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古代ケルトの帰還祭り 歓喜!~日本の祭り 青森ねぶた祭 Aomori Nebuta festival  東北夏祭り 花の名所案内

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日本の祭り 青森ねぶた祭 Aomori Nebuta festival  東北夏祭り 花の名所案内


古代ケルトの帰還祭り 歓喜!~The Thrilling Nebuta Festival - Journeys in Japan - English

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北へ!、本来【仕出し】に隠された物語・秘密が大切で見物だったんですが、時代と共に”心のつながり物語”に変化しています。

The Thrilling Nebuta Festival - Journeys in Japan - English

虹のはりまや橋を渡る(シリウスのアセンション物語?)~Awa Odori - Is Japan Cool? MATSURI

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Awa Odori - Is Japan Cool? MATSURI

四国:よさこい祭から阿波踊りへ・・・よさこいは、夜さり来い(夜明け前)という古語が変化した言葉

はりまや橋

 

転載:http://photozou.jp/photo/show/135658/75548665

日本三大がっかりの一つはりまや橋です。日本三大がっかりとは、札幌の時計台、長崎のオランダ坂、そして、このはりまや橋です。実はこの橋はミニチュア版で、本当のはりまや橋は左の国道にかかっている橋なんです。とにかく高知県に観光に来た人はみんながっかりして帰るそうです。皆さんも高知県に観光に行ってがっかりして帰ってください。

しかし・・・!

シリウス物語・夏至のアセンションのゆらぎ

 

大天使ミカエル : 皆さんは自由の準備が整っているか? [大天使ミカエル]

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きらきら星へようこそ...☆

 

大天使ミカエル

Archangel Michael

 

皆さんは自由の準備が整っているか?

Are You Ready for Liberation?

 

for July, 2017

July 1, 2017

 

ロナ・ハーマン経由

Via Ronna Herman

 

“Are You Ready for Liberation?” – Archangel Michael via Ronna Herman for July 2017

6/30/2017 10:55:00 PM Message

 

MESSAGES FROM ARCHANGEL MICHAEL * LM-7-2017

TRANSMITTED THROUGH RONNA / SACRED SCRIBE

ARE YOU READY FOR LIBERATION?

 

わたしの勇敢なる皆さん、皆さんは永遠の只中に生きていることを、忘れないでください。

わたし達が皆さんにもたらす大宇宙の叡智の教えは、さらに多くの規則を定めようとも、新しい独断的教義を創り出そうともしていません。

わたし達の意図は、皆さんのこころを愛で燃え立たせ、そして皆さんに皆さんの目の前の壮麗な未来の一瞥を与えることです。

より一層数多くの大衆が自分達の魂の自己から始まるひとつの不満を感じているため、次元上昇に関する叡智の教えが学ばれ、皆さんの周りの人々と共有されることが、不可欠になります。

目覚めた星の種子である皆さんは、今後その浮上している未来の叡智の教えを広めることになる人々です。

 

皆さんが啓発の道筋を横切る時に、わたし達がもう一度皆さんに今起っている物事に関するひとつの具体例を与えることを、許してください。

既に皆さんは、天の中には数多くの邸宅があることを聞いています。

それは実際に、明らかにされた創造の数多くの次元と下位次元の領域のことです。

今ひとつの完了を迎えている時代の間、人類の沢山の現実性は、彼または彼女の個人的な過去と現在の信念、活動、そして行いから作り上げられた3次元と4次元の周波数パターンで構成されていました。

それぞれの個人が所有する存在の邸宅に居住する人々は、すべてそういったその特別な存在の水準に順応し対応できる存在達です。

その人々は、数多くの同じ限定された概念の下で、欠乏、罪悪感、未来に関する怖れといった数多くの信念と役割を共有します。

そしてその人々は、通常、人種的、文化的宗教的、同時に伝統的な規則と基準に支配されます。

 

その現実性の中では、通常、普通の自我に駆り立てられた個性は、権限に関する自己中心的な感覚、つまり数多くの変型と両極端を備えた殉教者の自己犠牲的な強迫観念を持ちます。

この在り方の周波数水準の内部で機能する人々は、その人々に欠落しているものを(通常歪められ誇張されたやり方で)その人々に映し返す人々を選択しながら、お互いに交流します。

通常その人々は、さらに高いひとつの周波数水準で共鳴する人々を快く受け入れません。

そしてたとえその人々が不満を持つとしても、その人々は、自由になって、自分達の機能不全の人生のパターン-その人々の認識する安全地帯-から移動する際に、困難を抱えます。

 

皆さんが古い習慣、信念、そして行動を取り除く時、皆さんは徐々に、受け入れられた両極性と二元性の波長分布の範囲内の調和に戻ります。

皆さんが達成するそれぞれのさらに高い周波数水準と伴に、皆さんは、そういった状況、人々、そしてもはや皆さんの新しい目覚めと共鳴の水準と互換性を持たない物事を、置き去りにします。

それはしばしば、まるで既に皆さんが新しい次元の扉を通過して、過去のひとつの部分が消え去っているように見えます。

数多くの皆さんが友人達や家族の人々の喪失を経験し、今皆さんが仕事を変えるか新しい職歴を始めているのは、これがその理由です。

また数多くの皆さんが、新しい場所に移動し、時に今まで皆さんが特定の領域に導かれていた理由を実際に理解していませんが、しかし、それはそうなるように運命付けられていたというひとつの深い内面の認識があります。

数多くの皆さんが、皆さんが行う仕事、皆さんの娯楽の追求、趣味を見付け出していています。

そして過去において皆さんの興味を引いた数多くの物事が、その満足感を減少させています。

何故なら、それは皆さんの絶えず拡大し進化している現実性にしっくりと合わないからです。

 

過去の多次元的な扉は閉まっていて、未来の扉は、次元上昇の過程が加速するにつれてより一層急速な歩調で開いています。

皆さんの意識の内部では、既にかなり長い間、変化に対する怖れがひとつの主要な支配的要因になっています。

皆さんの高い密度への旅の始めにおいて、皆さんは大幅に多様な自己表現と変化を探求しました。

そして皆さんは、新しいそれぞれの創造に大喜びしました。

それはただ、皆さんが完全な意味の創造能力を与えられたひとりの共同創造者だったこと、そして皆さんは生命と光の河と名付けられてきた創造の力の源泉との直接的な結び付きを持つことを、皆さんが忘れてしまった、その皆さんの地球の経験の間だけのことでした。

 

許容された二元性の水準に戻るために皆さんの物質的な器官の共鳴を洗練させ、皆さんの情緒的そして精神的な特質を更新しようとして熱心に働いてきた星の種子の先駆けである皆さんは、今、4次元のさらに低い3つの下位次元領域-アストラルの次元領域-の内部の残された不安定な周波数の浄化の過程の中にいます。

わたし達の教えに誠実に従ってきたほとんどの皆さんは、既に、多様な5次元の周波数から構成される数々の周波数のひとつの流れと同時に、6次元に起因するひとつの小さな滴り落ちる光の流れに足を踏み入れています。

皆さんは、これは、皆さんが創り出している光と生命のひとつの新しい形式だと話すかもしれません。

 

古代の秘儀的な教えの内部には、この以下の不可解な概念がありました:“その道筋のひとりの新参者が次元上昇の過程の中の特定の段階に達する時、その入り口に立つ居住者と臨在の天使と呼ばれる者が現れる。

その入り口に立つ居住者とは、神の門と秘儀の入り口の前に立つ者のことである。臨在の天使は、その入り口の反対側に立つ”。

 

惑星上のこれほど数多くの皆さんが、3次元上段と4次元下段に起因する残された不安定な周波数パターンの浄化の過程の中にいます。

わたし達がこの秘儀の過程の重要な面を説明する時が、既に訪れています。

その入り口の居住者は、ひとつの記憶の種子となる原子のことであり、その中では、時間と伴に、情緒的な身体と精神的な身体の内部の残っている未解決の否定的な思考パターンが封入されてきました。

皆さんが特定の啓発の水準に到達した時、指揮者としての皆さんのさらに高い自己と伴にその入り口の居住者は、自分達が調和した光の周波数に変わることができるように、皆さんの自覚的意識に向けて、そして次に外部の皆さんの姿の世界に向けて、こうした困難な考えをゆっくりと解き放ちます。

こうした強力な試練の時期を通して皆さんを支援する準備を整えて立つ入り口の天使は、皆さんのさらに高い自己のひとつの断面です。

その敷居の入り口は、皆さんのダイヤモンドの核となる神の細胞の内部にあります;それは、わたし達の父なる母なる神の白い炎の種子となる原子が宿る皆さんの聖なるこころの核心部分に通じる、最奥部の入り口です。

一度皆さんが聖なる心の黄金の太陽の部屋に入り込んでしまえば、皆さんは永遠に変わることになるでしょう。

何故なら皆さんは、皆さんの神の両親との交流の至福を経験してしまっているからです。

 

人類と地球が加速した進化の過程の只中にいることは、既に非常に明白になっています。

最愛なる皆さん、それは、こうした時期の奇跡です。

至高の創造主は、多元宇宙を貫いて、神聖なる光の完全な波長分布を放射しています。

この強力で純粋な光は、それぞれの大いなる中心太陽とそれぞれの宇宙の父なる母なる神のその邸宅の世界に-創造のあらゆる水準に向けて-徐々に染み通っています。

それで創造のあらゆる閃きと断片は、今後創造主の意識の適切な水準を利用できるようになるでしょう。

その創造の光つまりダイヤモンド状の粒子は、かつて創造されてきたあらゆる魂に利用できるようにされています;しかしその一方で、この“光の救出”の過程に適用できる、幾つかの規則が存在します。

こうした神の光の粒子を受け取るためには、それぞれの魂は、自分達の振動パターンを調和した周波数の特定の水準に引き上げることによって、自分達の器官を整えることが必要になります。

そして皆さんは、これを忘れずにいることが必要になります:こうした光の粒子を受け取った後、その粒子は皆さんの愛に溢れる意図で活性化されなければならない。

愛がその力の源泉であり、こうしたすべての根源からの貴重な粒子の発生装置になります。

 

次元上昇は、皆さんの神聖なる自己音数多くの刻面が降下して、皆さんの聖なるこころの核心部分の内部で支配権を握ることができるように、皆さんの振動パターンを引き上げ、安定させ、調和させることを目的にしています。

皆さんが大宇宙の叡智に向けてさらに深く掘り下げて考える時、皆さんが配慮を怠ることのない意識の状態を維持することが、死活的に重要になります。

人類は、記憶喪失の状態、つまり自己そして創造の複雑な広大さに関する限定された意識と呼ぶことができるものから、浮上しています。

 

わたし達は過去においてそれを説明してきました;しかしその一方で、今は、皆さんが数多くの意識の水準と下位水準を横切る時に起こっている物事についての皆さんの記憶を、再び甦らせる時です。

皆さんが皆さんのオーラの領域の内部の歪みを綺麗にする時、またひとつの内的な過程が起こっています。

皆さんの物質的な構造全体は複雑な変化を経験していますが、それは、皆さんが大いなる光の都市を経由して創造主の根源から統合している、そのさらに高い周波数パターンによって引き起こされます。

皆さんのDNA、皆さんの数々のチャクラの中心、そして皆さんの聖なるこころと精神は、皆さんの聖なる青写真を含みます。

皆さんがより一層多くの神の意識のダイヤモンドの粒子を統合するにつれて、皆さんが皆さんの真実として受け入れてきた数々の概念に起因するこうした数多くの歪みは、ゆっくりと是正されています。

こうした数多くの歪んだ概念は、皆さんの意識的な自覚へと染み透り、癒されるか取り除かれています。

わたし達は、これが不快で当惑させる過程であることを、理解します。

 

皆さんは、皆さんの聖なるこころの内部に、ひとつの聖なる在り方の中心を持ちます。

それをわたし達は、既にこの下位宇宙の経験のための皆さんのダイヤモンドの核となる神の細胞と名付けてあります。

皆さんは、皆さんの周りに、ひとつのエーテル質の3次元及び4次元の大いなる在り方の三連構造を持ち、それは、皆さんが数々の時代を通して創り降ろしてきた、皆さんの光の柱と物質の十字架を含みます。

皆さんは、ひとつの黄金の卵型(卵の形をした領域)の中に存在し、それは皆さんがより一層高い意識の周波数に共鳴するにつれて拡大して、より一層多くの神聖なる愛と光を放射します。

神聖なる光のダイヤモンド状の粒子には、生きているエネルギーが含まれます。

それは、今まである特定の神聖なる青写真のために処理手順化されてきました。

皆さんがその生きている光を利用する時、皆さんは、皆さんの愛に溢れる意図でそれを活性化して、魂の願いでそれを処理手順化することが必要になります。

それは、いつも皆さんの神聖なる青写真と調和しています。

 

数々の物資的な在り方の次元領域上で、創造主の光は、それが外部の形の世界へと発散される準備が整う前に、皆さんの本質でひとりの共同創造者として符号化されることが必要になります。

自己認識と魂の意識は、大いなる勇気と粘り強さを必要とします。

持続的な報恩と感謝の言動は、魂の栄養素になります。

 

皆さんは、強化されている識別の才能を経由して今利用できる新しい数々の概念と大量の情報を分析することに、非常に堪能になっています。

今では皆さんは霊と内部の声にさらに同調しているため、皆さんは、ひとつの概念が皆さんの内面の真実と一致しているかどうかを、直ちに解明する能力を持ちます。

もしもそうでなければ、皆さんは当然、悪意または断定的判断を持たずにそれを破棄するべきです。

あるいは、もしも皆さんが良く分からないなら、それを脇に置いて、何らかの間違いのないやり方で皆さんのためにそれを評価するように、皆さんのさらに高い自己に求めてください。

わたし達は、皆さんが数多くの新しい概念に翻弄されていることに気付いています。

その幾つかは、皆さんの概念的な理解の限界を押し広げています。

最愛なる皆さん、今皆さんが経験していることは、再統合と次元上昇の過程のすべての部分であることを、どうか気付いてください。

 

数多くの皆さんが、皆さんの人生の中で数々の奇跡的な出来事を経験しています。

そしてわたし達は、皆さんがこうした驚きを皆さんの家族や友人達を共有するほど充分に大胆になることを求めます。

嘲弄または批判を怖れないでください;今後皆さんは、非難よりもさらに頻繁な賛成に、そして軽蔑よりもさらに頻繁な関心に、気付くことになるでしょう。

宗教的な団体は、特に自分達の追随者を失う怖れから、幾つかのより穏健な大宇宙の教えを取り入れ始めています。

そして今後それは、地球とその居住者達の変容の過程の加速化を支援することになるでしょう。

 

親愛なる皆さん、皆さんの豊かさと欠乏の感覚を検討してください。

もしも世界の人口の1/4でも信じ、想像し、祈願し、そしてその結果すべての人々の繁栄と豊かさのために努力するなら、おそらく皆さんは、世界の富を貯め込む者達や従順で貧しい人々を餌食にする者達が自分達の世界経済の拠点を失い始める時に、数々の出来事のひとつの劇的な転換を確認するでしょう。

 

皆さんは、怖れ慄くほど頑なに皆さんの豊かさにしがみ付いて、それを貯め込んでいるでしょうか?

親愛なる皆さん、皆さんの貯蔵は、何処か分からない場所に消え失せはしないことに、注意してください。

皆さんが認識するように、それはただ単にエネルギーのひとつの形に過ぎません。

皆さんが余りにも頑なにしがみ付く物事は、皆さんの目の前で消え失せることになるでしょう。

その儀式の一部は、皆さんが大切に維持するすべて、皆さんが皆さんの神聖なる自己に対して保有するすべてに、すべての人々の至高の善に身を委ねることです。

これは、皆さんが身を委ねるものを今後皆さんが失うことを意味しません。

それは、神聖なる計画が皆さんを通して作動することを、皆さんが積極的に認めることを意味します。

それは、たとえそれがその時にはそう見えないとしても、いつも皆さんの至高の善に役立ちます。

 

皆さんの過去がただぼんやりとした記憶に、特に皆さんが今回の生涯の中で経験した苦痛に満ちた記憶になっているとしても、狼狽えないでください。

勇敢な仲間達、今は、過去を癒し、解き放つ時です。

過去の生涯を掘り下げて考えることは、皆さん自身を癒すためには、あるいは皆さんが現時点で特定のやり方で活動しあるいは反応している理由を理解しようとするためには、もはや皆さんに役立ちません。それは、古いやり方です。

皆さんが過去の中で創り出した意識の歪みは、わたし達が皆さんに教えてきた数々の過程を通してダイヤモンド状の粒子で溢れるまで皆さんが皆さん自身を満たす時には、存在することはできません。

こうした魔法のような粒子は、純水で完璧な創造主の本質を含み、そして今後皆さんのオーラの領域と物質的な器官の中の何らかの歪みを徐々に変容させ、変えることになるでしょう。

ゆっくりとしかし確実に、皆さんが内部と外部の両方の世界の中で創り出してきたその不完全性は、是正されています。

その道筋の上のゆっくりとした堅実な前進の足取りは自己熟達性に通じることを、忘れないでください。

まさに自我の個性が、より多くの情報と劇的な確証を願います:それは永遠に、興奮、劇的状況、そして煽情主義を探し求めます。

地球と人類が今これほど蔓延している現在の不完全な状態に到達するまで、非常に長い時間が掛かっていました。

こうした短期間で皆さんによって行われてきた変化の進展、地上の光の大群の水準は、事実通り奇跡的なものです。

 

こうした時期は、大いなる挑戦の時期であり、皆さんがこれほど誠実にその進路に留まってきた時に、今皆さんが行っているものがそういった苦痛に満ちた耐えがたい試練の価値があるのかと、数多くの皆さんが疑問に思っています。

わたし達は、皆さんに伝えます。

 

“今挫けないでください。

 

何故なら、皆さんがこうした試練に愛と思いやりで立ち向かう時、今後皆さんは、その入り口の天使がその道を浄化するために皆さんを支援することに、気付くようになるからです。

正面から目の当たりにするあらゆる難題と伴に、皆さんの目の前の道筋の上にある残りの障害物を一掃するように皆さんを励まそうとして、今後数々の奇跡と祝福が現れることになるでしょう。”

 

これは、次元上昇の過程の中のひとつの重要な歩みになります。

何故なら、皆さんが4次元上段の範囲で毅然として皆さんの魂の歌の共鳴を確立することに成功を収めた時に、今後皆さんはさらに大幅な5次元の振動パターンを組み込む準備が整った状態になるからです。

この意識の中の飛躍を選択する前に、皆さんが要求される二元性の媒介変数の内部で冷静でいるだけの規律の達成を終えていることが、不可欠になります。

形の世界の中で顕在化する皆さんの能力は、今後劇的に増大することになるでしょう。

そしてもしも皆さんが精神的にそして情緒的に熟練していないとすれば、今後皆さんは、さらに多くの混沌を創り出すことになり、それはほとんど高い確率で、皆さんをさらに高い密度の周波数パターンに引き戻すことになるでしょう。

 

勇敢な光の担い手達、皆さんは、ひとりの先駆者になり、数多くの天の邸宅と創造主の次元への扉を開く準備が整っていて、それに意欲的でしょうか?

