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ジ・アークチュリアン・グループ〜アルクトゥルス人からのメッセージ

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2014年3月16日

 

こんにちは、親愛なる皆さん。私達は皆さんにアセンションのお話をするために、またやって来ました。より高い次元のエネルギーへと上昇する段階は、全員が全員で異なっています。多くの人達はまだ、自分の内なる魂の豊かさを受け入れる準備が既に出来ているというわけではないので、全員が今回で完全にアセンションする、というわけではありません。とはいえ、このパワフルな時に「ガイア」に押し寄せている「光」を全員が体験しつつあり、これを契機に成長するか、もしくはそれを却下するかの選択は、全員に自由意志があります。

自分の内側と世界で起こっている多くの変化を観察する際、これを覚えておいてください。もはや最高の利益には役立たない、生涯抜けない教育や信条にまだきつくしがみついている人達には、変化は一大事であり得ます。しかし進化というのは、そのように働くものなのです。。。変化は、新しくてより進化した思考、在り方、行動への、緩やかな(時にそれほど緩やかでない)段階的な転換です。しかし、大多数が目覚め、普遍意識に「光」をかつてなく多く増し加えるので、古い観念が変化を止めることは出来ません。

全員が創造者である以上、進化を遅くすることは出来てしまうにせよ、進化は生命の目的なので、止めることは出来ません。自由意志によって、一人の個人は、数々の生涯にわたってさえ、しばらく自分のスピリチュアルな進化を遅くしたり、止めることさえ出来ます。しかし、進化の旅が永遠に遅延されることは決してあり得ません。。。人の本質は「神」であり、このことを思い出したいという切望は、決して失われません。それは、しばしば意図されてか無知の故にか、内側深くに埋葬されてしまいますが、しかし決して消えることはあり得ません。そうでなければ、個体はありません。人は、内にある「神」なしには、どんな姿でも存在形態ででも、存在し得ません。内にある「神」こそが、全てを型作る物質。。。おおいなるすべて、なのですから。

アークチュリアン・グループは、生命についての話をしたがります。三次元的な観念体系の範囲内で機能する時、生命は、特定の例(例えば友人や親族)においては、神聖であるとされます。しかし、その他の人達の生命はそれほど神聖であるとはされません(戦争がその例)ーーこれは、三次元的思考である分離と二元性を、完璧に反映しています。ただ一つの生命だけがあり、それは「神」です。。。あるのは、ただ一つの生命です。人間的に、科学者が、何かビンの中で生きているように見えるもの、クローン人間とか試験管ベイビー、などを造ることは出来ます。しかしこれは、「生命」の謎を物理的に解釈した、一つの物理体に過ぎません。生命体は、「神」のエネルギーがそれに入って、始めて「生命」になるのです。一旦魂が去るや肉体が非常な速さで崩壊するのは、これが理由です。

私達が中絶についての話題を持ち込まざるを得ないのは、ここにあります。中絶はこれまでも、そしていまだに多くの人達にとって、かなりの議論の対象であり、混乱や苦悶や苦しみの対象です。堕胎の決定というのは、軽はずみであってはならない決定です。しかし、次のことを知ってください。誕生して子供になることを選択する魂は、一方では、自分が名付けられる子供になるかどうかを、よく分っています。一つの魂は、懐妊してから出産までを通じて、晴れて誕生することが出来ますが、しかし通常は、その誕生する魂に特定のレッスンがない限り、妊娠の初期段階の胎児には、まだ魂はありません。

決定のうちでもこのタイプの決定というのは、誠実に吟味された後になされなければなりません。この種の決定によって、それらを決定する人達が激烈なエネルギーを使い、それが後々まで尾を引くからです。そしてこの話題で費やされる感情エネルギーというのは、言う方も聞く方も、大変なものです。何が全関係者にとっての最善で最高の利益かについての、「誠実」な内なる考慮がなくてはなりません。。。このような決定は、単に利己的な利便性とか怖れの場所からは、決してなされてはなりません。まして決して、産児制限の手段としてなされるべきではありません。

どんな種類の決定でも、意図が、それを決定するスピリチュアルな鍵になります。何故ならば、どんな決定でも、その背後の意図が、その決定に乗るエネルギーを提供するからです。。。その意図に、あらゆる言葉、あらゆる行動、あらゆる思考が溢れて、それを明らかにします。きわめて重要な点ですから、このことを忘れないでください。

生命は永遠ですが、魂は、スピリチュアルな成長や進化のために、限られた肉体の時間を、三次元エネルギーの重い密度の中で過ごすことを選択します。地球は、そこで進化するには強力で困難な場所であり、意気地のない人には向いていません。自分の勇気を決して見くびらないでください、親愛なる皆さん。というのは、このような重い密度をもたらす場所にあることを選ばずに、他の惑星で進化している魂が大勢なのですから。あなた方全員が地球の体験から徐々に学び、自らが捜していたものは自らの内にあることを、最後には発見するのです。地球の人々が、どんな問題にでもより高いレベルで出会し始めるというのは、この点においてなのです。カルマが消えて、自分達にはお馴染みの同じ問題で他に苦闘している人々を、助けている自分に気付きます。人類はどのようにしてこれを行っているのかを学んで研究したい多くの魂達によって、地球は観察されています。

