とても内容のあるコメントだと思いますのでこちらに移動いたしました。
・コメントが届いた記事
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・自分自身が自分の運命をつくり、支配している
・コメントが届いた記事のURL
http://blog.goo.ne.jp/adachi4176/e/934b7f801487e569a6da78b50294bbb6
・コメントを書いた人
たかぼん
・タイトル
カルマは存在します
・コメント
Zeraniumのプログさんの記事、以前から精神的にも、霊的にも高いレベルの記事ばかりなのですが・・・・
今回のラムサの記事で「カルマは存在しません・・・・」と述べている部分とその関連説明は間違いです。
(Zeraniumのプログさんの記事には、投稿欄が無い様なのでこちらに投稿する事にしました)
ラムサの思想は、「自分自身の本質が神である」という点を見出した事では評価すべきと思いますが・・・・
ラムサの思想は、「人間は発展途上の神」であるにもかかわらず、人間の心の中に神が存在する事を発見しただけで、あたかも「人間は(その本質の魂は)神そのものである」と誤解をして、「人間の魂→神の魂」へと進化する為の「カルマ(=魂の負債)の解消」を"カルマは存在しない"として否定する論だと思えます。
ラムサの思想の結果は、(悪事はし放題だが)自分の行為に責任を取らない「無責任な人間」となります。
この様な無責任な人間は「自らのカルマを重く」するだけで、カルマ解消しなければ、次元上昇ができないという、神が定めた「宇宙の法則」や「霊界の法則」を(無知のゆえに)無視する事になる為です。
その意味でラムサの思想は、"実に巧妙で危険極まりない罠"ではないか(?)と思われます。
「カルマとカルマの法則」は、神が人間に与えた「自由意志とセット」であるにもかかわらず、「自由意志」のみを主張し、自らの行為の結果で生ずる「カルマ(=魂の負債)の存在とその解消を無視」する為です。
人間の魂の創造者である神は人間に"神となるか"、"神でないもの(=悪魔に従う者)になるか"という自由意志を与えました。
"神となる者"とは、自由意志を正しく行使する者で、"神でない者"とは自由意志を誤用する者です。
人間の「魂」を創造した神は、人間が他の存在に対して行為した結果を、その行為者自身が受け取る様に宇宙の法則を定めました。つまり、「他人に対して行った事を自分自身が受け取るもの」です。
当然ながら、自由意志によって他の存在に害を為す行為を行えば、その反動が還って来ます。これが一般的に言われる、(ネガティブな意味での)「カルマ」(=魂の負債)と呼ばれるものです。
神が創造した人間の「魂」とは、"自分を忘れた神"(=全智全能に忘却のベールがかけられた)なのです。
神が、創造した「魂」(=神自身の体験の瞬間を個別化した)は、形のある世界(3次元)を体験する事で、自分にかけられている忘却のベールを徐々に脱ぎ去り、やがて親神と同様の全智全能の子神となって、親神のいる次元へと還って行く(=自らの体験を持ち還る)存在なのです。
以下、この記事の内容で、問題だと思われる部分についての私自身の考えを述べます。
>カルマは存在しません。→×
→カルマは存在します。
>殺人や事故、強盗に遭う事は別に懲罰でも何でもありません。それは以前のあなたの行為の「償い」でもなければ、罰でもありません。・・・・・・→×
→カルマのバランスを取る為に起きて来た出来事(中には突発的な事もあるが)だと思われます。
>殺された者達は、さらなる学びと体験のために、つまり私が冒険と呼ぶもののために、彼らは速やかに「天国」とよばれるある場所へ行きます。・・・・・→×
→自縛霊や浮遊霊となって行けない霊もいます。基本的には生前の意識状態と同じレベルの霊界に留まる事になります。
>いったい誰があなたの運命をつくり出していると思うでしょうか?・・・・・・(中略)しかし実際には、あなたが自分の運命を支配しています。・・・・・・→×
→運命とは、「自身のカルマ解消(=宿命)」と「自らの意志と行動」が合わさり作られて行くと考えられます。
宿命とは、自らが持つ「カルマ解消」の為に、転生前にガイドの助言を得て自分の魂が計画した「誕生~死までの概略の人生の青写真」の事を指します。この青写真に基づいて、人生での物事が起きてきますが、自らの意志と行動に基づく反応、魂の霊的な成長に伴って「人生の青写真も修正」されていきます。
(無意識は無意識なりに何かを生み出している。とは「人生の青写真に従って起きて来る出来事」?)
