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大天使メタトロン
Archangel Metatron
その路の中の岐路
‘言動、加齢、そして2回目の土星の回帰’
Forks in the Road
'Attitude, Aging & the 2nd Saturn Return'
Jun 3, 2017
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ジェームズ・ティベロン経由
Archangel Metatron via Tyberonn Channel
All Copyrights Duly Reserved 2017 to Earth-Keeper & James Tyberonn
(訳注:2回目の土星の回帰-土星が出生時の黄道帯上の位置から時間の経過に従って移動して、2回目に出生時の黄道帯上の位置に達する時点、またはその期間の時間の経過)
熟達者の皆さん、こんにちは。わたしはメタトロン、光の天使存在。
わたしは、結晶構造担当のティベロンによってこの集いに結び付けられています。そしてわたし達は、この瞬間の中、ひとつの‘無条件の愛’の領域の中で潤色された無時間の瞬間の中で、皆さんに挨拶を送ります。
親愛なる人間の皆さん、二元性の中のあらゆる魂が、人生の大いなる神秘を理解しようとして答えを探し求め、自分達の水準で奮闘しています。
しかしこの高貴な探求の習得は、ひとりの導師や数々の書籍から達成されることはありません。それは、その道筋の上のそれぞれに魂によって、個人的にそして個別に経験され、学ばれることが必要になります。
それは、叡智を生み出す経験です。人生の意味、人生の目的の答えは、そして外見的な死の謎は、能力を試される道筋の中と人間の人生の路の上で、個人的に発見されます。
そして親愛なる皆さん、その道筋は、ひとつの迷路に通じ可能性がある路の中に、数多くの交差点と幻影の岐路を含みます。
その路の中の岐路
Forks in the Road
皆さんが皆さんの‘地球という大学’における魂の授業の教科課程の後半にいることを自覚する紛れもない方法のひとつは、その路の岐路が遙かに微妙で複雑に見え... そして選択すべき正しい方向はほとんど明白ではない、という所にあります。
何故なら、それぞれの魂が熟達性の道筋に沿って前進するにつれて、その‘路の中の岐路’が、もはや明快な‘黒白’の選択ではないからです。
より複雑な物事のほとんどは、むしろ漠然とした灰色の影の中にあり... そしてどちらの道を進むべきかという選択は、遙かに不鮮明なものになります。
2回目の土星の回帰
The 2nd Saturn Return
人類が八番目の7年周期に入り、2回目の土星の回帰を完了する時、通常(ほとんど)56年から59年の編年的時代の間に、しばしば特異で興味深い、おそらく最初は注目されず... そして極めて際立って微かな、言動の移行が起こります。
しかし、皆さんがこの異なる章、一連の出来事に入る時、変化はまさに実際に起こります。
それは、人生という本のこの後半の‘章’の中でこそ、ほとんどの皆さんにとって、環境の中の数々の変化が論理的にそして自然に起こるからです。今後一部の皆さんは、子供達が故郷や共同関係を離れる時の、‘巣立ち後の親達’になるでしょう。
理解できる原因と結果の筋書きの中で、しばしば人間関係が移行します。微妙なしかし偏向したやり方で、特に皆さんが退職するか職業の経歴の最終段階に至る時、婚姻関係が終わるまたは変わる可能性があります。
今後また皆さんは、多かれ少なかれこの局面の中で、皆さんの死の必然性をかなり自覚するようになるでしょう。
この自覚はしばしば皆さんの人生において今まで皆さんが行ってきた物事や、皆さんが依然として完了したいと思う物事に向けた、深い考慮を誘発します。
皆さんがこの新しい焦点に反応するやり方が、その後少なからず皆さんがその残りの年月で行う物事を決定することになるでしょう。
2回目の土星の回帰は、目的ある再調査が極端に関連を持ちまた適切なものになる、ひとつの重要な時期になります。
そして安心してほしいことは、2回目の土星の回帰は、皆さんがひとりの占星学的な科学の提唱者か不信仰者かどうかにかかわらず、すべての皆さんに影響を与えることになります。今後土星の回帰の惑星の重力の移行の中で、雰囲気が変わることになるでしょう。
加齢と言動
Age & Attitude
人間が加齢するにつれて、この人生の束の間の局面の中の人々にとって、残念ながら‘最良の年月は過ぎ去った’と感じ、自分達のやり方により強固に組み込まれること... そして自己分析に対してこころを閉ざしがちになることは、珍しいことではありません。
