紀られている魔王尊サナート・クマラも、シバ神の兄にあたるクベーラであることが今では明らかになっている(徳間書店刊『謎の新撰姓氏録』参照。)われわれの祖先がかつてこの地球上に築きあげていたムー文明は、アーリヤ人の侵入にともなう大戦争と異変によって、今から二七〇〇年前にことごとく滅び去った。けれどもわれわれは現代のサイエンスとテクノロジーによって当時のムー文明の輝きを再び取り戻そうとしている。今やわれわれ日本人は、かつての祖先が造りあげたムー文明の真相を解明することによって、かけがえのない地球を再び美しい星につくり替える責任と使命を担っているといえるのではないだろうか
[宇宙服土偶(遮光器しやこうき土偶)]
青森県を中心に、カムチャッカ・北海道から近畿に到る地域を治めた古代津軽王国(紀元前三世紀ころ)から出土する謎の土偶。宇宙飛行士の気密服にも似たその異様な服装に着目したロシアのA・カザンツェフが、一九五〇年代に、この土偶は太古に地球を訪れた異星人であるという説を発表して以来、世界各国の宇宙考古学者から注目されるようになった。日本のユーフォロジー(UFO学)の草分けとなったCBAインターナショナルの創設者・松村雄介の話によれば、アメリカ航空宇宙局NASAの専門家は、カザンツェフの仮説をまじめに受けとめて、この土偶をモデルとする宇宙服の開発に成功したという。紀元前の地球を治めた太古日本のアソベ王朝(いわゆる中国の夏王朝)の係籍を伝える『東目流外三郡誌』によれば、この土偶は紀元前三世紀にマケドニア(秦)に国譲りをした古代イヅモ王国(斉)の大王、オオクニヌシ(斉の王建)の化身である太古のアラハバキ神を表している。古代インドでアーラヴァカ・ヤクシャとして敬われた宇宙神ラーマの別名イシカが、『三郡誌」の中でもアラハバキの別名イシカ神として伝えられていることは、太古日本とインド(ティルムン)の深いつながりを示す一例として、重要な意味をもっている。
Image may be NSFW. Clik here to view. アンリ・ロートが「火星の大王」と名づけた太古日本のアラハバキ神(アルジェリア・タッシリ)
[エトルリアの宇宙船]
一九五九年にイタリアのフィオレンティーノで発掘された""モンタニョーラ"""(山)と呼ばれる工トルリア時代(前七世紀)の古墳は、その断面図を見ると、コロンビアの黄金模型の断面図とよく似ている。このことは、エトルリアの〃モンタニョーラ""が前七世紀ころ""まで実在した""フリ鳥""タ"イプの宇宙船をモデルにしたためではないかと考えられる。コロンビアの宇宙船の全長と翼長の比は、黄金模型から判断するとおよそ一六対一三であったことがわかるが、日本の伝説にみえるフリ鳥の翼の長さは一三尋ひろ(二三・六メートル)あったといわれているので、おそらく当時の。フリ鳥""宇宙船"の標準的な長さは一六尋(二九メートル)くらいであったと思われる。フィオレンティーノの古墳の全長が二八メートルあったと報告されていることは、この"""モンタニョーラ"""がフリ鳥宇宙船の実物大の模型として造られた可能性があることを示している。
Image may be NSFW. Clik here to view. 入古のヴィマナを形どった工トルリアの古墳
[エトルリアのロケット]
一九六一年にローマ市内のパラティーノの丘を発掘していたイタリアの考古学者は、この丘の内部に設けられたエトルリア時代の地下住居の壁に、ロケット.タイプの宇宙船が描かれているのを発見した。そのロケットは、現在のロケットと同じように発射台の上にあってケーブルで固定され、後部からガスを噴動して今にも飛び立とうとしている。ロケットの背景にはこの噴射ガスをさえぎるための防火壁も描かれている。
Image may be NSFW. Clik here to view. 太古の秘密を隠した口―マの丘
〔古代中国の宇宙飛行士]
