転載:プレアデス星人の世界 http://pleiades0108.blog.jp/archives/1854713.html
2015年12月01日|宇宙の創成
「 時間の始まり 」 宇宙を構成する物質の帯に含まれるエネルギ-が進化し始め次第に密度を増していくに従 い、「時間」という要素(原子)が動き始める。時間とはエネルギ-であり、波動として物質の帯に含まれるコ-ス・マタ-の自転や回転、動きなどを生じさせる大元である。時 間が自分の役割を果たし始めるのは時間というエネルギ-が気体となって、前述したフラッフィ・マタ-になるまでに凝縮してからのことである。時間が自分の役割を果たし始め るのは物質の帯の内部だけである。何故なら、我々が知っている通り、時間とはただそこに存在するだけの性質のものだからである。時間は物質の帯を通してその速度を速めるに 従って、多次元的螺旋によって予め決められていた通りに動き始める。螺旋は時間に限らずあらゆるエネルギ-を適切な方向へと導く役割を担っている。プレアデス人は次元が2 2個以上あるということまでは解明したが、それでもなお、彼等がまだ見つけていない次元が依然としてどこかにあるはずだと感じているらしい。物質を作る元素は次元によって 異なっており、ある次元では存在出来ないこともある。
次元の中に我々になじみの物質的時間を持つものもあれば、三次元世界の時間の流れをは るかに超える速度で時間が経過する次元もある。逆に限りなくゆっくりと時間が流れていく次元も存在するのだ。物質の帯の中で時間が経過し始めると、フラッフィ・マタ-の自 転と回転が始まり波動を持つようになる。フラッフィ・マタ-の自転・回転速度は時間の経過速度に従って変化する。この様にして進化が進むにつれてフラッフィ・マタ-はゆっ くりと気体状の形態へと変化し、我々が住む地球の様な星を形作っていく。そして最終的にフラッフィ・マタ-の進化が一定のレベルに達すると、高等知性体が住める様な環境を 提供する星となるのである。この様にして、時間の開始に導かれてゆっくりと星の進化が進む一方で、その星に関係するあらゆるものが営みを始める。物質を構成する原子未満の あらゆる粒子の回転速度を制御することによって、我々の住む三次元世界、星や惑星、空間などが一つになり、ようやく人間の目にも認識出来る固体としての物質的世界へと姿を 変えるのです。
時間の存在なしには物質は一つにまとまることがなく、夫々が勝手にくっつき合ったりは じき合ったりしてしまい、星や惑星のようにきちんと粒子が固体に進化することはまずあり得ない。我々は五感のうち視覚を使って世界を知覚する。身の回りのものが固体として 存在し、生命などの固体的物質を認知することによって、物質が特定の速度で動き変化していることを知る。それこそが我々が時間と呼ぶものの本質である。我々は一瞬一瞬、物 質が変遷していく様子を知覚することで時間を認知し、その時間の流れを測定するために、時計という道具に頼る。事象の盛衰が我々の五感の目には切れ目のない流れとして見え るのは、我々が時間の流れを五感という物質的器官だけに頼って認知しているからである。顕微鏡を覗けば我々は物質を作っている究極的なもの(粒子・クオ-ク)が回転してい る様子を実際に見ることが出来る。顕微鏡のようなものに頼らずに我々の目で見えないものがある。
それはあらゆる物質というものが恒常的に粒子の回転を通じて回転し動いており、その動 きは、その物質を懐に入れている宇宙が存在する限り永続すると言う事実である。従って「物質は絶え間なく永遠に動き変遷する」という事実は、この広大な宇宙で最も自然なこ となのである。つまり我々の五感(視覚、触覚、嗅覚、聴覚、味覚)は、ただ単に森羅万象のミクロ的な変遷の様子を知覚出来ないだけのことである。
「 時間の中での事物の動き 」 時間に備わる振動エネルギ-は、我々の住む三次元世界で絶えず動き変化しており、あら ゆる物質を一つの固体として繋ぐ役目を果たす粒子の淀みないエネルギ-としての流れによって生じている。例えば、月が無数の粒子の集まった固体として留まり決してバラバラ になることがないのも、時間が月を構成する粒子の動きを制御しているからに他ならない。だが仮に我々が手を加えて月を構成している粒子の動きを邪魔したら一体何が起こるだ ろうか。月は時間の枠の外へ出てしまうのだろうか。第一に、究極的ミクロにまで分解すると月は単に回転する粒子の集合体となる。月を構成する粒子の振動は3種類に分ける事 が可能である。即ちプラスの電荷、マイナスの電荷、そしてどちらでもない中性の電荷である。時間を究極的ミクロの段階まで細かく刻んでいけば数十億分の一秒と言う時間の中 で、粒子がこれら3つの電荷を行き来しながら振動しているのが見えるはずだ。そして粒子がプラスの電荷を帯びている時には物質としての姿をしている。ゼロの電荷、即ち中性 の電荷を帯びた状態では反物質、あるいは非物質的形態となる。