生命は決して失われることはありません、失われるものなど何もありません。自然死にしろ不慮の死にしろ、去る人は他の次元に行くのです。大部分の人間の目は、これまでのところ、より高いライト・ボディー(光体)の振動数を知覚することが出来ずに、故人を単に死んでいると思います。睡眠中は、全員が体を去っており、スピリチュアル・ボディー(精神体/幽体)で動き回り、学び、働いているのです。生と死、というのが、まさに二元性の二つの側面です。あの世であなたは、自分が誰であり何者であるのかを思い出しており、必要とするどんな助けや援助にでも導かれるのですから、あなたは地球にいるよりもあの世で、より生き生きとしているのです。

「死」の後で、慣れ親しんだ地球のエネルギーだけに自分を同調しつづけて、そのため、自分を助けるために待っているガイドのライト・ボディーを見ることが出来ない人が、たびたびいます。これらの魂は、あなた方の用語で幽霊というものになります。。。旅立ってより高い次元の光に入るのを、怖がる魂達ですーーある魂などは、その必要があることに気付いてさえいません。こうした魂は、地球での自分の最近の時間から、お馴染みであるものやしばしば好きなもの ーー 人々、場所、体験に、執着します。ある特定の観念体系にしっかり嵌って抜け出せない魂などは、自分の観念が現れるのを待って。。。自分がいるところを去ることが出来ず、その気もありません。ある魂は、慣れ親しんだ環境を自分自身で造り、しばしば他の存在(光の存在、または、この職務の人々)によって助けられるか、自分には変化が必要であることに目覚めるまでの長い間、アストラル界というところで生きます。

三次元的な観念体系においては、ある生命形態だけが価値があり、それは主に人間だと思われています。「全ての」生命が神聖で、「一つの生命」の本質であると理解されなければなりません。生命に優劣はありません。いわゆる「原始的」な社会は、食べるために生命を殺める前に、許可を請うように教わりましたーー 動物によって自分に与えられるその命を、尊重して敬ったのです。この考えは、主に何でもより多くの金銭をもたらすのが良いという考えのもとに無視 されてきましたーー 関係する動物に対する敬意のない、より大きく、より速く、というアプローチ。。。食物用、ファッション用に無思慮に殺められ、お金か力に換算される生命。

「神」は、それ自身を無限の形態と多様性で現します。あなた方は言います;「ゴキブリとか蚊はどうなの、彼らの好きにさせておけと?」。昆虫は、個体がグループ・ソウル(集団魂)の一部です。そのエネルギーは「神」ですが、個別性がありません。昆虫が死ぬ時、それはただちにそのグループ・ソウルに再結合します。しかし、正直に自問してください。蜘蛛を、殺すよりはむしろ単に屋外に逃がしてあげることは、「生命」を敬う者として、本当にそんなに難しいことですか?

生命は限られて儚く見えますが、現実には永遠で無制限なのです。あなたは、死ぬことが出来ません。生きることのプレッシャーから、自ら命を絶つことによって楽になろうとする人達は、単に、「学ぶ筈だったレッスンの問題を何も解かなかった。今また、別の人生で別の時に再び取り組まれなければならない」」ということが、死んで分かります。

地球という三次元エネルギーへの転生は、三次元エネルギーの相当な問題の中で進化して成長する手段として、個人によって選ばれる、一つの魂選択です。人生のレッスンは、出生の前に、援助とスピリチュアルな案内で、各魂によって計画されます。偶然に見えても、人生で起こる出来事は、偶然ではありません。それは、特定の魂の成長と進化のために必要な体験を表します。カルマは罰ではなく、エネルギーのバランスをとることであり、元々カルマは一般に、魂が進化する過程で人類によって造られるものです。魂がある特定のレベルの気付きに達すると、もうカルマはありません。というのは、その時その個人は、新しい、より高い方法で人生に対処できるからです。ですが、今この時にあなた方の多くは、非個人的な世界カルマの解消を手伝っています。

万物は「正しく」あるためにどのように現れる必要があるか、という世界概念にもかかわらず、全ては完璧です、親愛なる皆さん。自分の生命体験(楽しい事もあれば、それほど楽しくない事もあります)を通じて旅行するにあたって、次のことを決して忘れないでください。あなたがこの時、この体で、この家族とともにここにいるのは、学んで成長するためであって、単にお金、人気、美しさ、商品、あるいは力など、それらの達成によって儚いエゴのステータスを得るためではありません。自分の欲望に油断しないでください、親愛なる皆さん。このようような理想は、まだ無意識で動けないでいる人達の、制限を表しているのですから。

富を持っていることに、邪悪とか間違いとかは、一切ありません。これは、ある人達によっていまだに持たれ、説かれる、間違った概念です。分離の概念における観念は、「豊かさはあらゆる形で、あなたの外にある」「あなたは奮闘して、全力を尽くして何が何でもそれをつかまなくてはならない」という、一般的な感覚に終わりました。豊かさは、あなたが「神」の完全性と「一つ」であることのおかげで神から与えられる、あなたの権利です。豊かさは現実になって当たり前であり、そうなるためには、それが外に現実化し得る前に自分の意識の状態が豊かになっていなければなりません。これがワークです。

あなたの唯一の神は、あなたの内側の神であってください。それを自由に外に流れさせて、必要などんな形ででも現してください。ある人にとっての完全さは、他の人にとっての完全さを意味しない場合があるので、較べないでください。この実現は、これを買え、これをしろ、これを持て、という果てしのない宣伝用の誇大広告から、あなたを自由にするのを助けます。。。そして、あなたは幸せです。

私達は、「一体性」と「生命」で、皆さんとともにあります

http://www.onenessofall.com/newest.html


翻訳 ソウルカメラ

 


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