中国の伝説によれば、大洪水以前、蕘帝に仕えた飛行技師后羿は""天の鳥""に"乗って宇宙空問に飛び出し、月面に降っ立って「大寒宮」を建てたという。王嘉が四世紀に編集した『拾遺記』にも""月への船""や""星の"間に浮く船の話が載っており、有名な屈原の「楚辞』には、彼がヒスイの戦車乗って、ゴビ砂漠から崑崙山脈の上空を飛び、航空測量した話が記されている。
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[サンダーバード]
アメリカのインディアンが昔から信奉している鳥。サンダー・バード(ThunderBird雷鳥)は、その名からもわかるように、稲妻と雷鳴をともなって天に羽ばたく巨大な鳥で、ふだんは高い山の上か雲の中、あるいは地下の洞窟にひそんでいるが、インディアンが滅亡の危機に瀕したときには救いに現われると信じられている。コロラドからニュー・メキシコにかけて住むホピ(穂日)族は、彼らの祖先がかつて宇宙的な規模の異変に遭遇したとき、この鳥に乗って故郷の星から地球へやって来たことを伝えている。北米の太平洋岸に住むキラウト族も、氷河時代の到来とともに餓死しそうになった彼らの祖先を救ったのはこの鳥だったと次のように伝えている。やがて天空に稲妻が光り、雷鳴がとどろき渡ったとき、彼らは雷の音とは違ったもう一つの音が、何かが回転しているようなブーンという大きな音がするのを耳にした。それは太陽の沈む西の方角からやって来た。彼らは太平洋の彼方から巨大な鳥の形をした物体が近づいてくるのを目撃したのである。その鳥の翼の長さは、彼らの戦闘用カヌーの二倍ほどもあった。目は炎のように赤々と輝いていた。そしてこの鳥は、一匹の大きな鯨を生きたまま腹にかかえていた。彼らは驚きのあまり身動きもできず、ただ唖然"とするばかりだった。""サンダー・バード""は彼ら"の目の前にその巨大な鯨を降ろすと、天高く舞いあがって消え去った…。アメワカのインディアンが伝えるサンダー・バードは「戦闘用カヌーの二倍ほど」もあり、「鯨を生きたまま腹にかかえていた」と言われているので、その全長と翼の長さは日本の""フリ""鳥""とほぼ同じである。"しかもこの鳥はアメリカ大陸の「西の方角」から、「太平洋の彼方」から飛んで来たと伝えられているので、日本からやって来たと考えてもおかしくはない。なぜなら、日本のアイヌは、ポロシリ(poro-siri大きな山)のふもとにフリ鳥が一二〇機もあったと伝えているからである。
Image may be NSFW. Clik here to view. 鯨をつかむ北米インディアンの伝説の鳥サンダーバード
山海経せんがいきよう
中国に伝わる世界最古の地理書。今から三五〇〇年前に夏王朝を開いた伝説の帝王、禺うが大洪水ののちに作成したといわれる世界地図の解説書によれば、縄文時代の日本には拘縷こうえい国=九州島、"肢踵きしょう国=中国・四国地方、""胡不興よ国=近畿以東の本州島、粛慎国=北海道島以東の四つの国、ないし跂踵国が二つに分かれた叔歝国=中国地方と大踵たいしよう国=四国島の五つの国家があったこれらの国家は、北海道の粛慎国を除けば、今から三五〇〇年以前に湖る三皇五帝時代の世界の王、顓頊せんぎよくこうよう高陽帝が若水(和歌の水、アイヌ語でワッカ""聖なる"水〃が流れる川)と呼ばれた紀伊半島の紀ノ川の流域に建てた胡不與国に始まる。大洪水以前の時代の胡不與国の都は、同書によれば、最初、紀ノ川下流の和泉葛城山の麓、和泉市父鬼町から葛城山を越えて粉河こかわ町へ向かう途中にある中津川の丹布津比売神社のあたりにあった。われわれは今、平安時代に空海が開いた真言宗の本山、高野山の金剛峰寺の近くにある富貴の地に、もう一つの丹生津比売神社を捜し出すことができる。が、富貴の高野山にあるその丹生津比売神社の元宮は、父鬼の高陽山(和泉葛城山)のふもとにある中津川の丹布津比売神社だったといわれている。