転載 http://diamond.jp/articles/-/92655?page=2
山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
ベーシックインカムという優れた制度が日本で実現しない訳
【第429回】 2016年6月8日
海外での意外な関心の高まり
スイスで6月5日に行われた国民投票で、ベーシックインカム(最低限所得保障)の導入が反対多数(約78%)で否決されたという。
予見性の高い安心なセーフティーネットとしてベーシックインカムという制度はじつに優れている
今まで何度か本欄のコラムにも書いたように、筆者は、ベーシックインカムという制度に賛成だ。賛成理由は、ベーシックインカムが、予見性の高い安心なセーフティーネットであること、行政の裁量を減らして効率を高めるシンプルな仕組みであること、受給が恥ずかしくない再分配であること、ミスや漏れが起こりにくい公平な仕組みであること、など多数ある(もっとある!)。
しかし、例えば「日本で今世紀の前半中に、ベーシックインカムは実現するか?」と問われたら、「そうなればいいとは思うが、予想としては、そうならない方に賭ける」と答えるだろう。
もっとも何十年も先の社会のあり方を予想できる確たる根拠がある訳ではない。先の答えは、筆者が単に悲観的な性格であることを意味するだけなのかもしれない。
スイスの国民投票以外にも、フィンランド、オランダ、カナダなどで、ベーシックインカムについて、実験を伴う研究が行われるなど、ベーシックインカムに対する関心は、筆者が予想した以上に世界的に高まっている。
ベーシックインカムを実現する上手いやり方はないか、日本でも研究してみたいところである。
スイスの反対理由
そのためには、まず、スイスの反対派の意見が参考になる。
まず、(1)政府は財源不足を主な反対理由に挙げた。次に、(2)経済界は勤労意欲が失われる懸念を挙げた。そして、(3)労働組合は想定する支給額では収入が減る年金受給者がいることを理由に反対したという。いずれも、なるほどという理由ではある。
スイスで検討されたベーシックインカムでは、実施の場合、金額は改めて検討されることになっていたが、賛成派は大人に対して毎月2500スイスフラン(日本円で27万5000円)の支給を提案していたという。ちなみに、子どもは大人の4分の1の625スイスフランだという。
まず、この金額の水準はどうだったのか。
賛成派は、付加価値税の引き上げか、金融取引税の導入で財源は補えると、十分な実現性があることを主張したようだ。
ベーシックインカムの背景にある思想の中には、「尊厳ある生活の権利」といった理想が含まれているし、また制度を魅力的なものに見せるためには、ぎりぎり暮らせるという以上の水準を提示することが必要だったのかもしれないが、追加の財源が必要だということは、月2500フランというのは金額として大きすぎたのではないだろうか。参考までに言うと、報道によればスイスでは食品スーパーの初任給が4000フランくらいだという。
もう一点、スイスの今回の検討の詳細が分からないので確たることは言えないのだが、ベーシックインカムが国民全員に支給されるのだから、個々の国民は概ね現在よりも大きな税金の負担能力を持つことになる。個々の国民の状況によって差し引き計算が異なるが、この辺りの事情が上手く伝わっていなかったのかもしれない。
ただし、ベーシックインカムには「既存の社会保障のより効率的な置き換え」という建前もあるのだから、追加的な財源を要さない支給水準も問うてみるべきではなかったか。
損する人の抵抗は必至
時間をかけた移行計画が必要
ベーシックインカムが日本で実現しにくいと筆者が思う理由は、既得権者の反対と、官僚の抵抗の2つだ。官僚の抵抗については後で考えるとして、スイスの労働組合が反対したように、制度の変化によって経済的に損をする人の抵抗は、得をする人の推進力を上回ると予想される。
例えば、現在、「10」のメリットを得ている人のメリットが、制度変化によって、半分の人では「12」に増えて、残り半分の人では「8」に減るとしよう。個人が均質であるとするなら、行動経済学でいうプロスペクト理論(2002年にノーベル経済学賞を取ったダニエル・カーネマンが考案した意思決定のモデル)によると、人は参照点(この場合、現状で得ているメリットの状態でいいだろう)からのプラスの変化に対してよりも、マイナスの変化に対して2倍以上の心理的インパクトを感じるという。トータルではプラスマイナスゼロなのだが、心理的には12と−16でマイナスの変化に対するインパクトのほうが上回り、集団としても、得よりも損に強く反応するはずだ。
良くも悪くも、「損得半々」では、世の中は動きにくい仕組みになっているのだ。その故に世の中が安定していいのかもしれないし、世の中がいい方向に変わりにくいのかもしれない。
