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【道州制への道】きょう解散表明 小池新党、150人擁立目指す

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9/25(月) 7:55配信

産経新聞

会談後、取材に応じる小池百合子東京都知事=24日午後、東京都新宿区(宮崎瑞穂撮影)(写真:産経新聞)

 ■こころ・中山代表合流へ 現職副大臣も

 安倍晋三首相は25日午後、首相官邸で記者会見を開き、28日の臨時国会冒頭での衆院解散を表明する。衆院選は10月10日公示-22日投開票となる。そんな中、東京都の小池百合子知事が、側近の若狭勝衆院議員が結成する新党「希望の党(仮称)」から候補者150人の擁立を目指し、急ピッチで準備を進めていることが分かった。小池氏らは首都圏選出の民進党議員を中心に次々と新党参画を持ちかけており、衆院選を目前に政界は一気に流動化する公算が大きい。

 自民党の福田峰之内閣府副大臣(53)=衆院比例南関東=は24日、若狭氏と都内で記者会見し、新党から出馬する考えを表明した。若狭氏は「考え方が一致するなら自民党の人が今後も新党に加わる可能性がある」と述べた。

 日本のこころの中山恭子代表(77)=参院比例代表=は24日、小池氏と都内で新党入りに向け協議し、憲法改正や拉致問題などの理念・政策の一致を条件に掲げた。小池氏は回答を留保したが、若狭氏は記者団に前向きな考えを示した。

 日本のこころでは、中山成彬元文部科学相ら前回選挙で落選したメンバーや地方議員ら約10人が新党から出馬の意向を示している。参院議員の中野正志幹事長は合流を拒否したという。

 ◆民進・松原氏ら検討

 民進党の松原仁元拉致問題担当相(61)=衆院比例東京=は24日、新党参加を検討していると周囲に明らかにし、柿沢未途衆院議員(46)=東京15区=も25日の後援会会合で離党するかどうかを表明する。

 複数の関係者によると、小池氏は9月中旬から新党構想を一気に加速させた。周囲に「150~160人を擁立させる」と語ったという。小池氏が切り崩しを狙っているのは、(1)日本維新の会から分裂した旧次世代の党(2)首都圏を中心にした民進党(3)旧みんなの党-の国会議員や元国会議員、地方議員ら。首都圏だけでなく関西や九州でも幅広く候補者を擁立する。

 切り崩し工作は、民進党出身の細野豪志元環境相や長島昭久衆院議員、旧みんなの党代表の渡辺喜美参院議員が担っている。ある民進党議員は、細野氏に「新党に入らないなら選挙区に対抗馬を立てる」と脅されたという。

【関連記事】 麻生太郎氏の「武装難民来たら射殺するのか」発言に左派団体や識者ら猛反発 日本のこころ・中山恭子代表が「小池新党」参加へ 夫の中山成彬元文科相も 福田峰之副大臣が新党参加表明 「社会望む人材出したい」 自民離党へ、若狭勝氏と会見 谷垣氏後継の衆院京都5区 地元府議擁立へ 衆院解散決断は米朝対立と「週刊新潮」 朝日と“共闘”目立つ「週刊文春」

最終更新:9/25(月) 8:16
産経新聞


【政治家自体も新党を求める理由】日本の総理大臣、各政党の正体 安倍総理の言ってる事とやってる事が真逆な理由

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日本の総理大臣、各政党の正体 安倍総理の言ってる事とやってる事が真逆な理由

【暴力との癒着】今度は野田聖子に即●級の文春砲発射!野田聖子の知られざる正体! #野田聖子 #週刊文春 #新谷学

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今度は野田聖子に即●級の文春砲発射!野田聖子の知られざる正体! #野田聖子 #週刊文春 #新谷学

【道州制への道】民進・松原氏が離党届、新党入り表明 末松氏も検討

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9/25(月) 11:47配信

朝日新聞デジタル

 民進党の松原仁・元国家公安委員長(衆院比例東京、当選6回)は25日、同党に離党届を提出し、東京都の小池百合子知事が支援する若狭勝衆院議員らが設立する新党入りを表明した。28日の衆院解散を前に、低迷する民進から新党へ離党する流れが強まっている。

 松原氏は25日午前、離党届を党本部に提出後、記者団に「小池さんがつくる新党に加わる決意をした。今の政治を変えるには新党のダイナミズムが必要だ」と語った。

 また、民進の元衆院議員で衆院東京19区から立候補を予定している末松義規・元復興副大臣も25日、離党を検討していることがわかった。関係者によると、一両日中に表明する意向で、新党への参加を希望しているとみられる。

朝日新聞社

【関連記事】 衆院、解散・総選挙へ 「活火山としてのダイナミズム」松原氏、新党合流を説明 大村知事、新党にエール「小池さんの動き、歓迎すべき」 民進・松原氏が離党届、新党入り表明 末松氏も検討 自民・福田峰之氏、離党届を提出 新党から立候補へ

最終更新:9/25(月) 12:33
朝日新聞デジタル

調和と平和への道~真理が明らかにされる時代

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神道では、極まりない世界をあえて圏(○)で顕し、その中心を一点(・)であらわした形象を鑑とし、「神ながらの道:在るがままの道」としています。

       

  世界中同根で、全ては真ん中の一点、始まりであり終わりであるところ(真理)に根源があります。

孔子の孫・子思の「中庸」に・・・天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。 《解釈》天の命ずるをこれ性と謂う。 性に率うをこれ道と謂う。 道を脩むるをこれ教と謂う。

【性】人間本来の霊性(唯一絶対の根源創造主の分霊)

【率】全体をまとめてひきいる。「率先引率統率」、したがう。「率土(そっと)・率由」、あるがまま。「率直真率

【道】一点、真理

《解釈》中庸の始めに、「天命とは性(霊:唯一絶対の根源創造主の分霊)に在り、その霊を率いるは道(一点すなわち真理)である。道を修める(習得)を教(学問)という。」と掲げています。

《総括》中庸すなわち人の至れる仁・智・勇とは、極まりない世界を率いる真理を得て、修道しその玄妙で荘厳な使命を実践することにある。

 

キリストは、ヨハネ 福音書14章6節 「わたしは道であり、真理であり、命(性命:いのち)である。わたしを通らなければ、だれも父のもと(天国)に行くことができない。」キリストが十字架で磔(はりつけ)された形象の意味は十字架(一点)が道であり真理であリ、真理によって3日後(3期:青・赤の時をへて白の時、今の時期)に復活する(アセンションし永遠の命を得る)こと伝えてきました。古来「十字」は顔面で切り、真理はその顔面のタテヨコの交わる一点であることを伝えていたのです。

深い意味の一つには、ゴルゴダ(頭蓋骨:しゃれこうべ)で行なわれたキリストの処刑では、人の両眼を意味する2人の泥棒が処刑されたことになっています。「汝姦淫するなかれ!」の姦淫はその目で色(淫欲)を見ることが根になっていることを戒めています。その色の世界(2元世界)から脱することが出来るのは「道であり真理」であり「十字架」であると示されたのです。

仏教の「正法眼蔵」と「色即是空」もまったく同じ意味になります。みなさんの存在を「未来仏」あるいは「如來(にょらい):來るがごとし」と尊崇してきました。

【來】十の文字に人の文字が3人の形象です。

【如】女辺に口の形象です。老子・道徳経に「玄牝之門」という「真理」の玄妙な表現があります。学説では新しい命を生む「女性の性器」になぞらえています。

 先史の女神像

儒教に「三人同行すれば必ず我が師あり」三人で行いを共にすれば必ず自分にとって師とすべき者がいると解釈されていますが、「來」の字で表わしているように三人の内の真中の人それが「師」でありキリストであり、真理を得たあなた方の近未来であります。長く深く歴史の中に秘蔵し全宇宙の神々がみなさんに信託する真髄であります。

今日は真理が明らかにされる時代になりました。それはまた、みなさん方聖賢が登場する舞台になります。その時、天は非常に危険な物事をこの世に下されました。天が降ろしたと云うよりも、人の心が人間の世界を危険な世界にしてしまったのではないでしょうか?この時に目覚めた人が出て来て、世界が難儀にあったこの動向に乗じて、この非常時を突破して、新天地、新世界を築いて行こうではないかといった人が出てきます。それは誰でしょうか?それは聖賢たる人達です。

ポジション・地位とは聖人の大宝であり、聖人はその位を尊び大切にして使命を全うします。ところが凡人はその地位を得て、その権力に乗じて貪り、私腹を肥やしてスキャンダルで、その地位から追い出されてしまって辱をかくのは道に背いたからです。

今日、時は至りました。艱難に遇ったときには、その時に応じて適切に道を行ないます。村の人を大事にする、町の人を大事にする、国の人を大事にする、至っては世界の人をも大事にしなくてはいけないと云った考えがなくてはなりません。

今日、道に親しむ熟達者は、昔の聖人・賢人に学んで愛の心と義の心を固めて、責任を全うしていかなければならないのです。勿論、熟達者としての地位を頂いていることは、かたじけなくこの上ないこと光栄なことであり、私たちはいかなる難儀に遭おうとも心を動揺させることなく、誠で処理すれば、天は私たちに援助を与え、このネックを突破することができるようになります。

ある人が問うに…「最も困難な誡めは何か?」するとキリストが答えられました。「全ての心、全ての意、全ての霊で、あなたの主である。唯一絶対の天地創造主【上天】を愛し、その上、己を愛するように他人を愛しなさい。」と云うことです。

もし、無我で奉仕する心がなかったら、いくらお祈りしても天地に通ずる理由がありません。また、自分や他人の霊を救うこともできません。

何故なら上天は私達の心の中にあり、又、神が創造なされた一切の物の中、一匹の虫、一匹の蟻の中にも神が宿っておられるからです。

ただ、本当に自分を忠実に愛することのできる人だけが人々の最も必要とするものを与えことができ、人々の霊体を愛して護ってあげることができるのです。そして何時何処にいても心の忠誠を失うことがないようにすることが肝要です。

古の聖人は、天下の未来の変化を予知しておられ、それは人間の知識で円満に治めることの不可能であるということをよく心得ておられ、それらのことは法律や技術で制御することは出来ず、私心で良心に恥じた計画ではなくて、至誠によって、大徳を用いて天にその心結び、天がその徳をかえりみること、恰も、お母さんが赤ちゃんを見守っているようなものであってはじめて人間らしい世界に戻ってくることができるのです。

ある先人の言葉より

 

<小池知事>国政新党「希望の党」代表に

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9/25(月) 14:40配信

毎日新聞

新党の名前を発表する東京都の小池百合子知事=都庁で2017年9月25日午後2時31分、西本勝撮影

 東京都の小池百合子知事は25日、臨時記者会見を開き、知事職にとどまったまま、自らが中心となって国政新党「希望の党」を設立すると発表し、新党の代表に就任する考えを示した。

【図解】衆院解散をめぐる各党の思惑

 小池氏は「(新党は)私自身が立ち上げる。国政に直接、絡んでいきたい。都政はしっかりと行う。都政に磨きを掛ける上で、(国政に関与することは)都政にとってもプラス」と述べた。【円谷美晶】

【関連記事】 <小池知事>関係者、動向に疑心暗鬼 国政復帰?新党関与? <若狭勝・衆院議員 小池新党構想を激白>「国会議員の半数を“女性”にする!」 <「小池新党」研究 「薩長同盟」「倒幕」の心得>細川護熙・元首相 特別手記 <細野氏>全国で候補擁立「政権政党目指す」 9月結党シナリオ 小池百合子はこう動く!

最終更新:9/25(月) 14:56
毎日新聞

小池都知事が会見「希望の党」立ち上げ発表|動画ニュース JNN

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小池都知事が会見「希望の党」立ち上げ発表|動画ニュース JNN

バシャール:気づき

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2017-09-26 01:48:09 NEW !
テーマ: よく貴方達は、ガイドとのコネクションを強化するにはどうしたらいいのでしょうか?またはメッセージをもっと送ってもらうにはどうしたらいいのでしょうか?と聞いてくる人がいますが、それは実際見当違いな質問であるとバシャールは話しています。つまり貴方達は”既に”それらのコネクションもメッセージも受け取っている事にあるからです。覚えて置いてください、貴方の希望は貴方が望んだ瞬間に波動の世界に誕生しています。ですから貴方がする事はたった一つ、その波動を受け止める事だけなのです。

貴方達は次にこう言うかもしれません。”その波動の在処がどこだかわかりません。どこで見つけるのでしょうか?”と。そこでバシャールはこう続けます。”自分に注がれるエネルギーやメッセージやコネクションに対して、もっと『気づけるようになりたい』”という問いが一番マトを得た問いだと言えます。従って、既にあるコネクションに気がつくには、貴方の波動を上げる事=意識を広げる事=自分の持つキャパを上げて、もっと波動に対する感度を完成させる事だとお答えする事ができるのです。

波動に対する感度を上げるには、まず『今ここの貴方が理解する自分』はごく一部の自分であるという事。もっと無限大に大きな自分が存在し、その『未知なる自分』をこれからもずっと置い求める旅をする目的を持っているという事。そして何よりも自分は永遠なる存在で、無限に成長して拡張してゆく存在である事を『真に』認めてあげる事から始まるのです。そうする事で貴方が進化して拡張する過程、拡張する先、拡張している自分自身について『気づき』を得る事ができるようになります。その『気づき』こそが波動の感度を上げる、直接なギアとなるのです。

 


世界最後の謎を解き明かす(ムー大陸探検事典) ~第5章 ムー文明の継承者・東大国と日本 : 高橋良典の仮説 Ⅱ

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第5章

ムー文明の継承者・東大国と日本

高橋良典の仮説II

 キンバレー山脈の岩壁に描かれた古代日本の帝王ラ・ムー  

ナスカ平原に描かれた地上絵 

チャーチワードは語るー「今から一万二〇〇〇年以前に栄えたムー大陸の住民カラ族は、イースター島からアメリカに植民してカラ帝国をつくると同時に、インド方面にも植民してナーガ帝国、ウイグル帝国などをつくった」と。彼の説く「ムー文明」がかつて宇宙規模の広がりをもつ「空艇文明」であったことは、のちに概説するとおりだ(第8章参照)。が、はたして、チャーチワードの仮説に登場するカラ族が世界各地にムー文明の都市をつくったというのは、考古学その他の学問から明らかにできる確かな事実なのだろうか。この点に関し、地球文化研究所の高橋は、ムー文明時代のカラ族が世界各地に雄飛していた当時の証拠を求めて、過去二〇年余り調査を進めていくうちに、以下に述べる貴重な手がかりをつかんだ。つまり、われわれは今のところムー王国の実在を直接的には証明できないが、『契丹古伝』という稀有の書物に記された東大国と、そこに登場するカラ族の存在を明らかにすることによって、間接的にムー王国の実在を証明できるのではないか、という見通しを得たのだ。

 「いさかひを避け、とこしへに温れむいのちを重ねしめよ」と記されたエクアドル地下都市出土の黄金の胸飾り

証拠1

大いなる『契丹古伝』

今から一〇〇〇年ほど前(九四二年)に遼の史官を務めた耶律羽之の手に成る王家の書『契丹古伝』は、.やまとふみししとさつかみすち『耶摩駝記』『氏質都札』『汗美須鍾』さいせいしようしよひ『西征頚疏』『秘府録』『神統志』『費みこくししんいんたいき彌国氏洲鑑』『辰殷大記』『洲鮮記』の九つの史料をテキストとして編纂されている。そこには、今日のわれわれが三〇〇〇年の時の流れの中で転変と流移の果てに忘れ去ってしまった、はるか昔の日本人の祖先の歴史が脈々と息づいている。『契丹古伝』の目的は、建国まもない遼(契丹)の王家がみずからの歴史的背景と正統性を明らかにしながら、漢民族の中原支配に抵抗する周辺諸民族の団結をリードし、鼓舞するところにあった。が、同書は結果的に、われわれ日本人が今となっては入手できなくなった、『耶摩胎記』をはじめとする八世紀以前の古代史料を駆使することによって、記紀や他の古史古伝から洩れてしまった渤海滅亡以前の高句麗・日本の太古史を明らかにしている.、同書がわれわれに垣間見せてくれる太古日本の歴史は、その内容があまりにも通説とかけ離れているため、これまで欧米や中国の学者が流布してきた世界史の常識に従えば、全くの空想としか見えない。が、『契丹古伝』によれば、われわれ日本人と契丹人の共通の祖先である東大神族の歴史は、過去三〇〇〇年にわたってエジプト、シュメール、インダス、黄河の地を次々に侵略してきたアトランティス人、つまり中あや国で漢人として知られる欧米の支配階級アッシリヤ人~アーリヤ人の手で抹殺され、改ざんされてきたという。つまり、われわれがこれまで教わってきた紀元前の日本と世界の歴史はすべて虚構であり、われわれの祖先の真実の歴史、カラ族(タル族)と呼ばれてきた東大神族がかつて地球のすみずみに築き上げてきた輝かしいムー文明の歴史は、アトランティス人(漢人~アーリヤ人~アッシリヤ人)の手で巧妙に流布されてきた歴史の通説にひそむ大ウソを暴かなければ明らかにできない、ということを同書は訴えているのである。はたして、『契丹古伝』に書かれていることは、全面的に信頼してよいものか。そこに記された東大国は本当に紀元前七世紀ころ、地球の大部分を治めた国だったのか。

 "幻の""東大国""首都分布図"

 東大国の主要都市リスト

中原の首都

鹿児島県川内平野の入来(いりき〉

東原の首都

アラスカ南部の州都ジュノー

南原の首都

ニュージーランド北島のマヌカウ

西原の首都

アフリカ南部のジンバブエ

北原の首都

カザフ共和国のケンピルサイ

神京

パキスタンのペシャワル

秦率母理京

オーストラリアのジランバンジ

離京

イースター島のホツイチ

海京

エクアドル海岸部のエスメラルダス

斉京

ケニヤのヒラッタスヒル

仲京

韓国迎日湾地区の高壇耶(かこや)

    サハラ砂漠に描かれた太古日アフリカに侵入したアトランティス(アッシリヤ)の同盟軍と戦うムー(カーリァ)の戦士たちサハラ砂漠の伝説の都イジュンハンの位置を示す地図

また、当時の東大国王スサダミコが歴史的に実在したとすれば、その証拠は、世界各地にどのような形で残っているのか。今、われわれが明らかにしなければならない疑問はあまりにも多く、一朝一夕には解決できそうもない。けれども、高橋は、彼自身の専門分野である古代文字の研究を通じて、今では『契丹古伝』に書かれていることが、ほぽ全面的に正しいのではないか、という見通しをもつようになった。『契丹古伝』に記された東大国の伝説の都をいくつか現地調査していくうちに、彼は、日本神話の高天原が東大国の中原地方(日本からインドに到る地域)に実在したことや、アンデス・ヒマラヤの奥地にムー文明の痕跡が残されていることを突きとめた。そればかりではない。以下に記すごとく、『契丹古伝』に書かれたとおりの「歴史の抹殺」が、奈良時代以前の日本で実際に行なわれた証拠をつかんだのである。

ムー(カーリア)との戦いを示すヒッタイトの壁画

抹殺された神代の記憶

一九九三年に遷宮せんぐうの大祭を二十年ぶりに迎えた伊勢神宮。その伊勢神宮の境内にある神宮文庫に古くから収められた史料は、奇妙なことに、漢字でも仮名でもない不思議な文字で書かれている。この由緒ある神社に源義経や平将門が残した歌、菅原道真や稗田阿礼が奉納した詩歌に、現在のわれわれが知らない文字が使われているのはなぜか。これまでわれわれが学校で教わってきた歴史によれば、古代の日本に漢字以外の文字はなく、漢字以前の文字もなかったことになっている。ところが、実際に古墳から出土しかめかんた鏡や、甕棺に副葬された弥生時代の遺物、各地の博物館に収納された縄文土器を丹念に調べてみると、それらの表面には、伊勢神宮の奉納文に使われているものと同じ文字が刻まれている。

新しい読み方:ヒツキヲアタヘム   従来の読み方:日之光天下大明見

鏡(模写)と解読結果(東京国立博物館蔵)この章で紹介したいくつかの例を見てもわかるとおり、漢字伝来以前にそれらの文字が使われたことは確かである。にもかかわらず、奈良時代に成立した『古事記』や『日本書紀』に漢字しか使われていないのはなぜか。

今日の学界では、江戸時代に本居から宣長が「上古文字なし」「漢ごころを廃せ」と主張して以来のしきたりに従って、古代の日本には文字がなかったことが通説とされている。が、事実に即していえば、古代の日本には縄文時代から文字があったし、漢字以外に旧字と新字の区別があったことは文献にもはっきり記されている(書紀・天武十一年の記載ほか参照)。宣長は『日本書紀』を軽視するあくだりまり、同書の天智六年の条に記された「築紫都督府」の設置とそれに伴う「漢字使用令」が、カラ心を廃してアヤ心(漢人あやひとのいつわり)を育てたことを見過ごしてしまった。再び事実に即していえば、古代の日本から神代の文字とカラ心が消されてしまったのは、六六三年の臼村江の戦いで、カラ族(日本)がアヤ人(中国)に決定的な敗北を喫したからである。つまり、われわれがカラ族固有の文字で記録された太古日本の輝かしい歴史をことごとく見失ってしまったのは、臼村江の大戦後、九州の大"宰府に進駐して日本占領軍司令部"""築紫都督府を設置したアヤ人ら(唐の軍人官僚二千余人/書紀・天智八年の記事参照〉の陰謀により、それまで使われてきた神代文字の使用を禁止され、漢字の使用を強制されたことが最大の原因なのだ。「築紫都督府」が唐の占領軍司令部を意味していることは、この時期にくだらこま日本とともに唐と戦った百済と高麗のそれぞれの都が、唐に敗れたのち、「熊津都督府」「平壌都督府」という、同じ「都督府」の名称で唐軍の占領管理下に置かれた例を見れば明らかに太古の秘密を記した宮下文献である。

この時代に、われわれはそれまで使ってきた固有の文字を公式の書物に用いることをやめ、神代文字で書かれた古史古伝を、『古事記』『日本書紀』のような漢字表記の書物に書き改めた。その結果、白村江の敗戦以前にわれわれの祖先が世界各地に雄飛していた記憶は、地名・人名の漢字化とともに次第に失われ、日本の有力氏族がかつてインド、ヒマラヤ山脈の麓にも高天原の都を定めて、アジアからアフリカ、アメリカ大陸に到る九州全土を治めていた時代の輝かしい歴史も徐々に失われてしまった。『契丹古伝』は、紀元前の日本人が、東大神族と呼ばれたカラ族(クル族)の一員として、紀元前のインドでもテイルムン(太古の目本)の高度な建築技術のあとを示すモヘンジヨダロ遺跡活躍していたことを伝えているが、当時の記憶は、九世紀の初めに万多親王らが編纂した『新撰姓氏録』という有力氏族の家系由来記に化石的な形でかすかに痕跡をとどめるのみである。