このことは、現在のわれわれがなにげなく親しんでいる富貴の高野山が、もともとは父鬼の高陽山に由来していることを意味している。と同時に、高野山という名前が、かつて紀伊半島の父鬼の山のふもとに都を定めて全世界を治めたと伝えられる額碩高陽帝の胡不與国の名にちなんでいることをも示している。中国の『史記」や、『准南子えなんじ』その他の記録をひもとけば、今から三五〇〇年ほど前に胡不興の地から全世界を治めた顓頊高陽帝は、そのころ地球の支配権をめぐって彼に反旗をひるがえした共工氏や三苗の賊徒と戦ったとき、紀伊半島の地下深く造られた玄宮にたてこもって彼らの反乱を鎮めたことが明らかになる。われわれはこれまで『墨子」に「三苗大いに乱れ、夜、怪しげな日出づ。三日の間、朝、血の雨降る…高陽、玄宮(地下都市)にあって禺に三苗の征伐を命ず……」と記された高陽帝の地下都市が、この日本の、紀伊半島にあったとは夢にも思わなかった。けれども、歴代中国の皇帝たちが意味もわからず大切にしてきた『山海経」の中には、現在のわれわれがとうの昔に忘れ去ってしまった太古地球の驚くべき秘密が、それこそ山のように記されているのである。『山海経」を正しい観点から読み直せば、これまで長い問、ヨーロッパと中国の「正統派」の学者によって構築されてきた紀元前の世界史と世界地理が、いかに多くの虚構でおおわれているか、一目瞭然となる。従来の学説は、紀元前に実在した地球規模の異変をまったく否定し、世界各地に残された当時の異変に関する古い言い伝えや記録をほとんど無視して組み立てられているため、いまだに「山海経』に記された太古宇宙文明の真相をつかみきれず、当時の高度な文明の遺産を見過ごしているといえる。
Image may be NSFW. Clik here to view. 中世のゲルマン人と中国人が想像した『山海経』の怪物の一部
[空飛ぶ蛇]
フェニキアの歴史家サンクニアトンが、卜ロイ戦争の時代(前八世紀)以前に目撃したファラオの乗り物。彼が残した『フェニキア史』によれば、この""蛇"""は.鷹""のような声と""光り輝く""外観をもって""あらゆるものを照らし""、""何ものも越えられないスピード""で空を飛び、ひとたび上空に""螺旋""状の弧を描いて""息〃を吐けば、""望みどおりの速度〃を得ることができる飛行機械だったと記されている。この飛行機械は古代の中近東で、ナール(炎の柱)と呼ばれたファラオの宇宙船をさしている。それは図のような形をした潜水艦型の宇宙船で、頭部に二個の"""眼""をもち、赤から青へと"色を変えて空に飛び立った。"""偉大な鷹""とも呼ばれたホルスが地下基地から飛び立つさまは、エジプト第二〇王朝のファラオであったラムセス九世の墓の中の壁画に描かれている。当時の地下字宙基地チュアトのようすは、第十九王朝のセティ一世(前八世紀の初めころ在位)の墓室の内部にさらに詳しく描かれている。従って、エジプトの王墓に残された絵やピラミッド・テキストが古代に実際にあったことを記したものであるなら、前九世紀から前七世紀頃まで、エジプトには本物の宇宙船があったとみなさなければならない。前九世紀の終わり頃アメンホテプ四世とツタンカーメンに仕えた第十八王朝エジプトの太守フヤの墓に、カプセル型の司令船を搭載したロケットの壁画が残されていることは、当時の飛行機械が現代の宇宙船と同じものであったことを示している。前七世紀の初めにエジプトを支配したエチオピア王ピアンキ(第二五王朝のファラオ)は、ヘリオポリスの聖所にこの頃まで安置されていた太陽神アトンの宇宙船"""セクテット""をその目で実"際に見たとも記されている。
ピアンキは、へト・ベンの聖所で父なるラーを見た。マアトを見た。セクテットを見た(ピアンキ王碑文)。
