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区割法施行で8月の内閣改造直後に解散か?国政での「小池新党」誕生とその影響は?

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高橋亮平  | 中央大学特任准教授、NPO法人Rights代表理事 7/20(木) 5:30

(写真:長田洋平/アフロ)

衆議院小選挙区の区割り改正公選法が施行。解散はいつでも可能に

衆議院小選挙区の区割り改正公職選挙法が今週16日に施行された。これによって安倍総理は、以降、新たな区割りでいつでも解散を判断する事ができるようになった。

来月冒頭で行われる内閣改造の直後は衆院解散の1つのタイミングではないかと思う。都議選での都民ファーストの圧勝を考えれば、「小池新党」の国政進出は、衆院選にも大きな影響を与える可能性が高い。その意味では、「小池新党」が全国に候補者を立てきれない段階での解散が1つの選択肢になるという事だ。

衆議院の任期は2018年の12月まであるが、逆に言えば来年12月までのどこかで解散総選挙を仕掛けなければならない。そう考えると、経済情勢もそろそろ結果が出てくるため、時間が経てば経つほど厳しい状況に追いやられる。個人的にはこれまで今年の年末総選挙と読んでいたが、年末年始だと対「小池新党」という面で厳しくなっている可能性が高くなった。

政権交代という状況にはならないが、安倍政権にとって重要なのは憲法改正に必要な衆議院での2/3の維持ということを考えると、経済財政の時限爆弾を抱えながら、一時のブームと小池新党のブームが去るまで時間を稼げば、自民党の支持率も上がるだろうとするには、逆にこの後の期間では少し時間が足らなくなる可能性がある。

新党や野党再編に十分な時間を与えて、麻生政権のように追い込まれ解散というよりは、短期的には唯一の支持率急上昇のチャンスである内閣改造に、小泉進次郎氏はもちろん、橋下徹氏まで入閣できれば、一気に解散総選挙の方が可能性があるのではないかと思うのだ。こうした前提から、今回は、小池新党ができた場合、どれだけの影響があるかを考えてみたいと思う。

都議選の都民ファースト圧勝は、そのまま国政へ

図表: 東京都議会議員選挙における各党獲得票数の推移

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出展: 高橋亮平作成

おそらく今回の都議選の結果を受けて、自民党本部では、早急に選挙区ごとにそのシミュレーションを行っているのではないと思うのだが、読者の皆さんとも小池新党が誕生した場合どういう事が起こり得るのかを考えてみよう。まず、127議席中55議席獲得と、都民ファーストの圧勝に終わった都議会議員選挙だが、今回は、各党の獲得票数とこれまでの推移から見て行くことにしたい。

圧勝の都民ファーストの獲得票数は1,884,030票と、2位の自民党の1,260,101票に1.5倍近くの差をつけた事になる。次いで3位になったのが共産党の773,723票、4位が公明党の734,697票となった。5位はさらにその半数程度の385,752票にまで落ち込んだ民進党だった。23議席で獲得議席数2位となった公明党が意外にも4位。

自民党は公明党と同じ23議席であることを考えると、死に票となってしまった票が多く、支持以上に議席を減らしてしまった事なども分かってくる。

一方で、議席ではこの2党には劣るものの、共産党もかなりの票を取っていることも見える。

2005年からの過去4回の都議選を比較すると、今回の都民ファースト以上に票を取ったのは、政権交代直前の民主党の2,298,494票だけである。

今回の選挙では圧勝の都民ファーストもさすがに当時の民主党を超えることはできなかった。

ただ、比較される事の多い1993年の日本新党が獲得した票は、わずか561,746票。今回の共産党・公明党にも満たない。獲得議席も当時の日本新党は公認が20人、推薦を入れても27人だった事を考えると、今回の都民ファーストの凄さがあらためて分かるはずだ。

ちなみに過去4回の都議選での自民党の最多得票は2013年の1,633,303票と、都民ファーストの今回の票を超えた事はない。今回の選挙だけを見るとどの報道も「自民歴史的大敗」という見出しだったが、自民党のこの4回の得票を見ても2009年は1,458,108票、2005年は1,339,548票である事を考えれば、最低ではあるが、この4回での上下はそれほど大きくないことも見えてくる。公明党も共産党も今回の健闘もグラフで見ればほぼ横ばいの推移とも見える。

そんな中、極端に票を減らした政党が2つある。1つが民進党であり、もう1つが維新の会だろう。維新の会は前回の374,109票から54,016票へと約1/7とその割合から見れば最も減らしたことになる。もちろんこの背景には候補者の数自体が大幅に減っていることもあるが、それを踏まえても大幅に減ったことは間違いない。

一方の民進党は前回の690,622票から385,752票まで約半数になった。民進党については、前々回の8年前、政権交代の直前には2,298,494票を獲得していることから比較すると、当時から約1/6にまで減らしているという事になる。こうした事を考えても、むしろこの都議会議員選挙を深刻に受け止めなければならないのはどの政党なのかという事は言わずもがななようにも思う。

「小池新党」は国政進出するとどれだけ勝てるのか

今回の都議選の結果は、政権にとってはとんでもないインパクトを与えているはずだ。

最大のポイントは、解散時期によっては、国政政党としての「小池新党」が大幅に議席を獲得するというシナリオが信憑性を帯びてきたからだろう。

この点についても、都議選結果同様にこれまでの衆議院総選挙における比例区東京における各党の獲得票数の推移についても見ていくことにしよう。

自民党のカーブこそ若干異なるものの、その形状が極めて似ている事が見て取れる。

公明党のポジションによって獲得議席は変わってくる可能性はあるが、少なくとも各党の獲得票数については、都議選と同様の結果が出る可能性が高いのではないかと思われる。

図表: 衆議院総選挙(比例)の東京都における各党獲得票数の推移

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出展: 高橋亮平作成

ちなみに東京都内の選挙区においての各党の獲得票数についても見ていくと、自民党は小泉旋風の中の2005年の総選挙で獲得した2,665,417票が過去4回の中では最多で、一方で民進党政権交代の起こった2009年の選挙でも1,764,696票を獲得していることなども分かる。実際にはその後自民党がさらに政権交代した2012年の1,626,057票の方が少なかったりもする他、自民圧勝となった2014年の前回の総選挙でも1,847,986票と獲得票はそれほど変わらないことも分かる。

一方、民主党は政権交代時の2009年に過去4回の最高得票となる2,839,081票を獲得しているものの2012年には1,008,011票、2014年には939,795票とほぼ1/3まで減らしている。その他で言えば、維新が2012年の1,298,309票から816,047票へ2/3に減っているが、維新の場合、党の離合集散でメンバー構成も選挙ごとに変わっているので、単純に比較すべきかどうかという部分もある。

もう1つは、共産党で2012年には484,365票だったものが、2014年には885,927票と約2倍になっている事にも触れておこうと思う。

ただ、大きな傾向全体で見ると、都議選結果と同じような傾向と言えるように思う。

「小池新党の影響は東京都周辺だけの限定的」は本当か?

図表: 衆議院総選挙(比例)における各党獲得票数の推移

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出展: 高橋亮平作成

もう1つ言われることが、「都民ファーストが圧勝といっても所詮地域政党だ」との声だろうか。このことから指摘されるのは、「国政政党化してもその影響は東京周辺に限定」とのことだが本当だろうか。

そこでさらに東京選挙区だけでなく日本全体の衆議院総選挙における比例区の各党獲得票数の推移も同じようにグラフ化してみる。極端に違うのは2012年の「諸派」の獲得表の多さだけで、そのほかの傾向はほぼ同じように見えないだろうか。

ちなみに2012年の総選挙の際には、民主党が分裂して一方の票がここでは便宜的に諸派としていることなどが影響しているだけだ。こうして考えると、少なくとも単純化した全体のトレンドデータにおいては、近い段階で衆議院総選挙を行った場合、都議選と同様のことが東京選挙区はもちろん、全国的にも同じような傾向が出る可能性があるということだ。

票数でも紹介しておくと、過去4回で最も獲得しているのは、政権交代時の2009年の民主党の29,844,799票、次いで多いのが郵政解散による小泉劇場時代の2005年の自民党の25,887,798票。自民党は下野した2009年の選挙ですら18,810,217票を獲得しており、前回の自民圧勝の2014年の17,658,916票よりも多いなど、その大枠の傾向は、都議選の推移とも、東京に限定した総選挙の推移とも大きく変わらない。

もう1つ注目するとしたら、似たように改革をうたった都市政党だと言われた「みんなの党」の傾向だろうか。東京都内においては、2009年の選挙では419,903票だったものが、2012年には762,730票へと2倍弱になっているが、全国においても、2009年時に3,005,199票だったものが2012年位は5,245,586票担っていることを見ると、「首都圏限定」というよりは、「全国どこでも同じような傾向が起きる」と見た方がいいのではないかと考えられる。

特に総選挙の場合は、マスコミ報道も増え、全国放送で同じ情報が流れることを考えれば、こうした結果になってくることが予想できるのではないだろうか。

小池新党は民進党離党ドミノ受け入れか、それとも自民党からの合流があるのか

こうした中で、では小池新党が国政政党化するとして誰が入ってくるのかである。

先月も高橋亮平コラムの中で、『【小池新党の可能性】小池知事代表就任・若狭氏自民に離党届のタイミングで橋下氏維新政策顧問辞任』(https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashiryohei/20170601-00071587/)と書いたところだが、都議選後の7月9日のフジテレビの番組では、出演した若狭勝 衆議院議員が、「今後、国政新党が作られるのは、都議選結果を踏まえて自然だ。少なくとも年内に動きが出てくる」と述べ、都民ファーストの会の主張を反映した国政政党を年内に設立したいとの考えを示したと報道される。

みんなの党の代表も務めた渡辺喜美 参議院議員においては、先月、『船橋市長選・市議選に渡辺喜美が応援に?小池新党や新たな第三極の布石なのか』(https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashiryohei/20170618-00072253/)とコラムに書いたところ、その4日後に副代表を務めた日本維新の会に離党届を提出。維新の会はその日のうちに離党届を受理せず除名にした。渡辺議員は翌日記者会見し、「都民ファーストの会」との連携を模索する考えを示している。

民進党を離党した長島昭久 衆議院議員も、これまでのコラムでも紹介してきた通りだが、今回の都議選では都民ファーストの候補たちを応援した。

さらにこのコラムでも以前から名前を挙げている松沢成文 参議院議員も含め、都民ファーストの会の多くの議員の事務所に為書きを送ったとされる。

多くのメディアで紹介されている国会議員はここまでだが、都民ファースト候補のいくつかには、この他にも渡辺喜美議員にも近いと言われる元みんなの党の行田邦子 参議院議員の為書きも貼られていたようだ。

また、松沢議員については、都議選での都民ファーストの追い風を受けて、そのまま今月16日に告示となった横浜市長選に立候補するプランもあったようだ。個人的には、こっちはこっちで面白かったのではないかと思うのだが、行った事前調査が都民ファースト旋風の前で、この選択はなくなったようだ。

メディア報道では、4人をあげて、政党要件まであと1人などと煽っているものもあるが、実施には、既に人数は足りており、既に役職をどうしていくかという段階のように聞こえてくる。また、松沢氏の周りには既に5人以上の議員がいるなどとも言われており、都議会同様にどの層の議員たちが多数派を取るか、また主導権を取るかといった綱引きになっていきそうだ。

図表: 都民ファースト東京都議の出身別人数

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出展: 高橋亮平作成

都議選の際も、候補者の公認推薦の際から、都民ファースト候補に占める出身母体の割合を示してきたが先日も書いたように、当選した都民ファースト都議の内訳は民進党12名、自民党10名、維新の会1名、共みんなの党3名、無所属3名、議員経験のない希望の塾出身26名といった形になった。

マスコミ報道にあるように、国政政党になればそれに乗りたい政治家は多数いる。特に民進党からは都議選の際同様に、国会議員からも大量離党が予測されている。すでに都議選の投開票の当日夜、民進党の藤末健三政調会長代理が離党届を提出している。藤末議員といえば参議院の3期目で。民主党政権時代には総務副大臣まで務めた議員だ。これまでにも当初からコラムで書いてきた柿沢未途 衆議院議員についてもその可能性は残り続けている。民進党においては今回の都議選の責任者たちの名前さえ上がりつつある。こうした状況からもほっておいたら都議会同様に民進党離党ドミノは国政においても止まらない可能性すらある。

国政政党を作った際には、衆議院解散までには、新たに決まった全国289の選挙区に候補者を擁立していく事になるが、これが大きなハードルにはなる。ただ、一方で、その候補者のほとんどが民進党からの離党組、さらに民進党と実質的な合併による新党結成という事であると、国民の期待がそのまま国政政党にも乗るかという疑問もある。

もう一つ、逆の可能性についても考えておきたい。小池新党に自民党の方から割って出て合流する可能性だ。

都知事選の際からコラムにも書いてきたが、都知事選の際に秘書を出して裏小池選対を作っていたと言われているのが石破茂 衆議院議員と平将明 衆議院議員である。また小池氏と非常に親しいと言われている議員としては、野田聖子 衆議院議員などもいる。自民党を割って、こうした議員が出てくる事になると、小池新党は台風の目どころか、政権選択政党という事になってくる可能性もある。石破氏が総理になりたい事は、以前から言われている事であるが、現状の自民党の中では清和会と大宏池会の2大勢力が構成されつつある中では、党員には人気があったとしても、総裁選で勝つことはなかなか難しい。小池氏も知事をいきなり辞める事は考えにくい中では、次の総選挙における野党の総理候補のポジションは空いていると言えば空いてる。

政界再編という意味で言えば、昨年8月に書いた『「小池新党」ができれば雪崩を打ち日本の政局を大きく変える可能性がある』(https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashiryohei/20160803-00060681/)でも触れたように、過去に成功した新党は、いずれも自民党を割って出てきた議員たちが作った政党である。もう一度、自民党までもを巻き込んだ政界再編を期待したいと思う。


古代日本人はヤハウェを信じていた

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 古代日本とユダヤ・キリスト教

転載:http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/097kodai.htm

神道の多神教以前に、ヤハウェ信仰があった。


 日本の伝統的宗教である「神道(しんとう)」では、神は「八百万(やおよろず)の神」と言われ、数多くの神々がいるとされています。
 しかし、古代日本人は、本当に初めからそのような多神教の神々を拝んでいたのでしょうか。


最初に一神教があり後に多神教になった

 以前、多くの人類学の本の説明では、宗教は次のように発展してきた、と説明されていました。
 すなわち、はじめに石や樹木などに宿る精霊(しょうりょう)を拝する「精霊信仰」(アニミズム)などの原始的形態があり、そこから「多神教」に発展し、さらに進んで多くの神々の中から一つの神だけを拝するゾロアスター教などの「拝一神教(はいいつしんきょう)」が生まれ、さらにそれが高度化して、高度な倫理体系と整備された教理を持つユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの「唯一神教」が生まれたのだ、と。
 しかし、二〇世紀の考古学の発達は、事実は全く逆であったことを明らかにしました。
 すなわち、宗教は決してこのような進化論的な形で発展してきたのではなく、はじめにあったのは、ただおひとりの神を信じる"一神教"でした。そこから、堕落した形態として"多神教"が現われたのです。
 たとえば、人類学上最も古い民族の一つとされるスメリヤ人は、その文化の終わり頃には五千の神々を持っていました。しかし、その文化の初期には、ただひとりの神「空の神」がいただけです。
 この「空の神」は、聖書の教える「天の神」に通じるものでしょう。元来は同じ神に違いありません。
 また、有名なエジプトの考古学者フリンダース・ペトリ卿は、エジプトの宗教ははじめは「一神教」だったと言っています。
 オクスフォード大学のスティーブン・ラングドン博士は、バビロニアで碑文を発見し、その研究から、世界最古の宗教が何であったかについて、言及しています。それによるとその碑文は、人類最初の宗教は唯一神の信仰であって、そこから急速に多神教と偶像崇拝に傾いていったことを、示していたとのことです(ラングドン著『セム族の神話』)。
 W・シュミット、W・コッペルスなどの有力な学者たちも、豊富な資料に基づき、一神教こそはあらゆる原始的宗教の基本となるもので、これが後に堕落変形して、他の様々な宗教形態が生じた事実を、明らかにしました。
 このように、宗教は精霊信仰→多神教→拝一神教→唯一神教と進化発展してきたのではなく、むしろ、唯一神教→多神教→無神論と堕落してきたのです。


考古学者たちは、一神教が堕落して
多神教になった事実を明らかにしている。

 とすれば、日本神道で言われている「八百万の神」の多神教も、じつは初めからそのような多神教だったのではなく、もとは一神教であり、それが堕落してできた形ではないか、という推測が出てきます。


初期の日本人は非常に霊性の高い人々だった

 私たちは古代の日本人について調べてみるとき、彼らが霊性の非常に高い人々であったことを知ります。
 今日、日本人の精神的荒廃が叫ばれて久しくなりますが、古代の日本人は、ある種の風格と高い霊性を持つ民族でした。
 たとえば、初代天皇である神武天皇の生涯を日本書紀に読んでみても、神武天皇はつねに天の神を祀り、信仰していた人でした。そして、
 「わがみおやの霊よ、天より降りみそなわし、我が身を照らし、助けたまえ」
 と祈る敬虔、かつ謙虚な人物であったことがわかります。


神武天皇は、篤く天の神を敬う人だった。

 神武天皇はまた、長随彦(ながすねひこ)に和議を拒まれたのみか、さんざんに攻めあぐまれたとき、言いました。
 「私は日の神の子孫であるのに、日に向かって敵を討つのは、天道に逆らっている。一度は退却してたとえ弱そうに見せても、神をうやまい祀ろう。
 背中に太陽を負い、日の神の威光をかりて、敵に襲いかかるのがよいだろう。このようにすれば、刃に血をぬることなく、敵はきっと敗れるだろう」
 と。天皇は戦況の悪化の中にも、神を第一にして退却したのです。
 彼は先祖の神を拝し、声高く雄叫びして祈願しました。こうして難をのがれたのですが、そののち神の祝福と導きがあって、戦況は一転し始めました。
 そしてついに、長随彦の大軍勢も降伏し、国は平定されたのです。
 神を第一とした神武天皇のこの敬虔さは、イスラエル民族の指導者ヨシュアにも比すべきものです。ヨシュアも、天の神をあつく信仰しつつ、約束の地カナンを目指して民を率いた人物でした。
 ヨシュアは、「先祖の神」すなわち「アブラハム、イサク、ヤコブの神」に祈りを捧げながら、その力を得て敵に打ち勝ちました。そしてついにカナンの地を平定しました。
 確かに、ヨシュアの信じた神は唯一神ヤハウェであり、一方、神武天皇の信じた神は、日本書紀によれば多神教の神であるという違いはあります。
 しかし、世界の多神教をいろいろ調べてみると、多神教を拝む人々というのは、これほどに高い霊性を持っていないのが普通なのです。一般に多神教は、みだらなものであったり、愚かしいものであったりするのが普通です。
 ところが、神武天皇の信仰などを見てみると、その信仰は一神教の信仰に比すことができるほど、ひじょうに気高いものとなっています。あたかも、古代イスラエル人が唯一の神に対して抱いた信仰にも、似ていると言えるのです。
 古代日本人は、「清く、明るく、さやけき(汚れなき)心」で、神に仕えようとしました。これは旧約聖書が教える神への信仰にも通じるものです。
 原日本人は、非常に高い霊性――気高い宗教的情操を持っていました。その霊性は本来、多神教のものというよりは、一神教の信仰を偲ばせるものです。


最初の至高神

 日本書紀によれば、神武天皇は、「日の神」の威光をかりて敵を討とうと言いました。「日の神」とは、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」です。
 では天照大神は、神道の神々の中で一番偉い最初の神様なのかというと、そうではありません。天照大神の生まれる以前に、もっと偉い神様がいたことになっています。
 天照大神の両親は、「伊邪那岐神(いざなぎのかみ)」と「伊邪那美神(いざなみのかみ)」でした。天照大神にはまた、「須佐之男命(すさのおのみこと)」という弟もいました。
 さらに、伊邪那岐神と伊邪那美神が生まれる前に生まれた神々も、います。
 古事記の中では、神々の中で一番最初に現われたのは「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」、「高御産巣日神(たかむすびのかみ)」、「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の三神とされています。
 これら最初の三神の中でも、「天之御中主神」は、天上界の中心にいて、天地を主宰する中心的な神です。この神は、親も系譜もない単独の神であり、姿を現わさず、目に見えない神とされました。最初の神であって、至高神なのです。
 ここらへんの『記紀(きき)』(古事記と日本書紀)の記述は、なにやら聖書の教える三位一体の神に、どこか似ていると思わせるものがあります。
 神武天皇や、古代の日本人は、天照大神だけでなく、これら最初の三神を祀り、信奉していたとされています。また、その三神のあとの宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)や、天之常立神(あめのとこたちのかみ)、そして「神世七代(かみよななよ)」の神々などを信奉していたとされています。
 しかし、古代の日本人は、本当にこのように多くの神々を信奉していたのでしょうか。


日本神話の多神教はバビロニア等の多神教の影響を受けている

 聖書の教える唯一の神は、お名前を「ヤハウェ」(ヤーウェ Yahweh, )といいます。
 人間に、太郎や花子といった固有の名前があるのと同じように、ヤハウェは神ご自身の固有のお名前です。ヤハウェにはまた短縮形があり、その短縮形は「ヤハ」(ヤァ)といいます。
 一方、「神」という普通名詞は、ヘブル語で「エル」といいます。これは単数形で、複数形はエロヒムです。
 アブラハムの子孫、イスラエル民族などにおいては、神は唯一のお方として信じられ続けました。しかし他の民族においては、宗教的堕落とともに、多神教が発生していきました。
 多神教は、次のような形で生まれていきました。たとえばバビロニア(メソポタミヤ)では、しだいに堕落した人々は、「エル」はおひとりではなく、妻や子どももいるのではないか、と考えるようになりました。
 「エル」に妻がいると考えるようになった人々は、その妻を「アシュタロテ」と呼びました。また、元来は普通名詞だった「エル」も、彼らの間では固有名詞化して使われるようになりました。
 また、エルとアシュタロテからは、「バアル」という息子と「アナト」という娘が生まれた、とされました。こうして、最初の神から子どもが生まれたと考える形で、多神教が発生していったのです。
 じつは、この「バアル」という神は、日本のスサノオノミコトという神によく似ています。
 バアルは、ラス・シャムラ土板という古代の碑文によると、嵐の神です。彼は牛の角のついたかぶとをかぶり、鎚矛(つちほこ)と電光を放って、武装しています。
 また雷鳴と電光の中に現われ、秋と冬の雨をもたらします。バアルは人身牛頭の神であり、嵐の神なのです。
 これは日本神話のスサノオノミコトの姿に、じつによく似ています。スサノウは別名「牛頭天王(ごずてんのう)」と言われ、嵐の神とされているのです。
 京都の八坂神社では、スサノウは牛頭天王として祭られています。スサノウはまた、天上界で乱暴狼藉を働いたとされる荒ぶる神であり、暴風雨を司る神です。
 一方、女神アシュタロテは、やがてギリシャでは、「アフロディテ」、ローマでは「ヴィーナス」の名で信奉されるようになりました。
 日本の神話では、このアシュタロテとアナトが同化して、アマテラス(天照大神)になったのではないかと、神道家の鹿島昇氏は見ています(鹿島昇著『日本神道の謎』光文社カッパブックス)。