 

よみがえる高天原の神々

だが、この『新撰姓氏録』に残されたわずかな情報だけでも、われわれの祖先の失われた歴史を復元する上で、はかり知れない意味をもっている。例えば、そこには、京都の祇園祭りで有名な八坂神社の一族が、朝鮮半島から日本列島に移り住むはるか以前に中国大陸の久留(呉仔長江流域)にいたこと、その前はタイの川麻乃(チェンマイ)にいたこと、そしてさらにその前はインド東部の意利佐(オリッサ)にいたことが記されている。九世紀末に遣唐使を廃止して国風文化の復興につとめた菅原道真のルーツを『新撰姓氏録』に基づいて調べてみると、これまで実在したか確力めようのなかった日本神話の高天原の所在や、そこで活躍した日本の神々の実体がはっきりしてくる。

この書物から、われわれは、菅原一族の祖先の天神たち、初代の穂日(ホピ)や息子の夷鳥(イドリ)、末孫の鵜濡淳(ウジュヌ)らがインドのデカン高原を流れるゴダバリ河とナルマダ河の流域に住んでいたことを知るだけでなく鵜濡淳がウジャイン(ナルマダ河の北)の町に、夷鳥がインドーレ(ウジャインの東方)の町に、また穂日がボーパール(インドールの東)の町に拠点を定めて、これらの都市を建設したことが読みとれるのである(高橋良典著『謎の新撰姓氏録』徳間書店刊を参照)。そして、これから述べることが最も重要なポイントであるが、実際にわれわれ探検協会のメンバーがインドのデカン高原へ調査に行ってみると……。驚くなかれ、穂日の町や鵜濡淳の町はここにちがいない、と単に文献から仮説を立てたにすぎないボーパールやウジャインの古い寺院の壁や古城の敷石のいたるところで、われわれは、日本の神代文字で書かれた古代日本語の銘文を発見することができたのである(第6章参照)。このことは何を意味するかといえば、それは、菅原氏に代表される日本の有力氏族が、かつてインドのデカン高原サハラ砂漠の洞窟に描かれたムー(太古日本)の女王ガーナカン高原にいたことを示している。

そればかりではない。われわれがデカン高原の中心部にある有名なアジャンタ石窟寺院の最古の柱から写しとった刻文を、あとで高橋が解読してみるとそこには、伊勢神宮の古代文字で「クダハラマロ」(管原麻呂Vと読める寄進者の名が刻まれていたのだ。クダハラマロのタダハラ(管原)は、『姓氏録』によれば、菅原氏の元の氏族名である。そのクダハラ氏の男子の名がアジャンタにあるということは、いまや疑いようもなく、菅原氏の祖先がインドのデカン高原でも活躍していたことを証明している。

アジャンタの石窟に描かれた壁画そして、紀元前三世紀まで湖るアジャンタ石窟の創建者が菅原道真の遠い祖先であったといえるなら、天神の穂日や夷鳥たちが活躍したという日本神話の高天原は、まちがいなく、インドのデカン高原に実在したといえるのだ。一九九〇年に高橋が、『新撰姓氏録』という歴史学会公認の文献から"導き出したデカン高原""高天原仮説"は、今やわれわれだけでなく、インドのデカン高原へ行った人なら誰でも、現地と日本に共通する神代文字碑文を目にすることによって、決定的な形で確かめられる。しかも、彼の仮説は、インド人と日本人の言葉や遺伝子を調べた専門家の研究によっても、また、インドと日本の古い伝説や祭りの伝統、考古学上の遺物を比較した研究者の報告によっても、二重、三重に重なる結論として確実に裏づけられる。今なお戦いはやまずこのように見てくると、われわれの祖先がかつて中原(インドから日本に到る地域)に都を定めて世界全体を治めたという『契丹古伝』の言い伝えは、現在のわれわれにとって確かに信じがたいものではあるが、太古日本の忘れ去られた歴史の真相をかなり正確に伝えていることがわかる。

イオンと格闘する太古日本の王ギルガメシュる。

日本ではこれまで、江戸時代に神代文字の存在を明らかにした平田篤胤の功績が学問的に根づかなかったため、過去二〇〇年問、欧米の考古学と言語学の発展に貢献し、オリエント世界の古代史を解明する上で決定的に重要な役割を果たしてきた碑文学の伝統がなかった。けれども、今やわれわれは、過去二〇年にわたる高橋の調査によってその正しさが明らかになってきた古代カラ族の神代文字を有力な武器として、世界各地に築かれたカラ文明の諸都市を探りあて、『契丹古伝』に記された東大国の位置や、高天使鶏という空艇に乗って世界を駆けめぐったわれわれの祖先の足跡を発見できるようになった(第7章参照)。『契丹古伝』に登場する東大国の実態を解明する作業は、ここ数年前に始まったばかりである。そのため編者の耶律羽之が採録した九つのテキストの史料価値も、今のところ定まっていない。また、『契丹古伝』に記された原日本人のカラ族と、チャーチワードが紹介したムー文明の建設者ーカラ族との関係も十分に明らかになってはいない。しかし、高橋の見通しでは、二つのカラ族は時代を異にする同じ日本人の祖先であり、『契丹古伝』のカラ族が建設した東大国は、紀元前六八七年(C14年代で一万二〇〇〇年前)の大異変で滅亡したムf文明の継承国家ではなかったかという。世間では、チャーチワードの唱えたムi文明とプラトンが紹介したアトランテイス文明が、ともに今から一万二〇〇〇年前に滅び去ったと伝えているが、『契丹古伝』というたぐい稀な文献とデカン高原に残されたカラ族碑文に基づけば、ムー(カラ)とアトランティス(アッシリヤ/アーリヤ/アヤ)の戦いが異変によって中断されたのは、前八世紀から前七世紀にかけてのわずかな期間であった。

アトランティス(ギリシア)との戦いを見守るトロイ(ムー)の英雄パリスムーとアトランティスの戦いは、われわれの見方によれば今なお続いておりこの戦いは、日本人が『契丹古伝』に記された太古の歴史を解明し、アヤ人によって長いあいだ教えられ続けてきた虚構の世界史を書き改めない限り終わることはない、というのがわれわれの偽らざる思いである。

[アヒルクサ文字]

アヒルクサ文字は、伊勢神宮・出雲大社などの由緒ある神社や旧家に古くから伝わる神吠岐諄のひとつ。九州の阿比留家に伝わる阿比留文字の草書体と考えられたことから、江戸時代の国学者として有名な平田篤胤らによってアヒル草文字と命名された。が、本来はアヒル文字と別個に発生した紀元前の文字で、最近は股いん代甲骨文字の草書体ではないかと考えられている。アヒルクサ文字に代表される日本の古代文字は、伝世資料によって百数十種類あったことが知られているが、古墳・甕棺から出土した鏡や刀剣、縄文時代の土器・土面、石造物の表面に刻字が確認されているのは、今のところアヒルクサ文字以外ではイヅモ文字、トヨクニ文字、北海道異体文字などの数種に限られており、今後の研究が待たれている。

伊勢神宮神宮文庫に収められたアヒルクサ文字とイヅモ文字の奉納文

汗美須鍾かみすち

『契丹古伝』に引用された史料。汗美須錘(神統)には次のような内容が記されている。神祖ヨセフは、ヒンズークシュ山脈の南のふもとにあるアソタの地に都を定め、その都をペシャーワルと名づけた。ペシャーワルは神の都である。ヨセフはシャー・ジ・キのシャーンキヤー王に命じてこの都を治めさせた。彼はまたシラヒゲアケ(白髭王)に命じて朝鮮半島の迎日湾地羅らしめ、この地を高壇邑と名づけた。高壇の地は太陽つき観測の中心地(都祁)であった。高壇邑は南アフリカのアスハムとエクアドルのエスメ一フルダスを結ぶ大円軌道の中点に位置するため、仲京と呼ばれた。ヨセフはエクアドルのコカムイトパクシ神に命じてエスメラルダスに居らしめ、その地をグアヤスと名づけた。グアヤスの港グアヤキルは太平洋航路の重要拠点だったので、海京と呼ばれた。彼はまた南アフリカのアカムイスハム神に命じてケニヤのムグルクに居らしめ、その地をヒラックス・ヒルと名づけた。ヒラックス・ヒルのあたりはアフリカに住むカラ族の宗教的聖地となり、キスームの都、斉京と呼ばれた。彼はキリコエアケ(聞得王)に命じてボゴングの地(オーストラリア)を治めさせ、その都をジランバンジと名づけた。ジランバンジは神祖ヨセフが最初に降臨したところモリなので、始祖降臨の都と呼ばれた。キリコエアケは、ジランバンジのほかにも、イースター島のハンガ・ヌイに宮殿を建てて住んだ。ハンガ・ヌイの地はホツイチと呼ばれ、ラノニフラク火山のふもとにあって神都ペシャーワルから最も離れた地球の裏側の地にあたるため、離京と称された。キリコエアケは生まれたときから頭に刃のような角をそなえ、常人とはちがっていた。彼は人問に害をなす悪霊や邪鬼を退治するのが何よりも好きだった。死者を甦らせたり、病気を封じたり、気の流れを変えたりする秘密の行法を二十四項目にわたって体系化したのは彼である。彼の教えは今でも有効であることが確かめられている。

イースター島遺跡分布図。ラノ・ララクの東に離京があった。

[契丹古伝]

遼の耶律羽之がまとめた契丹王家の歴史書。全文四六章から成り、次のように始まる。いま神とは何かを考えてみるに、古くからの言い伝えでは、神は光り輝くものとある。その光り輝くようすはたとえようもない。しいてこれを譬たとえれば、日の光に輝く鑑のようである。そこで鑑は太陽神をかたどったものとして日神体と書かれ、カガミと読まれる。その昔、天界を統治した太陽女神たる我らの目祖アメウシハクカルメ"(阿乃法翅報云亭霊明""天"統治日霊女)は、シベリア南部のエニセイ川中流域に広がるミヌシンスク盆地に宇宙船で着陸し、盆地の南部から東部にかけてつらなるサヤン山脈のふもと、カーメンヌイで日孫を産まれた。のちに東大国主となられた日孫ヨセフ皇子は、またの名をアバカンといい、スサダミコともいう。ミヌシンスク盆地の中心都市アバカンにその名をとどめる目孫に、目祖はみずから乳を与え、彼が大きくなると、コマカケと呼ばれる飛行艇を与えて、地上に降臨させた。これが我らの神祖ヨセフの誕生の由来である。ヨセフを神祖と仰ぐ我らカラ族は、世界の各地で活躍した。カラ族の勇者はイースター島のラノ・ララクの南東にあるホツイチの霊廟にまつられ、各地のカラ族の都はいずれもコマヤ(高麗国・高天原)と呼ばれ、国名をシウク、族名をシウカラ、国民をタカラと称し、国王をシウクシフとたたえた。シウクとは東大国とうだいこく、シウカラとは東大民族、シウクシフとは東大国主という意味である。神祖ヨセフの子どもや孫が世界の各地でカラ族の国を受け継いだのは、ヨセフの時代にカラ族が世界的な規模で活躍したからである。紀元前の我らの祖先の活躍を記した別の書物には、こう記されている。すなわち、トコヨミカド"(常夜帝""地下都市の王/"常世尊=不死の王)と呼ばれた東大国主ヨセフは、初めオーストラリアのジランバンジに降臨し、次いでミヌシンスク盆地を見おろすアファナシェヴァの山に降臨した。オーストラリアとシベリアの二か所にカラの二つの源があり、同じシウ氏を名乗る二つの宗族がいるのは、神祖ヨセフの右のような降臨にともなって、我らの祖先が現地にとどまったからである。紀元前七世紀にカラ族の一員となったティルムン(東冥ー日本~インド)の人々はヨセフの子孫ではなく、大洪水のあとティルムンの楽園に住んだウトナピ"シュティム(阿辰法須氏""""天御中主""禺)の子孫であ"る。アフリカのカラ族の王としてその名を世界中の人々に知られたエチオピア王タルハカ(寧義氏=ニンギルス=ニニギ)が"現れたのは、ウトナピシュティムの時代より八〇〇年ほどあとのことである。ウトナピシュティムやタルハカ、ヨセフの時代に我らの祖先が世界の各地で活躍したことを垣問見るにつけても惜しまれるのは、その後千数百年の問に我らカラ族のかつてのつながりが見失われ、祖先の貴重な記録が散逸さんいつしてしまったことである。そこで私は複雑にからみあった瓜うりのツルや綿糸のかたまりを解きほぐす思いでカラ族の失われた歴史を解き明かし、その昔、カラ族の祖先が今とは比べものにならないほど広大な土地で活躍した時代があったことを明らかにしたいと思う。

アッシリヤ(アトランティス〉の宮殿

西征頌疏さいせいしようしよ   

『契丹古伝』に引用された史料。西征頒疏には、紀元前七世紀の戦いのようすが断片的に次のように記されている。神祖ヨセフはいよいよ西に向かって反撃を開始するにあたり、ボルネオ島の西部にいたクチン王の軍隊を同島南西部のクタパン要塞に移し、デカン高原中部にいたサガール王の軍隊をインド半島最南端のアーディチャナッルール要塞に移動させ、南オーストラリア海岸の中部にいたユークラ王の軍隊をエーア湖の西にあるクーバーピジー要塞に派遣して攻撃の準備をさせた。そしてついにみずから大軍を率いて怒濤のごとくエリュトラ海を渡り、アフリカに侵入した敵軍を駆遂してサハラ砂漠の西にあるイジュンハンの丘に達し、夕ロホスとイン・タデイニの間にタデメッカの都を設けてカラの同朋を救出した。ここにエリュトラ海とあるのはインド洋のことである。イジュンハンはアフリカ大陸のさいはて、夕陽が沈む西アフリカの海岸に近いアドラール・デ・ジフォラスの高地にある。スサダミコ神祖ヨセフ(順嵯檀彌固"""山幸彦ホホデミ)は紀元"前六六〇年に即位してみずから東大国を治められた。そしてこの記念すべき年から数えて八八0年たった紀元二二〇年、高句麗の山上王位宮とその弟の百済王仇首(山上王ちほやえちくの弟の蘭須)は千穂八重築しかむのみね紫神之峰と呼ばれた九州・鹿児島の八重山に登り、漢帝国の滅亡を祝って、「秀穂立つシナカキ、とよあしかびさか神が培えけむ、豊葺芽栄」と神に感謝した。この年カラの人々はついに漢帝国の支配から脱し、再び日祖ゆかりのカラの故地を奪回して、日向高千穂と呼ばれた霧島山の神の都に永くとどまれるようになったのである。その後およそ[六〇年余りたった紀元三九一年、高號の好太王は右のように栄ある東大国の伝統を継いで高句麗王となり、大いに我らの旧領を回復して広開土王(コウカイトワケ~トコイカウワケ~瑳競伊弐王~瑞競伊尼赫琿)と称えられた。好太王の時代に人々は久しく失われていた祖先の気風を取り戻し、カラ族の勢いは再び盛んになったのであった。西征頒疏によれば、カキとは稲葦神洲のことで、稲穂が豊かに実る神の国という意味である。

シャンカ文字

インドの初期仏教遺跡、サーンチー、バールフト、あるいはデカン高原の先史美術の宝庫バンパトケア、その他の遺跡から発見されている謎の未解読文字。現地でシャン力文字と呼ばれている、この未解読文字の代表例は、図に示したアジャンタ最古の石窟の柱に刻まれた文字群である。高橋良典は『謎の新撰姓氏録』(徳問書店刊)の中で、日本人の祖先、たとえば太宰府天満宮に祀られた菅原道真らの祖先が、紀元前のインド・デカン高原で活躍したこと、日本神話の高天原の歴史的な舞台は、インドのデカン高原だったという仮説を唱えている。古来より日本で「天神さま」として親しまれてきた菅原氏は、『新撰姓氏録』によれば、かつて管原(くだはら)氏と呼ばれた。そして、アジャンタ最古の石窟に刻まれたシャンカ文字を解読した高橋は、驚くべきことに、これを目本の由緒ある神社に古くから伝わるアヒルクサ文字とタガラ文字で、クダハ一フ(管原)マロ(麻呂)と読んでいる。ということは、菅原氏のような日本の有力氏族がかつてインドのデカン高原で活躍したことを決定的に物語っているのではないだろうか。

石窟の石柱

 石柱のシャンカ文字の解読結果

辰殷大記しんいんたいき

『契丹古伝」に引用された史料。辰殷大記はこう記している。イサク(殷叔)と呼ばれたイスラエル最後の王ホセア(忍穂耳)には老年になっても息子がいなかった。そこでカラの人々からこの上なく高貴な人物(殷越―干越)であると尊敬されていたイサクは、アフリカやヨーロッパ、小アジアの各地に離散したイスラエルの人々を率いて東方の聖地ティルムン(日本)へ旅立つにあたり、スサダミコ(密矩)と呼ばれたヨセフ(火々出見)を養子として迎え、彼の後継者とした。その後まもなくイサクは亡くなったが、そのとき彼は八十九歳だった。こうして我らの神祖ヨセフが永遠のいのちを授けとこよひこみこられた太陽の御子、常世トコヨヒコミコ日子御子(督抗費国密矩)としてイサクの跡を継いだのは、紀元前六九五年(伊兮歩)乙酉の秋、九月(七月)のことだった。

太古日本の王イサク

ティルムン

大洪水ののち、ペルシア湾の東方につくられた神々の楽園。シュメールの伝説によれば、ティルムンは大洪水を生きのびたウトナピシュティムが神々とともに住むことを許された楽園で、息子のギルガメシュがクラブ(イラク南部の古代都市)の英雄になったあと、不老長寿の薬草を求めてやってきた土地という。有名なギルガメシュ叙事詩に、「はるかなる地、川々の河口」にあると記されたティルムンは、別の言い伝えによれば「太陽の昇る土地」にあり、計画的に区画された耕地を潤すすばらしい灌潮用水路と井戸のおかげで穀物が豊かに実り、町には立派な穀物倉庫があったという。神々の楽園ティルムンの"すばらしさは""エンキとニ""ンフルサグ""と名づけられ"たシュメールの粘土板に、次のように記されている。ティルムンの国は清らかだ/ティルムンの国は輝かしい……/ティルムンからすでは烏が不吉な漣霧あげることもなく、雄鶏がけたたましい叫びを発することもない/ライオンは生き物を殺さないし、狼も仔羊をとらえない:…/眼病になる人もいなければ、頭痛になる人もいない/女性は年をとっても若々しく、男性もまた老いを知らない…・シュメール伝説のティルムンは平知そのもので、争いことや病気のない清らかな国、人間がいつまでも若さを失わない輝かしい国だった。以上のティルムンは、高橋の研究によれば、太古の日本そのものであり、異変を生きのびたウトナピシュティムとギルガメシュは、あめのみなかぬしたかみ輻体神話の天御中王、高皇産霊に相当するという。つまり、ティルムンは、ティムン(契丹古伝の東冥)ティプン(契丹古伝の東表)に変化したあと、ジプン~ジポン~ジッポンを経て日本になったといえる。

ウルク(夏)の王ギルガメシュ(日本神話の高皇産霊)の物語を記したアッシリヤの粘土板

 [秘府録ひふろく]

 〔契丹古伝』に引用された史料。秘府録にはこう書いてある。神祖ヨセフは、今日アジアと呼ばれている地域を中心として、アフリカからオーストラリア、アメリカ大陸にまたがる広大な土地をカラ族のために確保し、これを五つの地域に分けて統治した。彼はまず、マダガスカルのチアファジャブナ王を南アフリカのジンバブエに派遣して、東大国の西部を治めさせた。次に彼は、北アメリカのシトカ王をアラスカのジュノーに派遣して、東大国の東部を治めさせた。また彼は、九州の串木野カムイ神を喜入(または入来)に派遣して、東大国の中部を治めさせた。彼は中央アジアのカザフ(またはケンピルサイ)にウラル山脈南部のカンダガチ王を派遣して東大国の北部を治めさせ、ニュージーランド北島のマヌカウにオーストラリアの南のタスマン王を派遣して東大国の南部を治めさせた。ヨセフは、右のように東大国の諸大陸の統治を五人の長にゆだねると、みずからは宇宙船に乗って天空の安全をはかり、大海原を航海する人々の安全をはかった。また彼は、九州の句嬰国(のちの狗奴国)の司祭に対して、つねづねの祭りことをおろそかにすることなく、東大国民の末ながい平和と繁栄を保つよう心がけよと命じた。紀元前七世紀にヨセフが東大国の五つの地域を治める以前、これらの地域にはカラ族以外の先住民がいた。北原と呼ばれた中央アジァのステップ地帯には、遊牧民族のマッサゲタイ人(没皮)と狩猟民族のイユルカイ人(龍革〉がいた。西原と呼ばれたアフリカ大陸には、穴居民族のギリガマイ人(魚目)とティブー人(姑腹)がいた。そして中原と呼ばれた東アジア地域にはアイヌ(熊耳)とコロポックル(黄眉)が住み、南原と呼ばれたインド・オセアニア地域には、マオリ人(苗羅)とパプア人(孟潟)がいて農業を営み、海原と呼ばれたアメリカ大陸にはジェー語族(菟首)とコリャ族(狼裾)がいて海洋漁業にいそしんでいた。これらの先住民は、カラ族とともに東大国の国民になったとき、いずれもヨセフの指示に従い、言いつけをよく守った。けれども、その当時インドにいたバクトリア人(箔)とガンダーラ人(牌圏、サカ人(籍)だけは性格が凶暴で手がつけられなかった。そこでヨセフは彼らを征伐してインドから駆逐し、ベンガル湾に追放した。

費彌国氏洲鑑[ひみこくししゆうかん]

