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世界最後の謎を解き明かす(ムー大陸探検事典) ~第6章 謎のムー碑文が語り始めた : 探検協会の調査1

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第6章

謎のムー碑文が語り始めた

探検協会の調査1

フォーセットのマスコット人形 

モヘンジョダロ全景砂漠の中に花開いたレンガ造りのモダンな計画都市ーモヘンジョ・ダロ。かつてはインダス川の河口にあって、今はウエスタン・ナラ・ループとインダス川の間の細長い帯状の"""島""に残されたこの廃壇には、すば"らしい技術のあとを示す焼きレンガの建物群、大浴場や穀物倉庫の跡がある。直角に交差した広い街路の脇には精巧なサイフォン式浄化槽に流れこむ暗渠式の下水道が設けられ、ダスト・シュートのついた壁の間を通り抜けて数階建てのマンションの中庭に入れば、その奥には水洗トイレやシャワーのついた小部屋と快適なバルコニーがある……。モヘンジョ・ダロは、今で言えば東京やニューヨーク、パリの清楚な高級住宅街といったところだろうか。現代のそれに劣らない衛生設備が町全体に施されている点を考慮すると、当時の市民の住み心地は、今の下町よりはるかに良かったことが想像されるQしかし、モヘンジョ・ダロの住民を含むインダス人について、われわれの知っていることはごくわずかだ。彼らがその当時話した言葉は、いまだにどんなものかわかっていない。インダス人の宗教や人種、政治形態についてもいろいろなことが推測されてはいるが、本当のところは誰にもわからない。インダス文明は、そもそも発生の経過から滅亡事情にいたるまで、すべて謎に包まれているのだ。もしも、インダス文字が読めたら、これらの点について多くのことがわかるにちがいない、とは誰しも思うが、印章に刻まれた文字を漠然と眺めているだけでは、とてもその秘密を明らかにすることはでぎそうにもない。はたして、インダス文字は日本に伝わる古代文字の知識で読めるのか読めないのか。これはさっそく試してみる価値がある。地球文化研究所の高橋は、こうして解読に挑戦した。

地球文化研究所による解読読果

リポート1

インダス文明の建設者は日本人だった

モヘンジョ・ダロから出土した図のような印章には、ユニコーンとみられる動物の上に、五つの文字が刻まれている。これらの文字をトヨクニ文字で読んでみるとどうか(204頁参照)。まず、左から二番目の文字は、トヨクニ文字のト(田)か、ツ(口)に相当するように見える。三番目の文字はバ(ハ)かハであるらしく、四番目の文字はナ(α)であるらしい。そして五番目の文字は、トヨクニ文字には見当らないが、この文字と混用してよく使われるアイヌ文字のレ(R)に似ている。そこで左端の文字を除いて、ひとまず読んでみると、トバナレかツバナレ、トハナレ、ツハナレと読める。そしてこれらの音のうち、トハナレとはが「永遠なれ」に近い。また、トヨクニ文字は合体字として使われることもあるので、左端の文字を人とどに分解してみると、それぞれイ、ノと読める。二番目の文字はツ、トと読める。四番目の文字はナ、ア(9)と読める。音の配列をもう一度考えてみると、この印章には、どうやらイノツトハナアレと書いてあるらしい。その意味は、「生命永遠な在れ」いのつとはあである。高橋は、モヘンジョ・ダロやハラッパーから出土したインダス文字の印章をいくつか読み解いていくうちに、日本人の祖先は、紀元前八世紀ころ、インダス川の流域からインドのデカン高原に移り住んだ事実をつきとめた。いのつとはインダスの印章には、「生命永遠なあ在れ」のほかにも、古代の日本語でめたまよみ「愛で給へ」「嘉し給へ」「勝たせ給へ」もいは「ラタ(神々の乗りもの)守り給へ」「祝ひ祭らなむ」などと書かれたものがあった。

インダス文明の印章

地球文化研究所による解読結果インダス文字が日本の古代文字で読め、しかも日本語ではっきりと意味をなすことは、モヘンジョ・ダロやハラッパーにかつてわれわれの祖先がいたことや、インダス文明の建設者が日本人であったこと、日本人の祖先がティルムンと呼ばれたインダス国家をあとにして東方へ移動したことなどを物語っていた。これまで多くの考古学者は、先にあげたインダスの印章がシバ神を表したものであるということで意見が一致している。が、このシバ神の頭圭.に刻まれている文字が読めなかったため、それ以上のことはわからなかった。

シバ神を刻んだインダス文明の印章ところが、日本の古代文字を学べば、この印章には「クルに栄えをなむ賜たまへ」と書いてあることが誰にもわかる。印章の右端に刻まれた文字は、アイヌ文字のク( )と同じもので、その隣りの文字は、アイヌ文字のル( )かレ( )に相当している。この印章には、日本の古代文字で、クルかクレと読める文字が記されているのである。

クルの文明はアジア全土に栄えた

クルといえば、読者はただちに、『マハーバーラタ』の英雄を生み出したインドのクル族を思い浮かべ、カリアード・パレスにいた泥土煮王、すなわちウジャインのカラ王(クル王)を思い出されるだろう。また、古代史にくわしい人なら、ここに記されたクレが『日本書紀』に呉人くれひととして登場する高句麗こうくり人や中国の江南地方にあった呉くれ (久留くる)の国の人々と何か関係があるにちがいないと思われるだろう。確かに、その通りである。この印章は、モヘンジョ・ダロにいたインダス人がみずからをクル族と呼び、シバ神に対してクル族全体の繁栄を祈ったことを意味している。そして、モヘンジョ・ダロの印章にわれわれの祖先がクル族(カラ族)として登場することは、さらに重大な、次のような意味をもっている。 <!--[if !vml]--><!--[endif]-->つまり、インダス川の流域を中心に、かつてエジプト文明やシュメール文明以上の広がりをもつティルムンの国をつくりあげたわれわれ日本人の祖先は、世界最大の叙事詩『マハーバーラタ』にその栄光と悲劇的な末路をうたわれたインドのクル族であり、古代ギリシアの『エリュトラ海案内記』にその後の繁栄ぶりを記されたウジャインのカラ族そのものだった、ということである。紀元前のインドにいたわれわれの祖先は、前六世紀以降、北の仏教徒と南のヒンドゥー教徒に分かれて次第に別々の道を歩み出す前まで、ともに熱心なシバ神崇拝者であった。このことは、先に取りあげたインダスの印章にシバ神が描かれているのを見ても、また、インドの古いヒまつシバリンガムンドゥー教寺院に祀られた御神体の表面に刻まれた文字がシ(Ω)とバ(ハ)を合体させてシバを表したものであることを見ても、はっきりしている。ウジャインのカリアード・パレスに「シバ祀る宮」が造られ、サーンチーの南のボージプルにインド最大のシバ・リンガムが安置されたことは、前八世紀にインドのデカン高原うひぢにすひちにを治めた泥土煮王と沙土煮女王が熱心なシバ教徒だったことを、また、前三世紀までインドの歴史に輝かしい足跡を残したアヴァンティ王国がインドでも最大のシバ信仰の中心地だったことを意味している。

カイラサナーラ寺院のシバ・リンガムの表面には、日本のトヨクニ文字のシとバを合体させたシバ神の文様が描かれている

だが、それにしても、古代のギリシアの船乗りにまでその繁栄ぶりを"知られたわれらの""宝石の都々ウジ"ャインが滅びたのはなぜだろうか。シュメール伝説のティルムンの都、モヘンジョ・ダロがアッシリヤないしアーリヤ人の軍隊によって破壊されたあと、デカン高原のウジャインに移って新しいティルムンの国、アヴァンティ王国を建設したわれわれの祖先は、その後どんな事情でウジヤインを放棄しなければならなくなったのだろうか紀元前のインドにいたわれわれの祖先は、アヴァンティ王国の滅亡後どこへ去って、どういうルートで古代の日本列島にたどりついたのだろうか

リポートⅡ

デカン高原は神代文字の宝庫だった

デカン高原は神代文字の宝庫だったわれわれは、カリアード・レスの廃塘をあとに、次の目的地であるデカン高原の洞窟寺院へ向かう途中で、このようなことをとめどなく考えていた。

バージャ洞窟寺院の入口インドのデカン高原で活躍した太古の日本人力ラ族の聖地カールラ洞窟寺院

われわれがインド第二の都ボンベイの南にあるバージャとカールラの石窟をめざしたのは、そこにインド最古の仏塔ストウーパを収めた洞窟があるらしい、もしかしたらカールラは、わ"れわれの祖先の呼ぴ名の""カラ""と"関係があるかもしれない、と思ったからだった。ボンベイの南東およそ一二〇キロの西ガーツ山中にあるバージャ洞窟とカールラ洞窟は、アヴァンティ王国が滅んだのと同じ紀元前三世紀ころに造られたとみられる。とすれば、そこにはわれわれの祖先が南下したことを示す痕跡が残っているのではないか……。これはわれわれにとって賭けだった。が、結果は予想以上の大収穫だった。なぜなら、われわれはバージャの石窟で、またもや日本の古代文字を見つけただけでなく、字体を異にする三つの意義深い銘文を確認できたからである。バージャ第一二窟の南、およそ五〇メートルのところにある一四基のストゥーパのひとつに、アイヌ文字で「カラ」と読める銘文が刻まれていたことは、明らかに、われわれの祖先のカラ族がウジャインからこの地に南下したことを示していた。バージャで日本のアヒルタサ文字やトヨクニ文字、アイヌ文字で書かれた日本語の銘文が見つかったことは、この地にわれわれの祖先がいたことを紛れもなく示していた。バージャのストゥーパに「カラ」という文字が刻まれていたことは、この文字を記したのが、まちがいなく、古代のインドでみずからを「カラ」と呼んでいたわれわれの祖先であることを示している。そしてこの文字はまた、バージャから六キロ離れたところにあるカールラ石窟を造ったのも、同じカラ族であることを意味している。バージャ第一二窟の南のストゥーパ群からさらに五〇メートルほど南へ行ったところにある石窟の壁面に日本の力士を思わせるカリアード・パレスの石像彫られた戦士像の顔だちは、どれを見ても日本人にそっくりだ。

バージャ洞窟に刻まれた古代日本の戦士たち。"弥生人の服装をしている

 

バージャ石窟の「バージャ」という地名は、トルコ語の将軍パシヤやアラビア語の将軍を意味する言葉とかかわりの深い古代高句麗語で、将軍を意昧するピーシャ(沛者。もとは祭司の意)という言葉に由来している。とすれば、先の一四基のストゥーパのひとつに「……死にて祈る」という言葉が記されていたのは、この地で敵と戦って亡くなったカラ族の十四人の将軍たちに、われわれの祖先が哀悼の意を表して残したものにちがいなかった。われわれは、バージャ石窟群の中でも一番大きい第一二窟の天井部の梁はりに、「室守幸むろもりさきははめ」(この石室を守る者に幸いあれ)と書かれた銘文があるのを見つけた。

ボージブルのシバ寺院で見つかったトヨクニ文字刻文

その文字は、前三世紀半ばのアショーカ王時代に使われたインド最古の古代文字、カローシュティ文字やブラーフミー文字では読めないため、これまで未解読文字とされてきたものだった。ところが、この銘文は日本の由緒ある家系や神社に古くから伝わるアヒルタサ文字で読め、少なくとも紀元前三〇〇年ころまで湖るものらしい。バージャの石窟にこれらの銘文を残したわれわれの祖先は、どうやら紀元前三〇〇年ころ、デカン高原に侵入してきた敵と戦いながらアヴァンティ王国の栄光を守ろうとしたカラ族の精鋭部隊だったらしいのである(インド最古の文字が日本のアヒルクサ文字から派生したもので、アヒルタサ文字が中国・股代の甲骨文字の草書体として数千年前から使われてきたことは、すでに徳間書店刊『謎の新撰姓氏録』の中で証明されている)。

[インドの神代文字碑文]

図のような文字群は、日本に伝わるイヅモ文字と基本的によく似ており、地球文化研究所では、次のような解読結果を得ている。この碑文が描かれた時代はいつか定かではないが、アマラーヴァティ遺跡は、紀元前三世紀のマウリア朝時代、最初期のストゥーパが建設された頃の遺跡とみられるところから、この碑文もまた、アマラーヴァティ仏教寺院の創建に伴って残されたものとみられる。

 

アマラーヴァティ碑文南インド初期の仏教遺跡として有名なアマラーヴァティ遺跡の寺院の床に描かれた碑文。

 

●テラヲツクレバビクヤビクニツドヒクル●バージャ石窟碑文A ボンベイの南東にあるバージャ石窟寺院(紀元前三世紀)のストゥーパのひとつに刻まれた碑文。アイヌ文字で「カラ」と読める。「カラ」とは古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』で栄光と悲惨な末路をうたわれたクル族のことである。カラ(クル)族は、アーリヤ人の侵入に続くインダス文明の崩壊によって、過去の偉大な歴史を抹殺されたわれわれの祖先である。この銘文は、彼らがウジャインからこの地に南下したことを示したものといえる。

●バージャ石窟碑文B バージャ石窟群中、撮大の第一二窟の天井部の梁に刻まれた碑文。インドの古代文字である力ローシュティ文字やブラーフミー文字では読めないため、未解読文字とされてきたが高橋がアヒルクサ文字で解読したところ、次のような結果を得た。ムロモリサキハノメ(室守幸ははめ)っまり、「この石室を守る者に幸いあれ」という意味である。

 

●ボージプル碑文 宮下文献に「大原の都の地」と記されたデカン高原の古都ボーパールの郊外にあるボージプル寺院の碑文。インド最大のシバ・リンガムを祀ったボージプル寺院の床や壁のいたるところに刻まれた銘文を調査した高橋は、それらが日本のトヨクニ文字やイヅモ文字で書かれていることを発見。その『つは、エジプトおよびインダス文明に共通の祈りの言葉であることを確認した。

日本の神代文字刻文が大量に見つかったボージプルのシバ寺院

●サーンチー仏塔碑文 インド仏教美術を代表するサーンチー(マドヤプラデシュの州都ボーパールの郊外にある前三世紀の遺跡)の仏塔に刻まれた碑文。その多くは、アショカ王時代のカローシュティー文字で書かれている。が、中にはそれより古い銘文もある。第二塔の周囲を取り巻く囲い石のひとつに刻まれた図のような銘文は、日本の古代文字で「ユニコウンカムイ」と読める。

[カピラ城のコイン]

釈迦の父親スッドーダナ王の城跡から出土した紀元前六世紀のコイン。これらのコインには日本の神代文字が使われており、その中のひとつには、アヒルクサ文字で「カムヤヰ」と読める王の名が刻まれている。カムヤヰは、これまでの日本史研究で一度も実在証明がなかった初代天皇カムヤマトイハレヒコ(いわゆる神武天皇)の第二皇子として記紀に記された神八井耳命(カムヤヰミミノミコト)の名前、カムヤヰと{致している。目本の神八井は、古事記と書紀の編さんに携わった太安万侶の祖先、多(オホ)家の開祖だが、ネパールのカムヤヰは、古代目本のクル族から分かれたスッバ族の始祖とみられる。スッバの古音サハは、多家の「多」の古い読み方として知られるサハと一致する。

[キャサニア碑文]

スリランカ仏教の発祥地、キャサニアの古い寺院の境内にある石碑に刻まれた碑文。コロンボの東方一一キロにある、キャサニアのラージャ・マハ・ヴィハーラ寺院のこの石碑に刻まれた碑文は、フィリピンに伝わるアヒルクサ文字系のタガラ文字で、マナビタテマツル(学び奉る)と記されている(地球文化研究所解読)。この碑文の年代は、寺院内の最も古いダゴパ(パゴダ)の原形が造られたのが、紀元前三世紀とみられているので、その頃まで湖るものとみられる。はたして、スリランカのキャサニアにラージャ・マハ・ヴィハーラ仏教寺院の基礎を造ったのは、インドから渡来した原目本人であったのだろうか。

寺院の建設者が太古の日本人であったことを物語るラージャ・マハ・ヴィハーラの碑文

[呉城ごじよう文字]

中国江西省清江県呉城遺跡から出土した陶片に刻まれた文字。一九七五年の『文物ぶんぷつ』七期の報告によれば、股代の甲骨文字より古い文字とされている。その多くは土器の底や石の鋳型に彫られており、大部分は一字のみであるが、なかには複数の文字が刻まれた標本もいくつかある。「文物」に紹介された図の例を見ればわかるとおり、これらの文字のうち、(  )などは甲骨文字にも同じ形があるので、呉城文字が甲骨文字と関係あることは誰の目にも明らかである。

 呉城遺跡出土の文字

前頁の古代文字を解読するにあたって、右図のような円陣を組んで配列された文字群の場合は、どの位置に視点を置くかが大切である。地球文化研究所では、①から⑦までの文字を次のように読みとり、解読を試みた。①②③の文字を、午・魚・介と読むことに大方の異論はないと思われる。しかし、④⑤⑥⑦の文字は、これまで④を目と読み、⑦を七と読むことはあっても、意味が通じなかったものである。

そこで、これらの文字を日本に伝わる北海道異体文字(通称アイヌ文字)で読んでみると、④の文字はアイヌ文字の(オ)に相当する。⑤の文字は (ク)に近い形をしている。⑥の文字はアイヌ文字の (リ)とまったく同じだ。⑦はアイヌ文字の  がしばしば七と表記されているので、七(二)と読める。以上をまとめてみると次のようになる。午魚介オクリニここでオクリニを「送り荷」と考えれば、呉城文字が刻まれた陶鉢とうはちの中には"""午""の季節、つまり端午たんごの"ころ(午=五で旧暦の五月ころ)採れたイキのいい魚や貝が盛られて、当時の役所か市場に送られたことを意味するのではないだろうか(前頁参照)。呉城出土のその他の資料の正確な実物写真が手許にない段階では、このような読み方もできるということしかいえないが、次頁に示す甲骨文字の解読例を見ていただければ、アイヌ文字で股の中期(呉城文字)や後期(甲骨文字)の文字を研究してみるだけの価値はありそうである。

鍋京出土の甲骨文字(無いか無いかと読める〉

[古代琉球文字]

鹿児島県の南西諸島でかつて使われていた文字。琉球文字の記録は与那国島と宮古島にいくつか残っている。与那国島の例は、地球文化研究所によれば、父子らヴィシュヌを敬うて太一祝えと解読された。ヴィシュヌはインドのヒンドゥー教三大神のひとつである。また、タイチ(太一)は南方系海人の豊漁祈願の祭りである。宮古島の古記録は次のように解読されている。ヴィシュヌヘ父子ら稲と布を納む願い 叶えらるもうひとつの例は、稲と魚 ねぎ 椰子に布を納む願い叶えたまえこれらの宮古島の古記録は、『東京人類学会誌』第十号に住民覚帳ノ写しとして報告されたものであるが、その他にも一般に知られていない例がいくつかある。宮古島の文字は、明治時代の考古学者、八木奨三郎が、『日本考古学』原史時代"篇第七章、技術第六節""文""字""(符標識)において報告"した、先の与那島(現・与那国島)の文字とほとんど同じものである。これらはイヅモ文字を主体とし、アイヌ文字とトヨクニ文字をいくつか混用した形で、奉納祈願文に用いられたことがわかる。以上のような琉球文字はおそらく台湾から九州にかけて、それ以前のアイヌ文字とともに、さらに多くの実例が見つかるものとみられる。