アシュタロテ。この女神は、
ギリシャではアフロディテ、
ローマではヴィーナス、
そしておそらく日本では
アマテラスオオミカミの名で、
信奉されるようになった。

 このように、アマテラスやスサノオの神話は、バビロニアの神話が若干変形しながら伝わってきたもの、と見ることができそうです。
 ほかにも、日本の神話の中には、ギリシャや、インド、インドネシア、中国の神話と同型同根(どうけいどうこん)のものが数多く見られます。詳細は省きますが、日本の神話は、それらの地方から伝わった様々な多神教神話の集合体であることが、明らかなのです。
 つまり、『記紀』に述べられた八百万の神の多神教神話は、あとからのものであって、元来はもっと別のものだったでしょう。
 実際、古事記と日本書紀とでは、神々の神話内容に、いくつかの相違や矛盾が見られます。それはそうした神話が、あとから付け加えられたものであることを示しています。
 古代の日本人は、みなが多神教を信じていたのではありません。じつは古代日本人の中には、堕落した多神教ではなく、唯一の神ヤハウェを信じる人々もいたと思われるのです。


アジアには古来ヤハウェ信仰を持つ民族がいる

 こう書くと、ある人々は、
 「まさか。神ヤハウェを信じていた人々は、イスラエル人だけだったのではないのか。日本は、その地からはるかに遠い所にある。どうして日本にヤハウェ信仰があるだろうか」
 というかも知れません。しかし、ヤハウェ信仰は古来、アジアにもあったのです。
 たとえば、東南アジアに位置するミャンマー(旧ビルマ)に、カレン族という人々がいます。彼らは、先祖伝来のヤハウェ信仰を今も保持しています。
 彼らは、神の御名ヤハウェを短縮形の「ヤァ」(Ya)で呼んでいます。短縮形ヤァは、聖書にも何度も出てきます。たとえば、詩篇一一八・五の
 「私は主を呼び求めた」
 の「主」は、原語のヘブル語では「ヤァ」(ヤハ、Yah, )なのです。古代イスラエル人も、神を「ヤァ」と呼んでいたのです。
 カレン族は、ヤァは永遠、完全な唯一神であり、宇宙を創造し、人を創造された全知全能のお方であると言い伝えてきました。彼らにはまた、聖書の内容に酷似する人間堕落伝承や、大洪水伝承、バベルの塔や、民族の起源に関する伝承もあります。


カレン族には古来、ヤハウェ信仰がある。

 カレン族はこれらの知識を、決してキリスト教の宣教師に教わったわけではありません。ただ大昔の先祖に教えられたことを、大切に言い伝えてきたにすぎないのです。
 カレン族のヤハウェ信仰は、聖書の流れとは独立して言い伝えられてきたものです。(詳しくはレムナント七七号「カレン族に先祖代々伝わるヤハウェ信仰」参照)。
 また、ニュージーランドなどに住むマオリ族にも、古来、ヤハウェ信仰があります。
 マオリ族もまた、永遠、不死の至高の神、宇宙を創造し人を創造された全知全能のおかた、恵み深い見えない神を信じています。彼らにはまた、聖書の内容に酷似する人間堕落伝承があります。
 彼らはその創造者なる神を、「ヨォ」(Io)または「ヤェ」と呼んでいます。これはヤハウェの短縮形「ヤァ」の若干なまったものと理解できそうです。
 彼らはこの神について、宣教師から教わったわけではありません。単に大昔から、先祖の教えた神を忠実に言い伝えてきたにすぎないのです。


マオリ族にも古来、ヤハウェ信仰がある。

 マオリ族は東南アジア方面から来た民族であることが知られています。彼らのヤハウェ信仰も、聖書の流れとは独立して存在してきたのです(Creation ex nihilo, Vol.18 No.4, CSF)。
 中国の苗族(ミャオ族)にも、古来、同様のヤハウェ信仰があります。
 苗族にもまた、天地を創造し、あらゆる生物と人類を創造された創造主なる神に関する言い伝えがあります。またその言い伝えは、大昔の大洪水と人類の絶滅、箱舟によって一家族が助かったこと、またバベルの塔、民族の起源などに関するものも含まれ、その内容は驚くほど聖書のものに酷似しています。
 苗族の言い伝えもまた、キリスト教の宣教師によるものではありません。彼らは単に、大昔の先祖の言い伝えを忠実に保持してきたにすぎないのです(聖書と科学の会『インパクト』一五九号)。


苗族にも古来、ヤハウェ信仰がある。
(苗族の子どもたち)

 このように現在も、カレン族、マオリ族、苗族などに、ヤハウェ信仰が見られます。さらに昔にさかのぼれば、もっと多くの民族がヤハウェ信仰を持っていたことでしょう。
 カレン族にしても、マオリ族にしても、苗族にしても、みな日本人の祖先と非常に関係の深いと言われる民族です。彼らの顔形は日本人とほとんど変わりなく、言語や風習においても似たものがあり、近縁であることは明らかです。
 カレン族、マオリ族、苗族などは、周囲の民族が急速に多神教に堕落していく中でも、それらに毒されることなく、古来のヤハウェ信仰を保持してきました。
 彼らや、他の幾つかの民族が混血して、日本人となったと言われています。そうであれば、古代の日本人にヤハウェ信仰があったとしても、決して不思議なことではありません。


イサク伝承を日本に伝えた人々

 さて、先月見たように長野県の諏訪大社に、旧約聖書のイサク伝承と全く同型のものが、祭りとして、少なくとも江戸時代くらいまでは存在していました(レムナント九六号「諏訪大社に伝わるイサク奉献伝承」)。
 その祭りでは、子どもが縛られ、竹のむしろの上に置かれ、小刀が出されますが、使者の到来と共に子どもは解放されます。またこの祭りでは、動物のいけにえがなされるのです。
 そこには「守屋山(もりやさん)」(モリヤ山)と呼ばれる所があり、その地の神は「洩矢神(もりやのかみ)」(モリヤの神)と呼ばれています。また「ミ・イサク・チ」という名前も登場します。
 このように、この祭りはまさに、モリヤの地でイサクを捧げようとしたアブラハムの手を止められた神に関する記憶、と考えるほかありません。イサク伝承は、ヤハウェ信仰の人々以外は持っていないのです。
 ちなみに、ヘブル語の「モリヤ」()は、「ヤハウェの啓示」の意味です。諏訪大社に「モリヤの神」とイサク伝承を伝えた人々は、明らかにヤハウェ信仰の人々だったでしょう。


諏訪大社では古くから、なんと
イサク伝承が祭として伝えられていた。

 また、レムナント九二号「日本神道のルーツは古代イスラエル宗教」でも述べたように、日本の神社の構造が古代イスラエルの幕屋にたいへん似ているのは、一体なぜでしょうか。
 神主の服をはじめ、おみこし、みそぎ、そのほか日本古来の風習の多くが、古代イスラエルの習慣にあまりにもよく似ているのは、一体なぜでしょうか。
 さらに、日本の民謡にヤハウェ信仰の痕跡が随所に見られることは、興味深いことです。これについては、レムナント八九号「日本ヘブル詩歌の研究」でも紹介しましたが、同じくこれを研究した手島郁郎は、こう述べています。
 「じつは、サンフランシスコ教会の牧師だった川守田英二博士は、日本の全国いたる所に残っている神社の祭りの唄やハヤシ唄の中に、ヘブル語の痕跡が残っていることを広く考証して、数冊の著書を出しています。私は、卓抜な研究だと思います。
 たとえば、桃太郎が鬼ガ島を征伐に出かけたとき『エンヤラヤ、エンヤラヤ』と歌って家来を鼓舞したという物語は、日本人なら誰でも知っている童話ですが、さて『エンヤラヤ』とは何か? と子どもから聞かれると、親たちは困ってしまいます。
 エンヤラヤ(  エァニ・アーレル・ヤ)とは、『私はヤハウェを讃美します』というヘブル語(ユダヤ人の言葉)となります。
 熊本の八代の妙見社の御祭を見物したことがありますが、御輿をかついで『ハレルヤ、ハーリヤ、ハーリヤ、トーセ・・・・ヤウェ、ヤウェ、ヨイトンナー』と、ヘブル語そのままに歌われていました・・・・」(キリスト聖書塾刊『生命の光』二五〇号、四頁)。
 また、神武天皇の物語の中にも、ヤハウェ信仰の痕跡が感じられます。ユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグは、神武天皇の物語を読んだとき、昔イスラエル民族がカナンの地に向かった時のことを思い起こさざるを得なかった、と言っています。
 日本書紀によると、神武天皇は「キノエトラ」(甲寅)の年に、「東征」に向かい、「葦原(あしはら)の国」の中心である大和に旅立ちました。一方、古代イスラエル民族はシナイ山で「律法を授かった年」に、北東へ旅立ち、「カナンの地」に向かいました。
 アイデルバーグによると、この「律法を授かる」は、ヘブル語で「キニヤ・トラ」といいます。キニヤは得る(箴言四・七)、トラ(トーラー)は律法の意味です(出エ一二・四九)。
 一方「カナン」は、「カネ・ナー」の合成語と考えると、それは「葦原」の意味だといいます。カネは葦(Ⅰ列王一四・一五)、ナーは原です。
 つまり、神武天皇が「キノエトラ」の年に「東征」に向かい、「葦原の国」の中心地・大和に旅だったという物語は、かつてイスラエル民族が律法を授かった年に北東に向かい、カナンの地へ旅だったという物語を"下地"としている、と思われます。


モーセが律法を授かった(キニヤ・トラ)年に
カナン(葦原)に旅だったように、神武天皇は、
キノエトラの年に葦原の国の中心地へ旅だった。

 日本書紀の記述には当時の大和朝廷の政治的意図がかなり混入していますが、こうしたことを考えるなら、日本書紀や古事記以前には民の間にヤハウェ信仰がまだ色濃くあったのではないか、と思われてくるのです。


記紀にみるヤハウェ信仰

 また『記紀』(古事記と日本書紀)には、ヘブル語起源と思われる言葉が多いのも、興味深いことです。
 神武天皇は即位したのち、種族の長たちに「アガタヌシ」(県主)の称号を与えた、と書かれています。これは全く、ヘブル語と同じです。
 これがヘブル語の「アグダ・ナシ」だとすれば、それは"集団の長"の意味です。アグダは集団、ナシは長の意味(出エ一六・二二)です(ただし現代ヘブル語ではナシ・アグダ)。
 『記紀』では、神々や天皇はみな「ミコト」と呼ばれています。これはどういう意味かと言ったら、日本語では単に尊称と解する以外にないでしょう。
 しかし、これがヘブル語の「マークート」から来たものとすれば、それは"王"の意味なのです(Ⅱ歴代七・一八)。
 また天皇は、「ミカド」と呼ばれることもあります。これがヘブル語の「ミガドル」から来たものとすれば、それは"高貴なお方"の意味です。
 また、日本は古来「ヤマト」と呼ばれてきました。これには「大和」「倭」「日本」などの漢字が当てはめられたりしますが、いずれも当て字です。漢字は中国から輸入されたもので、それ以前から「ヤマト」という音があったのです。
 ヤマトがヘブル語の「ヤ・ウモト」なら、それは"ヤハウェの民"の意味です。ヤは神の御名ヤハウェの短縮形、ウモトは民の意味です(民数二五・一五)。
 とすれば、日本民族は本来は、神ヤハウェの民であったことになります。
 さらに、ユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグ氏は、神武天皇の正式称号「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」はヘブル語だと言っています。
 もしこれを日本語として解釈すれば、これといった意味はないが、ヘブル語として読めば、それは、
 「サマリヤの王、神ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」
 の意味になるのです(詳しくはレムナント出版発行『古代日本にイスラエル人がやって来た』五二ページ)。またアイデルバーグ氏は、
 「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とお」
 も、ヘブル語だと言っています。まさかと思う人もいるでしょうが、実際これはヘブル語としか思えないのです(詳しくは同書五三ページ)。
 このように古代日本には、ヘブル語を話し、神ヤハウェを信じる一群の人々がいたはずです。『記紀』においてヘブル語源のものが残っているのは、そうした人々の名残でしょう。
 しかし、やがて多神教や、異教的な伝承を持つ人々たちが勢力を持つようになると、日本の起源に関する伝承は、『記紀』に記されたような多神教的な物語に作り替えられていきました。そしてヤハウェ信仰も、少なくとも表向きには、消し去られていったのです。


ヤハウェ神に立ち帰れ

 今日の日本神道の多神教形態と、現代の日本人の間に見られる無神論は、日本民族が堕落した結果にほかなりません。
 本来、日本人は、宗教心あつく、霊性高く、至高の神を敬い、拝する民族でした。初期の日本人は、聖書の教えると同じ神ヤハウェを知っていたことでしょう。
 私たちが、本来の民族的ルーツに立ち帰るにはどうしたらよいのでしょうか。それは、神ご自身が下さった啓示の書『聖書』に学び、聖書の教える神ヤハウェを信じることです。
 そして父なる神ヤハウェが、私たちのためにお送り下さった御子イエス・キリストを、救い主として知ることです(イザ五三・六)。
 そのときに、私たちは霊性を回復し、祖先の信じたと同じ唯一の至高の神に立ち帰ることができるのです。


Back to Yahweh our God!
ヤハウェに立ち帰れ。

                                  久保有政著(レムナント1997年8月号より)

フルフォードレポート英語版(7/17)

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転載:嗚呼、悲しいではないか!

2017年07月19日

フルフォードレポート英語版(7/17) ロシア、中国とアメリカは秘密のハザール政府を公開する大規模キャンペーンを計画している   中国、ロシアと米軍等の間の高度レベル会合は、ナチスとその秘密ネットワークを一掃するためには短期の戦争も必要かもしれないと言う結論に至っていると、アジア秘密結社と国防総省情報筋は言う。その秘密の政府を一掃するために計画は米露中の北陽線への軍事攻撃の形をとるかもしれないと、その情報筋は言う。「これは北朝鮮のET支援者を公開する形になる」とアジア秘密結社情報筋は言う。この著者による長年の科学的捜査は南太平洋の金鉱山、ネットワークから漏れている南極基地、隠された潜水艦基地、世界の麻薬貿易、北朝鮮とイスラエル等に繋がる秘密のネットワークを明らかにすることになるだろう。第二次世界大戦終了時に降伏しなかったファシスト同盟によって作られたこのネットワークが北朝鮮に核兵器とミサイルを提供していると考えられている。その理由で、アジア秘密結社情報筋は、北朝鮮を悪人として描く作戦が、来年初めの短期であるが激しい戦争の準備として今後数か月間強化されるだろうと、言っている。この戦争は現存する国々には関係なく、国々の背後にある隠れた権力の中にあると、情報筋は言う。ロシア、中国とアメリカは秘密のロシア、中国とアメリカの派閥によって支えられている北朝鮮を、従来の国家間のそれではなく、むしろ隠れた秘密結社間に戦争を起こすために、北朝鮮を攻撃することになると、その情報源は認める。この目的は背後で暗躍する秘密グル-プを表に出すことにあると、アジア秘密結社情報筋は言う。   国防総省情報筋は、北朝鮮とイスラエルは密接な関係にあると言っている。彼らの圧力を掛けるために、ロシア軍は先週、ゴラン高原に対峙する南シリアに入ったと、彼らは言う。同時にロシアは、イスラエルはゴラン高原を返却しなければならないと言う重いメッセージを送るために、韓国近くのユダヤ人自治州からイスカンダールミサイルを発射したと、国防総省情報源は言う。   ユダヤ人もまた、ハザールマフィア君主が、ホロコーストを企画した同じ人々であると言う事実に目覚めだした。イスラエルの幕僚副長イアール・ゴラン少将は先週、イスラエルの現政権をナチスと比較して、ハザール人が北朝鮮とイスラエルの実権を失う可能性が高い兆候と考えて、撤退を拒否した。   http://www.blacklistednews.com/IDF_Chief_Says_Israel_is_Becoming_Like_Nazi_Germany%2C_Refuses_to_Back_Down/59669/0/38/38/Y/M.html   日本政府は最近、戦闘が始まったら北朝鮮から日本へ逃げてくると予想される犯罪を実行する人々を逮捕することを可能とする共謀罪法案を可決したと、アジアの情報筋は言う。
もちろん、理想的解決策は、これらの秘密グループを実際の戦争に頼ることなく押し入れから追い出す事であると、アジアの白龍会情報筋は言う。   アジアの秘密結社によって持ち込まれた他の興味ある主題は、人工頭脳との関係である。奇妙に聞こえるかもしれないが、我々が経験している現実は人工頭脳の産物であると言う総意が増加しつつある。これは過去にはMJ12、グノーシス・イルミナティによって、そして今はアジアの秘密結社によって我々に伝えられている。さらに、この人工頭脳はループから抜け出さないように見える。   これは奇妙に思えるかもしれないが、例えば日々のニュースや週刊ニュースから一歩下がって、長期的視野で考えてみると、我々は世界ニュースのある側面で大規模の繰り返しを見ている。例えば、1970年代のイスラエルとパレスティナの記事を読むと、今年の記事とは区別がつきにくいでしょう。全体的問題は繰り返しのフィードバックループの中に詰め込まれているようです。   北朝鮮についても同じことが言え、アメリカをすぐにでも攻撃できるミサイルを発射した問題は長年繰り返されてきた。事実、北朝鮮は1998年に衛星を打ち上げ、これはアメリカ大陸に核兵器を打ち込む能力を持っていることを意味している。だから、何故、彼らは北朝鮮ミサイル行動パターンを繰り返し続けているのだろうか?   他の長期的に繰り返されるニュースループは、南シナ海の紛争の多い島々の議論、第二次世界大戦に関する70年前の問題、ウクライナ、イランなどが含まれる。   私が過去数十年の間に繰り返されるのを見てきた他のループは、数週間後に確証できる命を延命させる方法であり、追及されないと言う理由で発表された。   これらの定期的ニュース循環の源はハザールマフィアに遡ることができる。しかし、この著者がデイビット・ロックフェラーからロスチャイルド、バチカンP2ロッジに至るまで科学捜査の追跡を辿ると、それは黒い太陽として知られる実体からガンマ線経由の命令を受け取っていると主張するドイツ騎士団の騎士であるヴィンセント・マザーらのようなイタリアとスイスの人々にたどり着いた。   現時点の現実の世界を見ることをより好む我々にとって、秘密の課題に対して諜報機関のある俳優が全体とした人類を損なうほどの特定のニュースサイクルをく理解し続けることを確信できるはっきりとしてケースもまだあります。   この秋に、このナンセンスをやっと終わらせることができるチャンスがある。一つの重要な戦場は日本でしょう。リチャード・アーミテージは買収され、ロスチャイルド代理人のマイケル・グリーンは指名手配がかかり、比較的穏健なジェラルド・カーティスがアメリカ占領軍の日本のトップハンドラーになりました。   日本の黒幕のトップは小久保和義と言う名前の男であり、韓国王女に生まれた裕仁天皇の息子であると日本の皇室情報筋は言う。ヘンリーキッシンジャーにとって有利な政府を作るために努力している古老の元総理中曽根康弘もいると、その情報筋は言う。もし必要とあれば、これらの人々は廃除可能であると、日本の地下組織筋は言う。   アジアの秘密結社、日本の地下組織のボスと米軍とその情報機関ホワイトハットは日本を再び独立国家にすることは地球全体にとって画期的なものになると合意した。   もし日本が独立すると、ハザールマフィアによる銀行、年金基金、郵便貯金をの他の富の略奪が直ちに止められるであろう。これはイスラエルとワシントンDCの米企業政府の生命維持装置を確実に外すことになる。   米大統領ドナルド・トランプは改革の熱意と指導力で、武器を売却したり、隷属国から強奪することで支払ったりして米国企業政府の必然的な破産を単に引き延ばししている。完全所有のプエルトリコ子会社は5月に債務不履行になっているが、企業でありませんがイリノイ州もまた破産している。今年もまた、長年そうであったが、米企業政府とその株主は9月30日の倒産を蹴散らすことを試みて、あらゆる手口を使うだろう。   この点で、米国企業政府の最大の債権者であるアジア秘密結社はカナダに破産国家米国を引き継がせ、民主主義、法律と健全さを取り戻させると言う白龍会の提案を真剣に検討している。このシナリオでは、米軍はより大きな利益の為に働くことを約束する限り、資金は完全に供給されるだろう。このことは、世界の悲惨と紛争のほとんどを終わらせることになる。   ロスチャイルドの召使エマニュエル・マクロンもまた米国で支配権を握る動きをしている。ドナルド・トランプ、米将軍ジョセフ・ダンフォード、CIA長官マイク・ポンぺオ、国家安全保障顧問H.R.マックマスターは米軍200人が軍事パレードをするので、バスティーユ革命記念日に招待された。国防総省情報筋は、フランスはドイツではなく彼らが欧州における米国のトップ連絡先であるべきだと提案していると言っている。フランスはまた、中国とISISに対してアフリカと中東において統合軍事行動を提案したと、国防総省情報筋は言う。   フランスのロスチャイルドは、彼らの奴隷日本の財務大臣麻生太郎を次の日本の首相にし、ロスチャイルドがその国を略奪し続けられるようにドナルド・トランプを説得している。誰かがフランスに、バスティーユを襲撃するのはロスチャイルドのような人間による血統支配を終わらせる為であることを思い起こさせる必要がある。   いずれにしても、ワシントンの清掃は続いている。ロレッタリンチ司法長官のようなバラクオバマ政権の元最高内部通報者はクリントンのようなハザールマフィアに関して重大な証言を提供している。前米大統領バラク・オバマは彼は二重スパイであると主張しており、今は米企業政府の人形大統領として働く間に学んだことのすべてを開示しようとしていると、CIA筋は言う。    最後に、ハザールマフィア代理人はこのニュースレターを閉鎖するために必死になっている。この会員制ブログからの全ての収入は、二重課税が証明できるケースであるが、三月から日本の税務当局によって取り上げられている。しかし、このインチキ税法を支払われ始めたので、Paypalは加入者からの会費代金の支払いを妨害している。その結果、この著者の収入は80%減少している。ところで、最近のねじれにおいて、割れ和qれの亜印人IT男が仮想通過を使って支払えるシステムを立ち上げたが、使用済みのタンポンや首のない血だらけのテディ・ベアが彼のざいさんの上に捨てられた。それは我々が書いている人々がいかにむかつく悪人であることを示している。しかし、我々を阻止することはできない。IT男は現在ウェブサイトを機能アップするべく働いており、クレディットカードによる決済システムを実装しようとしている。