>誰も過去に支配されている人はいません。それは一瞬前であれ、千年前であれ、あなたの行為を償いをしなければならないと言う事はありません。・・・・・・→×
→(カルマを全て解消した人は別として)人は自らが行った過去の行為の結果によって起きてくる出来事に縛られます。カルマを解消しなければ、次元上昇が出来ないためです。
>過去とは、その時に体験された「今」という瞬間に過ぎず、それはもうここにはありません。それを現在との関連から言えば、あなたはそこから学べるすべてを学んだという事だけなのです。・・・・・→×
→自分の利己的欲望の為に、他の存在を犠牲にしてはならないと言う事を学ぶために、過去に犯した間違いと同様の体験が繰り替えされる事になるのですが(今回は過去の利己的とは正反対の反応を示す事で善悪のバランスを取り)過去のカルマの負債を解消する事になります。
過去の行為とのバランスを取り終えるまで、何度も同様の事柄が繰り返して起きて来ます。
>失敗や間違いなど存在しない。・・・・・→×
→無限の時間の後には、全ての魂は、現在の自分自身の行為(=他の存在を害する)が悪であると気づき、その行いを改めて、全ての魂が次元上昇する事になっているので、究極的にはそう言えるが・・・・現在の時点では、「失敗や間違いという行為(悪=他の存在を害する行為)は現に存在」する。
>あなたが再びこの地上に戻って来たのは、何か自分が思い出せない様な事を「解決」するためでもなければ、何かよくわからない「自分がすべき事」をするためでもありません。・・・・・→×
→未完の問題を解決する為に人は転生して戻って来るのです。
>それは過去にした事の帳尻を合わせるためではなく、肉体という固体を通して進化するためであり、この次元でしか得られない体験を通して「感情において」自分を完成させるためなのです。・・・・・→×
→過去に起こした事柄(カルマの負債)のバランスを取らないと、魂の次元上昇が出来ない為です。
>あなたが繰り返し、何度もここに転生して来ているのは、この幻の世界を生き、魂が叡智という生命を満たすのに必要な体験を積むためです。・・・・・・→×
→何度も転生するのは、カルマ(=魂の負債)を解消して「魂が次元上昇する為」です。
>あなたは自分が本質的に神である事を思い出すためにここにいます。・・・・・→(×or△)
→現在のあなたは、(神そのものではなく)、「発展途上の神」です。その事を見出すためにここにいます。見出しただけではダメで、「発展途上の神→神そのもの」となる努力(=カルマの解消)が必要です。
>あなたがそれを知った時、生命は無限のものになるのです。・・・・・・→×
→それを知るだけではダメです。自らのカルマを自覚し、カルマを解消する行動を行う必要があります。
>自分は永遠の存在あること。これまでにも失敗は何一つ存在しないこと。ただこれまでにあなたが犯した「たった一つ」の間違いは、自分が何か間違いを犯したと「信じた」ことだと知りなさい。・・・・・→×
→「自分は永遠の存在である事」という部分以外は全て誤りです。「自由意志の乱用が失敗の元」であり、その結果として、人間は次元降下した3次元の世界に閉じ込められたのです。
「自分自身は間違いを犯していない」という意識が、「実際には大間違い」なのです。
自分自身の間違いを認めて、その結果で起きて来る「ネガティブな出来事を受け入れ」→ポジティブな出来事に創造し直す事で、あなたは「カルマ(=魂の負債)解消」となって次元上昇ができるのです。
>自分の内なるフィーリングにだけ耳を傾けることができるならば、この瞬間にも、あなたは自分がなりたい
ものになれる自由があります。・・・・・・→×
→3次元の世界では、"思う事"と"思った通りに実現する事"とは別ものです。例えば、あなたは、虚空からパンを出す事ができますか(?)、あなたは空中浮遊やテレポーテーションができますか(?)、この様にできる(または、出来る能力がある)と知る事と、実際にそれが出来る事とは全く別のものなのです。
>無法になりなさい。・・・・・→×
→ラムサの言う様な無法の状態になれば、"非常に大きい新たなカルマ(=魂の負債)"を生むでしょう。
他の存在を一切傷つける事無く、自分自身の願望や望む状態を体験できる道を見つけ体験すべきです。
シュタイナーは、ラムサの様な人物の事を、「シュタイナー霊的宇宙論」(P.52-53)でこう述べています。
あるエジプトの賢者がギリシャ人ソロンに向かって、「かつて神々は人間だった」という重要な秘儀上の真実を語った事が述べられています。今日霊界の高みに立っている神々は、常にそのような神々だったのではなく、そのような神々にまで進化発展したのです。かつては人類の進化段階を辿る人間だったのです。
この事は既に古代において、秘儀の場で学ばねばならぬ根本的な真理の一つでした。
このことから、「それでは我々人間もいつかは神々になるのだ」という危険な真実に行き着きます。そしてまさにこの結論に至らざるを得ないために、秘儀の導師は、この真理を危険なものと見なしました。
実際、人はふさわしい成熟を遂げれば神になる事ができます。しかし成熟を遂げる以前に、人が自分の中に神を見出したと、思い込んでしまえば、その人は神にはならず馬鹿になるのです。
ですから人間の前には、二つの道が開かれています。一つは忍耐強くディオニュシウス・アレオパギダの言う「神化」に向かって歩む道です。もう一つはそうなる以前に、自分は神だ、と思い込む方向へ向いています。一方の道は本当に神様になるところにまで至りますが、もう一方の道は馬鹿者に至る道なのです。
シュタイナーが言う馬鹿者とは、(自らは神でもないのに)「自分は神だ!」と宣言するという聖書に書かれた「反キリスト(=666の獣)」と同じ道を歩む者という意味の様です。