琉球ミヤコ島住民覚帳ノ写シたかさご高砂文字

台湾から出土した図のような石碑に刻まれた文字。現在、天理市の天理大学参考館に納められているこの高砂碑文の文字は、これまで神代文字の研究者によってアヒルクサ文字系統の文字と考えられてきた。しかし、これらの文字を地球文化研究所で分析した結果によれば、ここにはアイヌ文字、イヅモ文字、アヒルクサ文字、そしてフィリピンのタガ一フ文字などが組み合わされて使われており、以下のような内容が記されているという。国つ神とウカラの船は戦いついに大いにあ(吾)勝てるを祝い彫りける右の解読にもとづけば、この高砂碑文は紀元前八世紀末に刻まれたと推定される。この碑文を伝えたのが台湾の高砂族であったとすれば、高砂族は西方の地から台湾に移り住み、台湾の先住民との戦いののちにこの島を占拠し、そしてその一派が日本へも渡来したと考えられる。現在まで高砂族が使用している船の舳先へさきにきざまれた文様のひとつは、インドネシアのトラジャ族のマークとまったく同じものである。それは高砂族の移動経過を物語るものではないだろうか。

高砂文字を刻んだ石の拓本

高瀬鰐口 たかせわにぐち

明治一九年(一八八六)十一月に、神田由道が『東京人類学会誌』第九号で紹介した鰐口(神社にお詣りに行ったとき、社殿の軒下に吊るされた綱を手にして打ち鳴らす金石製の祭器)のことである。となみこの鰐口は、富山県東礪波郡井波町の式内社高瀬神社に伝わるもので、径一八~二〇センチの石の表面に円が刻まれ、円の内部に図のような文字が彫られている。この鰐口の文字は、地球文化研究所の高橋によれば、北海道異体文字で「タイサ」と読めるという。もしもこの鰐口文字がそう読めるなら、タイサざ一鍔はハ"シプトやカムトとともに""エ""ジプト""を意味する言葉であ"る。また、①の文字を囲む○は、これを北海道異体文字で読めば〈ラ〉となるが、ラないしラ"ーは古代のエジプト語で""太""陽""を意味している。"このように考えると、高瀬"鰐口は、全体で""エジプトの太陽""を表したものと考えられ"る。次に、鰐口の背の文字を同様に北海道異体文字とみなして読んでみると、②は「ヤ」の形に最も近く、ヤと読むことができる。②と③の文字は二つとも同じ文字だと思われるので、「ヤヤ」と読めることになる。ヤ(ざ)といえば、これは今から二七〇〇年ほど前、エチオピア出身のファラオとして有名なタルハ力王時代のエジプトにいたイスラエル人が"祭っていた""ヤーウェ""の神を"表す言葉だ。ということは、高瀬鰐口をこの地に残した人が紀元前七世紀のエジプトから日本へやってきたイスラエル人だった、ということを意味することになる。

高瀬鰐口の拓本斐太ひだ石器

落合直澄が「日本古代文字考』の中で紹介した石器(上巻二十八丁)。同書によればこの石器は、新潟県中頸城郡宮内の社山に鎮座する式内斐太神社の神宝で、ヒスイとみられる青石の表面に、図のような文字が刻まれている直澄はこれらの文字の配列をアワ文字とアヒルクサ文字が混用されたものとみなして、「ヤナサク」と読んだ。しかし、その意味がわからないため、ヤナサクとは古代の神の名ではなかったかと推測するにとどまっている。高橋はこの斐太石器文牢を中国股いん代・周代の金石文つまり銅器の表面に彫られた文字と比べてみた結果、これらの文字は、それと非常によく似ていることに気づいた。①②⑨④は、それぞれ今の漢字の「父子九作の元になった文字である。斐太石器は、ひょっとしたら、今から三〇〇〇年前に遡る古い石器で、ここに刻まれた四つの文字は「父子九作」、すなわち「父と子が心をこめて作ったもの」を意味していると考えられる。しかし、これらの文字を反時計回りに並べてみると、それらはアイヌ文字を曲線的に表したものともよく似ていて、「ミワヰサク」と読むことができる。アイヌ文字の「サ」と「ク」の倒置形を合体させると、斐太石器の文字になる。ということは、この石器に神話の高天原で活躍した伊弊諾(ヰサフタク)神の名が、「神伊弉」として刻まれた可能性も大いにありうることを意味している。

斐太石器とその読み方

宮下文献

山梨県富士吉田市の郊外にある小室神社の神官、宮下家に代々伝わる古文書。今から約}=一〇〇年前、秦の始皇帝が大陸を統一した当時、斉(イヅモ)の方士・徐福が富士山の麓にあったという阿祖山太神宮を訪れ、そこに伝わる神代文字の記録をまとめて残したものが原型になったといわれる。宮下文献は、これまでの解釈によれば、日本神話の高天原が富士山麓にあり、国常立くにとこたちと国狭槌くにさづちの兄弟が再会した蓮薬山ほうらいは日本の富士山にほかならないことを記した書物とみなされてきた。が、高橋は、この書物に記された蓮莱山がインドのデカン高原にあるラカジュワル山をさし、高砂之不二山の麓にあった大原の都、阿田都山は、ラカジュワル山地にあるバンパトケヤ山(高砂之不二山)の麓のボーパール(大原)と、サーンチーの仏塔がそびえるヴィディシャ(阿田都)の丘をさしているという仮説を提唱。一九九〇年のインド調査によって、ボーパール郊外のサーンチーやバンパトケヤ、ボージフルの各地に、日本の神代文字で書かれた碑文を大量に発見し、宮下文献に記された高天原は、インドのデカン高原そのものであることを立証した。従来の古史古伝研究は、伝承の舞台をもっぱら国内に限定してきたが、これからは広く海外にも目を向ける必要があるとみられる。

宮下文献に高砂の不二山と記されたデカン高原バンパト

[吉見百穴古字]

埼玉県東松山市の吉見百穴にある古代文字。吉見百穴は日本の代表的な横穴群集墳として知られているが、その建造年代は紀元前の縄文時代まで湖るとみられる。

吉見百穴古字

解読の手がかりとなる桃木文字表近年、これらの文字の解読に取り組んだ古史古伝の研究者、吾郷清彦は、吉見百穴古字が皇祖皇太神宮の竹内家に伝わるイザナギ天皇時代の桃木もものき文字とよく似ていることを発見し、桃木文字でこれらを上から下に読み、次の結果を得た。〈読み〉ツエヒクヘホキ〈意味〉杖曳く尸墳城一方、高橋は、これらを同じ桃木文字で下から上に向かって読み、次のような結果を得ている。〈読み〉ヒユバカマエム〈意味〉火弓場構えむ両者のちがいは、竹内文献に見える桃木文字の文字表の見方の違いに由来する。吾郷は文字表の最初の一列をア行・力行とみなして先の解読結果を得たが、高橋は、同じ行をア行・ハ行とみなして解読した。そのどちらの読み方が正しいか、ということは、もちろんこの一例だけで判断できることではない。けれども、もしも高橋の読み方が正しいと仮定すると、吉見百穴のこれらの文字は、今からおよそ二八○○年前のイザナギ時代(紀元前八世紀前半)に起こったという戦争の伝説と一致する。『記紀』や「上記うえつふみ』、「宮下文献』、『竹内文献』その他の古文献のどれにも伝えられているイザナギとカグツチ(火具土)の戦いが実際にあって、火弓場"すなわち"火の戦場"が松山古城に構えられたということになる。日本神話の伊弊諾いざなぎが、イササフタク=イサク将軍(タク~タケ~タケルは軍帥を表す古語)として古代のイスラエルで活躍したことや、パリクシト(ハイクシト~フイクサタ~イサフタク)としてバーラタ戦争時代のインドでも活躍した実在の王であったことは、いまではすっかり忘れ去られてしまったが、吉見百穴の文字はそのことを思い出させてくれるのである。

紀元前700年ころまで遡るとみられる吉見百穴

大いなる玉座から神は命じられた

プント(神の国)への道を求めよ

ミルラ(没薬)の丘に到る大道を開け

「われは汝の美をつくりし神

われのため神の国より驚異をもたらせ

われ、海と陸の軍隊を導かん……」

私は彼ら(遠征隊)を率い

海と陸の道をはるばる越えて

人を寄せつけぬ海峡の水辺を探さぐり

ついに、ミルラの丘に達した

そこは神の国神の光かがやける土地であった……『プント訪問記』


Beneficiary's Personal Penshin Fund(1)人類が進化し続けるためのプログラム

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Beneficiary's Personal Penshin Fund (個人生涯年金基金)

 

人類愛・世界愛・生命愛

21世紀、世界は公のものとなり,あらゆるものは人類の共有となります。

人種や国家の壁は取り払われ、人々は好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由な交易が行われます。

民族愛・国家愛は、人類愛・世界愛・生命愛に変わり、人々は互いに慈しみ通じ合います。

老人は皆自分の親とみなし、すべての子供は、自分の息子や娘とみなされ、愛着をもって大切にされるようになります。

国は相互扶助の本体として再生し、人々は道徳を以って相互扶助を実践します。

自己の能力を生かし、天職を尽くして、奉仕貢献する者には尽きることのない報酬が約束されます。

やがて、人々の安全は保証され、恐怖や不安がなくなり、力ずくで搾取する必要もなくなります。

人生の目的は、競争ではなく助け合うことに変わり、助け合うことによって進化しつづけます。

以前のことは過ぎ去って、悲しみや苦しみもなく、全てのものが新しくなって人生最高の幸福をしみじみと味わうようになります。

人類の尊厳は復活し、真理を尊び、この理念に準じて永久に栄えます。

 

【プロジェクト概要】

Beneficiary‘s Personal Pension Fund (BPPF)のBeneficiaryは、聖なる報酬に由来し、天に代わって奉仕をする者への報酬を意味します。 

BPPFは、相互扶助(Mutual Aid)社会を創造するため、一元化された世界の公共信託基金から個人に信託される個人生涯年金基金です。

生活の安心・安全が保証され、全人類の創意によって一体化を推進します。

世界の情勢が大きく変わってきた今、市民一人一人が直接世界の金融経済を担う第一歩となるよう発進します。 

このプランが神々の助言とその役目を担う方々によってさらに進化してゆくことを願っています。

統治体および全ての公益団体(非営利事業体)の財源も、人類の総意により一元化された公益信託基金からダイレクトに信託されます。

OPPTは、世界の金融経済を大転換させるため、地球人類の資金・資産・資源の一元化を諮り、NESARAは、統治体と地域の安定、平和共存・文明の融合を実現するため、そしてBPPFは、個人の尊厳と生活の安全・安心を守り人類と宇宙の進化を諮ります。

この3つは一つのクォンタムな相互扶助システムです。 

【人類と黄金】

アヌンナキが地球を支配して以来、13.000年の人類史は、金が権力の糧だと信じ、戦争という争奪戦で計り知れない人命を犠牲にしてきました。 黄金に洗脳された人類が、原住民の元意識に到達するために長い年月を費やすことになりました。

モーゼが奴隷を開放しカナンの地〈日本〉を目指したとき、食べ物がなくなり、これでは奴隷の方がよかったと騒ぎ出したので、神にお願いし「マナ」という食べ物を降ろしてもらいました。人々は焦って何日分もため込みましたが、神は「今日必要な分だけにするよう」と、現代もその時のように神を信ずる心を養う機会が再現されようとしています。

不満のある者達は黄金を集め、牛の像を造り神と崇め、奴隷時代の享楽にふけりました。

このまま、金の裏付けで新貨幣が発行され経済が豊かになったら、現在横行している暴力、武器の密売や麻薬、売春、自殺問題などどうなるでしょうか。教育・政治・経済・医療・福祉などの社会の矛盾、人々のコントロールされた生活習慣に暗澹と流されてゆくでしょうか。

金の幻想が無くなリ、生活意識が本来にもどるために人間性復活の旅が続きます。

不換紙幣(金の裏付けのない紙幣)の大量発行を規制しワンワールド経済にむけて高度な金融規制が開始され、混沌の中にアヌンナキ残渣の支配体制が急速に崩壊していますが、彼らによってどのような地球再生計画が提案されても、貧困の救済を最優先する計画、人類の永遠の進化を目的とする計画でなければ真の再生計画となりえません。

また、これら先駆者は世間では全く知られていない人々で、もちろん本人も気がついていない、普通のこととして普通の人々がこの聖なる役割を負ってゆくことになります

【黄金と新金融システムの動向】

※参考メッセージ

2013年9月29日 コブラ・・・惑星の状況についてのニュース:新金融システム

http://www12.plala.or.jp/gflservice/Cobra130929NewFinancialSystem.html

国際担保勘定については、舞台裏で作業をしている人たちにさえ、多くの混乱が見られます。

国際担保勘定は、第一次世界大戦後にカバールが、多くの国を説得して、独立した強力な国家銀行を持ち、金の裏付けがある金融システムでは、第一次世界大戦のような事態を導くとの言い訳の下に、保有金を各国に拠出させ作り出したものです。

国際決済銀行(BIS)はこの理由から、1930年に設立されました。BISの創設の後、カバールは中国に(時には穏やかに、時には脅迫的に)赴き、偽の証券との交換で彼らの金を拠出させました。カバールはこれらの証券の償還をするつもりはありませんでした。彼らの作戦の次の段階は東方社会の残りの黄金をゴールデンリリー作戦によって盗み出すことであり、フィリピン(山下の黄金)とインドネシアに埋蔵しました。

この黄金はブレトンウッズ協定の下に、西側の金融システムの裏書に用いられました。カバールは目に見えるものであって、中央銀行の交易プログラムに大規模な資金を投入して生成し、隠してあった黄金を投資の裏づけに用いる陰の銀行システムを隠して、保有していた表向きの不換金融システムを支配していました。

これらのプログラムは、すぐに、陰の銀行システムの一部(例えば、ホワイトスピリチュアルボーイ口座は仮想の10の15乗ドルのオーダー)だったので銀行から除去できない天文学的な額の仮想資金を作り出しました。カバールと繋がっていない者は誰もこれらの繁栄プログラムには近づけず、プログラムのほんの一部でさえ、非カバールの人たちを含めようとすればただちにカバールに捕まえられ、あるいは射ち倒されてしまいました。

カバールは着実に盗んだ黄金を利用して1953年から2004年までの間に、地下基地と秘密の宇宙プログラムを構築しました。

2012年の2月には、抵抗運動は全ての黄金をカバールの手から奪取しました。これが、ベンジャミン・フルフォードがアジアのどこにも金貯蔵庫の証拠を見つけられなかった理由です。この金の奪取は輝かしい成果でした。それ以降、この惑星の表面には、本当の不換金融システムが見られるようになったのです。この種の金融システムは、非常に不安定で、カバールにとっては経済的な策略の遂行には十分な注意が必要になりました。

人間の歴史上初めて金融システムが金の裏づけのないものになりました。このような金融システムは自身に信用の裏づけがなく、真の基礎がないために、非常に長い間は存続できず、やがては崩壊するので、イベントを加速する動的な緊張を生み、これがイベントが起きる最後の瞬間になるでしょう。

今は、カバールは不安定な金融システムを世界的に略奪した不動産で裏づけをしようとしていますが、これが非常に多くの住宅の差し押さえの理由なのです。

1930年以来カバールが発行していた証券については多くの誤解があります。カバールが長年にわたって盗み続けてきた金を今は持っていないので、これらの証券は償還されることはありません。彼らは又、流動性のある現金の不足に悩んでおり、このような小額では、これらの証券のほんの一部でも償還をはるかに遠いものにします。

これらの証券の目的は、カバールから価値あるものを引き出そうとすることではなく、それらを道具として用い、時が来たら彼らの腐敗した金融システムの破産を強制することにあります。

これら全ての金と証券の歴史的な所有者は、中国人でも、キーナンでも、ホワイトドラゴン社会でもなく、指名されたM1(貨幣制御人)でもありません。M1の機関はカバールが作ったものです。所有者と真の雇用人は人間全体で、イベントの後では、国際担保勘定は、全部が人間に移管されるでしょう。

イベントの後では、抵抗運動は、人間に黄金を変換し、この黄金は、この惑星の地上のどこかに保管され、新金融システムの裏づけになるでしょう。

それゆえに、この黄金は、公開市場では取引されませんが、一方で個人所有の金は、取引され、自由に交換されるでしょう。

この新しい金融システムの構造化は、2011年8月のモナコ合意において東部連合の57のメンバーの間での秘密合意の一部です。

新しいM1には誰も指名されないでしょう。カバールのメンバーは誰も国際担保に近づくことを許されないでしょうし、新しいジェスイットの法王もそのほとんどの部下もいずれにしても逮捕されるでしょう。

金融システムをカバール(ホワイトドラゴン、キーナン、OPPT)の手から開放しようとして働いている種々のグループが勧告の役割を果たし、イベントのあとでは、民主的に選出された、政府高官の評議会が国際担保勘定の信託人になるでしょう。

システム全体は完全に透明でこの透明性は抵抗運動によって監視されるでしょう。

通貨の再評価(イラクディナール、ベトナムドン)は新金融システムへの移行が光の勢力の監視下での金の裏づけのあるシステムへの移管であり、投機的な通貨再評価ではないので、金融システムのリセットにおいては小さい役割しか果たしません。

真の貨幣なしの社会が、銀河連合の進歩したスピリチュアル技術の裏づけによって、ファーストコンタクト後のこの惑星上に作り出されるので、この新しい金融システムは一時的な方策にすぎません。

貨幣なしの社会では、転生した人間のソウルたちの真の価値が認識され、彼らには、物理的、およびスピリチュアルな豊かさが与えられるでしょう。

多くの人々はなぜイベントが起きていないのかをいぶかっています。それは、イベントの作戦遂行にあたる鍵となる地上メンバーが調和して働けるように、エーテルの全てのネガティブな者たちがイベントの前に排除されなければならないからです。

イベントの時に負傷が予想される者の統計的な平均値はほぼ10万人です。しかし、イベント作戦の遂行に当たる表面にいる人たちのうちの鍵になる人たちの死傷については、もしも悪い方向に進むと、もっと多い数になり容易に数千万という数に達するので、光の勢力が負いたくないリスクです。いわゆるライトワーカー又は光の戦士はエーテルのアルコンの影響を受けるので、我慢の限界を超える行動を示すことがありました。あなた方はフランス革命をご存知でしょう。この革命は非常にうまく始められ、どのように終わったかはあなた方が良く知っています。