『契丹古伝』に引用された史料。費彌国氏洲鑑には次のようなことが書かれている。その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変わってしまった。この異変で地軸が傾いた結果、大地は中国の北西部で縮んで盛りあがり(ビルマ~チベット~ヒマラヤの隆起)、南東部で引き裂かれて水没し蛇身人首の鬼を祭る者が次々にやってきて我らの土地に住みついた。そして彼らは我が東大古族の神の子孫とみずからを偽つたばかりでなく、伏犠や神農、黄帝、少昊なる人物を我らの王の祖先に仕立てあげてその系図に自分たちの祖先をつなげ、あるいは我らの王を陶・虞と改めて彼らの王にみせかけたうえでその子孫になりすまし、これら偽りの神と王に対する崇拝を人々に強要してみずかた(日本海溝~フィリピン海溝の形成)。プングラン(乃后稜)諸島のあたりにあった南シナ大陸と東北の大陸は沈んで海となり、アジア大陸の地殻が太平洋方面に大きく傾いて沈んだため、天が東に向かって海面から遠ざかっていくように見えた。秦・舜の時代に地球全土は戦火に包まれ、禺は洪水の後始末に追われた。ところが二のようなドサクサにまぎれて西からは人身牛首の神を祭る者やらを聖帝の子孫なりと誇らしげに語っている。けれども、彼らは自分たちの祖先だと思っていた発と舜が彼らの思惑に反して東大古族の王であり、我らの祖先であったことをはたして知っているのだろうか。西から我らの地にやってきて帰化した人々が王として仕えたのは、嘉・舜のあと世界の王になった夏の国の禺が最初であった。その後久しく続いた夏王朝の創始者である禺のことを彼らは中国だけの王であったかのように記しているが、これはとんでもない間違いだ。というのも、史記に記された禺は大洪水を生きのびてティルムン(日本~インド)の楽園に住んだシュルッパクの王ウトナピシュテイム(天御中主nアソベ王朝初代ウソリ王)をさしており、彼のいた夏の国とは英雄ギ"ルガメシュ(高皇産霊尊"""アソベ王朝第二代タミアレ王)が活躍したクラブ(呉羽)の都をさしている。禺は中国だけの王ではなく、世界全体の王であったことが西族の伝承によっても確かめられるのである。

八咫やたの鏡文字

一伊勢神宮に伝えられた八咫の鏡の表面に刻まれた文字。これらの文字は従来、ヘブライ語で左から右に向かって、エイエアシェルエイエ(我は在りて在る者なり)と読まれてきた。しかし、そのような読み方はヘブライ文字にもとづく根拠のあるものとはみなされない。むしろこれらを分析した結果によれば、古代のサハラ砂漠で使われていたティフィナグ紋字で、あな畏けあがサハな崇めつることほイサクら言祝ぎつあな畏けサハな崇めつると読める(地球文化研究所.高橋解読)。つまり日本神話のイザナギに相当するイサク(古代イスラエル王国最後の王、ホセア)が紀元前七〇〇年頃に、サハもしくはサバと呼ばれた太古の宇宙船サブハをことほいだことが記されたものと解釈される。このサバは有名なシバの女王が使った空飛ぶ乗り物であり、日本では天照大神の太陽円盤として、古くから崇められてきた。、、

エイエアシエルエイア伊勢神宮の八咫鏡文字

 [耶摩駘記]

「やまとふみ契丹古伝』に引用された史料。著者の塢須弗は、耶摩駘記の中でこう述べている。目本がいまだかつて滅びることなく衰えることなくして国を保ってきたのは、この国を治める者がティルムン以来の輝かしい歴史を見失わず、先代から受け継いだ伝統を大切に守り続け、神の言葉にすなおに耳を傾けて、人問としてなすべきことを行なってきたからである。日本のことを秋洲とも書いてアキシマと呼んでいるのは、紀元前七世紀に神祖ヨセフがこの国に世界の都を設け、目体列島を世界の中央島、央畿島アキシマと定めたからである。

[ヨセフ]

旧約聖書にイスラエル十二部族の祖ヤコブの子として登場する人物。日本神話に山幸彦ホホデミ(火々出見)、ホオリ(火折)として描かれ、東日流外三郡誌つかるそとさんぐんしにウヘリ(宇比利)の子として記されたマシカカ(馬司利)に相当する。紀元前六九五年に亡くなったホセア(旧約聖書のイサク/記紀のオシホ耳)の養子に迎えられ、アッシリヤに滅ぼされたイスラエル王家を再興したティルムン(東冥/日本)の王。前八世紀から前七世紀にかけて、アッシリヤ王サルゴン、センナケリブ、およびエセルハドンと戦ったティルムン王ウヘリ(大日霊女/アマテラス)の子、スダース(須瑳檀密矩/ホホデミ)として実在した。

契丹古伝に東大国主スサダミコの名で伝えられたスダースは、前七世紀の戦争と異変の時代に、われわれ日本人の祖先(カラ族/クル族/カーリア人)を地中海、アフリカ方面からインド、日本へ安全に導いた。その功績は忘れ去ることができない。彼は、前七世紀の初めにアッシリヤ(アトランティス/アーリヤ)に征服されたヨーロッパを除く地球全土を五つの地方に分け、それぞれの地域に都を定めて世界を統治した。旧約聖書に彼の父と記されたヤコブ(ニニギ)は、前七世紀にアフリカで勇名をとどろかせたエチオピア朝エジプトのファラオ、タルハカであり、彼の息子と記されたエフライムは、記紀および古史古伝にホホデミの息子として伝えられたウガヤ皇子と同一人物である。

ティアワナコの太陽の門に描かれたヨセフ

原日本古代文字発見地点日本探検協会/高橋良典 調査 日本探検協会では、デカン高原=高天原仮説を証明するため、これまで何度も現地調査を行なってきた。そしてその都度インドでも解読されていない碑文を採集し、100例以上の碑文を解読した結果、古代の日本人はインドのデカン高原あるいはインダス文明地域でも活躍していたことをつきとめた。日本探検協会が毎年継続して進めているインド・ネパール・古代インダス文明地域(ティルムン=日本)の調査に協力下さる方は協会までご連絡ください。

 

太陽神アフラ・マズダはイーマに告げた

おお、美しきイーマよ

この邪悪なる世界に厳しい冬が訪れようとしている

雲高くそびえるかのアヴィ山の項きにも厚い雪が降りつもるであろう

そして水の豊かな緑なす牧場であるこの大地もまた

かつてない大雪に見舞われる

さればイーマよ

今のうちに大いなるバーラを造れ(この大地に大いなる地下都市を造るのだー)    

『ゼンド・アヴェスタ』

小泉元首相、小池新党「希望の党」最高顧問候補に浮上か

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9/26(火) 6:05配信

スポーツ報知

小池氏と極秘会談した小泉純一郎氏

 小泉元首相が「希望の党」の最高顧問に就任する可能性が出てきた。

 小池氏はこの日、都庁内で小泉氏と極秘で会談。脱原発を持論とする小泉氏との会談内容について、小池氏は「原発です。『頑張れ』と励まされました」と述べるにとどめたが、周辺によると、衆院選に向けた意見交換だった。「希望の党」内では、最高顧問など何らかの役職に就く案も浮上している。永田町では「小泉人気」は今も衰えておらず、次期衆院選で小泉氏が「希望」候補者の応援演説などに入る可能性もある。

 小池氏は2001年4月から06年9月まで圧倒的な人気があった小泉政権を支えた。環境相時代は、夏の軽装化を推進する「クールビズ」をPRするなど存在感を発揮した。

 小泉氏は2009年に進次郎衆院議員(36)を後継者として政界を引退。東日本大震災以降は「脱原発」を推進する立場となり、メディアでもたびたび発信していた。2014年2月の東京都知事選では、立候補した細川護熈元首相(79)を応援した。細川氏と一緒に都内をかけずり回り、自公が推薦した舛添要一前都知事(68)に挑んだが、準備不足などが影響し、3位に終わった。

 小池氏が都知事就任後も都内などで、数回会談し、頻繁に意見交換を行っている。小池氏は自民党都連の一部議員を標的として「ブラックボックス」などと批判。その政治手法は党内の一部族議員を「抵抗勢力」と呼び、標的を明確にした小泉氏の手法そのものだった。小泉氏を自陣に引き込めば劇場型選挙が再来するのは確実。「安倍1強」体制が揺らぐ可能性がある。

 ◆小泉 純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)1942年1月8日、神奈川県横須賀市生まれ。75歳。慶応大卒。衆院議員だった父・純也氏の急逝を受け、69年の衆院選に出馬するも落選。再挑戦した72年に初当選。以降、当選12回。厚相、郵政相などを歴任後、2001年4月、3度目の挑戦で自民党総裁選に勝利し、第87代内閣総理大臣に就任。06年9月までの約5年5か月で派閥にとらわれない独自の政治手法で支持を得る。息子にタレントの孝太郎、衆院議員の進次郎氏。

【関連記事】 小泉元首相、退任後初のTV単独インタで小池氏を評価「発想力豊かでアイデア持っている」 東急世田谷線に「幸福の招き猫電車」沿線の豪徳寺とコラボ 豊田真由子議員の「お詫び」街頭演説を「グッディ」がキャッチ…安藤キャスター「焦ってる」 小池新党は「希望の党」小池都知事が緑字で発表…代表に就任 上西衆院議員、次期衆院選不出馬表明、女優活動にも意欲

最終更新:9/26(火) 6:05
スポーツ報知

おとぎ話のはじまりはじまり~小泉元総理はアトランティス沈没最後の王

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トランプよりも日本のこの動きのほうがずーと重要かも・・・

小泉純一郎元総理は、国民の資金を闇のファンドに吸収させる役割をしました。

もちろん闇は倒産状態ですから胴元にお金を返すために躍起になって略奪を企てますが、胴元を管理し新しい時代を先導するOPPT的な計画では、闇に汚染された日本に余分な資金があればどんな悪企みに利用されるかわからないので、ブッシュ・小泉ラインで資金回収させたわけです。

この資金は日本および国際社会(統治・金融経済)が新しいシステムに向けて合意形成される条件で人類のためにストックされています。

人類のための黄金や資金には誰も手を出せないように闇の仕組みが機能しています。

かつてこれらの余剰資金に手を出した総理大臣など多くの自民党の重鎮は政治生命をなくしています。(韓国も・・・)

小泉元総理はこれの実行者として証人あるいは条件付保釈中のような立場になりました。

その条件が原発反対のキャンペーンなどを行うなどでした。

しかし、この流れもすべて闇の内部改革の一環です。

この闇の内部改革のなかで、新しい時代を模索している政治家のひとりに小池百合子東京都知事もいます。

小泉新次郎を若手の頭にしてインドのサスーン財団などから多額の政治資金を導入し、いわゆる小泉チュルドレンを大量に当選させ自民党の再生をはかりました。

その時の後遺症(金の力で人選を吟味しない)が今の一連の2回生議員の不祥事です。

国民中心ではなく闇〈政党を取り込んだ〉中心の政策です。

一人ひとりの命と人生がかかっている社会生活に歌舞伎役者の”追っかけ”のようなファンが政治を支えているような風潮があります。

政治も一人の力で闇を脱することができるかも!、刹那的な人気取りに見える市民も、意外な役割で侍しているのかもしれません!

小泉元総理はアトランティス沈没最後の王だったと霊的な話を聞いたことがあります。

その息子小泉進次郎、そして小池知事もエジプトに留学など、いよいよ古代の魂が蘇り、日本から実質的な再生の前段が始まるようです。

戸惑いながらも・・・くれぐれも過去の歴史を繰り返さないように!

【古道復興】サンカ(山窩)のルーツは創世記のヘテ人

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Ray:日本長野県岡谷市長地の横川山はサンガの神山だったといわれています。御柱祭に纏わる歴史として以下ご参照ください。

転載:ハムレットの水車小屋 http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/304.html

2011/11/1 「サンカ(山窩)のルーツは創世記のヘテ人 その1」   クリックすると元のサイズで表示します
エデン(Garden of Eden)から一つの川が流れ出ていた。園を潤し,そこで分かれて,四つの川となっていた。第一の川の名はピションでハビラ地方全域を巡っていた。第二の川の名はギボンでクシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスでアシュルの東の方を流れており,第四の河はユーフラテスであった。<創世記・Genesis2:10~14>
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 その日,主はアブラハムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで,カイン人,ケナズ人,カドモニ人,へテ人,ぺリジ人,レファイム人,アモリ人,カナン人,ギルガン人,エブス人の土地を与える」<創世記・Genesis15:18>

サンカ(山窩)とゴシェン その1

サンカ(山窩)とゴシェン その2

サンカ(山窩)とゴシェン その3

サンカ(山窩)とゴシェン その4

サンカ(山窩)のルーツは創世記36章1~43に登場するヘテ人であったに関して今回は長い連載になります。サンカ(山窩)とゴシェン その1~4を読まれた前提で話を進めてゆきます。後日古代文字など学術的な解説をいれる前にその聖書的な意味から説明しましょう。イスラエル(ユダ族)とヘブライ人の子孫である(モーゼは架空の人物ですからモーゼの子孫=ユダヤ人は間違いです)ユダヤ人とは全く別の人種であり驚くべきことにイスラエルのユダ族がユダヤ人を虐待していることは事実です。上の「その4」を詳しく読まれますとサンカの祖先は古代ヒッタイトの祖先であることがはっきりと浮かび上がってきます。
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BLOOD UPON THE LINTEL.出入り口の上の横木は羊の血で塗られる。「これが主の過越(すぎこし)である。その夜,わたしはエジプトの国を巡り,人であれ,家畜であれ,エジプトの国のすべての初子を撃つ。また,エジプトのすべての神々に裁きを行なう。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は,あなたたちの徴(しるし)となる。血を見たならば,わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき,滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。(出エジプト記第12章11~13章)

聖書ものがたり・出エジプト記参照

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モーセは、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、“殺戮の天使”が静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示した。この有名な「出エジプト記」が、鳥居のルーツであり、年越し(過越し=べサハ)のルーツであるという。(英語ではPASSOVER)
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「トリイ」はヘブライ語アラム方言で「門」という意味である。赤以外の色もある。皆さんは正月にこの鳥居の門をくぐって神社へお参りをするでしょ。四人の殺戮の天使からあなたを守ってくれているのですよ。(日本とヘブライの共通点から一部字句編集)

四人の殺戮の天使

メルカバー(Merkabah)とは『神の戦車』、『天の車』、あるいは『聖なる神の玉座』ともいわれる。エゼキエルのエゼキエル書第一章4-26にメルカバーの4つの翼がある戦車の男性、ライオン、雄牛、およびワシの4つの顔について言及されている。

「4人の天使は人間の三分の一を殺すために解き放たれた。この天使たちは、この年、この月、この日の為に用意されていた」
(「ヨハネの黙示録」第9章15節)

この4人の殺戮の天使「メルカバー」は、四神を象徴する。十字架が指す四方向も、実は東西南北の四神を示している。

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エゼキエル書による神殿の図(画像をクリックするときれいに見れます)

拙稿:ユーフラテスの畔の四人の天使

日本とヘブライの共通点参照

聖書ものがたり・エゼキエル書参照

南北朝秘史 その1

南北朝秘史 その2

管理人の知りたかったことは一貫してつながっている糸の一点のみ......戊辰戦争から現在にいたるまでなぜロスチャイルド家がサンカにこだわってきたのか,ということです。(小学校の低学年にも分かるようなものの言い方をすれば)ロスチャイルド家のルーツがヒッタイトであることは疑いようのない事実であり,中国のペルシャ人(イランの古代名)=秦人が日本に渡来して秦となり6世紀後半から7世紀半ばにかけて泰河勝のことはよく知られている。実は秦氏はヘブライ人(ユダヤ人)であり現在多くの共通点が日本とユダヤの間ではある。

日本人の知らない日本

ここの記事は何回も紹介しましたが日本とロスチャイルド家との関係が大変簡潔にうまくまとめられております。
クリックすると元のサイズで表示します 京都御所で発見されたロスチャイルド家の紋章とそっくりな紋章
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京都御所 清涼殿の一角獣と獅子  2011年4月撮影(リンクトップにあるrenaissanceさんのHPより)

『平安時代の内裏では、天皇の日常生活の場として使われた御殿が清涼殿であります。この一角獣と獅子の組み合わせは、古代イスラエルがソロモン王が亡くなり、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂しますが、北イスラエル十支族のリーダーであるヨシュアのシンボルマークが一角獣、そして南ユダ王国ニ支族のリーダーであるユダのシンボルマークが獅子であります。』  

すなわち、この一角獣と獅子の組み合わせは、古代イスラエルを表すもので、ユダヤ系国際金融財閥のロスチャイルドの家紋も、一角獣と獅子の組み合わせであります。

イスラエル12支族

旧約聖書の12支族の謎を解く

秦河勝の謎

歴史に秘められた謎

歴代イスラエル王の系図

イスラエルの失われた10支族(Wiki)
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今サンカに関しての謎の詳しい説明は後日に譲るとして「成りすましの明治天皇・大室寅之祐はサンカであり田布施の朝鮮部落出身であることはくどいほど記事にした。サンカは朝鮮人ではなく朝鮮部落が暖かく迎えてくれたといったほうが早いだろう。熊本や山口の田布施に詳しい人から先日話を伺いましたがいずれも田布施はサンカの好む山岳地帯と共通している。ですから田布施の朝鮮人部落出身といっても正確には田布施の朝鮮人部落で一緒に暮らすサンカといったほうが分かりやすいだろう。例えば戦後の総理大臣岸信介もサンカの末裔であったと言えば話は早い。

「僧(そう)は三宝の1つで、「仏教の戒律を守る、男性の出家者(比丘)・女性の出家者(比丘尼・ビクニ) の集団」を言う。サンスクリット語ではサンガ(saṃgha संघ)であり、それを音写したのが「僧伽」である。今日では個人を「僧」と呼ぶことが多いが、原義として、僧とは具足戒を受け、これを守る出家修行者たちの集団をいう。」これはWikiの説明でありますがサンスクリット語でサンガというように古代ヒッタイト人の祖先ヘテ人がたどりついたのは中国や半島でありそこで「僧侶」をし多くの尊敬を集めある一団が日本に来て山岳に住み着いたと考えた方が正解かも知れない。そして田布施の朝鮮人部落はサンカの僧侶たちを心から喜んで受け入れたということでしょう。サンカ(山窩)は本来サンガの音訳の「僧伽」であった。日本では出家した者を僧,あるいは僧侶と呼びますが正しくは「僧伽・そうぎゃ」なんでしょうね。

僧伽(サンガ)比丘達の集い

『僧伽(サンガ)とは、あくまで「比丘または比丘尼の集い」を指して言うもので、在家信者を含まない、あくまで出家者集団を指す言葉です。これを特に「比丘僧伽」・「比丘尼僧伽」と言うことがあります。また、これはある一定の区域にある比丘・比丘尼について言うことで、以下に詳説していますが、僧伽とは、比丘あるいは比丘尼それぞれが、同一区域内に、最低四人そろって初めて成立するものです。』

日ユ同祖論にかんしてこれは正論であろうと思われる。ヘブライ人であるユダヤ人が渡来して築き上げた日本をイスラエル(ユダ族)が快く思うわけがない。それがヘブライ人の末裔を日本のリーダーから排除したのは至極当然であったかもしれない。イスラエルは彼らと血のつながりのある民族に対する考察は非凡なところがある。サンカは古代ヒッタイトの祖先であることをロスチャイルドは見逃さなかった。なぜならサンカはロスチャイルド家にとって祖先のそのまた祖先なのである。つまり遠い親戚にあたるということだ。そうでなかったら戊辰戦争から3.11までつながった糸はとっくに切れていたであろう。

前の記事の繰り返しになりますが「ヒッタイト文明は(宗教は非シュメール的),シュメール社会の教会のすぐ外側のカッパドキアで紀元前1500年以前,世界国家:紀元前15世紀頃にはその地域一帯の支配的文明になっていた;紀元前1352年以後,紀元前1278年に平和にいたる間,エジプトと数回交戦;紀元前1200-1190年の民族移動の波に圧倒される。詩 ホメロス叙事詩 宗教 オリュンポス諸神崇拝 蛮族:東北:ガスガ族 西北:フリュギア族 西南:アカイア族

 ロスチャイルドの祖先ヒッタイトの正体はバーディシャーにあり.......