更にマイナスの電荷の時には再び物質に変化する。物質->反物質->物質という粒子の 回転のサイクルは、エネルギ-の波動として流れている時間によって制御されている。従って月を構成している粒子の全ては一定の速度で振動しており同時にプラス、マイナス、 中性の電荷を帯びていることになる。この例の様に一定の速度で粒子が同時に3種類の電荷を帯び、従って物質と反物質の両方の状態で同時に存在出来る場合、それは我々の目に は固体として映ることになる。もし物質を構成するあらゆる粒子が思い思いの勝手な回転や活動をしてしまうと、その様な粒子で作られている物質は固体として存在することが不 可能となる。ある仮定をしてみよう。タイムマシンのスピ-ドダイアルを回し続けて、どんどん月の粒子の速度を遅らせると最後には月は我々の視界から全く見えなくなってしま うだろう。なぜ我々の目では見えなくなってしまうかと言うと、我々の備わる五感の目は事物を「三次元世界で一般的な時間」の中で認知しているからである。タイムマシンのス ピ-ドダイアルによって粒子の回転速度を遅らせられた月は三次元世界の時間の枠外へ行ってしまい、
その結果へとタイムトラベルしてしまうのだ。ところで過去へ行ってしまった月をもう一 度三次元世界へ呼び戻せるかと言うと、何等かの方法で粒子の回転速度を上げ、三次元世界の他の物質と同じ速度にまで追いつけるようにさせればよい。タイムマシンのスピ-ド ダイアルをひねって粒子の回転速度を上げない限りタイムマシンを使っていったん時間の枠外に出てしまったものを再び元の状態に戻すことは不可能である。忘れてはならない事 は時間というものが始まったのは何兆年も昔に溯り、フラッフィ・マタ-が生の営みを始めたのもその時であるという事実である。何兆年もの昔、時間の始まりと共に宇宙を構成 する物質の自転・公転も始まったのだ。またこう表現することが出来るかも知れない。創造の時計が時を刻み始めたことの影響を受けて以来、宇宙のあらゆる粒子が「創造の源」 の時間の流れに従って回転し始めたのだと。要は時間が始まったのは気が遠くなるほどの太古であるという事実である。我々の住む物質界に存在するあらゆる粒子は「創造の源」 が定めた多次元的螺旋を辿って止むことなく動き続けており、粒子の活動が始まったのは遥か昔に溯る。
仮に我々が螺旋の細かな部分までじかに見られるとしたら「時間のエネルギ-」によって 定められた速度で動いている我々の三次元世界の様子を目の当たりにするだろう。ミクロ的な目で見た螺旋の中では、時間の一刻一刻が粒子の形をしているのが見えるはずだ。物 質界は電荷を持つ粒子の全ての通り道を作るが、螺旋を見れば粒子が通過した跡を辿ることが出来る。霊的エネルギ-は螺旋の道にくっついているのではなく、螺旋の道を流れて いるのだと考えて欲しい。そう考えると、まず我々の本質は霊であり、ただ単に物質的肉体を仮の宿にしているに過ぎず、従って我々の霊としての本質も他のものと同様に螺旋の 道に付着しているのではなく、螺旋の道を時間の流れに合わせて行き来しているのだと考えられる。映画のフィルムが一巻あるところを想像してみて欲しい。フィルムの一部を光 にかざしてじっとそれを動かさずに見ると、そこに写っている個々の映像が透けて見えるはずだ。今度はフィルムを目の前で一定の速度で動かしてみると今まで静止していた画像 が滑らかに流れる様に見える。
映画の場合、フィルムは毎秒24コマの速さで動くようにしてある。映画のフィルムは螺 旋の道に沿って流れている我々の物質世界に良く似ている。我々一人一人の霊的自己は映画のフィルムの動きを追っている目の様なものである。映画のフィルムは毎秒24コマの 速度で動くが、時間と言うものは凡そ無限にまで細かく刻む事が可能である。我々の知っている三次元世界を作り上げている無限の粒子達は、毎秒数十億回の速度で回転しており 、そうすることで滑らかに流れる様に動く物質、三次元世界という「幻影」を創り出しているのである。もしも西暦1000年の月を見てみたいと望むなら、その姿は螺旋の道の 中に見いだせるはずである。人間の霊としての本質は瞑想することによって時間を遡ることが出来る。瞑想を通じて「霊」は人間の物質的身体に付随する物質的意識から遊離し、 螺旋の道を辿って異次元の時間の枠を見たり、或いはそこを訪れる事が出来るのだ。過去に起こったあらゆる事象は全て螺旋の道に留められており、螺旋の道に留められているも のに手を加えて変更させることは不可能である。