イベントは起きるときに起きるでしょう。それが起きるまでは、私たちの力の範囲内の全ての、可能な限り調和が取れたことを実行します。光の勢力にとって大切なことは一致し、通信し、情報を集め、戦略を練ることです。 

※国際担保勘定とは・・・

http://s3alpha.net/blog/recap-what-are-global-collateral-accounts-what-have-governments-o

1875 年に王室と国家の資産は植民地ルールの下に世界の全ての国の利益になるように一つの複合勘定として、集中的に管理されるようになった。これは世界負債処理に関する複合国際担保勘定として知られるようになった。この仕組みの中には今では合計1045 (クアドロデシロン)ドルに達するセント・ジャーメインの聖なる基金と世界信託が含まれる。この資金はNESARAと繁栄資金の配布に用いられる。この合意の延長は、あるものが依然として極秘扱いになっている以下の国際条約Jekyll Island Treaty (1910)、The London Treaty (1920)、The Second Plan of the Experts (1929)、The Hague Agreement (1930)、The Far East Combined Depositories Agreement (1932 1945)、The Bretton Woods Agreement (1944)、The B.I.S. / Allies Agreement (1948)、The Green Hilton Agreement (1963)、The Schweitzer Conventions (1968)、The Election / Appointment of Sole Arbiter Agreements (1995)、The Washington Panel (1998)、The Treaty for Respecting the Rights (2003) で規定されている。これらの条約は偽の企業体政府ではない、正式の政府による世界の国家によって批准されている。この証拠は国連に記録されている全ての国家の憲法に記載されている。米国については憲法に基づいている。王、女王、大統領、首相、及びある場合には財務大臣、外務大臣のみがこれらの口座を利用出来る。監査は国連本部の特定の規定の下の特定のオフィスを通じて行われる。

第二次世界大戦後、1945年から1995年の間に、この国際担保勘定の資産は米国、英国、及びフランスによる三極委員会によって管理されるようになった。この委員会はドルを国際基軸通貨として選択し、CIAにこの担保口座の管理責任を委託した。CIAの駐在を好まない国には同じ条件で外部委託することが許された。直後にCIAはこの国際担保口座から資産を盗み、新世界秩序(NWO)プロジェクトに注ぎ込むようになった。1995年にこのような不法行為を防止するために三局委員会はCIAから権力を剥奪し、国連にある国際財務管理者と国際財務管理オフィスに管理を委託した。それに加えて、今ではこれらの機関はIMF,世銀、国際決済銀行(BIS)に対する司法権を握っている。それにも関わらず、IMF,世銀、及びBISは、この資産を世界の人民のニーズを顧みずに、不法に自身のファイナンスに流用している。

※現在の世界金融改革の象徴的存在、M1とは・・・

http://nowcreation.jimdo.com/2015/07/03/%E3%83%AD%E3%83%96-%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC-%E5%BE%8C%E5%8D%8A/

世界中に様々な王朝――彼らはポジティブな方法や、あまりポジティブではない方法で富を集めていました――が存在していた時代まで、歴史を遡ることになります。そのような王朝には光の勢力に繋がったものもあれば、悪い奴らに繋がったものもいました。文化の交流や貿易を通して、王朝同士が互いを知るようになり、彼らはゆっくり地球のネットワークを築いていました。それが始まったのは18世紀で、完成したのは20世紀です。その時、彼らは世界中のロイヤルファミリー同士で婚姻関係を結ぶことにしました。彼らはグローバルな金融システムをつくりたかったのです。ある者は、平等で公正な富の分配をアジェンダとし、ある者は、富と地球を支配することをアジェンダにしていました。現代の金融システムで見られるように、悪い奴 らが乗っ取りました。基本的な考えはグローバルな金融システムをつくることでした。グローバルな金融システムは、それが光の勢力の手にあれば良いものになるし、光の勢力の手になければ、日常的に経験している通り、非常に悪いものになります。

ロイヤルファミリーが婚姻関係を結び続けるうちに、M1と呼ばれる者が誕生しました。M1は、世界中の主なロイヤルファミリーの遺伝子を受け継いでいました。最初のM1が生まれたのは1920年代です。1920年から1940年までの20年間に、オカルト金融システムで何が起こるかが決定づけられました。これは皆さんご承知の連邦準備制度が成立した後のことですが、水面下ではグローバルな金融基盤が築かれつつあったわけです。BIS(国際決済銀行)は、この一例です。舞台裏ではドラゴン同士の取引や、西洋のレプタリアンの血脈と、他の血脈との間の取引がありました。実際に起きたことは、レプタリアンとカバールの血脈がM1をコントロールするために、その立場を乗っ取ったのです。M1は大統領のようなものです。米合衆国の大統領は真の権力を握っていませんが、あるアイデアを代表している、公的な人物です。同じようにM1も実際に担保勘定をコントロールしているわけではありません。M1は象徴的な人物に過ぎません。他の勢力にコントロールされている、公的な人物です。M1という習わしは、金融リセットのときに無くなります。

【人類が進化し続けるためのプログラム】

新しい時代がいつどのように訪れるのか、誰もが不安を抱えている時期です。世界共通の最優先の関心は、「家族を養うための生計の問題」です。衣食住さえままならず、そのため戦争など暴力に苛まれる運命を背負った人たちにとっては、どんなポジティブな夢も虚ろです。尊い生命の犠牲が払われ続け、その恐怖は進化を停滞させる最大の原因になっています。

進化の新しい始まりを創造する「共通基底構造」(現代の基底構造~古道復興の流れ http://blog.goo.ne.jp/adachi4176/e/20d3228675f15f741f5a62c534912ce4 )を理解し、条件を整えながら創造のプロセスを学び、あらゆる瞬間に神と人、人と生活、生活と道の関係を感じ取れるように安全の軌道を進行します。

生活こそ道の実践場であり、生活を通じて宇宙性命すべての尊厳を回復させるこの領域は、新しいマスタープランの始まりの位置になり、あらゆる可能性のスタートの位置になります。そして穏やかな大宇宙の原始を開創するため老若男女70億のインスピレーションを活かし、道に添った境界のない一体の領域を開創します。

【聖なる計画は人の存在意義を明かにするため】

人生について「望まないのに生まれ、苦しみ、そして死んだ」という故事がありますが、時が実り、人間は偉大な存在であることが明らかになりつつあります。

①  宇宙と人間種の創造(無から有を生ずる) 

②  同胞との一体化(一なるもの真理への旅)  

③  絶対創造主・ふるさとへの帰還(相対世界から絶対世界への蛻脱)

この瞬間、新たな世界観の本質は「真理への旅」と変わりました。2014年に入ってアセンションの重要性はさらに明らかになっています。万物の霊はすべて唯一絶対の創造主の同胞(はら)から生じ、全ての同胞を救済する一大事業が展開され最終段階に入りました。闇と光の微妙なバランスを継続しながら細心の注意のもとに加速化しています。

そのために①②③の一貫した循環を従容するスーパーコミュニティはトランス・コア(既存の生態を超えた生活の核)新しい社会の生活システムを産んでゆきます。

【熟達者】

素晴らしい移行の時、親が子に注ぐような溢れるばかりの暖かい支援を自分自身に与えることによって、成熟した叡智が養われます。

啓示の実践場は、人類の抱えるあらゆる問題の基底領域であり、使命を帯びた貴人は、全ての人に天の恵みが施されるよう、この闇に一点の火を灯し、創造の鼓動に命を吹き込みます。

金融・統治の闇をコントロールしているどの世界的組織も結社も進むべき道をすでに見失っています。支配の歴史は「自ら造ったものは自ら受ける」というカルマに法っとり、黒子は黒子の末代を踏襲します。

天意をともなわなければ一貫性がなく、ただ単にグローバルゼーションの維持という論理で、利欲の慣習に漬かったままでいる個人も国家も、あるいは一部の宇宙の神々も人類のエゴの影響を受けた負の渦中にあります。古代からの転生で王の質性を具えた者も、過去の能力を鼓舞するばかりで節度なく裸の王様を演じます。

世界が目指す新しい金融システムは一時的な方策で、国家や企業に纏わり着く利益優先の実りのない改革です。一時的な経済の陰で数々のアイディアが熟成の時を迎えています。この忍耐強い素材が熟達者によって適材適所活かされ一貫性のある聖なる社会システムが無理なく浮上してきます。

【相互扶助(Mutual Aid) の三原則】

相互扶助の共通基底構造は、真に貨幣のない社会を実現する最短で最大の効果をあげる一時的な経済システムです。世界の経済を市民に委ね、個人個人の相互扶助、国家間の相互扶助、星間国家の相互扶助を形成する壮大な流れを創成してゆきます。

従来の法律や政治、地域社会への依存や慣習を脱し、Personalに必要な経験を無理なく達成できる環境を自ら創り出し、人生プランに活用することができます。

人類の進化を助ける「奉仕活動の旅」というポジティブな個人の経験をサポートし、次の3原則により相互扶助の共通基底構造を形成してゆきます。

一、非営利(NPO)から非営利への人才と資金の流れ

二、すべての国、人種、老・若・男・女が平等

三、性命の尊厳が保証される受益者(Beneficiary)のステージ

宇宙の壮大な営みが人類の生活と直結しています。国の運営が直接家計にひびくように、人類に訪れるスーパーライフは宇宙と一体のコミュニティです。宇宙の進化の為に、唯一絶対創造の分霊が付与された人類の霊(自性・仏性)、たとえ存在目的のために一時的に退化しているとしても、その魂は独自性を持ち永遠の光であり全存在の一部分です。それに対し身体は永続しない容器で、魂がその中で生まれた次元よりも低い振動を持った次元を訪れるために創造されたものです。この壮大なドラマを演じる時期に地球に生まれるためその身体を得たことはまさに奇蹟と言えます。

この身体で経験する様々な出来事はこの魂の変遷の一瞬一瞬の姿であり、何一つ予定通りでないものはありません。すべてのタイムラインが集合するためにおきている混乱は、生活を通じて道徳を実践し真理を追求する稀有な機会です。

つまり、存在の意義(天命)を成し遂げるため、3次元の物質世界でこの身体という容器を完全な状態に維持しなければなりません。衣食住を賄うため知恵を働かせ人口の増加とともに生産力を高め、円滑に共同作業を行うため様々なシステムを構築してきました。やがてその知恵は部族の闘争に火をつけ資源や労働力を略奪する「経済」という歪んだ知恵は人々を財産として属隷化しました。この経済原理を消滅させ、悪慣習と無関心から脱出して本来の道に回帰できるよう安心で安全な身体維持計画を創造することが急務です。

【世界のすべての人に豊かで平等な生活を保障する、Beneficiary‘s Personal Pension Fund(BPPF)とは】

年金制度・厚生年金・社会保険・生活保護・ベーシック・インカムなど社会保障制度は、BPPFを実現させるための段階的経験的コンテンツの役割を担っています。そしてBPPFは次のステージのプロジェクトを補完するための一時的なプロジェクトの役割をしますが、国際的な合意によって、その瞬間からあらゆるものが順調に流れ崇高な規範が掲げられます。

一方、市民として、世界共通の最優先の関心は、家族を養う(旧概念)ための生計の問題です。この壁を超えるためにBPPFの基本モデルを理解することと、そして人々の意識と反応に慎重に対処し、熟達者自身が大胆に創造的意識内軌道修正に挑戦することで、この生活プランをダウンロードできるようになります。

 

【BPPFのモデルプラン】

1、10億円/一人の生涯生産能力

一人当たりの生涯生産能力を10億円と評価し誕生と同時に賦与されます。

債権や保険や株そのほかの金融商品の基礎は、人を労働力として3000万円の価値と見て、生まれた瞬間に奴隷として売買し帳簿に載せ、売買代金3000万円を貸出し、返済がなされないという理由で人に質権を設定しその債権を運用する仕組みすなわち奴隷制が原点で、なおかつ原資を減らさない原則を成立させるため身代金はその国家の負債に計上される慣わしになっていました。

生命保険付き住宅ローンはこの奴隷制システムをのぞかせます。

2、無限の生産能力と無尽蔵の公益性

BPPFは生涯を通じて一人の人がどれだけ社会に貢献できるかという評価を基準にします。誰もが持っている天性を考慮すれば無限の生産能力をそなえていることになりますから、この貢献の物差しは今までの労働力・生産力とは全く異なるものです。実際に一つの発見発明が無尽蔵の公益性をもたらす例はたくさんあります。これを金銭評価する基準はなく、相互扶助の奉仕活動のために基本的な生活基盤を維持・継続することがBPPFの主目的です。従って無限の可能性と一時的な経済システムを活用し、その柔軟な知恵にさらにオマケがつくことによって、相互扶助のエネルギーが人々の生活に引き寄せられ「奉仕すれば奉仕するほど見返りが多くなる」相互扶助社会の原動力となります。

3、自分で人生計画を立てる

3人家族の家庭の1ヶ月の収入が30万円とします。この30万円は3人分の生活費です。今の社会では税金・住居費・教育費・医療費・光熱費・食費…としてギリギリです。BPPFは自分で決めた計画に添って必要なだけの金額が使える個人の生活基金です。3人家族それぞれ別々で同じ条件です。

4、BPPFは100年分

誕生と同時に、生活するために割り当てられる一生分(100年)のBPPFの計画は、現在の生活状態からフレキシブルにスタートできます。100歳を超えた場合は新たな基金が用意されます。

例:日本人:Aさんのプラン:年齢18歳 高卒 女性 介護士 

月収18万円  年収250万円 

5、10億円のうち30%は個人の奉仕活動基金

BPPF10億円のうち30%は奉仕活動基金で、18歳までの18年間相当分1億8000万円は本人が活用できる奉仕活動基金に充当されます。残りの9億8200万円をどのように人生計画に配分するかについてAさんは検討を始めます。

6、BPPFを管理するのは儒益者本人

収入を得ていた介護士の仕事を続けるか方針を変えるか、また、計画を熟知することなど様々な面から検討をはじめます。そのため一定期間の研修や専門家のコンサルを受けることができます。一定期間介護の仕事を休む場合も収入が補償されます。一旦決めたら一生その計画でなければならないということはなく資金は自己管理しているので自由に変更できます。コンピューターにアップすればあらゆる状況を自動調整します。

7、余裕のある計画

生涯計画は、宿命や運命にも左右されるので結婚・出産・などについて超越した領域の専門の占星術や易、あるいは透視などのアドバイスも得られます。そうした目安と十分な予備資金を確保し全ての面で余裕のある計画をたてました。はじめの5年間は月収30万円(就労収入は別)予備費 3000万円として、総額4800万円の計画となりました。

8、就労所得はそのまま収入に

介護士の仕事はもう少し経験が必要なので続けることにし、その収入はプラスになるので、月々合計48万円の収入で休暇を有意義に過ごす十分なゆとりができました。

9、ゆとりある学習機会

残り9億3400万円を23才以降どのように計画するかは保留していますが、3億円の奉仕活動費の活用は、環境問題や医療・福祉の面で十分な学習が必要なので、休暇も含め忙しくなりそうです。

10、奉仕活動基金枠は個人裁量で10億円全額でも可能

70歳の場合、奉仕活動基金枠は3億円ですが、70歳までの7億円から奉仕活動基金枠3億円を引いた残り4億円は奉仕活動基金枠に追加することができます。自分の生活費として自由になる個人の儒益基金は残りの3億円になります。年金などの社会保障費の給付に影響はありません。お金の適切な使い方については十分なサポート体制が整っています。

11、豊かな世界観・宇宙観そして道徳を学ぶ

70歳で自己管理によるPPFの給付が始まったとき、まず何を考えるでしょうか。健康に関し医療に対する認識が大きく変わり、様々な分野で豊かな世界観・宇宙観を持てるように導かれて行きます。当たり前のように神や生死、家族や友人など道徳ついて大切に考えるようになります。素晴らしい体験学習がビジュアルに始まります。

12、シンプルライフ

10億円は浪費しない限りは使い切れない金額です。自己管理するお金は公的価値観につながり全体が一つという認識を進化させます。さらに万物の再評価システムによっていかに不要な物が欲望を満たしていたかが分かり、有害なものを排除することによって生活がシンプルになり、あらゆる無駄が省かれ最も合理的な経済規模を見出します。BPPFは生活のあらゆる分野を進化させ、経済を必要としない社会を創ります。

13、奉仕すれば奉仕するほど見返りが多くなるMutual Aid Credit

10億円の30%が奉仕活動基金で残り70%が個人のPPFで、使い方は自由です。これをNPOへの寄付や災害救済基金などにあてることも自由です。使用した金額に対して等価の倍以上のPointが見返りとして得られます。つまり奉仕活動は評議会で適切に評価の上Point還元され世界共通のMutual Aid Creditとして自由に利用できるようになります。そしてMutual Aid Pointはまた一定のOmake Pointサービスがあり、年間にして使用額の倍以上、数倍が手元に還元されます。 

14、趣味やゲーム感覚で

これによって人類の環境保全などの奉仕活動は飛躍的に成果があがります。特に奉仕活動にあまり縁のなかった人々にとって趣味やゲーム感覚で、また心の触れ合いの場としてゆとりの効果を生み出します。 

15、貨幣を価値領域に際限のないカラー(光)Pointに転換

Mutual Aid Creditは、貨幣の経済領域に無理なく浸透して、一定のシェアーを占めることになると、貨幣領域をカラーPointによる双方向システムに転換しながら物物交換の基礎意識を啓発し、普遍化出来た段階で貨幣のないシンプルライフに転換します。この時点でレプリケーター(自己複製機)の適正な導入が開始できます。

道の真象~すべての始まりであり帰着するところ

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天地の始めは、これというなんら形のない混然としたもので、声もなく、臭いもない、極めて虚にして、神なる実に無一物の境地でした。道教の祖、老子様は「無名にして天地の始め、有名にして万物の母」と申されましたが、これを表現しようがないので、天地の始めを「〇」にかたどり、万物の生ずる状態を「一」にかたどりました。

ー万教帰一(すべての教えは「一」に帰る)ー

道は大にして無名であります、故に『強いて名づけて道という』のであります。又、道は大にして無形であります、故に『強いて圏「〇」を以ってこれをかたどった』のであります。では、圏「〇」はなんであるかを追求しますと、一の静止した姿でありまして、虚なる「一塊の真理であり、又道の全体であります。一は圏の動いた姿であって、宇宙一切万物を生じる母体であり、万物はその実在の現れであります。これを「一本は万殊に散る』と言い、又『道の達用』と申しております。