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雲ノ平(富山県/伊藤誠一撮影)山海経に記された太古目本の国家葦獄山ピラミッド(広島県/西脇要撮影・有貿訓提供)
Image may be NSFW. Clik here to view. 「空飛ぶ蛇」「龍」とよばれた葉巻型宇宙船その内部構造
フリ鳥
ユーカラに登場するフリ・ハヨクペの別称。フリ鳥は、北海道の日高地方ばかりでなく網走や後志でもよく知られていた。網走のタンネシリとピツトカリの問にあるピシュイの"岩穴にはかつて""ヒウリ"""という鳥が住んでいたと伝えられているが、その鳥はとがったくちばしと蛇のような目をもち、二十数メートルもある翼をもって突風を巻き起こすかと思えば、胃袋を突き刺すようなカン高い金属音を発して空を飛んだともいわれる。この巨大な鳥は東北地方でも知られており、秋田県の尾去沢の奥にある大森山は、その昔、全身が金と銀の羽毛でおおわれ、蛇の頭と牛の胴、一三尋ひろ (二三・六メートル)の大きな翼をも"った""火の鳥""が落ちてき"たところだと伝えられている。しかもそればかりではない。岐阜県中津川市の郊外にある苗木の丸山神社の境内には、伝説のフリ鳥を形どったとみられる巨岩さえある。地元で天然記念物に指定されているこの岩は高さと幅が約五メートル、全長がおよそ一五メートルほどあり、その形が魚のフナ"に似ているところから""フ"ナ岩〃と呼ばれている。それを注意深く観察すると、"この岩は""天の鳥船""を形"どった人工の船岩ふないわであることがわかるだけでなく、三角形の翼を補ってみるとその長さは二〇メートルくらいになり、実物大の模型だったと考えられる。そしてこれとほとんど同じ形をした純金の模型がボゴタの黄金博物館にあることはきわめて重大な意味をもっている。つまり、東北の伝説や北海道の叙事詩に"現れる""火の鳥""""フリ鳥"""は、ペルーの大地に描かれ"た""ハチ鳥""や""シャチ""、""あるいはコロンビアの""魚"""と同じ星問宇宙船であったことを意味・しているのである。
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コロンピアの宇宙船の多くが、日本の伝説に語られているとおり、蛇のような頭と牛のような胴をもち、黄金の翼と羽毛をもった鳥として模型化されていることは、日本のアイヌ伝説にしばしば登場するレプン・カムイ(沖の神)、すなわち天から降りてきて海を守る"神となった""シャチ""がア"ンデスの宇宙船とその飛行士でもあったことを物語るものだ。"古代目本のアイヌが""フ"リ〃と呼ばれる宇宙船以外"にも""シンタ""(ゆりかこ)""や、""カムイ・マウ""(神風)""といった飛行機械や""ミン""タル""(楽園)ヶカマ""(扁盤)"と呼ばれる大小の円盤、〃チランゲツンブ〃(天から降りてきた家)と名づけられた宇宙ステーションなどをもっていたことは、数多くのアイヌ伝説や叙事詩にみえている。北海道の洞爺湖周辺には、マヤ語でククルカンと呼ばれアステカ語でケツァルコ"アトルと呼ばれた""羽のあ""る蛇""、オヤウ・カムイ(葉"巻型宇宙船とその乗組員)の話も伝えられている。
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[フリ・ハヨクペ]
