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聖書の「狭き門から入れ」という成句は具体的にはどういう意味ですか? ☆

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  吾は道なり真理なり、命なり・・・

2011/4/222:17:11

転載:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1459227734?__ysp=6IGW5pu4ICDni63jgY3ploA%3D

マタイによる福音書7:13-14
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

イエスのたとえ話で理解しにくいものは、その前後を読んで、全体としてそこで何が語られているのかを読み取ります。マタイ7章は「裁くな」「求めなさい」という話の後に、「狭い門」の話になります。そしてここから、たとえ話が3つ続きます。「狭い門」を含めたこれらのたとえ話は並行関係にあって、どれも同じようなメッセージを別々の言い方で表現していると解釈することが可能かもしれません。

そこでこれをざっと整理してみると、「狭い門」は対象となる「広い門」と対照になっていて、狭い門は命に通じる門だが、広い門は滅びに通じています。

次の話は「偽預言者」の話をした後、「良い木と良い実」「悪い木と悪い実」が対照的に語られます。

次の話は「御心を行う者」と「主よ主よ」と言う者たちが対照的に語られます。

最後は「岩の上に家を建てた家」と「砂の家に建てた家」の対照です。

ここから「狭い門」は、「本当の預言者」「良い実を結ぶ良い木」「御心を行うこと」「岩の上に家を建てること」のことだと推察できます。

この部分だけを取り出して読む限り、これは「信仰さえあれば救われる」と主張する偽預言者に騙され、「言葉を聞くだけで行わない者」に対する警告でしょう。マタイによれば、こうした間違った信仰は、決して良い実(行動)を生み出さないのです。教会全体の趨勢としては「信仰のみで救われる」という教えが広く受け入れられているようですが、それは滅びに至る広い門です。むしろ誰も見向きもしない細くて狭い道にこそ、マタイ福音書を書いた人たちにとっての救いがあるわけです。

ただしこうした解釈は、キリスト教の「信仰による義」という教えと必ずしも一致しません。そこにどうやって辻褄合わせをしているのか調べようと思いましたが、手近なところにある注釈書や解説付き聖書には、これといって明確な答えは書かれていませんでした。

とりあえず「狭い門」については、「イエスの言葉を聞いて、それを守り行うこと」だと理解していいと思います。「イエスの言葉を聞いて信じます」だけで救われるというのは、滅びに至る広い門です。

 


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