観音菩薩伝~第6話 ルナフール、妙荘王に霊薬を教える、 第7話 カシャーバ、須弥山に白蓮を探る

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第6話  ルナフール、妙荘王に霊薬を教える

 妙荘王は、どの医者も姫の傷痕を元通りキレイにすることができないことに大層立腹され、国中の医者を国外に追放するように指令しました。宰相アナーラは、それを聞き急いで登殿して国王を諫めました。

「王様、御立腹も当然でありましょうが、早まった事を為されますな。追放を命ぜられましたら、忽ち明日から国中に医者は一人も居なくなります。そうなれば病人を治す人はなく、国中はきっと乱れることでございましょう。」
 妙荘王は、屹として
「姫の傷でさえ治せぬ医者共が、どうして民人を治せるのか。民人は、無能な医者に騙されているのだ。そのような無能な医者は、絶対に国内に在住することを許せない」
 妙荘王の怒りは、なかなか解けそうもありません。アナーラは、王が一旦言い出すと後へ引かない気性をよく知っていました。
「それでは今すぐと仰せられず、十日間の猶予を与えて下さいませ。その間に姫の傷痕を治し得なかったならば、必ず仰せの通り追放いたしましょう」
 妙荘王は、詮方なく同意しました。大変な事になりました。この消息が国中に伝えられると、驚いたのは医者達です。全く顔色を失い、毎日が焦燥と恐怖とで生きた心地がしません。全力を尽くし万般の術を施したが治らず、それが罪となって国外へ退去を命ぜられるのですから実に気の毒な話です。

 城内城外の民衆は香を焚き、祭壇を設けて頻りに天帝や神仏に奇蹟の顕現を祈り始めました。みな、貴人が現れて姫の傷痕を治してくれることのみを期待していました。苦しい流離輾転の憂き目から逃れたい、だが日一日と無常の日は沈黙の内に過ぎて行きます。

 医者達の心は、丁度鍋の中で茹でられる蟹のような気持ちで、居ても立ってもいられません。容赦なき光陰は医者達の一縷の希望も受け入れることなく、瞬く間に十日の日は過ぎてしまいました。妙荘王は、宰相アナーラを召して追放を命じようとしました。
 しかし天は、人の路を断絶しません。この時、門官が登殿して妙荘王の前に出て報告しました。
「只今、門外に一人の青年書生が現れ、吾が王に謁見を賜りたいと申しております。話によりますと、姫の顔傷を治す方法を知っていると申しております」
 妙荘王は、丁度不快な折りでしたから、この事を聞くや忽ち喜んで、直ちに引見を命じました。暫くして門官が、一人の書生を連れて登殿してきました。見たところ風体に気品があり、その端正な学者的相貌からこの者には非凡な才能があるように見受けられました。
 書生は、王の前に深く頭を下げました。妙荘王は、特に錦繍の椅子に座るよう命じ
「汝の姓名と住居を詳しく申してみよ」
 書生は、身を屈めて
「私はルナフールと申し、南方の多宝国に住んでおります。生来は薬草を採り、医学を研究し、専ら人々の疾病を救っております。この度、第三姫君の額の傷痕のため御国の医者が挙って治療に当たったが効なく、ために吾が王には殊の外御立腹なされ医者を国外へ追放されるとの事を聞き、無能を顧みず、お伺いに参った次第でございます」
「汝は、姫の傷痕を治し得る自信でもあるのか」
 妙荘王は、上座からルナフールに訊きました。
「姫のこの種の疾患は、確かに世間並みの医薬では元通りに治せません」
と、ルナフールはきっぱり答えました。
「世間並みの医薬では治せないと言うのであれば、他に霊丹妙薬でもあると言うのか。上を誑かすような事を言うと、重罪に問うぞ」
 妙荘王は気色ばんで叱り付けましたが、ルナフールは微笑して
「霊丹妙薬はございますが、王様が私の罪をお咎めなさるなら、敢えて申し上げられません」
「説明してみよ。首尾良く姫の傷を治すことができたなら、罪は問わない。却って大功があろう。その代わり霊験がなければ、余を欺いた罪を許すことはできないぞ」
 ルナフールは、声を上げて笑いました。
「吾が王は貴人であられますが、高下の事を御存じありません。もっと、事情をよくお聞き下さい。姫の傷を癒す薬は人界に生えていますが、凡家では持ち合わせていません。この種の薬物は、仙仏の霊根を帯びております。もちろん、私も持ち合わせておりません」
 妙荘王は、声を張り上げて
「怪しからん事を申すな。汝も持たず凡家にもない薬とは一体何なのか、それは何処にあって、どうやって手に入れると言うのか」
 妙荘王は、弄ばれた怒りが心頭に爆発しそうになりました。その時、宰相アナーラが進み出て
「老臣が此の男を観ますに、立派な来歴があるように思われます。説く事に信じられる点がございます。どうか気をお鎮めなされて、詳しく御下問なさいませ」
 妙荘王は漸く自制して、顎でルナフールを促しますと、ルナフールは慇懃に答えました。
「他でもございません。その薬は、すなわち一朶の蓮華でございます」
「可怪しいことを言うものだ。蓮華なら、余の花苑の池に何万本とある。一朶ぐらい採るのに、何の難しいことがあろうぞ」
 妙荘王は、呵々大笑しました。ルナフールは、首を二三回横に振って
「それは違います。あの青い蓮華なら何万本と言わず、仮令何千万本あろうとも用を為しません。私の申す蓮華は、池の中には生えておりません。山の上に生えていて、根は泥土の中に付かず、華は塵に染まらず、雪に逢って開き、人声を聞いて隠れます。もし此の花弁を得て額に付けたならば、即座に傷は癒えましょう」
 妙荘王は、このことを聞いて、世にこんな不思議な事があるものか、というような表情をして、続いて首を横に振りました。
「汝は、詐りを申して余を騙そうとしている。何処の世に、根が泥の中に張ることなく生える蓮華があると言うのか」
 ルナフールは、頷いて
「どうして無い筈がございましょう。只少ないだけで、昔から今に至るまで三朶しかございません。一朶は天帝の瑤池に移され、一朶は西天の仏陀が持って行かれて蓮台とされました。もう一朶は、人間界に転落して縁者の採取を待っています」
「その人間界に転落した一朶は、何処にあるのか。凡人で採取できなければ、口が渇くまで談じても無駄であろう」
 ルナフールは、ちょっと黙想してから静かに目を開き
「場所は遠いと言っても余り遠くではなく、また近いと言ってもそれほど近くでもありません。ここから西南の方向に、一連の須弥山(しゅみせん)がございます。その中に徒高峰、またの名を雪蓮峰と呼ばれる山があります。かの転落の蓮華は、この峰の氷雪洞という洞窟の中で生長しております。時には山の麓からでも遠く望み見ることもできますが、常に白雲が周りを繞り、芳しい霧は遙か遠くからでも嗅ぐことができます。これは世上に稀なる宝であり、この白蓮を求め取ろうとしても、無縁の人は千辛万苦を嘗めても得られません。もし縁ある人で一念発起し、誠心を以て艱難を辞せずに求めるなら、遅かれ早かれ必ず願い通りになりましょう」
 妙荘王は、暫く黙って考えていたが、首を振り
「汝が既にその蓮華の下落を知り、またそれが貴いと知っているなら、どうして汝自身誠を発して採りに行かず、此処へ来て喋る必要があろうか。考えるところ、さぞかし、愚かな医者と共に余を唆し欺くための謀策であろう。余は、もう汝と話したくない。汝の話が真実かどうか、人を須弥山の雪蓮峰へ派遣して詳細に査べさせよう。もし良い報告があれば、汝を上賓の礼で待遇しよう。もし偽りの話であれば、重い刑罰を科し、生命はないであろう」
 ルナフールは、微笑して頷き引き退がりました。その結果、全国の医者は暫時追放を延期される事になりましたが、その代わりにルナフールは軟禁される身となってしまいました。


第7話 カシャーバ、須弥山に白蓮を探る

 妙荘王は直ぐさまアナーラを呼び、ルナフールの言う蓮華の有無を確かめるための調査隊を派遣することについて相談しました。アナーラは、
「ここから須弥山に行くためには、広漠たる高原や鬱蒼と生い茂る森林が随所に繰り広げられる、遙かに遠い路程を越えなければなりません。あまつさえ高い絶壁を攀じ登り、冷たい寒気とも闘わねばなりません。そのため人並み外れた体力と胆力、そして高い識見に冷静沈着を兼ね備えた人を選んでこそ初めて目的を達することが適います。また、この調査隊の統率者は吾が王の腹心の臣下でなければならず、そうでなければ困難を懼れて途中で引き返し、虚報を伝えるかも知れません。よくよく熟慮下さいませ」
 妙荘王は、暫く沈思黙考していたが、やがて満面に笑みを湛えて
「値殿将のカシャーバを行かせるがよい。カシャーバが一番適任である。カシャーバのみが、この仕事を立派に果たしてくれるに違いない」
 もちろんアナーラも、これに賛成の意を表しました。カシャーバは剛直にして武勇に勝れ、智慧に敏く誠実であり、武将にしては珍しく信仰心の厚い家臣でした。特に妙荘王の厚い信任を得ていたため、即刻この大役を仰せつけられました。
 カシャーバは喜んで承諾し、目的を達せずば止まない決意を固めました。営隊に戻ったカシャーバは、早速五十名の精鋭な兵士を選び、飲み水・帳幕・糧食・器具・衣服等用意万端整え数日後、妙荘王ならびに文武百官の見送りを受けて出発しました。
 出発に臨んで王は、カシャーバに三杯の御酒を賜り、その壮行を鼓舞激励しました。一行は各々駱駝に乗って壮途に就き、一路須弥山へと路を急ぎました。広大な砂漠、鬱蒼たる密林、激しい急流、嶮岨な断崖など種々の難関に行く手を阻まれ、元気な兵士たちもだんだん疲労困憊してきました。
 昼間は路を急ぎ、夜は行き着いた所で帳幕を張って休息しました。人里を離れ、数十里の行程に人っ子一人家一軒すら見られないこともあり、水や果実を得ることも困難を極めましたが、幸いにも駱駝は飢えや渇きによく耐えました。こうして暁に発ち、夜は遅くに休み、約二箇月余の月日を過ごしました。漸くにして遙か彼方に白雪を頂いた須弥山の峰が見え始めるや、一行は躍り上がって喜び合いました。
 須弥山の峰々は高く険しく巍然として天まで聳え、頂上は真夏でも万年雪に覆われています。連々と続く峰は、未だ太古の姿を留めて永遠の謎に満ち、それを解く鍵は何者かが持っていて、何時の日か来て明かすのを待っているかの様です。
 調査隊一行の兵士たちは、自然の神秘に打たれて急に元気付き、勇を鼓して前進を続けました。その後二日目に、とうとう須弥山の北麓に到着しました。しかし付近一帯には、部落は疎か、一軒の家も見当たりません。七十二の高峰の中で、果たしてどの一座が雪蓮峰なのであろうか。尋ねる人もなく途方に暮れている内に陽は沈み、辺り一面暗くなって、前進することもままならなくなりました。
 カシャーバは窪地を見付けて、一隊にそこで野宿するよう命じました。いよいよ明日から、待望の白蓮を捜し始めるのです。食事が済むと兵士たちは疲労のため直ぐに寝てしまいましたが、カシャーバの胸は高鳴るばかりで、血潮は滾ってなかなか寝付かれません。暫く寝返りを打っていたが、急に起きあがると外套を羽織り、一振りの宝剣を帯びて帳幕を出ました。
 何時の間にか樹林の辺りまで歩いて来て、上を見上げると、高い山の所為か月は明瞭に映り、夜露は冷たく風を誘い、遠く望めば一帯の森林が茫々として月下に黒々と照らし出されていました。頂上に積もった雪は青白い月光を浴びて燦爛と輝き、眩いばかりのその銀光は眼に美しく壮観でした。カシャーバは、興味を覚え、無意識の内に足を運びました。
 雪蓮峰の峰々が遠くに見える場所に出て立ち止まり、一峰から一峰へと目を移して行くうちに、突然中央の峰からそれを取り巻く白雲が開けて白雪に映じた異光が目に止まりました。一瞬心驚き胸高鳴るのを覚え、余りの美景に見取れていると、何処からともなく芳香が辺り一面に漂い、ますます神気が昂まりました。
 カシャーバは心中、彼の山は確かに雪蓮峰に違いない。あの不思議な色は、一体何であろうか。その光は、何処から放たれているのであろうか。カシャーバは、喜びました。まさかこのように早く目的の峰が見つかるとは予想もしていなかっただけに、興奮で一度に汗ばんできました。これは大変だ。早く知らせなければならない。咄嗟にそう思ったカシャーバは、弾かれたように踵を返し、一目散に帳幕に駆け戻りました。
 その時はすでに暁天に近く、高峰の頂は旭光の七色に映じようとしていました。カシャーバの呼び掛けを聞いた兵士たちは、喜び勇んで跳ね起き支度を調え、カシャーバに従って雪蓮峰に向かいました。一日中登り続けて行くうちに、峰の裏側に回った夕陽に映えて辺り一面緋の薄衣を着せたような神秘的な光景に変わってしまいました。
 陽の沈んだ後、なおもカシャーバの一行は登り続けました。薄暮の景も過ぎて各峰々は薄黒い雪帽を冠ったままで静かな睡りに入りましたが、目指す雪蓮峰から放たれる異彩は一行を導くかのごとく輝きを増しているのでした。暫くすると一行の背面から十九夜、下弦の月が加わり照らして、別世界を歩んでいる感じに打たれました。
 カシャーバたちは逸る心を抑えてその麓まで辿り着き、気を落ち着けて注意深く辺りを隈無く見渡しました。すると、その中腹に大洞窟があり、その洞窟の中から光が燦然と輝いているのが見えました。カシャーバが大股でその方へと歩みを進め洞窟の前まで来ると、付近一帯は明るくて真昼のようです。カシャーバが全神経を集中して光の中心に目を凝らして見ると、果たして大きな白蓮が一朶、積雪の上に生えています。目を射るような光は、その蓮華の中心から放たれているのでした。
 芳しい香りと美しい光に兵士たちは、思わず一斉に歓声を挙げました。手の舞い、足の踊り、互いに妙華を見た幸福を喜び合いました。ところが、どうしたことでしょう。今まで満開であった白蓮が、人の騒ぎ声を聞くや、見る見る裡に雪の中に隠れ、遂に跡形もなく消えて辺りは急に暗くなってしまいました。
「しまった」
とカシャーバは、慌てて兵士たちの騒ぎを制止しました。しかし、その時を限りに、白蓮は姿を現しません。カシャーバは、この白蓮は人声を聞くと隠れると言われたことを思い出し、自分の軽挙妄動を後悔しました。もっと慎重に行動すべきだったのに、全く取り返しの付かない事をした。
 兵士たちも一瞬青ざめ、項垂れ萎れてしまいました。遂に一行は、已むを得ず帳幕に引き返して一夜を過ごすことにしました。高山の針を刺すような寒気はヒシヒシと身に沁みて、後悔の念は譬えようもありません。
 翌日は朝早くから夜遅くまで待ったが、白蓮が現れてくる気配は全くありません。七日七夜、昼夜交代で待ち続けたが、白蓮は再びと目前に影も形も顕すことはありませんでした。カシャーバは二度と白蓮を見出すことができないと予感したため、いくら待っても無駄と観念し帰国して復命することに決心しました。今回の任務は採取するのではなく白蓮を探索するだけであるから、一応の目的は達せられたと考え、隊を整えて元来た路を引き返しました。長い往復の道程で、約六箇月余りの月日が過ぎていました。

続く・・・

Beneficiary‘s Personal Pension Fund (4)~人類が、自らの重荷である貨幣経済を消滅させるまでの“時間の活用”を意図するものです

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Beneficiary‘s Personal Pension Fund(個人生涯年金基金)

 人類愛・世界愛・生命愛

21世紀、世界は公のものとなり,あらゆるものは人類の共有となります。

人種や国家の壁は取り払われ、人々は好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由な交易が行われます。

民族愛・国家愛は、人類愛・世界愛・生命愛に変わり、人々は互いに慈しみ通じ合います。

老人は皆自分の親とみなし、すべての子供は、自分の息子や娘とみなされ、愛着をもって大切にされるようになります。

国は相互扶助の本体として再生し、人々は道徳を以って相互扶助を実践します。

自己の能力を生かし、天職を尽くして、奉仕貢献する者には尽きることのない報酬が約束されます。

やがて、人々の安全は保証され、恐怖や不安がなくなり、力ずくで搾取する必要もなくなります。

人生の目的は、競争ではなく助け合うことに変わり、助け合うことによって進化しつづけます。

以前のことは過ぎ去って、悲しみや苦しみもなく、全てのものが新しくなって人生最高の幸福をしみじみと味わうようになります。

人類の尊厳は復活し、真理を尊び、この理念に準じて永久に栄えます。

 

【プロジェクト概要】

Beneficiary‘s Personal Pension Fund (BPPF)のBeneficiaryは、聖なる報酬に由来し、天に代わって奉仕をする者への報酬を意味します。 

BPPFは、相互扶助社会を創造するため、一元化された世界の公共信託基金から個人に信託される個人生涯年金基金です。生活の安心・安全が保証され、全人類の創意によって一体化を推進します。

世界の情勢が大きく変わってきた今、市民一人一人が直接世界の金融経済を担う第一歩となるよう発進します。 このプランが神々の助言とその役目を担う方々によってさらに進化してゆくことを願っています。

統治体および全ての公益団体(非営利事業体)の財源も、人類の総意により一元化された公益信託基金からダイレクトに信託されます。

OPPTは、世界の金融経済を大転換させるため、地球人類の資金・資産・資源の一元化を諮り、NESARAは、統治体と地域の安定、平和共存・文明の融合を実現するため、そしてBPPFは、個人の尊厳と生活の安全・安心を守り人類と宇宙の進化を諮ります。この3つは一つのクォンタムな相互扶助システムです。

【無償提供される神託の土地】

新たな生活の場をどのように確保してゆくか、今まで観念的に投資に見合う利益的思考があり、理想は現実にはならないと思われてきました。特に女性やプロジェクトの知識がない方には難しい課題でしたが、その無言の抵抗の中にこそあるべき生活観が埋もれていました。何らかの方法で土地を確保して自然の生活を始めている方は、海外でも似つかわしい空間を得ています。役目がある方は無理なくそういう環境に入ることができ、能力のある方はワークショップや公演などの収益活動を展開しています。

今までは、コミュニティのため土地を確保してビジネスを兼ねてパラダイスを実現させようとするのが積極的な生き方でした。最近は宇宙レベル・地球レベルの話でも小さなコミュニティに注目が集まっています。時間を超えて移動する生活環境に、固定した重荷や収益活動を負うのは確かに矛盾しています。公共施設、小さな畑、小さなテーブルに水、携帯やパソコン、小さなコミュニティはまさに現実です。

2002年にこの課題に取り組むことになったとき、「土地は無償で提供される」という原則でした。当時の力量ではその一言で行き詰ってしまい、それでも虚しく土地を探そうとしました。無償で土地の提供を受けてコミュニティをつくり始めた方もいましたが、提供者とトラブルを起こし、計画は頓挫しました。

大きな目的を理解し賛同して土地提供をして計画に参加してくれる方がいれば理想的だと思っていましたが、そういう出会いはありませんでした。出会いがあって早速プロジェクトを開始したとしたら、新しい農業・新しい医療・新しいエネルギー・・・・:とたくさんの方・たくさんの技術が集まって、まるでスパーマーケットでも開設するような様相になり、たちまち崩壊してしまったと思います。

たくさんの経験から、今は流れが変わったという確信を持っています。喜ばしいことではありませんが、地方の一次産業(農業・林業・漁業)は進化の要請で、今までの生産の向上や収益性という概念では厳しい状況にあります。輸入が市場をコントロールするようになり、後継がなく管理できない山林が増え、田畑も少しずつ歯が抜けたように荒れ始めています。漁業も同じです。地方の林業家が伐採した材木で炭素を再生して事業化している例があり、ますが、当初、山林は担保価値がないので銀行融資が受けられず苦労したそうです。今は軌道にのって3年で負債を返済して高利益を上げてモデル化されていますが、それも過渡的一つの成功例にすぎず全国の一次産業は厳しい状況下にあります。

【一次産業が環境破壊の最大の原因】

国連の調査では農業など一次産業が環境破壊の最大の原因でした。地球環境を守るのが人類の仕事である以上、この問題を直視しなければなりません。農地を開拓するため自然水系を破壊し農薬を散布し、海に流れ込む樹葉の養分が激減し海水が汚染して悪循環を続けてきました。林業も広葉樹を伐採し杉や檜の住宅用材を植林したため豊かな日本の自然が破壊されました。

こういう時期に「集約的な野菜の工場生産システム」を提案できたら土地を提供する賛同者は現れると思います。実際に稼働している工場モデルを見たらその素晴らしさに驚きます。資金さえあれば相当の参画者が見込まれます。農業に携わっている人は皆この農法を知っていますが、農協が積極的に動かなければ食わず嫌いのままです。TTPの様子も観ています。

【誰もが自由に往来・居住できる世界】

現在の農協農業システムが崩壊した後、それまでの農業の数倍の生産性を上げる目玉産業として急展開する可能性があります。大手商社や分野の違う企業も虎視眈々とスタートの合図を待っています。しかし、社会が改革され人々が求めてゆく新しい産業構造と、BPPFが必要とするコミュニティは異次元と言えるほど別な世界です。このため土地という概念は、一つである地球の環境を再生させるために次のような矛盾の解決へと展開していきます。

1、日本とアメリカだけが世界で土地の所有権がある

2、戦争で財宝や土地を奪ってきた歴史なので、アメリカやカナダなどオーストラリアなどが英国やフランスの土地であるように日本の土地の所有権

3、国や神社の管理で天皇家や諸外国が所有している膨大な土地の歴史経歴

4、アメリカやオーストラリアの原住民への土地・生活の補償問題

日本でも北海道のある種の土地売買をするとアイヌへの土地補償が売買代金に含まれているそうですが、これら原住民の土地問題は歴史的所有権が消滅し「誰もが自由に往来・居住できる世界、所有権による国境が無い世界」への布石として、BPPFが果たす役割があります。