アイヌの叙事詩『ユーカラ』に「鷲鎧わしよろい」として登場する次のような宇宙船。その時鳥の翼の音が聞こえてきたので頭をあげて大空を見るとよもやわれ(ポイヤウンペ)が見ることはあるまいと思っていたあの巨大な鳥が黄金の""フリ鳥""があらわれたその大きな鳥のくちばしは槍のように長くまた、くちばしの先にはルカネスルクが光り輝いて足の爪はまるでクマデの束のようであり爪の先にもスルクが光り輝いているそして、わが頭上にはば"たく黄金の""フリ鳥""からわれにむかって若い女の声が聞こえてきたのである「私のコタンの名はペップトゥ……(私は兄の指令に従ってあなたを助けに参りました)兄が申しますにはアトゥイヤ姫がシヌタプカの神の勇士を魔神の国へ連れていこうとしておりいかなる勇者といえども鎧なしに魔神の国へ連れていかれたら危険であるから"この""フリ鳥""という神"の鎧をあなたに授けてくるようにとのことですさ、早く、早く神の鎧を身につけてください」という女の声がしたかと思えばみるみるうちにフリ・カムイの神のふところが開いて朝日の輝きにも似た光を放つ可愛らしい乙女が姿をあらわしわれにむかって降りてきたのであったこれは何という喜び"さっそくわれは""フリ鳥"""の鎧のふところに入りこみアトゥイヤ姫なる魔女のあとを追って大空高く飛びたったことをわれは思いだすここで物語られた""フリ""鳥""はこれまでのアイヌ学"者が考えてきたような鳥科の鷲ではなく、インドのハリユピア(ハラッパー)と同じ地名をもつハヨピラ(北海道日高支庁平取町の旧名/アイヌの英雄オキクルミの降臨地)の宇宙港にあった古代の戦闘用飛行機械である。
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それはインドのガルーダが超近代的な兵器を装備していたようにルカネスルク(水銀の毒)やスルク(毒)をくちばしと爪先に備え、ふだんはフリ・ポール(地下宇宙基地)に翼を休めて隠れているが、疾風が吹きだすとそこから風に乗って外の世界に舞いあがり、天をおおうまでに大きな翼を広げて太陽の光をさえぎったと"伝えられている""鳥""であ"る。この鳥のふところにあたる胴部が開いて中から若い女性が現れたり、主人公がフリ鳥の鎧をまとって戦場に飛び立ったというユーカラの伝承は、明らかにフリ鳥が人問の手になる飛行機械であったことを示している。
[ユーカラの宇宙船]
一九六九年にアポロ一一号が月面着陸に成功して以来、NASAの科学者たちは月面にある人工建造物のいくつかが地球の古代文明とつながりをもっていることを発見した。『チャイナ・リコンストラクト』誌(一九六一年八月号)は、今から三千数百年前に中国の后葬が月に゛大寒急宮"を建てたことや、常蛾が月世界を訪問したことを王嘉の『拾遺記』(四世紀)その他から推測したが、NASAではすでにこのことを月で確認し、当時の中国の星間宇宙船"鵬"が中南米の宇宙船やインドのガルーダ"とどんな関係をもっていたか、具体的な調査を進めているはずである。インドの『ヴィマニカ・シャストラ』に記されたヴィシュヌの飛行機械ガルーダは、自らの意志(自動制御装置)をもって行動し、水中から空中に駆けあがることもできたばかりでなく、月まで飛んでいける"火の鳥"だった。そのガルーダはエジプトでフェニックス(不死鳥)と呼ばれ、北欧でフレースヴエルグとして知られ、アイヌの叙事詩『ユーカラ』にフリ鳥として登場する宇宙船である。古代日本と中国のフリ(鵬)がシャチ(鯱・鯤)の形をした星間連絡船であったことは、この宇宙船がアンデスの飛行機械と同じものであることを示している。ナスカの地上絵で有名なペルーのパンパ・コロラダに日本のシャチと同じ形をした地上絵が描かれ、パンパ・コロラダから日本のフリ鳥と同じシャチの形をした容器が出土し、アンデス一帯に"空飛ぶ神々"や人間アイヌを乗せた鳥チリ、鳥人と"空飛ぶ島〃の伝説が広くゆき渡っていることは、古代の人間が確実に空を飛び、コロンビア号以上のスペース・シャトルと宇宙ステーションをもっていたことを意味している。
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〈参考文献〉
ムー大陸の子孫たちチャーチワード大陸書房
失われたムー大陸チャーチワード大陸書房
太古の宇宙人デニケン角川書店
NHK大英博物館ーメソポタミア・文明の誕生 吉川守/NHK取材班日本放送出版会