今後それぞれの次元水準が新しい機会を提示して、新しい数多くの能力と拡大された叡智を皆さんに利用させることになるでしょう。

しかしその一方で、さらに高いそれぞれの水準もまた、数多くのやり方で皆さんの能力を試し、もはや皆さんの至高の善に役立たないそういった物事を皆さんが解き放つことを要求することになるでしょう。

皆さんがより低い数々の次元への降下の道筋を横切った時、皆さんはその道の途中で皆さんのさらに大いなる自己の刻面を置き去りにしました-皆さんがさらに高い数々の次元への皆さんの帰還の旅をする時に、また皆さんは、皆さんの現在と未来の現実性に相応しくない過去のそういった人々、在り方、そして物事を、積極的に解き放つことが必要になります。

 

最愛なる皆さん、わたし達は、限定された普遍的な法則の範囲でできるあらゆるやり方で、皆さんを支援しています。

わたし達は、皆さんがこの下位宇宙を貫いて配置されている様々な光のピラミッドの中でわたし達に参加することを、我慢強く待ち続けています。

既にわたし達は、今皆さんは新しい地球の現実性を創り出しているだけではなく、また天の数々の次元の中の皆さんの邸宅も創り出していることを、皆さんに伝えておきました。

わたし達はすべての皆さんに、皆さんが含むことができる愛と光の輝きを運びます。

 

皆さんは、計り知れないほど愛されています。

 

わたしは大天使ミカエル。

I AM Archangel Michael.


Transmitted through Ronna/Sacred Scribe * As transmitter of this article I, Ronna, claim the universal copyright in the name of Archangel Michael. Posting on websites is permitted as long as the information is not altered, excerpted or added to, and credit of authorship and my Email and website address is included. It may be published in journals, magazines or public print with permission from : RonnaStar@earthlink.net

http://sananda.website/archangel-michael-via-ronna-herman-july-2017/

 

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。

転載される場合には、出典を明記してください。

【日本ニュース】米テスラ 新型電気自動車の納車始める(2017/07/30)

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【日本ニュース】米テスラ 新型電気自動車の納車始める(2017/07/30)

8月のエネルギー

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2017年07月31日 Wow!

8月はものすごい月となりそうです!
2017年全般のエネルギーの特徴を凝縮させたような、
まさにピークを迎える月となります!

シンクロもおかしなほど増えてきていませんか?

これは、過去、現在、未来という直線的な、
リニアタイムラインが崩れてきている証拠です。

8月は勢いよく前進させるエネルギーに包まれるでしょう。
クリエーティブなエネルギーも、
待ってましたといわんばかりに
全開で流れ込むでしょう。
それをどう表現するかはあなた次第です。

本来の自分がクリアに見えてきます。
今世でなにをやるのか、
ライフパーパスが自覚できるようなクリアなヴィジョンも見えてくるでしょう。

あらゆる可能性が広がるエネルギーのシャワーを
浴びせられるような状態になるでしょう。
新鮮味あるワクワク感が溢れるので、
そのエネルギーに自らを委ねてみてください。

自発的に起きる変化に伴って
新しいアイデンティティ、新しい方向性、
新しい生活パターンが生まれます。
宇宙の豊かさが感じられるギフトも訪れるでしょう。

たくさんの宝物を目の前にしたような状態になりやすいので、
どれにもフォーカスできない散乱状態には注意してください。

もうひとつ注意していただきたいのは、
自信過剰になったり、
誰かを勝ち負かしたいといったようなエゴです。

このような衝動に気づくことができれば、
破壊的なエネルギーをなだめることができます。
余計なひと言で人間関係にヒビが入ったり、
信頼関係を失うこともあるので注意してください。
コントロールできないエネルギー過剰ぎみのエゴにご注意を!
お酒を飲まれる方はとくにです。

さて8月は、8日の満月の朝に部分月食が起こります。
8月22日に皆既日食が起こります。
残念ながら日本ではこの日食を見ることができませんが、
月食と日食が起きる8月のエネルギーは、
それらだけでもパワフルです。
過去の秩序を破壊して新しい秩序を招き入れる
空のイベントとなるでしょう。

この時期を経過する頃には、
心の静けさと落ち着きが戻ってくるでしょう。
高次元につながるインスピレーションも強くなります。

パートナーシップも互いのエゴを開放し、
超越した無条件の愛を投影することができるでしょう。
魂レベルの愛から互いへの理解が生まれると、
ロマンチックとさえ感じられるかもです!(ワクワク )

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昨日、東京銀座で開催いたしました出版記念講演会【白魔女Meeting】は、お陰さまで170名様が全国からお集まりいただき、終始笑いと歓声に包まれ熱気溢れるトークイベントとなりました。皆さまありがとうございました。
8/26日は、神戸での開催が決まっております。どうぞお楽しみなさってくださいね 。 残席わずかでまだ募集中です。


Posted by 愛知 ソニア at 15:52パーソナル・メッセージ

プレアデス+地球をひらく鍵~第2章 生きた図書館をふたたび夢にみて(4)

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第2章 生きた図書館をふたたび夢にみて

◎ 図書館という概念があなたのなかに浸透してくれにつれて、あなたは感情がいかに大切なものであるか、そして、そこに貯蔵されている膨大な知識を開く鍵はあなたであることを理解しはじめるでしょう。

 

生きた図書館が100%開花したとき、存在のあらゆる部分から知性が語りだすでしょう。

文字通り語りだすのです。

ひとつの花と一時間語り合うこともあるでしょう。

こういう時代になると、わずか1m歩く間に発見する知識によって、あなたはめくるめく思いを体験するでしょう。

全ての生命形態が徐々に適応して、それぞれが同時に進化し、花開き、ふさわしい波動と意識をつくり出していくでしょう。

思い出してください。

すべてのものは生きているのです。

 

動物はきわめて聡明で、人間よりもずっと賢い存在です。

多くの動物が今、光の世界に移動しています。

いわゆる種の絶滅が地球上で起きているのは、これが理由なのです。

動物とあなた方人間には数多くの違いがあります。

もっとも大きな違いのひとつは、動物は死んでもそれで命が終わることはないと知っていることです。

動物は死後も生きつづけることを知っています。

彼らは墓地を買ったりすることもなければ、自分がどこで死んで、どこに埋められるかなどということについて気を悩ますことはありません。

死後もきちんと面倒を見てもらえると信頼しているのです。

彼らには内在的な叡知と信頼の心があります。

彼らは生命保険を購入することもなければ、テレビも見ません。

動物の多くは生命の本質とぴったり波長が合っていて、あなた方の惑星において彼らが望む生命の本質を見出すことはもうできないと知っているのです。

それで彼らは地球を離れていくのです。

 

動物はこの惑星での友達としてあなた方に与えられました。

彼らを食べるか食べないかはあなた方人間にまかされました。

動物たちは自分が食べられることに反対はしません。

ただし、それがあなた方の命の本質、そして彼らの生命の本質に貢献すればの話です。

しかしながら、現在の地球では動物は彼らのもつ生命の本質ゆえに尊敬され、尊重されるということがありません。

動物たちはまるで生きもではないかのように扱われ、何も感じることがないかのように、まるで人間の奴隷であるかのように扱われています。

 

動物は人間の友達となって、生き方をあなた方に教え、示し、分かち合うように計画され、つくられたのです。

動物はさまざまな太陽系や惑星から収集された遺伝子にもとづいてつくられた存在です。

彼らを創造したことによって、これらの太陽系または惑星システムは地球と遺伝的なつながりをもつことが可能となり、それによって、この世界をのぞきこむことが可能となり、情報をつたえることが可能になったのです。

存在についてのこの局面は、これまで理解されることはありませんでした。

 

動物には一種の直感があり、それによってお互いの役割を理解することができます。

彼らはさまざまな地球外の社会からきており、彼らの祖先とまったく同じような外見をしています。

彼らの祖先とは他の惑星に住む、意識をもった存在なのです。

何百万、何百億という惑星が存在しているということを理解すれば、これもそれほど驚くことではありません。

あなた方の惑星を創造した存在たちは、さまざまな場所からさまざまな種を求めたのです。

これらの種はあなた方人間の友達となり、地球に種として蒔かれるように遺伝子的にデザインされたのです。

 

動物のなかには伝達者として利用されているものもいます。

猫はあなた方人間をモニターしている種へ直接的に情報を伝えています。

古代の地球においては、多くの文明の支配者がライオン或いはその他の大きな猫族を飼うのが流行していました。

これらの動物が必ずいました。

地球のさまざまな古代の遺跡にある像を見てください。

何があるでしょうか。

ライオンです。

猫族は外見が猫のように見えることを除けば、あなた方人間に似た種の生物発生に関する道具なのです。

猫族の人々あるいはライオン族の人々は代わるがわる地球を訪れ、南アメリカ、メキシコ、エジプト、その他いくつかの島において仕事をしていきました。

その結果、彼らに敬意を表すために像が建てられたのです。

彼らが人間に教えを施していたとき、別な言い方をすれば、種を混合して地上における支配者をつくったとき、それはとくにエジプトにおいて顕著だったのですが、彼らは猫を置いていきました。

それは支配者が猫を通して他の星座の種と直接的な接触をして情報を得ることができるようにするためだったのです。

統治者の多くはこのように決断をくだしました。

このようにして彼らはガイダンスを得ていたのです。

猫が彼らにテレパシーを遣って情報を与えました。

猫は伝達者であり、宇宙のラジオのようなものだったのです。

 

それからしばらくすると、猫は魔女によって所有されるようになりました。

魔女が愚かものであるなどとは思わないでください。

猫は他の世界との接点だったのです。

それほど高くないエネルギーが入ってくると、猫はそれをさえぎって、その波動を変えることができます。

あなた方のなかには小さな猫を家のなかで飼っている人がいますが、これらの猫はたくさんの情報をあなた方の提供しているのです。

しかしながら、現在のあなた方は一般的にいってこの種の情報とかかわって仕事をすることはありません。

猫はあなた方の守護者であり、助手であり、なぐさめをもたらしてくれる素晴らしい友達です。

 

もしあなたが猫に対しアレルギーを持っているとすれば、それはいろいろなことを意味しています。

私たちはアレルギーをもっているたくさんの人たちを治療してきました。

猫に対してアレルギーということはまず第一に、あなたは親密な愛があなたの人生に入ってくるのを許せないでいることを示しています。

愛があなたの人生に入れないのです。

子猫はある程度の忠誠と愛をあなたに捧げてくれます。

だれかと親密な関係になってくると、あなたはその深いつながりを受けいれることができないかもしれません。

ある種の動物に対してアレルギーであるということの象徴的な意味のひとつはこういうことです。

 

それぞれの種が人間のためにひとつの役割を果たしています。

あなたの生活をゴキブリが荒らしまわっているとすれば、それは表面に出ようとしている問題があるのに、あなたがそれを無視しつづけいることと関係あるかもしれません。

あなたはゴキブリを見て、「なんと美しいゴキブリだ。今朝、台所の流しで君に会えて本当にうれしいよ」とはいいません。

多くの場合、あなた方はゴキブリをたたきつぶすか、駆虫剤を噴霧器で吹きつけます。

しかし、彼らはますます強くなっているのではないでしょうか。

彼らはきわめて頑健な種で、多くのエネルギーの転換にも生き残り、何回にもわたって毒素を転換する方法を学んできたのです。

彼らが地球にきているのは、あなた方に必ずしも美しくはないものを見つめるように促すためなのです。

あなた方の内部に埋もれていて、外に出てくる必要があるものを見つめるようにと促しているのです。

あなた方のなかにある悩みごとはどんなことでしょうか。

そして、どうすれば人間は種としてもっと強い存在になることができるのでしょうか。

 

自然と調和のとれた生活をするのは簡単なことです。

あなたが何を体験したいのかテレパシーで伝えるだけでいいのです。

心のなかで、あるいは声に出して、地球に、自然に、語りかけてください。

自然の生き物によって侵食されていると感じたら、あっさりこういってみてください。

「このようにして自分に教訓を与える機会をつくるなんて、私もなかなかやるじゃない。小さな生き物さん、あなたは私に何かを教えようとしているんですね。私もなんとか知恵をしぼって、自分の内部を見つめてみることにしますよ」。

あなた方はヴェールをかぶり、蓋をして、自分をいらいらさせるものを遮断し、自分が何者であるかに直面する必要がないようにしてしまうのです。

もしもあなた方が本来の自分に直面すれば、変化する必要が出てきます。

そしてその変化はあまりにも多くのことに関係してきます。

多くの場合、あなた方は未知に一人で直面するよりは、いやなことでも現状にしがみついている傾向があります。

ぜひわかってほしいのですが、あなた方は決して一人ではありません。

 

さまざまな生き物はあなた方の友達なのです。

あなた方を襲おうとしているものなどいないのです。

あなた方はさまざまな者が襲ってくると信じこまされています。

それで、それに応じた波動を送り出します。

すると、あなたがあなたの現実をつくり出すという原則がありますから、あなたは最善をつくして現実をねじまげ、あなたが傷つけられる方向に変えてしまうことになります。

自分を傷つけるというのはそんなにやさしいことではないのです。

病気になったり傷ついたりするためには、相当の努力を払わなければなりません。

 

世間でよいものとして宣伝されていることの多くはあなたのためになるものではない、ということは科学者のあいだではよく知られています。

しかし、経済とお金が必ずからんでいて、あなた方の恐怖心を種にしてお金儲けが行なわれています。

このようなプロセスをとめるにはどうすればよいと思いますか。

 

動物たちはあなた方人間が心理的に、また霊的に体験している苦痛を鏡に映し出してくれているのです。

動物たちはこの苦痛を自分のものとして引き受け、病気にもなるでしょう。

動物達が人間の食べ物になるためにどのような育て方をしているか、あなた方は知りません。

いま現在、動物家族の多くは非常な不快感を体験しています。

不快感は病気につながります。

これらの動物はあなた方に教えようとしているのです。

彼らはあなた方が自分自身について知る必要のあることを、鏡に映し出してくれているのです。

あなたのペットは、あなたには見えないものを見せるために、非常な忠誠心と愛の心から病気になって見せることすらあるのです。

 

あなたが動物に近づくと、その動物はあなたが心おだやかに近づいてくるのか、それとも攻撃しようとしているのかわかります。

動物の生命形態をあなた方人間と同等な存在として扱うようになったら、そのときこそあなた方も、より高い存在局面において会議の席にすわることができるでしょう。

神の力は存在のさまざまな局面において、ありとあらゆるかたちをとってあらわれることを理解するでしょう。

すべての生命体には知性があります。

人間がみずからをもっと進化した種であると考えたり見なしたりすることは大きな間違いです。

それは完全に誤った考えです。

すべての存在には生命力あるいは意識があるのですから、比較することは不可能なのです。

石や山のほうが、人間がこれまで達成することができたよりもずっと高い理解をみずからの目的についてもっていることもあるのです。

 

いかなる毒素もない、愛情に満ちた環境のなかで育てられ、滋養を与えられ、語りかけながら成長した植物は、そのような処遇にふさわしい反応を見せます。

家の外に生えている植物や樹木も同じような処遇を受けることを望んでいます。

その隣につづく野原に生えている植物も同じことです。

彼らはこれと同じ愛情を求めており、愛が表現されている方向に傾いたリ、動いたりするかもしれません。

植物界は動物界と同じようにきわめて寛大です。

彼らはともにおしみなく与えてくれます。

あなた方が植物や動物たちにエネルギーを与えれば彼らはそのエネルギーを、彼らが知っているすべてと分かち合います。

彼らはホルモンのような物質を放射し、その結果、ひとつの植物が理解し体験したことは、すべて他の植物につたえられるのです。

 

植物のなかには、体内に摂取すると、他の形態をとっている自我や意識につながることのできるものもあります。

植物によって意識を変えるという考え方は、いわゆる麻薬とのからみで、西洋では好ましいこととは考えられていません。

数多くの神聖な儀式においては、生きた図書館の植物の一部が、生きた図書館をさらに深く理解するために摂取されます。

ですから、地球をより詳細に理解する手助けをしてくれるものを地球は育ててくれているのだという考えに、心を開いてほしいと思います。

あなた方が情報を集めて自分自身を解放することをよしとしない存在がいて、あれはよくない、これはよくないというのです。

彼らは非常に美しいものを恐ろしいものであるかのように信じさせてしまいます。

実際の話、人間であるということの目的は、意図と、意思と、地球の贈り物とによって、敬意をこめた儀式によって自分の意識を変え、生きるということの素晴らしさを発見することなのです。

続く・・・

観音菩薩伝~第28話 大師、金輪山で毛人達に攫われる、 第29話 草鞋を施し、白象に乗って難を逃れる

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第28話 大師、金輪山(こんりんざん)で毛人達に攫われる

村人達は翌朝早くから大師一行が泊まっている家を訪れ、この村に滞在して更に心法を明らかにしていただきたいと懇請しましたが大師は、一日も早く須彌山へ行き着きたいと鄭重に断りました。そして自分がやがて得道し、悟境に達した暁には更に法輪を転じに来ることを約束し、大勢の村人達が差し出す食糧も僅かばかり貰っただけで早々に出立しました。

村の長老が別れを惜しんで村外れまで見送ってくれましたので、大師は改めて長老に須彌山への道順を尋ねました。

「この道を南へ約三十里ほど歩いて行きますと、小高い丘に出ます。この丘を金輪山と言いますが、この山を越えてはなりません。その麓から東の方に廻ると山の向こう側に出られますから、そこからまた南に十七、八里ほど行きますと塞氏堡(さかしほう)に着きます。その村でお休みになって下さい。特に御注意申し上げますが、この金輪山の左側の道は少々危険ですから途中で休まず、黙ったまま急いで通り越して下さい。塞氏堡に着いたら、また次の順路をお訊ねになって下さい」

大師は長老の言う「少々危険ですから」の言葉を「道の悪いところ」と素直に受け取り、長老も理由については何も言わなかったので、三人はそのまま長老と別れ、教えられたとおり南に向かって進みました。

暫く歩いて行くと、やがて広漠とした平原に出ました。樹木もなく草も枯れて一面は、見渡す限り砂と土の平地です。丁度その時風が吹き始め、黄色い砂塵が舞い上がって目も開けられない状態になりました。灼熱の太陽は強烈に輝いていますが辺りにこれを遮るものもなく、砂が口に入り、喉が乾き切って唾液も出ません。付近には水溜まりもなく、一歩を踏み出すのも苦しい旅路でした。

三人は喘ぎながらも歩み続けて、昼過ぎ頃ようやく遠くに小高い丘の見える所まで辿り着きました。その小高い丘が、長老の言われた金輪山でしょう。三人は元気を取り戻し、勇を鼓して山林の見える山の麓に向かいました。

