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道の淵源~達摩大師伝(8)

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八.大師、宗横を師と拝す  

 (一)宗横、玄理に通ぜず

 偈(げ。詩)に曰く

「達摩玄に通じ、実に妙なる哉。三教を摩(さす)れば一気より来たる。

 宗派先天の二十八代祖、法船は原子(もとのこ)の為に横正(よこたて。四方)に開く」

 達摩大師が慧可を度し終って説くべき法を説き尽くし、尚も世を度(すく)う気持ちが厚く、古刹(こさつ。古寺)を雲遊して足の赴くままに方々を行脚し、自らの眞性を涵養しようとされました。

 禹門(うもん)の千聖寺(せんしょうじ)に差し掛かったとき、ちょうど一人の道人に遇(めぐ)り會いました。この道人は号を宗横と言い、長年の間道教を修行してその奥義を極め、各地で法を説いていました。遇り會った時の様子は、次のようなものでした。

 大師は千聖寺で寂然として動かず、霊光の純熟を煉っていました。そこを通り掛った道僧(道教の僧侶)が大師の姿を見て近付き、誇らし気に呼び掛けました。

「道高ければ龍虎も伏し、高ければ鬼神も欽(うや)まう。道もも高いわけではないのに驕慢な態度を取るような者は、定めし俗世間の凡人であろう」

 この挑発的な言葉も聞こえぬ振りをして、寂然不動の姿勢を崩そうともしません。馬鹿にされたと思った宗横は、不快気に言葉を続けて

「出家の人は琴を操り、調べを弄ぶべきである。碁盤を囲むのは出家人の在り方ではないと、水懺(經典)の中でも言われている。楞厳經(りょうごんきょう)にも言葉あり

『いかなる笛笙箜篌(てきしょうこうこう)琵琶鐘鼓(びわしょうこ)も、妙なる指を持つ者でなければ、たえなる音を奏でることはない』

と、われ今かれに一声喝して、眞(まこと)の和尚であるか、假(いつわ)りの和尚であるか看てみよう」

 如何にも事理に通じた言葉に、大師は堪り兼ねて眼を開け、口を開いて答えました。

「汝、眞なれば全てが眞である。汝、假(いつわ)りなれば全てが假りである」

 この大師の返答に対してすかさず

「和尚は何処から来られたのか」

「私は眞空寺から来ました」

 宗横は、大師の言葉が理解できず、訝しそうな顔をしておりました。

 大師はこれを見て心ひそかに-この人は事理を弁えた男ではない、こちらが悪く言えば必ず悪く反応し、善く言えば彼もまた善く言うであろう。よし、この人の心を考(ため)してみよう。もし彼に良い反応があれば、良い機會を与えてあげよう。暫く小さな事を話して彼に聞いてみよう、もしも私を信じ認めることができたならば、更に道理を話してみよう-こう考えた大師は、宗横に向かって慇懃に

「先生、私を深くお見知りおき願います」

と言うと、宗横も丁寧に言いました。

「和尚は果たして何処から来られたのですか」

「来たる所から来たのです」

「それにしても定めし一つの足場があり、身を安んずる所があるはずです」

「私の出身の所を問いたければ、恩を深く得たところを家としております」

「それにしても、自分の住む所があるはずです。何処から身を起して此処へ来られたのですか」

「私は雲遊の僧ですから、定まった所はありません」

と答えて、大師は偈を吟じました。

「東より来たり西に去り憂愁なし、天下四部洲を雲遊す。

 わが身何処に帰るを問わば、常に双林に在りて寂滅を修む」

 大師の偈を全く解することができない宗横は、畳み掛けるように

「では、汝の姓名は何と言うのか」

「私の姓は性であり、名は王であり、字(あざな)は空明(くうみょう)であります」

 すると宗横は、言葉を荒げて

「百家姓を読み通し悉く誦(そら)んじているが、その中に性と言う名字は無い」

「あなたは、ただ百家姓を知っているだけで、自家性を知りません。私は思うのですが、当初開天闢地の時、まず一點の眞性がありました。男女とも、少しも欠けることはありません。この一點の眞性、一人一人が誰もが持っております。個々に無いと言うはずはなく、蠢動しその中に霊を含んでいます。