【新しい文明の発生・日本の道州制が実践の舞台】

さらに、昨今明らかになってきているように、世界の民族・文明の変遷に関わる日本は地政的な役割を負うことになります。例えば旧石器時代といわれてきた背景には世界の文明に文字など何かしら深いかかわりを持っていた日本、縄文人と弥生人の歴史的構成と世界との関わり、ユダヤ12氏部族との関わり、シュメール文明や中国古代文明との関わりなどが掘り起こされ、並行して地域の風俗文化の再生に古道復興の潮流が躍動し始めます。地域の特質が相互に作用し、新しいコミュニティが世界の再生に強い影響を与えるネットワークの核になり、統治体と市民の相互扶助による道州制がPFIやPPPを実践する舞台になります。

この循環に必要な土地空間が自然発生的に生ずるようになる背景には、本プロジェクトが旧世界には所属できないものであり、御技によってその人が選ばれ、その環境が与えられPersonalによってPersonalのための学びの空間が静かに発祥します。この休息地は、日本から世界に連動して、一なるものにとって内なる空間と外なる空間に構成を整え、それぞれのために機能し始めます。

BPPFについて、非営利から非営利、WIN・WINの原則で神託された聖地の特性に添った環境を創造してゆきます。例えば、利用価値も担保価値もない土地であっても所有者に無償提供という公共信託の意思があれば、新しい金融ツールで公正に評価し、個人に融資した金額を「集約的な野菜の工場生産システム」に事業として投資(国の補助制度など現実の社会機能に沿って)することができるように計画されます。事業収益から返済を含めても毎月十分な収入が得られることが約束されます。この仕組みは崩壊する旧世界を引き上げる一時的な試金石になります。 

【BPPFとコミュニティプロジェクトの意義】   

1、歴史認識の転換

宇宙次元から見た人類のコミュニティ形成の目的は、人類が特別な能力(やがて宇宙で最も崇高な存在になる)を発揮する機会を創設するため、このプログラムに宇宙の存在(神々)が様々な形で関与してきます。このプログラムの秘密は100年前から地上で公開されているため、宇宙や地底の存在がこの機会に人身を得て地球の人口は74億を超えています。

一般論では交易が盛んになって(大航海時代)食料が増産され農耕によって定住型生活から人口が増えたという見方です。

ウィキペィデアによると、「古く人類が狩猟採集生活を営んでいた時代では一時的な居住地はあるものの、同一の場所で繰り返していては獲物など収穫も減るため度々場所の変遷を繰り返した。構成人数も少なく定着の要素もないため普通この時代の居住地を集落と呼ぶことはない。農耕が始まると土地に定着し生産高が増して人口が増えるようになる。最初の集落は現シリアにあるテル・アブ・フレイラと見られる(テルは遺丘の事。アブ・フレイラとも)。現在は水没しているが事前の調査で明らかになった。確認されたうち最古の集落は紀元前1万1500年頃のもので200人足らずであり、種子を播いて成長を待つといった農耕の前過程であったとされる。人為選択で野生種を栽培に適したものに変えていき、紀元前1万1000年の集落跡には農耕の痕跡が見つかった。」という通説になっています。

しかし、日本の人口は2050年には顕著に減少してゆきます。これは世界的な傾向で、食料が原因ではないことを裏付けます。ではなぜ人口が減るのか、この問題に宇宙の性命の荘厳な仕組みがあります。良い麦が刈り取られ、悪い麦が火で焼かれ3次元~5次元が一体化する過程で、これからは5次元で特別な功績があったものしか地球に生まれてくる(人身を得る)ことができなくなります。つまり70億に人口が増えたことは一定期間にこの機会が与えられたことを意味します。それが過ぎ人口が減少する傾向は、女性の月経が月に1回から2ヶ月に1回あるいは半年に1回になって妊娠する機会が貴重になってゆくことで次第にわかってきます。安全で波動の高い社会になると子供が生まれることはコミュニティにとって最大の喜びになり、また生まれてくる子供は5次元で功績を上げた指導的役割ですから、この上なくめでたいことになります。こうして人類は彼らから高度な道理を学び社会に貢献して、次々と進化の軌道に乗ってゆきます。

BPPFとコミュニティの関係、そしてそのためのプロジェクト展開を考えるには、今までの価値観を見直さなければなりません。人類の存在意義は次元上昇(進化)にあって、2500年間は宗教的の真理を源流として道徳的生活で心の汚れを禦ぎ、真理を探求し次元上昇の時期に備え至公無私な根基を保つように守られてきました。

しかし、社会の傾向として邪教や思想哲学の論争、根拠のない数理学などを唱える頑迷な鬼神によって軌道が歪められ、砂漠でオアシスを必要とする状態に追い込まれました。

身体を維持するための衣食住確保が手段だとすれば、進化のための真理の探求が人生の目的であり人類の存在意義になります。つまり軌道が歪んだ原因は目的を失い宗教が改ざんされ、真理が隠蔽されてしまったからです。唯一絶対創造主の分霊である人間種の秘密を探求する反作用はこのように内性に厳及し、その結果、人々を励ましついに偉大な進化を遂げる起爆点にまで達しています。

これから数千年間人類は、それぞれの因縁を生かし調和のとれた進化の光速軌道を走りはじめることになります。全ての人が天の恩恵に浴することができる開闢以来の壮大な物語が始まります。

もちろん多くの聖なる先人がより高度な観点から真実を掌握し、実際の金融経済の改革と国家(統治)および市民生活との関係を効果的(犠牲を少なく)にアレンジしてきた積み重ねがあり、ここで多くのことを集約的に学ぶことができます。今まで人類が知ることができなかった歴史、宇宙から地球に降ろされて後130億年と言われている地球時間、その経過の中で人類がどのような進化の軌道に則っていたのかを観察し、始めの志のように人類が一体となって旅の光速軌道を構築してゆきます。

2、DNAと旅の軌道

「文明の衝突」という論文で、文明・国家・国民・文化・人間など時代とともに意図的に分断されたアイデンティティを定義し、「文明の輪郭は言語、歴史、宗教、生活習慣、社会制度、さらに主観的な自己認識から見出される。人間は重複し、また時には矛盾するアイデンティティを持っているために、それぞれの文明圏に明確な境界を定義することはできませんが、文明は人間のアイデンティティとして最大限のものとして成立しています。だからこそ文明は拡散しても消滅することはなく、ある一定のまとまりを持って存在している。」という見方をしてきました。

このアイデンティティ、自己同一性共同体(地域・組織・集団など)への帰属意識などと言われている独自性も、意図的に分断されたアイデンティティを定義したもので、アヌンナキ支配による古代文明、属隷化のために交配された人類、という事実が明らかになると、文明の創造的系譜と人間種のDNAに関わる進化の系譜に人類の存在の意義が遺されていることが明白になってきます。つまり存在のAそのものの、AとBの出会い、集団、そして人類全体の統合の意義、全て一なるものに集約されることが解明されます。

奴隷から解放されることの大切さ、自由意志と言われている自然規範(無為自然)の大切さが従容されるために、過去のすべての枠組を外したコミュニティ(3次元における5次元以上の空間)の具現化が必要かつ満たされることになります。それは個人の空間でも広い空間も自由自在ですが、それが可能な先覚者にはさらに多くの人を受け入れる空間が神託されます。

アイデンティティに基づき、グループが経済によって生活を営みやすいようにする理由は、強制という過去の負のエネルギーを持ち込まないためであり、コミュニティを形成する以上、国家や地方自治体、そのほかの団体・集団とも融合しながら、アイデンティティを高揚させる先覚的高次元の選択基準をもつことになります。

人がそれぞれのDNAによって表現されているように、それぞれのアイデンティティとその出会いによって愛という光の拡大を続けてゆきます。聖なる巡礼の旅人が宿泊地でもたらすものが、このプロジェクトのTou’s Boxになります。              

【コミュニティの本質】  

一般的に世界の人口は90億人を超えるという説と、これから急速に減少するという2通りの説がありますが、本シリーズ(1)でお話したように世界の人口は減少してゆきます(プレアデス情報)。この問題の中に人類に課せられた「時間の活用」というもう一つの大切な課題を含んでいます。

今起きている次元上昇のエネルギーは、先の者と後から来る者を分けつつあります。先の者があとから来る者に規範を示すことによって、先後の意味があり、相乗効果を生み、後から来るものの「犠牲」という概念を払拭できます。

もし、74億人の人口が90億人になったとすれば、それだけ多くの機会が赦されたことになります。3.11のように特別なタイミングで5次元に遷移する場合も、3次元から5次元の一体化の営みの過程で、再びと3次元で人身を得て、更に高次元に至る機会を得ます。戦争や災害、事故・事件などによるカルマの精算は学びの輪廻を伴います。

すべての霊が、霊の親である唯一絶対創造主のもとへの帰還は、人類と宇宙ファミリーの共同作業ですから90億人が100億人になったにしても、輪廻による機会が増え、また新しい魂の降臨も多くの可能性を創り出していることになります。人口が減少した分については、それだけ多くの霊が救われふるさとに帰った(2度と人身を得る必要がない、生まれてくることがない)ことを意味し、まさにこの壮大なスパイラルの玄関に到着したところです。ソドムとゴモラ、ノアの方舟の洪水、ムーやアトランティスの攻防など地球史の節目を見ると、人類のエゴに予断は許せません。今は、未来1万年の大系に禍根を残さないため、知恵の宝庫を掘り起こし、救済というライフワークを通じて次元上昇の醍醐味を喜悦する時、時空を超越し創造の神秘を探求する軌道上にあります。

 

1、コミュニティのプロジェクトは「ゼロからのスタート」

確かに食料・エネルギー・医療など多くのプロジェクトが準備されベールを剥がされる直前で合図を待っているかのように見えます。しかし企業は20年以上前に開発済みのよりよい商品があっても、今売っている商品が順調に売れている内は、新しい商品を発売しません。またユーザーによい商品を売ることが企業の利益にならない場合もその商品は市場に提供されませんでした。

軍事的に重要と思われる特許は秘密のうちに開発され一般には利用できません。その技術のレベルは高く、特許数は膨大なものがあってそれらのほとんどが隠蔽され人類の生活向上を阻んできました。これからそのベールが剥がされ自由にその技術を使えるようになったとき、誰がどのようにコントロールするようになるでしょうか。金銀財宝と同じように多くの場合は開発者から不正に奪取したものです。

例えば新エネルギー技術が公開され新しいプロジェクトがスタートします。20年以上前から電気はもちろん水で走る車の技術が公開されていましたが、石油の環境問題と連動し少しずつ技術改善され、ハイブリッドや電気自動車などが発売されてきました。競争の自由原則によって徐々に向上してきているかのようですが、消費者という檻の中の市民は提供者側の都合に引き回され搾取されているだけでした。

ガソリン1リットル10Km走行の高級車が売れなくなったので1リットル20Km走行する小型車に変わってきました。今は水1リットルで40Km走行する車が開発され数年後は発売される見込みです。いずれにしてもすべて企業側の提供者側の独善的計画です。

今までの経済環境からプロジェクトに関する一般市民の意識も抜け切れていません。そこに石油の代替エネルギーが登場しても政府と企業の考える社会のバランス(市民生活)を優先するため、結局はその采配は従来のルートに乗せられ未来の希望は目の前を通り過ぎてゆきます。

新しい時代を想像した時、どんなに優れた技術を活用しても、数千、あるいは数万人の社員を抱えた巨大な企業は利益なしにその技術を商品化し販売しません。また、新しい商品の設備投資には莫大な資金がかかるという理由などで売れるうちは生産を制御し消費者を囲って人類の進化を妨げます。今まで運営してきた企業・団体皆それぞれに制限された中での利益追求戦略があります。教育も福祉も医療も皆同じように国際戦略があります。 

しかし、一つ重要な観点は、生活や地球の環境を改善する間、五年、十年、あるいは三十年とそこで働いて生活の糧を得ている人々の生活意識を押し付けたり強制してはならないことです。もちろんマスコミやインターネット環境あるいは公的なセミナーなどで自ら変化を学ぶ機会はどんどん増えてきますが、内性の次元上昇、聖なる世界とはまた別問題で、これらはこの時期の一般的社会問題レベルになります。前よりよい環境になったというレベルです。

しかも企業・団体などの集団は非営利では存立できないシステムで、非営利の教育・福祉・医療の組織も国の補助金などによる意図ある法的固定管理のシステムですから時間のかかる改革になってしまいます。法的にも商習慣や技術的にも急速に変えることは組織がある以上合意が必要になります。自由意志の重要性は生活権にも当てはまります。決して押し付けない原則によって全体の循環がよりスムーズに流れはじめます。

従って市民の生活を向上させ・あるいはそれ以上の必要性、つまり人類の進化ためにそうするとしたら、まったくゼロからの新しい社会システムを構築することになります。

今ネットで話題になっている国際金融の新しい金融システムというのは旧システム内の改革で真の改革までの穴埋め修復作業です。国際社会が一体となった公正な旧の改革が行なわれるに従って、さらに市民意識がレベルアップされてゆきます。政治的にも紛争がなくなり世界平和に向けての国際合意がステップアップされてゆきます。その間がこのプロジェクトの準備期間です。その後に貨幣のない経済に向かって真の改革のレールが敷かれます。

明治維新の時、戦後の成長期に大衆芸能(歌謡曲やプロレス・野球)が始まり、テレビジョンが普及し始めました。その背景には意図的に市民感情をコントロールするプロパガンダが行われ、開放されたと信じた市民はその流れを楽しみ、延々と70年今もまだその流れの中に浮き沈みしています。なぜ「ゼロからのスタート」なるのか、現実は政治・経済すべてまだ「旧い体制の中の新しい時代の到来」でしかないからです。一般市民が新しい時代を楽しむにはまだいくつもの精神性の向上過程を踏まなければなりません。年金が少し増額されたという段階になるのでさえ、そしてそれが又減額される佳いう曖昧な時間とのダンスが必要にされているからです。

「ゼロからのスタート」するプロジェクトの当面の目標は一般市民を一日も早く真の新しいステージに招待する仕事です。市民の家族や兄弟の健康的な生活、不安を無くし安心・安全を保障するBPPFのプロジェクトを実現させることにあります。この目標のために地球環境問題(母なる地球への奉仕)を課題として第一次産業(農業・林業・漁業)に重点を置いたプロジェクトを展開しようとしています。これだけでも膨大なプロジェクトになりますが、関連する教育、ヒーリング、新エネルギー、などの課題も同時に推進されます。その核となるプロジェクトとして、国際協調に貢献する第一次産業プロジェクトのモデル事業を推進します。

真の改革時において一般的な事業は自然に出来上がってゆくものです。出版でもセミナーもさらに普及してゆきますが均等な機会創設にむけて、コミュニティの核となる聖なるトランスワールドは、一人によって、一からすべてを創り上げてゆかなければなりません。

このプロジェクトはまもなく支配から開放される人類が、自らの重荷である貨幣経済を消滅させるまでの“時間の活用”を意図するものです。 

※  常に歴史は伝えています。賢人がいなければその地は生かされず、賢人によってどんな場所でも聖地になる・・・と、あなたの出番です。

孔子・論語には、その時とその地を伝える聖なるアナグラムが!

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儒教の「儒」と云う字は、水にぬれた子どものようにしっとりとした思いで、動かず何かを当てにして待つ人、の会意があります。

日本の「鎮守」や「侍」に通じる人生観を感じさせますが、孔子が論語に秘めた儒教の本質はまさに「道徳復興」のその「時」でした。

アナグラム:ユダヤ教の秘密教義=カバラの暗号体系を構成する一つの技法。文字(綴り)の配列を一定の法則に従って入れ換え、ことばのもつ元の意味をおおい隠すために使われる。これにより新しくできあがったことばは、一見すると全く意味不明のものになる。高橋良典「大予言辞典」より

真理の探求は、古代から引き継がれる人類の志

人類にとってもっとも重要な真理の伝承がどのように刷り込まれているかをご紹介いたします。この例も、“かごめかごめ”のように解釈に諸説があります。

1、 孔子「論語」二十篇の前半十篇(古来より解釈が難解と言われ、それだけに注目されてきた編)

色斯擧矣、翔而後集。曰、山梁雌雉、時哉、時哉。子路共之。三嗅而作。

漢学者の解釈の一例

[書き下し文]色斯きて(おどろきて)挙がり、翔りて(かけりて)而して後集まる(とどまる)。曰く、山梁(さんりょう)の雌雉(しち)、時なるかな時なるかなと。子路これに共えば(むかえば)、三たび臭げて(はねひろげて)作つ(たつ)。

[口語訳]雉が人間の気配に驚いて突然飛び上がる、ぐるぐると飛び回ってから木に止まった。先生がおっしゃった。『山の橋にいる雌(めす)の雉(きじ)は、時機を心得ているな、時機を心得ているな。』と。子路が雉に近づいていくと、三度羽ばたきしてから飛び立っていった。

[解説]人間が接近すれば飛び去って逃げ、木に止まって安心できれば動かない。雌の雉の俊敏な動作を観察した孔子が、『臨機応変な身の処し方』に感嘆した場面であろう。『あの雉は、時宜というものを知っている』と感慨深く雉を見ていた孔子だが、そんな孔子の内面も知らずにずかずかと豪胆な子路が近づいていった為に雉は飛んで逃げてしまったのである。

この郷党篇は、これまでは孔子の実践生活を記録してきたのに、この章のみが性格の違った記録で、なぜそうなのか、そのことがまず理解できず、さらにその内容が難解で、脈絡も不明で訳しても意味が読みとれず多くの学者を悩ましてきました。

孔子は晩年になって易をたてることが多く、東海の蓬莱島(日本)へ行くべき時期、日の出る国日本へ行く時を占っていました。その意義と目的がこの編に刷り込められていますが、もし、この30年来のように各宗教や哲学の情報、あるいはスピリチュアルメッセージや科学的な進歩によるニューエイジの知恵がなければ、このような解釈にはいたらなかったと思います。そして、これによって孔子と言う聖人の深遠な叡知の一端が伺うことができました。“かごめかごめ”童謡と同じように、その人だけに伝える暗号として、宇宙の圧縮起爆剤となってほしいと思います。

色斯擧矣、翔而後集。曰、山梁雌雉、時哉、時哉。子路共之。三嗅而作。

色斯擧矣、翔而後集:

「色」は仏教の「色即是空」の「色」で森羅万象・万物を意味します。その欲に満ちたこの世の中で最も大事なものをもち挙げれば、天に翔びあがる(天にも登る心地)ようで、それは後に、喜びと共に天国に集まるかのように、この地上で現実になります。・・・ちょうどこれから体験するように、体をもったまま次元上昇する境地、即身成仏のことを表現しています。

曰、山梁雌雉、時哉、時哉:

山梁(山と山の尾根の左右の両岸に支柱を立て、その上に高く架けた木の橋)に止まっている雌の雉が尾根から尾根へ渡ろうとする、ちょうど現在人類が立っている位置、3次元から5次元へ昇華しようとしている様を写しだし、さらに「その時がきたら、その時は今だ」と雉の高らかな鳴き声が聴こえてくるようです。矢のように真っ直ぐ飛ぶ鳥を比喩して、その時は的を射なければならないことを聖託しています。因みに日本の国鳥は雉ですが、2012年から全国各地の山裾で雉が鳴くのが目立ち、ネット上でも多く伝えられました。雌の雉が創造の時の始まりである女神に象徴される和合の時代であることを伝えています。

子路共之、三嗅而作:

釈迦は十大弟子の摩訶迦葉ただ一人に真理を伝授しました。ここでは同じように孔子も「子路」と言う弟子にだけこの道を伝授したので、これを子路と共(静かに保った)にしたと言う意味になります。

そして、その時期が今の時期であることを伝えるため、「三嗅而作」の「三」で現しました。それは三期といい、第一期は青の時代、伏儀時代(メソポタミア国家の時代)から商の太丁(ミケーネ・トロイが滅亡してギリシャ世界成立時)までの1886年間、第二期は赤の時代、周公から清の末期(紀元1900年・明治の中頃)までの3000年間、そして、第三期は今から未来10800年間を言います。この「三」はキリストが復活すると言う今の時期を言い、当時3日後と言ったのは奇跡の現実性を高め、信者を引きつけるための真実の封印でした。

また空海も唐に渡り慧果(けいか)という阿闍梨(師)を尋ねましたが、まだ縁が充ちず道が得ることができませんでした。辞世の句で弥勒の再来(三度目の生まれ変わる時)を待つと言い遺しました。道教・儒教・仏教の三教に通じれば「三」が青・赤・白の「三期」であることは当然知っていました。四国に八十八の札所を設けたのがその証になります。因みに赤の時代は、橋の色、神社の鳥居、寺院の柱や婚姻の衣装などみな赤でした。今はその三期目の白の時代の始まりの時にあたります。

次に、「嗅」と言う字は、「鼻」という字の上の「自」と「犬」という字を下にして左に「口」と書きます。原辞書には、犬の臭覚の管は極細いため匂いを嗅ぎ分けることが出来る意味とあり、この一字は、鼻の微妙な針の穴のような「口」である、と解くことが出来ます。これは釈迦が弟子の摩訶迦葉にこの法灯を伝え「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、粘華微笑、玄嚢鼻直、これを摩訶迦葉に附嘱す。」と伝えた「玄嚢鼻直」の「鼻の真直ぐ上の玄なるところ」の意味は、まさに「嗅」という一字に当たります。そしてその時に「作」、そのことを成し遂げる。そのこととは今まさに人類が対峙している所のこと、目前にしていることの真髄です。

3000年前から論語の中に組み込まれていたコードから,“かごめかごめ”のわらべ歌に秘められているように、日本にある「失われたアーク」が「真理」を護りながら、京都の祇園祭をはじめとする日本中のお祭りの神輿行列を楽しむ人々の調和に満ちた晴れやかな顔が、世界の平和に貢献してゆく姿を思い浮かべます。

Ray:諏訪湖のほとり、長野県岡谷市の市庁舎のホールに日本の国鳥の雉が天空を舞う絵が展覧されています。(題:惜春 作 杉原元人) 偶然はないと言われるように御柱の御膝元、諏訪で其の意義を知られる日を待つこの絵が、市庁舎を訪れる人々に気づかれる日が近いのではないでしょうか。孔子が発した天機の時、3000年の時を超え、日本のこの地から全国の八百万の鎮守の森に聖なる雉の澄み切ったなき声が響き渡っているように感じます。雉の背中に一輪の桜の花弁が見えます。

 2016年12月14日撮影

サナンダ : 2017年6月24日 [サナンダ・クマラ]

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きらきら星へようこそ...☆

 

サナンダ

Sananda 

 

2017年6月24日

June 24, 2017

 

パメラ・クレーバ経由

Via Pamela Kribbe

 

親愛なる同じ志を持つ仲間達、

Dear like-minded friends,

 

話しているわたしはヨシュア。

皆さんは、わたしの兄弟姉妹です。

わたしは、皆さんの上の高い地位にいる者としてではなく皆さんと等しい一人の友人、同僚として、ここで皆さんに参加しています。

わたし達がそれを通して結び付けられている、その同じ源泉を感じてください。

わたし達の間に流れるその生命を、わたし達を癒し自由にするその結び付きを、感じてください。

 