長い砂漠の道程を超えて緑の樹林にまでようやくの思いで到着したときには、三人はすっかり疲れ果ててしまい、木陰の下に坐り込んでしまいました。暫く休んで生気を取り戻した三人が改めて辺りを見回すと、近くに綺麗な小川が流れていました。三人は埃を払って流れに寄り、咽喉を潤してからゆっくりと身体を拭い、ようやく心からほっとすることが出来ました。微風が吹いて誠に爽やかな気分になり、永蓮は思わず「ああ涼しい」と声を挙げました。

金輪山はそれ程高くはないが、風光明媚な岡山で奇巌があちこちに突き出ていて、自然が造り出した素晴らしい景観を呈していました。

旅人が砂漠の平原を歩いて辿り着く緑の森と小川だけに、更に心の安らぎを覚えるのでしょう。樹林には名も知らない美しい鳥が囀り、丘には一面に多彩な百花が咲き乱れ、誰もが恍惚とするような風景でした。保母も、思わず感嘆の声を挙げました。

「大師様、私達は今まで幾多の道を歩き、色々な所を見てきましたが、こんな絶景が砂漠の中にあるとは思ってもいませんでした」

大師も肯いて言いました。

「本当に美しい。天地自然の造化は、人間の測り知るところではありません」

保母は、気持ちよさそうに四方を眺めながら

「こんな美しい所で一眠りしたいですね」

これを聞いた永蓮は、とんでもないと言った顔をして

「老人が言った言葉を忘れたのですか。危険だから休まずに急いで越せと言ったではありませんか」

「永蓮よ、それは山の左側の道でしょう。そう言えばここも山の左側になりますが、しかしまさか青天白日のこの白昼に何の危険がありましょう。妖怪変化でも出ると言うのですか。あの長老は注意してくれましたが、別に何の理由も言いませんでした」

保母と永蓮の遣り取りを黙って聞いていられた大師は、二人を制して

「永蓮が言うように、余りの美景に心を奪われて目的を忘れ、貪りの心をもって徒に行脚を遅らせることは宜しくありません。さあ保母よ、元気を出して行きましょう」

大師の言葉に促され、保母と永蓮は急いで荷袋を背負い、歩き始めました。ところが三歩も進まない中に、突然樹林の奥深い茂みから大勢の鬨の声が挙がりました。時ならぬ声に三人は思わず足を止め、声のする方を見ると、身体全体が毛に被われ、顔は夜叉さながらの怪物のような男が群れを成して迫って来るではありませんか。

余りにも不気味な姿に三人は驚き、仰天して足も止まってしまいました。けれども永蓮は気を取り直して、大師の手を取るや一目散に駆け出しました。しかし、余りの驚きに足が地に着かず、転んでは起き起きては転びの連続です。しかも、女の脚です。逃げ切れる筈はありません。懸命に逃げる大師は、不運にも石に躓いて倒れてしまいました。

背後から追いついた毛人は、倒れた大師の身体をむんずと掴み、小脇に抱え込んで走り去りました。永蓮は、大師と一緒に転んだ瞬間、気を失ってしまいました。やがて気を取り戻した永蓮が辺りを見回したときには、すでに毛人の群れも大師の姿もなく、また保母の姿も見当たりません。不気味なほどの静けさです。もの悲しく必死になって叫ぶ永蓮の声だけが、空しく流れるだけでした。

大師とも保母とも別れ別れになった永蓮は、仕方なく、とぼとぼ部落に向かって歩き出しました。可哀相な大師様、折角ここまで修行されてきたのに夜叉のような毛人群に捕らわれるとは・・・流れる涙を拭いもせず歩いていた永蓮の後から

「永蓮、待っておくれ」

と言う声が聞こえてきました。二度、三度と呼ぶ声にようやく気付いた永蓮が後ろを見ると、気の毒に足を引きながら保母が必死になって追い付こうとしています。永蓮も駈け寄りました。

「保母様、ご無事で」

保母はこれに答えず、息を切らして

「大師様は何処に、そなたと共に御無事ではなかったのですか」

と訊ねましたが、永蓮は答えることが出来ず、首を振って只激しく泣くばかりでした。

「それでは大師様は、毛人群に捕らわれたのですか。全て、私の罪です。あのとき、私さえ休まずに速く歩いておればよかったのです。悪いことをしてしまいました。今頃大師様は、どう虐げられているのでしょう」

保母は、思わず坐り込んで泣き出してしまいました。二人は泣くばかりで、どうする術も知らず、動こうともしません。しかし暫くして、若い永蓮が先に気を取り直し

「見た目にも、あの怪物達は凶悪そうです。早く助け出さなければ、大師様の命が危ないと思います。早く塞氏堡へ行って、村人に助けを求めましょう」

 保母も現実の急務に気付き、二人して懸命になって部落へと急ぎました。足を引きながらも大師の救出に必死になって走る保母、また保母を助けて肩を支えながら懸命に部落へ向かう永蓮、修行者に災難は付き物とは言え、大師を攫われたことは余りにも大きな心の痛手でした。

 

第29話 草鞋を施し、白象に乗って難を逃れる

運悪く毛人群に捕えられた大師は、一人の全身剛毛の男に横抱きにされ、その後から大勢の仲間に脅かされながら山の中に連れ込まれました。毛人達は、洞窟の前で一旦立ち止まると、二人ずつになって中に這入りました。真っ暗な洞穴の中を暫く行くと、向こうの方に丸い穴がぽっかり空いた大きな広場に出ました。四方は密林に囲まれていて、誰からも発見されないような所です。

毛人達は、大師を広場の真ん中に降ろすと、遠巻きにして囲み坐り込みました。騒ぎが鎮まると一瞬水を打ったように静かになり、不気味な沈黙が続きました。やがて囲みの中から酋長格と覚しき男が立ち上がり、吼えるような声で何か叫ぶと同時に、四方の森の中から二百人以上の男女が跳び出してきました。彼らは、大師の周囲に集まり、何か奇声を発して騒ぎ始めました。

大師は、捕われた瞬間からすでに心は定まり、落ち着いておりました。周囲をゆっくり見回すと、今まで怪物か夜叉と見たのは誤りで、みな未開の人間のようです。彼らは背が高く肩を怒らせており、多毛のせいか身体には一糸も纏っておりません。全身に真っ黒な毛が密生した猩々(しょうじょう)のようで、猿に類似した人間と言ったほうがよいかも知れません。顔の毛は短いが、眼が窪んで凄みのある光を発しています。

実はこの人間達は原始民族の一団で、全く外界と遮断された生活を送っており、日常生活のための道具などもなく、狩猟をしてはその日暮らしをしているのです。

大師が連れ込まれた洞窟が外界への唯一の通路で、密林に囲まれて静かに生活している彼等には、旅人が黙って通り抜ければ聞こえないが、話し声を立てるとそれが山に谺(こだま)して響き、洞窟が伝声管の役割をするため、動物的感覚を持った彼等にはその声が手に取るようによく聞こえるのです。

彼等は普通人も動物も同じように感じ、異族と見れば殺して喰らうので一層恐れられていました。声を聞くと洞窟を出て襲い掛かり、生け捕りにして帰ってきます。平生その姿を滅多に見ないため付近の人々は、彼等を悪魔か妖怪と信じ、恐れてここを通りません。通り抜けるときには、決して声を立てず足早に越してしまうのです。そうすれば、危険はありません。今朝方長老が『黙って声を立てずに』と注意したのも、この意味を含んでのことでしょう。

やがて、大師を捕らえた男が皆の前に進み出て、腕を曲げ胸を敲いて自分が捕らえたと誇っているらしく、奇声を上げ語り掛けていました。群衆は歓喜と感嘆の声を挙げ、男の勇を讃えるかのように合唱し始め、それに合わせて大きな踊りの輪が広がりました。

こうした乱舞が続いて人間達は長い間踊り狂っていましたが、やがて疲れてきたのでしょう。一人、二人と地上に坐り込む者が多くなるに従い歌が止み、だんだんと沈黙の時が流れ、群衆は鋭い視線を大師に注ぎ始めました。

間もなく大師を生け捕りにした毛人がつかつかと前に進み出て大師をジッと見下ろしていましたが、大師が履いている草鞋に目が止まるや不思議そうに眺めてこれを指さし、皆に向かって何事か叫びました。

大師は、彼の視線が足下の草鞋に止まったのを見て、きっとこれが欲しいに違いないと察し、自ら草鞋を脱いで彼に差し出しました。毛人は奪うようにこれを取って撫で回すように表や裏を見ていたが遂に自分の足に履き、付近をぐるぐると歩き回ってから、これは素晴らしいという表情を示して皆に見せびらかしました。

この様子を見ていた毛人達の中から羨ましがるようなざわめきが起こり、二、三人が出てきて珍しそうに彼の足を見ていたが、急に大師に向かって、自分にも呉れというように手を差し出しました。大師は、これを見て、助かるかも知れないと思いました。

荷袋の中には、まだ百足ぐらいの草鞋が入っています。これを与えて彼等の歓心を買えば、多分直ぐには殺さないであろう、その内に逃げ出す機会があるかも知れないと考え、大師は荷袋の中から草鞋を出して一足ずつ毛人達に渡しました。

これを見ていた群衆が、吾も吾もと押し寄せました。一足の草鞋を片方ずつ奪い合ったり、一人で三足も取ったりするものですから、とうとう広場中が奪い合いの場となり、誰も大師の存在を意識する者がいなくなってしまいました。

大師は、この機会を逃さず、じりじりと後に下がり人々の側を潜り抜けるや素足のまま洞窟の入り口目掛けて駆け出しました。ところが大師の記憶していた洞窟は、何処を捜しても見当たりません。方々を捜し回っている中に、足は荊や棘で引っ掻かれたり刺されたりして傷だらけになりました。

このままでは、毛人達に見付かってしまいそうです。仕方なく足に任せて密林の中へ足を踏み入れましたが、一体何処を歩いているのか全然方角が分かりません。その内にだんだんと足が棒のようになり、歩くのが苦痛になってきました。どうなるかと心配していたそのとき、前方から一頭の白象が現れて、ゆっくりと大師の方に向かって来ます。

これを見て大師は、折角毛人の難から逃れたと思ったのに今度は象の出現か、と思わず立ち止まってしまいました。もう駄目だ、大師は心気を平静にして迫り来る象を見詰めました。ところが、どうしたことでしょう。その象は、大師の側まで来ると急に立ち止まってしまいました。そして鼻を上下に大きく振り、耳をちょうど扇を扇ぐように動かし、涼しげな目で大師を見ております。

大師も、静かに見返しました。襲い掛かる様子は全くなく、主人の命令を待っているかのような素振りです。暫く象を見ておりましたが、飼い馴らされている様に見えますので、この白象はもしかすると佛陀が私を救って下さるために遣わされたのかも知れない。古経典に、佛陀は白象に跨って下界されたとありますから、この象はきっと佛陀のお遣わしになった象に違いないと思い、大師は親しく優しく象の顔を撫でながら言いました。

「そなたは、私を救うために来てくれたのですか。もしそうであれば、鼻を三度振っておくれ」

すると不思議にも、白象は言われたとおり、鼻を上下に三度振りました。大師はこの霊獣の仕種(しぐさ)に喜んで

「そなたが私を救ってくれたら、将来私が須彌山で得道し正果を成就した暁には必ずそなたを畜生道から脱れさせ、佛門に救って上げましょう」

と語りました。

人語を解するかのように象は、大きな顔を縦に振っています。丁度この時森の奥では、毛人達が大師の逃れたことに気付き、大声で騒いでいる声が聞こえました。そしてその声は、こちらの方に迫ってきます。大師は驚かれて

「さあ、白象よ。この危難を救っておくれ」

この言葉が言い終わるか終わらないうちに象は、長い鼻を大師に巻き付けるや否や、軽々と背中に乗せて一目散に走り出しました。白象の巨体がまるで雲に乗っているようで、瞬く中に密林を突き抜けて金輪山の麓に出ました。

更に四、五里も走っただろうか、平野に出た所で白象は、大師を静かに地上に降ろしました。ここまで来てやっと生色を取り戻した大師は、衣服の乱れを整えてから、白象の顔を優しく撫でながら

「白象よ、有り難う。そなたのお陰で、私は一命を救われました。このご恩は決して忘れません。もう塞氏堡の部落も近いようです。ここでそなたと別れますが、将来正果を成就した暁には必ず救いに参ります。安心して山にお帰りなさい」

と語りましたが、象は帰ろうとしないばかりか、地上に坐り込んでしまいました。

今まであれほど大師の言葉を聞き分けていた象が、どうしたことでしょう。何かを訴えるかのように、白象は瞬きもせず大師を見ております。もしかしたらこの象は、私と一緒に須彌山へ行きたいのかも知れない。それならば、象に訊ねてみよう。そう思われた大師は、象の首に手を当てながら

「白象よ、そなたが金輪山に帰りたくないと言うのは、私と一緒に須彌山へ求道に行きたいからですか。もしそうならば、頭で三回頷いてご覧なさい」

すると象は、明らかに人語を解するように、はっきりと三回頷きました。そうして長い鼻を背中に回して、ここに乗るようにと勧める動作を繰り返します。大師は、深く感動しました。動物の象ですら、自分の求道にその身を捧げようとするのです。

「白象よ、そのようにそなたが佛縁に深いとは思わなかった。しかし私の騎象になることは、決して楽ではありませんよ。数多くの艱難を跋渉しなければならないのです。それを覚悟していますか」

 象は大きく頷き、再び背中に乗って下さいと言うように、長い鼻を振り曲げて背中を示しました。大師は喜んで背中に上り、ゆっくりと坐りました。象は大師を庇うように慎重に立ち上がり、静かに歩み出しました。その動作は昔から大師に仕えているかのようであり、騎象となったことを喜んでいるかのようでもありました。大師と象とは、塞氏堡へ向かって進み始めました。

 続く・・・

 


バシャール:子供のように

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2017-08-01 00:38:38 NEW !
テーマ:

貴方はエネルギーでできています。エネルギーを消し去る事ができない代わりに、エネルギーは”カタチ”を変えて永遠に存在し続けてゆくのです。貴方は宇宙を象る源(ソース)を自分個人用に使う事が許されていますが、このエネルギーを『健康的』に活用するのも『不健康』に活用するのも貴方の意識の持ち用が大きく問われる事になるのです。

例えば健康的な思考を持っている時の貴方は、宇宙を象る源(ソース)を100%受け止める事ができます。貴方の精神と身体の隅々にフレッシュなエネルギーが充満する事ができるので、活力いっぱいで疲れ知らずです。しかし”自己評価”が低く設定されていて、いわゆる『不健康』な思考を持っている時の貴方は、宇宙を象る源(ソース)を60%ほどしか受け止める事ができません。つまり40%分の”要らない波動”によってブロックが生じています。*%の割合は例えです

ここで理解して欲しい事は、自分自身をちゃんと受け止める事ができる”健康的”な視点を持っている存在は、抵抗波動(ブロック)を持っていないという事です。ブロックがないので、病気知らずで疲れ知らずです。しかしそんな存在を今まで見た事がない、と言うかも知れません。バシャールは、子供達を観察してみてくださいと話します。子供達は疲れ知らずです。ワクワクを発見する事が上手で、ワクワク波動に乗るのも申し分ない行動力を持っています。子供のようになりましょうと、バシャールは話しています。子供のように”素直”に波動を受け止め、子供のように柔軟に自分自信を受け止めてゆきましょう!

米国の没落が急加速!「アメリカファースト」政策の大失敗

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DIAMOND online http://diamond.jp/articles/-/133234?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor

2017.6.27

[国際関係アナリスト]

きたの・よしのり/1970年長野県生まれ。モスクワ在住24年の国際関係アナリスト、作家。その独特の分析手法により、数々の予測を的中させている。1996年、日本人で初めて、ソ連時代「外交官・KGBエージェント養成所」と呼ばれたロシア外務省付属「モスクワ国際関係大学」(MGIMO)を卒業(政治学修士)。1999年創刊のメールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル」は現在読者数3万6000人。ロシア関係で日本一の配信部数を誇る。主な著書に「隷属国家日本の岐路」(ダイヤモンド社)、「プーチン最後の聖戦」、「日本自立のためのプーチン最強講義」(共に集英社インターナショナル)など。

ロシアから見た「正義」 “反逆者”プーチンの挑戦

ウクライナ問題などで欧米に楯突き、“反逆者”となったプーチン・ロシア大統領。しかし、ロシア側から物事を眺めれば、ウクライナ問題で暗躍する欧米側の思惑など、日本で報道されている“事実”とは異なるものが見える。気鋭の国際関係アナリストがモスクワから、欧米vsロシアの真相を解説する。

トランプ米大統領が孤立している。国内では「ロシアゲート」で、国際社会では「パリ協定離脱」でバッシングされている。「アメリカファースト」を掲げ、「わが道」を行くトランプ。しかし「米国を再び偉大にする」という願いとは正反対の結果になっている。(国際関係アナリスト 北野幸伯)

G7で「俺流」を貫き
メルケルに見放されたトランプ

 トランプは5月、多くの国々を訪れた。大統領就任後はじめての訪問先に選んだのは、サウジアラビア。5月20日、彼はここで、大きな実績を出した。なんと1090億ドル(約12兆円)の武器輸出契約を結んだのだ。これは、日本の防衛予算の倍以上にあたる、膨大な金額だ。オバマは、サウジアラビアを冷遇し、米サウジ関係は冷え込んでいた。トランプは、両国関係を修復することに成功した。

EUの盟主・ドイツのメルケル首相は、他国とのコンセンサスにまったく興味を示さないトランプ大統領に幻滅したことを隠さない。今や米国は、世界中から孤立してしまった Photo:REUTERS/AFLO

 トランプは22日、イスラエルを訪問。オバマはイランと和解することで、米国とイスラエルの関係を悪化させた。今回の訪問で両国は、「イランは、共通の脅威である」ことを確認。関係は改善された。トランプの中東訪問は、「成果があった」といえるだろう。

 問題は、その後だ。

 トランプは5月25日、ブリュッセルで開かれたNATO首脳会議に出席。彼はここで演説し、NATO加盟国がGDPの2%という防衛費の目標を達成せず、「米国の納税者に損をさせている」と非難した。要するに、「守ってほしければ、もっと金を出せ!」と要求したのだ。

 次にトランプは、イタリア・タオルミナで開かれたG7サミットに出席。彼は、ここでも「俺流」を貫く。結果、G7声明は、米国以外の6ヵ国が「パリ協定を迅速に実施する強固なコミットメントを再確認する」という、奇妙なものになってしまった。つまりG7は、「米国と他6ヵ国」で「分裂している」ことを、世界に示したのだ。

 ドイツのメルケル首相は、他国とのコンセンサスにまったく興味を示さないトランプにとことん幻滅したらしい。NATO首脳会議とG7サミットの後、米国への「決裂宣言」ともいえる発言をしている(太線筆者、以下同じ)。

<米英はもう頼りにできない、メルケル独首相が警告 AFP=時事 5/29(月) 14:02配信 【AFP=時事】 アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)独首相は28日、ドイツ南部ミュンヘン(Munich)での選挙集会で、英国の欧州連合(EU)離脱やドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領の就任で欧米の同盟関係に亀裂が走る中、欧州は「その運命を自ら握らねばならない」と訴えた。>