ひとりで暮らす人々は、人生の同伴者の意見という入力情報が欠如することになり、そして異様で妄想的な言動にさえ陥るかもしれません。
ひとりの人生の同伴者と一緒にいる人々は、態度の移行あるいは言動の硬直化に関する批判を受け止めることに消極的になる傾向があるかもしれません。両方の筋書きが、同じ‘硬化’の結果を持つ場合があります。
熟達者の皆さん、皆さんの人生のあらゆる局面が目的を持たないなどと、決して考えないでください。どのような物事も、真実からさらに遠ざかることはないはずです。
個人の地上の貴重な時間のあらゆる瞬間が、魂に溢れた意味、大志、設定済の目標、そして高貴な切実たる要求で染め抜かれていることを、わたし達は皆さんに保証します。
そのため、皆さんが人生の晩年の段階に入る時に、皆さんが敢えて無気力または言動の硬化に陥らないことこそが、より一層重要になります。
厳格性の問題点は、本質的に、‘幸福な状態’の欠如です。様々な歪んだ信念から言動に感染することがある、停滞しているというひとつの感覚です。
こころの硬直化
Hardening of the Heart
熟達者の皆さん、もう一度話しますが、皆さんのやり方で年齢集団に入ることは、回避すべきひとつの誤りです。そしてそれは、この人生の段階の重要性を認めることによって、回避できるものです。
親愛なる皆さん、もしもある厳格な態度の考え方が根を張ることを許されるとすれば、今後それは成長し、時間と共に次第に克服することがより難しいものになるでしょう。
厳格性がそれ自体をどれほど有毒に表現することがあるかということに関して、2つの主要な一般論があります。
1)傲岸な幻覚性として-もはや積極的に自己評価をしない。
2)身を委ねた厳格性として-最良の年月は過ぎ去ったという歪曲されたひとつの信念。
もしも悲しいことに、人が、最良の年月は過ぎ去った、人生には目的などほとんどない、といった間違った信念に帰順するとすれば、言動の退化が現れます。たとえ皆さんの直線的な時間の年齢が何歳であろうとも、皆さんが手にするすべては贈り物です。
そして皆さんは、今という時間は、昨日の完了または明日の怖れのなすがままに与えられるのではないことを、認識するべきです。
皆さんは、皆さんが生きている間は人生から引退しません!あらゆる瞬間は、‘生命の潮流’の流動性を許すことを目指して、約束と希望のあるひとつの言動を用いて、精力的に対峙されるべきものです。
そして熟達者の皆さん、生命の流動性の流れは、絶え間ない調整、絶え間ない警戒を必要とします!
硬直化することは、霊的な探求者達の間でさえ、人を退化させ、霊的な萎縮へ向けた螺旋降下になることがあります。
傲岸な厳格性を備えた硬直したほとんどの魂達は、強力な意志、自分達の自己正当性を確信し、批判を遮断し、自分自身のやり方を持とうと盲目的に決断する人々です。
そういった人々は、文字通り“自分達自身のひとつの世界の中”で暮らし、その中では自己が支配的な力を持ち、非難の余地がありません。
そして熟達者の皆さん、どのような時でも、人は自分自身の精神の中で完全無欠になり、その人々は静止した状態になります。
悲しいことに、その影響を受けた人々は、しばしば厳格性に気付かないことを選択します。
構築された自己の絶縁状態は、普通は目に見えず、従って、自己の中に欠点を確認する能力を盲目にします。その言動は、傲慢で自己満足した言動や、他の人々を支配する言動へと脱線することがあります。
しかし繰り返しますが、この状況にある人々がしばしば気付かない理由は、その人々が、狭隘な自己評価を提示することを、拒否するからです。
この厳格な姿は、実際にひとつの歪められたこころの硬直化であり... 不安定な自我のひとつの姿です。その最悪の事例において、それは頑固さを特徴とする自己陶酔、提示されず与えられない歪んだ不関与の意志に通じることがあります。この厳格性は、流れている意識の安定した流れを、遮断します。
加齢と厳格性の接線は、また環境の拒絶の中で生じることがあります。加齢による拒絶や、無力だというひとつの感覚です。個人的に、こうした筋書きのそれぞれが、様々な程度に至る怖れ、無力さ、無気力の結果であり、あるいはこうした怖れに基づいた否定的な絶望に通じる情緒の組み合わせです。
こうしたすべてがオーラを粉砕し、機械的に抵抗力を低下させ、身体の防御能力を低下させます。そういった情緒や精神の苦悩という下降状態は、物質的な身体の防御を低下させるだけではなく、身体の化学的構造を変え、その安定を変更し、‘病気’の状態を開始します...