オスマンリ:かれらの最大の挑戦は,遊牧社会を異質的な環境へ移動させ,そこで動物でなしに,異種の人間社会を支配するという,新しい問題ととりくまなければならないことであった。その離れ業はオトマン奴隷家族であった。つまり,バーディシャー(解説:オスマン帝国はパーディシャーを元首号とし、しばしば皇帝とされますが、ガージャール朝ではバーディシャーは地方領主の号)の人間家畜を管理する人間番犬を選び訓練することであった。かれらは出来るだけ人間性を捨てて動物性を身につけたり,単線的な本能的行動にもっぱら心を向けるという,驚くべきことをやってのけた。

 羊,山羊を飼育する畜産民は,子羊が生まれると,一年以内に雄は種付け用を少し残し,後は殺して食べる。ごくわずかの雄を去勢して群れの先導役にさせる。それを人間支配の技術に転用するのが去勢の意味。シオン長老の議定書(プロトコール)第18議定書より。これこそがバーディシャー由来の人間家畜の管理術。

『キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる』

これが高利貸しロートシルトの祖先だ。

名古屋地方のサンカは『八』と呼ばれていたという(八鏡文字?)。恐らくはハッティ(管理人注:紀元前2500年-紀元前2000年頃にアナトリア半島に居住していた民族で、ヒッタイトの先住民。「原ハッティ」「ハッティ人」などと呼ばれる。)のことであろう。つまりサンカ(山窩)=ヒッタイトの先住民=創世記ヘテ人が祖先ということであろう。

ヒッタイトという名称がよく知られるが、これは、英語読みで原音はハッティ。現在の小アジア・シリア地方の古代帝国で、紀元前1500年前後の数世紀に繁栄していた。鉄を生産し、武器や戦車に用いた。エジプトの記録ではヘタ、創世記にはヘテ人と記された民族で、インド・ヨーロッパ語族に属する。(管理人注:ヨシュア記一章四節、士師記一章二十六節、列王紀上十章二十九節、列王紀下七章六節その他聖書の各所に記されてある)

ハッティ帝国の首都ハットウシャシュ

 エサウは何人もの妻を持つ。ヘテ人の娘アダ。ヒビ人の娘オホリバマ、イシュマエルの娘バセマトです。この事情は創世記26章34節~35節にも書かれていますが、全く名前が異なっている。
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ベツレヘム(Bethlehem)とへブロン(Hebron)の間にはKing Solomonの池と呼ばれる三つの池がある。これはその池の最大のもの。池のポンプはスエズ運河を横切ってナイルから引いた。「池をいくつも掘らせ,木の茂る林に水を引かせた」(コへレトの言葉:第2章6節)

 ヘテ人は申命記7章1節によるとカナンの地の七つの原住民の筆頭民族である。アブラハムはサラが死んだとき、この「ヘテ人」からヘブロンにあるマクべラの洞窟を買い取った。ヘテ人は北方から来た先住の民族であり、文明は進んでいた。エサウは原住民ヘテ人の娘と結婚することによって原住民と協調して過ごすことが出来ました。また、最も東に住むイシュマエルの娘を娶ることによって、東の民(アラビア)との友好関係を築いた。そのためエドムは広い地域を安定して確保できたといえる。

へブロンにあるマクべラの洞窟

ヒッタイト帝国の概要から引用

『(原)ハッティ語を使っていたハッティ族こそが、本来のアナトリア高原の現住民族でした。旧約聖書に出てくるヘテ人、もしくは、アッカド語のハッティも本来はこの民族とその言語のことだったのです。すなわち、この言語こそが、ヒッタイト語と呼ばれるべきだったのです。
 しかし、多くの人々(学者さん達)は、すでに名付けられてしまっているヒッタイト族やヒッタイト語を変更する事による混乱を恐れ、この原住民とその言語に、ハッティもしくは原ヒッタイト(プロト・ヒッタイト)と名付けることを選びました。このハッティ語については、今のところ、系統も不明で、若干の単語の意味が知られているだけです。

 フルリ族とフルリ語は、近年研究が活発になって来ています。フルリ族はヒッタイトの東南に当たるコーカサス山地の原住民ですが、早い時期からアッシリアを介してシュメール・アッカドの都市文明に接しており、また前2000年紀のオリエント世界、とくにその北部に広く分布し、政治的にも文化的にも多大な影響力を持っていました。ヒッタイト人が楔形文字を使うようになったのも、フルリ族がメソポタミア文明をヒッタイトへ媒介したためといわれています。
 また、ヒッタイト帝国と一時期覇を競ったミタンニ王国は、フルリ系の人々が打ち立てたもので、ヒッタイトは、この国からも各種の影響を受けているようです。
 フルリ語は、膠着語であり、言語系統としてはコーカサス語族に属しているそうです』
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 シュメール語のペトログラフ   クリックすると元のサイズで表示します            サンカ文字
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(クリックするときれいに見れます)カタカムナ文献基礎資料、第五首、第六首。カタカムナとは八鏡文字のこと。ヒッタイトという名称がよく知られるが、これは、英語読みで原音はハッティ=八=名古屋地方のサンカは『八』と呼ばれていたという。丸と十字が見られますね。

丸と十字

カタカムナ辞典

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古代神代文字総覧

日本とヘブライの共通点

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伊予文字......伊予城下ハ幡社(愛媛県)より伝承。後に丹後国の熊野郡鹿野村の旧家に伝わる「神事記」にも用いられている。また、近江の散所村「三尾神技士」には『秀真伝』が所蔵されているが、そこで用いられている“秀真文字”と書体は全く同じ物であるが、「秀真伝」を発見した小笠原家の子孫は、伊予の出身であることから何らかの因果関係があることは否定できない。
書体の形式は、決められた図象を組み合わすことによって作られ「秀真伝」によれば母音となる五つの図象は、宇宙を構成するというものである。
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カタカムナ図象文字.......昭和25年頃、科学技術研究家「楢崎皐月」が兵庫県 六甲山のふもと金鳥山で「平十字」(ひらとうじ)と名のる力タカムナ神社の宮司と遭遇し、彼から“力タカムナのウタヒ”て書かれた巻物を筆写することを許される。楢崎は、これを解読し力タカムナ文献として伝える。書体は字とゆうよりは、丸と十字を基本(ヤタノカガミ、オクタント図象)として、それをとり囲むハつの小丸で構成された書体で表記される。また図象を複数組み合わせて、意味を持つ言葉となる。

カタカムナってな~に?

カ・感じる タ・確かに カ・感じる  ム・見えない ナ・何か 

『カタカムナではこの世はたった二つのモノから成り立っているといっています。それはアマとカムであると。アマとはあらゆるマを発生する要素。これが自然科学が対象とする物質現象の元になります。それに対してカムとは形を伴わない要素。これが宗教の対象となる実態のない世界、これを現象に対して潜んでいるかたち・潜象といいます。しかもアマ・カムは単独で存在しているのではなく、偶構造、つまりくっついてるといっています。アマとカムは正反対の性質でアマどうし、カムどうしは反発し合い、アマとカムは親和するともいっています。この基本的な性質により森羅万象が発生する原理を解き明かしているのがカタカムナなのです。』

潜象と日本人の使命

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八咫鏡(やたのかがみ)の裏面にはヘブライ語が

「神聖不可侵」の八咫鏡- その鏡は,天皇陛下でも見ることはできない

当時,文部大臣であった森 有礼(もり ありのり)氏が,伊勢神宮の「八咫鏡(やたのかがみ)」(つまり,皇居にあるレプリカではなく,本物)の裏面に,ヘブライ文字(ヘブル文字)で,

ヘブライ語「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」我は有りて在る者なり)
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 “'Ehyeh 'Asher 'Ehyeh”
 「エフエ ・アシェル・エフエ」

と刻まれているのを,自分の目で見たというのである。(脚注10へ)

この,森 有礼(もり ありのり)氏が伊勢神宮の「八咫鏡(やたのかがみ)」(本物)の裏面に見たというヘブライ語の文字は,実は,聖書の二番目の書「出(しゅつ)エジプト記」の3章14節に出てくる非常に有名な言葉である。

森 大臣が生きていた明治時代に訳された聖書翻訳は,そのヘブライ語を次のように訳している。

「神モーセにいひ給ひけるは 我(われ)は有(あ)りて在(あ)る者なり(“I AM THAT I AM”欽定訳聖書。脚注11へ) 又(また)いひ給ひけるは 汝かくイスラエルの子孫(ひとびと)にいふべし 我有(われ あ)り(“I AM”欽定訳聖書)といふ者 我を汝らに遣はし給ふと
神またモーセにいひ給ひけるは 汝かくイスラエルの子孫(ひとびと)にいふべし 汝らの先祖等(たち)の神アブラハムの神イサクの神ヤコブの神エホバ われを汝らにつかはし給ふと 是(これ)は永遠(とこしなへ)にわが名となり 世々にわが誌(しるし)となるべし」
-出エジプト記3:14,15。[文語訳聖書]

これは,モーセが神(創造者)に対して,

「我(われ)イスラエルの子孫(ひとびと)の所にゆきて 汝らの先祖等(たち)の神 我(われ)を汝らに遣はし給ふと言はんに 彼等(かれら)もし其(その)名(な)は何(なに)と我(われ)に言はば 何(なに)とかれらに言ふべきや」
-出エジプト記3:13。[文語訳聖書]

と尋ねた際,神が自らお答えになったものである。
(M・トケイヤー著「ユダヤと日本 謎の古代史」産能大学出版部,昭和50年(1975年)。126ページ。).............

この,神自らがモーセに話し,聖書に記されている言葉が,日本の伊勢神宮にある「八咫鏡(やたのかがみ)」(本物)の裏面に,しかも,「ヘブライ文字で」記されているというのである!

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天皇家が避ける伊勢神宮

神道で神社の頂点に君臨するのは天照大神を祀る伊勢神宮ですが、表裏一体となって同じくらい力を持っているのが京都の下鴨神社です。  その証拠に、天皇の即位の儀礼や最も重要な「大嘗祭」を主催し、そのすべてを取り仕切っているのは、宮内庁でも伊勢神宮でもなく、京都の下鴨神社なのです。  
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下鴨神社

八咫烏・神武天皇とアレキサンダー大王

『エジプトに勝利したアレキサンダーは、自らファラオになる事を決意しますが、エジプトにおけるファラオとは、太陽神アメンの子供を意味し、ファラオに即位するには、太陽神の息子として認められる必要がありました。そこで、アレキサンダーはリビア砂漠のオアシスにあるシヴァに向かいます。 シヴァにはアメン神殿があり、ここで託宣を受ける必要があったのです。  しかしながら、途中ですさまじい砂嵐に巻き込まれ、ついにアレキサンダーの一行は道を失い、立ち往生してしまします。そこに天空から一羽のカラスが現れ、アレキサンダーをシヴァのオアシス(管理人注:シヴァというのはリビア砂漠のオアシスの中にある)まで導き、無事アメンの託宣(あるいはアマンの託宣)を受け、ファラオとして即位できました。  

このように、太陽神、カラス、大王というワンセットの話は、ユーラシア大陸全般に存在しており、アレクサンダー大王の話が各地に伝わったのだと考えられます。』
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Gorge of THE CHERITH(ケリト渓谷)。エリヤ(ELIJAH)が大カラスにエサを与えられた聖書的な場所として知られる。近くにはエルサレムからエリコに通じる旧道がある。.......主の言葉がエリヤに臨んだ。「ここを去り,東に向かい,ヨルダン川の東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その水を飲むがよい。わたしはカラスに命じて,そこであなたを養わせる。」エリヤは主が言われたように直ちに行動し,ヨルダン川の東にあるケリトの川のほとりに行き,そこにとどまった。数羽のカラスが彼に,朝,パンと肉を,また夕べにも,パンと肉を運んできた。水はその河から飲んだ。しばらくたって,その川も涸れてしまった。雨がこの地方に降らなかったからだ。(列王記Ⅰ大17章2~7節)

聖書ものがたり・列王記参照

天皇家が伊勢神宮を避けている.......は天皇ではなくイスラエルの盟主である英国のご本尊が避けているということでしょう。イスラエル(ユダ族)とヘブライ族の子孫ユダヤ人との対立は根が深いのです。

伊勢神宮の灯篭の謎

八咫烏(やたからす)


八咫鏡~八咫烏~八鏡文字(カタカムナ)~カタカムナウタヒ

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遠い古代エジプトで「12黄道宮のモザイク」が発見されましたが「丸と十字」の原型とはこれではなかったのでしょうか。
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創造性のネメシス(むくい)参照

紀元前2400年ごろに描かれたバビロニアの太陽神シャマッシュ。シャマッシュの神は一年を司る。船で空を渡る月の神シンの息子で,シャマッシュとシンはカルデアの神話の中心をなしている。ちなみに,バビロニア神話においては,イシュタルは月の神シンの娘です。

 エジプトのラメス二世(紀元前1300~1236年)は,黄道12宮のうちの基本となる4宮,すなわち牡羊座,天秤座,かに座,山羊座の確立に大きく貢献しました。墳墓の飾りに,占星学の符号を刻み込むことによって彼が占星学に感心を抱いていたことが後々まで伝えられました。カーナックにあるアモンの神殿に見られるこの浮き彫りでは,ラメスが空の女神アーソーと手をつないでいる。

 昔の人は,かなりぼんやりして星を眺めていたと思っていたとしたら大間違い。夜通し見ていたんですね。偉いです。というか,暇だったんでしょうかね。

 「私たちは特定の時間に特定の場所で生まれている。そして製造年代がものをいうワインと同様に,生誕した年や季節でそれぞれ特性をそなえることになる。このことこそ,占星学の拠り所にほかならない」<C・Gユング>

 紀元前8000年,古代メソポタミア地方では,人間は常に空の脅威にさらされて生活していました。人間の精神は,計り知れない要素に満ちた宇宙に支配され,天体は,人間にはどうすることもできない壮大かつ破壊的で予知不可能な攻撃~雷,稲妻,灼熱,日食,月食~を仕掛けてきたのです。こうしてすぐに,天体優位の考え,すなわち,導き手を求めて空を見上げる姿勢が日常生活の一部になったのです。

 原始時代の人間には,偶発事の可能性を考慮に入れることはできませんでした。起こったすべての現象は,ある目的を持つ力によって起こされたものだと考えられていました。なぜなら,狭い経験の範囲内では説明のつかない現象に対しては,それを巻き起こした物理的な力を見つけ出し,名づけなければならなかった。それは人間の弱さを補強する手段でもあったのです。

そこから神話が生まれ,叙事詩が生まれ,宗教が生まれたと考えてなんの不思議もないでしょう。星はシュメール族にとって,神聖なものの象徴でした。この地方の空に満ちていた星こそ,占星学を最初に生み出したものといえます。今日では,私たちは太陽と月が私たちにたいして物理的な影響を与えていることを知っていますが,原始人にとっては,この影響はかなり重大なものであったに違いありません。太陽は人間に暖を与え,昼と夜があり,海には潮の満干があります。成長と衰微の神秘的な過程,自然秩序の満干に取り囲まれていた原始人が,宇宙を物理的に説明する方向へと向かっていったのはごく普通の自然なことだったのでしょう。

 地球から見れば,星は毎年殆ど変わりない位置を保って私たちの周囲を回っています。勿論,変化はつねに起こっていますが,原始人には観察できないほどのわずかのものです。彼らは,七つの主要な天体の背景をなしている星の,比較的早い動きには気づいていました。いわゆる,可視惑星です。もっとも古い記録には,太陽,月,そして惑星は人間の生活に介入し導く力をもった神を象徴している,という考えがみられます。バビロニアにおいて天体観測がされるようになったころには,神々の座がはっきりと確立され,それぞれの神に,人間生活の各部分を司る力を与えた。これが,すべての始まり。

 最古の暦は,アッシリアのアシューバニーパル王の時代,紀元前7世紀の中ごろに書かれたものです。いわゆるカルディア人のころです。また話はとんで,ストーンヘンジのオーブリー穴も有名です。メキシコのチェチェン・イッチャ市にある古代マヤの回転式天文台も有名です。コロンブス以前のマヤ文明がいかに高度な天文学的,占星学的な技術をもっていたかがわかります。貝の形に似た内部の螺旋階段は,いくつかの窓に通じています。その窓は,季節ごとに観察する惑星の位置に合うようにつけられている。


五木寛之著「風の王国」

『こうして意外なことが次々に露わになってくる。まずケンシはセケンシの略で、世間師であるらしい。山の世界の彼岸と里の世界の此岸との間の世間を動く民のことである。そうだとすると、この集団はサンカ(山窩)のことだということになる。
ところが、ここからこそ五木寛之がこの作品を通して強く主張しているところになるのだが、この集団は「誤ってサンカと名指された一群」であって、実はそこにはこの一群・一族の「正体」をめぐる苛酷な歴史があったのである。
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この物語の主人公たちは、明治維新に廃藩置県があったとき、葛城山系に住んでいた箕作りの一族の末裔たちだったのだ......
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 写真は「パピルスの籠」。ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は,一人残さずナイル川に放り込め。女の子は皆,生かしておけ」......しかし,もはや隠しきれなくなったので,パピルスの籠を用意し,アスファルトとピッチで防水し,その中に男の子を入れ,ナイル河畔の葦の茂みの間に隠した。(出エジプト記第2章1~3節).......箕作りと共通する造り方なのであろうか?(管理人注:箕作りは主にフジ、シノダケ、ヨツドミなどを使う)

聖書ものがたり・出エジプト記参照
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この物語の最初にしきりに竹内街道の話が出てくるのは、この街道をはじめとする大阪・奈良の連結開削開発工事にも、そのような目的がひそんでいたことの伏線だったのである。そして、それと抱き合わされるようにして、明治10年には最初の大和・和泉・河内での「サンカ狩り」がおこなわれたのだった。
 これは「山窩」という蔑称を押し付けて、この人々の正体を公然と刻印するためでもあった。警察が動き、ジャーナリズムもこの蔑称を使う。』ポルトガルのイエズス会士,ホアン・ロドリの日本大文典には七乞食として河原乞食,猿楽乞食,田楽乞食,ささら説教乞食,青屋乞食,革屋乞食,鉢こくり乞食とあるが河原に追いやられたライ病患者とともに住んだ河原乞食という差別用語ははサンカを指しているようだ。(部落問題辞典)

しかし,ここにトリックがある。伊藤博文が光明天皇とその皇子を殺害した後の16歳の成りすまし明治天皇「大室寅之祐」は田布施の朝鮮部落出身のサンカ「山窩」であった。その背後にはネイサン・ロスチャイルドの子ライオネル・ロスチャイルドがいた。明治政府は徹底的に「古代神代文字」を封印しサンカを蔑むのである。サンカが古代ヒッタイトの先住民族でありロスチャイルド家と遠縁であることを隠すためでもあった。

消えたシュメール人

ソロモン王の知恵

アレキサンダーの帝国

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 古代日本とユダヤ・キリスト教

転載:http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/097kodai.htm

神道の多神教以前に、ヤハウェ信仰があった。


 日本の伝統的宗教である「神道(しんとう)」では、神は「八百万(やおよろず)の神」と言われ、数多くの神々がいるとされています。
 しかし、古代日本人は、本当に初めからそのような多神教の神々を拝んでいたのでしょうか。


最初に一神教があり後に多神教になった

 以前、多くの人類学の本の説明では、宗教は次のように発展してきた、と説明されていました。
 すなわち、はじめに石や樹木などに宿る精霊(しょうりょう)を拝する「精霊信仰」(アニミズム)などの原始的形態があり、そこから「多神教」に発展し、さらに進んで多くの神々の中から一つの神だけを拝するゾロアスター教などの「拝一神教(はいいつしんきょう)」が生まれ、さらにそれが高度化して、高度な倫理体系と整備された教理を持つユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの「唯一神教」が生まれたのだ、と。
 しかし、二〇世紀の考古学の発達は、事実は全く逆であったことを明らかにしました。
 すなわち、宗教は決してこのような進化論的な形で発展してきたのではなく、はじめにあったのは、ただおひとりの神を信じる"一神教"でした。そこから、堕落した形態として"多神教"が現われたのです。
 たとえば、人類学上最も古い民族の一つとされるスメリヤ人は、その文化の終わり頃には五千の神々を持っていました。しかし、その文化の初期には、ただひとりの神「空の神」がいただけです。
 この「空の神」は、聖書の教える「天の神」に通じるものでしょう。元来は同じ神に違いありません。
 また、有名なエジプトの考古学者フリンダース・ペトリ卿は、エジプトの宗教ははじめは「一神教」だったと言っています。
 オクスフォード大学のスティーブン・ラングドン博士は、バビロニアで碑文を発見し、その研究から、世界最古の宗教が何であったかについて、言及しています。それによるとその碑文は、人類最初の宗教は唯一神の信仰であって、そこから急速に多神教と偶像崇拝に傾いていったことを、示していたとのことです(ラングドン著『セム族の神話』)。
 W・シュミット、W・コッペルスなどの有力な学者たちも、豊富な資料に基づき、一神教こそはあらゆる原始的宗教の基本となるもので、これが後に堕落変形して、他の様々な宗教形態が生じた事実を、明らかにしました。
 このように、宗教は精霊信仰→多神教→拝一神教→唯一神教と進化発展してきたのではなく、むしろ、唯一神教→多神教→無神論と堕落してきたのです。


考古学者たちは、一神教が堕落して
多神教になった事実を明らかにしている。

 とすれば、日本神道で言われている「八百万の神」の多神教も、じつは初めからそのような多神教だったのではなく、もとは一神教であり、それが堕落してできた形ではないか、という推測が出てきます。


初期の日本人は非常に霊性の高い人々だった

 私たちは古代の日本人について調べてみるとき、彼らが霊性の非常に高い人々であったことを知ります。
 今日、日本人の精神的荒廃が叫ばれて久しくなりますが、古代の日本人は、ある種の風格と高い霊性を持つ民族でした。
 たとえば、初代天皇である神武天皇の生涯を日本書紀に読んでみても、神武天皇はつねに天の神を祀り、信仰していた人でした。そして、
 「わがみおやの霊よ、天より降りみそなわし、我が身を照らし、助けたまえ」
 と祈る敬虔、かつ謙虚な人物であったことがわかります。


神武天皇は、篤く天の神を敬う人だった。

 神武天皇はまた、長随彦(ながすねひこ)に和議を拒まれたのみか、さんざんに攻めあぐまれたとき、言いました。
 「私は日の神の子孫であるのに、日に向かって敵を討つのは、天道に逆らっている。一度は退却してたとえ弱そうに見せても、神をうやまい祀ろう。
 背中に太陽を負い、日の神の威光をかりて、敵に襲いかかるのがよいだろう。このようにすれば、刃に血をぬることなく、敵はきっと敗れるだろう」
 と。天皇は戦況の悪化の中にも、神を第一にして退却したのです。
 彼は先祖の神を拝し、声高く雄叫びして祈願しました。こうして難をのがれたのですが、そののち神の祝福と導きがあって、戦況は一転し始めました。
 そしてついに、長随彦の大軍勢も降伏し、国は平定されたのです。
 神を第一とした神武天皇のこの敬虔さは、イスラエル民族の指導者ヨシュアにも比すべきものです。ヨシュアも、天の神をあつく信仰しつつ、約束の地カナンを目指して民を率いた人物でした。
 ヨシュアは、「先祖の神」すなわち「アブラハム、イサク、ヤコブの神」に祈りを捧げながら、その力を得て敵に打ち勝ちました。そしてついにカナンの地を平定しました。
 確かに、ヨシュアの信じた神は唯一神ヤハウェであり、一方、神武天皇の信じた神は、日本書紀によれば多神教の神であるという違いはあります。
 しかし、世界の多神教をいろいろ調べてみると、多神教を拝む人々というのは、これほどに高い霊性を持っていないのが普通なのです。一般に多神教は、みだらなものであったり、愚かしいものであったりするのが普通です。
 ところが、神武天皇の信仰などを見てみると、その信仰は一神教の信仰に比すことができるほど、ひじょうに気高いものとなっています。あたかも、古代イスラエル人が唯一の神に対して抱いた信仰にも、似ていると言えるのです。
 古代日本人は、「清く、明るく、さやけき(汚れなき)心」で、神に仕えようとしました。これは旧約聖書が教える神への信仰にも通じるものです。
 原日本人は、非常に高い霊性――気高い宗教的情操を持っていました。その霊性は本来、多神教のものというよりは、一神教の信仰を偲ばせるものです。


最初の至高神

 日本書紀によれば、神武天皇は、「日の神」の威光をかりて敵を討とうと言いました。「日の神」とは、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」です。
 では天照大神は、神道の神々の中で一番偉い最初の神様なのかというと、そうではありません。天照大神の生まれる以前に、もっと偉い神様がいたことになっています。
 天照大神の両親は、「伊邪那岐神(いざなぎのかみ)」と「伊邪那美神(いざなみのかみ)」でした。天照大神にはまた、「須佐之男命(すさのおのみこと)」という弟もいました。
 さらに、伊邪那岐神と伊邪那美神が生まれる前に生まれた神々も、います。
 古事記の中では、神々の中で一番最初に現われたのは「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」、「高御産巣日神(たかむすびのかみ)」、「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の三神とされています。
 これら最初の三神の中でも、「天之御中主神」は、天上界の中心にいて、天地を主宰する中心的な神です。この神は、親も系譜もない単独の神であり、姿を現わさず、目に見えない神とされました。最初の神であって、至高神なのです。
 ここらへんの『記紀(きき)』(古事記と日本書紀)の記述は、なにやら聖書の教える三位一体の神に、どこか似ていると思わせるものがあります。
 神武天皇や、古代の日本人は、天照大神だけでなく、これら最初の三神を祀り、信奉していたとされています。また、その三神のあとの宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)や、天之常立神(あめのとこたちのかみ)、そして「神世七代(かみよななよ)」の神々などを信奉していたとされています。
 しかし、古代の日本人は、本当にこのように多くの神々を信奉していたのでしょうか。