メルケルだけじゃない!
世界中から批判の声が殺到

 さらにメルケルはこうも述べた。

<「われわれが他国を完全に頼りにできた時代は終わりつつある。私はそれをこの数日間で経験した」。  聴衆に向けてこう述べたメルケル氏は、ドイツも欧州も米英との友好関係維持に努める一方で、「自らの運命のため闘わなければならない」と主張。>(同上)

 この発言を見るに、メルケルはトランプを見限っている。これは、「重大事件」といっていい。2016年、世界GDPの21.8%をEUが占めた。そしてドイツはEU最大の経済大国で、最も影響力のある国である。実際、「EUの実態は『ドイツ帝国』だ」と主張する人もいる(例、フランス人の人口学者エマニュエル・トッド)。そのドイツの首相が、「もう米国は頼りにならない」と宣言したのだ。

 トランプは6月1日、「パリ協定からの離脱」を宣言した。彼は以下のように語った。

< 私が選挙で選ばれたのは、ピッツバーグの市民を代表するためです。パリではありません。パリ協定は、ワシントンがまたしても、アメリカに不利な協定に参加した最新の例にすぎません。受け入れがたい法的リスクを押しつけ、われわれを世界の他国に対して、決定的に不利な状態に追いこみます。
 われわれは、他国の指導者や国に、これ以上笑われたくない。これでもう笑わないはずだ。もう笑わない。今こそパリ協定を離脱すべき時だ。そして、新しい合意を追求すべきだ。環境とわれわれの企業を守り、われわれの市民とこの国を守る、新しい合意を>

 トランプは、「ピッツバーグの市民を守るために、パリ協定離脱を決めた」かのような演説をした。しかし、同市のペドゥート市長は、即座に「ピッツバーグは、世界とパリ協定を支持する!」と宣言した。「トランプと同類にされたくない」ということだろう。

 今やトランプは、世界中から批判されている。フランスのマクロン新大統領はパリ協定を守ることで、「地球を再び偉大にする!」と宣言。これは、「米国を再び偉大にする」のトランプを皮肉ったのだ。

 マクロンは、トランプのオウンゴールを利用した巧みなパフォーマンスで、大いに人気を高めた。そのマクロン、メルケル、イタリアのジェンティローニ首相は1日、「米国の決断を残念に思う」との共同声明を出した。そして3首脳は、トランプが求める「再交渉」には「応じない」としている。

 ロシアのリャブコフ外務次官は、パリ協定が「米国を含まない一部の国だけ優先しているというのは間違い」だと指摘。インドのモディ首相は2日、「気候変動に関してインドは責任ある国家だ」と語り、パリ協定を順守する決意を示した。国連のドゥジャリク事務総長報道官は、離脱発表は「大きな失望」とする声明を発表している。

「アメリカファースト」が
トランプを孤立させた元凶

 そして、非常に重要なポイントだが、米経済界からもトランプの決定に反対する声があがっている。BBCニュース、6月2日から。

<米経済界も声高に、協定残留を求めていた。
グーグル、アップル、化石燃料メーカーのエクソンモービルなど、何百もの企業が大統領に協定に残るよう要請していた。
エクソンモービルのダレン・ウッズ最高経営責任者は自ら大統領に手紙を送り、米国は協定に参加したままでも「十分に競争できる」し、協定に残れば「公平なルール確保のために話し合いの場に参加できる」と力説した。>

 トランプが世界のみならず、自国内でも「孤立している」ことは、明らかだろう。

 トランプは、なぜ就任半年で、これほど孤立したのか?彼に敵が多いのは確かだ。野党である民主党はもちろん、与党・共和党内の「反ロシア派」、マスコミ(特にCNN、ABC、ニューヨーク・タイムズなど)、CIAなど諜報機関、国際金融資本など。これらの勢力は、執拗にトランプバッシングをつづけている。

 しかし、トランプがNATO加盟国の全首脳に、「もっと金を出せ!」と演説したり、「パリ協定離脱宣言」するのは、「彼自身の決断」だろう。なんといっても、これらは大統領選挙戦中からの「公約」なのだから。彼の言動は、彼の「思想」を反映しているだろうから、問題は「彼の思想」ということになる。

 トランプの思想とは、なんだろうか?そう、「アメリカファースト」(米国第一主義)だ。

 トランプのおかげで、「〇〇ファースト」という言葉が、流行している。「ジャパンファーストでいこう」という政治家もいるし、「都民ファースト」という言葉も、しばしば耳にする。「米国の大統領が使うから」と、あまり考えずマネをする人が多いのは、危うい傾向だ。

 もし「私は、『私ファースト主義者』です。自分の利益を最優先させます!」と宣言する人がいればどうだろう?この人は、人々から愛され、会社でトントン拍子に出世していくだろうか?そんなことはないだろう。

「私ファースト」のことを、一般的な言葉で「エゴイスト」(自己中心主義者)という。「エゴイズム」は、世界のどこでも「悪いこと」とされ、嫌われる運命にある。

 では、ある企業の社長が、「『わが社ファースト』でいきます。お客さまのことよりも、わが社の利益を最優先させます!」と宣言したらどうだろう?普通、そんな会社から買いたいとは思わないだろう。

「自国ファースト」を掲げた国は
次々にボロボロに

 トランプの「アメリカファースト」は、「米国民の利益を最優先させる」という意味もあるだろう。会社でいえば、「従業員第一主義」だろうか。トランプが、「米国民の利益を最優先させる」といえば、アメリカ人が彼を支持する理由もわかる。これは「国内世論」的には正解だが、「国際世論」を味方につけることは、まったくできない。

 実際、彼は「米国企業を守るため」という理由で、「パリ協定離脱」を宣言したが、国際世論を完全に敵にまわしてしまった。一方、フランスのマクロン大統領は、「地球を再び偉大にする!」といって、国内外の名声を高めた。

 そして、国際社会から孤立してしまえば、実は米国民たちも不利益を被る。それをよく知っている米経済界はパリ協定離脱に反対したが、トランプは押し切ってしまった。「アメリカファースト」は、決して自国民に有利な戦略でもないのだ。

 このように、トランプが孤立する理由は、「アメリカファースト」という彼の思想自体にある。筆者は2016年4月、「トランプ大統領誕生なら米国は覇権国家から転落する」という記事を書いた。残念ながら、米国は予想通りの方向にむかっているようだ。

 実際、「自国第一主義」的スローガンや言動で、孤立したり叩かれたりする例は、トランプ以外にもある。たとえば安倍総理は12年、「日本を取り戻す」というスローガンを掲げて再登場した。中国は13年、熱心に「安倍は右翼」「安倍は軍国主義者」「安倍は歴史修正主義者」というプロパガンダを展開。結果、13年12月に総理が靖国を参拝すると、世界規模で「安倍バッシング」が起こった。

「靖国参拝を批判したのは、中国と韓国だけ」というのは、事実と異なる。実際は中韓に加え、米国、英国、EU、ロシア、台湾、シンガポール、オーストラリアなどが参拝を非難している(ここでは詳細に触れないが、「ウソだ!」と思う方は、是非本連載バックナンバー「“恐怖の大王”プーチンが日米関係を変えた 日米vs中ロの新パラダイムをどう読むべきか」を参考にしていただきたい)。

 プーチンは、「ロシアの国家イデオロギーは、『愛国主義』だ」と語る、「自国第一主義者」だ。彼のもっとも好きな言葉は、「ナツィオナリニー・インテレス」(国益)だろう。14年3月、プーチンは「クリミア併合」を決断した。ロシア国民はこれを熱狂的に支持したが、欧米日はロシア制裁を決めた。その結果、ロシア経済はボロボロになってしまった。

 習近平は12年、「中国の夢」という「自国第一主義」的スローガンを掲げて登場した。オバマが、シリア、ウクライナ、ロシアとの争いで多忙だったことから、しばらく問題はなかった。しかし、15年3月の「AIIB事件」後、オバマは、中国を激しくバッシングするようになっていく。

 結果、15~16年にかけて、中国経済はボロボロになってしまった。16年1月、ジョージ・ソロスは、「中国経済のハードランディングは不可避」と発言し、世界に衝撃を与えた。

バリバリのナショナリストだった
習近平はグローバリストに豹変した!

 このように「自国第一主義者」は、叩かれる運命にある。しかし、「方向転換」することも可能だ。

 たとえば、安倍総理は、もはや「日本を取り戻す」と大声で主張しない。「日本は、自由主義のチャンピオンありたい」などと、グローバリストを喜ばせる発言をしている。その一方で「憲法改正」にむけて、布石を打っている。これは、バランスをとっているのだ。

 もっとひどく「豹変」したのは、習近平だろう。彼は、トランプが「アメリカファースト」で孤立している様を見て、「逆の道を行く」ことにした。

 今年1月に開かれた「ダボス会議」は、「お通夜のようであった」という。ここに集まるのは、世界のエリートで、大抵はグローバリストである。なぜ彼らがナーバスになっていたかというと、世界最強国家・米国で、「ナショナリストの大統領」が誕生したからだ。

 習近平は1月17日、ダボス会議に乗り込み「グローバリズム絶対支持宣言」演説をし、グローバリストを味方につけた。さらに、1月18日、習はジュネーブの国連欧州本部で演説。なんと「核兵器のない世界実現」を呼びかけた。6月1日にトランプが「パリ協定離脱」を宣言すると、中国は、即座に「パリ協定を順守していく」と声明を出した。

 現状の世界を見るに、トランプは「アメリカファースト」によって孤立している。一方、習近平は、「地球ファースト」の「フリ」をして、名声を高めている。

「日本には尖閣だけでなく沖縄の領有権もない」と宣言している国が、影響力を増している。中国の脅威に怯える日本人には、受け入れたくない事態だろう。しかし、世界で起こっていることの事実は、日本に都合のいいことも、悪いことも、「あるがまま」に知っておく必要がある。

「世界で起こっていること」の「事実」を知らずに、適切な対応策を考えることはできないのだから。                     

 

Ray:闇が米国を支配しその米国が世界支配していた。グローバリズムからアメリカ第一主義に転じたのはアメリカは支配を降りたということにほかならない。主を失った者の混乱、虐げられてきたものが不満を言うのは当然の成りゆき。その対立点にブラックホールがある。中枢にいた闇のエージェントに追及の手は激しく自分で自分を追い落とすようなことになる。ここまでは基軸通貨ドルの失墜を演じてきた米国のシナオリは次の段階には入ったに過ぎないが、支配に追従してきた者、その裏に隠れて財宝や権力を維持してきた一部の特権階級(ヨーロッパの貴族階級はじめ国民を食い物のしてきたアメリカや日本の闇の輩)は白日の下にさられるか自滅の道をたどる。不要なものは徹底的に整理する時・・・。

観音菩薩伝~第30話 保母と永蓮は須達徳に救いを求める、 第31話 大師、跣足の行脚を覚悟される

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第30話 保母と永蓮は須達徳に救いを求める

 保母と永蓮の二人は、やっとの思いで塞氏堡に辿り着きました。早く誰かに会って救いを求めなければと辺りを見廻すと、向こうの屋敷の前で大勢の人が石垣を作っているのが目に入りました。二人が急いで近付いて行くと、相手の工人たちも二人の比丘尼姿を見て珍しそうに近寄って来ました。この地方には、尼僧がいないのです。

挨拶もソコソコに保母は哀願に似た表情で金輪山での出来事を語り、直ちに救助に向かって欲しい旨を伝えました。周囲で話を聞いていた工人たちは開いた口が塞がらないといった表情で驚き呆れ返っていましたが、暫くして一人が

「何という恐ろしいことを」

と口を切ると、皆が次々に言い出しました。

「危ない事ですから、行くのは止めなさい」「貴方たちが助かっただけでも幸せです」

 誰一人として、助けに行こうとは言いません。二人は、必死に哀願しました。丁度その時そこへ役人が来て大声で

「仕事もしないで、何を騒いでいるのか」

と怒鳴り付けたので、工人たちは驚いて左右に分かれて道を開けました。工人頭が進み出て役人に二人の話した一部始終を告げた後、更に小声で何事か話し合っていましたが、話し終わると役人は

「お二人を私の家まで丁重に案内するがよい」

と命じました。この役人の名は須達(すだっとく)と言い、長年塞氏堡の堡官(ほうかん)を務め、また村長でもあります。品徳が備わっていて、平生は善を楽しみ、物を貧者に施すことが好きで、この地方では人徳者として人々から慕われています。

 保母と永蓮は須達の家に案内され心の籠った待遇を受けましたが、怪物に攫われた大師の事を思うと二人は気が気でなく、厚く礼を述べると共に大師の救助を急ぎ取り計らってもらいたい旨、再三に亘って須達に依頼しました。しかし須達は、固く首を横に振り

「彼等は、怪物でも夜叉でもありません。未開の人間です。平素は外部と隔絶された状態で生活しており、言葉も通じず、勿論情理の分かる種族ではありません。風俗習慣も全く異なる一種の食人種で、しかも非常に凶暴で大変危険な種族です。それにあちこちの山野に散在していて、定まった住居すら分かっていないのが実情です」

と気の毒そうに言いました。

「では、どうすればよいのでしょうか」

「お助けする方法はありません。ご同伴の師父も、今頃は既に命を落としていることでしょう。無慈悲なようですが、彼等の残忍さは私がよく知っています。今まで道に迷い彼等に捕らわれた人で助け出された者は、一人もおりません。もう、諦める他ありません。お二人で須彌山に行き、師父が成佛されるよう祈って上げなさい」

 二人は、この言葉を聞いて堪え切れず、思わず俯伏して号泣しました。特に保母は、取り乱して

「大師様。貴方は今まで専心修行されて、美声も耳を悦ばせず、美香も貴方の鼻を乱すことが出来ず、美味・美色も貴方を擾(みだ)すことが出来ず、一切の富貴栄華も貴方の心意を動かすことが出来なかったのに。私が今暫しの山景を貪り眺めただけで、このような災難を招くとは。今後、どうすればよいのでしょう」

 腸(はらわた)を千切られるような慟哭は、周囲の人々の涙を誘いました。

「私の所為で、大師をこんな結果に陥れてしまいました。私は、何と言う罪深い女でしょうか。大師を失って、私の生涯に何の目的がありましょう。王に何と言ってお詫びすることが出来ましょう」

 幼少の頃から大師を育て、大師と行を共にして来た保母の悔恨は無理からぬ事です。須達は、ただ目を固く閉じてこの嘆きの言葉を聞くばかりです。

 長い間泣き続けて少しは気が静まった保母は、身なりを正して須達に向かって丁寧に頭を下げ、取り乱した無礼を謝し、永蓮を促しました。

「永蓮よ。私たちがここで取り乱していても、何の益にもなりません。彌陀の御加護を祈って、二人で参りましょう」

「何処へ」

「金輪山へ。私たちは、大師のお供をしてここまで来たのです。大事な大師を失った今、二人だけで須彌山へ行って何になりましょう。もう一度、金輪山へ戻りましょう。恥と悔いを抱いて生きるよりも、大師の後を追って美しい名を飾りましょう」

「保母様。よく言って下さいました。金輪山へ行って毛人たちに加害されるのも、前世からの宿命でしょう。一緒に参りましょう」

 二人は、急いで発とうとしました。須達は、これを見て驚いて二人を押し止め

「とんでもない。そんな無茶なことを。早まってはなりません。お二人の気持ちはよく解りますが、虎口に入るのをみすみす座視するわけに行きません。まあ、落ち着いて座って下さい」

「いいえ。これは、私たちの心愿(心願)でございます。堡官様とは、何の関係もございません。止めて下さいますな。生死を共にするのが、私たちの運命です」

 二人は、どうしても留まろうとしません。須達が引き止めるのを振り切って、出て行こうとしました。須達は、慌てて家人を呼び二人の袖を引いて留めました。こうして揉み合っているところに、一人の村人が息を切らして飛び込んできました。

「堡官様、大変です。たった今、堡外に白象に乗った一人の行者が現れました。尼僧のようですが、こちらに向かって来ます。どうしましょうか」

「もしかしたら、貴方たちの師父ではありませんか」

 永蓮は、首を振って

「大師様は、徒歩で、何にも乗ってはおられません。別の方でしょう」

と言ったものの、もしも大師であったなら、という淡い希望もあって二人は急いで外へ飛び出しました。村外れまで走りながら、保母も永蓮も両眼を一杯に見開き、遠くの方から近付いて来る白象の行者を見詰めました。

 象は、ゆっくりと近付いて来ます。白象の上に端然と座っている姿は、大師と寸分も違いありません。

「正しく大師様だ」

 二人は同時にそう叫ぶなり、歓声を上げて走り出しました。嬉しそうな二人に出迎えられた大師は、無事な再会を心から喜ばれました。大師は二人に案内されて村人たちが集まっている広場まで来ると、ゆっくりと象から降りて丁寧に合掌し、出迎えた須達と集まった村人たちに挨拶をしました。

 やがて須達の家に落ち着いた大師は、須達や家人に保母と永蓮が世話になった事を謝し、皆の質問に答えて今までの出来事一部始終を語りました。何という奇蹟的な生還でありましょう。皆は、感動して、大師の話に聞き入ってしまいました。

「私はこの村に長年住み今では堡官と村長を兼ねていますが、今まで金輪山に登って捕らえられた者が無事に帰ってきたという話を聞いたことがありません。何と聡明な智慧深きお方でしょう。それにこの白象の出現は、きっと佛陀が貴方様のために差し遣わされたものに違いありません」

 力を籠めて言う須達の言葉に、皆も本当だ、本当だと相槌を打ち、手を叩いて心から大師の生還を祝うのでした。

第31話 大師、跣足の行脚を覚悟される

大師の奇蹟的生還が瞬く間に全村に伝えられ、大師を一目でも見ようとして大勢の村人たちが詰めかけたので、須達の屋敷は忽ち人で一杯となりました。これを見て須達は、何か考え込んでおりましたが、やがて大師に願い出ました。

「大師様。この地方では、佛陀の教えが未だ余り伝えられておりません。今日は大師様の奇蹟の生還で村人たちは、佛陀の偉大さに感動しております。大変お疲れでしょうが、大勢集まっておりますので、愚かな私たちに説法して下さいませんでしょうか」

 未だ疲れの取れない身体でありましたが、大師は喜んでこの申し出に応じ広間に出て行きました。

「諸衆と縁を結ぶことが出来たことを幸せと存じます。世の中は縁生・縁滅の憂苦・煩悩の世界であり、諸行は無常です。人はこの中に溺れ罪業を為して四生六道の輪廻に巻き込まれ、その尽きない苦しみの柵(しがらみ)から脱することが出来ません。富貴栄華は一場の夢、名利恩愛は瞬間の幻です。人間の一切は皆苦であります。先ず生まれて一生を活きていくことは苦であり、老弱も苦であり、病魔も苦であり、死もまた苦であります。更に、怨み憎む者に会うのも苦であり、愛する人と別れるのも苦であり、求めて得られないのも苦であり、この有情を形成する色受想行識の五蘊の心身に及ぼすもの總べてはみな苦であります。

