転載: Project Vega http://www.project-vega.org/2014/03/12-4.html
最後の世界的洪水の後、最初に文明が開け、その文明を世界に広げたのが日本である。神の道とは、すなわち自然と調和して生きる術であり、自然の力を利用する術である。世界に派遣された日本の皇子たちは、自分達の都を「すがすがしい」という意味を込めてスガ、あるいはスカと名付けた。つまりスカ、スガに接頭語のアやナを付けて、アスカ(飛鳥)やナスカなどの地名になった。
このスガという地名の由来については古事記の出雲神話にも記されている。スサノオがヤマタノオロチを退治した後、クシナダヒメとの新居の宮を造る土地を出雲の国に捜したとき、現在の島根県大原郡大東町(現在は雲南市に合併編入)須賀に気分がすがすがしくなる土地を見つけ、そこに新居の宮を造ったので須賀と呼ばれるようになったとしている。
奈良県の明日香村には、爬虫類人の姿をしたアヌンナキの像が見られる。後のメソポタミアのシュメールでも、よく似た爬虫類の姿に変身したイナンナ像が発見されている。明日香村はアヌンナキの街である。
またメソポタミアで発見される像と同じような手を組んで座る像も、明日香村より見つかっている。つまり文明の順序としては、日本の縄文時代の次にメソポタミアで文明が起こり、それがやがてイスラエルやフェニキアを経て、再び日本へ帰ってくるという流れである。
明日香村には亀石が存在するが、それはアヌンナキのエンキのシンボルである。
下記の地図のように、現在の日本にはイナンナを表した多産のシンボルとされるヴィーナス像や、無数の巨石文化が存在している。奈良県の石舞台古墳もその一つだが、これらの巨石建造物の多くには多角形の石積みや隙間なく密着した巨石が共通しており、この富士王朝時代のアヌンナキによって作られた。
こういった巨石で紀元前900年頃のイギリスでは、悪魔崇拝を行うドルイド僧が儀式を行った。儀式の祭壇は石舞台と呼ばれるドルメンで、二つの石の上に横長の石をのせる形だった。同じ形のドルメンは世界各地に存在し、ドルメンで悪魔(アヌンナキ)への生贄を捧げた。
またアヌンナキによって、日本全国にピラミッドも建設されていった。
アララト山のノアの箱船のツラン民族がツラン平原から広がっていった後、紀元前9000年~前7000年前までの間に、
1.中国大陸の全域に拡散して漢族、苗族(ミャオぞく)となり
2.日本列島にも到達して縄文人と混血し
3.タイに入って東北部のパンチェン文化人となり
4.インド西北部から西部に入ってインダス人となり
5.メソポタミアに入ってシュメール人となり、
6.中央アジア、西方アジア、西方ヨーロッパ方面に向かって各種のウラル・アルタイ系、ツラン系の民族になる。
古代シュメールは日本に封印された―ユダヤに盗み取られた 人類最古の天の子(ツラン)文明が日本に復活する / 太田 龍
ツラン文明圏 / 今岡十一郎 Hiloyuki Kubota / 久保田 啓敬 以下に続く・・・