 全てに佛性があるのですが、今のように五行の中に投ぜられて面貌が同じでなく、言語も各々別があって、それぞれの姓名に違いが生じただけです。今のあなたは、どうして眞を認めず、かえって假りを認めるのですか」

 宗横は、ますます大師の言葉を解することができず

「和尚。私に眞実の事を説明してください。あなたは何処から来て、何処へ行くのか明らかにされたい」

「汝が是非とも私の来た道と行く道を追問されるのなら、お答えしましょう。私の道は末後一着であります」

「山に登るならその頂きに到るべきであり、海に降るならその底に到るべきである。故に、あなたの水の窮まるところ、山の尽きるところ、即ち一つの落着の処を問い質して私は息(や)みません」

「それ程まで言われるのでしたら、私の本当の来意をお話ししましょう。全ての事をあなたにお知らせしましょう。私は実は泗水国(しすいこく)の人間であります。特にこちらに来ましたのは、道を訪れ、修行したいためです」

「どのくらいの路程でここへ来られたのですか」

 大師は即座に答えて、「十萬八千里です」

「どの位の期日を經て、此処に来られたのですか」

「わずか一時辰を費やしただけで、此処に到着しました」

「どうして、そんなに早く歩けるのですか」

 大師は宗横が余りにも無智であることに呆れ、もう少し誑(たぶら)かしてから眞意を明かそうと思われたので、

「私は、むしろ遅いくらいに思っています。私の泗水国には達摩大師という和尚がおりまして、彼なら半刻で十萬八千里の路程を歩むことができます」

 宗横には問う意味が別にあったのか、話題を換えて言いました。

「あなたは何の用事があって、こちらへ来られたのですか」

「久しく東土に道を体する人がないと聞いていましたので、私は傳道教化の修行をするために来ましたが、どうしたことか私のような明眼の高師がここにいるのに誰も知ってくれません」

 宗横はむっとして、

「あなたに、どのような道があり、どんな修法があって、ここで傳道しようというのか」

 大師は平然として

「私は湖海を雲遊する者ですから、何の修法もありません」

「修法もない者が、何をもって傳法しようとするのか」

「暇な時には清浄を守り、倦きた時には何処かへ行って眠り、飢えた時には一椀の飯を喰らい、渇した時には一瓶の泉水(みず)で足ります。誰でも佛になりたければ自分で勝手に佛になればよいし、誰でも仙人に任じたければ自ら仙になればよい。滔々たる風波が起これば艄公(しょうこう。船頭)は船を出さなければよいことで、全て自然に任せることです」