 人はこの八大苦に冒され五体の束縛を受けて五濁の世界に繰り返し転生し、何時の世にも生死の超脱が出来ないままに今日に及んでいます。ところが、この時佛陀が命を受けて顕現され、十六年間苦行した結果、燃燈佛(ねんとうぶつ)から般若の正法を授記され、瑜伽菩提(ゆかぼだい)の密法を得、煙雨降りしきる中で遂に大圓鏡智(だいえんきょうち)、無相三昧(むそうざんまい)の境地に至られ無上正等正覚を得られました。そして身を立て、衆生に未来永遠の解脱の法を伝え、涅槃への正道を縁有る人々に伝え導かれました。諸衆がこの理を悟り、前業を愧(は)じて解脱を欲するならば佛道にお入り下さい。如来の寶筏(ほうはつ)は、縁者を乗せて彼岸に到らせます」

 大師はここで皆の顔を見廻してから更に解り易く佛陀の根本義、正法の宏大無辺を諄諄と説かれました。溢れるばかりに集まっていた人達は、深閑とした静寂の中で咳(しわぶき)一つ無く、時の経つのも忘れて熱心に聞き入っておりました。

 説法が終って大師を部屋へ案内した須達は、感激を面(おもて)に表わしながら訊きました。

「お見受けしたところ大師は芳齢(おとし)もお若く、その上人品も卑しからぬ御風貌で、確かに高貴な身分のご出身と思われますが」

 大師は、静かに笑うだけで答えません。すると永蓮が一膝乗り出し、大師の言付けも忘れて

「そうです。大師は興林国の第三王女に当たられる方でございます。ご幼少の頃から富貴に惑わされず、只一心に佛陀の瑜伽の大理想を慕い、只管(ひたすら)修行に励んでこられたお方です」

と語り始め、花園修行の事から白雀寺焼失の事など涙と共に話し、更に

「災難を免れることが出来ましたあの草鞋も、実は大師ご自身が平素修行の傍ら編まれたものでございます」

と大師の日常のご様子を皆に聞かせました。

須達をはじめ、家人はただ感激するばかりでした。側にいた保母は、優しく永蓮を眺めながら

「永蓮様はもと王様の忠実な官女で、王様の命を受けて姫君であった大師の監視役に来られたのですが、偉大なる大師の教えを悟り修行を決心されたのです」

と語りました。益々深く感動した須達は、大師に向かい

「大師の御決心は必ずや正果を成就し、それによって萬代の功徳が培われましょう。私たちは、喜んで大師に帰依いたします。それにしても大師が苦労して編まれた百余足の草鞋が毛人に奪われ、さぞかし御不便でしょう。今後千里の行脚に履き替えが無ければお困りでしょうから、教化旁々数日間御滞在願えれば、代わりの草鞋を編んで差し上げたいと存じます」

すると大師は、掌を合わせて厚く礼を述べ

「堡官よ、あなたの真心は心に刻んで忘れません、しかしそれを頂くわけには参りません」

「草鞋も無く、今後どうなさるお心算ですか」

「跣足で行脚を続ける覚悟です」

 これを聞いた須達は、驚いた様子で

「大師、それはとても無理なことです。須彌山までは千里の道程です。さらに風雪と険しい山河、深い谷が横たわっております。また、砂漠も越えなくてはなりません。とても跣足で行くことはできません」

「跣足で行脚するのも修行です。やって出来ないことはありません」

 須達は、大師の心を計りかねて

「出家人は、十方の供養を受けると聴いています。何故お受け取り下さいませんか」

と問いました。

「そなたは、その一を知っていても二を知りません。出家人が十方の供養を受けることは、間違いではありません。しかし行者が受ける一飲一飯には前から定まった因があります。仏法ではこれを縁と言います。私が宮中で罰せられて草鞋を編んだのは、因を蒔いていたのです。この度この草鞋のお陰で、虎口を脱することが出来ました。これは、果を収めたのです。因果とは、相報いることです。草鞋と私との縁法は既に尽きました」

「それでは、ほんの僅かな数だけでもお受け取り下さい」

「いや、例え一足でも頂けば因となります。私はもうこれ以上、別の因果を蒔きたくありません。まして彼の草鞋は、私の命を助けた功があります。だから今後は、再び履くわけには参りません。例えばここに私達の命を救った恩人があるとすれば、私達がその人を尊敬することは当然です。それを尊敬しないばかりか、反対に踏み付けて陵辱することは許されるはずがありません」

「草鞋は、人間ではありませんが」

「そうです。草鞋と人間は比べられませんが、その理は同じです。私は、今後甘んじて素足で行脚する決意です。また道々白象に乗りますから、どうかお心遣いはなさらないようにして下さい」

 須達はじめ家人達は、大師の決心に心から感激して、これからの行脚が無事でありますようにと祈りました。

続く・・・

プレアデス+地球をひらく鍵~第2章 生きた図書館をふたたび夢にみて(5)第2章終わり

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第2章 生きた図書館をふたたび夢にみて

◎ 図書館という概念があなたのなかに浸透してくれにつれて、あなたは感情がいかに大切なものであるか、そして、そこに貯蔵されている膨大な知識を開く鍵はあなたであることを理解しはじめるでしょう。

 

私たちが現在駆使しているエネルギーをまかされるにあたっては、私たちはそれなりの努力をしなければなりませんでした。

口に黄金のスプーンをくわえて生れてきたわけではありません。

進化をとげ、学んできたのです。

私たちはあなた方から学びますし、いうなればあなた方から非常に多くのことを学ぶことによって、私たちの現実における自分自身をつくり直しているとも言えるのです。

私たちはユーモアのセンスと朗らかさをつちかってきましたが、それはこのような性質が絶対に必要だからです。

私たちの仕事をあまりにも真面目に受けとめたりすれば、私たちは滅びてしまうでしょう。

それはあなた方も同じです。

もっとも大切なポイントを見逃してしまうことになるでしょう。

 

あなた方と私たちは相互に依存しあっています。

あなた方がやってくれたさまざまな仕事のおかげで、プレアデスでは大きな違いが生じています。

これを理解してほしいと思います。

これは交換であって、一方的なやりとりではありません。

それは限りのない関係です。

あなた方の生活のなかで明らかな変化が起き、あなた方が明確な意図をもってエネルギーを投資すれば、他の場所でもそれと同じような結果が生じるのです。

 

あなた方がこのような波及効果を目撃し感じるようになることこそ、私たちの意図することであり、心の底から願っていることです。

すなわち、あなた方の多次元の自我が地球とプレアデスの2つの世界にまたがっていることを知ってほしいと心からねがっているのです。

 

私たちは仲介者です。

つまり、門を開け、紹介し、道を教えるのが私たちの役割です。

巨大な知性の力があなた方を待ち受けています。

彼らはこういっています。

「人間に会いたい。人間と一緒に仕事がしたい。私たちはこのプロジェクトに参加したい」。

そこで私たちは彼らにこういいました。

「ちょっと待ってください。あなた方は現時点では彼らの生活にどっと入ってゆくことはできません。彼らはまだ、か弱い存在です。彼らがあなた方に会っても大丈夫なところに進むまで辛抱してください」。

 

生きた図書館や12の概念というのは、現在のあなた方の理解をはるかに超えたものであることを理解してください。

それはあなた方が人間として今後20年の間に自分自身を活性化していくプロセスとなるでしょう。

途方もない考えを夢に見てそれを現実化するというあなた方の想像力と能力が、生きた図書館を建設することになるでしょう。

生きた図書館をあなた方が再び夢に見て、新たな生命力に満ちた新しい図書館を創造する手伝いをしたいのです。

生きた図書館がすでに活性化されている場所が何ヶ所かあります。

土地そのものが生き生きと生きているだけでなく、そこに住む人間の意識が解釈する力をもち、生き生きと活動することが必要になります。

それによってはじめて生きた図書館が可能となります。

なぜなら、あなた方を通してはじめて生きた図書館にアクセスすることができるのですから。

人間のいない生きた図書館は完全ではありません。

あなた方人間は生きた図書館の不可欠な要素なのです。

あなた方の一人ひとりが、この地球の大地を歩くとき、一葉一葉の草に、砂の一粒一粒に、一枚一枚の花びらに、一匹一匹の昆虫に、アリに、鳥に、ミツバチに、水の一滴一滴に、露のひとしずくひとしずくに語りかけ、あなたの存在を宣言してほしいと思います。

こういってみてください。

「私はここにいます。生きた生命体としてあなたのなかに貯蔵されている知識を、あなたが私に解放してくれるよう私は意図します。私はその情報を受けとり、翻訳し、さらにそれを変換して世界に知らせるためにここにきています。私はこの惑星の生きた図書館を活性化したいと願っています」。

これをあなた方の日々の瞑想と、意図にしてほしいと思います。

愛の周波数で生き生きと息づいているこの大地、すなわち生きた図書館を、あなたの身体のなかに入れてください。

 

生きた図書館をふたたび夢にみながら、地球がいかに大切なものであるかを想像してみてください。

あなたが図書館のこのイメージを保持すると、あなたをサポートし、あなたが光の家族のメンバーであることを知っている人々はすべて、あなたが獲得しつつあることを感じとるでしょう。

というのは、あなた方はみなつながっているからです・

あなたは、「はい、私は光の家族のメンバーです」とはっきりいいきることにコミットしている事実によって、光の家族であることを認知されるのです。

あなたはいまこの瞬間に知っていることによって、すべての人々に衝撃的な刺激を与えます。

すると光の家族の人々は、手をのばして他の人々にふれることが可能になるのです。

これは実に壮大な夢です。

さまざまな世界が解放され、現実が転換するこの時代を、あなた方がスムーズに切り抜けることを願っています。

あなた方の身体にはさまざまなエネルギーのパターンが細胞の記憶として蓄積されています。

私たちはあなた方が成長できるスペースを静かにつくらなければなりません。

第2章おわり・・・

観音菩薩伝~第30話 保母と永蓮は須達徳に救いを求める、 第31話 大師、跣足の行脚を覚悟される

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第30話 保母と永蓮は須達徳に救いを求める

 保母と永蓮の二人は、やっとの思いで塞氏堡に辿り着きました。早く誰かに会って救いを求めなければと辺りを見廻すと、向こうの屋敷の前で大勢の人が石垣を作っているのが目に入りました。二人が急いで近付いて行くと、相手の工人たちも二人の比丘尼姿を見て珍しそうに近寄って来ました。この地方には、尼僧がいないのです。

挨拶もソコソコに保母は哀願に似た表情で金輪山での出来事を語り、直ちに救助に向かって欲しい旨を伝えました。周囲で話を聞いていた工人たちは開いた口が塞がらないといった表情で驚き呆れ返っていましたが、暫くして一人が

「何という恐ろしいことを」

と口を切ると、皆が次々に言い出しました。

「危ない事ですから、行くのは止めなさい」「貴方たちが助かっただけでも幸せです」

 誰一人として、助けに行こうとは言いません。二人は、必死に哀願しました。丁度その時そこへ役人が来て大声で

「仕事もしないで、何を騒いでいるのか」

と怒鳴り付けたので、工人たちは驚いて左右に分かれて道を開けました。工人頭が進み出て役人に二人の話した一部始終を告げた後、更に小声で何事か話し合っていましたが、話し終わると役人は

「お二人を私の家まで丁重に案内するがよい」

と命じました。この役人の名は須達(すだっとく)と言い、長年塞氏堡の堡官(ほうかん)を務め、また村長でもあります。品徳が備わっていて、平生は善を楽しみ、物を貧者に施すことが好きで、この地方では人徳者として人々から慕われています。

 保母と永蓮は須達の家に案内され心の籠った待遇を受けましたが、怪物に攫われた大師の事を思うと二人は気が気でなく、厚く礼を述べると共に大師の救助を急ぎ取り計らってもらいたい旨、再三に亘って須達に依頼しました。しかし須達は、固く首を横に振り

「彼等は、怪物でも夜叉でもありません。未開の人間です。平素は外部と隔絶された状態で生活しており、言葉も通じず、勿論情理の分かる種族ではありません。風俗習慣も全く異なる一種の食人種で、しかも非常に凶暴で大変危険な種族です。それにあちこちの山野に散在していて、定まった住居すら分かっていないのが実情です」

と気の毒そうに言いました。

「では、どうすればよいのでしょうか」

「お助けする方法はありません。ご同伴の師父も、今頃は既に命を落としていることでしょう。無慈悲なようですが、彼等の残忍さは私がよく知っています。今まで道に迷い彼等に捕らわれた人で助け出された者は、一人もおりません。もう、諦める他ありません。お二人で須彌山に行き、師父が成佛されるよう祈って上げなさい」

 二人は、この言葉を聞いて堪え切れず、思わず俯伏して号泣しました。特に保母は、取り乱して

「大師様。貴方は今まで専心修行されて、美声も耳を悦ばせず、美香も貴方の鼻を乱すことが出来ず、美味・美色も貴方を擾(みだ)すことが出来ず、一切の富貴栄華も貴方の心意を動かすことが出来なかったのに。私が今暫しの山景を貪り眺めただけで、このような災難を招くとは。今後、どうすればよいのでしょう」

 腸(はらわた)を千切られるような慟哭は、周囲の人々の涙を誘いました。

「私の所為で、大師をこんな結果に陥れてしまいました。私は、何と言う罪深い女でしょうか。大師を失って、私の生涯に何の目的がありましょう。王に何と言ってお詫びすることが出来ましょう」

 幼少の頃から大師を育て、大師と行を共にして来た保母の悔恨は無理からぬ事です。須達は、ただ目を固く閉じてこの嘆きの言葉を聞くばかりです。

 長い間泣き続けて少しは気が静まった保母は、身なりを正して須達に向かって丁寧に頭を下げ、取り乱した無礼を謝し、永蓮を促しました。

「永蓮よ。私たちがここで取り乱していても、何の益にもなりません。彌陀の御加護を祈って、二人で参りましょう」

「何処へ」

「金輪山へ。私たちは、大師のお供をしてここまで来たのです。大事な大師を失った今、二人だけで須彌山へ行って何になりましょう。もう一度、金輪山へ戻りましょう。恥と悔いを抱いて生きるよりも、大師の後を追って美しい名を飾りましょう」

「保母様。よく言って下さいました。金輪山へ行って毛人たちに加害されるのも、前世からの宿命でしょう。一緒に参りましょう」

 二人は、急いで発とうとしました。須達は、これを見て驚いて二人を押し止め

「とんでもない。そんな無茶なことを。早まってはなりません。お二人の気持ちはよく解りますが、虎口に入るのをみすみす座視するわけに行きません。まあ、落ち着いて座って下さい」

「いいえ。これは、私たちの心愿(心願)でございます。堡官様とは、何の関係もございません。止めて下さいますな。生死を共にするのが、私たちの運命です」

 二人は、どうしても留まろうとしません。須達が引き止めるのを振り切って、出て行こうとしました。須達は、慌てて家人を呼び二人の袖を引いて留めました。こうして揉み合っているところに、一人の村人が息を切らして飛び込んできました。

「堡官様、大変です。たった今、堡外に白象に乗った一人の行者が現れました。尼僧のようですが、こちらに向かって来ます。どうしましょうか」

「もしかしたら、貴方たちの師父ではありませんか」

 永蓮は、首を振って

「大師様は、徒歩で、何にも乗ってはおられません。別の方でしょう」

と言ったものの、もしも大師であったなら、という淡い希望もあって二人は急いで外へ飛び出しました。村外れまで走りながら、保母も永蓮も両眼を一杯に見開き、遠くの方から近付いて来る白象の行者を見詰めました。

 象は、ゆっくりと近付いて来ます。白象の上に端然と座っている姿は、大師と寸分も違いありません。

「正しく大師様だ」

 二人は同時にそう叫ぶなり、歓声を上げて走り出しました。嬉しそうな二人に出迎えられた大師は、無事な再会を心から喜ばれました。大師は二人に案内されて村人たちが集まっている広場まで来ると、ゆっくりと象から降りて丁寧に合掌し、出迎えた須達と集まった村人たちに挨拶をしました。

 やがて須達の家に落ち着いた大師は、須達や家人に保母と永蓮が世話になった事を謝し、皆の質問に答えて今までの出来事一部始終を語りました。何という奇蹟的な生還でありましょう。皆は、感動して、大師の話に聞き入ってしまいました。

「私はこの村に長年住み今では堡官と村長を兼ねていますが、今まで金輪山に登って捕らえられた者が無事に帰ってきたという話を聞いたことがありません。何と聡明な智慧深きお方でしょう。それにこの白象の出現は、きっと佛陀が貴方様のために差し遣わされたものに違いありません」

 力を籠めて言う須達の言葉に、皆も本当だ、本当だと相槌を打ち、手を叩いて心から大師の生還を祝うのでした。

 

第31話 大師、跣足の行脚を覚悟される

大師の奇蹟的生還が瞬く間に全村に伝えられ、大師を一目でも見ようとして大勢の村人たちが詰めかけたので、須達の屋敷は忽ち人で一杯となりました。これを見て須達は、何か考え込んでおりましたが、やがて大師に願い出ました。

「大師様。この地方では、佛陀の教えが未だ余り伝えられておりません。今日は大師様の奇蹟の生還で村人たちは、佛陀の偉大さに感動しております。大変お疲れでしょうが、大勢集まっておりますので、愚かな私たちに説法して下さいませんでしょうか」

 未だ疲れの取れない身体でありましたが、大師は喜んでこの申し出に応じ広間に出て行きました。

「諸衆と縁を結ぶことが出来たことを幸せと存じます。世の中は縁生・縁滅の憂苦・煩悩の世界であり、諸行は無常です。人はこの中に溺れ罪業を為して四生六道の輪廻に巻き込まれ、その尽きない苦しみの柵(しがらみ)から脱することが出来ません。富貴栄華は一場の夢、名利恩愛は瞬間の幻です。人間の一切は皆苦であります。先ず生まれて一生を活きていくことは苦であり、老弱も苦であり、病魔も苦であり、死もまた苦であります。更に、怨み憎む者に会うのも苦であり、愛する人と別れるのも苦であり、求めて得られないのも苦であり、この有情を形成する色受想行識の五蘊の心身に及ぼすもの總べてはみな苦であります。

 人はこの八大苦に冒され五体の束縛を受けて五濁の世界に繰り返し転生し、何時の世にも生死の超脱が出来ないままに今日に及んでいます。ところが、この時佛陀が命を受けて顕現され、十六年間苦行した結果、燃燈佛(ねんとうぶつ)から般若の正法を授記され、瑜伽菩提(ゆかぼだい)の密法を得、煙雨降りしきる中で遂に大圓鏡智(だいえんきょうち)、無相三昧(むそうざんまい)の境地に至られ無上正等正覚を得られました。そして身を立て、衆生に未来永遠の解脱の法を伝え、涅槃への正道を縁有る人々に伝え導かれました。諸衆がこの理を悟り、前業を愧(は)じて解脱を欲するならば佛道にお入り下さい。如来の寶筏(ほうはつ)は、縁者を乗せて彼岸に到らせます」