生命の流れ
Live Streaming
流れている意識は、‘静的な’意識とは非常に異なります。
厳格さは静的であり、‘遮断された’意識である一方で、流れている意識は流動的かつ育成的であり、自然で精神的に健全な変わることのない自己の基準調整の過程を含みます。
意識の流れはさらに高い状態、潜在意識を許しますが、それが、神性というさらに高い自己の源泉です。
自制心は、言うまでもなく、ひとつの良い人生のために必要不可欠な価値一覧の最上位に位置します。啓発への安易な道はありません。そして献身と責任は、成就の種子の芽生えに対する核心部分です。
熟達者の皆さん、わたし達が話し合っているその状況は、人生のすべての局面で起こり得るものであり、そして起こりますが、しかしその一方で、人間の人生の晩年の段階において厳格になる言動に関してさらに大いなる傾向性があります。
人生の中には、数多くの人々が疲労を感じ、そしてどういう訳か、必要な努力をすることを止めようとする時期があります。
その人々は、ある特定の段階で、自分達の‘現実性に関する経験的な眺め’は極めて完成し、実質的に干渉を許さず、新しい知識は必要ではない、と感じます。
その人々は、最も一般的に人生の‘中年の局面’の終わりには、2回目の土星の回帰に入りながら、‘諦めて’自分達の月桂樹の名誉の上で休みます。
それはまるで、偽りの頂上に到達したかのようなもの、あるいはおそらく単純に怠惰になったか疲れてしまったようなものです。
それで数多くの皆さんは、‘引退の年齢’を、学びを手放すひとつの時期として、そして単純に‘休む’時期として理解します。
開放的な人柄は、その人々の‘加齢する’現実性に起因する狭い視野へと微妙に置き換えられます。ただ稀に少数の人々だけが、死の瞬間まで、現実性の神秘を公然とそして献身的に絶えず探索し続けて、自分達の世界と高潔で真であるすべてに関する理解を拡大し、精緻化し、基準調整し、そして再定義しています。
‘真の公正な’道筋の上にいるすべての人々は、安定した状態に留まることを追求します。公正な人々は、‘地に足の着いた’謙虚な感覚を保つことを追求し、精神的に安定していることを、わたし達は皆さんに伝えます。
こうした魂達は、今後いずれにせよ自分達に自分達自身よりもさらに高い物事を提示して、それを神または真実または愛または他の幾つかの高貴な秘伝的で利他的な理想にするでしょう.... その魂達は、その人々が真実として投影するものの幻影というよりも、むしろ実在するもの、事実上正当で、実際に正しいものを信じます。
加齢の絶望の回避
Avoiding Age Despair
絶望は、伝染性の病気、あるいは与えられた疾患に属する外部の何らかの担体よりも、急速に移動します。抑鬱または絶望という精神状態は、受動的ウィルスに似た物事の活性化を引き起こします。
しかし実際には、絶望は、受動的な絶望が受動的に見える可能性があるどころの話ではありません。何故なら、人が誤って変化のための何らかの外的な活動が無力だと感じる時に、絶望はしばしば自ら招いたものになるからです... しかし保証しますが、絶望という内面の火災、抑鬱の炎は、内側に向けて破壊的に猛威を振るいます。
もしも皆さんが抑鬱、悲しみ、あるいは不適切という感覚に悩まされるなら、それはただ‘皆さんが認識する自己’、日々の人生の自己の内部を深くそして近くで見ていることによるものであり、皆さんは、人生を歓びに溢れたひとつの経験に再活性化するために、皆さん自身の現実性を精査し、理解し、そして再び基準調整を施すことができることに、気付いてください。
悲しみの中で生きること、あるいは‘諦める’ことは、間違っています。
そして、それはただ自己評価の中だけにあり、しかしながら苦痛に満ちているため、皆さんは、解決策と善意ある答えを見付け出します。
そして熟達者の皆さん、そういった評価は、比較のために、‘さらに高い自己’の定位置にある理想、内面の同一性と伴に毎日の自己と一緒に並置すべきものです。
それを修正するために必要な行動を起こそうとするひとつの意欲、承諾、断固とした意思と結び付けられた違いを見付け出そうとする願いがあるべきものです。
熟達者の皆さん、わたし達が繰り返し話してきたように、もしも皆さんが皆さん自身の主観的状態を分析する時間を取らなければ、その結果皆さんは、皆さんの人生の中で同じ状況がそれ自体を何度繰り返すとしても、不満を漏らすことはできません。
もしも人が‘鬱屈’したままなら、もしも人が絶望した状態のままなら、そしてもしも数多くの答えが皆さんを避けているように見えるなら、その時、何らかの理由で、皆さんは事実通り皆さん自身を分析する努力を行ってこなかったことになります。
その努力をせよ!