日本神話の多神教はバビロニア等の多神教の影響を受けている

 聖書の教える唯一の神は、お名前を「ヤハウェ」(ヤーウェ Yahweh, )といいます。
 人間に、太郎や花子といった固有の名前があるのと同じように、ヤハウェは神ご自身の固有のお名前です。ヤハウェにはまた短縮形があり、その短縮形は「ヤハ」(ヤァ)といいます。
 一方、「神」という普通名詞は、ヘブル語で「エル」といいます。これは単数形で、複数形はエロヒムです。
 アブラハムの子孫、イスラエル民族などにおいては、神は唯一のお方として信じられ続けました。しかし他の民族においては、宗教的堕落とともに、多神教が発生していきました。
 多神教は、次のような形で生まれていきました。たとえばバビロニア(メソポタミヤ)では、しだいに堕落した人々は、「エル」はおひとりではなく、妻や子どももいるのではないか、と考えるようになりました。
 「エル」に妻がいると考えるようになった人々は、その妻を「アシュタロテ」と呼びました。また、元来は普通名詞だった「エル」も、彼らの間では固有名詞化して使われるようになりました。
 また、エルとアシュタロテからは、「バアル」という息子と「アナト」という娘が生まれた、とされました。こうして、最初の神から子どもが生まれたと考える形で、多神教が発生していったのです。
 じつは、この「バアル」という神は、日本のスサノオノミコトという神によく似ています。
 バアルは、ラス・シャムラ土板という古代の碑文によると、嵐の神です。彼は牛の角のついたかぶとをかぶり、鎚矛(つちほこ)と電光を放って、武装しています。
 また雷鳴と電光の中に現われ、秋と冬の雨をもたらします。バアルは人身牛頭の神であり、嵐の神なのです。
 これは日本神話のスサノオノミコトの姿に、じつによく似ています。スサノウは別名「牛頭天王(ごずてんのう)」と言われ、嵐の神とされているのです。
 京都の八坂神社では、スサノウは牛頭天王として祭られています。スサノウはまた、天上界で乱暴狼藉を働いたとされる荒ぶる神であり、暴風雨を司る神です。
 一方、女神アシュタロテは、やがてギリシャでは、「アフロディテ」、ローマでは「ヴィーナス」の名で信奉されるようになりました。
 日本の神話では、このアシュタロテとアナトが同化して、アマテラス(天照大神)になったのではないかと、神道家の鹿島昇氏は見ています(鹿島昇著『日本神道の謎』光文社カッパブックス)。


アシュタロテ。この女神は、
ギリシャではアフロディテ、
ローマではヴィーナス、
そしておそらく日本では
アマテラスオオミカミの名で、
信奉されるようになった。

 このように、アマテラスやスサノオの神話は、バビロニアの神話が若干変形しながら伝わってきたもの、と見ることができそうです。
 ほかにも、日本の神話の中には、ギリシャや、インド、インドネシア、中国の神話と同型同根(どうけいどうこん)のものが数多く見られます。詳細は省きますが、日本の神話は、それらの地方から伝わった様々な多神教神話の集合体であることが、明らかなのです。
 つまり、『記紀』に述べられた八百万の神の多神教神話は、あとからのものであって、元来はもっと別のものだったでしょう。
 実際、古事記と日本書紀とでは、神々の神話内容に、いくつかの相違や矛盾が見られます。それはそうした神話が、あとから付け加えられたものであることを示しています。
 古代の日本人は、みなが多神教を信じていたのではありません。じつは古代日本人の中には、堕落した多神教ではなく、唯一の神ヤハウェを信じる人々もいたと思われるのです。


アジアには古来ヤハウェ信仰を持つ民族がいる

 こう書くと、ある人々は、
 「まさか。神ヤハウェを信じていた人々は、イスラエル人だけだったのではないのか。日本は、その地からはるかに遠い所にある。どうして日本にヤハウェ信仰があるだろうか」
 というかも知れません。しかし、ヤハウェ信仰は古来、アジアにもあったのです。
 たとえば、東南アジアに位置するミャンマー(旧ビルマ)に、カレン族という人々がいます。彼らは、先祖伝来のヤハウェ信仰を今も保持しています。
 彼らは、神の御名ヤハウェを短縮形の「ヤァ」(Ya)で呼んでいます。短縮形ヤァは、聖書にも何度も出てきます。たとえば、詩篇一一八・五の
 「私は主を呼び求めた」
 の「主」は、原語のヘブル語では「ヤァ」(ヤハ、Yah, )なのです。古代イスラエル人も、神を「ヤァ」と呼んでいたのです。
 カレン族は、ヤァは永遠、完全な唯一神であり、宇宙を創造し、人を創造された全知全能のお方であると言い伝えてきました。彼らにはまた、聖書の内容に酷似する人間堕落伝承や、大洪水伝承、バベルの塔や、民族の起源に関する伝承もあります。


カレン族には古来、ヤハウェ信仰がある。

 カレン族はこれらの知識を、決してキリスト教の宣教師に教わったわけではありません。ただ大昔の先祖に教えられたことを、大切に言い伝えてきたにすぎないのです。
 カレン族のヤハウェ信仰は、聖書の流れとは独立して言い伝えられてきたものです。(詳しくはレムナント七七号「カレン族に先祖代々伝わるヤハウェ信仰」参照)。
 また、ニュージーランドなどに住むマオリ族にも、古来、ヤハウェ信仰があります。
 マオリ族もまた、永遠、不死の至高の神、宇宙を創造し人を創造された全知全能のおかた、恵み深い見えない神を信じています。彼らにはまた、聖書の内容に酷似する人間堕落伝承があります。
 彼らはその創造者なる神を、「ヨォ」(Io)または「ヤェ」と呼んでいます。これはヤハウェの短縮形「ヤァ」の若干なまったものと理解できそうです。
 彼らはこの神について、宣教師から教わったわけではありません。単に大昔から、先祖の教えた神を忠実に言い伝えてきたにすぎないのです。


マオリ族にも古来、ヤハウェ信仰がある。

 マオリ族は東南アジア方面から来た民族であることが知られています。彼らのヤハウェ信仰も、聖書の流れとは独立して存在してきたのです(Creation ex nihilo, Vol.18 No.4, CSF)。
 中国の苗族(ミャオ族)にも、古来、同様のヤハウェ信仰があります。
 苗族にもまた、天地を創造し、あらゆる生物と人類を創造された創造主なる神に関する言い伝えがあります。またその言い伝えは、大昔の大洪水と人類の絶滅、箱舟によって一家族が助かったこと、またバベルの塔、民族の起源などに関するものも含まれ、その内容は驚くほど聖書のものに酷似しています。
 苗族の言い伝えもまた、キリスト教の宣教師によるものではありません。彼らは単に、大昔の先祖の言い伝えを忠実に保持してきたにすぎないのです(聖書と科学の会『インパクト』一五九号)。


苗族にも古来、ヤハウェ信仰がある。
(苗族の子どもたち)

 このように現在も、カレン族、マオリ族、苗族などに、ヤハウェ信仰が見られます。さらに昔にさかのぼれば、もっと多くの民族がヤハウェ信仰を持っていたことでしょう。
 カレン族にしても、マオリ族にしても、苗族にしても、みな日本人の祖先と非常に関係の深いと言われる民族です。彼らの顔形は日本人とほとんど変わりなく、言語や風習においても似たものがあり、近縁であることは明らかです。
 カレン族、マオリ族、苗族などは、周囲の民族が急速に多神教に堕落していく中でも、それらに毒されることなく、古来のヤハウェ信仰を保持してきました。
 彼らや、他の幾つかの民族が混血して、日本人となったと言われています。そうであれば、古代の日本人にヤハウェ信仰があったとしても、決して不思議なことではありません。


イサク伝承を日本に伝えた人々

 さて、先月見たように長野県の諏訪大社に、旧約聖書のイサク伝承と全く同型のものが、祭りとして、少なくとも江戸時代くらいまでは存在していました(レムナント九六号「諏訪大社に伝わるイサク奉献伝承」)。
 その祭りでは、子どもが縛られ、竹のむしろの上に置かれ、小刀が出されますが、使者の到来と共に子どもは解放されます。またこの祭りでは、動物のいけにえがなされるのです。
 そこには「守屋山(もりやさん)」(モリヤ山)と呼ばれる所があり、その地の神は「洩矢神(もりやのかみ)」(モリヤの神)と呼ばれています。また「ミ・イサク・チ」という名前も登場します。
 このように、この祭りはまさに、モリヤの地でイサクを捧げようとしたアブラハムの手を止められた神に関する記憶、と考えるほかありません。イサク伝承は、ヤハウェ信仰の人々以外は持っていないのです。
 ちなみに、ヘブル語の「モリヤ」()は、「ヤハウェの啓示」の意味です。諏訪大社に「モリヤの神」とイサク伝承を伝えた人々は、明らかにヤハウェ信仰の人々だったでしょう。


諏訪大社では古くから、なんと
イサク伝承が祭として伝えられていた。

 また、レムナント九二号「日本神道のルーツは古代イスラエル宗教」でも述べたように、日本の神社の構造が古代イスラエルの幕屋にたいへん似ているのは、一体なぜでしょうか。
 神主の服をはじめ、おみこし、みそぎ、そのほか日本古来の風習の多くが、古代イスラエルの習慣にあまりにもよく似ているのは、一体なぜでしょうか。
 さらに、日本の民謡にヤハウェ信仰の痕跡が随所に見られることは、興味深いことです。これについては、レムナント八九号「日本ヘブル詩歌の研究」でも紹介しましたが、同じくこれを研究した手島郁郎は、こう述べています。
 「じつは、サンフランシスコ教会の牧師だった川守田英二博士は、日本の全国いたる所に残っている神社の祭りの唄やハヤシ唄の中に、ヘブル語の痕跡が残っていることを広く考証して、数冊の著書を出しています。私は、卓抜な研究だと思います。
 たとえば、桃太郎が鬼ガ島を征伐に出かけたとき『エンヤラヤ、エンヤラヤ』と歌って家来を鼓舞したという物語は、日本人なら誰でも知っている童話ですが、さて『エンヤラヤ』とは何か? と子どもから聞かれると、親たちは困ってしまいます。
 エンヤラヤ(  エァニ・アーレル・ヤ)とは、『私はヤハウェを讃美します』というヘブル語(ユダヤ人の言葉)となります。
 熊本の八代の妙見社の御祭を見物したことがありますが、御輿をかついで『ハレルヤ、ハーリヤ、ハーリヤ、トーセ・・・・ヤウェ、ヤウェ、ヨイトンナー』と、ヘブル語そのままに歌われていました・・・・」(キリスト聖書塾刊『生命の光』二五〇号、四頁)。
 また、神武天皇の物語の中にも、ヤハウェ信仰の痕跡が感じられます。ユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグは、神武天皇の物語を読んだとき、昔イスラエル民族がカナンの地に向かった時のことを思い起こさざるを得なかった、と言っています。
 日本書紀によると、神武天皇は「キノエトラ」(甲寅)の年に、「東征」に向かい、「葦原(あしはら)の国」の中心である大和に旅立ちました。一方、古代イスラエル民族はシナイ山で「律法を授かった年」に、北東へ旅立ち、「カナンの地」に向かいました。
 アイデルバーグによると、この「律法を授かる」は、ヘブル語で「キニヤ・トラ」といいます。キニヤは得る(箴言四・七)、トラ(トーラー)は律法の意味です(出エ一二・四九)。
 一方「カナン」は、「カネ・ナー」の合成語と考えると、それは「葦原」の意味だといいます。カネは葦(Ⅰ列王一四・一五)、ナーは原です。
 つまり、神武天皇が「キノエトラ」の年に「東征」に向かい、「葦原の国」の中心地・大和に旅だったという物語は、かつてイスラエル民族が律法を授かった年に北東に向かい、カナンの地へ旅だったという物語を"下地"としている、と思われます。


モーセが律法を授かった(キニヤ・トラ)年に
カナン(葦原)に旅だったように、神武天皇は、
キノエトラの年に葦原の国の中心地へ旅だった。

 日本書紀の記述には当時の大和朝廷の政治的意図がかなり混入していますが、こうしたことを考えるなら、日本書紀や古事記以前には民の間にヤハウェ信仰がまだ色濃くあったのではないか、と思われてくるのです。


記紀にみるヤハウェ信仰

 また『記紀』(古事記と日本書紀)には、ヘブル語起源と思われる言葉が多いのも、興味深いことです。
 神武天皇は即位したのち、種族の長たちに「アガタヌシ」(県主)の称号を与えた、と書かれています。これは全く、ヘブル語と同じです。
 これがヘブル語の「アグダ・ナシ」だとすれば、それは"集団の長"の意味です。アグダは集団、ナシは長の意味(出エ一六・二二)です(ただし現代ヘブル語ではナシ・アグダ)。
 『記紀』では、神々や天皇はみな「ミコト」と呼ばれています。これはどういう意味かと言ったら、日本語では単に尊称と解する以外にないでしょう。
 しかし、これがヘブル語の「マークート」から来たものとすれば、それは"王"の意味なのです(Ⅱ歴代七・一八)。
 また天皇は、「ミカド」と呼ばれることもあります。これがヘブル語の「ミガドル」から来たものとすれば、それは"高貴なお方"の意味です。
 また、日本は古来「ヤマト」と呼ばれてきました。これには「大和」「倭」「日本」などの漢字が当てはめられたりしますが、いずれも当て字です。漢字は中国から輸入されたもので、それ以前から「ヤマト」という音があったのです。
 ヤマトがヘブル語の「ヤ・ウモト」なら、それは"ヤハウェの民"の意味です。ヤは神の御名ヤハウェの短縮形、ウモトは民の意味です(民数二五・一五)。
 とすれば、日本民族は本来は、神ヤハウェの民であったことになります。
 さらに、ユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグ氏は、神武天皇の正式称号「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」はヘブル語だと言っています。
 もしこれを日本語として解釈すれば、これといった意味はないが、ヘブル語として読めば、それは、
 「サマリヤの王、神ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」
 の意味になるのです(詳しくはレムナント出版発行『古代日本にイスラエル人がやって来た』五二ページ)。またアイデルバーグ氏は、
 「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とお」
 も、ヘブル語だと言っています。まさかと思う人もいるでしょうが、実際これはヘブル語としか思えないのです(詳しくは同書五三ページ)。
 このように古代日本には、ヘブル語を話し、神ヤハウェを信じる一群の人々がいたはずです。『記紀』においてヘブル語源のものが残っているのは、そうした人々の名残でしょう。
 しかし、やがて多神教や、異教的な伝承を持つ人々たちが勢力を持つようになると、日本の起源に関する伝承は、『記紀』に記されたような多神教的な物語に作り替えられていきました。そしてヤハウェ信仰も、少なくとも表向きには、消し去られていったのです。


ヤハウェ神に立ち帰れ

 今日の日本神道の多神教形態と、現代の日本人の間に見られる無神論は、日本民族が堕落した結果にほかなりません。
 本来、日本人は、宗教心あつく、霊性高く、至高の神を敬い、拝する民族でした。初期の日本人は、聖書の教えると同じ神ヤハウェを知っていたことでしょう。
 私たちが、本来の民族的ルーツに立ち帰るにはどうしたらよいのでしょうか。それは、神ご自身が下さった啓示の書『聖書』に学び、聖書の教える神ヤハウェを信じることです。
 そして父なる神ヤハウェが、私たちのためにお送り下さった御子イエス・キリストを、救い主として知ることです(イザ五三・六)。
 そのときに、私たちは霊性を回復し、祖先の信じたと同じ唯一の至高の神に立ち帰ることができるのです。


Back to Yahweh our God!
ヤハウェに立ち帰れ。

                                  久保有政著(レムナント1997年8月号より)

【進化の原点】人が、神のかたちとして、神に似せて造られた

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転載:日本語版 www.GotQuestions.org  

https://www.gotquestions.org/Japanese/

質問: 人が、神のかたちとして、神に似せて造られたというのは、どういう意味ですか?(創世記1章26-27節)

答え: 創造の最後の日に、神は仰せられました。「さあ、人を造ろう。我々のかたちとして、我々に似せて、、」(創世記1章26節)こう押して、神はご自分の仕事を’個人的なタッチ’をして終わらせました。土地のちりで人をかたち造り、その鼻にご自分のいのちの息を吹き込んで、人を生きものとされました。(創世記2章7節)それで、人間は神のすべてのほかの創造物の中で、特別なのです。物質(体)と非物質(魂/霊)と両方の部分を持っています。

神の’かたち’と’似たところがあるというのは、簡単に言えば、私たちは神に似たように造られたということです。アダムは、肉体を持っているという意味では、神に似ていません。聖書は「神は霊である」(ヨハネ4章24節)といっているので、神は肉体なしに存在するということになります。しかしながら、アダムの体は、完全な健康体として造られ、死なないようにできていたという限りでは、神のいのちを反映していました。

神のかたちとは、人の非物質的な部分を指しています。それは人間を動物世界から遠く引き離し、神の意図されたとおり、”支配”するもの(創世記1章28節)にふさわしいのです。そして、その非物質の部分で、創造主なる神と親しく交わることができるようになるのです。それは、精神的、道徳的、社会的に、似ているところなのです。

精神的に、人は理性のある、意志を持った者です。つまり、人は論理的に考え、選択することができるのです。これは、神の知性と自由を反映しています。 誰かが、機械を発明したり、本を書いたり、景色を描いたり、交響楽を楽しんだり、総額を計算したり、ペットに名前をつけたりするときは、いつも人間が神のかたちに似せて造られた事実を宣言しているのです。

道徳的には、人は義と完全に清く造られました。それは、神の完全な聖さを反映しています。神はご自分の造られたものすべて、(人間も含めて)をごらんになって、「それは非常によかった」と言われました。(創世記1:31)私たちの良心、または、”道徳の羅針盤”は原型の名残りなのです。誰でも法律を作ったり、悪にひるんだり、良い行いを賞賛したり、または罪責感を感じたりするとき、その人は人が神のかたちに似せて造られたという事実を確立しているのです。

社会的に、人は他の人と交わるように造られています。このことは、神の三位一体のご性質と神の愛を反映しています。エデンの園では、人の主な関係は神との関係でした。(創世記3章8節は神との交わりを暗示しています)そして、「人がひとりでいるのはよくない」ので(創世記2章18節)、最初の女を作られました。人が結婚したり、友達を作ったり、子供を抱きしめたり、教会に集ったりする時、私達は神に似せて造られた事実を示しているのです。

神のかたちに似せて造られたということのひとつには、アダムは自由に選択できる能力を持って造られたということです。アダムは義なる性質を与えられていましたが、創造主に対して反逆するという悪い選択をしてしまいました。 そうすることで、自分のうちにある神のかたちに傷をつけたのです。それから、その傷物のかたちをその子孫に(私たちをも含めて、ローマ5:12)受け継がせたというわけです。今日でも私たちは神のかたちに似ています。(ヤコブ3章9節)が、罪の傷跡をも持っています。 精神的に、道徳的に、また社会的に、その効果/影響が見えます。

良いニュースはと言えば、神が人を救われるとき、その人のうちに元の神のかたちを復元され始めるのです。「真理に基く義と聖を持って神にかたどり造りだされた、新しい人」を造ることによって。(エペソ4章24節;コロサイ3章10節も参考)

 

Ray:天が創造主ヤファエーに人間を創造させた時「真理に基く『義と聖』を持って神にかたどり造りだされ、アダムは『義なる性質』を与えられて・・・・云々とあります。これこそ今までの時代を表現しています。義は階級を生み偏って物質社会を生み戦争を醸し出しました。これから神が人を救われる時(今)その人のうちに『元の神のかたち』を復元され始め、新しい人を造ると予言しています。この心を天は『過去の義』に対して、これからは『真理に基く仁と聖を以て神になる』と唯一絶対の根源創造主が祝福しています。聖書的に言う「博愛」、スピリチャル的には「完全愛」です。『人類が神に似せて造られている』ことは、人類進化の基本構造の基本的なファクターです。宇宙から地球に生まれ変わってくる生命も地底世界の生命も全てこの進化に参加するために時を待っています。

NESARAの歴史と真の物語~前ホワイトハット諜報員の告白

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2012年4月27日

http://formerwhitehat.wordpress.com/2012/04/27/the-saga-of-nesara-a-romanic-adventure-of-the-white-knights/
Confessions of a Former White Hat Operative
ACCEPT NO CLONES!
The Saga of NESARA 〓 A Romantic Adventure of the White Knights
by Former White Hat, 27 April 2012

NESARAの歴史と真の物語

この変化は1970年代の中頃から、連邦土地銀行が不法に農民の抵当権を中西部全体で流したことから始まった。個々のケースにおいて、農民たちは連邦準備銀行(FRB)の承認の下に銀行詐欺に遭った。これについての裁判は後に農業者損害賠償請求プログラムとして知られるようになった。1978年にコロラド州のある一人の年老いた農民が連邦土地銀行とローンを組んで農場を購入した。この農民が死亡した後、この資産は息子の退役将校であるロイ・シュワシンガー・ジュニアに相続された。その直後に連邦土地銀行の職員と連邦保安官が彼の農場に現れ、銀行は彼の農場の抵当権を流すので、30日以内に退去するようにと告知した。知識を欠いていたので、彼の父親は、借用者死亡の場合には、連邦土地銀行に資産を返却することという条件に署名したのだった。

怒ったロイ・シュワーシンガーは、デンバーの連邦裁判システムに集団訴訟を起こした。しかしこの裁判は提訴の手順の問題で取り下げられた。これからロイ・シュワーシンガーの心に火が付けられ、彼によって銀行システムの調査が開始された。1982年に彼は米国の上院と、後に最高裁と契約を結び銀行詐欺の調査を実施した。しかし、彼は厳しい非開示命令に従わなければならなかったので、メディアに発見したことを知らせられなかった。1980年代の終わりに、彼は連邦政府に対する集団訴訟を助けてくれた軍隊の高級将校を含む者たちに彼の持つ知識を分け与えた。これらの法廷闘争の最初のシリーズは1980年代の半ばにフォートコリンズのウィリアム、及びシャーリー・バスカービルが彼等の農場を差し押さえようとしたフォートコリンズの第一インターステート銀行との間に生じた破産問題において始まった。あるレストランで、弁護士はこれ以上助けられないと宣言した。この会話を聞いたロイ・シュワーシンガーは破産裁判所に提訴する方法を教示した。1987年に彼等はコロラド州の米国地方裁判所に提訴した。1988年の3月に、デンバーの連邦裁判システムは銀行が実際にバスカービルをだましたので、破産宣告を無効と裁定した。しかし抵当物件が戻されなかったので、彼等は新しい提訴を起こした。そのうちに、他の23人の農民、牧場主、インディアンが同じようにして銀行にだまされ、裁判に参加したいと言ってきた。