 大師はこのように、大道の玄機奥妙を言葉に託して宗横に説きましたが、宗横は惺(さ)めて悟ることができません。大師は、言葉を続けて

「私は、こちらへ来て早一年半の光陰を過しましたが、誰一人として私を師として拝む者がおりません」

 これを聞いた宗横は、吐き捨てるように

「誰があなたのような、一竅不通の者を師として拝する者がおろうか」

 大師は、言葉を返して

「それは、あなた自身が一竅不通であることを恐れるだけで、正にあなたが一竅を得て通ずれば、超生了死も難しいことではなく、必ず佛を証し眞人となることもできましょう」

 宗横は、この言葉に腹を立て声も荒げて

「あなたとは話したくない。勝手に行きたい所へ行くがよい」

「来た時は只一条の正路でしかなかったが、去ってしまえば千萬の門戸が生まれるでしょう。去(い)きたくても、どうして私が行けるでしょうか」

 しかし大師は、此処でこの人とこのまま別れたら二度と度(すく)うことが出来ないだろうと考え、言葉を換えて

「今はただ先生のご指導をお願いするだけで、それが私の千年の修行にも勝るものと思います。お怒りにならず、お教え下さい」

「もしも私とあなたが同じ宗教ならば、あなたを指導するに否とは言わない。しかし、あなたは佛教であり、私は道教である。何をもってあなたに話せばよいのか」

「先天におるときは、佛教・儒教・道教は原来一家であり、現在では人が勝手に三教に分けただけで、どうして別々の理がありましょうか」

「もし、あなたが是非とも教えよと言うのならば、救わないこともない。それには、先ずあなたが私を師として仰がなければならない。それができますか」

大師は、心の中で暫く考えました。-若しも私が彼を師として拝まなければ、恐らく彼を導いて進歩させることができないであろう。しかし。私が彼を師として拝むとすれば、彼の罪を重くさせるだけだ、しかし已むを得ない、水流が急であれば船を岸に着けるほかない、船を竿の差し易い所まで持って行こう-こう決断した大師は、静かに宗横の前に進み

「師父、私はわざわざ雲遊して此処まで来ましたが、香燭に欠け、全礼を尽くすことができません。深くお詫び申し上げます。弟子は土を取って香とし、あなたを拝して師といたします」

 これを聞いた宗横は、すっかり得意になって

「全く、あなたの言うとおりだ」

「では師父様、上座にお上がりになって弟子の礼拝をお受け下さい」

 宗横は、何も気付かず、得意満面となって自分が尊いと自負し、乞われるままに布団の上に端然と坐り、大師の九拝を受けました。

 

(二)八部龍神の怒りを鎮める

余りにも尊大な宗横の態度に怒りを発した八部龍神は、物をも言わず、宗横目掛けて打ち掛かろうとしました。これを見た大師は、急いで心の中で偈を作り、八部龍神の怒りを鎮めました。

「君子は暫し貧しくとも、また礼あり、

 小人は富さえすれば、容易く心を欺く。

 八部の天龍、空中に怒る。

 傳道の祖師は来人を拝す。

 人の便宜を得るためにして、歓喜するなかれ。

 遠ければ来生にあり、近ければ身辺にあり。

 九玄と七祖は地獄に罷(しりぞ)け貶(おく)り、

 歴代の先亡は幽冥に墜つ」

 大師は、双膝を跪いて天を拝みました。何も知らぬ宗横は、礼拝を終えた大師に

「弟子よ、立ちなさい。我は今、汝を弟子として受け入れよう」

 大師は膝を着いたまま

「師父に少し佛法の道理をお伺いし、明らかな開示を待って、始めて立ちたいと思います」

「本来あなたを救うまいと思っていたところが、僧の顔を見ず、佛の顔を見てあなたを弟子として受け入れた。あなたはただいま皈依したが、私が本来入門したのは道門であり、修めたものも道祖の道であり、体したところも道祖の理であるから、当然三清五行に従うべきで、これをもって正しい理とするところである。貴方が髪を剃って僧となったことに免じて、三皈五戒を傳えよう。決して師の眞傳実授を忘れてはならない」

「どうして従わないことがありましょうか。私は必ず三皈五戒を承受したいと存じます。決して師の眞傳実授を忘れはいたしません」

「汝は先に三皈を受け、後に五戒を受けなさい。佛に皈依すれば地獄に墜ちず、法に皈依すれば餓鬼に墜ちず、僧に皈依すれば輪廻に墜ちることがなく、法輪は常に転ずる。今汝に功三千、果八百に盈つる法を傳授することができた」

 宗横は自信に満ちた声で、「では弟子よ、立ち上がりなさい」と言いました。

「弟子は、立ち上がることができません」

 宗横は、不思議そうに大師の顔を見ながら

「どうして立ち上がることができないのか」

「それは未だ弟子に明らかに開示してもらっていないからです」

「私は既に汝に明白に開示したのに、どうして明らかでないと言うのか」

「弟子の泗水国でも、また三寶に皈依することがありまして、あなたが皈依するところと私が皈依するところは、音が同じでも字や意味は全く同じではありません」

「では、汝の国の三寶に皈依するとは、どのようにするのか」

 大師は、おもむろに一礼して

「どうぞ師父様、寛いでお坐りになり、弟子の詳細な説明をお聞き下さい」

 宗横は、苦虫を噛み潰したような顔で、仕方なさそうに坐りました。

 (続く)


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