 大師はここで皆の顔を見廻してから更に解り易く佛陀の根本義、正法の宏大無辺を諄諄と説かれました。溢れるばかりに集まっていた人達は、深閑とした静寂の中で咳(しわぶき)一つ無く、時の経つのも忘れて熱心に聞き入っておりました。

 説法が終って大師を部屋へ案内した須達は、感激を面(おもて)に表わしながら訊きました。

「お見受けしたところ大師は芳齢(おとし)もお若く、その上人品も卑しからぬ御風貌で、確かに高貴な身分のご出身と思われますが」

 大師は、静かに笑うだけで答えません。すると永蓮が一膝乗り出し、大師の言付けも忘れて

「そうです。大師は興林国の第三王女に当たられる方でございます。ご幼少の頃から富貴に惑わされず、只一心に佛陀の瑜伽の大理想を慕い、只管(ひたすら)修行に励んでこられたお方です」

と語り始め、花園修行の事から白雀寺焼失の事など涙と共に話し、更に

「災難を免れることが出来ましたあの草鞋も、実は大師ご自身が平素修行の傍ら編まれたものでございます」

と大師の日常のご様子を皆に聞かせました。

須達をはじめ、家人はただ感激するばかりでした。側にいた保母は、優しく永蓮を眺めながら

「永蓮様はもと王様の忠実な官女で、王様の命を受けて姫君であった大師の監視役に来られたのですが、偉大なる大師の教えを悟り修行を決心されたのです」

と語りました。益々深く感動した須達は、大師に向かい

「大師の御決心は必ずや正果を成就し、それによって萬代の功徳が培われましょう。私たちは、喜んで大師に帰依いたします。それにしても大師が苦労して編まれた百余足の草鞋が毛人に奪われ、さぞかし御不便でしょう。今後千里の行脚に履き替えが無ければお困りでしょうから、教化旁々数日間御滞在願えれば、代わりの草鞋を編んで差し上げたいと存じます」

すると大師は、掌を合わせて厚く礼を述べ

「堡官よ、あなたの真心は心に刻んで忘れません、しかしそれを頂くわけには参りません」

「草鞋も無く、今後どうなさるお心算ですか」

「跣足で行脚を続ける覚悟です」

 これを聞いた須達は、驚いた様子で

「大師、それはとても無理なことです。須彌山までは千里の道程です。さらに風雪と険しい山河、深い谷が横たわっております。また、砂漠も越えなくてはなりません。とても跣足で行くことはできません」

「跣足で行脚するのも修行です。やって出来ないことはありません」

 須達は、大師の心を計りかねて

「出家人は、十方の供養を受けると聴いています。何故お受け取り下さいませんか」

と問いました。

「そなたは、その一を知っていても二を知りません。出家人が十方の供養を受けることは、間違いではありません。しかし行者が受ける一飲一飯には前から定まった因があります。仏法ではこれを縁と言います。私が宮中で罰せられて草鞋を編んだのは、因を蒔いていたのです。この度この草鞋のお陰で、虎口を脱することが出来ました。これは、果を収めたのです。因果とは、相報いることです。草鞋と私との縁法は既に尽きました」

「それでは、ほんの僅かな数だけでもお受け取り下さい」

「いや、例え一足でも頂けば因となります。私はもうこれ以上、別の因果を蒔きたくありません。まして彼の草鞋は、私の命を助けた功があります。だから今後は、再び履くわけには参りません。例えばここに私達の命を救った恩人があるとすれば、私達がその人を尊敬することは当然です。それを尊敬しないばかりか、反対に踏み付けて陵辱することは許されるはずがありません」

「草鞋は、人間ではありませんが」

「そうです。草鞋と人間は比べられませんが、その理は同じです。私は、今後甘んじて素足で行脚する決意です。また道々白象に乗りますから、どうかお心遣いはなさらないようにして下さい」

 須達はじめ家人達は、大師の決心に心から感激して、これからの行脚が無事でありますようにと祈りました。

続く・・・

 

真の学問と学の階級~世界的な道徳時代の始まり

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21世紀が感性や直感だけの世界になるような風潮がありますが、確かに今までがあらゆる面でマニアル化され自分自身を見失っていた時代ですから、それなりの感性や直感という気づきの段階が必要でした。

しかし人は個々それぞれの進化の存在で、多種多様な環境に置かれています。21世紀は太平の世、大同世界に入りますが、今までの経済中心の汚濁の世界は徐々に風化して、性命本来の道徳的環境が復活してきます。そこは神々の奇跡、無限の叡智の世界です。自由と尊厳を回復する美しい生活空間ですが、汚れた土足で踏み込むことはできません。身の丈にあった入り口が用意されています。それが学問の機会です。 

 

道の淵源より

真の学問と学の階級

學問の道は極めて広泛で奥深く、一生かかっても極めつくされるものではありません。

これを会得するのに、平易な物もあれば困難なものもあり、滑らかなものもあれば険しいものもあります。

何れも努力を必要としないものはありません。學問は人に及ばないものであるが、又人より失い易いものであります。

ちょうど逆水に船を漕ぐようで、進まなければ即ち後退してしまいます。

限度が無いから自分の程度が分かりません。

學問は真理に近づく道でありますから分野や性質が違っても完成への到達点は一つであります。

人によって道程の差異はあっても、極めるのに純粋性がなければなりません。

頭脳・性別によって早晩の別はあっても、熱意が欠ければ不可能です。

孟子は「学問への道は放蕩化・散漫化した心を収めることに外ならない。」といわれました。

堕落・怠惰した心に鞭を加えて、奸巧なく精勤し完成にいそしむことです。いかなる道であっても、習い學ばなければ成就できません。

老子は、「わたしは聖人ではない、學んで知ったのである。」といわれました。

孔子は、「わたしは、生まれながらにして道を知り物識りになったのではない、ただ古の道を好んで黽勉(勉強)怠らずして、ついに求め得ただけのものである。」また、「わたしは、何でも知っていると人は思っているらしいが、別に何でも知っている訳ではない。

ただどんなに卑しいつまらぬ人でも誠意をもって聞く時、袋の底を叩いて中のものをすべて外に出し尽くすように、その善悪・陰陽・因果その他何でも両端から説き質して本当のことを懇切に教える。

それで教えを受けた人にとって、私は何事も知り尽くしているように見えるかも知れないが、ただ自分としての誠意をもって教えているだけである。」と謙遜されました。

學問の大事は博く学ぶのと、深く思考することです。

大事なことを忘れず、変わらない熱意をもって追求して已まず、積極的に勉強して気を散らさず、日々発奮して気を換えてなりません。

何れの學問を極めるにしても、自己完成の學を好むものにして始めて出来るものです。

顔回(孔子の弟子)の「學を好み、怒りを遷さず、過ちを再びとしない」態度は典型的であります。

一人一人の霊気によって頭脳も違います。

これを孔子は、人間の天禀には四通りの等差がある。

第一は、生まれながらにしてあらゆる徳義を知り尽くしている者があるが、これが最上級である。(恐らくは聖人がこれに当る)

第二は、学びてこれを知る者が次であり、

第三は、初めは學に心坐さず、いよいよ行き詰まって困ったあげくに苦しみ苦労して学んでやっとわかる者はその次であり、

第四に、行き詰まって困りながらも学ぶことを知らず、苦しんで学んでも大事なことの分からない人、学ぶ気のない人は、更にその下である。

と、四段階に別けて論じられました。

學問は中道の道に達してこそ円熟が得られます。中道の道に反した學問の存在はあり得ません。

孔子は、子路に六言六蔽を引用し學問の重要性を説かれました。

つまり學には仁、知、信、直、勇、剛の六つの徳目があり、學を好まない為に生ずる六つの弊害が起こることを知らしめたのであります。

一、仁徳・美徳を好むことは極めてよいことであるが、學をこのことをしないと、愚の弊に陥り陳腐   します。お人好しの行き過ぎは愚かであり、人に欺かれます。愛着に溺れると反って人間を害毒します。

二、知を好んで、それと共に學をしてよく磨くことをしなければ、空想・妄想家になり、一人合点して取り留めのないことを考えます。行いに締りがなく、ただ徒に高きに馳せ、広きを喜ぶ弊に陥ります。

三、信を好んで學を好まないと條理を弁えず、真実の信を弁えなければ、只徒に盲信してその言葉を守り、間違った約束を守って悪い仲間に落ち入り、物事を傷り害う弊害に陥ります。

四、直を好んで學を好まないと、人間を相手にして人間以上のものを求め、相手に無理を強要し、相手を生かさずに傷つけ責めるのを急ぐあまり、狭くてゆとりのない窮屈な弊害に陥ります。

五、勇を好んで學を好まないと、物事の道理が分からなくなり、乱暴・我儘になります。
徒に人に加える方面にのみ働くから、その末は、叛乱さえも起こすに至る弊害に陥ります。

六、剛を好んで學を好まないと、物事の道理が分からず偏見・狂気になり、落着するところを失って、徒に力を振り回す狂者の弊害に陥ります。要するに六者は美徳ではあるが、その美徳を全うする為には、広い見識を立てる為の學が必要であることを教えたものであります。

これによっても如何に學問を積むことが肝要であるかが想像されましょう。學問家とは、傲慢・不遜の態度をさしているのではなく、學問臭いところがないのが真の學問であります。學の階級は継ぎの五通りの段階に区別されます。

すなわち変化學、認識學、治平學、理数學、性心學であります。これを説明しますと、

一、変化學

これは、通常の社会人が知っている狭義的な変化學ではなく、極めて広い範囲の意味を含んでいます。

すなわち神から与えられた宇宙・万象すべての物質が人間の頭脳の機知変化によって一つの物体、一種の利用価値のあるものに創り出されることを変化學といいます。

自然的形体から人為的加工体に造り換える學問であります。

一脚の机をもって例えると、机の本質も元は樹木で、人間の加工によって変化したものであります。茶碗の元は粘土であり泥であったが、人間の手によって型作られ、それを炉に入れ焼かれることによって成り立ったものであります。

一組の機械も同じことで、元はただの鉄や鋼にすぎませんが、人間の精密な研究と努力とによって組み立てられたものであります。

数種の物質を応用加工して一個の生産機に造り換えるには、多大の精神力と代価を払わなければなりません。

数多い試験と失敗を繰り返してから漸く成功します。

また、性能の低いものから性能の高いものへ、粗末劣悪の品質から優良精密の品質へと改革・改良していくには相当の努力を必要とします。

生産の遅い、旧い悪い形のものから理想的な新しい良い型のものへと造り換え、自動大量生産化していく、これらの能力を有している人を発明家、又は學士・博士とも言います。

工学、農学、建築、物理、化学などはこの中に含まれます。

士とは、成功者対する美称であり、學とは、浅きから深きへ、悪しきものから好きものへ、不理想から理想へ、工夫改善することで、博とは広く見聞や研究をされた意味を表します。

二、認識學

これも広義的に説く認識學であります。

すなわち宇宙間、上は日・月・星座星雲の天体から、下は河川・山岳・海洋の一切、中は動物・植物・鉱物の動・不動の形物に至るまで如何なる品名と性質を有しているか、その形態の状態とによって、どの地方に生産・発生されるか、どうして始まり、どのような経過を辿り、如何なる結果に終わるかなどを詳細に解明する學問であります。

また、天地・気候・年代・潮流とどんな連携をもっているかが認識でき、そして人間に有効であるか否か、応用できるか否かなどを見極める學問です。

一つの薬物がどれ位病体・病状に影響するか、薬効の正確な判断は難しいことであります。

一つの薬品が化合して何種もの物品の製造に役立つかを知ることも容易なことではありません。

生物・天文・歴史・地理・考古・医学などはこの中に含まれることになります。これらの能力を有している人を見聞家と称し、あるいは博士とも言います。

三、治平學

これは、徳を以て世の中を和合させ、統治する學であります。

我々によって発明・製造された一切のものは、人類が享受する為に為されたはずであり、人々の便宜を図り、人々の幸せを思うがために尽くされたものであります。

例えば花壇を造園するのも、人々に鑑賞させ楽しませるが為であり、一つの機械を発明するのも、我々に利用させ生活をより良く向上させるが為で、飛行機・気車・電車・船舶・自動車等の発明も、目的は人間の心を快適にさせ満足させるが為に追求されているに他なりません。

人間最大の希望は永遠に争いのない、苦のない、不便のない、太平の幸福にあります。

人間の本質は、決してそれを悪用して人類滅亡や幸福を脅かすことなく、又不幸、貧困、戦乱、災禍のない理想的な世界の実現を希望しています。

しかし、有史以来の世界は、時には乱れ、時には治まり、不正常であります。

人類の熱望するところの幸福の為には、昔から沢山の立派な英雄・豪傑や政治家が現れて暴虐を除き、善良な民を安護してきました。

禍や災難を治めて平和たらしめ、天下の同胞が一方の塗炭の苦しみから解脱せしめ、不安恐懼のない安居楽業の生活を享受させました。

範囲の広い幸福を計った人ほど人から崇拝敬慕され、これらの能力を有している人を治平家、または英雄と称されます。

文学・教育・法曹・政治・経済などはこの中に含まれます。

四、理数學

この理数學も現代社会の知っているところの狭義的なものではありません。

広義的理数學は、天地の開闢を知り、日月の盈虧を計り、陰陽の消長、寒暑の往来、世道潮流の変化、時運の変遷を理数の上から計算して悟得する學問のことであります。

人心の善悪を弁別でき、時勢の推移を見通し、事の成敗、過去・現在・未来を的確に判断・計議できる能力を有している人を知識家と称し、また賢人とも称されます。

易学・哲学・心理学・預言者などはこの中に含まれます。

五、性心學

この性心學も現代社会で知っている所の性心學ではなく、むしろ現代社会の知らない性心學であります。

これは、先天・後天の在り方、宇宙森羅万象を含む一切の有形無形のものの創造理を悟り、それに通ずる學であります。

すべての物体は、この定理・定数の範囲から出ません。

物事の終始本末を悟り、万古不易の真理を定義し、由来と未来の理を確立して人類を苦の因果の梱縛から脱せられる法を参悟する學であります。

霊の浄化、心の洗浄法を会得することは至難の業であります。

どんなことでも、根本原理を追求して至らねばなりません。

この原理は、千秋万古を経て真であり、常に不変の存在であり、如何に攻撃打倒しようとしても不動体であり、どんな強力な力でも覆すことはできません。

この真理を求め、これを掌握し、大霊に融合する「道」を得た人、それに到達した人こそ最高の學を修得する人と言えます。

前記の仕事を為し得られる人、または、これらの能力を有している人を知慧者と称し、あるいは聖人とも称されます。神學・宗教學はこの中に含まれ、老子・孔子・釈迦・観音菩薩・達磨大師・キリスト・マホメッドなどはこの域に達せられた方々であります。

我々が学んでいる「道」は、すなわち性心學であり、最高位にあたる貴い存在であり、學の五階級の中でも第一等に算えられますが、さらに性心學は五段階に別けられます。

【粗理】=あらいり

聖人は、幽玄なる奥理を人に説明するのに、人によって法を説く関係上、 普通一般の人に説くのを主旨とされています。

これは、因果応報の的確と、宿業罪業の報復を「瓜の種には瓜の実、豆の種には豆の実」と述べられています。

すなわち善を為せば善の果を得られ、清白の行いがあれば清白の報いがあり、時期が到来すれば必ずその報いが来るという平易な理であります。

一般人はこのような啓発によれば一番目覚め易いからであります。

【細理】=こまかいり

聖人が程度のやや高い知識層に説く主旨であります。

聖人は、人々に道徳・倫理の根本を教え、義理と人情の必要を説き、禮教・仁愛の大事を納得させました。

社会は、天下の人の社会であって、自分1個人の社会ではないから、相互の親愛がなければなりません。

だから生きている以上は、人を愛し、世間の危機を救い、己の態度と行為を正しくし、意を誠にし、心を正し、身を修め、家を斎へ、国を治め、天下を平和にする順序を明らかに知り、対人関係に必要な孝・梯・忠・信・禮・義・廉・恥を具備することを教え、人格・教養・道徳を円満に修める為、必要な理を教えるものであります。

【微理】=かすかなり

聖人が程度の一番高い知識層に説く主旨であります。

聖人は、聖書・経典を根本にして宣揚し、人々に聖人と凡人、仙人と俗人、仏と衆生の元は完全に一体であり、同様であることを示した理であります。

我々の元は一様に、天地創造神・造物主から賦与された霊を持ち、父母から生育された身体を有し、天地から扶養されて生活していますが、ただここに迷いと悟りによって天淵の差に別れてゆくのであります。

この理をいち早く悟ることを教えたのが微理であります。もし、明師から真傳心法の伝授を受けることができれば、人々は皆聖賢仙佛に成れましょう。

ただ、切実な決心があるか否かによって分別されていくだけであります。この理を悟って偉大なる決意を持てば、万古流傳の名声を獲得できることは言うまでもありません。

【玄理】=おくふかいり

博く千経萬典を覧て、自己の真霊をますます深い玄理に結びつけて、日夜修行煉磨することであり、自己の霊光をいよいよ純熟に仕上げてゆくのを参玄と言います。

【妙理】=たえなるり

ここに到達した人は、もう一宗一派の所説に偏狭することはありません。

最高の真理を掌握し、態度は超然として深い妙理のみを悟得し、自分の真なる智慧を発揮して不変不易の理想境界へ至ろうとします。

これを「妙を悟る」といいます。

まず、妙を悟ってこそ「道の真諦」を発揮でき、輪廻と煩悩、因果と恐懼を脱れて人々に人生の最高幸福を悟らしめることができ、この工夫に到達できる人の學は最高至極と言えます。

以上が性心學の大切を述べた論説で理論上,學問の根幹をなしているものであります。

※「性」とは「霊」(スピリチャルティ)とも言います。仏性とか真心とも言います。

進化の原点~人が、神のかたちとして、神に似せて造られた

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転載:日本語版 www.GotQuestions.org へようこそ!

https://www.gotquestions.org/Japanese/

質問: 人が、神のかたちとして、神に似せて造られたというのは、どういう意味ですか?(創世記1章26-27節)

答え: 創造の最後の日に、神は仰せられました。「さあ、人を造ろう。我々のかたちとして、我々に似せて、、」(創世記1章26節)こう押して、神はご自分の仕事を’個人的なタッチ’をして終わらせました。土地のちりで人をかたち造り、その鼻にご自分のいのちの息を吹き込んで、人を生きものとされました。(創世記2章7節)それで、人間は神のすべてのほかの創造物の中で、特別なのです。物質(体)と非物質(魂/霊)と両方の部分を持っています。

神の’かたち’と’似たところがあるというのは、簡単に言えば、私たちは神に似たように造られたということです。アダムは、肉体を持っているという意味では、神に似ていません。聖書は「神は霊である」(ヨハネ4章24節)といっているので、神は肉体なしに存在するということになります。しかしながら、アダムの体は、完全な健康体として造られ、死なないようにできていたという限りでは、神のいのちを反映していました。

神のかたちとは、人の非物質的な部分を指しています。それは人間を動物世界から遠く引き離し、神の意図されたとおり、”支配”するもの(創世記1章28節)にふさわしいのです。そして、その非物質の部分で、創造主なる神と親しく交わることができるようになるのです。それは、精神的、道徳的、社会的に、似ているところなのです。