これらのケースでは、銀行は法外な金利を課し、不法な抵当流しを行い、あるいは口座に貸与金を繰り入れずに、支払うべきお金を盗み、資産の抵当流しを行うなどをした。お金がなくなっても、彼等は弁護士の助けを借りずに法廷闘争を継続した。ファーマーユニオンの助けも借りて、新しい訴訟が連邦土地銀行と農業信託システムに対して提起された。

地方裁判所は農民の勝訴の判決を下し、銀行に盗んだ資産を連邦保安官、又はナショナルガードの助けを借りて取り戻すように命じた。しかし、支払いは行われず、農民は連邦土地銀行と農業信託システムに対して非故意のチャプターセブン破産宣告をした。銀行はこのケースについて、自分たちは私企業ではなく、連邦機関なので損害を補償する立場にはないとの訴訟を起こした。

そこで、農民の法律チームは、新しい戦略を立てた、連邦土地銀行の1933年の憲章によれば、彼等は直接申請者にローンを組んではならず、破綻の場合の保証人としてのみローンを組めるのである。連邦土地銀行はこのルールに違反したので、農民の法律チームは銀行に対して損害を賠償させることに成功した。

この判決が広がり始めた。法律チームは他者に対する抵当流しに対してどのように対処すべきかを教え、同じように彼等の訴訟を支援した。セレブのウイリー・ネルソンも参加し、資金を提供した。

政府は問題を解決しようとしたが既に多くの訴訟で負けてしまっていた。より多くの証拠が集められた。国家銀行法によれば、全ての銀行は定款を登録する必要があったが、どの銀行もこれに従わず、法律チームは農業信託システムを提訴した。農業信託システムだけが米国銀行協会とのビジネス協定に従わなかっただけでなく、連邦住宅建設協会、住宅・地方開拓協会やFRBのような他の準政府組織さえも従っていなかった。

農民達の訴訟についてはそれぞれのレベルで意図的に記録が破棄され、法廷から排除された。そこで、1990年代の初頭に、ロイ・シュワーシンガーはこの案件を米国の最高裁に持ち込んだ。この案件のあるものは大衆の目から遠ざけられたが、ほとんどは今でも閲覧が可能である。

ほとんど全員一致で米国最高裁の判事達は農業ユニオンの勝訴を決定した。それ故に、農業信託システムによる全ての資産の抵当流し行為は違法とされ、当事者は損害賠償を勝ち取った。それに加えて、彼等は連邦政府と銀行は農民と、膨大な額のお金と財産を米国市民からだまし取ったのだ。

さらに、裁判所はアメリカ合衆国内国歳入庁(IRS)がプエルトリコ信託であり、FRBは違法であり、修正所得税法は四つの州でのみ制定されているだけなので、合法な修正ではなく、IRS法は正当な法ではないと裁定された。

退職したCIAエージェントから否定すべくもない証拠が提示された。このエージェントは、銀行の証言や記録が違法なものであり、農業ユニオンの主張は正当であると証言し、記録を提出した。この裁定の意味は深刻だった。FRBとIRSが得た全ての金、銀、タイトルは人々に返還されなければならなくなった。

法律チームは1950年代から秘密裏に憲法への回帰のために動いてきた政治家、将軍、ビジネスマンからなる善意の者たちのグループの支援を求めた。これらの者の中には、1933年の米国破産以前のタイトルを授けられた四つ星の将軍も含まれていた。

この案件が米国の最高裁に持ち込まれた時、彼等はこの者の肩を持って、United States Inc.の陸軍の将軍のタイトルを与えた。その後法的な行動は上院の金融委員会と、ロイ・シュワーシンガーと協力していたサム・ナン上院議員の手に渡った。隠密の議会及び政治的な圧力の助けを借りて、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は行政命令を発し、連邦に対する請求をした者には支払いを行うことを認めた。

1913年の連邦準備銀行法によると、現在の全ての、及びそれに引き続く米国財務省の負債はFRBによるものである。従って農民は法的チームが行政命令を利用して、FRBに金の裏付けがある通貨で損害賠償金の支払いを強制するだけでなく、United States, Inc.の破産時の法的所有権を主張出来る、と主張している。

損害賠償金を支払わせるために農民の法律チームは、ほとんどの人達が知らない、修正第14条の曖昧な付属条項を利用した。内戦の後に、政府は市民に損害を受けた者全てに、連邦政府の外国政府によって受けた障害や損害から市民を保護する義務の失敗に対する支払いの請求を許した。グラント大統領はこの付属条項を市民の目から隠したが、農民の法律チームの誰かが、これを持っていた。

これに注意深く見ると、それは外国政府によって受けた損害について規定している。この外交政府は憲法上の政府として大衆を欺いてきた企業体である連邦政府なのである。これは、United Statesとして知られている連邦システムの下の敵戦闘員として全ての市民を定義している1881年の基本法、1933年の敵との交易禁止法にさかのぼる。判事達と農民の法律チームは、米国の連邦政府が如何に悪で腐敗しているかを認識し、これに対抗するために、政府の制御を取り戻すための解決策を考えた。

A   第一に、彼等は、憲法が規定する金、銀の裏付けのある合法的な通貨で支払いを受けたらどうかと考えた。これならインフレを防ぎ、連邦準備システムが創り出す経済のサイクルから身をかわす事が出来るだろう。

B  第二に、金縁旗の下の海事法の代わりにコモンローへの回帰が必要である。コモンローの下では、損害は発生せず、法違反は行われなかった。これによれば、大衆を支配し、腐敗した政治家達を保護するために利用された数百万の法律を排除出来る。

C  最後に、IRSを解体し、国家販売税に置き換える。これがNESARA法の基礎である。

法律チームが最終的な解決を得た時には、各人は訴訟一件あたり平均2000万ドルを受け取ることになる。これに336000件をかけると、米国連邦政府に対する合計支払い請求額は、6.6兆ドルに達する。

米国最高裁はこの案件を秘密保持令の下に置き、連邦記録保管所から全ての情報を抜き出して、最高裁のファイルの中に格納した。その時点までは、上院議員のサム・ナンがバスカービルの案件を自分のオフィスに収納していた。判決が下され、この判決はジャネット・レオが封印した。この案件が封印されたので、提訴者たちは判決に違反せずには裁判記録をメディアに提示出来なくなった。しかし、彼等はそれでも他の人達にこの訴訟について話しをした。これがこの案件についての報道を目にすることがなかった理由なのである。

1991年にロイ・シュワーシンガーは上院委員会に出席して銀行と政府の犯罪行為の証拠を提示した。彼は、如何に企業体であるUnited Statesが国際銀行家達が支配するファシストの統一世界政府新世界秩序(New World Order:NWO)の実現と如何に結びついているかについて、議員達に知らせた。そこで、1992年に、300人の退役軍人と、35人の憲法を強く支持する米軍士官からなるタスクフォースが形成された。このタスクフォースは政府の役人、議会の役人、判事、及びFRBの職員の調査を担当した。

タスクフォースの主な構成員は、
*海軍作戦本部長、ジェレミー・ブールダ提督
*デービッド・マクラウド将軍
*前CIA長官ウイリアム・コルビー、である。

彼等は賄賂と強要行為が議員と判事の間で普通のやり方になっていることを明らかにした。この不正行為はひどく激しかったので、535人の議員の内でたったの2人だけが実直だった。しかし、さらに重要な事は彼等がFRBの初めての監査を行ったことだった。

FRBは、政治家に命令を下しており、監査を受ける意向はなかった。しかしFRBの職員たちは、必要な場合には、銃口を向けられると通告されて、調査に応じた。彼等のファイルを監査した結果、士官達は国の負債であるべき金額として、帳簿上800兆ドルが記録されていることを発見した。連邦政府の宣伝とは裏腹に、彼等は又、ほとんどの国がUnited Statesに借金を背負っていることを発見した。

これらの隠蔽された数百兆ドルの金額は押収されて、農民の大規模訴訟の結果に対する支払いに充てるためにヨーロッパの銀行口座に振り込まれた。これが後の繁栄プログラムの基礎になるのである。

これらの致命的な打撃にも関わらず、ジョージ・H・W・ブッシュとイルミナティは世界の奴隷化プランを続行した。

1992年の8月に、軍隊の士官達はブッシュ大統領と対決し、United Statesを憲法に回帰させるように署名を求め、彼にNWOという言葉を二度と口にしないように命令した。ブッシュは協力する振りをしたが、秘密裏にNWOの実施を計画し、1992年12月25日に銀行を無期限に閉鎖し、戒厳令を施行出来るとする行政命令に署名をしようとした。

ブッシュは、戒厳令の混乱の中で、現在の行政府にいる者を25年間釘付けにし、新しい役人の任命権を剥奪するという新しい憲法を設定しようとした。軍隊が介入して、ブッシュのこの行政命令への署名を阻止した。

1993年には最高裁のメンバーと、議会のある者たちと、クリントン政権からの代表者が、憲法への回帰、銀行の改革、及び財政の矯正を要求する米軍の高位の者と会合を持った。彼等は法律チームに国中で草の根レベルでの他の者たちの訴訟を助け、教育する会合を設定させる農場訴訟プロセスの創設に合意した。

損害賠償請求は金融機関によって貸与された全てのローンの金利について行う事が出来る。これは抵当流し、弁護士費用、裁判用、IRSの税金又は先取特権、リアルエステート、及び資産課税、及び資産喪失に関する心理的、感情的なストレス、ストレスに関係する自殺や離婚などの病気、保証、投獄、保護観察などについて請求出来る。

しかしクリントン政府は、農業者の請求には政府が作った特別な形式を用いることを要求することによって、彼等の努力を害した。この形式には、請求一件毎に行政費用300ドルを要し、後の1994年にロイ・シュワーシンガーを含む法律チームの逮捕費用に充当された。

政府は案件の真の性状を隠すために特別ステップが取られたミシガンにおける裁判の間に彼等が主張した事を非常に恐れた。州の裁判所はの要員は月曜日から木曜日まで裁判中の労働を禁じられた。裁判所の外側では、FBIのエージェントが周辺に群れ、メディアと訪問者に起きていることを知らせまいとした。

政府による収監中の嫌がらせと報復は増し、あるいは殺害が行われた。軍事要員による保護にも関わらず、1933年のUnited States破産の元の肩書きを得た将軍達は収監され、殺害され、あるいはクローンに置き換えられた。このクローンはその後更なる請求が行われないように防止するためのおとりとして利用された。

クリントンの一次政権の間、軍部は多くのクリントンによる連邦要員の指名を遅らせ、これらの者たちが憲法への回帰を支援するかどうかを確認した。必要な変化をもたらすと約束した者たちの中には、司法長官ジャネット・レノが含まれていた。

最高裁の1993年6月3日の裁定の下に、ジャネット・レノは、デルタフォースと海軍特殊部隊をスイス、英国、イスラエルに派遣して、連邦準備システムが戦略的金保管所から盗んだ数兆ドルの金の回収を命じた。これらの国々は、負っている負債のキャンセルを米国が約束し、米国からお金を盗んだ者たちがこれらの国からもお金を盗んだので、この急襲に協力した。

この金塊は、貴金属の裏付けがある新通貨のために用いられる予定だった。これは今、コロラド州コロラドスプリングスのノラッドコンプレックス、及び他の四カ所に安全に保管されている。ジャネット・レノの行動は権力者を大きく憤らしたので、彼女は殺害された。彼女はクローンに置き換えられ、この生物が種々のクリントンのスキャンダルの隠蔽の責任者だったのだ。

米国財務省のロバート・ルービンを味方に付けておくために、彼もクローンに置き換えられた。クリントンの残りの在任期間の間、レノとルービンの給与は、国際通貨基金(IMF)から外国エージェントに対するものとして支払われ、米国財務省からは支払われなかった。これらの活動にも関わらず、法律チームは、流血と大革命を避けながら、戦いを続けた。

1993年以降、農業者の賠償請求プロセスの名称は、銀行請求に変更された。1993年から、1996年の間は、米国最高裁は米国市民に米国財務省が支払う損害賠償請求には、”銀行請求”と称するように要求した。このプロセスは1996年に終了した。この期間に米国の最高裁は、二、三の判事に裁定の進歩を監視させた。彼等は経済、通貨システム、銀行、憲法政府、法律、及び他の多くの関連分野の専門家の支援を得た。これらの判事達は、支持連合を構成し、世界的な人々の支援網を形成した。これは”ホワイトナイト”と呼ばれた。”ホワイトナイト”という用語は、ビジネスの世界からの借用である。それは敵の買収から企業又は金持ちにより救済される脆弱な会社を意味する。

必要な変化を起こすために、五人の判事が長年かかって、改革を起こす方法についての交渉を行った。やがて、彼等はある合意に達したが、これは米国政府、FRBの所有者、IMF、世界銀行、英国その他のユーロゾーンの多くの国の内部では”協定(アコード)”として知られている。この米国の銀行改革は全世界に衝撃を与える。IMF,世界銀行、世及び他の国々も関係しなければならなかった。この改革ではFRBの米国財務省による吸収の必要があり、銀行の詐欺的な活動は停止され、過去の損害に対する支払いの必要もある。

1998年には当初から農民の訴訟プロセスに加わっていた将軍たちが、最高裁の裁定には協定の実行の意図がない事に気が付いた。そこで、彼等は改革を実行する唯一の方法は、議会が承認した法を通じる事であるとの判断をした。1999年には、75ページのNESARA(国家経済保証及び改革法:National Economic Security and Reformation Act)が議会に提出され、一年近く議論が交わされた。

2000年3月9日の夜遅くに、文書による定足数招集がデルターフォースと海軍特殊部隊によって15人のNESARA担当の上、下院議員に配布された。彼等はただちにデルタフォースと海軍特殊部隊に守られてそれぞれの投票室に入り、NESARAを成立させた。

これらの15人の議員達は当初の修正第13条に従ったオフィスを持つことが法的に許された唯一の人々だった。1812年の戦争時に、英国兵が英国王に関係する者は誰も公的なオフィスを保有する事が許されないという修正貴族称号法(TONA)のコピーを破棄したことを思い起こしてほしい。NESARAはこの国だけでなく、この惑星の全歴史を書き換える最も目覚ましい改革なのである。この法律はFRB、IRS,影の政府その他多くのものから離れるものである。

NESARAが実施されると以下のような変化が起きる。
1  全てのクレジットカード、住宅金融、他の銀行債務は不法な銀行業務と政府の活動の結果ゼロに解消される。これはFRBの最悪の悪夢となり、負債解消の祭りとなる。
2  所得税の廃止。
3  国内収入庁(IRS)の廃止。IRSの祖hくいんは米国財務省の消費税担当に転勤になる。
4  14%の均一な物品の売り上げ税。生活必需品を対象とせず、新しい項目のみを対象とする売り上げ税が政府の収入になる。別の言い方をすれば、食品や薬品には課税されず、中古のような一旦使用された物には課税されない。
5  年長者への年金額の増加。
6  全ての裁判所と法的な事項についての憲法への回帰。
7  貴族称号に関する修正憲法の復帰。数十万の外国勢力の支配下にある米国人は市民権を失い、他の国に追放され、生涯再入国出来なくなる。数百万の大学卒業の学位記は価値のない紙切れになる。
8  NESARA宣言の後、120日以内に大統領及び議会議員選挙が行われる。暫定政府は全ての戒厳令をキャンセルし、当初の憲法に回帰する。
9  選挙は監視され、特定の利益団体の不法な占拠活動を防止する。
10 新しい米国財務省を設立し、金、銀、プラチナなどの貴金属の裏付けがある、レインボウ通貨が発行され、フランクリンルーズベルトが1933年に開始したUnited Statesの破産は終了する。
11 米国人の誕生証明書の売買は禁止され、米国運輸省による動産証券としての記録が禁じられる。
12 憲法に沿った新しい米国財務省銀行システムが開始される。
13 FRBは排除される。遷移期間の間、FRBは、全ての連邦準備紙幣を通貨供給ルートから排除するために、米国財務省と平行に一年間だけ運用が許される
14 財政のプライバシーを復帰させる。
15 全ての判事及び弁護士は憲法に従うように再訓練する。
16 世界中であらゆる攻撃的な米国政府による軍事活動を止める。
17 世界中で平和を確立する。
18 人間性確保の目的で膨大な額のお金を放出する。
19 国家の安全という口実で公衆から隠蔽されていたフリーエネルギー技術、反重力技術、音波ヒーリング装置を含む、6000件以上の特許技術を公開する。

クリントン大統領のクローンは2000年10月10日に議会を通過したNESARA法への署名に一向に関心を示さなかった。米軍の将軍からの命令の下に、エリートの化軍特殊部隊とデルタフォースがホワイトハウスを襲い、銃口を向けてビル・クリントンにNESARA法への署名をさせた。この間、シークレットサービスとホワイトハウスの保安要員は降伏を命ぜられ、武装を解除され、このイベントの秘密保持を命令された。このイベント発端から、ブッシュ・シニア、企業体政府、大銀行、カーらいるグループは、NESARAに反対であった。秘密を保持するために、この事件の詳細と事件整理番号は封印され、議会の公式記録所で改訂され、さらに最近再改訂された。これは公的な議会議事録が見あたらない理由であり、改革が行われるまでは、この法律を探索しても正しい詳細が得られなかった理由なのだ。

政治家、メディア、銀行員に課せられた極度に厳しい秘密保持令のためにこの法律についておそらく誰も聞いた事がないはずである。アレックス・ジョーンズやロン・ポールさえもがそれついて語ろうとしないが、この法律は依然として有効なのである。議会の銀は最高裁の判事達からNESARAの存在について否定するようにとの命令を受けているので、これについて語ろうとしない。さもないと、国家反逆罪で死刑を科せられるからだ。議会の議員のうちのある者は、実際に議事妨害の罪を着せられた。ミネソタ州の上院議員、ポール・ウェルストーンは秘密保持命令を破ろうとしたがそうする前に彼の小型飛行機が衝突して妻、娘、彼自身が死亡した。

恐れが議会を従わせるのに十分でなければ、お金が役に立つ。CIAは定常的に上院議員に銀行ロールプログラムで得た不正利得を用いて贈賄している。全ての上院議員んいは最低2億ドルの賄賂が送られ、カナダにあるバンクオブアメリカの口座に預金されている。メディアネットワークのNESARAに関する報道を見聞きした事はないはずである。沈黙を守らせるためにCNNのような大きいニュースネットワークには年間200万ドルが支払われる。この不正利得は、ユタ州のモルモン教会から、上院銀のオリン・ハッチの事務所とバンクオブアメリカを通じて支払われる

議会だけが賄賂を受けているだけでなく、統合参謀本部全体と大統領を含む政府高官全てもこの支払いを受けている。憲兵司令官のみがこれらの者たちを逮捕する権限を持っているが、悲しむべき事に、彼もこの仕事を実行しようとはしない。

驚くことではないが、NESARAについては多くの偽情報がインターネット上に見られる有名なネイサイヤーには quatloos.comがあり、CIAの手先だと言われている。 nesara.orgはブッシュファミリーが運営している。シェリー・シュライナーや種々のインターネットチャネラーはテレパシー諜報員からメッセージを受け、混乱を増している。

ウイキペディア上の情報さえ誤っている。ウイキペディアはCIAエージェントのハーベイ・バーナードによるNESARA情報の歴史を掲載している。よく見ると、この法律は、 National Economic Stabilization and Recovery Actの事で、経済改革を行い、所得税を販売税に置き換えるものである。この法律は1990年代に議会で否決された。ウイキペディアにはNational Economic Security and Reformation Actはほとんど記述されていない。

2001年9月11日がNESARAを世界に宣言するための次のステップだったが、容易な事ではなかった。多くの強力なグループがNEASARA法の施行を妨害しようとした。NESARA法の施行には、少なくとも一年の期間を要する。現在の米国最高裁の判事が、NESARA法の宣言責任を持つ委員会をコントロールしている。これらの判事達は全権限を利用してNESARA法施行を秘密裏に妨害してきた。

2001年には、多くの交渉の後に、最高裁の判事達は現在の議会にNESARA法承認決議を通過させるように命じた。これは2001年9月9日に実行され、18ヶ月後にNESARA法は法律として有効になるはずだった。ジョージ・ブッシュ・シニアは、ホワイトハウスに行って、彼の息子を操り、宣言を阻止させた。次の日、2001年9月11日の東部標準時間午前10時にアラン・グリーンスパンがNESARAの公的宣言の一部として、新しい米国財務銀行システムと、米国市民の負債免除、及びIRSの廃止を発表する予定だった。

宣言寸前の午前9時に、ブッシュ・シニアは、ノースタワーの1階、2階にある新しい米国財務銀行システムの開始を妨害する目的で国際銀行コンピューターを破壊するために世界貿易センターの爆破を命じた。世界紡績センターの爆薬は、CIAとモサドの諜報員が仕掛け、ビルディング7から遠隔で爆破操作が行われた。このビルディング7は、証拠隠滅のためにその日に爆破された。遠隔操操縦技術が爆薬の航空機による運搬のために使用され、ペンタゴンの新海軍司令センターにあるホワイトナイトの駐在位置を正確に爆破した。ホワイトナイトは、NESARAの国家的実行を支援する調整活動を行っていた。NESARAの宣言が阻止され、ジョージ・ブッシュ・シニアは政府を人々のものに戻す希望を解消させてしまった。

翻訳 Taki    http://www12.plala.or.jp/gflservice/NESARAConfessionOperative140214.html

 

 

Ray : NESARAが法的に保証されるレベルで、土地の所有問題があり、GESERAレベルに波及する要素がすでに歴史的に地域的に内在しています。米軍の駐留地や国家の土地政策によって銀行の担保流れした膨大土地などの問題があり、これらの補償問題に発生することで、歴史的な土地の所有に関する概念が「略奪」以外ないことが証明されてゆきます。


OPPTは合法的に企業、銀行、及び政府を奴隷制度と私的なマネーシステムの罪で差し押さえた          

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2016年  4月 11日

“パナマ・ペーパー”の問題(公平な国家財務(税務)をテーマ)は、下記のように“創造主の価値資産センター (CVAC)は、地球の管理者である人間を支援し、奉仕するように組み立てられた支援機構である。CVACは常に全責任をもって繋がり合った公務員によって運営される地球規模の支援ネットワークを形成する。CVACは統治と行政の簡単な枠組みであり、①知識システム ②通信 ③旅行 ④透明性 ⑤保護と平和維持 ⑥会計責任 ⑦財務 ⑧再所有 の八つの機能分野”に基づき適時適切にリークされているものです。どの問題はどの分野にあたるのか、公正な社会意識の熟成が速まるよう、問題を的確に掌握し、地球を運営する者(市民)の自覚と旧体制(政府や企業)の観察・監視を具体的に実行に遷す準備に入っています。

一例として、②通信:国連では20年以上前から地球市民の携帯電話など通信費はすべて無料にするように決定していました。実態としてSkypeを例にしても様々な制限があり、一見消費者を向いたポーズの企業の横暴が続いています。そしてその企業はパナマ・ノートのブラック企業に外なりません。

Ray

 

2013年 2月17日  

OPPTは合法的に企業、銀行、及び政府を奴隷制度と私的なマネーシステムの罪で差し押さえた          

http://wakeup-world.com/2013/02/18/all-corporations-banks-and-governments-lawfully-foreclosed-by-oppt/

One People’s Public Trust Lawfully Forecloses Corporations, Banks and Governments for Operating Slavery and Private Money Systems

17 February 2013 / By Andy Whiteley

多くの人は聞いたことがあり、他の多くの人は聞いたことがないかもしれない。2012年12月25日に企業-政府支配システムが、それ自体の機構に基づいて破綻したことが、公に宣言された。

これまでの権力は、かつては権力であったものに変化した。全ての疑惑は消滅され、企業体の政府や銀行に限らず、企業は差し押さえられた。

確かに、私たちが彼らと共に演技を続けることを期待して、彼らも演技を続けるかもしれない。しかし、一つのものである人々の公共信託(OPPT)による一連のUCC(統一商事法典)登録の結果、どのように選択するかは、私たち人民にかかっている。新しい社会統治の枠組みが今、有効になっている。つまり、企業支配の前任者の”法的”な枠組み自体によって、新しい社会統治の枠組みが合法的に有効になっているのだ。

系統的に言えば・・・私たちは自由なのだ!!