圏が動いて一が生じ、一が縮まれば点「・」となり、点「・」を伸ばせば一となります。そこで実に圏と一と点は動静と伸縮の違いであり、変化して極まりないものであります。之を放して拡大すれば六合「東西南北上下、すなわち天地宇宙」を満たし、無際限の状態で伸長するので「一」を以ってこれを表し、又、之を巻いて縮小すれば密(極めて微細なもの)にも蔵められるので点「・」で表現したのであります。拡大すれば大にして外になく、縮小すれば小にして内にありません。故にこの道は天地に行きわたり、一切の万物を含んでいるのであります。実に不可思議な働きをするので『真空妙有』と申されましたが、あらゆる万物の生霊を支配する主宰者であります。

ー日本神道の真象も同じー

この主宰者は天にあれば「理」と呼び、人に宿れば「性」と名づけられます。そこで理とは万物の本体を統一するところの性であり、性とはあらゆる物の各々が具有する所の理であります。人々は各々その性をもちながら、その有ることを知りません。若し、この性をお把握することが出来れば、大悟した神聖の境地になられます。然し、これに反して理を迷い、性を把握することがなかったならば、鬼魂の世界に落ちなければなりません。

故に『千経万典は一点に如かず』と申しまして、如何に多くの経典を読んでも、「名師の一点」を欠いては、何もならぬと申されたので、「一点」が如何に大事であるかを知ることが出来ます。この「一点」は、孟子様の四端 『惻隠の心即ち仁の端、羞悪の心即ち義の端・是非の心即ち智の端、辞譲の心即ち礼の端』 を統一し、その中に万善を包含しているのであります。これを図表すれば縦は智と礼になり、横は仁と義になりまして、四端の交差する中心に信があるわけであります。孔子様は 『人にして信なければ、その可なるを知らず』 と申され、人間にもし信がなければ、何事もあてになるものではないと申して、この重要性を説いた訳もここにあります。

キリスト教はじめ古来すべての十字架が示すのは十字の中心の「点」

又、その重要性を縦に書いて「|」となし、横に書いて「─」としたのは体と用(本体とその働き)とを十字の形に現して、その縦には経と理が、横には緯と数が這入るのでありますが、この意味を深く玩味し、探究するならば、誠に極まりないものがあります。故に老子様は清淨経に『大道は無形にして天地を生育し、大道は無情にして日月を運行し、大道は無名にして万物を長養す』 と申されました。道は未だ天地が成立せぬ時、その本体を立てられ、既に天地が形づくられてからは、その運用を拡大して天地万有に及ぼしたのであります。

ー道の淵源ー

観音菩薩伝~第1話 王妃、不思議な夢を見られる 【観音菩薩が求道〈真理を得る〉物語です】

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観世音菩薩は西暦紀元前二百五十年頃「興林国」の第三王女「妙善姫」として誕生されました。第一王女は妙音姫(みょうおんひめ)のちに成就して文殊菩薩となられ、そして第二王女は妙元姫(みょうげんひめ)のちに普賢菩薩となられました。

観音菩薩伝をご紹介させていただくにあたって、一般に観音菩薩が実在したことがあまり知られていないことがありました。キリスト意識世界でマリア様の存在と同じように、東洋では観音様が女性意識に深く根付いていてその神聖が発揮されています。観音意識(思いやり)・文殊意識(智慧)・普賢意識(勇気)の女性性を引き立てる姉妹愛はやがて相互に感応して聖なる世界の中心的役割をなしてゆきます。

ご承知のようにサンジェルマンとクワンイン(Kuan Yin:観音)は東西を越えて世界の金融経済や統治を見守っています。また後に詳しくお伝えしますが、釈迦3000年(釈迦生誕の紀元前1092年~紀元1900年位まで)の治世のように世界の平和と「一なるもの」の実現については弥勒菩薩と観音菩薩が正・副でその盟主を担っています。

PAOの Kuan Yin 像

観音菩薩伝

第1話 王妃、不思議な夢を見られる

西暦紀元前二百五十年頃、西域諸国の東南に興林国という いたって泰平な国がありました。この国は峡谷と絶壁によって周囲を閉ざされた高原地帯にあり、この地層は数千里も延々と続いていました。気候は比較的温暖で、国の東南には遠く須弥山の諸峰が峨々と聳え、その頂は年中雪に覆われていました。この連峰の東側は、現在の中国に連なっています。

当時の中国は周王朝の末期で、秦・斉・魏・燕・楚・衛・韓・趙の列国が覇を競う戦国時代でした。また遙か東北の彼方では、匈奴(きょうど)が虎視眈々と中央進出の機を窺っていました。

西南に位置する天竺(てんじく。今のインド)はマウリア王朝の時代で、周辺地域の侵略と征服に暴威を振るっていたアショカ王が、自分が冒してきた諸悪業の非を悔い、仏陀の教えに帰依し始めたころのことです。

また遠く西の彼方では、アレキサンダー王朝が崩壊して、シリア、トラキア、エジプト、マケドニア、ギリシャが互いに勢力を争い、更に西方ではローマ王朝の勃興期に当たっていました。したがって当時は天下を挙げて兵荒・戦禍が絶えることなく、あらゆる地域で争奪と横暴が繰り広げられ、世風・倫理は極度に頽廃し、道徳はすっかり地に落ちてしまいました。その上至る所で旱魃・洪水・疫病が猛威を振るい、世人は塗炭の苦しみに喘いでいました。

興林国は霊山幽谷に守られていたため諸外国の侵略を受けることもなく、あまつさえ歴史は古く、開化も早かったこともあって、周辺諸国の中では最も文化が進み、群邦の領袖として慕われていました。

国王の姓はバキヤですが名号は「妙荘王」と称し、賢明な高徳者でした。三万六千里の国土を持ち、数十万人の忠実な良民を領していました。土地は肥沃で気候は温暖、比較的人口は少なく、外敵の憂いが全くなく、しかも穀物は豊かで果実は至る所によく実っていて国は富み栄えていました。男は耕作、女は織物を主としてみな勤勉に職を営み、慈愛深い王と共に日々の生活を楽しんでいました。

王妃の名はパイヤ、宝徳妃と称し、才色兼備で貞淑、そのうえ聡明で謙譲の徳が高く婦道の模範とされていました。常に夫君妙荘王の良き相談相手であり、内助の功に厚かったので、妙荘王は王妃を心から敬愛していました。

王夫妻の間には二方の姫宮がおられましたが、惜しいことに太子には恵まれませんでした。姉姫は妙音姫、妹姫は妙元姫と呼ばれました。しかし妙荘王は太子を欲しがられ、王妃と二人きりになると、いつも寂しがっていました。その王の心中を察すると王妃はいつも辛い気持ちで一杯になるため、髪には白いものが目立つようになりました。既に壮年を過ぎていた妙荘王は、後嗣のことを考えると政治も手に付かず、朝な夕なに嘆息する日々が続きました。

ある年の四月のある暖かい日のことです。御苑内の池の蓮華が一斉に開花して芳しい香りを辺り一面に漂わせ、小鳥は美曲を囀り、百花は今を盛りと咲き誇っていました。妙荘王が悶々の心を晴らすため花園へ散歩に出て石台に座り見事な万朶の睡蓮を眺めていると、自然と気も軽快となり、心のもやもやも消え去りいつの間にか時の経つのも忘れていました。このとき人の気配を察して後を振り向くと、宮女を従えた妃パイヤ・宝徳后が微笑を湛えて立っていました。

「何時の間に来られたのか」

そう言いながら妙荘王は、静かに立ち上がりました。

「王様が余りうっとりと花に見とれておられたので、声を掛けるのを遠慮しました」

王妃は妙荘王を見て、にこやかに笑いながら「お疲れでございましょう」

王は王妃の顔を気遣わしそうに見て

「いや、蓮の花を眺めていたら、急に気分が爽快になった」

妙荘王がそう言って裾に掛かった花弁を軽く払ってゆっくり歩き出したとき、宝徳后は突然

「王様に占っていただきたい事がございますが…」

「如何なる事か」

妙荘王は、訝しそうに踵を返しました。

「昨夜、私は不思議な夢を見ました。いくら考えても、私には判断出来ません」

王妃は、ちょっと首を傾げて話し掛けました。

「向こうの涼亭の椅子に腰を掛けて、ゆっくり話を聞こう」

そう言いながら妙荘王は、先になって歩き出しました。

涼亭に入ると、暖かい風が肌身を撫でて心地よい気分に打たれました。王妃は言葉を続け、

「私が夢の中で一面茫々とした果てしない海原に立っていたとき、突然海底から轟音が響き、瞬く間に海水が真っ二つに割れたかと思うと、その間から一枝の白い蓮華が忽然と湧き上がってきました」

王妃は、瞬きもせず妙荘王の顔を見つめたまま話し続けました。

「初め海面に現れたときは普通の蓮華でしたが、水面から出た蓮華は見る見るうちに大きく伸びて、急に金色の光に変わりました」

妙荘王は、興味深く大きく頷いて、眼で先を促しました。

「あまり眩いので、とても目を開けておられません。暫くして目を開けてみますと、どこにも蓮華は見当たりません」

王妃は、一息吐いてから、想い出すようにして話し続けました。

「すると前方にいつの間にか一座の神山が聳え立っており、山の上は縹渺として沢山の楼閣が見えました。頂上には鬱蒼と繁茂した樹木、空には珍鳥が飛び交い、天竜、白鶴が静かに妙なる楽の音に聞き入っていました。また、南の方角には一座の七宝の塔があり、塔の上には一個の明珠が安置されていました」

「全く不思議な話だ」

と妙荘王は、王妃の話にすっかり魅了されてしまいました。

「その明珠は、千万条の色とりどりの光を放っていました。私はその荘厳さに打たれ、身じろぎもせずその光を見つめ、自分の身も心もすっかり忘れてしまったほどです。やがて明珠は、ゆっくりと空に舞い上がったかと思うと瞬く間に転じて太陽と変わり、上へ上へと上って行きます。暫くすると、それが私の頭の真上に懸かって参りました」

熱心に話される王妃のお顔に、一瞬恐怖の色が過ぎりました。

「するとその太陽は、一声大きく鳴り響き、私の懐中目掛けて落ちて参りました。私は驚き慌てて急ぎ逃げようとしましたが、両足が根の生えたように動きません。必死になって藻掻いているとき、パッと目が覚めました」

王妃は、冷や汗を流しながら、怯えた表情で語りました。

「不思議な夢だ」

妙荘王は、もう一度同じような言葉を繰り返し、腕を組んで考え込んでしまいました。

「普通の夢ではない」

と呟きましたが、何か思い当たることがあるのか、心から喜びが湧いてきた様子でした。

「この夢はどんな兆しを示しているか、ご判断が付きましたか」

王妃は座り直して、真一文字に結んだ妙荘王の口許を見つめました。

「これは正夢で、大吉の兆しと思う。御身の見た景色は、仏国の極楽に違いあるまい。凡人では、とても見られるものではない。あの明珠を仏門では舎利と言い、智慧・聡明の象徴であり、太陽と変わったのは「陽」すなわち「男」を表す。懐中に落ちたことは、懐胎したことを意味する。御身は、この夢を何の意味と思われるか。余の信ずるところ、これは当に懐胎の知らせで、太子が生まれるに相違あるまい。真に喜ばしい吉兆の夢だ」

妙荘王は喜びを抑えきれない様子で立ち上がり、石卓の周囲を何回かゆっくりと廻られました。王妃はこの判断を聞いて、限りない幸福感に包まれました。


次回 第2話 王妃、第三王女をご出産される

ふる里帰り!~京都・祇園祭「宵山」 京の音色コンチキチン

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京都・祇園祭「宵山」 京の音色コンチキチン

祇園祭 2017 【長刀鉾】曳き初め

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古代ユダヤ人が日本に来た祭り、本当は世界を治めていた古代日本人が新しい時代に備えて古里帰りしたお祭りなんですね!

みんな待ち望んで喜びに溢れているわけですね。

何千年も護ってきた[宝物]を、西から運んできました。 

行列に神官まじって「以心伝心の秘法」を携えていました。

天の資格がなければ受けることが出来ないので、密かに曖昧な形を遺しました。

京都大文字焼きの「大」の文字、「人」に「一」を重ねると「大」です。

人が一〈真理〉を得ることがいかに大切なことでしょうか・・・みんなで守り続けてきたのは、パシャールの言葉をかりれば「駆り立てられる思い」でしょうか。

そのときがきました。

世界の人々も日本の文化や伝統、とりわけ「お祭り」には興味深深です。

日本人みんながモテナシ心を感じるのも無理からぬことかもしれません。

すばらしいですね!

この心境を「般若真経」でも・・・

ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝         (往き往きて、彼岸に往き、)
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝             (完全に彼岸に到達した者こそ、)
ぼうじ
菩提                   (悟りそのものである。)
そわか
僧莎訶                 (めでたし。)

と伝え守ってきています。

ワッショイ、ワッショイ、今まで辛抱してきたんやか、もう少し!そやから頑張ろう・・・という意味です!

ご存知でしたか、日本中が笛や太鼓の大騒ぎです。〈聖書ではラッパが鳴る・・・と表現していますが)

日本中がお祭りブームなんです。

そうなんです。そのときなんです。

祇園祭 2017 【長刀鉾】曳き初め

バシャール:駆り立てられる想い

2017-07-15 00:29:43
テーマ:

貴方が『ワクワク』そのものになると、周囲の人たちがその影響を受けて『ワクワク』をつかみ易くなります。『ワクワク』を掴むコツを知った彼らは、貴方が光輝けば輝くほど強さもパワフルなものとなるので、貴方の”輝き”を自分にも反映させてみたいと感じるようになります。とにかく貴方のようになりたい、貴方のように自分を表現したい、貴方のように人生を楽しみたい!と考えるようになります。

今までの貴方だったら、例え『のぞみ』が誕生しても”自分に叶うわけないだろう”と言って消極的でした。しかし自分に『軸』が戻りつつある現在では、以前に増して自分の力を信じる事ができるようになっています。自分の力で、自分の方法で、自分の意思で切り開いてゆける事を、ようやく受け止めれるようになっている事を意味しています。

また私達は極めて貴重な時代を生きています。”今まで”誰かが引いた線路から外れ、自分の力で『覚醒の道』を選んで進んでいます。もちろん『覚醒の道』を選択しない人たちも大勢いますし、そもそも『覚醒の道』がある事さえ知らない人たちもいるでしょう。いずれにせよこの時代を選んできた事、それからバシャールの教えや精神世界に興味を持つ事は偶然でも何でもなく、貴方の心に埋め込まれている”駆り立てられる想い”によって、導かれているのです。

「ベーシック・インカム」実現で人類は怠け者になる? 希望が持てないすべての人たちへ

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7/17(月) 9:01配信

現代ビジネス

写真:現代ビジネス

「豊か」なのに、なぜ貧しいのか

 あなたは今、明るい未来への希望を感じているだろうか。もしそうなら、当面この本に用はないかもしれない。だが、そうでないなら一読の価値がある。

 各種統計によれば、日本でも貧困率は上昇傾向にあり、先進国でもワーストに近いというし、近い将来AIが発達すると仕事がなくなるという話も飛び交っている。

 『隷属なき道』はそんな状況で、人生に希望を持ち直すためのヴィジョンを示す本だ。著者は問いかける。なぜ私たちはたくさん働き、相対的には昔よりはるかに豊かで健康になっているにもかかわらず、貧困はなくならず、いつまでも長い労働に縛りつけられているのか、と。

 貧困とは端的にいってお金(収入)が少ない状態のことだ。身近には生活の問題であり、大きくは経済と政治の課題である。それに対する本書の提案は、ベーシックインカム、労働時間の短縮、国境を開くこと、とまとめられる。

 ベーシックインカムとは、政府が国民に現金を配り一定の収入を保障する政策を指す。

 歴史家の著者は、過去に施された政策の経緯や各種の経済指標、統計データ、調査結果などに基づいて、こうした解決案が夢物語でないことを説得的に主張している。だが見ようによってはいずれも既存のアイデアだ。

 というのは本書の半面である。著者は、他方でいっそう深刻なもう一つの難題にチャレンジしている。人びとの思い込み、偏見の根深さ、頑固さ。実はこれこそが貧困と労働の問題がなくならない大きな原因であることを歴史から浮かび上がらせて見せる。

 実際、過去にもベーシックインカムに類する政策が構想・実験された例がある。だが、そのつど効果を疑われ潰されてきた。

 理由はといえば、貧困は「人格の欠陥」(サッチャー)によるものであり自己責任の問題だといった見方が、政策の意思決定に影響してきたためだ。お金を配っても人はいっそう怠惰になるだけで無意味だ、というのでは効果測定の目も曇る。だがそれは事実に反する。

 近年、認知心理学や行動経済学を筆頭に、人間は理性的どころか、偏見(認知バイアス)まみれであることが明らかになってきた。社会の課題解決でも、そうした人間観を前提としなければ実のある策も施せない。

 ならば思い込みから抜け出して貧困や仕事を再定義しよう、見方を変えて世界をよりよく変えようではないか。本書はそんなふうに世界観の更新を促す本なのだ。諦めるのは読んでからでも遅くはない。

 『週刊現代』2017年7月26日号より

山本 貴光

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最終更新:7/17(月) 9:01
現代ビジネス

ハワイで「べーシック・インカム」の導入が本気で議論されている事情

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Ray:BIは教育・福祉・医療など地域経済が世界的に行き詰っていることを知る機会になります。世界経済の転換期ですからテストは繰り返すことになりますが、根本的な国際的な財政問題が解決しなければ決して実行できません。もしその根本が解決したならBIはいかに配慮が足りない計画であることが露呈します。つまり市民の意識がまだそこまでだということです。因みに国家予算の組み方に言及すれば殆ど見直しが必要になることがわかります。しかし市民は棚ぼた意識から抜けられないためBIが実現可能だと考えてしまいます。

転載: http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52201

どうやら、本当に苦しいようです 山田 敏弘 ジャーナリスト プロフィール なぜハワイで?