精神的に、人は理性のある、意志を持った者です。つまり、人は論理的に考え、選択することができるのです。これは、神の知性と自由を反映しています。 誰かが、機械を発明したり、本を書いたり、景色を描いたり、交響楽を楽しんだり、総額を計算したり、ペットに名前をつけたりするときは、いつも人間が神のかたちに似せて造られた事実を宣言しているのです。

道徳的には、人は義と完全に清く造られました。それは、神の完全な聖さを反映しています。神はご自分の造られたものすべて、(人間も含めて)をごらんになって、「それは非常によかった」と言われました。(創世記1:31)私たちの良心、または、”道徳の羅針盤”は原型の名残りなのです。誰でも法律を作ったり、悪にひるんだり、良い行いを賞賛したり、または罪責感を感じたりするとき、その人は人が神のかたちに似せて造られたという事実を確立しているのです。

社会的に、人は他の人と交わるように造られています。このことは、神の三位一体のご性質と神の愛を反映しています。エデンの園では、人の主な関係は神との関係でした。(創世記3章8節は神との交わりを暗示しています)そして、「人がひとりでいるのはよくない」ので(創世記2章18節)、最初の女を作られました。人が結婚したり、友達を作ったり、子供を抱きしめたり、教会に集ったりする時、私達は神に似せて造られた事実を示しているのです。

神のかたちに似せて造られたということのひとつには、アダムは自由に選択できる能力を持って造られたということです。アダムは義なる性質を与えられていましたが、創造主に対して反逆するという悪い選択をしてしまいました。 そうすることで、自分のうちにある神のかたちに傷をつけたのです。それから、その傷物のかたちをその子孫に(私たちをも含めて、ローマ5:12)受け継がせたというわけです。今日でも私たちは神のかたちに似ています。(ヤコブ3章9節)が、罪の傷跡をも持っています。 精神的に、道徳的に、また社会的に、その効果/影響が見えます。

良いニュースはと言えば、神が人を救われるとき、その人のうちに元の神のかたちを復元され始めるのです。「真理に基く義と聖を持って神にかたどり造りだされた、新しい人」を造ることによって。(エペソ4章24節;コロサイ3章10節も参考)

 

Ray:天が創造主ヤファエーに人間を創造させた時「真理に基く『義と聖』を持って神にかたどり造りだされ、アダムは『義なる性質』を与えられて・・・・云々とあります。これこそ今までの時代を表現しています。これから神が人を救われる時(今)その人のうちに『元の神のかたち』を復元され始め、新しい人を造ると予言しています。この心を天は『過去の義』に対して、これからは『真理に基く仁と聖を以て神になる』といっています。聖書的に言う「博愛」、スピリチャル的には「完全愛」です。『人類が神に似せて造られている』ことは、人類進化の基本構造の基本的なファクターです。宇宙からに地球に生まれ変わってくる生命も地底世界の生命も全てこの進化に参加するために時を待っています。


道の真象

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天地の始めは、これというなんら形のない混然としたもので、声もなく、臭いもない、極めて虚にして、神なる実に無一物の境地でした。道教の祖、老子様は「無名にして天地の始め、有名にして万物の母」と申されましたが、これを表現しようがないので、天地の始めを「〇」にかたどり、万物の生ずる状態を「一」にかたどりました。

ー万教帰一(すべての教えは「一」に帰る)ー

道は大にして無名であります、故に『強いて名づけて道という』のであります。又、道は大にして無形であります、故に『強いて圏「〇」を以ってこれをかたどった』のであります。では、圏「〇」はなんであるかを追求しますと、一の静止した姿でありまして、虚なる「一塊の真理であり、又道の全体であります。一は圏の動いた姿であって、宇宙一切万物を生じる母体であり、万物はその実在の現れであります。これを「一本は万殊に散る』と言い、又『道の達用』と申しております。

圏が動いて一が生じ、一が縮まれば点「・」となり、点「・」を伸ばせば一となります。そこで実に圏と一と点は動静と伸縮の違いであり、変化して極まりないものであります。之を放して拡大すれば六合「東西南北上下、すなわち天地宇宙」を満たし、無際限の状態で伸長するので「一」を以ってこれを表し、又、之を巻いて縮小すれば密(極めて微細なもの)にも蔵められるので点「・」で表現したのであります。拡大すれば大にして外になく、縮小すれば小にして内にありません。故にこの道は天地に行きわたり、一切の万物を含んでいるのであります。実に不可思議な働きをするので『真空妙有』と申されましたが、あらゆる万物の生霊を支配する主宰者であります。

 

ー日本神道の真象も同じー

この主宰者は天にあれば「理」と呼び、人に宿れば「性」と名づけられます。そこで理とは万物の本体を統一するところの性であり、性とはあらゆる物の各々が具有する所の理であります。人々は各々その性をもちながら、その有ることを知りません。若し、この性をお把握することが出来れば、大悟した神聖の境地になられます。然し、これに反して理を迷い、性を把握することがなかったならば、鬼魂の世界に落ちなければなりません。

故に『千経万典は一点に如かず』と申しまして、如何に多くの経典を読んでも、「名師の一点」を欠いては、何もならぬと申されたので、「一点」が如何に大事であるかを知ることが出来ます。この「一点」は、孟子様の四端 『惻隠の心即ち仁の端、羞悪の心即ち義の端・是非の心即ち智の端、辞譲の心即ち礼の端』 を統一し、その中に万善を包含しているのであります。これを図表すれば縦は智と礼になり、横は仁と義になりまして、四端の交差する中心に信があるわけであります。孔子様は 『人にして信なければ、その可なるを知らず』 と申され、人間にもし信がなければ、何事もあてになるものではないと申して、この重要性を説いた訳もここにあります。

キリスト教はじめ古来すべての十字架が示すのは十字の中心の「点」

又、その重要性を縦に書いて「|」となし、横に書いて「─」としたのは体と用(本体とその働き)とを十字の形に現して、その縦には経と理が、横には緯と数が這入るのでありますが、この意味を深く玩味し、探究するならば、誠に極まりないものがあります。故に老子様は清淨経に『大道は無形にして天地を生育し、大道は無情にして日月を運行し、大道は無名にして万物を長養す』 と申されました。道は未だ天地が成立せぬ時、その本体を立てられ、既に天地が形づくられてからは、その運用を拡大して天地万有に及ぼしたのであります。

ー道の淵源ー

大天使メタトロン : そのグリッドは現実性を再起動している 現実性が変わる! [大天使メタトロン]

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きらきら星へようこそ...☆

 

大天使メタトロン

Archangel Metatron

 

そのグリッドは現実性を再起動している

現実性が変わる!

The Grid is Rebooting Reality

Reality Change!

 

July 1, 2017

 

ジェームズ・ティベロン経由

Via James Tyberonn

New Metatron Channel Archangel Metatron via James Tyberonn

 

親愛なる皆さんこんにちは、わたしはメタトロン、光の天使存在。

わたしは、結晶構造担当のティベロンによってこの集いに結び付けられています.... そしてわたし達は、無条件の愛のエネルギーの中で、皆さんを抱き締めます!

 

熟達者の皆さん、地上の人間の人生の連続に沿った主要な‘移行’の要所で、惑星のひとつの‘現実性の再起動’が起こります。

それは、皆さんに対して、つまりもしもわたし達が2012と言うとすれば、大雑把にウィンドウズ8からウィンドウズ12に性能改善することに比較することができます!皆さんの現在の移行は、ひとつの性能改善です。

しかしその一方で、現実性の再起動は、また性能低下になることもあります。例えば、惑星は、アトランティスの最後の崩壊の時に、ひとつの現実性の性能低下を経験しました。

 

そのグリッド系は、実際に主要なプログラム、手順化された処理であり、再起動用のドライバ、機能拡張用ソフトウェアです。

アトランティスの黄金時代の絶頂期の中では、信じがたいほど複雑な地表グリッドが所定の位置に配備されていました。それは、数々の次元と他の‘数々の世界’の間の相互作用を許しました。

アトランティスの最後の‘崩落’は、本質的にひとつの新たな始まりでした。そして新しい時代は比較的素朴なものであり、大いなる焦点が再構築されるだけではなく、またまさに生き残ることが目的にされた、ひとつの時間的局面でした。

これは、‘最初からのやり直し’にさらに上手に順応するために、新しく余り複雑ではない現実性のひとつの雛型を必要としました。以上。

 

新しいグリッドのそれぞれのプログラムは、以前の‘現実性’の体系の沢山の‘記憶’を失い、消去し、あるいは置き換えます。

現実性のプログラムの数々の移動の間の初期段階において、非常に緊張を強いる期間が生じます。それは、新しいプログラムの中で作動する方法を学ぶための一定の時間と同じように、沢山の緊張と混乱を伴う、ひとつの期間になります。

 

現実性の再起動は、膨大な変更箇所をもたらします。

その最初の構造は、既に変更が加えられていて、その結果、もはやその特定の現実性が頼りにしたものや‘古いプログラム’に起因する符号やプログラムを含みません。その古いシステムの記憶装置は、決して元に戻されるまたは修復されることはありません。それは既に永遠に変えられています。

 

わたし達の要点は、惑星は2012年終盤に再起動されたこと、そして皆さんはひとつの目的化された調整のタイミングの中にいることを、強調することです。

古い媒介変数は色褪せていて、そしてすべての皆さんがその‘現実性のプログラム’の変化の圧迫感に順応し、すべての皆さんが多かれ少なかれそれを感じています。

 

皆さんは、魅惑的ながら能力を試されるひとつの乗り心地に直面することになります。

その乗り心地は、より簡単になる前にかなり手荒なものになるかもしれませんが、しかしすべての皆さんがその圧力に対処するための数々の手段を持ち、そしてそれを用いることが重要になります。

そしてわたし達は皆さんに保証しますが、激流を通して賢明な人々を導く支援をするために、霊的指導者達が皆さんの間に転生して、姿を現しています。

 

2017年から2038年の局面の中で、皆さんは試されることになるでしょう。

皆さんは、これからの10年から14年のために必要となる、ひとつの不透明な局面を経験しています。結晶構造の電磁特性が、適切な地球の結節点へと移行を続けています。

そして2038年までは、数々の‘新しい’地球の符号と潮流は、完全に所定の位置に存在して充分に最適な状態になることはないでしょう。

 

これは、惑星の両極性の側面が再構築していることを意味します。

そしてこの局面の中で、正規化された媒介変数は、まだ達成されることはありません。これを別の言い方で表現すると、パンドラの箱は次の20年の間に開きます。

 

誤解しないでください!わたし達は皆さんを脅かすためにこれを共有しているのではなく、むしろ、起こっている変化はまさにより良いプログラムへと通じることを、皆さんに保証するためです。

しかしそのプログラムは、2038年までは、充分に機能することはないでしょう。しかしその一方で、所定の位置の符号化が、次元上昇を確実にすることになります。

今後最後の審判の予言は物質化することはない、という知識の上で、充分に休んでください。

 

その移行が起こっている!

The Shift is Happening!

 

熟達者の皆さん、皆さんがそれを受け入れるかどうかにかかわらず、皆さんは、ひとつの桁外れな移行の中に、ひとつの進化の飛躍の局面にいます。

そして皆さんの周りの混沌にもかかわらず、皆さんは、人類の次元上昇は順調に進んでいることを認識し、信じる必要があります。

間違いなく、今皆さんの今という時間の中で、移行が起こり続けています。皆さんは、地球の次元領域の枠組みのひとつの変革の中に居ます。

皆さんは、そこに入る前に、それが簡単にならないことを認識していました。そして、それは簡単ではありません。

 

そういった数々の移行は難しいものです。

それは人類が、特異な物質的、心理的、そして次元的な枠組みの変化に直面し、対処するように強要されるからです。

既に皆さんが認識するように、現実性は、抜本的にそれ自体を再編成し、改築しています。これは、少数の学識経験者によって理解され、ほとんどの人々に認められることはなく、そして大衆によって誤解されます。

 

現実性の編集

Editing of Reality

 

継続している現実性の編集は、皆さんがまだ考えたことがない可能性があるやり方と分野の中で、すべての‘人間種’に影響を与えていることは、事実です。

現在の‘進化の飛躍’は、物の見方と人生の表現の中で、一時的な不安定を創り出しています。

安定性は、そういった変化の時期の中ではかなり困難になります。そして概観の中では、この‘不安定性’が、混沌、混乱、憂鬱、そして抑鬱といった状況の著しい増大に、影響を与えてきました。

 

皆さんは‘坩堝の占星学’のひとつの浄化の局面にいることを、わたし達は皆さんに何度も伝えてきました。ひとつの粛清が起こっていて、黄金の時代へ向けて‘現実性’の基準を再調整するために、未解決のすべての物事が表面化しています。

そしてわたし達は、煙と炎の只中では、その坑道の端の光は確認しづらいことを、良く理解しています。

 

しかし明確にすると、皆さんの周りの粛清は、占星学の原因だけではありません。むしろ、それは最も高い側面から、皆さんが次元上昇して、拡大することを選択したからです。

そして符号化され移動された占星学的な重要性の意志決定、それは実際に高度に意識的であり、そして人間性の運動に同調しています。

 

次元的な数々の移行が起こっています。

そしてこの拡大の力学特性が、二元性に影響を与えています。そしてそれは、実際に皆さんの両極性の領域の核となる磁気特性に劇的に影響を及ぼしています。

 

現実性のひとつの新しい‘雛形’を形成しながら、結晶構造のグリッドが惑星を重ね合わせている時、その電磁的なグリッドは、傾いています。

皆さんの数多くの形而上学の指導者達が、‘次元上昇の症状’としてこれが人類に影響を与える姿に言及します。

おそらく、より相応しい説明は、‘磁気的な撤収’と呼ばれるのかもしれません。

しかし実際には、今起こっていることは、形而上学的な‘超常現象崇拝’ではなく... 関連する物理特性の法則が存在します。

 

皆さんの太陽は、11年から12年毎にその磁極を変えます。

北と南、陰イオンと陽イオンの太陽の極性が、位置を変えながら、反転します。それぞれの12年周期の始まりと終わりの部分の中で、二極性のエネルギーが多少中立化され、歪められます。

ある意味では、地球の意次元領域の次元マトリクスは、2012年12月以降、多少太陽の極性の移動の位相に類似した、エネルギー的な分断から崩壊が起こっているという意味で、次元的な両極性の崩壊と一時的な歪みを経験しています。それは、今という瞬間の中で、活発になっています。

 

次元上昇の症状と磁気的な撤収

Ascension Symptoms & Magnetic Withdrawal

 

皆さんの現在の科学者達によって認められていないとしても、この一時的な歪みが、無数の多種多様な意味で、皆さんのむしろ広範囲の単純化した‘次元上昇の症状’の説明を遥かに上回って、人類に影響を与えています。

何故なら、次元上昇の真下には、科学と次元的な物理特性で説明することができる、磁気と引力の力学特性における数々の変化があるからです。

皆さんの‘主流派の’科学の説明は、今後数十年もの間、これを‘確認’も理解もすることはないでしょう。しかしながらこうした歪みは一時的であり、地上の‘人間’の人生のあらゆる側面に影響を与えます;情緒、精神状態、心理、そして実際に惑星環境に、影響を与えています。

 

こうした変化に対処する数々の方法がありますが、しかし予め必要となるのは、数々の変化が事実として実際に起こっていることを自覚していることです。

今のその現状の内容と上記の変化が皆さんに悪影響を及ぼす姿に関するひとつの基本的な知識と組み合わされている、以下の理解が、重要になります。

 

・物質的な自己同一性-多次元的な過剰出血

・性的な指向

・欠乏感

・幸せの喪失-高まる心配

・高まる怖れ、恐慌状態、過剰興奮性

・情緒的な不安定-躁と鬱-過剰反応と無反応

 

こうしたものが変化の一時的な症状である一方で、それは極めて現実的で、神経系に対して非常に緊張を強いるものです。こうしたものは、物質的そして精神的な安定に、悪影響を及ぼすことがあります。

こうしたものは、個人の幸せの感覚を混乱させて、人間関係の中で敵意を引き起こし、暗い悲観的な言動... 普通の問題点や難題に対する非論理的な恐慌状態の反応に通じます。

 

過去の想起と直線的な時間

Past Recall & Linear Time

 

新しい現実性の雛型もまた、直線的で次元的な時間の連続に関する集団的認知の動揺を誘発することがあります。それに応じて、過去の記憶と短期間の記憶の想起の両方が、影響を受けます。

一部の皆さんは、この泥漿、粘性の流体の中で、時間的配置の喪失を経験しているかもしれません。皆さんが数十年前に経験したある曖昧な出来事または経験が、脈略または理由もなく、突然皆さんの頭の中に浮かぶかもしれません。2日前、あるいは2週間前に起こった出来事が、奇妙に遠い昔の、むしろ曖昧なもののように見えるかもしれません。

 

これがさらに深く悪化する理由は、その過程の中ですべての皆さんが、地球の次元領域上で利用できる拡大された新しい次元性の中で、他の次元と異なる時間構造の内部の潜在的可能性の探索の、紛らわしい最初の段階にいるからです。

 

新しい枠組みは、皆さんがそれを認識するように、‘直線的な’時間を移し替えています。

直線的時間という幻影は、本質的に電磁的なものです。そして両極性が移動する時、時間は、同じやり方で、継続している振幅と両極的な磁気の減少の一時的な中立状態の中で収縮し、そして拡大します。

 

新しい枠組み

The New Paradigm

 

新しい地球の5年目にあたる2017年の中で、すべての皆さんが皆さんの許容力と潜在能力の多産な発達と深遠な発見のひとつの急速な流れの中にいることを、わたし達は皆さんに伝えます。

皆さんは、今まで皆さんが切に望んできた、長い間計画され予言された時代の中にいます。

今は、目覚めて、明快な呼び掛けを聞き、悠久の滞在の間を貫いて研究し学んできたすべてを、行動に移す時です。

 

怖れを取り除く-天空は変わっているが、落ちることはない!

Remove the Fear - The Sky is Changing, But Not Falling!