筆者の思うに、既存の社会保障システムからベーシックインカムに移行するためには、どんなに短くても10年、現実的には20年くらい、移行プロセスに時間をかける必要があるのではないだろうか。
20年かける場合は、1年目にベーシックインカムを予定額の5%、既存の社会保障給付を95%、2年目にはベーシックインカムを10%で既存の給付を90%、といった調子で徐々に移行する要領だ。
こうした移行をスムーズにするためには、個人について全ての社会保障関連データが把握できていることが必要だし、社会保障の仕組みも簡素化されている必要がある。
マイナンバーの活用がもちろん必要だろうし、ベーシックインカム導入以前に、既存の社会保障の仕組みを徹底的に簡素化する段階が必要なのではないだろうか。
もちろん、スイス人であれ、日本人であれ、ベーシックインカムを導入するとなれば、現実的な移行プロセスを真剣に考えなければならない。個人個人の生活に大きく影響する問題なので、それなりの激変緩和措置が必要だ。
この場合も、一方で減る給付があっても、他方で増える給付があり、変化はその差し引きによってゆっくり行われることの説明が要る。
ただし、現実の変化に時間をかけることには、たとえば小泉内閣の郵政民営化が時間をかけたこと(と細部を官僚に任せたこと)で中途半端なものになったように、あるいは民主党政権の子ども手当が官僚に巧みに潰されたように、ベーシックインカムへの制度移行が途中で不完全なものに終わるリスクを伴う。
また、税制も含めて、各種の再分配を伴う制度は、そこに関わる人々の仕事を作り出す必要性のためか、年を追うごとに複雑化する傾向がある。これに歯止めをかけることがまずは重要なのだが、それを実現することは、政治的にも、行政的にも、大変困難が大きい。
類似の制度で着々と進める
さて、スイスの国民投票でも、ベーシックインカムの長所として、行政の効率化が訴えられていたが、問題は効率化される側の抵抗だ。
例えば、年金がベーシックインカムに置き換わると、年金に関連する役所や役所の外郭団体の人員は、大いに削減可能だ。しかし、そこで不要とされた人が、潔く引退して、ベーシックインカムをもらうことで満足する、というようなことは考えにくい。権限やOBの就職先が減ることに対して、直接・間接両方の方法で陰に陽に抵抗するだろう。 このときの抵抗する側の真剣さと、そもそも日本の社会システムの枢要な部分が政治家やビジネスマンによってではなく、官僚によって動かされていることを思うと、ベーシックインカムが短期間で実現に向けて動き出すとは想像しにくい。
そのためには、現行の社会保障関連の仕組みと行政システムを徐々に簡素化して、少しずつ「ベーシックインカム的」な仕組みや仕事のやり方を増やしていく方法がいいのではないだろうか。
ベーシックインカム的とは、(1)行政の裁量ではなくルールに基づいて給付が決まる、(2)基本的に使途が自由な給付金による再分配、(3)制度として簡素・効率的になる、制度の導入または制度変更を指すことにしよう。
当面期待できるのは、マイナンバーを活用した給付付き税額控除(いわゆる「負の所得税」)だ。この制度は、税率をフラットにして、所得捕捉が完璧であれば、ベーシックインカムとの「類似度」は大変高く、「実質的に同じ」と評価してもいい仕組みだ。
同時に、生活保護などの制度の簡素化を進め、給付開始年齢の引き上げなどによる公的年金の縮小を組み合わせると、ベーシックインカム的な世界に徐々に近づいていく。
行政の権限も人員も、減らす方向の変化は容易ではないように思われるが、外国でベーシックインカムへの関心が高まる中、日本にも「ベーシックインカム的価値観」の浸透を期待したい。
【地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)】のベーシックな総合福祉の中で、順次BI的な政策の核が熟成してゆくことになります。それが地域社会を底上げして、世界の国々の合意を促し、世界の金融経済を根本的に改革する、日本発コールサインの意味を持ち、同時に東京都から始まる道州制が質実剛健な統治体の在り方して世界にアピールしてゆきます。
厚生労働省:日本は、諸外国に例をみないスピードで高齢化が進行しています。65歳以上の人口は、現在3,000万人を超えており(国民の約4人に1人)、2042年の約3,900万人でピークを迎え、その後も、75歳以上の人口割合は増加し続けることが予想されています。このような状況の中、団塊の世代(約800万人)が75歳以上となる2025年(平成37年)以降は、国民の医療や介護の需要が、さらに増加することが見込まれています。このため、厚生労働省においては、2025年(平成37年)を目途に、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進しています。