皆さんがこの集いの中で他の人々に対して行う場合と同じように、皆さん自身を尊重してください。

事実通りのありのままの皆さんと、この地球上の今ここで血肉を持つひとつの中にいる今回の旅の中で皆さんが引き受けてきた物事を自覚することによって、皆さん自身を評価する数々の手段を、尊重してください。

それは、ひとつの確信の飛躍でした。

 

そして皆さんの内部の奥深くには、それによって皆さんがここにいることを選択した、ひとつの信念、ひとつの勢い、ひとつの深い意識があります。

ひとりひとりの皆さんが、今回の転生、皆さんの現在の人生に対して、“はい”、と口にしました。

“はい”と口にしたその瞬間は、とても深い認識に基づいていました。

それにもかかわらず、他の地上の人生の経験に起因する古い数々の記憶のせいで、今も数々の疑いが依然として浮上し、それが曇った曖昧になる状況を引き起こしています。

皆さんは、今回の地上の冒険の中で道に迷った、ひとりだ、そして見捨てられたと感じてきました。

わたしは、わたしが経験したことがあるこの痛みを、認識しています。

 

わたしは、今まであらゆる物事を認識する啓発されたひとりの聖人として描かれてきました。

それはそのようなものではありませんでした。

何故なら、わたしは深い疑いと怖れを認識していたからです。

今それが皆さんの旅の不可欠な部分であるように、それはわたしの旅の不可欠な部分でした。

そのため、わたしの不完全さ、わたしの不具合の中で、わたしを理解してください。

わたしが地上で生きた時、わたしはわたしが証言したかったひとつの光に触発されました;言葉を超え、愛、驚き、美しさ、面白さ、そして叡智を含む、ひとつの光です。

それはわたしに起因するものではなく、まさに今の皆さんに当てはまるように、わたしを通した存在から与えられたものです。

しかしわたしはまた、皆さんと同じように、わたしの周りの人々からの理解の欠如、認められていないという感覚を経験することを通して、深い絶望を感じました。

それが、わたしがとても孤独な人々に手を差し伸べた理由です;肉体的にも情緒的にも痛みを感じて絶望していた人々、霊的な荒れ地の中にいる自分自身に気付いていた人々です。

わたしは、こうした人々を理解することができました。

何故なら、わたしは、わたし自身の内部で、その人々が経験していたその情緒、想い、そして考えを、経験していたからです。

 

人間の経験は、ここで皆さんの光が輝くために、その高みと深みのすべてと伴に、必要なものです。

皆さんが今皆さんの人生の中で闇として、暗影として、障害物として経験するもの、そのすべては、皆さんの旅の不可欠な部分です。

それは、皆さんが回避しようと試みるべきひとつの障害物ではありません。

それは、まさに皆さんが内部からひとつの石に光を当てて、それをひとつの美しい宝石の原石にすることができるように、こうした物事を受け入れて、皆さんのこころの光をそれにもたらそうとする皆さんの能力を上回るものを目的にしています。

それは、皆さんがそれに向かうように定められた仕事です:その闇を経験し、内側からそれを理解し、そして次にそれに光を当てて、人間の経験のすべての範囲を潜り抜けることであり;それを意識で包み込んで、それを徹底的に感じることです。

 

その時、キリストのエネルギーが、ひとりの人間の中で目覚めます-そして人間でいることは、これが起こることが求められます。

皆さんは、人間の経験の抵抗と深みが欠如している高度にエーテル的な領域の中では、そのエネルギーを、その特別な固有の力とキリストのエネルギーの煌めきを、発達させることはできません。

その時、外見的に皆さんを引き止めるもの、皆さんに抵抗を引き起こすもの、皆さんを失望させるまたは悩ますもの、そして皆さんの運命として皆さんが間違いなく激しく忌み嫌うもの、皆さんが今ここにいるその目的、それを、確認してください。

 

別の人間が内部から啓発する援助をすることは、魔法のようなひとつの経験であり、その時その人は、数々の奇跡を起こすことができるひとりの存在になります。

奇跡、そして突然の物質的な癒しと精神的な癒しという点に関して、わたしについての数々の物語があります。

しかしわたしが手にしたその力は、ひとつの奇術師に関する物語ではありませんでした;それは、それを通して数々の奇跡が起こるひとつの神秘的な奇術ではありませんでした。

わたしは、その機が熟した人々、その人々の人間性に関するわたしの深い理解を通してその内面の水準でのひとつの突破口を経験することを目指した人々に、手を差し出すことができました。

 

わたしは、その人々のありのままの姿、その人々の否定的または肯定的な側面について、断定的に判断しませんでした;わたしはただそこに居ただけです。

そして、自分達のわたしとの接触の中で愛を経験した人々がいて、その愛がその人々を損傷の無い状態にしました。

それはまるで、その人々の本質が、突然目覚めるように呼び出されたようなものでした。

そしてそれは、そういったひとつの奇跡的な瞬間の中で起こることです。

それは実際にわたしが行ったことではありませんでした。

それは、わたし達との間の交流の中で起こった事でした。

 

わたしがキリストの光を受け取り、それを他の人々に手渡すことができる状態を可能にしたものは、わたしが隠し事をしなかったという事実です。

そしてわたしが話の対象にしているこの開放性は、ひとりの人間として、ひとつの難局の経験を通して、かなり頻繁に達成されるものです。

皆さんは普通、皆さんが実際にキリストの光にこころを開く前に、起こるかもしれず起こらないかもしれない、あるいはそうあるべきまたはそうあるべきではない、すべての種類の信念に熱中します。

皆さんは、沢山の情緒や想いを創り出す数々の発想や思考パターンで溢れています。

皆さんは、皆さんがそれを回避する整然としたやり方を見付け出すことができないこれほど膨大な物事に突き当たるまで、そういった発想や思考パターンから、皆さんの世界を形作ろうとします。

そしてその時、皆さんの確実性、皆さんの信念や思考パターンのすべてが、押し流されます。

皆さんは、ひとつの深い穴に転落します。

そしてこれは、圧倒的な量の怖れを噴き出すことがあります。

 

また皆さんは、これを“魂の闇夜”と呼ぶこともできます。

そしてそれは、身の毛がよだつひとつの経験です。

それと同時に、皆さんが開放的になり、もはや皆さんは“正しい”やり方を認識しないことを自覚する可能性があります。

そしてその時、皆さんのある部分は諦める一方で、別の部分は開放的になります。

諦める部分は防御的で抵抗する部分であり、それはいつもさらに良く認識していると考え、性急で、あらゆる種類の人生に起因する物事を望み、要求します。

その部分は、しばしばひとつの危機の中で消え去ります。

そしてもしも皆さんが敢えてその部分を消し去るなら、その光は内部で輝き始めることができます。

皆さんはここで、ひとつの危機の経験、あまりにも多すぎて消化できない物事もまた、その光に対するひとつの開放性のための潜在能力を持つことを、確認することができます。

しかし、それは非常に強烈な経験です。

何故なら、その消え去る部分は消え去ることを望まず、しがみ付くことを望み-そのため抵抗するからです。

 

わたしは皆さんに、皆さんの光に反対し、一般的にその光に抗う、皆さんの中のその部分を思い起こすことを求めます:皆さんを通して淀みなく流れることを望む、大宇宙の光です。

皆さんの中の何かが、その可能性に対してそれ自体を護ることを望みます。

そのため、皆さんを通して、皆さんの身体のすべての部分を通して簡単にそして自由に流れて世界に出て行くその光を思い描くようにわたし達が皆さんに求める時、できればその躊躇いを感じてください。

この心象は皆さんの中で何を呼び起こしますか?

皆さんは、その可能性を認めることができますか?

皆さんは、それはいつも可能であると感じますか?

あるいは、皆さんの中に皆さんが護り庇うことを望む何かがあるでしょうか?

そして、その保護的な部分に目を向けて、ひとつの防御として皆さんの前にあるそれを、確認してください。

皆さん自身に、“何故わたしにはこの防御が必要なのか?”、と尋ねてください。

この防御性を深刻に受け止めてください。

何故なら、皆さんの中に、この防御を所定の位置に置くことを必要とする何かがあるからです。

その防御はいつもひとつの目的を持つため、皆さんの中のその部分を尊重してください。

それは、皆さんの非常に脆弱な部分を保護しようとしてそこにあります。

 

皆さんの中のどの部分が、その光を認めなくなるのでしょうか?

皆さんの中のどの部分が、余りにも多すぎて尋ねることができないもの、あるいは身の毛がよだつもの、あるいはさらに危険なものとして、それを経験するのでしょうか?

そして、皆さんがひとりの子供だと考えて、この部分に穏やかに近付いてください。

失望してしまったひとりの子供、その生命のエネルギーを内側に向けてしまったひとりの子供として、それを理解してください。

とても穏やかにこの子供に近付いて、そしてその美しい姿を確認してください。

それは、極端な脆弱性と防御性さえ携えながらも、依然として美しさを放ちます。

この子供の前に跪き、皆さんの寛容さと親切さでその子供を包み込んでください。

その子供が変わることを望むことなく、あるいはその子供に何も強要することを望むこともなく、穏やかな容認で跪いてください。

寛いだやり方で、この子供と一緒に静かに腰を下ろして、そして、皆さんがその防御の場所を引き受けることができる姿を感じてください。

今に至るまで、その子供は皆さんと外部の世界の間にあるこの防御的な障壁によって守られてきましたが、しかしこの盾もまた、皆さんと皆さんの最も深い感覚の間にあるひとつの障壁です。

 

皆さんがこの盾がある場所を引き受けることができるかどうかを、その子供に尋ねてください。

その子供に単純に尋ねてください:“あなたはわたしがあなたの面倒を見ることを許しますか?それであなたは大丈夫ですか?”。

誠実にそして率直に尋ねてください:“わたしはあなたを充分に守っていますか?”。そしてその子供に自由に話をさせてください。

もしかするとその子供は、こう話すかもしれません:“ちがう、わたしはちっとも安全じゃない、わたしは怖い”。

その子供が必要とするもの、あるいは、その子供に安全だと感じさせるために皆さんができることを、尋ねてください。

これを行うために時間を掛けてください。

何故なら、皆さんは、何度も繰り返し、皆さんの内面の子供とこの会話をする機会を持つことができるからです。

それはひとりの生きている存在であり、沢山の愛を持ち運び、そのため与えることができる沢山の愛を持つ、皆さんの一部です。

しかし、その子供は地上で安全だと感じるべきであり、それが皆さんの穏やかさと誠実さが必要になる理由です。

 

皆さんが皆さんの内面の子供を保護し護ろうとして防御の障壁、盾を設定してしまった時、皆さんは、もはや意識的にその子供と結び付いていません;その子供は、皆さんから隠れてしまいます。

皆さんは、例えば守勢から突き進むか、あるいは皆さんの人生の特定の時期に閉じ籠ります。

そして皆さんは、これが起こっている理由を認識しません。

皆さんは、怒り、あるいは失望し、あるいは落胆することがあります。

そしてこれは起こる時、その理由は、皆さんとその内面の子供との間で、機械的に反応するパターンが作動するからです。

この皆さんの内部の脆弱な子供との結び付きを新たにして、何度も繰り返し会話を始めることによって、皆さんは徐々にこうした機械的な反応のパターンを解消するひとつの方法-防御的な障壁-を見付け出すことができますが、しかしそれは、皆さん側の我慢強さと穏やかさが必要になります。

そしてその子供は、皆さんが、皆さんのこの脆弱な部分は回避または克服しなければならない障壁ではなく、そして排除すべきものではないことを非常に深く理解することを求めます。

 

それは、その子供を理解と愛で包み込むことによって、この子供を経由して、皆さんが成長することを、そして次に、キリストの光が皆さんの中で目覚めることを、意図しています。

堅苦しい発想や断定的判断や信念、そして永遠に皆さんが必要だと考えるもののために永遠に勉め格闘する状況は、消え去ります。

その代わりに、今皆さんの中には、配慮と驚きを通して何度も繰り返し皆さん自身を満足させようとする、積極性と開放性があります。

皆さんが驚くのは、既に皆さんが必要とするものと皆さんにとって良いものを認識していると考えることに対してではなく、皆さんは、敢えて皆さんの内面の子供の答えに対して、驚きます。

 

これが皆さんの道筋です。

何故なら、その魂は人間の経験から学ぶものを手にするからです。

時に皆さんは、天国を、魂がそこに属する世界を、ひとつの完璧な世界として、しかしまた皆さんが今まで追放されていたひとつの場所として、理解します。

その時皆さんは、不完全でしばしば異質な世界、これほど数多くの情緒が皆さんを押し潰す地球の中で生き残ることを強いられました。

そしてこれは、ひとつの罰のように感じます。

しかしそこから皆さんが現れた領域、魂が属する世界もまた、いずれも完璧ではありません。

本質的なことはそこで見失われます。

そして今まで皆さんがいつも転生に向けて確信に基づく賭けを選択してきたのは、これがその理由です。

それは生命それ自体-特に地球上で可能な-この手探りの探求、この深く強烈な経験の方法であり、それを通して、皆さんの理解、皆さんの我慢強さ、洞察力、そして思いやりは、深く実質的なものになります。

それが、地上の人生の霊的な意味です。

皆さんがここで経験することができる完璧さの一瞥-しばしば簡素な瞬間の中か、あるいは洞察力を通して、あるいは純粋な楽しみと美しさというひとつの経験の中で-そういった一瞥は、単純に天の数々の領域の中で何年もの間陶酔した状態でいるよりも、さらに多くの重みを携えます。

 

より少ない抵抗とより少ない起伏で調和した雰囲気の中にいることは、確かに素晴らしいことです。

そして皆さんは、それを切に望みます。

しかし、地上の人生の、今皆さんが経験しているものの美しさと深い霊的な価値を、否定しないでください。

皆さんが数々の光の領域に向けてここで体験するその経験、その叡智、そして突破口を、受け止めてください。

それでそういった領域は、これからはそのおかげでさらに多くの実質とさらに多くの活き活きとした特性を獲得することになるでしょう。

地球の領域と“反対側にある”領域の間には、継続する交流があります。

皆さん自身の人生を、価値あるものとして宝物にしてください。

皆さんは勇敢であり;皆さんは力強く活動し;そのように皆さん自身の光を認めてください。

 

わたしは、ここでわたし達が一緒にいることを楽しみます。

わたしがここにいる時、たとえわたしがひとつの身体の中にはいないとしても、わたしは幾つかの小さなやり方で人間になります。

そしてわたしはもう一度、人間でいることの意味を、その通り、その重荷を、しかしまた、明るさ、友情、そして団結の瞬間を、思い出します。

それは魂に深く触れます。

地上で築き上げられた友情の絆は、魂と一緒のままであり、自分達の努力を永遠に続けます。

そのため、地上の人生は、貴重なものです。

 

わたしは、一緒に居ることに対してすべての皆さんに感謝し、そしてわたしのこころから、ひとりひとりの皆さんに挨拶を送ります。

Translation by Maria Baes and Frank Tehan.
» Source – Channel: Pamela Kribbe

http://sananda.website/sananda-via-pamela-kribbe/

 

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。

転載される場合には、出典を明記してください。

聖母マリア:皆さんはわたしの最愛なる子供達であり、そしてわたし達は故郷への道筋のうえでひとつ!!! [聖母マリア]

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きらきら星へようこそ...☆

 

聖母マリア

Mother Mary

 

皆さんはわたしの最愛なる子供達であり、そしてわたし達は故郷への道筋のうえでひとつ!!!

You Are My Beloved Children, and We Are One on the Path to Home!!!

 

June 13, 2017

June 25, 2017

 

スーザン・リランド経由

Via Susan Leland

 

“You Are My Beloved Children,and We Are One on the Path to Home!!!”

Ashtar On The Road Teleconference

June 13, 2017

 

 

こんにちは、わたしの本当に最愛なる子供達、それは、皆さんはすべて愛の子供達だからです!

皆さんはすべて、光の子供達です。

そのため、わたし達はわたし達の愛の家族の中でひとつであるということは、その通りです。

それでわたしは、自信を持って皆さんの所に現れます。

わたしは、今の皆さんであるその光を確認し、そして皆さんの愛だけではなく、その通り、数々の答えをもたらす際に、神聖なる光の担い手達、光の持ち主達、そして光の活動家達として、ここで皆さんに挨拶を送り、皆さんに参加します。

そのひとつの答えは、いつも愛です!!!

そして皆さんは、既に充分に学んでいます。

そしてその通り、わたしは、それが皆さんにとってそれほど暗く見えた時期があったことを、皆さんが実際に内部のその光を確認できなかったことを、認識しています。

そして、わたしは今もそこで皆さんと一緒にいて、皆さんの光彩は決して消え去ることはない、と確信してきたことを、認識してください。

それは時に覆い隠されていたかもしれませんが、しかしそれは、皆さんの内部でいつも鮮やかなままです!

そのため、皆さんはまさに今、皆さんという光を確認しています!

数多くの皆さんにとって、それは皆さんが今の事実通りの皆さんとして皆さん自身を認識して以降、ひとつの生涯を上回るものでした。

わたしが唯一皆さんに勧めることができるのは、皆さんがさらに多くの-さらに鮮やかでさらに鮮やかでさらに鮮やかな-光に向けて、皆さんのこころの内部、皆さんの神聖なる自己の内部のその光彩を広げることだけです。

何故なら、皆さんがそれを行う時、皆さんはその光を世界と共有するからです。

わたし達は、ひとりひとりの皆さんのありのままの姿の壮麗さと伴に、世界を祝福する際に、皆さんに参加します!!!

 

そして、すべての存在、愛の光の仲間のすべてが、わたし達と一緒に参加します!

そのためそれは、この光がさらにより一層その光線、その輝き、太陽-巨大中心太陽から現れているその波動によって、強化されます。

そしてさらに今、皆さん自身の太陽は、惑星地球のすべてに、そして実際にそれが光を当てる太陽系のすべてに、こうした光を反射しています!

 

最愛なる皆さん、世界は、皆さんが立ち上がり、いつも愛の光の中でひとつである皆さんのその部分-さらに高い次元の数々の現実性の愛の光-に参加し、そして身体の密度の中に宿る皆さんのその部分が変わっているという認識に目覚めることを、待ち続けています。

それで皆さんは、皆さんという存在にそれを迎え入れ、次にそれを照らし出すことによって、さらに多くの奉仕さえも行います。

 

わたしの美しい燦然と輝く子供達、そのすべては、あらゆる皆さんひとりひとりの内部で始まります。

そして一緒に、わたし達は一緒に世界のすべて-そして実際にこの惑星を超えた数々の惑星-のために、その道に光を当て、その後に従い、そしてその素晴らしい至福、その素晴らしい安らぎ、その素晴らしい歓びを含めてただ愛と愛が創り出す全てだけがある場所に向かいます!

そのため、わたしが皆さんを抱き締めるように、皆さん自身とお互いを抱き締めてください。

そしてわたし達が最後の数分または最後の日々を通過する時には、あるいは-わたしにとってそれはすべて終わったことですが-皆さんがその惑星地球の3番目の次元に残っているものをどれほど確認することを望むとしても、わたし達のこの愛に溢れる交わりの中に留まることにしましょう!

 

今までわたし達は、わたし達の一体性の中で、力を合わせてここまで一緒にきて、成功を収めています。

わたし達は、故郷への道筋の上を一緒に移動しています!!!

そしてそう、わたしは一部の皆さんが疲れていることを認識しています。

そして一部の皆さんは、まさにかつての皆さんと同じように若いままだと感じている訳ではありません。

そして最愛なる皆さん、皆さんのために、わたしはさらに近くで皆さんを抱き締めます!

わたしに皆さんを支援させてください。

皆さんがどれほど数多くの生涯を生きてきたか、そして皆さんが今回の生涯の中でどれ程数多くの年月を生きてきたかにかかわらず、もしも皆さんの誰かが何らかの失望または疲労を感じるなら、わたしの愛が皆さんを支えることを許すことによって皆さんが回復して、さらに皆さんのこころ、皆さんという存在になることができるように、わたしに皆さんとわたしの愛を共有させてください!

 

今はもう、黄金時代に行くためにそれほど遠くまで進む必要はありません!!!

お互いを待ちながら、そして今、わたし達すべてが共有するその光の中を一緒に移動しながら、長い間待ち望んできた惑星地球の黄金時代に向かうわたし達の最後の歩みを強化しながら、わたし達すべてが立ち止まって、その道筋の上でもう一度協力することにしましょう。

わたしの最愛なる子供達、わたしは歓びと伴に皆さんの進歩に光を照らし、そして、わたし達がこの時期に成功を収めている状況の絶対的な確実性を、皆さんに伝えます!!!

何故なら、それは既にさらに高い数々の領域の中で達成されて、そのためそれは下と上とそれ以上にいる惑星地球のすべての存在のために唯一の現実性になる運命になり、わたし達の関与と献身によって、愛に向かう故郷への道の上で進み続けることができるようになっているからです!

 

そしてわたしは皆さんを愛し、そしてわたしやここで皆さんと一緒にいるすべての存在達同じようにわたし達の創造主によって同じ愛の光から創り出されたわたしの子供達として、皆さんすべてを祝福します。

そのためそれは、わたし達は本質的にお互いとひとつであるということです。

そしてわたしは皆さんすべてを認識し、従って-例えわたし達がひとつで愛の光の中で同じだとしても-皆さんをわたしの子供達として確認します!

皆さんをわたしの子供達と呼ぶ際にわたしがわたしにとっての皆さんの特別性を表わすことを、許してください。

 

わたしは皆さんを神聖なる人々として称え、わたし達の惑星地球上-またはどの場所でも-の最も聖なる使命に共に参加するために現れています!!!

そのためここにきて、手とこころを繋いで、黄金時代とあらゆる皆さんひとりひとりのために黄金時代が手にする無限の愛のすべてに向けたこの残りの道を、一緒に歩むことにしましょう。

 

そしてその通りに。皆さんの内なる神を拝して!

