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縄文文明と環太平洋文明 : 地球人のルーツ(1)

転載: Project Vega http://www.project-vega.org/2014/03/12-4.html

6章 縄文文明と環太平洋文明 : 地球人のルーツ

■紀元前1万400年頃
 
津保化族(ツボケゾク)-------------------------------------------------------------------------------------

 阿曽辺族(あそべぞく)が東日流(つがる)に渡来、住み着いてから数万年が過ぎ、津保化族(ツボケゾク)という種族が東の南米より太平洋を渡って来た。この一族が渡来して来た時代は、地球の温暖化によって海面が上昇、日本列島の大部分が大陸から分離していた。
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 津保化族(ツボケゾク) が渡って来たのには理由があった。それは一族の間で、祖先が西方に渡って住み着いた国があるとの言い伝えが残っており、それがもとだった。
 ある時、その国を見届けようとする者が現れ、一族に呼びかけたところ、数十人の者がそれに応じた。その集団は島のような大きな筏(いかだ)を組み、馬も二十三頭積み、氷の張った海へ旅に出た。そして海に漂うこと85日が経過したが、全員が飢えることなく、また死者も出ず、無事漂着したところが東日流(つがる)のヌカンヌップ、またの名を都母(青森県上北郡方面)というところで、その地名からとって津保化族(ツボケゾク)と呼ばれるようになった。
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 津保化族(ツボケゾク)の先祖は、氷の溶けなくなった国より移って来た阿曽辺族(あそべぞく)と同族であるが、阿曽辺族(あそべぞく)と違うところは、郷土へ帰ることを最終目的として探検の旅に出、その途中で立ち寄ったことだった。
 ところが東日流(つがる)へ立ち寄ってみると、山には獲物の幸が、海には魚貝の幸が無尽蔵にあるのをみて、郷土に帰ることをあきらめて、この地に定住することを決めたのだった。
 一族は渡り族といって居住に定まりがなく、人数が揃うと日高見国羽前(ひたかみのくにうぜん:宮城県)へ住み着き、狩猟をし、一族の人数が増えると居住する場所を移し、奥州(おうしゅう:岩手県の内陸南部)のいたるところへ行って、先住民の領地へ居住し、目的を達するとまた別の地へ移動するという習性があった。
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 この移動についていけない者、主に老人はその地に残され、若者だけが新天地を求めて移って行った。その地に残された者は、そこで死に至るのを待たなければならないという親族無情の習性があった。
 しかし、世が移るにつれて渡り者は、幸が豊富な無人地をみつけると迎えに来る心情に変わっていった。
 この一族は何故か、どんなに飢えることがあっても馬だけは殺さなかった。それは一族の掟で、馬は狩や戦いに使う神としてあがめていたからだった。そして津保化族(ツボケゾク)は、祖国の平野を駆ける血筋の馬と犬は、男女のまぐわいの神の使者であるとし、大切に飼うのが当然のことと思っていた。後の東日流(つがる)に野生の馬が駆けていたのは、この一族の名残りである。
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 もともと津保化族(ツボケゾク)は戦闘的な性格だった。東日流(つがる)に移住して来た時、狩猟して移動せず、おとなしい暮らしを続ける阿曽辺族(あそべぞく)の性格は知っていたが、戦を仕掛けなかったのは、一族の勢力が戦のできる域まで達していなかったからだった。しかし年月を経るとともに、津保化族(ツボケゾク)の人数は確実に増えていった。