また未来とは、現在に基づいてこれから起こる事の投影を指す言葉に他ならない。過去と は異なり未来の場合には、それはまだ螺旋の道に留められてはいないため、いくらでも変化させる事が可能である。以上の説明から分かることは、過去に生じたあらゆる事柄は螺 旋の中に留められており、何等かの手段でそれを訪ね見る事が出来る一方、未来の事象はまだ出来上がってはおらず、現在によって様々に変化する可能性を帯びていると言う事実 である。以上のことをまとめると、要するに存在する全ての歴史や過去は螺旋の中に全て収められており、その配列にはその事柄が生じた時期は反映されておらず、あらゆる過去 は全て同時期のものとして螺旋の中では扱われている。従って、あらゆる存在の過去の情報や知識を収めた巨大な貯蔵庫、即ち螺旋は、いつでもアクセス出来る情報と知識の宝庫 である。必要なことは、その叡智の宝庫にアクセスする手段を身に付けること、及び自分が一体何を学びたいかを決めることである。
またプレアデス人のビ-ムシップの様に超空間にアクセスすることによって、時間を旅す るタイムトラベル用マシンを建造することも可能である。超空間を利用して時間を旅するビ-ムシップの様な方法の場合、ビ-ムシップを構成する粒子の回転速度をコントロ-ル することで、ビ-ムシップを非物質化して超空間を突破してから再びビ-ムシップを物質化して三次元世界に戻るというプロセスを辿ることになる。このビ-ムシップの様な高等 な科学技術を開発し、使いこなせる様になるためには、まず地球人が霊的世界と物質的世界についての理解を深める事が不可欠である。と言うのも、この2つの世界を完全に理解 することによって、宇宙の仕組みに関する知識を深め、宇宙について完全に理解して初めてビ-ムシップの様な科学技術を駆使することが可能になるからである。
「 星や惑星の形成 」 前述したところまで宇宙が進化するには、何兆年もの歳月が経過している。その頃、「創 造」には論理的思考力が備わり、「創造の源」が持つウルのエネルギ-の手助けを借りながら、自己の進化が段階を経ながら進んでいると言う事実を見抜くようになる。創造が自 らの体験から学び蓄積した全ての叡智は、何一つ洩らさずに創造の懐にかき抱く様に保存されている。創造が抱いている叡智は全て自らの体験によって学ばれた知恵である。我々 の創造は「創造の源」の懐の中にあり、常にそれと一つに繋がっている。そこで我々の創造は「創造の源」に備わる叡智をひもとき新しいアイディアを試してみる事が出来る。創 造の進化の過程は決して偶然に導かれるものではない。と言うのは創造がどの様に進化するかについて「創造の源」の思考に従わなければならないからだ。あらゆる被造物が「創 造の源」の思考形式に従わなければならない事から、森羅万象は全て同じ様に創られ、同じ経験を踏まえながら進化しなければならないことになっている。
「創造の源」はある種の青写真、あるいはガイドであり、次ぎにどうするべきか教える役 割を担っているとも表現出来る。そして創造は「創造の源」による詳細な計画に従って独自の「物質的宇宙」を創造するのである。思う事と論理的に考える事という過程を通じて 、エネルギ-と言うものが創り出され、その思いと論理的思考の内容が「創造の源」によって正しいものであった場合に、創造は必要な叡智を「創造の源」から授けられ、新たな 創造的宇宙を創造することを許される。この創造の進化に導かれて被造物が進化し、その進化の過程で得た知恵や知識を「創造の源」に捧げる様な霊的成長こそが「進化」と呼ば れるものなのである。創造が進化するにつれて「創造の源」も進化する。従って存在する全ての宇宙がアブソル-タムの成長と進化に貢献していると言える。フラッフィ・マタ- がガス状の気体にまで進化し、フラッフィ・マタ-の霊としての本質が様々な経験を経てより高次の知性を備える様になると、初めて銀河系なるものが形成される。銀河系に含ま れるあらゆる存在の動きや回転、振動などは全て時間の波動によって制御される。