ハワイの州議会が2017年6月、「べーシック・インカム」を導入すべく作業部会を設立する法案を可決したというニュースをご存じだろうか。いま、このことが全米で話題になっている。

ベーシック・インカムという言葉が近年注目を集めているのはご承知の通り。すべての市民に対して、必要最低限の基本的な生活費を賄えるよう、政府が無条件で所得を給付することを言う。市民が仕事をもっていようが無職だろうが関係なく、一律に現金などを支払うという制度である。

ベーシック・インカムという言葉をよく目にするようになった理由は、著名な起業家などが次々とこのアイデアに賛同しているからだ。例えば、フェイスブックの創始者であるマーク・ザッカーバーグは、母校ハーバード大学で卒業生に向けた2017年のスピーチで「世界的なベーシック・インカム」の導入について言及している。

またテスラ・モーターズのイーロン・マスクも、2017年にドバイで開催された世界的サミットで、「何らかの形の世界的ベーシック・インカムが必要になるだろう」と語ったことでニュースになっている。

その制度が、本当にアメリカで始まるかもしれないというのだ。それも、ハワイで。

日本人にとって、ハワイは「常夏の優雅なリゾート地」というイメージが強く、そんなハワイになぜベーシック・インカムが必要なのだ、と訝しむ向きもあるかもしれない。実はハワイ州の経済については、将来の見通しに悲観的な見方が出ており、州議会などでも経済に対する不安が高まっているのだ。

ベーシック・インカムの必要性が検討されるほど、明るい将来見通しが示せないというハワイの実情に迫ってみたい。

生活コストは全米トップ

ハワイで今、最も問題視されているのは、全米トップと言われる生活コストの高さだ。例えば、ワンルームアパートの平均賃料は1800ドル、20万円近くにもなるという。その理由のひとつは、ハワイは土地の限界があるため、というシンプルなもの。どんどん建物を建てればいいというわけにはいかないのだ。

そんな高い生活費のせいもあって、ハワイは全米で最もホームレスの数が多い州とのイメージが通っている。リゾート地とはかけ離れているが、人口140万人のハワイで、ホームレスの数は7200人。比率で見ると、10万人のうち505人がホームレスという計算になるが、ホームレスが多いイメージのあるニューヨーク州では10万人のうち436人がホームレスということ計算になり、ハワイが上を行っている。

ホームレスが増えることで、畢竟、州の財政にも負担が押し寄せている。劣悪な状況での生活によって健康を害し、病院の世話になることも少なくない。大きな病院では年間1000万ドルの医療費がかかっているというが、ホームレスの人たちは医療費を支払うことができないため、結局、病院や州の財政にしわ寄せが来ているという。

そのような状況下で、ハワイ州知事は2015年、深刻なホームレスの増加に対して非常事態宣言を発動している。そしてホームレスに向けたシェルター建設など早急な対策を指示したのだが、当時のホームレスの数が10万人中465人、それが現在は10万人中505人になったことを考えると、事態は悪化していることになる。

市民団体などの精力的なボランティア活動などもあって、2017年5月には過去8年で初めてホームレスの数が減少したと報じられているが、それも若干、という程度で、ベーシック・インカムが必要になる可能性は相変わらず高い。

一方で、ベーシック・インカムの導入が議論される理由は、生活コストの高さやホームレスの問題だけではない。今後の州内のビジネス展望が明るくないという予測も大きく影響しているのだ。そもそも、ハワイはビジネスのコストや労働力、インフラといった項目は、全米で軒並み最低クラスであると評価されている。そんな状態のハワイが、さらなる不況に襲われるという見方が出ているのだ。

実験は各所で行われているが…

6月にハワイの州議会を通過したべーシック・インカム作業部会。その設立を決めた法案には、その理由がこう記されている。

「アメリカは世界でも最も裕福な国であるにもかかわらず、一部の高額所得者と中流・下流層との間にある経済的な不平等さが格差を広げるなか、ハワイ州の多くの家族、個人、そしてビジネスが、生活コストの増加に合わせていくのに、もがき苦しんでいる。しかも中流・下流層の全体的な収入もここ数十年で減少している」

 そんな状況で、さらに追い打ちをかけるように、新たなテクノロジーによる雇用破壊という要素が加わることになる。各自動車企業がしのぎを削っている自動運転テクノロジーや、スーパーマーケットなどで導入が進む自動支払いシステム、通販などのEコマース、医療検査、銀行送金や支払いなどでは、すでに人の手が必要でなくなりつつあることはご承じの通り。

特にサービス業に依存しているハワイのような州では、こうした革新的なテクノロジーの到来で、何十万人もの仕事が奪われると指摘する。しかも、「3Dプリンターの値段が過去10年で1万5000ドルから500ドル以下になった」ように、それが瞬く間に現実になると警鐘を鳴らしているのだ。ハワイ州特有の事情から、その対策として、ベーシック・インカムが必要になる、というのだ。

さて、ベーシック・インカムのアイデアは特に新しいものではなく、米国でも古くはリチャード・ニクソン大統領が68年から3年間にわたり、ニュージャージー州とペンシルベニア州の1300世帯で実施したことがある。だが結局は導入するには至らなかった。導入への慎重派は、財源もさることながら、市民が堕落することを反対理由として指摘している。

今改めて注目されているベーシック・インカムは、世界を見渡せばすでにいくつかの地域で試験的な導入が始まっている。カリフォルニア州のオークランドでは100世帯に月1500ドルを配るという実験を行なっている。

フィンランドは2016年から、ランダムに選んだフィンランド人2000人に1人につき月560ユーロ(約587ドル)を無条件で提供する2年間の実験を開始している。2017年4月には、カナダのオンタリオ州が3つの地域の4000人に、1人に月1400ドルほどのベーシック・インカムを渡す試験を実施すると発表している。

ハワイ州では、世界の実験結果なども考慮しながら、ベーシック・インカム導入に関する議論が続けられることになる。最大の課題は財源だろう。

現在ハワイ州の貧困ラインは1人の年収が1万3860ドル。仮に成人人口(18歳以上)の約105万人が全員、1万3860ドルを受け取るとすると、ベーシック・インカムの費用は年間で144億ドルほどになる。富裕層の税金を増やすという案もあるようだが、今後、それをどう賄うのか、試算などを繰り返すことになるという。

今回の法案の文言を読むと、ハワイの切迫感はどこよりもその必要性を強く感じられるものである。財源をどうするのかをはじめ、検討すべきことは山のようにあるはずだが、ハワイにとっては、「その時」が来るのはそう遠くはないのかもしれない。


評議会 : 招待 [評議会]

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きらきら星へようこそ...☆

 

評議会
The Council

招待
The Invitation

 

June 22, 2017
The Council  The Invitation

今まで皆さんは、皆さんの自己をそのパーティーに招待することを検討したことがありますか?

もしも彼または彼女が今回の生涯を皆さんと同じように生きていたとすれば、皆さんはそれがどのようなものになると考えますか?

偵察船に拘束されたある種の記憶として皆さんをこの場に居させる代わりに、皆さんのさらに高い自己が皆さんの目を通して外を見ていて、皆さんが確認していた物事のすべてを創り出していたとすれば、どうなるでしょうか?

皆さんがその過程の中で何ひとつ失うことなく、その代わりにあらゆる生涯の間に皆さんの魂が事実通り飢えていたすべての物事を獲得していたとすれば、どうなるでしょうか?

 

ここに存在しない、現実性の中で皆さんから離れていない、皆さんが遭遇するすべての経験によって豊かになる皆さんという存在の巨大な部分があることを、皆さんは実際に理解しているでしょうか?

 

皆さんはこの瞬間に何をしているでしょうか-もしも皆さんが彼または彼女だったとすれば、皆さんはそれをどのように行っているでしょうか?

皆さんはどのように感じているでしょうか?

皆さんは何を確認しようとするでしょうか?

もしも皆さんがその本質の中でそれを確認することができたとすれば、皆さんが皆さんの周りで観察する物事は、どのように見えるでしょうか?

 

こうした質問は、その瞬間には風変わりなものに見えるかもしれません。

しかしわたし達は、もしも皆さんが次元上昇と呼ぶ道筋を昇っているとすれば、皆さんの近い未来の中で、その質問はそれほど風変わりに見えるようにはならないことはないことを、皆さんが理解することを望みます。

しかしわたし達は、皆さんと皆さんの現実性は、現実性ではない、と皆さんに伝えます。

そして皆さんの経験がその無限の真実の中の現実性の認識である時、それは、現時点でそして皆さんの現在の視点から皆さんが思い描くことができるものとは、かなり異なるものになるでしょう。

 

わたし達が皆さんに数々の変化について伝える時、数多くの皆さんが、それはそれほど直ぐに起こることはあり得ない、と話します。

そして、相も変わらず、皆さんは、皆さんの環境に対する変化を考えています。

しかしわたし達は、集団的に皆さんが行わない限りそして行うまで、皆さんが確認する環境は事実通り変わることはない、と説明するために、数多くの事例でかなり苦労しています。

それは、皆さんの意識状態を踏まえて創り出されます。

それは今までいつも正しかったことであり、これからも当てはまることになるでしょう。

 

今、皆さんは誰も変えることはできません。本当に?

皆さんは誰を変えることができますか?

そして次に、百万ドルの質問として、皆さんはどのように変わることができますか?

わたし達は、皆さんにひとつの秘密を伝えることにしましょう。

それはわたし達が隠してきた秘密ではありませんが、しかしそれにもかかわらず、それは、皆さんから隠されてきました。

 

その原因となる段階、あらゆる物事を変えてきたその段階は、既に行われています。

人類である皆さんは、既に今後皆さんが世界を変えることを、決断しています。その変化は迅速で避けられないものでした。

それはただ、身体の中にいる皆さんが、皆さんの意識の中でひとつの転換点に到達し、それが結果として皆さんの世界が今まで目撃した中で最も大きな変化になる、という事態のままです。

 

“素晴らしい!”と皆さんは話します。

“しかしその時、わたしは何ができるのか?”

 

さて、皆さんは、わたし達が上で話した招待状を作ることができます。

何故なら、わたし達が話したことは、次元上昇の定義そのものになるからです。

たとえただ意図と誠意で ‘はい’と話すことによることだけだとしても、その招待状を作ってください。

行うべき沢山の物事があります。

しかし皆さんがする必要があるのは、それが起こることを認めることだけです。

そして皆さんは、皆さんが実際にその最後の結果を確認し始めることさえできない時にそれを糾弾する代わりに、おそらくそれが起こる時に変化を歓迎することを望むことができます。

結局のところ、皆さんがひとつのオムレツを作っている時、皆さんは、“嗚呼、この馬鹿卵が壊れた”、と話すことはありません。


There are two published books available on Amazon that contain the collected messages received by Ron Head (that’s me). The first is The Wisdom of Michael, available HERE, and the second is It Rings True, available HERE. A third book is being compiled now.

Copyright Ronald Head. All Rights Reserved. You may copy and redistribute this material so long as you do not alter it in any way, the content remains complete, and you include this copyright notice and link:http://ronahead.com/

http://ronahead.com/2017/06/22/the-council-the-invitation/

 

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。

転載される場合には、出典を明記してください。

諏訪御柱祭の歌【御柱/美咲】(名人木遣り入り・映像・歌詞付き)

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諏訪御柱祭の歌【御柱/美咲】(名人木遣り入り・映像・歌詞付き)

日立の樹 この木なんの木 歌詞付き

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日立の樹 この木なんの木 歌詞付き

小池都知事の「子どもを受動喫煙から守る条例」 自民党都議から異論も

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7/17(月) 17:49配信

 受動喫煙の防止対策強化を盛り込んだ健康増進法改正案の国会提出は、厚生労働省と自民党の意見が一致を見ず、結局先送りされた。

 厚生労働省が示した、床面積30平方メートル以下のバーやスナックを除き屋内を全面禁煙とする法改正案に対し、たばこ議連の反対を受けた自民党案は「喫煙の表示があれば可」などと大きく後退。自民党たばこ議連の野田毅会長は「禁止を前提にして、それから先に進めていくようなやり方はダメだ」とコメントしている。

 一方、都議選で大勝した都民ファーストの会は「スモークフリー社会」と題し、「見せかけではない『真』の受動喫煙防止条例(罰則付き)をつくる」という公約を掲げてきた。先月23日の街頭演説で小池都知事は「受動喫煙問題など東京オリンピック、パラリンピックを控えている東京だからこそ、もっともっと日本中を引っ張るくらいの、そのような都政を作っていきたい」と訴えていた。

 5月に小池都知事は「特に居場所の選択が自らあまりできない子どもに対して受動喫煙を守る条例を作る」と述べ、具体策として飲食店や公共施設など屋内は原則禁煙とする条例と、子どもがいる自宅や車内での喫煙を制約する「子どもを受動喫煙から守る条例」制定の意向を示してきた。これに対し、街では「当然だと思う。子どもを守るためには親子でも」「やり過ぎだと思う。タバコを吸う方の権利もあるので」といった声も聞かれた。

自民党の川松真一朗都議

 小池都知事の方針に対し、自民党の川松真一朗都議は「考え方は分かる。しかし東京の場合は各地域で歩きタバコ禁止条例やポイ捨て禁止条例があり、原則的には外で吸えない。中でも吸えない、外でも吸えない、でもタバコは売っているという状況になるが、各国に比べ喫煙所が足りない。オリンピックの開催都市では色々な所に喫煙所があり、掃除する人もいる」と話す。

 川松氏によると、受動喫煙に関して都議会自民党が公約で掲げたのは、国会の自民党タバコ議連の意見とは異なり、厚生労働省案と同じ案だったという。

 川松氏は「持続発展可能な都市・東京を作るために、お子さんの安全、生命を守るという論点がタバコだけなのか。他にもいっぱいあるはずだ。そういう全体の議論の中で子どもたちの明るい未来をどう作っていくか、という議論をすべきだ。部屋の中でタバコを吸うか吸わないかだけで条例を作るなんていうのは、あまりにも極端すぎて、視点がずれてしまう気がする」と訴えた。(AbemaTV/『みのもんたのよるバズ!』より)

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最終更新:7/17(月) 17:49
AbemaTIMES

こんな生き方だったら世界を変えられそう~セブンルール #11 家具職人・武内舞子の師弟関係に男泣き 2017年7月4日放送分

バシャール:切り口

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2017-07-18 01:15:41  NEW !
テーマ:

以前ダリルに『望まない状況が引き寄せられてきてしまうから、その状況に”フォーカス”しないように』と賢いアドバイスをしてくれた友人がいました。どっちみち私達はいつだって”何か”に”フォーカス”しています。だったらポジティブ側にフォーカスして、ワクワクをどんどん増やしてゆく方が何倍も人生が楽しくなります。どこを切ってもポジティブに見えない状況下においても、やはりポジティブへの”道”が存在しています。つまり、私達はどんな事にも”光”を見出す極めて精巧なセンサーを持っているのです。

貴方には貴方独特の『切り口』があります。『切り口』とは、物の断面のことで、角度を変えて捉えること、シチュエーションや人物や社会状況を変えて捉える方法です。作家さんは同じテーマを扱いながらも、異なるストーリーを幾つも展開させることができます。なぜならば『切り口』つまり『視点』を違えて真新しいストーリーを誕生させている事にあります。

それと同じように、私達は『切り口』を違えて物質界に転生しています。ストーリー展開は転生の度に新しくなっているのです。ですから”今ここ”の貴方の視点で体験するこの人生は、この人生のみなのです。だからこそ”今ここ”の貴方の持つ『切り口』で体験する人生を大いに堪能し、貴方の視点をリスペクトして大いに楽しんでゆきましょう!

Google翻訳 シェルダン・ナイドルニュース 2017年7月18日 

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http://www.paoweb.com/sn071817.htm

6 Ik、17 Kumku、13 Caban

ドラツォ!配送システムは引き続き前進しています。最初の兆候は、必要なものすべてが現在整っていることを示唆していると考えられています。このフォワードモーションがどのくらいうまくいくかがわかります。これはすぐに続くものの始まりに過ぎません。要点は、「知っている」人は、現在、何らかの形で積極的な行動が必要であることを認識しているということです。この点を踏まえれば、Eldersがさまざまな配信タスクを完了するために必要なことを実現していると安全に言えるようになりました。すべての関係者に結果が明確に現れることが期待されます。

   私たちは、これは、最初の資金が今、彼らの流れを再開する準備ができていることを意味するだけであることを繰り返します。残りの恐怖をあきらめ、すべての人に必要な一連の金額を与えることは、すべての権力に義務付けられています。この進捗状況は、Eldersによって設定された様々な初期資金調達レベルが完了できることを示しています。今でも権力を握っている人たちが、彼らがまだ抱えている膨大な金額を完全に放棄しようとしていることを意味し、長い遅延が真実に終わりつつあることを意味します。これを知って、私たちは喜ぶ!多くの予期される出来事を目撃する準備をしてください。最高はまだ来ていない!

   この進歩はすべて、この現在の領域が米国、INCによって生き続けられることを深く望んでいる古いエネルギーによって緩和されています。この古いエネルギーが長く続くほど、このネサラ共和国の台頭により、方法、遅れてfurtheredされる。したがって、私たちはこの新しい領域の台頭を誠実に支持します。古い現実の完全な死によってのみ、長い間約束されたものが引き渡されることができます。このビジョンは、私たち全員が非常に必要とされる新しいネサラ領域を提供するために熱心に取り組むことです。この任務はアメリカ、INCのこの土地を掘り起こすことができるようになります!

   現在、私たちは何とかこの古い領域によって引き起こされた大きな泥沼にとどまっています。この一見老朽化した現実に縛られた政府は、奇跡的に続けている。レジームの変更が必要です。この奇妙な孤立を真に終わらせ、長く約束された領域が完全に現れ、古い方法が最終的に消えることを許すべき時です。これは着陸が起こる前に必要です!したがって、発生に近いものは今完了しなければなりません!!ホサナ!ホサナ!

   祝福!私たちはあなたの昇天マスターです!私たちの周りにはたくさんのことが起こっています。暗闇の中にいる者は、光を代表して行動している者の奇妙な陰謀によって救われています。これらの結果が勇敢に前進して、すべてが祝福されて変わることができる時だけです。したがって、この奇妙な領域を見て、本当に何が起こっているのか注意深く見てください!これには、現在すべてが不安を感じている理由が分かるはずです。この現実の現実はすべて、ゆっくりと大幅に変更されています。暗闇の中心は、決して守り続けることはできません。

   祝福されなければならないことに応じて、私たちは、これらの大いに必要な資金を解放する責任を負うすべての人に、できるだけ迅速に行うよう呼びかけます。あなたは、あなたの古い現実を克服するために使用された素晴らしいビジョンを維持しているすべての人の名前でこれを行うようお願いします。そうすることによって、あなたは新しい繁栄した主権の現実の正式な上昇を認めます。結局のところ、これはあなたの何千年もの無駄な奴隷制を終わらせるために選択された手段です。私たちがこの領域の救いを心から願っているのは、この精神です!

   あなたの現在の現実を変えることが不可欠です。この土地はもはやあなたの大部分には適していません。天は慈悲深くあなたが誰であるかを変えています。私たちは天国があなたを変えたいと思う方法を知っています。この祝福されたライトでは、あなたはすべて新しい、より適切な環境を必要とします。遅れはあなたにうまく役立たない。私たちの地上の影響力を利用して、あなたが暗闇の絶え間ない暴動の終焉を達成するのを助けることが私たちの目的です。私たちは良いオフィスを利用して、あなたに約束されたことが確実に実現することを確認する必要があります。私たちはあなたの天国の奉仕の中にいます!ハレルヤ!ハレルヤ!