 

ひとつの段階の終わりに位置するものは、いつも別の段階の始まりです。

すべては失われ、凄まじい破壊が前方に横たわると皆さんに伝える否定論者達に、耳を傾けないでください。

2017年は、一枚の新しい葉が反転して、熟達した表現を通して希望と大きな期待を共同創造する時です。変化は現実性の特質であり、そして現実性は絶えず進化することを、わたし達は皆さんに保証します。

それが進んでいる方向で、その波動に乗ってください。その新しい現実性を、抱き締めてください。何故なら、それは今ここにあり、拡大しているからです。怖れの商人達を否定して、そして移行は否定しないでください。

 

移行と地球

Shift & The Earth

 

地球、そして地球のすべての王国は、継続している数々の変化を強く意識しています。その意識のエネルギーと地球の霊は、信じがたい進化が活発になっていて、そして急激にそうなっていることを、身近に気付いています。

しかし人類とは異なり、その本能的な移行の知識の中には、未知の‘怖れの要因’はありません。繊細な叡智の状態の中のあらゆる粒子と原始の流れを含めて、地球の数々の王国は、実際に‘すべては順調である’というメッセージを提示しています。

実際に、このメッセージは、惑星上のあらゆる意識的な‘力の結節点’と‘聖地’の中で、人類に広められています.... それにもかかわらず、ほとんどの人々が聞く時間を取ることはなく、依然として実際にはさらに少数の人々が聞くだけです。

 

惑星の王国のメッセージの振動と正確さは、どのような‘最後の審判の日’の怖れと恐慌の警告も、克服し、凌ぎ、そして破棄することができます。

何故なら、生きている地球と地球のすべての王国は、数々の変化を惑星の自然な上方移行として認めるからです。その‘最後の審判の日のメッセージ’は、言ってみれば、人間の領域の他の地球の自然の王国の中には存在しないものです。

しかし言うまでもなく、朝と晩の報道のために集まり、日々の世界的な混沌と環境の破壊に関する否定的な報道を聞いているのは、唯一人間だけです。

わたし達は、わたし達がすべての皆さんに自然の中に慰めを見付け出すことを勧める時に、皆さんの頭を砂の中に隠すことなどは推奨していません。

今後自然は、皆さんの報道媒体の中で絶え間なく生じる‘注意の衝撃’の様式と怖れの処理手順化の只中で幸せを再発見する際に、皆さんを支援することになるでしょう。

しかし、現代のほとんどの報道媒体が、注意を引くために偏った意見になり、煽情的になっていることを自覚することが、不可欠になります。

 

地球は活動的で健康であり、信じがたい程意識的で力強い存在であることを、わたし達は皆さんに保証します。人類は地球を破壊することはできず、まして地球は人類による救出活動を必要としません。

しかしこれは、地球の数々の王国の愛に溢れた執事なるために皆さんが奮闘する必要がないことを意味する訳ではありません。

 

優れた判断力と選択

Discernment & Choice

 

現在から2038年までの間の年月は、一部の人々よって受け入れられ、他の人々によって怖れられることになるでしょう。そしてそれを明確にすると、個人の言動が問題になり、そして言動は皆さんの選択になります。

その通り、馬が進む方向に向かって馬に乗ることは筋が通っていますが、しかし、皆さんは馬に跨る前にその方向を認識している状態を確保してください。

怖れの激情にではなく、幸せに向かって乗馬して進むことを、選択してください。何故なら、怖れはいつも大いなる停滞であり、大いなる目隠しになるからです。目隠しの走行、怯えた群れは、絶壁、断崖の端を目指します。

 

今後皆さんが見つけ出す幸せの青々とした渓谷の中では、希望は活き活きとしているだけではなく、数々の移行の時期の中で繁栄しています。いつものように、自由意志の惑星上には、進むべき場所の選択があります。

 

‘天が落ちる’そして‘終わりは近い’という怖れの提唱者達、説教者達が、ムーとアトランティスの最後の日々以降、地球上に存在してきました。それは、人類の只中にある肥沃な土壌を見付け出して、数多くの宗教の中で生み出されてきました。

実際に、人類の集団的な細胞の記憶は、繊細に埋め込まれた数多くの壊滅的な洪水、沈没や地震に関する知識を含みます。しかしまた、地球は意図されたひとつの幻影であり、すべての路は耐えがたいながら最終的には啓発に通じるという知識が、学識経験者の中に埋め込まれています。

 

今後次元上昇は起こることになり、それは可能性の段階を超えています。人類は、この現実性を選択してきました。

しかし、臨界質量が達成されるまで、次元上昇は一度にひとつのこころずつ起こり、それを理解することが重要になります。それは、2038年に始まります!

 

その間にも、皆さんは、新しい地球の中で個人的に、皆さんがこだわる自己を引き寄せることになるでしょう。

自由意志の枠組みの中で、もしも皆さんが、地球は最後の破壊を目指している、経済は壊滅的な破綻と修復の域を超えることを目指している、と信じることを選択するなら、皆さんは、皆さんの人生の経験の中で、この可能性の個別の変型を創り出すことができます。

これは、引き寄せの法則の不可欠な部分です。ひとつの怖れに満ちた否定的な考えは、別の否定的な考えを引き付けます。

同じことが肯定的な考えにも当てはまりますが、しかし不可欠になるのは、肯定的な創造に関するひとつの力強い考えは、十ダースの破壊的な振動よりも幾何級数的にさらに強力なものだと理解することです。

そういったことが、この二元性と呼ばれる目的化された幻影に対する鍵です。皆さんは、責任ある創造を学ぶことが必要になります。

 

両極性は変化している

Polarity is Changing

 

両極性は、変化して、二元性を折り曲げています。肯定と否定は、垂直な両極端から水平な並列に変わっていて、もはや正反対ではありません。

 

惑星地球は、その信じがたくそして多様な太陽系の中で、独自な惑星です。そして地球上で起こっている数々の変化は、また太陽系の中でも起こっています。

皆さんの太陽は変わり続けて、新しいひとつの光、無条件の愛のひとつの光に向けて、閃光を発しています。

 

その変化は極めて現実的であり、皆さんが思い描く可能性があるものよりも遥かに巨大です。

皆さん直線的な過去の、時間に属する新紀元は、今後変わるだけではなく、新しい現実性が根を下ろすにつれて、本当の意味で次第に消え失せることになるでしょう。

実際に、今後未来はもはや過去から創り出されることはなくなり、むしろ未来は未来から創り出されることになるでしょう。

3次元の変型の上に存在してきたその光は、今後それ自体の輝きを失い、新しいひとつの枠組みを、希望と明確な展望の新たな波長分布を、生み出すことになるでしょう。

 

熟達者の皆さん、それはその水平線の上に接しています。絶望に陥らないでください。何故なら、ひとつの魂の希望と信念は、数万の変型を輝かせることができるからです。

 

わたしは結晶構造担当のティベロンと一緒にいるメタトロン、そしてわたし達は、皆さんとこの真実を共有します。わたし達はいつも皆さんと一緒にいます。皆さんは、最愛なる人々です。

 

そしてその通りに... そしてそのように

And so it Is... And it is So


The above channel is Copyright Protected All Rights Duly Reserved 2017 to James Tyberonn & Earth-Keeper Publications

 

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。

転載される場合には、出典を明記してください。

 

Ray:紀元前600年 老子・道徳経で未来による未来の体系化がはじまった「道すなわち真理」は、紀元30年ごろ自然哲学として体系化されました。 その後この分野は「形而上学」に枠組みされてきましたが、それによって「道すなわち真理」の以心伝心の機密がまもられてきたのも事実です。これから2038年まで人類の最重要課題になります。

新たな現実のはじまり~老子・道徳経

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日本古来の神道(かながらのみち)の顕す由も「道」であり、「道」は唯一絶対の天地造物主を新たかにする宇宙創成以来の「真理」です。

2017年、新しい時代の根源は、「道」すなわち「真理」でありそして「性(いのち)」です。諏訪の御柱祭の真実を明らかにするため、まず「神長と御左口神」が何かを明らかにしてゆきたいと思いますが、多くの識者の伝承で、老子・道徳経の「天長地久」の一句が浮かび上がってきました。

諏訪湖に面する岡谷市には「長地(おさち)」の地名や「鎮」の町名などが古道の歴史を刻んでいます。老子・道徳経六章に「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。」、そして7章「天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪、故能成其私。」と、「玄牝之門」と「神長と御左口神」の関係を明らかするために、始めに老子について、中国古来の伝承を掲載いたします。文中に旧漢字などが多く使われていますが、漢字も原点に返って字解によって真実が蘇ってきますので、そのまま掲載することにいたします。

  

諏訪湖は天竜川(龍が天にのぼる)の源泉です

 

老子について

 老子の出世については殆どその源を知ることが出来ません。混沌以来何時の世にもあらわれています。上代三皇時代には萬法天師と稱せられ、中代三王時代には盤古神王と稱せられ、後代三皇時代には鬱華子と稱せられています。亦神農時代には大成子と稱せられ、黄帝(軒轅)時代には廣成子と稱せられ、千變萬化種々化身なされて、大道の道統を傳える為に顕現されました。

 そして何時の世に化身されても、通じて變らないのは、天道の偉大なる尊さを証明し、天道を後世の人に永く伝えさせる為、心愿深く天命に則り或いは儒聖と化し、或いは佛祖と化し、或いは道仙と化して顕れたり、隠れたりされて、その功績は測り知れません。或いは清靜経を著したりして、眞にその功德は無限です。

 諸經中には、無極太極の來源を喩え、先天後天の變化を説き、明善復初の關竅(かんきょう)を示し、亦己を煉って基を築く法則や、濁を去り清を留める奥妙、水火昇降の法輪、返本還源の原理を詳明されています。何れも一句を以て天地を包含し、一言を以て古今を貫き、あらゆる理に隈なく通徹して説かれました。その玄理は非常に幽玄奥妙であり、その言葉は古今東西人類の龜鑑に準えられ、その思想は永く後世の人に繼がれています。

 老子は道教の祖であり、姓は李、名は耳、字は伯陽と稱し、諡して耼(たん)と言いました。聖母、玄妙玉女が殷王の陽甲、庚申の歳に太上老君が五色の霞の光に擁られて、空際に降り、五色の流れ玉と倏(たちまち)變って口の中に呑み込んだ夢をみて遂に聖胎を凝り八十一年間孕まれたと説かれています。そして殷王の武丁、庚辰の歳三月十五日(農暦2月十五日)楚の苦縣、頼郷曲仁里に於て降誕されました。その時、聖母は李の樹に手をかけられ、左脇から生れたそうです。生れた時から白髪であり、頭の周圍に圓い毫光が燦燦と輝いていました。

生れると同時に能く言語が通じ、自由に行動が出来ました。その周りを九歩行き、左手で天を指し右手で地を指して「天上天下唯我獨尊し」と言われました。そこで李の樹を指して名字とされた事は、よく知られています。

 嘗て孔子が老子に禮を問うた所「子(なんじ)の言う所の者は、その骨と皆、已に朽ちたり。獨りその言葉在るのみ。且つ君子はその時を得れば即ち駕し、(他人を使いこなす)その時を得ざれ即ち蓬累(乱れが重なる)して行く。吾、これを聞く。良貨は深く蔵して虚しきが如く、君子は成德ありても容貌は愚かなるが如しと。子(なんじ)の驕氣と多欲と態色と淫志を去れ。是皆子(なんじ)の身に益無し、我子に告ぐる所以は是くの若而已。」と循循(じゅんじゅん)と説かれた。

 孔子は、其の後、弟子達に向かって老子を次のように評された。「鳥は吾れその能く飛ぶを知り、魚は吾れその能く游ぐを知り、獣は吾れその能く走るを知る。走る者には以て網を爲るべく、游ぐ者には以て綸(いと)を爲るべく、飛ぶ者には以て矰(いぐるみ)を爲るべきであるが、龍に至っては吾れその風雲に乗じて天に上るを知ることが出來ない。吾れ今日老子を見るに、それ猶、龍の如きである」と嘆じられた程でした。

 老子は眞に天命を得た人であり、眞に學問があっても、それを隠して名なきを以て務めとし、誇りとしました。一部學者間では厭世即す世間を厭がって世間を離れ、社会を逃避したが如くに説きますが寧ろ老子は世を愛し衆を愛しました。老子ほど德を以て、その身を愛し、その家を愛し,その郷を愛し、その邦を愛し、その天下を愛した人は少ないのです。

 あまりにも崇高な理念の爲に一般に汚染された衆生は、反って老子を煙たがっています。

 老子こそは超越的立場から、人心挽回や世風矯正に盡くされています。「和光俗に混ざる」とか「其の光を和らげて其の塵に同じくす」などの言葉を以てしてもよく解ります。単に世間一般の人の如く、名譽、利權、勢力を己の爲に争奪するとか、

 酒色財氣に迷昧沈淪するとかを厭うのみで眞に人類を愛し、誠を以て衆生を濟度するのを自分の天職として、犠牲的献身的に全力を盡くされました。世の汚濁に倦き、社會の塵穢を厭うのは、衆生を愛するからこそであります。

 それが爲淸靜を求め、衆生を淨らかな天性に恢復させ麗しい心を顯わす爲に志しを固められました。久しく周の都に居ましたが、人心極度に腐敗し、道德も頽れた爲、遂に去って涵谷關に至りました。時の關令、尹喜が老子を訪れ、疆いて老子に道と德とを講ずるように請うたのでここに道德經上下二篇を著わしました。後になって淸靜經と感應篇を著したと思われます。差別を否定し,人爲を排斥して上古の質素恬淡(てんたん)たる風度を紹述しました。亦繁文縟禮腐敗堕落的な陋習文化に抗らい衝き直ちに無爲の大道に歸し、太古純眞の元德を培うことを力説されました。老子の外面は一見温柔ではありますが、内面は非常に剛毅でした。

 老子の口から出る言葉は烈烈として火を吐くが如く、其の眼は爛爛として慆(ほのお)の如きであり、一語一句は人天共用の寳であり、仙佛の位に登る梯子(はしご)でありました。眞に老子は古今稀なる大聖人でした。

以上

 

参照:布袋(彌勒の化身)の十牛図は、老子に由来する「道」を求める道筋です。牛は「天にいたる道筋」を現します。

 布袋、牛を伏する図

十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる道筋をを主題とした十枚の絵で表したもの。以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされます。

尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。 見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。 見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。 得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。 牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。 騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。 返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。 入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。

 

Google翻訳 2017年8月1日 シェルダン・ナイドルニュース

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http://www.paoweb.com/sn080117.htm

7ラマート、6ポップ、1イク

ドラツォ!最近の高齢者の停電は、現在解除されています。これは、匿名性を求めている人たちによって引き起こされたものであり、したがって、これらの資金ができるだけ儀式的な方法で納品されることを望んでいます。現在必要とされているのは、あなたの継続的な忍耐と、私たちの計画のすべてが本当に展開されていることを知っていることです。この点で、私たちはすべての人に肯定的な態度をとどめて、天国から与えられる大きな贈り物を受け取る準備をしているだけです。したがって、すばらしい驚きは分散のためにほぼ準備ができています。

   現在、すべての配達を完了するために関係するすべての人に深い願望があります。突然何らかの動きが起こることに備える。迅速な対応のために時間が到来しています。私たちはこれがすばやく起こると思いますが、当初は目立たないほどです。したがって、否定できない特定の行為が完全に記されている場合、可能な限り効率的に行動する準備ができていることが不可欠です。突然出現するモードが出てきてすぐに消えてしまいます。すでに設定されている先例を考えれば、これらの不合理な行為は、今あなたが完全に準備しなければならないものです。

   この点に関して、このすべてはカバールの非常に破壊的な遅れのゲームの文脈で演じられていることに注意してください。暗い人は、これらの配達が彼らの運命に何を意味するのかを完全に理解しています。彼らは、このプロセスが本当に始まると、いかに素早くイベントを進めることができるかを知っています。ネサラ共和国は、最初の資金の一部だけを明示することを要求しています。彼らは必死に奇妙なゲームを終わらせるでしょう。私たちが本当に待っているのは、光が大いに必要とされる配達に必要なエネルギーを明らかにすることだけです。実際、最も素晴らしい何かがこのように近づいています!

   このライトでは、適切な兆候が出されたときに速やかに行動するように勧められます。迅速で慎重な行動計画の必要性は不可欠です。あなたの能力を使って行動し、洞察の瞬間を最も慎重に使いましょう。そして、それだけで、あなたは簡単に成功し、あなたの長年の目標をより良く達成することができますか?私たちはあなたが行動する準備ができて、あなたの正当な賞をつかむように促します。この最も歓迎されたアドバイスを受けてください。これはあなたが本当に最も成功するための鍵です。イベントはすぐに先に進むことができるようになっています!

    祝福された人たち!私たちはあなたの昇天マスターです!最も難しい部分は、人類のために計画されているすべてのものがすばやく素早く生まれることをあなたが信じ続けることです。天国はあなたのために達成するために私たちに慈悲深い行動を与えました。我々はこれらの挑戦を喜んで受け入れ、これらの納品が速やかに達成されることを願っています。あなたの一人一人に報酬を与えているのは、このような絶え間ない虚偽の始まりです。成長する恐怖を完全に理解しています。遅れを取り除くために、残りの障害はすばやくタイムリーに処理されなければならないと安心してください!

    これらの不変の不規則性のための、いわゆる祝福された理由の大半は未だに評価されていない。本当に必要なのは、この奇妙な行動の背後にある本当の理由を明らかにする説明です。天国は、現在の災害が突然の結論になることを私たちに保証します。進行中の混乱は、計画を実行する準備ができている担当者がそうすることができるように、真剣に訂正する必要があります。この神聖な光の中で、現在の愚か者を終わらせ、優しく正直な結果のみで置き換えましょう。この現実を、今大いに起こっていることに調整しましょう。この未来を私たちの心が歌うものにしよう!


   これらの絶え間ない祝福されていない俗語が続くことができないことは、私たちには明らかになっています。代わりに、急速に進み、これらのすべてをあまりにも頻繁に突然停止させるという、迅速かつ明確な決定をしましょう。研究所は、天国が望むように、すばやく一定の緑色の光です。夏の後半には、最も栄えある月食が待っています。このヘブンリーイベントを使用して、この現在のコースの成功がどのように結論づけるかをモーションで設定してください!ハレルヤ!!ハレルヤ!!

   今日、私たちはあなたの周りに何が起こっているかを報告し続けました。この神聖なオーブは、必然的に広大で真に簡潔な決断を必要とします。それは、この心に響く物語への最終的な正しい終わりを妨げているすべてのものを解決するための配達と解決策が見つかる時です!終わりのない無数の天国の供給は確かにあなたのものであることを忘れないでください!セルマートゲジュン!セルマートジャ! (Sirian for Be One!そして、喜びでいてください!

バシャール:霊性

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2017-08-02 01:20:01 NEW !
テーマ:

世界中で『ニューエイジ活動』が活発化されている中で、特にスピリチュアルに興味のなかった人たちの間にも、大きな”精神的変化”が訪れているとバシャールは話しています。しかしながらスピリチュアリティ(霊性)についてまだまだ勘違いされている部分が多くあるのも事実です。

スピリチュアリティ(霊性)とは、自分の心に”ナチュラル”に共鳴できる事を表しています。ですから、スピリチュアル的な物の考え方や捉え方を”強制”して”指示”するものではありません。たとえキリストからのアドバイスであっても、貴方の心が共鳴しないのであれば全く意味はないのです。

すれ違った人から聞いた共感する一言の方が、心が動かされないキリストの言葉よりも数倍貴方にとって意味があります。それは貴方の心がなびいて受け止めるからです。

大学教授の言う一言には共感できなかったけど、子供が書いた感想文に心が動かされるのであれば、そちらの方が数倍貴方にとって意味があります。

ですから貴方の霊性は、貴方の心が共鳴する無理のない波動のことであって、貴方だけの”ユニーク”な波動を表しています。従って貴方の霊性を高めるのは、貴方の仕事となるのです。

 

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