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聖書は真理を伝承する

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真理はイニシエーションやバプテスマと深い関係がある。キリスト教・イスラム教・仏教・儒教・道教の原経(創造主の勅をそのまま聖人が伝えた内容)に真理の継承がある。なぜヒンズー教・ユダヤ教などがこれに含まれないかは、真理の授記が明確に伝承されていないため、後の解釈に大きな影響を与えるからである。

真理の伝承は聖人によって行われ、その外(時代によって伝えられない時期でシャーマンなど霊的指導者によって支えられる時期、あるいは伝えられても縁分により秘密が守られ、時期が来るまで待たなければならない)の霊的指導者によるものは、今日のように時代とともに金銭や人の奴隷化を目的とした集団になってゆく。しかし、いつの時代も極まれば泥水の蓮のように新たな光が見えてくるもので、そこに人類の物語の奥深いところがある。

聖書のバプテスマ:
マタイによる福音書 3章 11節 わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。3章3節「…主の道を備えよ…」 ここでまず「道」の解釈をヨハネ 福音書14章6節 「我は道なり真理なり生命(いのち)なり…」となっており、我は、キリストであり十字架であり、すなわち道であり真理である、生命である。と解釈する。

主の道の備え、は、真理への備えになる。それは、水と火のバプテスマの解釈につながる。欲を隠したパリサイ人やサドカイ人をまむしの子といい、迫ってきた神の怒りからのがれられるとだれが教えたのか…、そして8節「だから悔い改めにふさわしい実を結べ。」 まむしの子というのは欲という毒がある、しかしその子のようなものである。最後の審判まで悔い改めにふさわしい実を結ぶように時が与えられている。

火のバプテスマは、全ての人に時(機会)を与え、最後の審判の時、真理を伝える 「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。聖霊と火のバプテスマによって。」もしその時に悔い改めが十分でなければ、前10節にあるように「斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。」 聖書全体に通じた究極的な解釈を示した。

さらに12節 また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう。箕を手に持った者は、明らかに「このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになる」かたである。その方が天にかわって行う聖なる審判の意味である。

13節 そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。14節 ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。15節 しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。

あとから来る方はイエスではなく、イエスは、すべての正しいことを成就するため、水によるバプテスマはわれわれがすべきことである、と言われた。
そして、マタイによる福音書 3章 17節 天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

悔い改めのための水のバプテスマ、最後の審判のための火のバプテスマ、ヨハネはキリストが「後からくるもの」と考えた。「聖霊と火とによってバプテスマを授ける者」はキリストではなく、時期は今ではないことをキリスト自身によってしめされた。そして「時」は2004年、天の幕やは降りました。


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