NESARAのお金を配布する計画はだれもが期待する話ですが、本当にそうあるべきでしょうか。日本では公務員の給与を大幅に上げ、彼らの機嫌を取りながら自然の大破壊を行ったり、金(Gold)を市町村にばらまいたり、子供や老人を優遇するため永続性のない福祉を押し付けたり、農業もおなじように、常に餌をばらまく方法で人気を取る政策を繰り返してきました。つまり国民は家畜のように扱われて、その餌を食べ続けたのです。自分たちの糧を他に奪われているにも関わらずその場しのぎのわずかな餌に身を任せてきました。「哀れを知る」とはこのことではないでしょうか。
こうした世相は、やがて反動が起き「開発は環境を破壊し、公務員の給与とともに国の財政を圧迫する」などのわずかながら時流を生み出してきました。結果、国家予算は膨らみそれ以上に赤字が拡大しました。誰も制御できない世紀末の狂気のエネルギーです。その中で生活している人々は上がった給与に喜ぶのもつかの間、子供の教育費、家族旅行、ゴルフ、オシャレや賭け事、あげくには売春や麻薬などなど欲望のるつぼの中にいることをすっかり忘れ、借金は増えるばかり心身をすり減らして働き続け、心は病み果てない闇に転げ落ちてきました。
そしてまだ目が覚めない夢遊の中で光を見出そうとあがいています。歴代アメリカ大統領の不自然な死の歴史の中でNESARAがうわさされるようになりました。1987年に神とアヌンナキの契約期限は切れましたが、世界の経済は拡大を続け彼らゆがんだエネルギーの勢いは止まりません。後はみな知っている世界です。アチェ・四川・ハイチ・日本の東北などの大地震と洪水…、柱がしっかりしていない崩れかけた家の土手が崩れ、大水が押寄せてきたような世界でした。「まだ気が付かないのですか!」と…
宇宙の歴史上初めての事態、それは神々や高次の存在の方々が一斉にこの地上に光をなげかけてくださっていることです。1000年も前から地球を覆っていた闇の網の目を突き破るように限りない恩恵が施されています。こういう神々の世界の崇高さは計り知れません.一朝にして悟れるものではありませんが、もうすでにすべての環境がその境界に至っています。人々は潜在意識の中ではもう悟っています。目に見えない変化がたくさん起こっています。まさに悟りの中で迷っています。自分を認めようとする充実感を経済的な安易なものにまかせ、豊かになれば好きなことができる、今の借金の苦しみから脱することができれば自由になり家族も幸せになれると、これまでと変わらない世界にちゃっかりともどっているのです。
今までの価値観はすべて崩壊します。この崩壊の中で迷いを誘う計画が目前にあるのは、自身の招いていることです。
モーゼが奴隷をひきつれてカナンの地にむかうとき、食べ物もなくなり奴隷たちは「これでは奴隷のほうがずっと良かった」と、金(Gold)を集め黄金の牛の像をつくり神とあがめ享楽にふけりました。モーゼは神に食べ物を懇願し「マナ」というコンニャクのようなやわらかい食べ物が与えられましたが、人々は明日の心配のため何日分も貯めました。神はその日食べる分だけにするように言いました。
今、まったく同じようなことが起きています。NESARAのような計画が実行され、大金が人々の生活をさらに贅沢にしたら、人々は本来の存在意義をすっかり忘れてしまうのではないでしょうか。それが創造主の愛でしょうか? いつか人々が目覚めた時にNESARAが実行されればよいでしょうか。そのとき貨幣やそういう豊穣資金の配布が重要な意味をもつでしょうか。
では、なぜメッセージでも「NESARAは間もなく実行される」と伝えられるのでしょうか。
2012年の12月21日を思うと。「地球が滅亡する日、最後の3日間」という過剰な風潮がつくりだされていました。2013年になって地球は虹に包まれていました。
NESARAの恩恵を享けようとするのは、世界が地震や洪水で沈んでしまうと考えにも似て、自分たちだけが生き残るという潜在的心理と相似しているのではないでしょうか。自身の本当の意識を洗い出してみる勇気をもって、NESARAを3次元で崩壊してゆくノアの方船にしないようにしなくてはなりません。
新しい世界、新しい地球という畑にはどんな種を植えればよいでしょうか。