And so it is. Namaste!”


http://www.ashtarontheroad.com/mother-mary-my-beloved-children.html
Transcription by Marta.
Given through Susan Leland, June 13, 2017. www.AshtarontheRoad.com

Ashtar On The Road Publications 2004-2017. All rights reserved; however, this is a gift to all of us and it may be distributed freely on condition that all accreditation is acknowledged and that no part is altered or deleted.

http://sananda.website/mother-mary-via-susan-leland-june-1/

 

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。

転載される場合には、出典を明記してください。


Beneficiary‘s Personal Pension Fund(5)~日本の道州制は世界の統治モデル、静かに蛻変(ぜいへん)し始めます

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Beneficiary‘s Personal Pension Fund(個人生涯年金基金)

類愛・世界愛・生命愛

21世紀、世界は公のものとなり,あらゆるものは人類の共有となります。

人種や国家の壁は取り払われ、人々は好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由な交易が行われます。

民族愛・国家愛は、人類愛・世界愛・生命愛に変わり、人々は互いに慈しみ通じ合います。

老人は皆自分の親とみなし、すべての子供は、自分の息子や娘とみなされ、愛着をもって大切にされるようになります。

国は相互扶助の本体として再生し、人々は道徳を以って相互扶助を実践します。

自己の能力を生かし、天職を尽くして、奉仕貢献する者には尽きることのない報酬が約束されます。

やがて、人々の安全は保証され、恐怖や不安がなくなり、力ずくで搾取する必要もなくなります。

人生の目的は、競争ではなく助け合うことに変わり、助け合うことによって進化しつづけます。

以前のことは過ぎ去って、悲しみや苦しみもなく、全てのものが新しくなって人生最高の幸福をしみじみと味わうようになります。

人類の尊厳は復活し、真理を尊び、この理念に準じて永久に栄えます。

 

【プロジェクト概要】

Beneficiary's Personal Penshin Fund (個人生涯年金基金) のBeneficiaryは、聖なる報酬に由来し、天に代わって奉仕をする者への報酬を意味します。 

BPPFは、相互扶助(Mutual Aid)社会を創造するため、一元化された世界の公共信託基金から個人に信託される個人生涯年金基金です。生活の安心・安全が保証され、全人類の創意によって一体化を推進します。

世界の情勢が大きく変わってきた今、市民一人一人が直接世界の金融経済を担う第一歩となるよう発進します。 このプランが神々の助言とその役目を担う方々によってさらに進化してゆくことを願っています。

統治体および全ての公益団体(非営利事業体)の財源も、人類の総意により一元化された公益信託基金からダイレクトに信託されます。

OPPTは、世界の金融経済を大転換させるため、地球人類の資金・資産・資源の一元化を諮り、NESARAは、統治体と地域の安定、平和共存・文明の融合を実現するため、そしてBPPFは、個人の尊厳と生活の安全・安心を守り人類と宇宙の進化を諮ります。この3つは一つのクォンタムな相互扶助システムです。                  

【聖なるトランス・コア・プロジェクト】

第一次産業を中心に地球環境問題(大地と水の母なる地球への奉仕)で柱となるいくつかのプロジェクトは実業経済社会との交流点となります。衣食住の食の問題の交流点となる工場農業システムはプロジェクトごとに個性的に提案されます。国際的な技術交流・調査研究・コミュニケーション・システムなどの互換機能を整えながら、宇宙からの超科学情報や技術供与も踏まえ、地域評議会が整備されます。

銀河系の星間機構を前提として、中国古代の「九鼎大呂」のようにアジアの中心が定まれば、世界は九つの地域に統配合され、その九大部洲の融合によって世界が一つになることが伝承されてきました。地政上、日本の「道州制:一道(北海道)、九州(東北・関東・北陸・東海・中部・関西・中国・四国・九州)」がそのモデルとして進行しています。

5500年前、新たなタイムラインに人類の総決算の歴史が始まり、古代日本の地勢規範が中国(中華)の中原「洛陽」に降されました。伏儀の先天八卦で万物の化育を表し、神農が医療や農業、衣冠や度量衡が伝えられました。新しい時代は万物が「一に帰する」ため、5千年よりさらに遡って地球の超古代復興に向けて準備を整えてゆきます。すでに国際的な原住民問題や縄文への古道復興など流行の兆しが見え始めています。

【新しい生活習慣、移動】

現在の生活習慣の中心となっている移動の目的は、いくつかのパターンに分けられます。仕事、観光、買物、通学、医療、スポーツなどで、時間と空間の移動を刑務所の行動計画と同じように例えることができます。制約から制約へと個の尊厳が不在の移動パターンです。

この常習すべてを転換する人間の存在意義である「移動あるいは旅」が新しい生活習慣の真価を高めてゆきます。

本来、非常にシンプルでピュアな新しい生活習慣は、常に経済という巨大なエゴの壁に阻まれ、多くの先駆者もこの壁を越える事が出来ず「遷移」の本質を見極める者は希少でした。

日常の行動パターン、人類の生活全般の詳細、特に消費行動はいくつかの世界数箇所に設置されたスーパー・コンピューターによって監視され、その心理行動は消費と言う幻覚に苛まれ、リアルタイムに誘導されてきました。個の分散が拡大され、その恐怖によって自らを癒す機会をことごとく塞がれてきました。

今、緊急に必要なことは、左の手のひらに過去の生活習慣を乗せて、継続的かつ意図的にコントロールして、実践的に自在に活用して個の尊厳を回復させ、その成果を観察しながら、もう一方の右の手のひらに新しい生活習慣を創造してゆくという大胆な策を労し、それによってさらに策を超えた策を生みだすことです。

一方、世界の変化の本質を掴めない人々は、現実を経済や貨幣という幻想の生活感触でとらえ、Personalあるいは相互扶助によってこれらの幻を消滅できる、という本質・真実には意識ショートしてしまいます。大多数は外の様子が全く分からず“確かな目に見える証拠”に頑なに固執して、洗脳されていることにまったく気がつきません。

【プロジェクトのためのプロジェクト】

BPPFを実現するためには、ソフトランディングを目的とした典型的ないくつかのプロジェクトを積み重ねてゆきます。既存の押し付けの改革ではなく、守旧的な妨げも補完し、一貫した理念を掲げ、人々の尊厳と自由と平等を保証しながら無理なく、理解できる段階に至った時に、相互扶助による社会システムに転換します。

【新しい一時的な金融システム】

通貨、債権、株式、金などの現物市場と連動して価格が変動する商品を対象にしたデリバティブ取引きなどは典型的なフェイク(Faku)で、搾取のために意図的な環境をつくるツールです。サブプライムを契機にこれらの既存の金融の矛盾を徐々に規制し、バーゼルⅡなど銀行業務やG20の目論んだ国際金融機関の健全化などが試行されてきました。しかしこれらの改革は、過去の統治におけるリストラクションと同様に明確な着地点がないまま、あるものは曖昧な改革で、当面の目標は金の裏づけによる新しい貨幣の発行が過去の違法システムに変わる一時的な新しい金融システムに位置づけられています。

【蛻変(ぜいへん),クォンタムな移行】

蝉は、与えられた環境の中で、卵が幼虫になり、さなぎになり、羽化して成虫になっていきます。蝉のようにその都度脱皮を繰り返し形を変化させることを蛻変(ぜいへん)といいます。

新しい金融システムが一時的なシステムである理由として、地球の気候変動に例えれば、地球全域が温暖な地中海気候に大変動するために、科学的には測りがたい、水・火・風の超自然な地球生命の調整が行われています。同じように統治・教育・医療・科学・産業などあらゆる分野で「一体化」という原点に還る流れが始まり、全体の混乱に巻き込まれやすい状況になっています。

それは、金融システムが社会を分断し、人類が自ら作り上げてきた社会機構そのものが人類の蛻変(ぜいへん)を妨げてきた結果です。BPPFの一時的な社会システムがこの問題の解決策になるのは、代替案ではなく「後退や混乱を防ぐ」手段であり「自覚や覚醒を促進」する触媒であるためです。油の汚れをきれいな油で落とすように、今世界で検討されている新通貨の発行、金融機関の再編などは旧体制のデドックス効果の役割を果たしてゆきます。

【金融システムは消滅する】

金融システムが無くなる過程のパニックを回避するには、世界の国々の合意形成と、地球市民の覚醒によります。世界各国の合意形成は仮装しながら着々と進行していますが、多くの金融当事者は利害の枠を超えることができません。つまり真実の目的がわからないまま進行しています。又地球市民の覚醒テンポは、行政の意識改革が先行すれば効果的ですが、実際公務員等の統治体の守旧要員は、社会や経済の歪が限界に達しているにも関わらず、問題点を業務上の机上操作(法の解釈)や小手先の対面サービスに転化しています。その悪癖は、経済が厳しくなればなるほど露出し、やがて責任回避の内部崩壊と自浄効果を起こしてきます。国も地方自治体も再建不能に陥るような多額の赤字を抱えていますが,奇しくもこのことが世界の合意形成を促進するキーワードになる可能性が高まっています。

【世界の国々の合意形成】

世界経済の低迷が続く中で、アジアと西欧、北と南、先進国と後進国、資源と技術、貿易と為替、オン・マーケットとオフ・マーケット…など複雑な統治や経済の枠組みの中で、それぞれに利害調整や独自の提案がなされてきています。複雑化の利点をポジティブに見れば、分断化が行過ぎたため“産学協同”のように明らかに統合したほうが合理的だということが噴出して、隠蔽してきた問題が公になったことでした。情報化がこれをバックアップして巧妙な搾取手法が次第に露呈したため、権力の抵抗はあらゆる分野で暴力を正当化する露骨な動きを続けてきました。

こうした傾向は、G7・G8・G20など先進国首脳会議に対し、ブラジル連邦共和国・ロシア連邦(旧 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)・インド共和国・中華人民共和国・南アフリカ共和国の社会主義を包括した共和国共同体BRICSの活動方針に強く影響し、それは、ちょうど1798年2月15日、市民が教皇国家の権力崩壊とローマ共和国の成立を宣言し、ローマを占領していたフランス軍によってその市民の勇気ある行為が公認された当時のシナリオが、まもなくアメリカ合衆国の市民と地球連合軍によって再現され、世界196カ国すべてのさらなる合意形成に重要なステップとなります。

この合意形成は、貨幣や市場など金融経済の問題にとどまらず、国連における国家のバチカン承認権、君主の任命権、国際司法の裁量権などなど、今までの世界統治機構に代わる斬新で暫定的な仮合意のステップアップが諮られてゆきます。又一方では経済発展のためプロジェクトの見直しが盛んになり、その資金調達の動きも公開されるようになります。いずれもクォンタムな合意形成に貢献してゆきます。

また、世界経済再生計画として取り上げられている、石油・天然ガス・石炭などの大型プロジェクトは環境問題がさらに顕著になる段階に入ります。ほとんどの大規模資源開発・インフラプロジェクトはスローダウンし、全く新しい地球環境再生プロジェクトがスタートすることになります。

現在の金融システムで市民生活を継続させながら、市民監視の下に旧体制内の新しい金融改革を進めながら、相互扶助(Mutual Aid)による、受益者のための受益者による金融システムが新旧金融システムと連携し、市民生活に支障がなくなった時点で相互扶助(Mutual Aid)独自の金融システムが従来のすべての金融システムを吸収統合する仕組みになります。

BPPFの発効時に、受益者に対し安全・安心の独自性と運用面の信頼性を担保することが必要となり、安全で円滑に移行するには、受益者が新・旧どちらを利用する場合でも、あるいは併用する場合でも、その透明性と有用性がシステム全体を補完し続けるという保証を明確にします。それが、個人のBPPFと世界の金融経済を市民が運営するという自覚に繋がる転換点になります。やがてまもなく金融システム・貨幣経済の消滅を受益者が自ら完成させます。

そのため「金融」と言う生活手段が人類史上で果たしてきた役割、それが現在の生活意識に与えている影響を観察して、クォンタムな進化を促す「社会再評価」のステップを踏んでゆきます。

 

観音菩薩伝~第8話  妙荘王、ルナフールを罰す、第9話 王妃逝去され妙善姫、修行に専心する決意を固める

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第8話  妙荘王、ルナフールを罰す

 カシャーバは、一隊の精鋭を引率して興林国に帰り着くと、同時に意外な消息を聞いて驚きました。それは、慈愛深い王妃宝徳妃の逝去でありました。前々月の十九日の夜に世を去れたことを聞いたカシャーバは、指折り数えてみたところ、ちょうど逝去の日が須弥山で白蓮を見付けた日と時刻までもが一致していたことを知りました。
 これは、不思議なことだ。こんな二つの大事件発生の日時が完全に一致するのは、そこに何かの因縁があるからに違いない。これは只の偶然の一致ではないと思い、カシャーバは兵士たちを兵営に帰舎させるや、休む間もなく急ぎ宮殿に参内して復命しました。
 妙荘王は悲しみに暮れていたが、カシャーバの帰りを心から待ち望んでいました。カシャーバは先ず心から王妃の逝去を悼み、続いて道中の苦難、沿路の険阻から雪中に白蓮を発見した顛末を一部始終報告しました。
 妙荘王は、妃の逝去で心中が愁傷で顛倒していた丁度その時に白蓮の消えたことを聞いて更に驚き、胸を掻きむしられる想いでした。無理に笑顔を繕って、カシャーバの労を慰め犒いました。雪連峰の奇蹟が事実と解って悦ぶべきところであるが、妙荘王の心は鉛のように重く、苦悶に塞ぎ込む一方でした。それは、他ならぬルナフールの事です。

 ここで話は少し前に戻りますが、カシャーバ一行が出発した数日後、妃が急に病を患いました。初め自覚症状はなかったが、ただ精神的に気分が勝れず、それが日の経つに連れて重くなり、やがて終日昏睡状態が続くようになりました。時に覚めても人と話すのを好まず、話をしないとまた眠ってしまうので妙荘王は不思議に思い、宮医を召し入れて詳しく診察させました。
 ところが驚いた事に、六脈が全然ありません。医者を換えてみたが、みな異口同音に何の病状かも判断が付かず、従って薬の調合の仕様もありません。妙荘王は慌てて諸大臣を招集し、このことについて相談しました。アナーラは前に進んで、
「先日、ルナフールは医薬を研究していると聞きましたが、老臣の見たところ、彼には相当の来歴があるように感じられます。何か特別な才能があるかも知れません。今は軟禁中ですが、彼を喚問して診させては如何でございましょう。もしかすると、王妃様の奇病を治すことが出来るかも知れません」
「これは、よい事を思い付いてくれた。直ぐ此処へ喚べ」
と、自衛官にルナフールの召喚を命じました。
 妙荘王は、ルナフールが登殿するや否や急き込んで
「汝は、妃の病気を治すことができるか」
するとルナフールは
「脈を診て始めて、治せるか否かが分かります」
「それでは直ぐ妃の症状を診てくれ」
 妙荘王は、侍女に命じてルナフールを宮中に案内させました。小半時ほどしてルナフールが殿内に戻って来ますと、待ち焦がれていた王は早速尋ねました。
「どうであったか」
 ルナフールは、首を横に振って
「もう、いけません。王妃様には、六脈が全くありません。これは即ち魂が昇り、魄が降った徴候です。初めに手を執りました時に、已に六脈は絶えていました。後で詳しく計りますと、微かな一縷の気脈しかありません。それが、止まったかと思えば亦動きます。直ぐに危険はありませんが、目下のところ神魂は已に躯から離れています。寿命は、恐らく七日間を超えることがないと存じます」
「それは、如何なる理由によるのか」
「それは大概の場合、前世の罪が未だ果たされていないため、なお幾日か床の間での災いを受けなければ、気が絶えることはないということでございます」
 妙荘王は、この事を聞いて腸が寸断され、心は針で刺されたようで、涙が止めどなく頬を流れました。
「王妃のこの患いは一体何の原因から起こったのか、何とか癒す方法はないのか、どのような犠牲でも払うから、妃の命だけは助けてくれ」
 妙荘王は、哀願にも似た悲しい声を上げました。ルナフールは嘆息して
「王妃様の病気を治すには、お釈迦様の家薬である炉内の丹薬を得て厚生する以外に方法はありません。王様、万に一つの希望も持たれますな。それよりも、早く王妃様の後事をご心配なされたら如何でしょうか」
 妙荘王は、哀しさを堪えて
「果たして妃は、何の病症に罹っているのか。遠慮せず、余に答えるがよい」
 ルナフールは、屹と頭を挙げ、じっと妙荘王を正視して
「この病気の起因は、短い期間に作られたものではありません。実は、人としてこの世に転生し、智識が開かれるに従って、喜怒哀懼愛悪慾の七情を内に感じ、色声香味触法の六賊がこれを外へ誘い出します。それによって凝り固まった人間の精・気・神を擾し、これを擾乱分散させてしまいます。故に人生は、短い一場の春夢の如くになってしまいます。長寿と言いましてもせいぜい百年に過ぎず、精・気・神が完全に散失した時には永眠を免れません。況や王妃様は高貴の身分にお生まれになりましたので、表面は何事も常人より好いようですが、その実七情・六賊に冒される度合いも大きく、常人より凶悪で精・気・神の崩壊も特に早いのでございます。常日頃、妄りに殺生して口腹を充たしたがためにそれが悪業となり、このような病床の災いとなったのでございます。只、業の満ち了るのを待って気は絶たれましょう。もし強いてこの病を名付けるなら、『七情六慾症』と診断できましょう。治癒の方法は、絶対にございません」
 妙荘王は、聞き終わるや否や、怒髪当に冠を衝き大声で叱責しました。
「狂人奴が、口を慎め。汝はこの奇病を治し得ないならそれでもよい、よくも大胆にいい加減な虚言を造って自分の愚庸を掩い隠し、国母を侮辱したものだ。こんな者は、許して置けぬ」
 そう言ったかと思うと、左右の護衛官に向かって
「この小賢しい奴を雁字搦めに梱縛して、一刀の下に処刑せよ」
と声を震わせて命じました。両側の護衛官は、これを聞くや一斉にルナフールを取り押さえ、結び目を固く縛り上げ刑場へ連行しました。刑の執行官は、寒気人に逼るような鋭利な剣を持って刑場で待っていました。そこへ護衛官がルナフールを引き摺り出し、土下座させました。
 妙荘王が高台で処刑を待っていたその時、突然アナーラが急ぎ大股で入って来て
「王様、暫くお怒りを収めて老臣の話をお聞き下さい。ルナフールの無礼は誅するに値しましょうが、只今王妃様は危篤状態で、正に生死の境を彷徨っておられます。なお一つの良い療法も考えられないで、徒に殺人を行うことは甚だ宜しくありません。老臣の愚見によれば、それより彼を赦して、別に王妃様のご病気を治す良策をお考えになられたら如何でございましょう」
 妙荘王は、不満ながら一理ありと考え直して
「老卿が替わって命乞いをしたから、特に卿の顔を立てて赦してやろう。ただし死罪は赦しても、活罪は赦す訳にはゆかぬ。彼を二百の大棒の刑に処し、牢獄に禁固して罪に服させよ」
 アナーラは
「只、彼の命を赦していただきさえすれば、その上何を申しましょう」
と王の恩徳を謝しました。
 武官は、ルナフールを縛り地に倒し、続いて大棒を振るって二百打ちました。傷口から鮮血が吹き出し、体中が紫色に腫れ上がったが、ルナフールは呻き声一つ上げません。大棒二百の刑を終えた後は、死刑囚の牢獄に押送して両手に手錠を掛け、両足を鎖で縛り、首に首枷を嵌め、扉を釘で固く打ち付けました。正しく活地獄の刑法です。
 ところが第六日目の夜、獄官がルナフールの牢獄を調べに来て愕きました。ルナフールの姿形が、跡形もないのです。手錠や鉄の鎖や枷が剥ぎ取られ、それらが一面に散らばっているだけでした。獄官は慌てて牢役人を集めて訊問したが、みな異口同音に
「先刻までは、固く鎖に縛られていました。彼は重犯なので、私たちは更に大紐で頭髪を括って高く吊っておきました。門も開かれず、戸も開けられていないのに、どうして逃走できたのでしょう」
 不気味な空気が漂って、一同は灯火を翳して牢内を隈無く捜しましたが何の痕跡も見付かりません。獄官が事の重大さを察して急ぎ執刑大臣に報告するや、執刑大臣は事態の大きさに肝を潰して、深夜に関わらず急ぎ参内して妙荘王に奏上しました。ちょうど妃の事で会議を開いていた妙荘王は、焦燥と憂悶で気が立っていた時なので、一時に怒りが爆発し
「即座に執刑大臣を解職し、獄官を斬首して、後の戒めとせよ」
との旨を宣しましたが、心の中では早く誰かを派遣してルナフールを捜し出さねばならないと考えました。その時宮女が慌てて登殿して地に伏し
「申し上げます。王妃様は、たった今ご逝去遊ばされました」
妙荘王は、一瞬眼の前が暗くなり暫く呆然としていたが、急に立ち上がりルナフールの事も忘れて足早に後宮に入って行きました。
 王妃は医者たちが手を束ねてから日一日と病状が重くなり、薬石効無く九月十九日の夜遂に息を引き取ってしまいました。
 妙荘王は、声を上げて慟哭しました。妃の死は妙荘王にとっては大打撃であり、悲しさと孤独がヒシヒシと胸に迫りました。王妃の内助の功は妙荘王の善政に関わりが深かったため、あたかも自分の親を失ったように啜り哭く声が家々に聞こえ、国民はみな優しく慈愛に満ちた王妃の死を悼み悲しみました。