OPPT

OPPTが起した法的行動は実にわくわくするようなことである。そしてまさしく、それが巻き起こすポジティブな変化は巨大である!しかし、詳細に入る前に要約的に、何が起きたのか、現在の状況はどうなのか、を説明したいと思う。

企業支配的政府と、企業支配的メディアは自分たちの欺瞞の公表をいくつかの理由で拒絶している。私たちの役割は、他の人たちに説明が出来るように、そして最終的には、このプロセスを世界中で開始するために、何が起きたのか、現状はどのようなことになっているのか、を理解することである。

しかし、まず、現実のチェックである。

先に進む前に、いくつかの事実を列挙する。

1)政府は企業体であった。企業的な政府現象は”政府”という形態を信託されたのではなくて、信託受益者として振舞っていただけでなく、書面によってそれが証明されていると言うことである!米国、カナダ、オーストラリア、英国、フランス、イタリー、ブラジル、日本、南アフリカ・・・他にも多くの国全てが米国に基地をおく企業体であり、米国の証券取引委員会に登録され、私たちの出費で運用されている。”システム”は本質的に少数独裁的であり、ほんのわずかの者の利益のために残りの者がそれを支えるために働かされている、というものである。

2) 人間は生まれつき企業要員であった。出生と同時にあなた方の名前の信託を開始する企業政府が用いる出生証明に両親が署名する。この信託は担保として用いられ、担保勘定が作り出され、あなた方の名前で基金が払い込まれる。あなた方はこの信託の受益者なのだ・・・しかし、誰もこの信託が存在するとは言わない。7歳までに意思表明をしなければ、企業政府はあなた方が死去したと宣告する―国際法の名の下に―その結果、あなた方はシステムの手で、海難によって死亡したものとされる。まじめにである。企業政府はその後、あなた方の資産を経済的に支配しているものとみなされる。実際には、私たちは7年以上生存しているという事実があり、私たちを生きている奴隷として取り扱い続けているのだ。資金があなた方の生命をマネーに換算することによって生成され、担保として用いられ、銀行融資を受けるときにあなた方に貸し出され、住宅融資金となる。これらの借金を返済するために強制的に働かされる。その上に金利を取られ、システムに戻されるのだ。法的には、あなた方はあなた方は7歳までに死亡しているので何一つ権利がない。あなた方は失うだけなのだ。

※ Ray:この活動拠点とデータはニューヨークの地下施設にありましたが、10年ほど前のハリケーン到来の最中に光の勢力が犯罪の証として回収しています。BPPFの計画はこの奴隷制度の根拠を排除し、本来の人間の尊厳と能力を発揮するために神託を受けている相互扶助システムです。

3) マスメディアは、企業政府が利用している、家庭にプロパガンダを届けるツールに過ぎない。マスメディアは企業政府による行動の公共的概念を操作し、社会的な規範、制約、及び行動を強化するために利用されていて、あなた方のためにニーズを作り出して、不要なものを売り出し、ニーズを満たすための製品を供給するのである。それはメディアに限らない。古いパラダイムの心理は教育機関、宗教機関によっても同じように強化されているのだ。

企業、政府及びメディアの全てが同じ嘘をついているのである。

4) その結果、世界経済の構造が、大衆の奴隷化機構になった。奴隷化が貧困と強制労働の手段として扱われてきたのである。奴隷化は、人々の意思に反して、出生時点から売買の対象になり、その場を離れる権利、仕事を拒絶する権利は剥奪されている。

これで納得がいったであろうか?

あなた方は、システムがどのように機能するか何も告げられずに、システムに組み込まれていたのである。あなた方は養育され、システムに貢献するように教え込まれた。あなた方はシステムの中でひどく疲れる時間を働いて過ごさねばならない。おまけにシステムに対して税金を払わなければならない。あなた方はシステムのルールに縛り付けられている。ルールのほとんどは、資産と所有権に関するものであり、従わなければシステムによって罰せられる。設計の大元からして、システムはほんのわずかの選ばれた者にのみ豊かさを与え、 他の多くの者は飢えに苦しむようになっている。しかし、それが嫌でも、システムから離れることはできない。システムは全てを、全ての人間を、全ての場所を”所有”しているのである。

これまでは、あなた方は一つの意見しか持っていなかった。それはまるで出口のないカジノのようなものであった。いつもカジノの所有者が勝つのである。

政府は何時企業化されたのか?

全ては準備銀行システムの発足から始まった。米国において、 1913年に連邦準備銀行法が制定されて以来、チャールス・リンドバーグ議員は米国議会に対して1913年12月22日の議会証言で、連邦準備銀行は、その力を用いて、経済を浮揚、降下させ、企業が国を支配するようになると警告した。

リンドバーグ議員の言葉では、”これから先には、不況が科学的に作り出されるだろう。”と。

そしてそれはやってきた。1929年には、”権力を持っていた者”は意図的に証券市場を崩壊させた。どうやって?証券価格の振れは感情によって左右される。1929年以前には、市場に興奮が巻き起こり、インフレを生じさせた。支配者は自分たちの持ち株を特別価格で市場に放出し、市場にパニックを起こした。価格が急落すると、彼らは株を安値で買い戻し、それまでの悩みであった競争を排除した。

手短に言えば、大恐慌はこの組織化された崩壊から回復するために政府に資金を貸与することによって利益を得るために証券市場を支配する大企業が意図的に仕組んだものだったのだ。尊厳ある国家が、究極的には、本来は決して完済できない借財契約に署名するよう強制されたのだ。それから、国家の負債は、山積し始め、負債による奴隷化のパラダイムが公式化され・・・企業が支配権を握った。

今日では、企業政府は真の政府の振りをし続けている。準備銀 行システム(今では西側諸国全てを支配している)が、戦略的にマネーと信用の供給の締め付けと緩和を行うことによって、市場ブームと市場の縮小期間を操り続けている。その間ずっと、大メディアは証券市場の感情に影響を与え、政治的な嘘を操り続ける役割を演じている。

しかし、OPPTが行った複合的な運動は企業システムを差し押さえ処分に追い込んだ。政府と銀行システムを含む全ての企業が自分自身の通商管理機構の使用停止に追い込まれた。法的な表現をすれば、旧来の信託が退場し、新しいものが入場してきたのだ!

ではこれは政府の転覆なのか?

そうではない。いまだに政府の仮面を被っている企業の転覆なのだ。”政府”とは、尊厳ある国家の憲法を隠れて目に見えないように書き換えた、実際の企業であるものと理解しているのなら、彼らの欺瞞はとうに賞味期限を過ぎているのである。

政府の詐欺は現実のものである。そしてとうとう―UCCに関する主張に対する反証が出来なかったために、―企業政府複合体全体が詐欺、反逆、奴隷化の罪に問われることになった。国際法によって、OPPTはこれらの犯罪について一つのものである人民を代表して救済策を申し立てる権利を持つ。OPPTは、差し押さえ、企業、銀行、及び責任を負う政府の終焉を要求し、これらの実体の、銀行が資産として保有する金、銀を含む、全ての資産とインフラストラクチャーの没収と、それらの一つのものである人民の手に渡すことを選択した。

これを転覆とは考えず、盗取された財産の取り戻しと考えて欲しい。OPPTの行動は本質的には、この惑星上の尊厳ある存在としての私たちのものの取り戻しである。今では、宇宙法、共通法、及びUCCがこの惑星の支配法規なのだ。

UCCは通商用のバイブル

UCCは、通商用のバイブルである。これは正確に国際取引と通商の態様を規定している。実際、通商システム全体がUCCで組み立てられている。住宅金融が支払い不能になったら、あるいは自動車の所有権が変わるのなら、銀行はUCCを用いて処理を進める。

しかし、UCCは法律学校では教えられない。これは企業とその運用の領域なのであり、企業がその法規部門の被雇用者に必要に応じてUCC教育を施し、この、”ハウス内での”重要な機構の知識を維持する。しかし、OPPTの信託者のうちの一人が、UCCに職業的な関わりを持ち、いかに”直近までの過去において権力を持っていた者”が米国の財政・金融システムを非常 に高度なレベルで支配するためにUCCを操作していたかを瞬時に理解した。このUCCの専門家、母、OPPTの槍の穂先である、Heather Ann Tucci-Jarraf(ヘザー・アン・トゥッチ・ジャラフ)は、彼女自身の住宅をテストケースとして利用して差し押さえた。彼女は、UCCプロセスによって差し押さえに挑戦した。このプロセスを通じて、彼女は、米国の裁判システムが―非常に単純なことに―常に企業システムを擁護していることを発見した。

実に驚くべきことに、法令の99%は所有権、又は通商に関係している。

極度に慎重な実践の後に、OPPTは人々のものであるとの擬態を呈している政府と金融システムはこの惑星の人々に対して、人々が知らない間に、同意なしに反逆罪を犯していたことを見出した。この調査の最終報告を以下に示す。

システムに対する差し押さえを実行するために、OPPTの信託者はシステム自体が構築している法構造を利用したわなを仕掛けた。

信託者はいかにして差し押さえを勝ち得たか?

OPPTはカレブ・スキナー、ホリス・ヒルナー、及びヘザー・アン・トゥッチ・ジャラフによって管理されている。OPPTは信託者の信託によって創生され、1776年の創立当初の米国憲法に準拠している。この憲法は、1933年に米国政府が企業化された時に放棄された。

OPPTはその後、この惑星上の、”創造主が創造した一つのものである人々”である全ての個人を平等な受益者として組み込んだ。そうすることによって、被信託者が他のすべての者に強力に主張を繰り広げられる体制― 創造主と地球の”存在の実体”との間の信託―を作ったのだ。地球の存在の実体とは、地球上での創造主の表現である監守としての創造主の受益者である。法律 的に言えば、地球上でのOPPTの受益者であるという以上の高度な主張は、創造主によって作られたものを除いては、皆無である。

この惑星上の資源―UCC登録において規定された世界の金と 銀―はそれゆえ私有され、私たちに対価として売却され、私たちの奴隷化の代償として支払われ、あるいは貧困を創造するために退蔵されてはならないのである。OPPTの下では、私たち全てが平等である。この惑星の飢えの資源は今では平等に私たちのものである。これが私たちの生来の権利である。今、それが私たちの法律なのだ。

2011年から2012年の間に、被信託者たちは、受益者を代表してUCCを用いて一連の複雑な訴訟を戦った。OPPTのUCCを利用した訴訟の詳細は彼らのウエブサイト、http://peoplestrust1776.org に掲載されている。これは純粋に法律的な事項であって、一般に知らせる目的のものではないことに注意。しかし、被信託者は、世界的な代替メディアと共に直接的に大衆に正確、明確な関連情報を伝えている。

これらの文書を要約すると以下の通りである。:

”発見と行動の秩序”としてのUCCプロセスを経由し、企業、政府、及び銀行を一つの同一の企業と看做して、全ての企業である、”負債を負っている者”に対して訴訟が提起された。この訴訟は負債を負っている者が知りながら、意図的に、意思を持って、私的なマネーシステムを所有し、運用し、支援し、市民が知らない間に、意思と意図を持って合意の上で、奴隷システム を運用するという反逆罪を犯したと主張している。

UCC登録は公共記録となり、標準的な行政プロセスを踏襲している。請求が行われると、負債を負った者である実体には反証の権利がある。反証が所要の時間枠内に行われない場合には、

反証不履行と、その実体の終了が宣言される。この場合には、一つのものである人々による反逆罪の責に対する反証はなされなかった。

大切なことは、ここでは反証が無い限りUCC登録が基礎になるということである。そしてこの場合には、OPPTの信託者は、負債を負った者を構成する企業と個人が反証の余地が無い事を保証するのであろうか?どのようにして可能なのだろうか?奴隷化と詐欺の主張は正しいものなのだ。もちろん、反証は行われなかった。

負債を負う者はそれゆえに反逆罪について有罪である。

救済策として、企業は一つのものである人々に返却される。

全ての企業の負債は免除される。

システムは解散される。

公共記録にはこれを明記する。

UCC登録は国際法に基づく。

システム自身の条件は消滅する。

私たちは自由である!!

そこでこれら全ての事は何を意味するのか?

法律的には、創造主とあなた方との間には、上位の権威筋は立ち入ることが出来ない。経済と政府の支配機構を排除したので、OPPTは個人に全ての責任を持たせ、個人が自分に対して責任を負い、他者の自由意志を確かなものにする責任を持つようにする。もはや命令に関する構造的な鎖は無い。ルールも無い。背後に隠れている企業も無い。あなた方は、創造主が意図するように、私たちの惑星とその住民の守護者なのである。

これは大規模なパラダイム変化であり、完全に自覚されるまでには、疑いも無く時間がかかるであろう。

私たちの自由意志と自由な選 択を阻害して、私たちが自分の道を見定める方法、私たち自身の障害における選択の方法を困難なものにしていたシステム的な障害は排除された。私たちは今は、少なくとも書類上では、自己責任のシステムの中で暮らしている。OPPTにはこれが永遠に登録され、あなた方の自由意志は、承知の上での合意なしには決して奪われることが無い。

これまでのところ、公式な奴隷システムの下での私たちの存在は常に争いの的であった。この争いとは、仕事と家族との約束のバランスを取るためのものであり、目的にかなうようにする争いであり、存在の場所としての暮らしの場所を作る争いであった。

しかし、特に創造主が私たちに必要な物を供給するために創りだした豊穣の世界の中では、この争いは普通の状態ではない。むしろそれは私たちに対して行われた心理戦争の結果であった。そしてそれが旨く機能したのだ!それは私たち人間を支配下に置き、私たちをちっぽけな奴隷のように働かせ、”力”を持った数少ない者たちのために利益が転がり込むように仕組んだ。

しかし、今、私たちの言い方である、”システム”はもはや存在していない。

私たちの多くが、存在していた”システム”を見てきたが、他の多くの人はそれを見なかった。多くの人たちは”システム”がシステムであることさえ信じなかった。多くの人たちはそれに間もなく気が付くだろう。

それにもかかわらず、古いパラダイムが定着し、私たちの社会の中で明らかなものになるにつれて、私たち全ての中に心理的な変化が起こるはずである。それは圧倒的なものに見えるが、私たち人間は以前にパラダイムの変化を取り扱ったことがある。アフリカ系アメリカ奴隷が不本意な強制労働から解放された時に必要になった内的、心理的な変化、ベルリンの壁が1989年に破壊された時のドイツ人の心情、前のソビエト連邦解体のときの市民の心情、2011年に独裁者を追放した時のエジプトの人たちの心情、2012年に、腐敗した銀行家、政治家を投獄し、憲法を書き換えたアイスランドの人たちの心情、を考えて御覧なさい。

このタイプの心理革命は新しいものではない。しかし、それは多くの人々の変化を誘った。

今は、勇敢になり、勇敢なあなたになる時だ。支配構造が無くなったことによって、私たち各人が私たちと地球の運命を制御しなければならない。私たちは自分たち自身のために再び選択することを学ばねばならず、私たちが住みたいと思う世界を作り始めなければならない。

新しい両親のように、私たちの生涯がかつてそうであったものとは同じではないことを受け入れなければならない。そして、”ルールブック”がないままに、直感に同調し、一緒になって、共同での新しい方法の運用を学ぶことになるだろう。

何故変化が見えないのだろうか?

辛抱・・・見えるようになる。しかし、まず、OPPTによる行動が法的な光景を変化させ、それが私たちにどのように関係するのか、を見分ける必要がある。

旧来の企業システムは戦いを 止めるのか?もちろん止めるだろう!企業が支配していた政府は何も変わらなかったかのように振る舞い続けるだろう。もしもあなた方が彼らの負債による奴隷化システムを受け入れるとしたら、確実に”かつて権力を振るっていた者”は幸せにもあなた方へのサービスを続けるだろう。

しかし、騙されてはならない!彼らは何が起きたのかを知っているのだ。彼らは、差し押さえられたことを知っているのだ。彼らはゲームが終わったことを知っているのだ。今は国際法の時代なのだ。

私たちは旧来システムには平和的に協力しない自由を有する。今はその自由を行使する時なのだ。

もしも目に見える”政府”がいまだにこのように 仮面を被っているのが不思議なのだったら、目に見える政府は企業の人形であり、実際には決して采配を振るったことは無かったことを忘れないで欲しい。彼らは今まで秘密に大きく依存していたのだ。この時点では、以前の所有者たちは私たちに、政府が”今までどおりのビジネス”をしていると信じて欲しいと思って いるのである。彼らは最後の最後まで善人の振りをし続けるだろう。それが彼らのやり方なのだ。

OPPTの被信託者である、ヘザー・アン・トゥッチ・ジャラフは最近の自由放送のインタビューでこの問題の取り扱いについての彼女のプランを次のように語っている。

”OPPTの目に見える者たちの行動、非行動に関する対応に ついて疑問を感じている人たちに対しては、私が対抗しようとしているのは、カーテンの陰に隠れている魔法使いや、大きい犬たちであり、政府はこれを知っています。絶対的な愛と平和、絶対的な感謝と恩寵を込めて、ヘザー。”

”旧システム”の私たちに対抗する行動の取り扱い

負債/奴隷化システムの崩壊と共に、このシステムに対してあなた方が負っている全ての仮想の負債は、消滅している。これについて少し考えてみよう!

あなた方の”旧システム”からの滑らかな脱却を容易にするためには、現在、あなた方に対して旧システムが取っている行動に当てはめる救済策がどのようなものかを理解する必要がある。

最近の二つの Wake Up Worldの記事では、私たちは企業体政府機構に対するあなた方の権限を再確認する、OPPT以前の事項について述べている。この方法は、これまでの政府が企業体であることと、法定上の政府の権限を主張する側にそれを証明させることにある。

この方法については、実際のケーススタディーとしての、Scott Bartle のドキュメンタリーである、”What the FUQ?(オーストラリア政府が頻繁に答えられない質問)”に見ることが出来る。

一般にこの問題の要点は以下の通り。

”あなた方は私に対して請求をしてきたが、この請求に喜んでお答えします。しかし、私としては、正当な者を相手にしたいと思います。そのために、私にあなた方がこの国の成り立ち示す憲法上の正当な政府であることを示してください。”

この場合に、企業体政府がその法的正当性を示すことが出来なかったとしたら、あなたとこの実体との間の対話に対するあなた自身の条件をあなたの側から提示できるということになる。

OPPTが実効的である世界においては、いわゆる現政府を含む企業体の権限に対する疑問提示プロセスは以下の通り。

”私はあなた方の要求に喜んでお答えします。しかし、あなた方が代表すると主張する実体は差し押さえられたという事実にたいする反証がなされていない訴訟が見られます。あなた方は今、あなた方自身の責任において自身を運用しています。したがって、私に対する請求は取り下げてください。この請求を続けるよう決めるのであれば、私たちの間の対話は、以下の条件の下に行われるものとします。”

エージェントが企業実体をもはや代表していない ことを思い出せば、通告書は個人宛に将来の対話を受け入れるための条件を附して送達されるべきである。これは、彼らに、あなた方に対する不法な請求を取り下げる機会があることを知らせる。エージェントがあなた方との更なる連絡を始めれば、彼らはあなた方との間の個人的な連絡を開始したことになり、あなた方 が提示した条件を受け入れたことを示す。

同じ以前の企業体の第二のエージェントがあなた方に同じ請求について連絡を取ってきた場合には、第一のエージェントに対するものと同じ手続きを踏めばよい。企業体はもはや存在しないということを忘れないように。あなた方は単に別の個人を相手にしているだけなのだ。

あなた方自身の通告書と条件を作る詳細な方法は、 www.oppt-in.com/documents に示されている。あなた方にはそれを実行する力があるのだ。

私たちの社会の中で新しいパラダイムについて皆 が気付くには時間がかかるだろう。OPPTの意味が広く知られるようになり、コミュニティーに採用されるまでは、まだ知らない人たちを尊重して欲しい。彼らは単に以前の企業体のための運用を止めるであろうから、やがては、個人として新しいパラダイムに目覚めるだろう。しかし、もしもあなた方がそのうちに個 人宛に通告書を届ける必要があるとしたら、あなた方が知っているという立場を重んじ、彼らに対する尊敬の念を持って知らせて欲しい。以前の企業体、銀行、及び政府のグラウンドレベルのエージェントはあなた方や私と同じ立場にあり、同じシステムの奴隷でもあったのだ。彼らはまだ真実を知らないだけなのだ。

”法的”な期限の場合には、条件付きで街角にあなたを引き出した(以前の)警察官に通告書を発行するのはお勧めできない。繰り返すが、彼らは単に私たちと同じ立場にいるだけで、あなたがそのようなやりかたを取れば、彼らは逮捕し、罰金を科すだろう。気付きが飽和点に近づいたら、グラウンドレベルの役人に同意するようお勧めする。その後、彼らに通告書を FAX、メール、郵便などで送達し、あるいは手渡しても構わない。それが裁判にまで拡大したら、判事に裁判の刻限前に同じ方法で通告書を送達して通知する。法廷で条件を提示することは避けたほうが良い。ヒアリングの前に、彼らを尊敬しながら私的に通告書を読ませるのなら、この対話に関わる全ての者に対してよりよい結果が得られるだろう。

忘れないようにするべきことは、通告書を発行するプロセスはあなた方の立場を救済するものとして役に立つ練習に過ぎないことである。個人間の協力が社会に新しいパラダイムをもたらす鍵になる。この問題を報道する企業支配のメディアがなければ、OPPTに対する大衆の気付きはコミュニティーやネットワーク内でのみの情報の伝達によるものだけになるだろう。

結局、私たちは”創造主が創りだした一つのものとしての人々”なのである。

OPPTの下ではどのようなメカニズムが構成されるだろうか?