物質的宇宙が形成されるまでのプロセスには何兆年もの歳月が費やされる。気の遠くなる 程の月日の後に、ようやく物質的宇宙が創られると、今度はガス状の気体から太陽や星団等が創られ、最後には幾多の星の周りの軌道を惑星が公転するようになる。それは鉱物界 を創造する方法を創造が理解した前兆である。事の発端からずっと創造の霊的エネルギ-は絶えず自分の経験から学び続けているのである。惑星を作り終えても創造の論理的思考 と想念は止むことなく、今度は植物界を誕生させるまで想念は集中される。植物界を誕生させるまでのプロセスを通じて「創造の萌芽」は「創造の源」による詳細な計画図に従っ て思考し、論理的決断を下し、その結果どの様な被造物が完成するかを見守り理解する。植物相と動物相の成長プロセスは「創造の萌芽」によって、それよりも更に複雑で霊的に 高次の宇宙創造に着手する一段階手前の、腕試しの様なものである。植物界の進化に従って動物相が生きるための食物が用意され、それから動物達が創造される。動物界は我々の ようにコ-ス・マタ-からなる物質的肉体の進化を促すのに重要な要因である。
動物界が自分の世界のコ-ス・マタ-、即ち物質としての動物の身体の進化レベルを一定 の段階まで発展させると、今度は「人間」の霊が宿るべき殻としての物質的身体が創られる。すると人間種族が物質としての生命サイクルを営み始め、各霊達が成長することによ って創造する霊的エネルギ-は、「創造の萌芽」を完全なレベルにまで進化させることになる。生命の進化方法や形態は実に多岐に亘っており、生命体の住む太陽系やそれに属す る星などの環境によっても異なる。生命体に必要な水や酸、太陽光線、及びそれらの霊的進化などの条件が揃えば、様々な形や大きさの生命形態が自然の法則に沿って進化する。 中でも必要条件が揃ってさえいれば「人間」という生命形態が宇宙のあらゆる地域で最も生息範囲・生息数が多いようである。また人間という生命のあり方は「創造の萌芽」によ って進化するように導かれたあらゆる霊的存在の中でも最も霊的レベルか高いようだ。と言うのも「創造の萌芽」にとってはガスなどの気体や鉱物、水、星などを創造するよりも 、人間の物質的身体を創造する方がずっと複雑な知識や理解を求められるかららしい。
我々は自分達の経験による学習行為を通じて「創造の萌芽」のゆっくりした進化の過程を 目にしているはずである。人間という生命形態は、自分の経験から学習することで「創造の萌芽」に最高次の学びの糧を与え「創造の萌芽」の進化を促す手助けをしている。人間 という生命形態は「創造の萌芽」が創り出した中で論理的・合理的思考力を備えた初めての被造物なのである。フラッフィ・マタ-から気体、鉱物、植物相、動物相へと至る各レ ベルにおける進化プロセスを経るに従って、それらを創造する際に必要とされる知識や意識は複雑になる。中でも人間という生命形態は最もレベルの高い存在形式である。人間種 族は自ら思考し経験を積むという能動的学習行為が可能であり、その学習行為を通じて夫々独自の霊的エネルギ-を「創造」に捧げ、「創造」に捧げられたエネルギ-は更に「創 造の源」、即ちアブソル-タムの霊的一部の糧となる。進化レベルが最下位の存在から最高次のレベルまで、夫々の備わる知恵は鎖状になっており、あらゆる生命形態は例外なく 「創造行為の鎖」を通じて、自分以外の生命形態の進化発達に貢献している訳である。
宇宙が成長し続けて一定のレベルに達すると、物質界の経験による学習行為は「創造」の 叡智の発展には貢献しなくなる。と言うのも幾ら高次の意識を備えていても、物質的生命形態の意識の進化発展には限界があるからである。例えば人間種族を例にあげれば、人間 種族の物質的感覚器官によって集める事の出来る知識・情報には限りがあり、従って創造の進化に貢献するにも自然に限度が生じてしまう。それゆえ創造の進化に貢献するために 人間種族の存在形式はより高次のものへと転換し、そのレベルに達すると、もはや生と死のサイクルや物質的肉体という殻を必要としなくなるのだ。かつて我々の創造(何かを創 造しようという究極的な「理念」から始まった)は、ある大きさにまで発達すると、「経験による学習」を得るために物質的領域と世界を創造した。「創造」の懐には、物質的宇 宙に属する生命形態の経験を通じて、完全に成熟し終わった生命形態が存在する。
それはしばしの営みを止め休息しなければならない時期に来ていた。この成熟した生命形 態が憩う期間の長さは、創造にとって必要な糧を自給出来る期間の長さに左右され、更に創造の霊的力や知識の量に依存する。草創期には物質的宇宙には学ぶべき知識や知恵が膨 大にあり、物質的宇宙はそれらを少しずつ段階を経ながら学んでいくが、時には膨大な知識をほんの一瞬のうちに学んでしまう事もある。そして物質的宇宙は全て経験を通じて叡 智を自分のものとするのである。