Make the Effort !
人生の中で、人生のあらゆる貴重な瞬間を通して、努力が必要になります。ひとつの実りある人生、生産的な人生は簡単だという発想は、大きな欺瞞です。
実質的に、人生の中のすべての課題は、数々の難題に直面することだけではなく、積極的な方法でそれを克服することを通して獲得されたものです。
繰り返しますが、‘年長者’の年齢へと優雅に成長することは、照合のために意図された叡智を収穫するための... そして歓びの中でそれを表現するための、熟成期間です。
数々の難題に向かい合う
Meeting Challenges
熟達者の皆さん、皆さんの聖句はこう述べます:“ひとりの富豪が天国に入るよりも、一頭の駱駝が針の穴を通ることの方が簡単である。”
この文章の本当の意味は、皆さんは、成長するために、数々の難題を抱えた数々の生涯を選択する、ということです。
すべての必需品が‘与えられる’ひとつの裕福な生涯は、おそらくより3次元の物質的な側面の中で簡単な一方で、必然的に人が努力するように強いることはなく... そして残念なことに、しばしば傲岸、資格、そして他者の支配といった否定的な性質の発達を許します。
仏教は、それぞれの魂は成長するために数々の難題を選択する、と教えます。そして、難題の無いひとつの人生は限られた進歩しか提示しない、とも。ひとつの賢明な魂は、能力が試されて難しい計画された設定を備えた、努力を必要とする人生を選択します。
エドガー・ケイシーは、優れた能力の魂達が比較的‘心地良く簡単な’人生を選択するのは、4回から5回の生涯の内でただ1回だけのことだ、そして75から80%の転生は、選ばれた‘設定’、魂の契約の難題に溢れた滞在が選択され、それが魂の成長と発達に通じる、と述べました。
結びとして
Closing
人生は難しくなることがあり、そしてそれは、高貴な真実です。人が数々の難題に直面してそれを克服するのは、しばしば人が外見的に困難な障害物によって籠に閉じ込められた時だけのことです。
これからも人生は、いつも家族、仕事、そして財源からの重圧を受けることになるでしょう。それは避けられず、そして不眠、抑鬱、そして心臓疾患のような、健康問題の集中砲火を引き起こすことがあります。
しかし叡智ある人々は、それが瞑想、訓練であるか、あるいは単なる心配、コンピューター、テレビ、そして電話を遮断するために皆さん自身のために毎日2、3分を取ることかどうかにかかわらず、既に自分達の重圧を管理する方法を学んでいます。
心配に焦点を合わせることは、皆さんに皆さんが恐れる物事そのものを引き寄せることになるでしょう。
同じ考えを持つ探求者達の集団を見付け出して、すべての年齢の人々と関りを持ってください。
聖地の旅、形而上的な協議会、そして霊的な書籍は、無駄なく時間を過ごすための卓越した方法です。歓びを見付け出して、それを味わい、笑ってください!笑い声と楽しみは、若返りの有効な手段です。
歓びを表現する個人、幸せになる方法を学ぶ個人は、自分達の世界を変え、自分達の現実性をより良いものに移行させることができます。
歓びを獲得することは、事実通り人生を感謝することを含みます。そしてその達成は、その‘黄金の年月’を完了するためのより良い時期を認識することなどありせん。
幸せを見付け出し、歓びを維持することは、熟達性を達成することを追求しているあらゆる魂にとって、最も重要な達成のひとつです。
そして年長者の年月の中で、歓びを追求し、それぞれの習慣を充分に、活気に満ちて生きることは、最も重要になります!
皆さんは、ただ単に‘働いて次に死ぬ’ためだけに地球の領域に降りている大宇宙の存在ではありません。
皆さんは、既に成長することを選択してある霊であり、そしてその過程の不可欠な部分は、人生の貴重な歓びを通して、皆さん自身を快活にそして至福に溢れて表現する方法を学ぶことです。
人生の最良の年月は過去の中のことだと皆さんに伝える人々は、賢明ではなく、‘今という瞬間’は絶えず力の要点であることを認識していません。
親愛なる仲間達、今を生きてください!
その瞬間を抱き締めてください!
愛を創り出し、歓びを創り出してください!
わたしは、結晶構造担当のティベロンと一緒にいるメタトロン。
皆さんは、最愛なる人々です。
そしてその通りに... そしてそのように...
And So it is...And it is So..
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翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。
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