 ある時、阿曽辺族(あそべぞく)が西浜に大勢の支那国人が漂着して居住しようとしているのを見ても、防御の戦を仕掛けることもなく、自らその領域を護るための争いをしない一族と知るや、津保化族(ツボケゾク)は、諸々に散らばっている同族に、阿曽辺族を襲うことを通達して数を集め、一挙に領地へ侵入し、集落に火をかけ、女を犯し、老人を殺して獲物を奪った。
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 阿曽辺族(あそべぞく)は突然のことであり、応戦する備えもなく、津保化族(ツボケゾク)のなすがままとなり、東日流(つがる)は津保化族(ツボケゾク)によって占領されてしまった。
 阿曽辺族(あそべぞく)の生き残った者はいたし方なく青森県の阿闍羅山(あじゃらやま)に脱した。
 領地を奪った津保化族(ツボケゾク)は、東日流(つがる)全域に館を築いて居住し、阿曽辺族(あそべぞく)と領界を定めたが、その領域争奪の争いは続き、一族間で流血の絶えることがなかった。
 阿闍羅山(あじゃらやま)に脱した阿曽辺族(あそべぞく)だったが、津保化族(ツボケゾク)の権力化におさえられ、長い間、その使奴(つかいやっこ)となる時代が続く。
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 しかし阿曽辺族(あそべぞく)としても、いつまでも黙しているわけにはいかなかった。阿曽辺族(あそべぞく)系の中に加無礼という族長がいたが、彼が阿闍羅山(あじゃらやま)に逃れていた一族を結集して挙兵、自分達の土地の奪回に津保化族(ツボケゾク)の集落に攻め入った。
 もとより飢えれば野生の馬でも狩るという一族だったので、この作戦は成功した。そしてひそかに迫って射る矢には毒が塗られており、津保化族(ツボケゾク)の中にはこの矢に当たって死亡する者が増え、また飢えにも窮するようになった。
 さすがの津保化族(ツボケゾク)もこれにおじけづき、しばらくの間応戦を避けたが、いつまでもこの状態を放置するわけにはいかず、津保化族(ツボケゾク)の中の阿佐津貴という族長が一族を結集し、阿曽辺族(あそべぞく)と交戦したが敗れた。敗れた原因は、あてにしていた中山からの援軍が来なかったからだった。こうして阿闍羅山(あじゃらやま)一帯の領土は阿曽辺族(あそべぞく)のもとに戻った。

 敗れた津保化族(ツボケゾク)の長・阿佐津貴は軍策を練り、再び一族を総挙して阿曽辺族(あそべぞく)の陣を遠巻きにして風向きをはかり、山に火を放つと、火は折からの風によって阿曽辺族(あそべぞく)の陣に燃え移った。阿曽辺族(あそべぞく)は風上に向かって逃れようとしたが、そこには津保化族(ツボケゾク)が待ち構えていてこれを討った。ここで阿曽辺族(あそべぞく)の半数が殉じた。

 生き残った阿曽辺族(あそべぞく)は、一族の酋長(しゅうちょう)の居住地の阿曽辺盛(あそべのもり:岩木山=いわきさん)に引き揚げた。阿曽辺族(あそべぞく)は山で生活し、津保化族(ツボケゾク)は海辺で生活していたが、この両族は常に暮らしの財を求めたので交流することなく、互いに領域を侵しての争いを続けた。
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東日流外三郡誌
ニュージーランドのワイタハ族---------------------------------------------------------------------------

 南米のカ・インの子孫が広がったニュージーランドのワイタハ族は、ポリネシア人の一派をなすマオリ族が入ってくる以前から存在する環太平洋文明の部族である。今では後から入ってきたマオリ族と生活を共にし、同じ伝統を受け継いでいる。ワイタハ族は女性が中心の母系社会である。マリオ族は、それぞれの集落や身分によって異なる身体装飾としての刺青(いれずみ)を顔面や全身に施す。この刺青の文化は、琉球やアイヌなどにも見られる。
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ツラン文明から縄文時代の富士王朝の始まり----------------------------------------------------------

 大洪水の後、半神半人ジウスドラ(ノア)などの生き延びた一団の一部は、アララト山から中央アジアのツラン平原に辿り着く。そしてそこから東北にある天山(テンシャン)山脈の西南麓に王都を築いた。しかし時が経ち、その土地が王都としてふさわしくなくなったので、日本列島の富士山麓へ遷都を決意し、一団は海を、一団は陸を東進して日本列島に渡来することになる。そして中央アジアのツラン平原からツラン文明がユーラシア大陸各地に、農業とともに宇宙観、世界観、そしてそれにもとづく学術と道徳、人道の秩序の体系が伝播されていく。この一団には、祭司王の半神半人ジウスドラ(ノア)やシャーマンなどがいた。このツラン文明は、大洪水前から人々が存在していた文明ではあった。

 中央アジアの高原地帯にいた一団が東に向かい、日本列島に到着して、ここに文明を立てた。このツラン(天の子)民族がツラン平原から北回りで日本に移住して、縄文文明と混じり合った。そしてツラン平原から南下した仲間達が、インダス川やメソポタミアにシュメール住み着いていった。またその道中で分かれた集団が中国の黄河文明や長江文明を築いていく。
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以下に続く・・・


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