   今日、私たちは毎週のレポートを続けました。それでもやるべきことはたくさんあります。我々は、新しい形態の政府を含む必要な資金を迅速に提供することを引き続き推奨する。最終的にこれをなくし、この現実をあなたに約束した国家と豊かな政府に変える時が来ました。数え切れないほどの天国の供給は確かにあなたのものです。セルマートガジュン!セルマートジャ! (Sirian for Be OneとBe Be In Joy!)


おやおや真実がばれてきましたよ。地球温暖化詐欺~NASAの未来計画文書②

おやおや真実がばれてきましたよ。地球温暖化詐欺~NASAの未来計画文書③

古代からの伝承『五風十雨』~もうすぐ地球は”地中海気候”にかわる

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2017年7月13日 アシュタル : どのような闇でも切り抜け続ける勇気を持て![アシュタル]

http://blog.goo.ne.jp/adachi4176/e/4e25f3db23161f5245d4be50c1e45594 :では『今、既にわたし達は、過去の時間の中で、惑星はさらに高い次元の現実性に次元上昇をし、今後-山頂の最も高い場所を除いた-あらゆる場所で温暖な気候になり、そしてこうした気温はあらゆる場所で非常に心地良い華氏70度(摂氏約21度)の範囲に収まる、と伝えてあります。砂漠は花咲く場所になることができ、森はその絶対的に最も荘重な健康状態になり、そして癒しと安らぎの無限のエネルギーを提示してすべての王国を迎え入れることができます。』となることを伝えています。 

このことについて、みなさんに現実を理解していただく時期がきています。ご承知のように地球温暖化問題によって人類は環境問題を考えるようになりました。小学校から教育にも取り入れられ地球環境を学んでいます。この状況はとてもいい機会が与えられているようにあらゆる方面に共感をもたれています。しかし、地球温暖化の原因は、人々が豊かな生活が地球資源を破壊しているという理由で、実際にはペットボトルの回収などをすることで環境破壊問題に参加していることになっています。

実際の破壊者である大企業は相変わらず地球環境を破壊し続けています。そして解決方法を各国政府の「温室効果ガスの排出量取り引問題」にすりかえて答えのでない迷路に世界の人々を引き込んでいます。環境を破壊しているのは大企業です。その責任は全て大企業が負うべき時がきます。そのためには「温暖化」は、企業が偽装するための方便であることを国際司法で決着させる時が必ずくることになります。これはもう過去の流れといえます。

むしろこの問題の結果を人類がどのように受け入れるかが問われます。大企業に責任を取らせる法的な手段を見守リ騒ぎ立てる人になるでしょうか? ここで“アシュタル : どのような闇でも切り抜け続ける勇気を持て!”に注目してみたいと思います。

「闇を切り抜け続ける勇気を持て!」という「闇」とは、私たちがおかれている闇の実体を掌握する勇気、意識する勇気です。

古来、大同世界(彌勒の世)になると世界中の気候が“五風十雨”の地中海気候になると伝えられていました。

“五風十雨”とは5日に一回 程よい風が吹いて、10日に一回 雨で潤うことをいいます。地球規模の気候変動は、その前兆といえます。この気候変動は人類の進化の様子をそのまま顕しています。

新しい時代はこの変動が落ち着くように、だんだんと、そして間もなく私たちの生活を豊かに明るいものにしてゆきます。

豪雨が続き心配ですが、注意をして早めの対応が出来るようになってきています。最小限の被害でこの世紀の大変動を勇気を持って観察していきたいと思います。

 みなさんこの数年、あちこちで大きな野菜が収穫されています。農業も急速にさま変わりします。大きな市場よりも、年中収穫できる庭のマイ畑の時代です。

気候が変ると生活がどのように変るか大いに創造力を働かせてみてください!

 

 

大きなキノコがやがてお肉のような感触で料理に活用されます”

※古代北米5大湖やアマゾンは地中海でシャンバラ〈マッソグロッソ)とつながっていた。

世界最後の謎を解き明かす(ムー大陸探検事典) ~第7章古代の地球を治めた日本の王探検協会の調査Ⅱ

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第7章古代の地球を治めた日本の王探検協会の調査Ⅱ

宮下文献に天之田原男と記された太古日本の王ツタンカーメン

 

日本に伝わる神代文字は、かつて太平洋を中心に栄えたムー王国と、その継承国家ティルムンの栄光を記すために使われた。その神代文字を手がかりとして、世界各地の未解読碑文に挑戦してみると、驚くべきことに、太古日本の王が全世界を治めていた遠い昔の記憶がよみがえってくる。ムr文明時代の碑文は、以下に見るいくつかの文明の建設者が、帝王ラ・ムーの教えに従った太古の日本人であったことを物語っている。

リポート1

古代カラ族の未解読文字分布原日本人カラ族が世界各地に残した文字から浮かび上がってきた文明とその遺跡についてー。

カラ族の残した文明と思われるものが地球上におよそ十か所ほどある。

(1) シュメール文明

(2) インダス文明

(3)原中国文明

(4) タレタ・エーゲ文明

(5) エトルリア文明

(6)イベリア文明

(7)サハラ文明

(8)アサニア文明

(9)オセアニア文明

(10)アンデス文明

以上の十か所の文明(地図参照)についてそれぞれ簡単に述べていくこととする。

太古の日本人力ラ族が残した世界10大文明

古代カラ族の航海者が寄港した地中海のクレタ島

第一にシュメール文明について。従来シュメール文明は五〇〇〇年前に栄えた文明とされてきたが、シュメールは粘土板にSMRという表記で出ていて、サマリア文明であったと考えられる。サマリアは実は三〇〇〇年前、ダビデ、ソロモンによって築かれたイスラエル王国の都であった。このサマリアの元の古い名前はカルとかクリ、カラあるいはクルという表記がなされていて、古代イスラエル王国の国名はカルクー、すなわちカルの国、カラ族の国であるということが古い文献から確かめられている。そしてわれわれがふつうヘブライ人といっている人たちは、ヘロドトスの『歴史』に登場するカーリア人、フルリ人とつながりがあり、フルリ人はタルリ、つまりクル族であるということで、カラ族の残した文明の第一と考えられる。

第二はインダス文明。中近東に栄えたシュメール文明とかかわりを持つインダス文明の担い手は、インドのタミル人に代表されるドラヴィダ語族と考えられる。このドラヴィダ語族は地中海方面からインド、日本に移住した人々で、実際に日本語とドラヴイダ語がかつて共通の祖語を持っていたことが多くの専門家によって認められている。日本におけるその代表的な言語学者が大野晋教授である。地球文化研究所の高橋良典が解読したインダス文字の銘文からインダス文明の建設者がクル族であったこと、そしてほぼ日本語といえる言葉をインダス文明の担い手が使っていたことが判明している。

第三に原中国文明。日本人の祖先の一部をなす倭人がかつて江南、山東、満州、朝鮮の各地にいたことが中国の史書に記されている。そして、その倭人といわれる人たちの到来以前に中国や朝鮮にいた人たちは、日本に伝わる漢字以前の文字を用いて、数多くの碑文を残している。中国の古代碑文もまた日本語で書かれていることから、この原中国文明はわれわれ日本人の祖先、カラ族が築いたものとみることができる。

第四にクレタ・エーゲ文明。このタレタ文明時代に残された三種類の古代文字、タレタ絵文字、線文字A、線文字Bのうち、すでに線文字Bは解読され、古代ギリシア語で書かれていることが判明している。線文字Aと、絵文宇を高橋が試みに解いた結果によれば、それらは古代の日本語、つまりカラ族の言葉で書かれていることがわかった。

第五にエトルリア文明。BC八世紀の初めに小アジアのカーリア人地区からイタリアに移り住んだエトルリア人は、日本に伝わる古代文字を用いて記録を残している。このことからエトルリア文明の建設者も原日本人のカラ族であったと考えられる。

第六にイベリア文明。イベリア半島のタルテッソスに伝わる古代碑文もまた、日本に伝わる古代文字で記されている。有名なタルテッソス・リングに刻まれた文字を解読した結果、この指輪はアフリカに亡命したイスラエル最後の王ホセア(イサク)がエチオピア朝エジフトの王からイベリアの統治を委ねられたことを記したものと考えられる。イベリア半島のイベリアという言葉は、ヒブル、ヘブルから来ている。また、イベリア半島の古代都市セビリアもサマリアから来ている。このことも間接的にイベリア半島の統治者が古代イスラエル最後の王ホセアとかかわりのあることを暗示している。

第七にサハラ文明。サハラ砂漠の各地、たとえばアルジェリアのタッシリやマリ共和国のアドラール・デ・ジフォラスに残された古代文字碑文を読むと、アッシリアの追求を逃がれたイサクとヨセフ、イザヤらがホガール山中に身を隠したことがわかる。彼らはエチオピア王ピアンキとタルハカの時代にアッシリアに反撃して、この地にタデメッカと呼ばれる都を造った。そのことも碑文の解読結果から判明している。マリ共和国のタロホスとインタデイニの間にある巨大な石造都市の廃塘ぼ、そのタデメッカに相当し、この地区に残されたティフィナグ文字碑文はBC七世紀のタデメッカに日本人の祖先の一部が住んでいたことを示している。日本の『新撰姓氏録』はアルジェリァのオーネトやマリ共和国のブーグー二からやってきた人々の名前を記し、『契丹きつたん古伝』はまた、日本神話のホホデミに相当するヨセフがマリ共和国のイジュンハンに救援部隊を派遣したことを記している。

第八にアサニア文明。東アフリカのケニヤからタンザニア、モザンビーク、ジンバブエ、南アフリカ、コンゴにかけて無数に存在する遺跡群はこれまで、いつ誰が残してきたものかわからなかった。が、このアサニア文明の都がエンガルクー、あるいはニイケルクーと呼ばれていることは、それがカル国(イスラエル)の滅亡後に再建された新カル国、新ケル国であったことを意味しており、日本の『姓氏録』や『契丹古伝』にケニヤのキスーム、ソマリアのキスマユ、スーダンのナパタ、シャバのルブンバシやマノノ、リカシ、ジンバブエ、セイシェルなどの出身地の名前、あるいは都市名が記されている。このことは、これらの遺跡がBC七世紀からBC五世紀にかけて、日本の『姓氏録』に名をとどめる沙半王(シャバ王)や飛鳥戸(アスハム)の人々によってつくられたことを示している。

第九はオセアニア文明。『契丹古伝』によれば神祖ヨセフはオーストラリアやニュージーランド、イースター島に都市を建設したといわれ、実際にオーストラリアやイ;スター島にはそれらの都市の跡とみられる遺跡があり、日本に伝わる古代文字で記された碑文が残されている。オーストラリア東部のジランバンジやイースター島のラノ・ララクは『契丹古伝』によればキリコエアケが統袷したといわれるが、このキリ⊇エアケはイースター島でウオケと呼ばれ、オーストラリアでウォガウォガと呼ばれる神となっている。また、イースタi島に伝わる文字板のひとつを解読した結果もまたイースター島と日本のつながりをはっきり物語っている。第十はアンデス文明。アンデスの諸王朝は伝説によればステルニとその子孫によって開かれたといわれる。エクアドルとペルーの伝説は、昔カラ族の一団がイカダの大船団を組んで西からやって来たと伝えているが、その指導者ステルニは紀伊半島の古代碑文にもステルニと記された王であったことがわかっている。

大航海時代以前の旧大陸におけるコウチュウの地理的分布図エクアドルの地下都市から出土した石板の文字とその解読結果

『契丹古伝』は神祖ヨセフの時代にエクアドルのエスメラルダスに都が置かれたことを記し、日本神話はスクナヒコナが伊勢から常世の国へ旅立ったことを伝え、『史記』は徐市じよふつ(徐福とも記された人)が数千人の童男、童女を率いて蓬莱ほうらいを目指したと伝えている。その徐市は日本のアイヌ文字で表されたスクナヒコナ゛の各文字を合成してつくられた漢字名であることも高橋が証明している。エクアドルのバルディビア海岸から日本の縄文土器や弥生の家型埴輪が出土していることや、アンデスのティアワナコ、エクアドルのクエンカその他から日本語碑文が見つかっていること、カラ族の子孫が今もブラジルのフルニオ族として日本語によく似たイアテ語を話していることなどから、日本人の祖先が南アメリカで活躍した時代が過去にあったことは確かな事実とみなすことができる。

リポートⅡ

『竹内文献』と古代文字

『竹内文献』は、「神代の万国史」とも称されているように、上古以来のあめのうき伝承、「空飛ぶ円盤」を思わせる天浮舟ふねに乗って地球に降臨した神々やその子孫(日本人の祖先)が地球をかけめぐった黄金時代、その後の「万国土どろの海となる」大異変や大戦争による崩壊と再建を記した一大叙事詩である。『竹内文献』のイザナギ神話にはこう書かれている。上古(紀元前七五〇年頃)第二一代天皇イザナギは、ヒサカタノアメノマハシラ(比刺方天真柱)を巡って皇后イザナミと結婚したあと、天越根中日見日高見国あめのこしねなかつひみひだかみのくに (今の富山湾地方の氷見をふくむ日高見=石神ピツトカムイの国)の栗礼羽くれは赤土大宮で即位した。

皇后のイザナミは、ここで蛭子ひるこの尊みことをはじめとする多くの皇子、皇女たちを産んだ。しかし彼女は火の神を産んだとき産道がひどく焼けただれて、七夜苦しんだ。そこで彼女はこの病気をなおすため、夫のイザナギに別れを告げてイダナ国パミル高原からアフスタン国のヘラサカイトに去って行った。文中のイダナ国パミル高原とは、ナ支那国(中国)の西のはずれにあるパミール高原をさしている。また、アフスタン国のヘラサカイトは、アフスタンを今のアフガニスタンと考えれば、イラン国境に近いヘラートをさしていると思われる。しかし、このあとの文で、アフスタン国にはアフガニスタンのカブールのほかに、ウズベタ共和国の首都タシュケントやボハラなどがあったとされているので、当時のアフスタン国は今のアフガニスタンより広かったことがわかる。

イスラエルの都市ゲラサに通じる王の大路アフスタン国のカブールやボハラ、タシュケントといった町は、いずれもシルクロード沿いの交易拠点で、これらの町にはパレスチナのサマリアやゲラサ、エルサレムなどからやって来たイスラエルの商人たちが数多く住んでいた。そこで、文中のアフスタン国をイスラエル人によって営まれた隊商都市ネットワークと理解すると、この国にあったとされるヘラサカイトは、前八世紀に栄えたイスラエルの都市ゲラサをさしていると考えた方がよい。イザナミがこのゲラサヘ病気をなおしに帰ったのは、おそらく彼女がゲラサかサマリアあたりの出身で、イスラエルの女性だったからではなかろうか。これは後にイザナミが白人の女性であったことが『竹内文献』に書かれていることでも十分うかがえることだ。イザナギは、妻の重い病気が火の神によってもたらされたことを憤り、火の神を剣で突き刺した。このことによって火の神の穢けがれは清められ、皇子は生まれ変わった。その後、イザナギがイザナミのあとを追ってアフスタン国へ行ってみると、皇后はヘラサカイトにおり、元の通り美しくなっていた。

そこでイザナギはヘラサカイトに宮殿を建てて皇后とともに住み、ここでカブイル民王、ガズニ王尊、ファライ王尊を生んだ。

イザナギはこれら三人の皇子を、アフスタン国のタシュケント城、ボハラ城、カブイル城のそれぞれの王に任命すると、彼らを現地に残し、皇后のイザナミと連れだって日本(天国)の都に帰ろうとした。『古事記』と『日本書紀』によれば、イザナミは火神を産んだとき受けた火傷がもとで、黄泉よみの国に去り、イザナギが火神を殺したあと、黄泉の国に行って彼女を連れ戻そうとしたが失敗に終わったことになっている。しかし、イザナミが地下世界から生き返って、イザナギとの間に三皇子をもうけたことは、竹内文献だけでなく『上記うえつふみ』も記している。おそらく記紀の編者は、イザナミと三皇子の出自を隠すために、彼女をヘラサカイトではなく、平坂で死んだことにしてしまったのだろう。ところが、このことを知ったヨモツクニ(泉国)の白人王は、白人女を返すな、イザナギを追い返せとばかり二人を追ってきた。

白人の追手をかわすためにイザナギとイザナミは相談して、逃げ道に桃の実をうず高く積みあげた。白人王と女たちは突然降ってわいたような、おいしい果物の山に、すっかり上機嫌となって、二人に対する追求の手を休めた。そこでイザナギ天皇は、ヤツシ城の白人王に向かって「汝をローマ国王に命ず、ネゴイ山の王城に居るべし」と告げたところ、この白人王は天皇の申し出を喜んで受け入れた。こうして天皇はさきにアフスタンの各地に派遣した皇子たちにそれぞれカフール、ボハラ、タシュケントの王として防衛の任務を忠実に果たすよう訓令を発したあと、イザナミ皇后をともなって日本の都に帰って来たのである。『竹内文献』のこの記事は、皇后のイザナミが「白人女」であったと述べているが、これは、第一六代天皇ウヒチニの娘ミチノク姫の孫に、ヨロボクニヌシ(豫呂母国主)がおり、このヨーロッパ王、すなわち自人王の孫娘がイザナミであったという記事からも裏づけられる。イザナミが日本では白山姫として加賀の自山に祭られ、白い肌の女神を連想させるのは単なる偶然の一致だろうか。彼女がアフスタン国の王妃でありながら、イザナギとともにこの国を脱出したのは、アフスタン国がアッシリヤに滅ぽされたイスラエルをさしているとすれば、当然のことと考えられる。滅亡前にすでにアッシリヤの属国と化していたイスラエルの王妃が、アッシリヤ(またはヒッタイト)の王女の一人で、アーリヤ系の白人女性だったということは、十分に考えられることである。

イザナギがイザナミを黄泉よみの国から連れ出したということは、『竹内文献』の文脈の中では、もっばらヨモツ国と名づけられたヨーロッパ・小アジア(アナトリア高原)イラン高原地域の一画から脱出したことを意味するものとして語られているが、一方、この地域には数多くの地下都市と地下回廊があるので、実際にイザナギはイザナミをアッシリヤ支配下の地下都市のひとつから救出したことが考えられる。

太古の地下都市に君臨したミクトランテクトリ「黄泉の神」

イザナギの時代に活躍したイスラエルの予言者イザヤが、紀元前七五〇年ころ、迫りくる地球の異変を警告して「あなたは岩の問にはいり、ちりの中にかくれて、主の恐るべきみ前とその威光の輝きとを避けよ」(イザヤ書第二章一九節)と勧めたように、当時の人々は洞窟や地下都市に避難していた。イザナギの孫とされるオシホミミま、『宮下文献』によればトヨクミヌ(トヨクモノネ〉の孫で、トヨクミヌがアイヌのポニウネカムイと同一人物であったとすれば、オシホミミはポニウネの孫のポイヤウンペに相当する人物ということになる。ポイヤウンペは、アイヌの叙事詩『ユーカラ』の中で少年時代を洞窟の中で過ごしたと物語られている。ポイヤウンペの父か、あるいは祖父にあたるアイヌラックルは、魔神にさらわれた日の女神(または婚約者)を救い出すため、地下で魔神と戦っており、このことはイザナギが黄泉の国(地下都市)で鬼神たちと戦った話と同じである。