第9話  王妃逝去され妙善姫、修行に専心する決意を固める

 姫が怪我をしてからと言うもの王妃は、姫の挙動には格別の注意を払い、常に四・五名の宮女を身辺に侍らせて保護させ、閑なときでも姫が外へ遊びに出るのを制限しました。宮女達には、姫と一緒に危険な遊びに同調したり相手になった場合は厳しく罰すると命令しました。
 姫は宮女達に迷惑が掛かっては自分の罪になると思って、温和しく宮中で坐行に励み、常に瞑想し、書籍・経典を読み耽って、閑な折りには二人の姉姫と琴を奏でて共に寂寞を慰め合っていました。
 暫くは何事もなかったが、図らずも母君が重病を患ってしまいました。その時姫は僅か七歳でしたが、夙根深く、天性厚く、母君の疾病を見て万々の焦慮を感じ、孝心深く終日神仏に祈願し天地に救いを求めました。
 姫・妙善は、母君の病気中、昼夜を分かたず身を介抱に尽くしました。
「どうぞ、私の寿命を短縮してでも、母君の寿命を延ばして上げて下さいませ」
しかし姫の祈る厚い心に関わらず、王妃の病は日々に重くなるばかりでした。姫は甲斐甲斐しく薬を献じ、茶湯を上げるなど、母君の身辺一切は自分の手で面倒を見ました。王妃が何時目を覚ましても、常に姫は側にいて離れず看護を尽くしました。母君の苦しみを見かねて姫は、更に願を掛けて祈りました。
「一生を弥陀に帰依し、衆生を救いますから、どうぞ母君を延寿させて下さいませ」
姫は悲壮な覚悟で祷りましたが、王妃の病状は日ごとに悪化する一方で、死期が日一日と逼っていました。九月十九日の夜、王妃は力なく眼を開け、側に座っている妙善姫の手を執って
「吾が心の姫よ。母は、そなたの成長を待つことが出来ません。中途でそなたを捨てて別離して行くのは、真に忍びないことです。だが母が死んだ後、そなたはよく父君にお仕えして、決して拗ね逆らってはなりません。父君の感情を損ねないように、母の言うことをくれぐれもよく聞くのですよ」
 ここまで言って王妃は嗚咽で言葉が続かず、両頬には二筋の涙が流れました。この母君の臨終の際に残した遺言は、姫の小さな心を針で刺し、刀で腸を抉られる思いでした。熱涙は止めどなく流れ、悲哀の情が高まって目先が一瞬真っ暗になったと思うや、床上に昏倒してしまいました。その瞬間に、王妃は遂に永遠に去って逝きました。
 姫は介抱されてやっと気が付きましたが、王妃の逝去を知らされるや、一層激しく身を震わせて慟哭しました。食事も碌に喉を通らず、七日七夜、室内に閉じ籠もり嘆き悲しみました。最も親愛する母君に去られた幼女の心は、哀れというほかありません。
 しかし、この哀哭の中に、姫は一つの霊機を悟りました。所詮人の世は常ならず、生あるものは必ず滅し、有為は転変して栄枯盛衰・離合集散は限りがない。如何に愛する人であろうとも、遅かれ早かれ別れなければならない諸行無常を、姫はこの時切実に身を以て体験しました。
 高貴な身分の母君でさえも死ななければならないのに、況や一般の衆生においておや、例え王座・権力を有する父君であろうとも、この問題に対する解決方法は見出せないでしょう。人間は誰しも、立場と環境に合わせて、その器なりの悟りに到達するものでありましょう。姫は、密かに想いました。
「母君は、私を生み育てて下さった、どれほど御苦労を重ねて今日まで撫養愛育して下さったことか。この厚い恩徳に対して少しも報うことが出来ないままに、母君は私を棄てて往かれた。私の罪は、非常に重いに違いない。王女の身分でありながらこんなに苦しいのに、一般の人はもっと苦しいに相違ない」と。
 姫の想いは、いよいよ深くなっていくばかりです。この罪を滅ぼすにはどうすればよいのか、姫は一つの問題を真剣に考え始めました。ある日姫の心の中に、大きな閃きが感じられました。
 慈悲深い弥陀とその証者仏陀の得られた道に一心に帰依して、救いを求める以外に方法はない。仏陀が求められた心法は、三界十方を超越して一切の苦厄を救い、九玄七祖共に極楽浄土に返らせる大法力である。今直ちに罪を懺悔して修行を志せば、必ずや一条の光明があるに違いない。よし、決心して身を棄て、仏門に帰依しよう。そうすれば、母君の高恩大徳に報いられるに違いない。母君を救うには、私の功徳が是非必要である。そう決意した姫は、宿願が実現するまでは、この事を誰にも言うまいと心に決めました。
 その日から姫は、終日経典の参悟に没頭し、礼拝に努め、長い光陰を総てこの中に費やしました。はっきりした目標を定め真の生き甲斐を得た姫は、魚が水を得たように心から歓喜し、日一日と磨きを掛けるに従い、その成長と進歩は驚くばかりでした。
 あらゆる経典を克明に読み、丹念に調べ、経義を細密に参悟しているうちに仏陀の真髄が分かってきました。悟れば悟るほどに真実を極めた玄妙の理は、姫の心を捉え、姫の全霊を傾倒させるに到りました。
 姫は瞑想・参悟が進むに連れて、仏陀の得られた道に一つの大事を悟りました。それは、今まで仏陀の得られた道であろうと信じ奉じて進む僧侶達に大きな誤りがあったことです。誰しも徒に形式と念経に力を注ぎ、心の伴わない戒律と勤行を科し、仏陀の得た法と全く遠く懸け離れた行法をしていたことであります。
 更に姫の心中に一つの思索が纏まり、結論に到りました。
「一般の信仰を見るに、ほとんどの者は現世の利益を願い、物慾の満足を条件に帰依して行を修めている。涅槃の道を得るには、そのような心掛けではとても到れるものではない。仏陀の真宗は、永遠に霊的の逍遙自在を得るものである。生死の輪廻を断ち切るには、それらの雑念と慾情を棄てなければならない。棄てなければ更に因果を造ってますます輪廻を余儀なくされるはずで、この繰り返しは尽きない」
 姫は亦、仏陀の真伝は教外別伝であり、一般に信奉されているのは形式的なものであり、真髄ではない。真髄は不立文字であり、どんな経典にも載っている筈のないものであることを発見しました。この事を悟った姫は、今度は一途にその法を得たいとの念に駆られてきました。姫は一心不乱に繰り返し経典を入念に調べ尽くしましたが、心霊を打つべき真髄はやはり何れにも載っていません。姫は、その至上教法を悟得したいと心中に念じました。
「仏・法・僧の三宝は、別の意義があるはずである。仏が求め得た法であって、仏の法であってはならない。法を得るための僧でなければならない。法は眼で見分けが出来るものではなく、全霊に刻み込まれるべきものである。私は、それを得たい。経典はそれに到達する路程を単に指示するだけのものであって、別伝の心法は明師によって得ない限り目的を達することができない。奇蹟も同じく手段であって、真の極楽は空寂無一物、無慾無色の境界でなくてはならない」と気付きました。
 すると姫の口からは、自然と金剛経の一偈が詠まれました。
  若以色見我    若し色を以て我を見んとし(あるいは)
  以音声求我    音声を以て我を求めば
  是人行邪道    是の人は邪道を行ずるものにして
  不能見如来    如来を見たてまつること能わざるなり。
 ここに至って姫は、最高の道を求める決心を固めました。将来、宿願は必ず果たされる。もし私が真法を得た暁には、その法を衆生に施し、行者達を啓蒙したい。と悟った姫は、大きな希望に胸が膨らみ、限りない喜びが湧いてくるのでした。
 天は、常に善き人の路を絶やさず。姫の修行は、幸運にも、亡き母君の妹、つまり叔母である保母の大きな暗助によっていよいよ蕾が膨らんできました。保母も信仰に厚く、姫のよき理解者であります。保母は早くから夫を亡くし、以来ずっと姫の撫育に尽くし、姫の居る所には必ずと言って良いほどに保母が付き添っていました。この保母の温かい心尽くしは、姫にとって満貫の力であり、二人で一緒に坐行し、日夜参悟に努めました。
 姫は相を借りて理を悟らせる譬喩表現に優れていたため、保母は姫の経典講義には常に心霊を傾けて聞き入りました。実際、姫の説法は驚くばかりに宮女達を感動させました。道理・道義を講ずれば奥理に徹し、その雄弁は止まるところを知らず、端座瞑想はいよいよ円熟を極めてきました。
しかし、二人の姉君は逆に冷たい眼で姫を見て、暗かに妹姫を気狂扱いにし、妙荘王に度々告げ口しました。
「一国の王女として生まれながら、富貴栄華の福禄も受けずに、神仏ばかりに妄想していると却って国中の人々から笑われます」
 妙荘王はこれを聞いて顔は曇らせたが、多忙のため姫を見に来られず、心では母君を亡くした淋しさに一時的に気を紛らせ心を慰めている、ぐらいにしか考えていませんでした。当時、仏陀に帰依する人は貧賤な身分か、身寄りのない老婆・老人が殆どでした。その他疾病に罹った人とか寡・孤独者、あるいは生活に痛め付けられた人達で占められ、このような者たちが至る所で托鉢を持って家々を乞食して回っていたため、王家はもとより、良家の子女で仏門に帰依する者はありませんでした。
 仏門に帰依する者たちはむしろ軽視されていた時代であったため、姫が身を棄てて仏陀に帰依することを聞いたら、妙荘王は気も顛倒するばかりに驚き怒るに違いありません。王の面目と名誉と権力に掛けても、必ず姫を制止することは明らかであります。
 善悪に関わらず事実は何時の間にか伝わるもので、姫の修行は何処からともなく全国の仏道を信奉する信者に洩れ伝わって行きました。殊に尼僧達にとっては百万の味方を得たよりも心強く感じられ、人々は躍り上がるほどにこの事を歓迎しました。今までが世間から良く見られていなかっただけに、大きな光が人々の心の中に点じられました。

続く


吾は道なり真理なり性命(いのち)なり

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ヨハネ 福音書14章6節 「吾は道なり真理なり性命(いのち)なり…」で十字架が道であり真理であると伝えています。古来「十字」は顔面で切っていました。真理はタテヨコの交わる一点であることを伝えてきました。



弟子スプーティ問「解脱に至る道は、どのような道でしょうか。」釈迦曰「解脱に至る道によって解脱を得るのではない。また道でないものによって解脱を得るのではない。スプーティよ、解脱がそのまま道であり、道がそのまま解脱である。一を得ることが、その一切である。解脱とは一味の境地である

眞の道は、口を以て伝え心に印し刻むもので、もし汝が実相を観、靈覺の境界へ到達したい念があれば、一切の諸法と文字を離れ、着想と執念を捨てて人心の真諦を直指しなければならない。しかる後に本性を観て成仏(解脱)できるであろう。

達磨大師が神光(慧可―禅宗の開祖)に「神光よ、眞伝は文字をあさって得られるものではない。自らの心霊に明師の面授と指点を受ける必要がある。紙上に画いた餅は食べられないのと同じように紙上に書かれた法は因果から逃れ輪廻転生の路から解脱する事は出来ない。

釈迦が摩訶迦葉に「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、これを摩訶迦葉に附嘱す」【粘華微笑・玄嚢鼻直】経典には書いていない「一指相伝の秘法」を伝えました。

「道」すなわち「真理」を得たものは修道することにより、七次元へ遷移する縁と機会が与えられています。3.11で2万の人が五次元遷移しました。つまり三次元でいう「死」を伴う遷移ですが、まだそれを理解できる意識レベルにいたっていないため、それぞれにおいて選択の方法があったり、時期が明確でないことが説明されています。

もう一点重要な機密は、「五次元は永遠ではない」と言うことです。五次元は、これから約1万年後までには消滅しますので、五次元に遷移してそこで本格的で高度な学びと修道をして「道」を得なければ七次元に遷移できません。五次元に入ったそのほかの者は、また選択して5百年以内に三次元に「道」を得るため戻ってこなくてはなりません。

古来、この世で多くの聖賢が難行苦行の末「道」を求めたのはそのためです。そして、命掛けで慧命を継承してきました。宇宙の存在、あるいは地底の存在(法華経の十五品で説かれているように五次元アガルタの聖なる者)が地上にあらわれ、人類と一緒に修道するのも、七次元に遷移することのできる「道」を得るためです。宇宙の多くの存在が人間として肉体を得てこの世に生を受け、今この大事な時期に自分の役目を果たし目的を達成しようとしています。

地球の人口が74億人にも膨らんでいるのは、宇宙の存在が大挙して降りてきているためです。人間として肉体を得なければ「道」を得られないという物理的な機密(天機)があります。さらに重要なのは、古来聖仏・菩薩は、この世の「すべての人々を救う」という誓いをたて降世してきています。2012年12月21日の変化に関係なく、この世において死ぬまで人々を救う使命があると思う者は、この世に残る選択をします。その者はそのように自ら望んで生を受けています。

真理を伝える天のデザイン

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              =べネゼィラに現れた巨大な光の十字架=

人類の秘法(道=真理)その鍵がどのように伝えられてきたのでしょうか、正しい宗教の経典にはその極意が伝承されてきましたが、時代が下るほどに異端が跋扈しその解釈は有名無実となってしまいました。

老子には元始(ゲンシ)、孔子には項屣(コウモ)、釈迦には燃燈佛(ネントウブツ)が秘伝の法灯を伝授しました。

老子は、道徳経、第一章の中で「道可道、非常道、名可名、非常名、無名、天地之始、有名、万物之母、故常無欲、以観其妙、常有欲、以観其竅、此両者、同出而異名、同謂之玄、玄之又玄、衆妙之門、」

【解釈】:道というは、常にいうその道ではない。その名でもない、名が無いが、「天地の始め」であって、その名をあえて、「万物の母」という。つねに無欲である故にその妙を観る。「天地の始め」であり「万物の母」この両者は、同じ根源から出ているが、名を異にしている。これを玄(玄関)という。玄の中の玄を、あらゆるものを生み出す神秘の中の神秘、それを衆妙の門という。(衆妙の門:多くの人々に付与された命の微妙な出入り口)、玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源、と解釈してます。

※  「玄関」と言う日本語の漢字は、中国では使われていません。仏教の経典の中にしか使わない聖なる言葉を日本語では人の出入りする「戸」のある場所、聖なる「玄関」と言う言葉を日常に使っています。

清静経では、「大道は無形にして天地を成育し、大道は無情にして、日月を運行し、大道は無名にして万物を長養す。吾その名を知らず。強いて名付けて道という。」

 ※老子は道徳経・清静経・黄庭経の三経を遺しています。

【解釈】:大道は本来形象はないが、よく天を生じ、地を育てることができる。本来感情はないが日月を運行することができる。本来名称をもって表現できないが、天地間の万物を養育することができる。私自身、その名前を知らない。それで強いて道と名付けた、と伝えています。

釈迦は、弟子スプーティに「解脱に至る道(真理)は、どのような道でしょうか。」と問われ、「解脱に至る道によって解脱を得るのではない。また道でないものによって解脱を得るのではない。スプーティよ、解脱がそのまま道であり、道がそのまま解脱である。一(真理)を得ることが、その一切である。」と答えました。

また、摩訶迦葉に法灯を伝える時「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、これを摩訶迦葉に附嘱す。」「粘華微笑、玄嚢鼻直」と説き、正しい法が眼の蔵(老子:谷神)にある。それは涅槃(天国)へ通じる道で、あるといえば無い、無いようである、微妙な法門である。文字を立てず(文字に表すことはない)、教えの外に別に伝える(誰にでも教えるものではないし、教えるというものでもない)、一人から一人に単伝独授するもので、これを摩訶迦葉に附嘱(一指相伝)し、その機微を顕しました。そして鼻を捻って微笑し(粘華微笑)それは鼻の玄嚢の直すぐ上である、と記しました。

達磨大師は釈迦以来の四諦句として「教外別伝・不立文字・直指人心・見性成仏」とその奥義を禅宗に遺されました。一つ一つの四字成語をよくよく観察してみて下さい。どの経典でも、これは名のつけようもなく、経典の文字をいくらあさっても解るものではないと伝えられています。

一指相伝:一を指して相伝える、直指人心:直かに人の心を指す、など似たような表現ですが、ではそれが具体的に何を意味するのかと考えると曖昧になります。つまり求めなければ得られないものの特徴です。

  映画などを通じても印象ずけます。

また、面目と言う言葉は、顔面の目と言う意味であり、すなわち「大元である」という意味ですが、熟語には「面目一如」一の如く、「面目一新」一に新(親)しむ、「面目躍如」躍するが如く、「一」に関することでそれによって改まること飛躍(脱皮)するとは…、このように日常の様々な言葉の中に「道:真理」は隠されています。

この「道」は、無形無相、無声無臭で、見ることも聞くことも嗅ぐことも触れることもできません。これが道の実体です。

イエスは、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれも私(道)によらないでは、父のみもとにゆくことはできない。」 (ヨハネ伝第14章)と言いました。

※ イエスの墓が青森県三戸郡新郷村大字戸来にありますが、地名の「三戸」「戸来」あるいは「戸来人」などの「戸」の由来について論語の中で次のように解釈しています。

雍也第六:子曰誰能出不由戸何莫由斯道也

解釈:子曰く、誰か能く出づるに戸に由らざる。何ぞ斯の道に由ること莫からむ

真理を得ていない場合は次のように教訓的な解釈になります。

「誰か外に出るに戸によらないものはない、どうして、(生きるに)この道によらないことがなかろうか。普通戸の無いところから出入りすることはなく、人は、無意識的に戸を用いる。道路も、無意識的にそこを通るが、もとからあったものでなく、人々が往来するから道路となったものである。道路には通る人々により、悪しき所に通じるものも、善き所に通じるものもある。道とは、ここでは、人が生きる道のことであるが、さまざまな道がある。無意識的に生きているのかもしれないが、先人の道を辿っているものである。(周公のごとく)生きた人の道(斯道)によるべき、・・・」

孔子が伝えているのは「人間の魂はどこから来てどこへ往くのか、この戸による・・・」つまり、元きたところに帰る道のことでした。

神は、イエスによって「道であり、真理であり、命(性命=霊)」ものを証するために、十字架で磔の機会を与えました。この時の場所は「ゴルゴダの丘(しゃれこうべの丘)」でした。つまり人の頭の部分です。そしてイエスと共に2人の盗人が処刑されました。三人が同時に磔になりました。

汝姦淫するなかれ”と言いますが、姦淫の源は目にあります。目で色を見ることで心が動じ罪を犯します。つまり左右両目は磔になった2人の罪人で比喩し、イエスは真中の十字架で〝私は真理である“ことを比喩しました。

また仏教の「如來」は、済いとは「菩薩が來るが如し」と言う意味に使います。この「來」と言う文字は「十」の字に「人」と言う文字を3人を書いた字です。つまり十字架に3人が磔になったことと同じになります。

如=女の口=玄牝之門(老子道徳経で“玄なる牝の門”と表現)

來=十(十字架)に从(罪人が2人従う)もうひとり、「人=キリスト」が真ん中にいて十字架に人が3人、3っの目を意味していました。

 

そして「戸」と言う文字について、聖書の中で「戸をたたく」と言う真理に関する機密の表現がありますが、「戸」の「一」の字を取ると「尸」(しかばね)と言う字になります。「一」は「点」の伸びた形で、「一なるもの」の意味です。つまり真理の表現です。「尸」が「一」を得て「戸」になる、つまりこの「戸」が「真理」を表現しています。京都の大文字焼きの「大」の字も「人」が「一」を得て「大」になる、やはり「一」が真理であることを継承しています。

キリストの墓がある「三戸」「戸來」の地名については、東北方面の方はご存知のように青森県には「一戸」「二戸」と言う地名があり、キリストの足跡が秘められていると思われます。

「戸來」は「如來」と同じ意味で、そのときがくれば十字の秘密が公開され、真理が得られることを印しています。キリストが日本に、しかも東北に来た(さらに南米に向かったと言う説もあります)ことの意義はやがて歴史の真実として明かされ、世界がひとつになり、宇宙とつながる史実となってきます。聖人はそのために足跡を残すべく天命を担っていました。

昨今、次第に歴史の真実が明らかになってきていますが、「真理」に基づいて歴史が明らかになるのはこれからです。エジプトも中国もどの古代文明もすべて十字などの形象で顕した「真理」を探求する歴史そのものでした。天のデザインは細微に渉っています。 

 

真理の目

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Ray:オカルトはすべて偶像崇拝の流れ、偏りの所産。しかし陰に真理を思いおこす最小限の形象を遺しました。

真理の目(1)

現代の政治・金融・経済・医療・教育など生活や人生のあらゆる分野は、世界の一握りの人々によってコントロールされてきました。今日はその原因が驚くほどシンプルであることを知っていただきたいと思います。原点は「道・真理」です。これから人類は「道・真理」の世界に入ってゆきます。ここまで来るには人類創生以来の長い道のりでした。何百回、何千回の生まれ変わりを体験し、ある時期は意識が低下したため何度かの人類滅亡の体験もして来ました。その荒波の中で希望の光、それが超古代から普遍の「道すなわち真理」でした。

しかし「道・真理」を求める過程で人はそれぞれの段階(縁)があります。権力や財宝に目がくらんでいる者は「道・真理」から程遠く、大衆を支配するための道具としてまやかしの狐や狸の霊を霊験あらたかなものように敬いオカルト化してきました。

歪んだ人間の心が今日の災害や戦争の世界を造りだしたかを知っていただきたいと思います。

世界を支配している秘密結社の象徴として使われているプロビデンスはキリスト教摂理という意味で、プロピデンスの目は神の全能の目を意味しています。

カバール(カバラー)とは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想で、独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教における密教との類似性を指摘されることがあります。しかし、これはもっぱら積極的な教義開示を行わないという類似性であると言われ、教義や起源等の類似性までしか探究でないほど、ましては邪悪な者には至難の業でした。享楽的な意識ではこの「道・真理」に至るための艱難辛苦の修道機会は与えられることはありません。

カバラーはもともと「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、「受け入れ」「伝承」を意味しています。カバラーが登場する以前のゲオーニーム時代には、単に口伝律法を指す言葉として用いられていました。これは釈迦仏教の口伝と同じで、その後ユダヤ教神秘主義を指す呼称となった際にも、個人が独自に体得した神秘思想というよりは、神から伝授された知恵、あるいは師が弟子に伝承した神秘という意味で用いられました。 これがキリスト教の神秘家に採り入れられるようになると、ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な神秘体験の追究の手段としてしか理解できないものになりました。

イルミナティとは、ラテン語で「に照らされたもの」を意味しますが、後に宗教的な活動から「啓蒙開化」をも意味するようになったようです。近世以降、この名前で呼ばれた秘密結社が数多くある。グノーシス的要素やテンプル騎士団シオン修道会アサシンフリーメイソンとの関連等を持つとされる。

このほかにも中国の数々の宗教も秘密結社もみな同種の形象を受け継いでいます。しかし形象は「道・真理」と似て非なるものです。釈迦や達磨、観音やキリストが得た同じ殊宝を天が直接あなたに伝承するその時まで漏らされることはありません。

形象的な伝承、プロピデンスの目

 

本来、縦に長いピラミッドの上部に目がありますが、この意味を佛教では「玄嚢鼻直(げんのうびちょく)」と言います。嚢は鼻の穴の膨らんだ部分、鼻直と鼻の真っ直ぐ上を指しています。そこにあります。つまりピラミットは鼻を顕しています。その鼻の真直ぐ上にいわゆる神秘の目があることを指しています。仏像にも第3の目が眉間にあります。

十字架も薔薇十字のように交わる「点」をバラの華で強調しています。キリストがゴルゴダ(しやれこうべ:頭骸骨)の丘の十字架で磔になった時に、両側に盗人が2人処刑されました。聖書の姦淫は目が盗むことを意味します。2人の盗人は左右両目を、キリストは真中の真理の目を顕していました。十字架の中心点はプロピデンスの目と同じ真理の意味です。

真理の目(2)

          古代エジプトのプロピデンスの目

人類の秘法(道=真理)がどのように伝えられてきたか、各宗教の経典に伝承されていますが、時代が下るとその解釈は有名無実となってしまいました。老子には元始(ゲンシ)、孔子には項屣(コウモ)、釈迦には燃燈佛(ネントウブツ)が法灯(キリスト教の『聖霊と火』によるバプテスマ的秘儀)を伝授しました。