アフリカーライフ人間世界史 ジェリー・ユーン(編集長)タイムライフブックス
アンデス文明-石器からインカ帝国まで L・G・ルンブレラス岩波書店
世界最後の謎ー失われた文明を求めて リーダーズ・ダイジェスト社
別冊歴史読本1993年4月号 古代日本人の大航海と謎の末解読文字 新入物往来社
歴史Eye1993年8月号ムー大陸はどこへ消えた?日本文芸社
歴史読本(1991年3月号) 異端の神々と謎の古代文字 新人物往来社
沈黙の世界エトルリア・ローマ・ポンペイ 野上素一/金倉英一新潮社
LE LIVRE DES MAITRES DUMONDE R CHARBOUXE Roberto Laffont
タッシリ遺跡ーサハラ砂漠の秘境アンリ・ロート毎日新聞社
洞窟の壁画H・キューン旺文社
先史への発掘H・D・カールケ大陸書房
古代人の遺言ウイリアム・フィクス白楊社
宇宙人伝説ビーター・コロジモー大陸書房
イースター島の謎 A.ユンドラトフ講談社現代新書
混沌時代(上) I・ヴェリコフスキー法政大学出版局
人類が神になる日E・V・デニケン佑学社
OEDIPUS ANS AKHNATONZヴェリコフスキー
D&C INCOSVIKINGS NOBRASIL Jacques de mahien francisco alves L`ENIGME DES ANDES Roberto Laffont ギルガメシュ叙事詩矢島文夫山本書店
太古史の謎アンドルー・トマス角川文庫
幻のアトランティス伝説アンドルー・トマス 二見書房
失われた大陸E・B・アンドレーエヴァ岩波書店
人類は核戦争で一度滅んだ デヴィッド・W・ダヴェンポート学研
第10番惑星に宇宙人がいたゼカリア・シッチン 二見書房
失われた惑星文明ジョン・A・キール大陸書房
インカ帝国 泉靖一岩波新書
謎の地底王国アガルタ 高橋良典 徳間書店
宇宙から来た遺跡 南山宏 講談社
太古日本の王は世界を治めた 高橋良典 徳間書店
太陽の息子たち~失われたアマゾン文明 マルセル・F・オメ大陸書房
歴史としての聖書ウエルネル・ケラー 山本書店
日本神代文字古代和字総覧吾郷清彦大陸書房
歴史Eye(1992年8月号)~邪馬台国の謎日本文芸社
ギリシアの神話英雄の時代 K・ケレーニイ中央公論社
MU(1980年11月号、no7)大推理古代核戦争の謎学研
UFO事典 南山宏 徳間書店
中米古代文明の謎B・グリヤエフ大陸書房
美術の始源 木村重信 新潮社
HISTOLIRE INCONNUE DES HOMMES Roberto Charroux Roberto Laffont
LE LIVVRE DU PASSE MYSTERIEUX Roberto Charroux Roberto Laffonto
先史への宇宙船ピーター・コロジーモ大陸書房
謎のアガルタ宇宙文明高橋良典監修自由国民社
人類は核戦争で一度滅んだ 高橋良典監修 学研ムーブックス
謎の新撰姓氏録 高橋良典 徳間書店
日本とユダヤ謎の三千年史 高橋良典編著 自由国民社
世紀末の黙示録 高橋良典訳 自由国民社
大予言事典悪魔の黙示666 高橋良典 学研ムーブックス
諸世紀の秘密 高橋良典 自由国民社
ムー大陸探検事典
監修者高橋良典 編著者日本探検協会
発行者櫻井道弘発行所廣済堂出版
〒107東京都港区赤坂6-17-5電話03(3584)7610
(営業)03(3584)6123(編集)振替東京8-164137印刷所株式会社廣済堂
く編集担当>新藤恵美子
PrintedinJapan◎1993
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定価は、カバーに明示してあります
落丁・乱丁本はお取替えいたします
ISBN4-331-00624-7CO240
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