前七五〇年前後の小アジアは、ホメロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』に物語られたトロイ戦争が終わってまもないころで、トロイから脱出したアエネイアースはローマに落ちつき、ギリシア軍の総帥メネラーオスも、ようやくの思いで故郷にたどりついたといわれる。メネラーオスの妻ヘレネーが、トロイの王子アレタサンドロス(パリス)に誘拐されたという話や、オデュッセウスが冥界の王の住むハデースの地下の館を訪れたという話が、日本に伝わる古い物語とよく似ているのは、日本の伝説に登場するイザナギやイザナミ、アイヌラックルやポイヤウンペが、いずれもこの時代に活躍した人物の記憶に基づくものであることを意味している。『竹内文献』はそのような意味で、この時代の失われた日本の歴史(ひいては世界の歴史)を復元する上で、有力な手がかりを与えてくれる。この時期に活躍した天皇たちの行動範囲は、予想以上にスケールの大きなものであり、当時の世界情勢と不可分にかかわっていたことを教えてくれる。本文では、アッシリヤ王とみられる白入王の追求を逃れたイザナギが、その後、ヤツシ城の白人王をローマ国王に任命したと書かれている。この記事の白人王は、おそらくアッシリヤ王とは別人で、トロイから脱出してローマに着いたアエネイアースをさすように思われる。しかし、それがアエネイアースでなかったとしても、同じ前七五〇年ごろに、ロムルスがローマ市を建設し、ローマ(あるいはエトルリア)初代の王になったと伝えられているので、『竹内文献』の記事はまちがってはいない。

またここに登場するヤツシの城が、ルーマニア北東部のヤーシ郊外からクタテニ遺跡として見つかっていること、ククテニ遺跡から出土した土偶が、シュリーマンによって発見されたトロイ市第二期の廃塘から出土した土偶と同じヴァイオリン形をしていて、ククテニはトロイからの亡命者によって建設されたことをうかがわせること、さらにイタリアの初期エトルリア文化(ヴィッラノーヴア文化)は、このクタテニあたりからドナウ川を湖った入々がアルプスを南下して築きあげたものであることを証明する遺物や記録があること。こうした事柄は、イザナギがヤツシ城の白人王に、ローマを建設するよう命じたという記事と非常によく一致している。アルプスのチロル地方に、東北・北陸地方のナマハゲに似た行事が古くから伝わっていることや、南アルプスのモン・ベゴが、日本の東北地方でベゴと呼ばれている牛の神にちなんだ聖なる山であること、また、『竹内文献』でカムナと呼ばれた文字の名と同じ名称をもつエトルリア系のカムナ族がカモこ力渓谷やピネローロの谷に、日本のアイヌ文字と同じ文字を残していること、カムナ族の文字であるカムナモジを解読した結果、彼らは日本語を話していたとみられること。これらの点を前述の事実と合わせて考えると、イザナギ天皇がトロイ戦争の亡命者にイタリア地方の開発を指示したことは十分に考えられ、ギリシア人やローマ人がイタリアを中心とする南ヨーロッパ地域で勢力をもつ以前は、この地域でも日本語を話す人々が活躍していたことは確かだと思われる。

アイの胸飾り

テーベ王朝最後のファラオ、アイ(国常立くにとこたちの父親の高皇産霊神) たかみむすびのかみが残した胸飾り。天空を司る女神ヌトの頭上と羽の下に刻まれた文字は、これまでエジプト語を記した未解読の象形文字と考えられてきた。が、これらを地球文化研究所の高橋が読み解いた結果、次のような言葉が刻まれていることがわかった。・日経ひふる天日あむひとともに出づるトゥトアンクアムン/永遠に在れ〔頭上〕誓ひ/トウトアンクアムン/御身愛で/死したるのち/あの世でも/朝なタベに祈る[右下〕ここに主//天日奉りて/絵師/イシスの宮の日経る札つくる、〔左下〕文中の「主」とは、高橋によれば、前八〇九年の第一次テーべ戦争で亡くなったツタンカーメン(宮下文献に見える天之田原男神)を手厚く葬ったカラ族出身のファラオ、アイをさすという。

[アシカビキミヌシ]

竹内文献に登場する上古第一代天皇。紀元前一六〇〇年頃在位。中国の歴史書『史記』に記された黄帝と同一人物である。竹内文献は、この天皇の時代に次のようなことがあったと伝えている。・上古第一代天皇は宇宙の彼方の天日国から地球に天降り、天元根国(コーカサス山脈/天帝の下界の都)で即位した。・天皇は天元根国に天神人祖一神宮を造った。・また、この神宮の別宮を日球国(飛弾山脈)に造った。・天皇の二十五人の皇子の一人は、天の浮船と呼ばれる宇宙船の建造にあたった。・天皇は万国の地図と文字をつくらせたあと、日本の富士山から天上の星、天日国に神去った。ここに登場する天日国とは、アメンピ(Amenpiのアナグラムから、ヴィマナであることがわかる。

[アメノトコタチ]

竹内文献に登場する上古第一三代天皇。紀元前一〇〇〇年頃在位。中国の歴史書「史記』に見える周の文王と同一人物。テーベの都から世界を治めたエジプトのファラオ、アメンホテップ一世として実在した。竹内文献は、この天皇の四十八人の皇子と皇女が、それぞれ北アメリカと南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、ミヨイ、タミアラに派遣され、国王になったと伝えている。アメノトコタチは、日本の筑波山に仙洞大宮という巨大な地下宇宙基地をつくり、ここから天界に神去った。この天皇の孫の中に、星問宇宙飛行と関わりの深い天日月間星男女尊や長寿守護神がいたと伝えられているのは注目される。竹内文献は、テーベ王朝十一代のファラオのうち、この天皇の治績しか伝えていないが、宮下文献には他の天皇名も記されている。

[アメノヤソヨロズタマ]

竹内文献に登場する上古第九代天皇。東日流外三郡アソベ王ウソリ、記紀の天御中主と同一人物。中国では、紀元前一五〇〇年ころ発生した大洪水を治めて夏王朝を開いた禺として知られ、メソポタミアでは、同じ洪水を生きのびて神々の楽園ティルムンに住んだウトナピシュティム(旧約聖書のノア)として知られている。竹内文献は、この天皇の時代に次のようなことがあったと伝えている。・天皇は宇宙船に乗って万国を巡幸した。メソポタミアのニップール(尼波羅国)に天降ったとき、人々は天皇の来訪を記念して、ジッグラト(大黒人山)という階段状のピラミツドをつくった。・万国巡幸の旅から日本に戻った天皇は、息子に位を譲ると恐山に向かい、この地で神去った。恐山霊場の由来はこの時に始まる。おお、見よかの山すそに身を横たえて眠れる大きな蛇をその長さは30オーナ(約56m)幅は8オーナ(約15m)身は水晶のごとく輝き光を放つ金属におおわれているおお、そなたはかの山の蛇の名を知っているかそれはこうだ"炎の中に生きるもの"

[アンデスの黄金板碑文]

イスラエル最後の王ホセア(旧約のイサク/記紀のイザナギ)と、彼の養子になったティルムン王スダース(旧約のヨセフ/記紀のホホデミ)が、紀元前七〇〇年ころ残した碑文.エクアドルの地下都市から出土したといわれる二の碑文の文字は、欧米の学者がインドのブラーフミー文字によく似ていると指摘。故クレスピ神父所蔵の図のような黄金板(52㎝×14㎝×4㎝)を紹介したスイスの作家デニケンは、この碑文の作者を宇宙人とみなした。が、高橋は、これらの文字を、インドのブラーフ、・、1文字の元になった日本の神代文字で読み解いて、次のような結果を得た。・これなる金の板にイサクとヨセフ記す〔一行目〕・ここにわがクルの宝あつめしめ〔二行目〕・のちの世に伝へていしすゑたらしめん〔三行目〕・ヤアヱをわれらのカムイとあがめよ〔四行目〕アンデスの黄金板が、日本の古代文字で書かれ、しかも古代の日本語で意味をなす二とは、紀元前のアンデスの統治者が日本人の祖先のクル族であったことを物語っている。一九三〇年代に南米の地下都市を捜し求めたナチスドイツのSS隊員は、戦後まもなく、日系インデイオのヒバロ族が入口を守るエクアドルの地下都市に侵入し、この黄金板と同じ文字で書かれた何万枚もの金属板を押収したという。「死後に富むを得…」と読める漢字の発明者・蒼頡が残した碑文(西安郊外)

カラ族の地下都市から出土した黄金板碑文

[イザナギ]

竹内文献に登場する上古第二一代天皇。紀元前七二五年頃在位。インドの叙事詩『マハーバーラタ」の中でカウラヴァ(ムー)との戦いに勝利を収めたパーンダヴァ(アトランティス)の英雄ユディシュティラの息子として描かれているパリクシト、すなわち旧約聖書のイサクと同一人物『契丹古伝』に殷叔の名で記され、「日本書紀」に伊弉諾(イサフタク~パリクシト)の漢字名で表記されたイサク(イザナギ)は紀元前八世紀にアッシリヤ(アトランティス)のためにパレスチナを奪われたイスラエル王ホセアとして実在したとみられる。

[イジュンハン碑文]

契丹古伝に日の沈む西の大陸のはてにある斐伊絢倭と記されたアフリカ大陸、マリ共和国のイジュンハンにある碑文(次頁参照)。サハラ砂漠の青い戦士として知られるスーダン系トゥアレグ族の祖先が残したものといわれている。現地でティフィナグ文字と呼ばれているこれらの文字は、これまで解読不能とされてきた。が、ティフィナグ文字と目本の神代文字の類似に注目した地球文化研究所の高橋は、これらの文字の音価を復元。サハラ砂漠の岩山に刻まれた文字は、紀元前七世紀の初めにアフリカで活躍した日本人の祖先、カラ族が残したものであることを突きとめた。木村重信・大阪大学名誉教授が現地で採集してきた百種以上の刻文は、高橋によれば古代アフリカに都市文明を築いていたカラ族が、前七~八世紀の戦争と異変の時代に、東方に向かって脱出し、大移動したことを物語っているという。これらの刻文の中に、スダースやタルハカ、二ニギといった固有名詞が見えることは、イジュンン碑文がエチオピア朝エジプト時代に記されたことを意味している。タッシリの壁画に描かれた古代日本の貴婦人たちは、この時代に、タルハカ(ニニギ)やスダース(ホホデミ)に導かれて、アフリカに侵入したアッシリヤの暴虐から逃がれたのである。

サハラ砂漠のタッシリ高地

アツシリヤ(アトランティス)のアフリカ侵入によって東方へ避難する古代カーリア(ムー)の貴婦人たち

[イースター島文字]

イースター島で発見された謎の文字板コハウ・ロンゴロンゴに書かれている文字。図の文字板には、目本人の祖先の一部をなす古代イスラエルの民=カラ族(旧名カルと呼ばれた首都・サマいアの人々)の一グループが、この島を経て葦原の瑞穂あしはらみずほの国と呼ばれた日本に向かったことが記されている。イースター島はかつて、太平洋を航海するバルサ(筏船)の船団の重要な寄港地で、この島と日本は熊野の諸手船もろたぶねと呼ばれる快速船で結ばれていた。目本の熊野にある列石がイースター島のアフ(モアイの台座)とよく似ていることは、すでに何人かの研究者によって指摘されている。この島の文字板が熊野の諸手船について述べていることは(左の訳文参照)、今も日本で行なわれている諸手船もろたぶね神事の伝統の中に生きており、日本とイースター島との失われたつながりを明らかにするものとして注目される。以下、アタン文字板の訳(部分)を示す。贄ささげたてまつりて降ることなき雨が降らめと水をも飲まずひと時なむも寝ずに夜昼となく海見晴らしし父母ちちははたちを讃えまつらく熊野の諸手船の梶をとり我ら神さびつつ廻る…(下略)

エステバンアタンの文字板

[エトルリア文字]

ローマ帝国の成立以前に口ーマ市を建国したエトルリア人。彼らの残した工トルリア文字は、いまだに解読されていない重要な文字のひとつである。図の迷宮に描かれた記号は日本の古代文字で、「カムサリヌ」(神去りぬ)と読める。エトルリアの人々は彼らの伝説に従えば、紀元前八世紀のトロイ戦争において、炎のトロイを脱出した英雄アエネイアスの率いるトロイ派の将兵がローマに移り住んだことに始まるといわれている。小アジアからブルガリア、オーストリア、チロルの谷を通ってイタリア半島に南下したとみられる彼らは、その途中にもチロルの谷にカムナ文字と呼ばれる、これまた日本の神代文字と関わりの深い文字群を残している。『竹内文献』は、この時代にイザナギの部下の将軍がトロイから口iマヘ移り、今日の口ーマ市を建国したと伝えている。したがってこの地域にエトルリア人が日本の古代文字を用いていくつかの記録を残したことは十分に考えられる。

古代工トルリアの壁画

オオトノチ

竹内文献に登場する上古第十八代天皇。紀元前七五〇年頃在位。インドの叙事詩『マハーバーラタ」の中でドリタラーシュトラの息子ドゥリヨーダナと戦ったパーンドゥの五人の息子の一人として描かれているユディシュティラと同一人物。日本のアイヌに伝わる叙事詩『ユーカラ』にも、ポイヤウンペ(オモタルヒコ)と戦った英雄、カムイオトプシとして描かれている。竹内文献によれば、この天皇の時代に地球はまたもや大異変に見舞われ、天皇は恐山から天界に避難して再び地球に戻ったという。オオトノチの都は世界各地に造られ、天皇は天の浮船と呼ばれる空艇に乗って万国を巡幸したともいう。その空艇は一日に八OOO里、ないし一万一OOO里飛ぶことができたというから、当時の航空機は、時速一三OOキロ以上のスピードをもった超音速機だったことがわかる。

[オモタルヒコ]

竹内文献に登場する上古第十九代天皇。紀元前七五〇年頃在位。日本のアイヌに伝わる叙事詩「ユーカラ』にポイヤウンペという名の英雄として描かれ、インドに伝わる世界最大の叙事詩『マハーバーラタ』の中でパーンドゥの五人の息子と戦うドリタラーシュトラの息子として描かれたクル族の英雄ドゥリヨーダナと同一人物。宮下文献に国狭槌くにさづち (パーンドゥ)の五人の息子の[人、穂千田ほせんた比古として記されたオモタルヒコは、インドの叙事詩『ラーマヤナ』の中で、バーラタ国王ダシャラタ(ミタンニ王ドゥスラッタ)の五人の息子と王位を争った魔王ラーヴァナとして描かれている。が、これは、のちにインドの歴史を改作したアーリヤ人の虚構であり、オモタルヒコ(ドゥリヨーダナ)は、エジプトからインドに都を移したテーベ王朝最後のファラオ、アイ(高皇産霊神)の孫として、また、国狭槌の妻の白清竜プリター)と国常立(ドリタラーシュトラ)との問に生まれた悲劇の子として、ハスティナープラ(ホセンタ)の都に君臨した。『新撰姓氏録』にその名も天日鷲翔矢命として登場するオモタルヒコは、ギリシャの詩人ホメロスが残した二つの大叙事詩、『イーリアス』と『オデュッセイア』の中でも、輝きわたる太陽のごとき英雄、卜ロイのアレクサンドロスとして物語られている。

[岐山きざん文字]

中国西安郊外、岐山県の十六羅漢碑に刻まれた図のような文字群。これらの文字を研究した地球文化研究所では、この碑文に使われた文字が古代サハラ砂漠で使用されたティフィナグ文字であることをつきとめて、次のように解読している。栄え賜はらなむヘブルの瑠璃富むカムイに祈りを捧げなむ右の解読結果によると、中国でもBC七〇〇年頃サハラで使われた文字が残されていることがわかる。と同時に、この碑文は古代地中海世界で活躍したヘブル人(カラ族)が東方の地、中国大陸にも足跡を残したことを物語っている。

[キンバレー文字]オーストラリア北部のキンバレー山脈一帯で発見された文字。これらの文字は日本に伝わるアイヌ文字、トヨクニ文字とのかかわりを示している。その一例は、同山脈の岩壁に描かれていたもので、地球文化研究所によると日本のアイヌ文字で、アルジイサク(主イサク)と読むことができる。この洞窟画に描かれた人物は丸い頭をしており、BC七〇〇年頃、サハラ砂漠の各地に描かれたエチオピア王朝時代の円頭人のモチーフと共通する。左図は、キンバレー山脈を流れるプリンス・リージエント川の谷問の洞窟に描かれた壁画である。左端の人物はアンテナ付きの宇宙ヘルメットをかぶっているように見え、その他の三人も何か現代的な宇宙服を身にまとっているように見える。これらの人物像の上に描かれた五文字は、これまた目本の古代文字で、カムラツク(神ら着く)と読める。すなわち、「神々が到着した」という意味である。この絵から判断すると、彼らは左端に描かれた飛行物体から降り立つ神々を出迎えたかのように見える。それは『契丹古伝』の中に描かれた古代カラ族の王、スサダミコ(ヨセフ)の飛行物体であったかもしれない。

コーカサスの地下都市を探検したアルゴ号の勇士が残したとみられるマイコツプ碑文

 日本の古代文字で記されたタルタリア遺跡出土の粘土板

クニトコタチ

竹内文献に登場する上古第十四代天皇。紀元前八○○年頃在位。目本の『ユーカラ」に国造りの神コタンカラカムイとして描かれ、インドの『マハーバーラタ」にクル族の大王として描かれたバーラタ国王ドリタラーシュトラと同一人物。ギリシャではテュエステースの名で知られている。宮下文献は、この国常立(農立比古)に国狭槌(農佐比古)という弟がいて、二人は故郷を離れたあと東方に新天地を開拓したと伝えている。が、この伝承はテーベ王朝の末期にドリタラーシュトラが弟のパーンドゥとともにエジプトからインドヘ移住し、戦争で荒廃したテーベから父王のアイ(クレオーン/周の厲王胡/高皇産霊神)を迎えたことを物語っている。また、宮下文献では二人の兄弟が仲良く国造りをしたことになっているが、日本とインドの叙事詩は、この大王の時代にクル族が分裂してアトランティス(アッシリヤ/アーリヤ)とムー(エジプト/カーリア)の恐るべき戦争が始まり、地軸が何度も傾く異変が発生したと伝えている。竹内文献によれば、クニトコタチはこの時代に位山くらいやまと槍ケ岳に大宮を造り、その後、天上の星に飛び去ったといわれる。クニトコタチは、大本教の関係者の間で艮うしとら (東北)の金神として崇められ、再び世界を治める天皇として甦ることが予言されている。