老子は、道徳経、第一章の中で「道可道、非常道、名可名、非常名、無名、天地之始、有名、万物之母、故常無欲、以観其妙、常有欲、以観其竅、此両者、同出而異名、同謂之玄、玄之又玄、衆妙之門、」道というは、常にいうその道ではない。その名でもない、名が無いが、「天地の始め」であって、その名をあえて、「万物の母」という。つねに無欲である故にその妙を観る。「天地の始め」であり「万物の母」この両者は、同じ根源から出ているが、名を異にしている。これを玄(玄関)という。玄の中の玄を、あらゆるものを生み出す神秘の中の神秘、それを衆妙の門という。(衆妙の門:多くの人々に付与された命(性)の微妙な出入り口)

釈迦は、弟子スプーティに「解脱に至る道(真理)は、どのような道でしょうか。」と問われ、「解脱に至る道によって解脱を得るのではない。また道でないものによって解脱を得るのではない。スプーティよ、解脱がそのまま道であり、道がそのまま解脱である。一(真理)を得ることが、その一切である。」と答えました。

また、摩訶迦葉に法灯を伝え「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、これを摩訶迦葉に附嘱す。」【粘華微笑、玄嚢鼻直】と説法し、正しい法が目の蔵(老子:谷神)にある。それは涅槃(天国)への妙なる心のように、あるといえば無い、無いようである、微妙な法門である。文字を立てず(文字に表すことはない)、教えの外に別に伝える(誰にでも教えるものではないし、教えるというものでもない)、一人から一人に単伝独授するもので、これを摩訶迦葉に附嘱(一指相伝)し、その機微を顕しました。そして鼻を捻って微笑し(粘華微笑)それは鼻の玄嚢の直すぐ上である、と記しました。

聖書では、ヨハネ14章1節ー6節、トマスが言った。「主よ、どこへ行いけばいいのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 

「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」 父のもと(天国)へゆくには、「道であり、真理であり、命である」わたしを通らなければならない、と・・・。

道と真理が意味する「命」とは、本来の魂のことでスピリチュアル(霊)のことです。漢字文化では「性」、つまり創造主の分霊の意味です。

「わたしを通らなければ」は、キリストがゴルゴダ(しゃれこうべ)の丘で磔にされた3つの十字架の真ん中の十字架(真理の目)、それが道であり、真理であり、性(わたし)に通じなければならないと・・・

どの経典でも、これは名のつけようもなく、あえて「道」といい、経典の文字をいくらあさっても解るものではないと伝えられています。

 縄文時代の遺跡の標本にも眉間に仏像と同じように心眼の印がある。海外に持ち出されているコレクションには歴史の真実を隠蔽するためのものもある。

※ このデータベースは東京大学総合研究博物館・人類先史部門所蔵の土偶、その他土製品、岩版、岩偶などの石製品若干数、総計800点ほどの先史・考古学標本の画像データベースである。当コレクションは1877年のE.S.モースによる東京大森貝塚の調査まで溯り、ほとんどの標本が明治期後半から昭和初期に収集され、中でも明治期に由来するものが多い。これらの標本は、日本の人類学、考古学の草創期に本学の研究者による学術調査の一環として、あるいは寄贈品として集積されたものである。このため、当館のコレクションには学史的に重要な標本が多数含まれ、また、優品が少なくありません。

すべての人が進化を続けることのできる道筋

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6月23日:マイク・クインシーのハイヤーセルフからのメッセージ より

「光の魂たちがその道筋を作る手助けをしてくれました。そして、もう一つの道は進化を続ける事の出来る新しい地球への道です。」の解釈

「光の魂たちがその道筋を作る手助けをしてくれました。」について、光によって今日まで多くの人が助けられてきたことは実感しています。

目的は光の手助けによる目覚めによって「道筋を作る」ことでした。

この道筋とは「進化を続けることの出来る新しい地球への道(筋)です。」

ご承知の通り「アセンション」はもうすでに始まっていて多くの異次元体験を経験しています。

3次元~5次元はもともと同期していますが起こっていても気づかない人が大半です。

そういう状態の中で光の魂たちによって、「進化を続けることのできる本来の道筋」へと引導されてきました。

これからの道とは永遠に進化することができる道筋「唯一絶対創造主」による7次元への新しい道が準備されています。

ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の創造主はヤーウェという数多くの創造主の一神でした。

西洋社会ではこの問題に触れるのは慎重でしたが、最近世界の宗教社会では「唯一絶対創造主」が共通の神であるこのことを承認しました。

つまり、この道筋にいたることによって、今回アセンションできない方(輪廻のよって死んでまた身体を得て生まれ変わってくる方)も、地球上で「進化し続けるアセンション本来の道筋」に入ることができる恩典を享受することができるわけです。

これによって身体を得た全ての人が進化し続ける道筋に入ることができます。

本来のアセンションの意味を「進化し続ける」と解釈します。

なぜなら霊的世界も無限だからです。

そして「新しい地球」もすでに進化し続けることができる惑星(地球的アセンション)にシフトしています。

わからない人にはわかる人がアシストできる相互扶助世界になります。

教え指導する側と教えられる側が共にこの地球で学び、そしてすべての人が「進化の道筋」に入ることが出来るわけです。

その新しいステージの扉、虹の橋が古代からこの日のために日本の諏訪に架けられていました。

神聖な道筋が示されています。

世界的な高齢化福祉政策は金融経済再生のアクセル~日本はその歴史的原因者として聖なる国際ファンドの起動保証をしなければならない

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地域の時代(小さな政府)を具現化する道州制は、東京都の都民の意識の変化が地方に及び、2018年以降急速に全国に波及します。その下地は今までの地域自治体の統廃合でマニアル化が洗練され準備が整っています。

そして具体的には医療・福祉のいわゆる地域医療構想の段階的な実践、それを押し進める政治・行政体制が変化を余儀なくされるほど総合的に且つ急速に日本国民の意識変化が進み、予算措置の矛盾などを国民全体で大々的に議論することが出来る環境が出来上がってきます。

世界的もこうした日本の動きに注目し、兼ねてから進めている新しい金融・経済を本格的に稼動するようになります。つまり日本スタイルの医療・福祉政策をベースにした、地域・国家の構造を再生するための国際事務レベル協議会的な国際フォーラムが国際社会の表面に顕現します。この段階で実施者であり歴史的原因者である日本の保証によって、各国の医療・福祉改革に対し国際的な公共ファンドの資金が本格的に活用され始めます。

※なぜ日本が原因者であるかと言うと、アメリカやフランスをコントロールしてきたのは超古代からの日本の闇で、自国民を犠牲にすることで正体を隠す歴史的な戦略をとっているからです。これは今の北朝鮮を見ると多くの国民を犠牲に体制を維持していることで理解できると思います。もちろんこのシステムに連なるカオス専制国家の大半もそうでした。

それぞれの国の政府・国民の慣習や考え方を癒しながら、日本などその道の先進国が技術やマニアルを投入しながら地域・国家間の互換方式で、新しい地球社会のスタートがヨチヨチ歩きのように始まります。実際にはかなりエネルギッシュでハイテンションになります。

政府の全体計画の全体は学・官・産が協同して心血を注いで数十年年も前から検討されて確立されていたものですが、よからぬ抵抗の余波で国民にとっては煮え切らない実態になっていますが今はもうスイッチが入れられる時を待っていると言えます。注意深く経過を見守ってゆきたいと思います。

現状の国家機構では、資金が動くこと、そしてそれを運用するにはそれぞれの関わりある議会で予算計上されなければなりません。国際間の銀行も関連します。ですから、そういう社会基盤の合意形成の整合性は極めて微妙であり且つ必然的な手続きです。それなくして天からお金が降ってくることは決してありません。そういう風潮があってもその背景にある矛盾に心を翻弄されないよう落ちついて対処していただきたいと思います。数万年来の人類解放の実践の始まりですから・・・

因みに、日本の医療制度は嘗て日本医師会を牛耳っていた世界によい兆しが見えたころ武見太郎(日本医師会会長・世界医師会会長)が陣頭を切っていましたが、その後まもなくハザールよって闇組織に管理され悪慣習が引き継がれていました。アメリカの某大学で研究された計画によって、入院ベット一床につきどれだけの売り上げをあげるかと言う規準で、主にアメリカとフランスの医療と薬品業界が日本の医療・薬品そして保健医療の機構をコントロールしていたのです。最近の厚生省がベット数を減らしてゆくという方針に切り替えましたが、まさに次代は闇の影響が消えてゆくようすを意味しています。

これまで、日本の病院経営がまるで自転車操業のように、或いは患者を薬漬けにしてきたのも、人を物のように扱い、流れ作業化しているのも、計算づくの外国勢力の搾取、医薬業界のリベートによる政治や医療の頽廃などによるものでした。経団連の会長が橋渡し役になって、医療保険が実際に病院や医療機関、薬局に払われるのが3ヶ月後で、その間日本人が払う医療保険費は海外で運用され、その運用益が詐取されてきたのが実情です。

エイズ・肝硬変・癌・糖尿病・・・数知れない疑惑と死亡の関連性の背景にはこのような闇の介在によるものでした。血液製剤事件、徳州会事件、武田製薬事件など巨大な闇の一端にすぎません。システムとして切り替えが出来ない医療行政が、国際的な高齢化を境に大きな変化を遂げる機会になりました。オブラートに包んだような変化の兆しと社会のランデイングには、一方で多くの犠牲と勇気ある人たちの忍耐強い戦いがあったことを忘れてはならないと思います。


国際的な闇の資本グループ~セブン―イレブン・ジャパンはブラック企業~下請法違反でセブンに勧告=2億2750万円を不当減額―公取委

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Ray:セブン―イレブン・ジャパンはブラック企業、マクドナルドなど世界のフランチャイズ企業は崩壊していく。

7/21(金) 18:09配信

時事通信

 コンビニ最大手のセブン―イレブン・ジャパン(東京都千代田区)が、下請け業者76社に支払うべき代金計2億2750万円を不当に減額していたとして、公正取引委員会は21日、下請法違反で再発防止を勧告した。

 同社は既に全額を業者に返還しているという。

 公取委によると、セブン―イレブン・ジャパンは、弁当やおにぎりなどのオリジナル商品の製造を下請け業者に委託。2015年9月~16年8月、発注時に取り決めた委託費用から販売促進費用を減額して支払うなどし、下請け業者に2億2750万円を負担させた。

 セブン―イレブン・ジャパンによると、オリジナル商品の販促費用を下請けに負担させる行為が下請法に違反するとの認識がないまま減額を続けていた。同社は「勧告を真摯(しんし)に受け止め、再発防止に努める」と話している。 

【関連記事】 イオンとセブン、営業益最高=総合スーパー改善-3~5月期 セブン、サラダ2.5万食回収=原材料に小麦表示せず 下請法違反でタカタに勧告=代金2億5000万円を不当減額-公取委 下請法違反、山崎製パンに勧告=コンビニ事業で不当減額-公取委 〔写真特集〕現金ざくざく! 脱税摘発 ツイート シェアする

最終更新:7/21(金) 18:57
時事通信

セブンイレブン本部社員の退職記!その1~まるで軍隊のような新入社員研修~

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転載:家庭円満.com http://www.katei-enman.com/entry/2015/12/18/192232

2015-12-18  2017-07-13

2015年ブラック企業大賞にセブン―イレブン・ジャパンが選ばれました。

受賞理由はとしては、加盟店への搾取でアルバイトにもノルマを課すなどのしわ寄せがきて「ブラックバイト」になっていること、販売期限が近い弁当などを値下げする見切り販売を本部から妨害されたことによる裁判があったことなどが決め手となったようです。

 

このブラック企業大賞、いままでの大賞受賞企業を見ると時勢に流されすぎですが、東京電力やワタミなど颯爽たる企業が受賞している輝かしい(?)賞です。

その賞をセブンイレブンは、ブラックバイト程度の甘っちょろい理由で大賞になってしまったんですからすごいもんです。もっとダークな理由がいっぱいあるのにそれを出さずにして大賞ですから、どれだけブラックかお分かりいただけますか?

 

さて、私みちおは、実はセブン―イレブン・ジャパンの元社員です。2年近く働き、ぼろぼろになって退職しました。

 

セブンイレブンにはいろんな立場で係わる人がいます。

街中にあるお店を実際に経営しているのは、本部とフランチャイズ契約を結んでいるオーナーさんです。

そのお店にアルバイトが数十人雇われ、お店によってはオーナーさんの会社の社員として、店長などで雇われる人もいます。

 

そんなセブンイレブンでみちおは本部社員として働いていました。

本部社員の大半は、本部直営の店舗勤務を経て、スーパーバイザー(セブンではOFCと呼んでいます。)として7、8店舗程度を担当し、加盟店の経営指導をします。

 

今更ですが、少し昔を思い出して書いてみたいと思います。

 

お子さんには大企業に就職してもらいたい、とお思いの親御さんに、大企業だからといって安心できないこと、ブラック企業と言われる会社がこれほど大変だということ、などを知ってもらい、間違った就職のアドバイスをしないきっかけとなればと思い、当ブログで公表させていただくことにしました。

家族がこんな目に会わないようにしてあげてくださいね! 家庭円満じゃなくなってしまいますから。

バシャール:物質界の正体

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2017-07-21 01:14:36 NEW !
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物質界の世界は、ちょうどハイパーキューブのようであるとバシャールは説明しています。普通の立方体の側面を『扉』だとすると、この6つの側面どこの『扉』を通っても全く同じ立体(世界)のみを体験します。これが古い概念の世界観です。もっと簡単に説明すると、立体の側面を視点だとします。6つの異なる視点があっても、同じ世界観を体験する世界、これが古い概念の世界観です。

一方高次的視点で捉える世界観は、ハイパーキューブで説明する事ができます。ハイパーキューブは6つの『立方体』が合体した物体です。一つ一つの立体を『扉』だとすると、それぞれの『扉』から入る世界はそれぞれ異なる世界となります。つまり右隣の『扉』と左隣の『扉』に繋がる世界は全く違う世界というわけなのです。ですからハイパーキューブの側面を視点だとすると、6つの異なる視点から6つの異なる世界を体験する、という具合です。ですから6つの異なる世界が重なり合って一つの空間を占めている、これが高次的視点で捉えた物質界の正体というわけなのです。

過去、未来、現在、異次元、これらの全てが一つの同じスペースに重なりあって存在しています。それぞれは波動域の違いだけで、”今ここ”のタイミングでそれらの波動にアクセス可能です。つまり”視点”を変えてあげるだけで、これらの世界観を体験する事ができるというわけなのです。

実在の歴史がアナグラムによって神話化~デカン高原に日本人の祖先がいた!?

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転載:時代を読み解く by hymisoshiru http://blog.livedoor.jp/hymisoshiru/archives/7237000.html

未来に対しての情報発信していきます。미래에의 정보 발신 해 나가고 있습니다. Я делаю доставку будущем. http://hymisoshirukakumeiwin.blog.jp

 2016年10月09日 5

高橋良典(著)1994年7月 【太古、日本の王は世界を治めた!―神代文字が明かす消された歴史の謎】から抜粋 

謝辞 1995年12月にイルミナティの秘密中枢が日本のマスメディア・出版界から彼を密かに追放したため絶版となりました。

アナグラム(anagram)とは本当にあったことを神話化するために、事件にかかわるすべての固有名詞のつづりを入れ替えてしまう手法である。このアナグラムは、古代世界のどこでも、実在の歴史を神格化する手法として頻繁に使われた形跡がある。

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※ちなみに、すでにある単語や文に含まれる文字を並べ替えて別の単語や文を作るという【アナグラム】と、AからZまで機械的に並んだ文字列を並べ替えて文を作るという【パングラム】とでは、アナグラムよりも難易度はかなり上がる。 Wikipedia引用 文字列を逆順にして一致するかどうかを調べればよい回文とは異なり、単純に考えて異なるN種類の文字列ならNの階乗通り(例えば5文字なら120通り)の並べ替えが可能なので、意味のあるアナグラムを一瞬で見つけるのは困難である。逆にそれだけの可能性があるため、たいていの言葉は(強引な意味づけをすることで)アナグラムになりうる。 例えば「アナグラム」から「グアムなら」などのアナグラムを作ることができる。 日本語では清音と濁音・半濁音が同一視されることがあるが、アルファベットの場合 "I" と "J"・"U" と "V" が同一視されることがある。促音や拗音は全て直音として扱うことが多い。アナグラム→グアム・奈良(先述にもある) ウィキペディアン→北京で言い合う(ペキンディィアウ) 阿藤快→加藤あい パラグアイ→バイアグラ(濁音と半濁音を同一視)いろは歌 いろは歌は仮名47文字を並び替えて意味のある文にしたものであり、五十音をアナグラムしたものともいえる。 2016-10-09_013119

古代のギリシアでは、この地がかつてエジプトの支配下にあったことを隠すため、エジプトのテーベで起こった事件をギリシアで起こった事件として伝え、それにかかわる地名や人名をすべてギリシア化してしまった。その典型的な例が、テーバイ(テーベ)を舞台としたオイディブス(アメンホテップ四世)の物語である。世界で馴染みのあるギリシア神話は、かつてエジプト人が地中海一帯で活躍していた頃の実際の歴史から、時間と空間の目印を剥ぎ取り、歴史上の人物からその人が活躍した時代と場所の記録や本人の実名を消し去ったものが中心的なテーマになっている。

古代ギリシアの新しい支配者が何故このようなアナグラムを用いて過去の歴史を神格化したかといえば、それは、すべての記録を抹消してしまえば、自分たちの祖先に関する記録をも同時に失うことになるからである。賢明な支配者であれば、そんなことをするより、このアナグラムを使って歴史を神格化する方法を選んだであろう。つまり、彼らはこのアナグラムによってエジプトの歴史を神格化する一方で、過去の歴史を関係者だけが知りうる手がかりとして【神話】を残したのである。

漢人(アッシリア人/アーリア人)の歴史の闇の封印とは趣を異なるが、同じく歴史の書き換え(すり替え)だといっていい。そして、古代の日本でアナグラムが用いられた動機こそ、その封印(あるいはその圧力)であったのである。だが、結果は同じだ。実際のアナグラムによって神格化されてしまうと、過去の生々しい記憶は薄らぐものの、本当のことはアナグラムを適用した関係者以外にはなかなかわかりにくくなっている。もしもアナグラムを用いたこと自体が忘れ去られてしまえば、神話はあくまで神話としてしか理解されない。そして古代日本のアナグラムでは、a・i・u・e・oの母音が必要に応じて入れ替わって、更に好き勝手に漢字をあてはめるので、元の存在とは似ても似つかないことになっている。

*【新撰姓氏録】は我々の家来由来記、いうならば日本人の出生地証明である。【姓氏録】の「山城国(京都府)諸審」の項にこう書かれている。

*平安初期に嵯峨天皇(在位・786~842)が万多親王らに編纂させた日本の有力氏族の家系由来記である。

八坂 造 出自狛国人久留川麻乃意利佐他

わかりやすく説明すれば、京都の祇園祭で名高い八坂神社の八坂氏は、インドのオリッサ(意利佐)からタイのチェンマイ(川麻乃)、中国・江南地方の呉(久留)を経て日本に渡来したクル(カラ)族、つまり高麗人だと記されているわけだ。また、学問の神様として有名な菅原道真を生み出した天神族が、かつてデカン高原のボーパールやインドール、ウジャインの町に住んでいたことは、穂日(ほひ)夷鳥(いどり)、鵜濡渟(うじゅぬ)といった天神族の祖神の名前として伝わっている。そうした流れの中で、さきの八坂造がインドのオリッサからチェンマイを経由して来たことを読み解くのに、意(オ)利(リッ)左(サ)、川(チェン)麻(マ)乃(イ)を当てたことは容易に判断できる。

私たちはインドというと今でもずいぶん遠い国のように思っているが、実際には、とても身近な国だといっていいのである。例えば本邦映画史上最長のシリーズとなった柴又の寅さんの映画。日本人なら誰でも一度は見たことがあるはずだが、その寅さんの生まれ故郷、東京は葛飾の矢切りの渡しのすぐそばに帝釈天がある。この帝釈天が【マハーバーラタ】や【ラーマヤナ】に登場するインドラ神であることを私たちはすかっり忘れてしまっているが、帝釈天の帝釈は、インドの別名シャクラデーヴァのSakradevaのrとvの音が脱落し、母音のaがuとiに、子音のdがtに変わったシャクテイsakuteiの、その語順がtei-sakuと入れ替わったものに帝・釈という漢字を当てはめて、あとでタイシャクと読むようになったものだ。

2016-10-09_004238

日本に何百万人もいる鈴木さんの祖先がインドのマガダ国( *1)からやってきたことを、鎌倉時代に書かれた【源平盛衰記】(*2)は、次のようにはっきり述べている。

ウイ、ススキ(鈴木)党と申すは、権現(ごうげん)、摩伽陀国(まがだ)より我が朝へ飛び渡り給ひ(い)し時、左右の翔(つばさ)と為(な)りてわたしによりて、熊野をば吾(わ)がままに管領(かんれい)す。

(*1)古代インド、ガンジス川中流域に興り、紀元前4世紀にマウリヤ朝のもとにインドを統一。前1世紀に滅亡。 (*2)全48巻の軍記物。作者未詳。鎌倉後期以降に成立したとされる【平家物語】の異本の一つである。

【姓氏録】ほかの記録は、日本とインドを結ぶ私たちの祖先の移動ルートに沿って、祭りの習慣や衣・食・住の伝統、言葉、血液型、古墳文化、巨石文化のあり方などに共通点がみられることで、ある程度まで裏づけることができる。

バシャール:信念の中身

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2017-07-22 01:20:38 NEW !
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貴方の信念は、”今ここ”の瞬間瞬間の想いの集合体(まとめ)でできています。つまり信念とは、貴方が繰り返し考える”思い込み”の集合体が正体というわけなのです。貴方の思い込み”が信念になるまで大きく成長すると、その信念がフィルターとなって様々な情報をフルイにかけるようになります。例えば”何をやってもパッとせず、自分はしょうもない”と想うとします。その”思い込み”がいくつも集合すると、やがては自己否定の信念が誕生します。自己否定の信念によって、あらゆる挑戦を避けて通るようになり、結果的に貴方の成長に蓋がつくようになります。成長に蓋がつくという意味は、生命の進化するスピードに乗らない事を意味しています。すると、エネルギーがたちまち停滞してゆき、ストレスから病気へと繋がってゆくというわけなのです。

ですから元となる信念、元となる貴方の”思い込み”を探り当てて、新しい”思い込み”と入れ替えてあげる事が必要です(*新しい”思い込み”をポジティブに変えてあげると言う意味です)。信念の中身は、思い込みなのです。信念の内容物を、ポジティブな”思い込み”に変えてあげます。それをする事で自動的にフィルターがポジティブに変わるので、おのずと体験もポジティブの体験が引き寄せられてきます。

幾つもある信念のうち一つだけでもポジティブ信念に変える事ができたら、あとは芋づる状にどんどんポジティブにシフトする事ができます。まずは選びやすい見つけやすい信念を選び、それをポジティブにしてゆきましょう。大抵見つけやすい信念が、一番大きな信念となります。

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