企業体政府システムの法規による解体は、その法的、及び行政的な枠組みを通じて形成された非常に多くの法令の廃棄に至る。OPPT、UCC、一般法、共通法の受益者としては、法のみが役に立つ。

一般法は、基本的には、人々の間の行為を治める原則に関わる。一般法では、他者の自由意志を阻害しない限り、ある者の自由意志による選択が許される、と表現できる。これがOPPTの枠組みの基礎である。

共通法は、裁判所又は類似の法廷による決定を通じて発展した慣習法である。共通法は、類似の案件を異なる法によって裁くことは不合理であり、又、害を与えず、損失を生じない、という原則に基づいている。

OPPT以降の世界への移行を促進するために、被信託者は、一般法、共通法に基づく、新しい世界の構築を可能にさせ、旧システムの解体を促進する新しい法的な枠組みを作った。

あらゆる人、特に企業体の終焉によって無に帰した、誓いを立てた既存の軍事要員は、知っての上で、意思をもって、意図して、公共奉仕者としてOPPTに結び付けられ、創造主の人たちを保護し、奉仕する。

OPPTとのつながりを選択する公務員は、

”全ての人の血と生命を守り、維持するために公認され命令を受ける。”

”全ての個々の・・・私的なマネーシステムを所有し、運用し、支援し、扇動し・・・ エージェントと公務員を・・・ 拘留し・・・法的な執行システム・・・奴隷化システム”・・・を公認する。”

”全ての私的マネーシステムを再所有し、追跡し、送金し、発行し、収集する法的執行システム”を公認する。

”適切な裁量権限を与え・・・あらゆる手段、力及び戦略を行使し、・・・この命令を執行する。”

実際には、軍隊の中で意思を持つ者は、企業支配の軍隊から離れる法的な枠組みの中に組み入れられ、OPPTに配属され、一つのものである人々の組織に積極的に貢献する。

人間の性質を考慮すれば、ますます多くの数のエージュエントが喜んでこれらの命令を受け入れるであろう。

今、執行命令は公務員が来て、期限が過ぎたクレ ジットカードを直接収集する第一線のエージェントを逮捕するということを意味しない。それは創造主の生んだ存在としての私たち一人一人の役割であり、グラウンドレベルの他者に、通告書について知らせることによって、この変化を理解できるように支援すること。執行命令は1%である、差し押さえられた企業体政府の所有者に対するものである。

一つのものである人々のための支援センター

コミュニティーサービスは、明らかに以前のシステムの所有者が推進するものではなかった。それにもかかわらず、彼らの企業には、自分たちが企業であることを知らせたくないという希望のもとに、多くの警察や公共健康管理サービスなどの公共支援機能があった。

そこで、OPPTにはどのような公共サービス機能を持つべきだろうか?

創造主の価値資産センター(CVAC)は、地球の管理者である人間を支援し、奉仕するように組み立てられた支援機構である。CVACは常に全責任をもって繋がり合った公務員によって運営される地球規模の支援ネットワークを形成する。CVACは統治と行政の簡単な枠組みであり、八つの機能分野を持つ。

1 知識システム

2 通信

3 旅行

4 透明性

5 保護と平和維持

6 会計責任

7 財務

*8 再所有

*:債務者からの資源、インフラストラクチャー、及び一つのものである人々の富の回収のためのOPPTの条件に従う伝統的な機能。

この惑星上の以前の国家の一つ一つは個々のCVAC支部を持つが、バチカンは例外とする。各CVAC支部は他の地域のCVAC支部と同一のサービスを実施する。この惑星上の全ての人は、

一つ一つのCVAC支部に支援され、同一の資源と支援ネットワークと接続する。各CVACの行政機関地域はその地域の評議会によって運営され、意思を決定し、問題を解決するために一つのものである人々を組織し、動かすという役割を担う世話役によって導かれる。この構造は又、その機能が全ての人に恩恵を与え、他者の自由意志を阻害しないという条件の下 に、追加的なCVAC下部機関を設け、新しい環境、あるいは動機に対処することが出来る。

2013年2月15日のThe CrowHouseにおけるインタビューで、OPPTの被信託者であるヘザー・トゥッチ・ジャラフはCVACの構造を、”あなた方があるべき姿になることが出来、選択することを実行できる安全な場所・・・誰をも傷つけることがない・・・”と述べている。

私たちの可能性は文字通り無限である!

定義から、CVACシステムは”政府”と呼ばれている腐敗した企業ツールとは対照的ある。責任、可測性、がCVACの枠組みを支えるものである。CVACは全ての者のための法令を単純化し、統一し、全ての者のニーズを確認するものである。CVACは全ての者の自由意志を如何なる形でも阻害するものではなく、全ての創造物の保全と保護を行う、価値と資産のセンターである。世話役と評議会のメンバーは三ヶ月毎に役割を交代し、常に公務員が一つの者である人々に責任を果たすようにする。

これらの理由から、CVACは新しいタイプの統治体の基礎である。このシステムは今、私たちの役に立っていて、そのほかの回り道を取ることはない。一つのものである人々からの気付きと支援が膨らむとともに、その最初の仕事は旧来カバールの排斥になる。

CVACの創生と条件に関する文書は、www.peoplestrust1776.org. に見られ、更なる情報は間もなく公表される。

”一つのものである人々”としての前進

OPPTは大規模なパラダイムシフトを代表する。OPPTはとっくに期限が過ぎたエネルギー変化をもたらす構造変化を実現させる。

OPPTは永遠なる創造主の存在としての自由を認め、法律によって、貧困、不平等、及び持続不可能なことを修正する。OPPTは私たちの惑星の驚異と資源を私たち全てが経験できるプラットホームを形成する。そして、企業体の見かけと、その犯人を保護するおろかな規定を排斥することによって、エネルギー的に私たち相互のつながりを持つようにする。存在として大きい責任を持ち、皆が平等であり、自由である。

私たちは大規模な社会的、政治的、スピリチュアルな変革の時期にある。

個人的には、この変革は世界の狭間にいるような 感じを受けるだろう。私たちの生涯を長い間支配していたシステム的な枠組みは廃止されたが、私たちの周囲の物理的な世界においてはまだ完全には変化が現れていない。以前の企業体の世界的な協力体制への改革のプロセスには疑いも無く時間がかかるが、私たちは既に旧システムを排斥するための法的な力を持っている。だがまだ彼らは本当の姿であるとの振りをするのを止めてはいない。

私たちは非常に多くの決定をしなければならない!新しい世界では、私たちがあるべき事、しなければならないことは何だろうか?CVACの枠組みの中で私たちは何を創り出す機会があるのだろうか?そして実際的には、”かつては権力であったこと”を用いて何をするのだろうか?

今は、私たち一人一人がOPPTの自由を日常の暮らしの中で実現し、他者の理解と、その日常の暮らしの中での統合と実現をする義務がある。

自由はただではなく、責任が伴います。

変化はあなた方から始まります。

正しいことを今行う。

自分の責任を果たします。

このメッセージを広げくてぐださい。                          

翻訳Taki  

http://japonese.despertando.me/%EF%BD%8F%EF%BD%90%EF%BD%90%EF%BD%94%E3%81%AF%E5%90%88%E6%B3%95%E7%9A%84%E3%81%AB%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%80%81%E9%8A%80%E8%A1%8C%E3%80%81%E5%8F%8A%E3%81%B3%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%82%92%E5%A5%B4%E9%9A%B7-2/

OPPTとNESARAの共通点

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OPPTの成立過程には想像を越える戦いがあった。高次元の聖なるサンジェルマンと観音の歴史的黄金管理体制は、アヌンナキの支配を超えた次元で準備され、創造主と地球市民ひとりひとりとの関係が細い黄金の糸で保たれてきた厳粛なものでした。OPPTが、市民の尊厳に対し示しているのは、現行国際商業法(UCC)に基づき、合衆国憲法あるいはそのほか国際法の主旨に準じて違法な金融財産は、現存する地球の資源・財宝のすべてが含まれるまで膨れ上がっていたことです。

これらのすべての受益者は地球市民にあり、人類個々の自己責任で運営を開始しなければなりません。NESARAおよびOPPTの共通点は、一見理想的なプランですが、いつ、どう実現するのか具体的に決められていません。歴史が証明するように、人々は道徳を軽んじたため規範を失い、知らず知らずカルマの重い荷物をしょってしまった。宗教や歴史的淵源として手の届くところにあった規範を、風潮(政治・経済・教育…)に惑わされ「真理」の探求を軽んじた結果でした。

それにもかかわらずこの30年間は無論、2012年12月21日を境に、壮大なスケールで人類の解放が始まっています。もちろんカルマからの免脱はこれからのスケジュールをこなすために基本的な軌道として位置付けられています。それはさまざまなディスクローズによって支えられると同時に、地球市民が自らの創造力で、新しい地球社会を担ってゆくために、自らの能力を最大限に発揮できるようNESARAやOPPTの光の灯台が設置されました。

現在アイルランドで実行されている政治改革や金融経済改革は、社会のシステムを根底から変える前哨戦のような見事な成果をあげています。このモデルがある以上、まもなくNESARAの一部である社会・金融改革がアメリカ合衆国で行われることに世界が期待しています。アイルランドのモデルが国際社会に浸透していることが安心感をもたらし、地球市民がさまざまな立場からこの課題を議論しやすい環境を作り出します。背景となる金融や政治の変革はNESARAが目標であり、2013年にふさわしいNASARAの改正版の一部になるよう進化し、世界的な年金改革や世界的な医療保険改革、そして世界的な教育改革へと繋がって行きます。

豊穣資金が地球市民一人ひとりに支払われる、といううわさががのびのびになっていると思われていますが、大切なことは地球市民がそのお金を受け取ったとき、どのような影響を与えるかです。一般的にそういうお金が支給されたら、「みな怠け者になって社会が混乱する」という意見が多い。もっともで常識ある考えのようですが、これまで仕事を強制されていたことは間違いであると言うことに気がつき、人は豊かに遊んで人生を楽しむにふさわしい尊厳ある存在であり、その天の恩恵を今まさに受益できる時代になったことが受け入れられるようになるまで、社会の機能が改善され、人々がみな自信を持って生活を楽しめるためのさまざまな学びをする時間が必要となります。

NESARAが実行されたら「みな怠け者になって社会が混乱する」という意識は、間違っていることがわかるまで、カルマの清算や学びがあり、そのことが能力を開花させる機会に繋がります。OPPTも同じように私たち地球市民に与えられた機会です。それはそれぞれの今の役割を果たすため、心をふさいでいるもの、妨げとなっているものを取り除き、本来の能力を発揮できるような仕組みが用意されているのです。

OPPTは創造主が人類に与えた限りない恵みを享受できるよう覚醒するための原則を示されました。すべての財宝・土地・自然環境はは地球市民のものであり、地球市民が大切に管理しなければならないものです。地球のどこへでもを自由に往来し、どこにでも自由に住むことのできる環境が与えられています。地球市民がそれを意識し実現して、やがて地球環境を原始の大自然の状態に回帰させ、その時は通貨や黄金の必要もなくなります。私たちにはNESARAとOPPTという未来への乗り物が現実に用意されました。この広い大きな光の遊び場で思いっきり心を開放してみたいと思います。

そもそもOPPTとは何か、その歴史的由来 

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2013年2月7日  

            

1. 1871年の法律で米国は、コロンビア地方の企業になった。

2. 1913年に米国の連邦準備制度が導入され、議会と財務省から貨幣の製造権が剥奪された。連邦準備銀行は、私的な銀行で、米国ではない外国の投資家たちが所有している。私的な連邦準備システムの一部ではない中央銀行はほとんどなく、イラン、キューバ、及び北朝鮮にしかない。

3. 1929年の株式市場の崩壊は大銀行によって画策されたものであった。ほとんどの大銀行は、市場の崩壊の前に資金を取り戻して、崩壊後に市場に資金を投入し、わずかな金額でドルを買収した。これは世界経済の第二の崩壊だった。

4. 1930年代には北アメリカの景気は後退したままであり、United Statesは、1933年に破産した。個々の国ではなく、全ての国に、国際決済銀行が全ての金地金を備蓄するほうが良いと思わせた。ドイツはジョージ・ブッシュの祖父であるプレスコット・ブッシュの支援で軍事力を構築した。

5. 1933年の3月9日制定の緊急銀行法の下に、ルーズベルト大統領が破産と支払い不能を宣言した。1933年6月5日の議会の議決では、金本位制度とUnted Statesの権限、全てのUnited States政府機関、官僚、及び部局の公的能力を停止した。

6. 1933年3月にはUnited States of Amerikaの憲法は保留となり、市民はFDRによって州の敵であるものと定められた。この年の4月には、FDR執行命令は一般市民の金地金保有を不法であるものとした。

7. ドイツのようなほとんどの国とUnited Statesがその市民を”出生証明書”に基づいて、”企業の資産”とみなすようになったのは、この時点であった。これが世界の人々が知らない内に奴隷化された時であった。

8. 1944年のブレトン・ウッズ合意によって、戦勝国が世界を分割して分かち合った。

9. 1954年には、ビルダーバーググループが形成され、世界の市民一人一人に対して、ソーシャル・エンジニアリングというツールを用いて、社会に対しての沈黙の戦争を実行すべきことが合意された。

10. 1960年にケネディー大統領が選出された時、彼はこのプランに気が付き、不正を正そうと決心した。彼は中央銀行から通貨の発行権限を奪い銀本位制度を施行しようとした。彼は、実行命令に署名をした直後に暗殺された。ジョンソン大統領は副大統領から昇格して実行命令を破棄し、印刷済みの財務省紙幣の流通を停止した。

11.  1971年にニクソンは金本位制度を停止し、サウディ・アラビアとの合意によって石油本位制度、ペトロダラーを開始した。

12.  1970年代には、フィリピンのマルコス大統領に膨大な量の金地金が信託された。WTCが保有していた1万トンの金地金だった。この信託は一世紀前の王や女王が富を人民に与えるための遺産の一部を預けたものだった。不幸にも腐敗、貪欲、及び操作によって、この信託は実現しなかった。

13.  2000年には、UNITED STATESは、再び破産の憂き目に遭った。70年サイクルに基づく標準ビジネスモデルで、侵略による更なる戦争を引き起こして、人口を減らし、資源を奪い、経済を崩壊させ、その後新しい通貨を発行することになった。

14. さらなる、数兆ドルを実直な人民から奪い取る企てとして2007/2008年の経済崩壊が銀行によって実行された。

15.  トレジャリーAGは経済構造全体を見渡して、系統的な詐欺と腐敗に満ちていることを発見した。これは又、人々を代表していると思われていた政府と司法システムが行ったといわれている詐欺につながっている。悲しいことに、これは何世紀にも亘って実行されてきた事実なのだ。

16. 2011年には、United Statesの財務省は連邦準備システムの14.3兆ドル分を抵当流れ処分とした。これでもシステム的な問題が解消できないことが分かったので、公共信託がUCC(汎用共通規則)告発によって以前の政府/企業の資産を凍結すべく、関係者の訴訟を開始した。

17.  注:連邦準備銀行は私的な銀行である。連邦準備銀行紙幣は私的機関の者であり、米国人民の負債ではない。

18. OPPT(One People's Public Trust:一つのものである人民の公共信託)は、信託の預託者である”あなた方”に譲られた資産を受け取る資格があることを確かめる義務を負う被信託者である。マルコス大統領がフィリピンにおいて信託され、果たせなかったのと同様な義務を負っている。マルコスそのほかのかつての被信託者は信託の責を果たすことができなかった。

19. 以前の企業の資産は、今は被信託者の手の内にある。皆さんは、そのように選択するのであれば、この信託についての知識を豊かにし、信託の誓約書類に必要事項を記入することが出来る。(訳者注:記入しなくても、すでに法令上の信託がなされている。)

 翻訳:Taki    http://www12.plala.or.jp/gflservice/OPPTHistoricalStory130207.html

NHK~公明 長沢副大臣 女性問題で参院議員辞職

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公明党の長沢広明復興副大臣は、議員宿舎に知人の女性を宿泊させるなどしていた責任を取りたいとして、26日、参議院議員を辞職しました。

公明党の長沢復興副大臣は、26日午後、国会内で記者会見し、ことし5月ごろ、数回にわたって、議員宿舎に知人の女性を宿泊させたり、カギを渡したりしていたことを明らかにしました。

そして、「家族以外の人を、議員宿舎に宿泊させるのはルール違反であり、軽率だったというほかない。政治家としてふさわしくない、疑いを招くようなふるまいをしたことは大変申し訳ない」と陳謝しました。

そのうえで、長沢氏は「清潔を旨とする公明党の議員としての資格はなく、この大事な時期に、政府や党に多大な迷惑をかけてしまうことは、本当に申し訳ないという思いから、議員辞職することを決めた」と述べ、26日昼前、伊達参議院議長に宛てて議員辞職願を提出したことを明らかにしました。

国会議員の辞職願は、国会閉会中は議長が許可できることになっており、伊達議長は辞職を許可し、長沢氏は参議院議員を辞職しました。

長沢氏は、参議院比例代表選出の当選2回で、59歳。衆議院議員も1期務めています。これまでに、党の参議院国会対策委員長などを歴任したほか、去年8月からは、復興副大臣を務めてきました。

9月19日:シェルダン・ナイドルニュース

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NEW! 2017-09-26 18:01:59

 

http://www.galacticchannelings.com/english/sheldan19-09-17.html

9月19日:シェルダン・ナイドルニュース

Selamat Balik! 繁栄に向けた前進は続いており、全ての工程が計画通りに動いています。今この時にみなさんとお話しさせて頂きたい内容は、みなさん一人一人の中のより高い意識の成長についてです。天が当初に新しい地球の現実を構築しようと考えた際の主な戦略は、みなさん全体のスピリチュアルな気付きが一定の合意された値に近付くまで、成長し続ける事を確実にするという事でした。その値に到達した時が、世界的なディスクロージャーが近いという確実な証しになると。どちらにしても、壮大な変化の前兆であるという事です。

そういった意味で、以前の古い権力というのはもう“先が無い‘状態であるという事に私たちは気付きました。こういった事実と共に、みなさんは親や友人から教わった多くの信念体系を解く準備をしています。私たちの意図としては、みなさんが新しいスピリチュアルな現実の中で居心地よくいて頂けるような新しい共同体の構築です。こういった新しい現実が成長していく事で平和、個人の尊厳、より大きな社会的責任も成長していき、世界的に定着する事が可能になります。これこそが、天の言う’新しいあなた‘の始まりです。

今回のアップデートの目的は、いくつかの鍵となるポイントを明らかにする事です。より高い意識、というのはみなさんもご存知の通り、とても複雑な話題です。今起きている事というのは、天がどうしてもみなさんに知って頂きたいと願っている、現実のシフトの連続性です。以前のアップデートで指摘させて頂いている一連の変化の数々によって、みなさんは平和と新しい統治に向けて全員で共に向かう事が出来ています。この新しい光の中において、天は指導的立場にいます。数々の調整によって、みなさんの意識の成長が適切に適用される事も叶っています。こういった事が、今世界中で起きているのです。

みなさんの集合的な行動が新しい現実の形成を強力に推し進めているので、以前の古い現実とは全く違う新しい現実が、その結果としてやって来るでしょう。この新しい現実こそが、私たち及び天の最大の関心事なのです。今、目に見えている障害はただの幻想で、私たちがもっとも関心を持っているのは、全てが天の計画通りの結論になるかどうかです。ですので、私たちが切に願っているのは、残りの障害がみなさんの思い描く可視化によって早急に解決される事です。大事なポイントは、みなさんの集合意識の安定したペースでの成長です。これこそが、今のみなさんのいら立ちを早急に解決する事ができるからです。

神の祝福を!私たちはあなたのアセンデッドマスターです!本日は希望とやる気に満ちてやって参りました。続け様に起きたみなさんの身体のあちこちの痛みは静まります。これは、みなさんの身体が新しい在り方に順応した事を示すサインです。身体のあちらこちらが痛むようでは思うようにやりたい事がこなせませんよね。しかし、これもまた、みなさんがまたもや、内なるテストに確実に合格した証しであると、心に留めておいてください。私たちからみなさんに対して、その内なる力及び回復力に心から感謝を申し上げたいと思います。

どうか知ってください、あなたがこなしている数多くの転換に対応して、みなさんの素晴らしきスピリットも順調に進展を続けています。あなたが意識の成長と共に、新しいご自分を形作っていく様を私たちは愛を持って見守ってきました。こういった事の結果と、その他の無数の進展を見るだけで、あなたがどれほど変わったかが明らかに分かります。どうか、今のまま頑張ってください。私たちマスターはみなさんがどれだけ大変な事を集合的に行っているかを認識しています。みなさんの共同の可視化/ビジョンによって私たちは触発され、多くの事が成し遂げられているのです。

素晴らしいイベントが水平線の向こうまで来ています。どうか平静を保ち、集合的なビジョン/可視化を持ち続けてください。天は、みなさんのポジティブな行動に対して、みなさんにご褒美を用意しています。今の現実が変わっていくと、みなさんの持つ無数のポジティブな要素は、みなさんが神聖な役目を果たすのに大いに役立ちます。ですから、努力にハートを込めてポジティブな意図を持って、人類全体がスピリチュアルなテストに合格し、皆で勝利できるよう助けあってください!みなさんを称賛いたします。全員がみなさんのようにして頂ける事が、私たちの心からの希望です!ホサナ!ホサナ!

本日は、みなさんによくお話しさせて頂いている、特別な経験についてアップデートさせて頂きました。どうか忘れないでください、終わる事の無い天からの無限の供給は実にあなたのものです!一つであれ!喜びの中にあれ!全てが実を結ぶ時期に入っています!


Website: Planetary Activation Organization

 

訳:JUN

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