クニトコタチの父王アイ

[クレタ象形文字]

ギリシャのクレタ島にあるファエストス宮殿跡から出土した粘土板の文字。地球文化研究所では、図の円板の文字を、次のよう解読している.主あるじうしはくエホバの民主あるじヨセフうしはく民発たつはセト神かしこむ父の民エロハ民----〔略〕越すは神民……〔略〕タルハカうしはく民------上の解読結果によれば、古代のクレタ島にいた日本人の祖先は、前六八七年の里ハ変前に、ヨセフ(スサダミコ)に率いられて島を脱出したことがわかる。

クレタ島出土のファエストス円盤

[クレタ線文字A]

紀元前八世紀に日本人の祖先、カラ族(力ーリア人)の航海者がクレタ島にいたことを示す文字。地球文化研究所では、ハギア・トリアダ宮殿跡から出土した図の粘土板の文字を次のように解読した桶か盥三十風呂三蓋も三 櫂九 酒十三櫓の柱連縄一〇亜麻布十三 盥四五 船五戸板といたも四擢六 酒十四〔当時の注文書の一部〕

線文字Aを刻んだクレタ島出土の粘土板

タカミムスビ

竹内文献に登場する上古第一O代天皇。東日流外三郡誌に見えるアソベ王朝第二代のタミアレ(多弥生)と同一人物。中国では、夏王朝第二代の夏后啓として知られ、メソポタミアでは、ウトナピシュティム(禺/ウソリ/天御中主)の息子ギルガメシュとして知られている。宮下文献のタカミムスビ(エジプト王アイ)とは別人物。竹内文献は、この天皇の時代に次のようなことがあったと伝えている。・天皇は北アルプスに巨大な地下都市(大宮仙洞)を造り、不老長寿の薬を飲んで長生きした。・また、ミヨイ島やタミアラ島(太平洋の古大陸)を視察したあと、檀君国(ウラル山脈一帯)を訪問し、諸王を任命した。シュメール伝説の英雄ギルガメシュはクラブに都を定めたが、その都は富山市郊外の呉羽にもあったといわれる。

アッシリヤのコルサバード宮殿から出土した太古日本の王ギルガメシュ像

竹内文献茨城県北茨城市磯原にある皇祖皇太神宮の神官、竹内家に代々伝わる古文書。今から約二OOO年前、大陸文化の侵入によって古代日本の歴史が失われるの睦恐れた武烈天皇武内宿すく彌の孫にあたる平群真鳥を富山の皇祖皇太神宮に派遣し、そこに伝わる神代文字の記録を漢字仮名混じり文に改めて残したものが原型になったといわれる。この書物には、太古日本の天皇が宇宙の彼方の天日国より飛来して地球全土を治めたことや、この地球がたび重なる天変地異によって荒廃したこと、それにもかかわらず日本人の祖先が天の浮船に乗って天界と地上を往来し、異変で滅びた文明の再建に全力をつくしたことが物語られている。これまでの研究者は、竹内文献のスケールがあまりにも壮大であるため、酒井勝軍のピラミッド調査をのぞけば、見るべき成果を挙げていない。がこの書物に収められた一00種以上の神代文字を、高橋が遺物に即して具体的に調査した結果、竹内文献に記された内容は基本的に真実の歴史を扱っているという。このことは『山海経』や『史記』その他の文献、あるいは言語学、考古学、民族学、神話学、遺伝子分析などの最新成果によっても裏づけられる。古史古伝の中で最も異端の書とみられている竹内文献がこれから日本と世界の歴史を大きく書き変える日もそう遠くはないとみられる。

テーべ王朝

紀元前十一世紀から前九世紀にかけて、ナイル河中流域のテーべを首都として栄えたエジプトの世界王朝。地球文化研究所の調査によれば、日本の『宮下文献』に登場するアメノトコタチ(天常立)以下の十一代の天皇は、エジプト・テーべ王朝(第一八王朝)の十一代のファラオとして、現実の歴史の中で実在したことが判明している(次頁の王名対応表を参照)。 <!--[if !vml]--><!--[endif]-->卜トメス3世ハトシェプスト女王第一代天常立比古神アメンホテップ一世別名ジムヌ神農比古神第二代天之御柱立神卜トメス一世第三代天之木合比女神パトシェプスト女王第四代天之草奈男神トトメス三世第五代天之土奈男神アメンホテップ二世第六代天之火明男神卜トメス四世第七代天之水男神アメンホテップ三世(ニンムリァ)第八代-天之金山男神アメンホテップ四世(イクエンアテン)別名ナフリア農谷比古神第九代天之火山男神スメンカラー第十代天之田原男神トゥトアンクアメン(ツタンカーメン)第十一代高皇産霊神アイ(クレオーン)

[トヨクモノネ]

竹内文献に登場する上古第十五代天皇。紀元前七七五年頃在位。日本の「ユーカラ』にコタンカラカムイの子ポニウネカムイとして描かれ、「マパーバーラタ』に大王ドリタラーシュトラの太子として描かれたヴイカルナ(宮下文献の阿和路比古)と同一人物。この天皇はチベットのカイラス山にある仙洞(シャンバラ)と呼ばれた地下都市に住み、銀河系最大の宇宙船プシュパカ・ヴィマナをもっていた。のちにインドの財宝神クベーラ、クンビールとして知られ、目本でも金比羅様として祀られるようになったトヨクモノネは、シバ神のモデルとなったオモタルヒコの異母兄であり、チペットではシャンバラの王サナート・クマラの名で、日本では鞍馬山の魔王尊の名で今も崇められている。竹内文献は、二の天皇の時代に、富山の呉羽丘陵に五福城と呼ばれる大宮が造られ、トヨノ文字(別称イヅモ文字)が使われるようになったと伝えている。

[ペドラ・ピンタダ文字]

ブラジル北部の巨大な宇宙卵遺跡として知られるペドラ・ピンタダの岩壁に刻まれた図1のような文字。地球文化研究所ではこれらを、次のように解読している。ヨセフとイサクに船を降せる神を見よイサクヨセフとともに手厚く守れ図の下部に描かれた卍形の奇妙な図形は、古代カラ文明の飛行艇として知られるヴィマナの推進力、構造を表したものとみなすことができる。しかも、文中にヨセフおよびイサクという名前が登場するところから、イサクの別名、古代イスラエル最後の王ホセアの時代(BC八世紀末)にこのペドラ・ピンタダ碑文が残されたものと考えることができる。ペドラ・ピンタダ遺跡に刻まれた別の碑文(図2)はまた、次のような解読結果が得られている。ステルニの父なるカムイを祭らむナイムラブの母から力を給はらむ右の解読結果にもとづけば、図2のペドラ・ピンタダ碑文の年代は、BC二〇〇年ころとみなされる。

ペドラ・ピンタダの宇宙卵巨石  図1図2

 

私たちはただ眠るためにわずかに夢を見るために来たのだろうか

いや、ちがう、そんなはずはない

私たちが地上でただ空しく生きてゆくために来たなんて!

けれども私の心に何ができよう

空しく地上で生きてゆくために私たちが来たのだとしたら……

どこにあるのか、私のほんとうの故郷は…:

アステカ・インディアンの歌

観音菩薩伝~第2話 王妃、第三王女を御出産される、 第3話 老翁、妙荘王に姫のご来歴を告げる

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第2話  王妃、第三王女を御出産される

 王妃は、その日から身籠もられました。二・三ヶ月すると、お体は元気であるのに、肉や魚などは喉を通らず、平生の好物でも腥物だけは見ただけで胸が悪くなりました。無理して食べれば、全部嘔吐してしまう有様。精進の菜食以外は、一切の食物を受け付けなくなりました。群臣はこの事を聞いて不思議に思い、この噂は瞬く間に国中に伝わっていきました。
 一日一日と月日が経ち、冬が過ぎて暖かい春がやってきました。妃の産褥の期は日一日と迫り、人々は今度生まれる御子は太子か姫かの予想で持ちきりでした。妙荘王は必ず太子が誕生すると確信し、今度の出産に非常な期待を掛けて、毎日が楽しく胸躍る希望に満ちた生活が続きました。群臣は各々、慶賀の祝典の準備で忙しくしていました。
 その日は二月十九日で少し肌寒い日でしたが、妙荘王が花園で百花を鑑賞していたとき、宮女が面前に跪いて
「申し上げます」
「何事であるか」
 妙荘王の胸は、思わず高鳴りました。

「王妃様には今朝卯の刻(午前五時から七時までの間)に姫君を御出産なさいました。どうか、御命名を賜りますようお願い申し上げます」
 一瞬、妙荘王の顔は曇ってしまいました。予期に反して、また王女が生まれた。一体、どうした事だ。期待していた事が根こそぎ裏切られた妙荘王の心は、黒い雲に包まれました。しばらくは失望の余り言葉も出ない有様でしたが、漸く自分を取り戻して宮女に
「王妃の身体はどうであったか」

 真っ先に気になるのは、やはり妃の身体であります。
「はい。王妃様が御分娩なさる時には、色とりどりの美しく珍しい鳥がたくさん庭園の樹に集まり、それらの囀りはあたかも仙楽を奏でるようでございました。御部屋には芳香が漂い、並み居る人に匂って何時までも消えません。暫くして、苦もなく姫君が御誕生遊ばされました。王妃様も姫様も、お健やかでございます。殊に姫様の産声は、冴えて大きく響きました」

 妙荘王は、密かに思いました。宮女の話によると、珍鳥が樹に集まって仙楽を奏で芳香が部屋に満ちていた事と、前に妃が見た懐胎の夢とを結び合わせて考えてみると、この子には何らかの来歴があるかも知れない。或いは、夙世に善根が深かったのかも分からない。そう思い至った妙荘王の心は、幾分穏やかになってきました。すると急に今度生まれた姫に愛着を感じ出した様子で、居室に入って朱筆を取り金箋に「妙善」と端麗に認め、宮女に渡しました。

 朝野の郡民は、第三の王女が生誕した事を聞き歓喜で上を下への大騒ぎとなり、城内城外で慶祝の行事が幾日か続きました。妙荘王は宮中に宴席を設けて群臣を招き、三日三晩踊り狂いました。至る所に篝火が焚かれ、寺院の鐘は一斉に鳴り響き、慶びの気は天に沖し、歓声は雷のごとく国中に轟き渡りました。百姓農民は豊作に加えて喜びはなお一入で、家々には祭壇を設けて灯明が点され、供え物を献じ、天帝に謝し、姫君の将来に幸多かれと心から祝福しました。




第3話 老翁、妙荘王に姫の御来歴を告げる

  宮中での祝宴の第三日目のこと妙荘王は、宮女に姫を殿上に抱かせ、初見の儀を執り行うことを命じました。ところが宮内に酒宴と肉香の空気が充満していたため、その場に入って来てこの空気に触れた途端、姫は急に火が点いたように泣き出しました。宮女を始め随いてきた乳母が一生懸命にあやしましたが、とても泣きやむ様子がありません。群臣は、一斉に酒杯を置いて、眼を姫のほうに注ぎました。妙荘王は、心中不快気に顔を顰めました。このとき忽然と門官が登殿して妙荘王の前に跪き、
「申し上げます。只今、朝門に一方の老翁が参り、姫に宝物を献上したいと言って謁見を申し込まれました。如何いたしましょう」

 妙荘王は、即座に引見を命じました。暫くすると、長い廊下を通って一人の老翁が登殿してきました。一座の群臣は、視線を老翁の方に向けました。総髪は真っ白で長く背中まで下がり、胸まで垂れる白髯は爽やかに風に靡き、眼光は炯々として鋭く、風貌は威厳に満ちていました。その空気に群臣は息を呑み、正に仙風道骨とはこの姿であろう、と思って見守りました。妙荘王は、静寂を破り、
「老人よ。姓と名を申してみよ。何処の者で、何の宝物を献ずる所存なのか」
 老翁は妙荘王に一礼し、頭を挙げて、
「拙老の来歴を申す前に、本日此処に参上した理由を申し上げましょう」
 老翁は側の姫を暖かい眼差しで見てから、再び妙荘王に向かい、
「承る所によりますと、この度吾が王には姫君を御出産され、大小群臣の慶賀を受けておられるとの事を伺い、拙老も吾が王に謹んで慶賀申し上げると共に、姫君の御来歴をお告げ申し上げたく馳せ参じました。実は、姫君の先天は慈航尊者でございます」

 妙荘王は、可笑しさの余り笑い出して
「老人よ。汝は子どもでもあるまいに、そのような根拠もない偽りを申すな。慈航尊者は極楽世界の楽を享けずに、何故この俗塵に墜ちて一人の凡婦に生まれくる理由があろうか。戯けた事を申すでない」

 すると老翁は、大きく頷いて言葉を続け、
「近来は人心大いに腐敗し、各地で殺・盗・淫を行う乱賊が跋扈し道徳・正教が廃れたため、至る所で災難が生じ、戦禍は止まず、良民は塗炭の苦しみを受けております。この時に尊者は世を憐れみ、衆生の苦を悲しまれて天帝に降世を請われ、世人の苦難を救うことを誓って此の世に降生されたのでございます。姫にはこの人王の世界を仏国の世界と化し、新しく入られた仏道の覚者として永遠に仏法を顕し、大乗の真旨を明らかにし、菩薩道の極を致して衆生を地獄の輪廻から救おうとなされるのでございます」

 老人の目は一層焔のように輝き、神々しく見えてきました。妙荘王は、
「汝は姫に来歴があると申すが、もし慈航尊者が発願して入世するならば当然男に転生する筈である。如何して何かと煩悩の多い女に生まれる理由があろうか」
 妙荘王は、不興気にこのように宣べました。

「これには、理由がございます。古来、男は戒を受け専心出家して修道し、仏仙に成道することも比較的容易に適います。また倫理礼教を知り、教典の義を悟るのも早いものであります。一方婦女子のほうは、仏法から遠く離れ天理の循環を恐れず、世の禁戒も守り難いために堕落した者は数知れません。故に女人に五濁(註1)の災いを解脱させ、後世の模範となり、婦人に広く菩提の道を得させるため特に降生されました」

  老翁は一息吐いて
「婦女子でも西天極楽に成道が得られ、菩薩道を全うできます。将来姫君は、万世婦女にこの事を示す警鐘となるために降生されたのでございます。この重責は、姫以外の人には担うことができません」

  老翁は確信に満ちて、万感の表情を妙荘王に示しました。妙荘王は首を横に振り、
「汝の説く事はとても信じられない」
 と、もう一度大きく首を振りました。
「已むを得ません。将来、自然とお分かりになられましょう。拙老も、これ以上申し上げません」
 老翁は、諦めて妙荘王に一礼して引き下がろうとしました。そのとき乳母に抱かれていた姫が、一層激しく泣き出しました。妙荘王は何を思ったか、老翁を呼び止め、
「もし汝が姫の宿世の因縁を知っているなら、定めし汝は高徳の方に相違あるまい。しかし先刻から姫が狂うように泣いて止みそうもないが、これは果たして如何なる訳か説いてみるがよい」

 すると老翁は、呵々大笑して、
「存じています。その前因も後果も分からないことはありません。姫が泣くのを大悲と申します。実は今回吾が王は姫御誕生を祝って三日連続の宴席を開かれましたが、このために如何ほどの牛・羊・鶏・豚・魚類を惨殺し生命を傷付け、人々の口腹を満たしたか知れません。これを憫れむ大慈の心が姫君を悲しませ、やがてこれが皆自分に大きな罪業を加えることになる故、それを忍びず泣き止まないのでございます」

 老翁は、更に言葉を継いで
「大悲の主旨とは、人類だけに止まらず、世に生を受けている動物から一草一木に至るまで皆同じでございます」
「されば汝の話を信じるとして、今汝は即座に姫の泣き声を息ます方法でもあると申すのか」

 老翁は、キッと眉宇を強く引き締め
「拙老が止めて差し上げましょう」
 と言ったかと思うと老翁は、姫の身辺に寄り、掌で姫の頭と額を撫で、詩を吟じました。
  「哭(な)くな、哭くな、神(しん)は昏み明が閉塞(とざ)される。
  汝が入世の宏願(ぐがん)、入世の老婆心を忘れるな。
  三千の浩劫を識り、汝去(ゆ)きて度すべし。
  三千の善事は須く汝が去きて行うを待つ。
  哭くな。謹みて世音を観じ、梵音を聞け」

  すると摩訶不思議。姫はあたかも一切が解るかのように途端に泣き声を止め、眼を瞠らせてジッと老翁を見詰めニッコリと笑いました。妙荘王は、すっかり感に打たれてしまいました。一座は急にざわめき、感嘆の声が彼方此方から聞こえてきました。この老翁は由緒ある徳の高い隠士に違いない。何と不思議な業であろうと皆が思っていますと、老翁は
「姫の泣き声も止みました。拙老は、最早ここに長く留まる訳には参りません」
 と妙荘王に辞礼して踵を返すや、飄々と風のように門外に出て、止める間もなく飛ぶように立ち去ってしまいました。

 腰は軽く、歩は柔らかく、とても普通の老人の行動とは思えません。妙荘王は、自分の軽妄を悔い、もっと老翁と話をしたい気持ちに駆られてなりません。沢山聞きたい事があったのに、何故もっと鄭重に扱わなかったのだろう。妙荘王は直ぐ侍衛に後を追いかけ叮嚀にお迎えするように命令を下しましたが、朝門にはすでに影も姿も見えません。馬を四方に走らせ、六街三市を追わせましたが、とうとう何処にも老翁を見付けることはできませんでした。

 宰相アナーラは王を慰め、
「先ほど耳にした種々の話の模様から推察するに、あの老人は定めし仙仏の権化でございましょう。老翁は自分から留まらない限り、尋ねられても無益と思われます。時が来ればまた、お会いできることでございましょう」
「卿の言われる事は、本当かも知れない。ああ、惜しい事をした」
 妙荘王は、何時までも老翁の事が忘れられませんでした。

(1) 五濁(ごじょく)とは、この世に起こるけがれで、次の五つのことです。
 一、 劫濁(ごうじょく):人の寿命が二万歳以下に減ずるに至って、見濁等の四濁が起こる時をいう。
 二、 見濁(けんじょく):身見、辺見等の見惑をいう。
 三、 煩悩濁(ぼんのうじょく):貪、瞋、痴等の一切修惑の煩悩をいう。
 四、 衆生濁(しゅじょうじょく):劫濁時の衆生は、見濁・煩悩濁の結果として、人間  の果報漸く衰え、心鈍く、体弱く、苦多く、福少なきをいう。
 五、 命濁(みょうじょく):これまた前の二濁の結果として、寿命漸く縮小すること。

次回 第4話  姫、機知を働かせて蟻の闘いを止められる

 

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