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サンカ(山窩)のルーツは創世記のヘテ人

Ray:日本長野県岡谷市長地の横川山はサンガの神山だったといわれています。御柱祭に纏わる歴史として以下ご参照ください。

転載:ハムレットの水車小屋 http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/304.html

2011/11/1 「サンカ(山窩)のルーツは創世記のヘテ人 その1」   Image may be NSFW.
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エデン(Garden of Eden)から一つの川が流れ出ていた。園を潤し,そこで分かれて,四つの川となっていた。第一の川の名はピションでハビラ地方全域を巡っていた。第二の川の名はギボンでクシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスでアシュルの東の方を流れており,第四の河はユーフラテスであった。<創世記・Genesis2:10~14>
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 その日,主はアブラハムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで,カイン人,ケナズ人,カドモニ人,へテ人,ぺリジ人,レファイム人,アモリ人,カナン人,ギルガン人,エブス人の土地を与える」<創世記・Genesis15:18>

サンカ(山窩)とゴシェン その1

サンカ(山窩)とゴシェン その2

サンカ(山窩)とゴシェン その3

サンカ(山窩)とゴシェン その4

サンカ(山窩)のルーツは創世記36章1~43に登場するヘテ人であったに関して今回は長い連載になります。サンカ(山窩)とゴシェン その1~4を読まれた前提で話を進めてゆきます。後日古代文字など学術的な解説をいれる前にその聖書的な意味から説明しましょう。イスラエル(ユダ族)とヘブライ人の子孫である(モーゼは架空の人物ですからモーゼの子孫=ユダヤ人は間違いです)ユダヤ人とは全く別の人種であり驚くべきことにイスラエルのユダ族がユダヤ人を虐待していることは事実です。上の「その4」を詳しく読まれますとサンカの祖先は古代ヒッタイトの祖先であることがはっきりと浮かび上がってきます。
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BLOOD UPON THE LINTEL.出入り口の上の横木は羊の血で塗られる。「これが主の過越(すぎこし)である。その夜,わたしはエジプトの国を巡り,人であれ,家畜であれ,エジプトの国のすべての初子を撃つ。また,エジプトのすべての神々に裁きを行なう。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は,あなたたちの徴(しるし)となる。血を見たならば,わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき,滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。(出エジプト記第12章11~13章)

聖書ものがたり・出エジプト記参照

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モーセは、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、“殺戮の天使”が静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示した。この有名な「出エジプト記」が、鳥居のルーツであり、年越し(過越し=べサハ)のルーツであるという。(英語ではPASSOVER)
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「トリイ」はヘブライ語アラム方言で「門」という意味である。赤以外の色もある。皆さんは正月にこの鳥居の門をくぐって神社へお参りをするでしょ。四人の殺戮の天使からあなたを守ってくれているのですよ。(日本とヘブライの共通点から一部字句編集)

四人の殺戮の天使

メルカバー(Merkabah)とは『神の戦車』、『天の車』、あるいは『聖なる神の玉座』ともいわれる。エゼキエルのエゼキエル書第一章4-26にメルカバーの4つの翼がある戦車の男性、ライオン、雄牛、およびワシの4つの顔について言及されている。

「4人の天使は人間の三分の一を殺すために解き放たれた。この天使たちは、この年、この月、この日の為に用意されていた」
(「ヨハネの黙示録」第9章15節)

この4人の殺戮の天使「メルカバー」は、四神を象徴する。十字架が指す四方向も、実は東西南北の四神を示している。

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エゼキエル書による神殿の図(画像をクリックするときれいに見れます)

拙稿:ユーフラテスの畔の四人の天使

日本とヘブライの共通点参照

聖書ものがたり・エゼキエル書参照

南北朝秘史 その1

南北朝秘史 その2

管理人の知りたかったことは一貫してつながっている糸の一点のみ......戊辰戦争から現在にいたるまでなぜロスチャイルド家がサンカにこだわってきたのか,ということです。(小学校の低学年にも分かるようなものの言い方をすれば)ロスチャイルド家のルーツがヒッタイトであることは疑いようのない事実であり,中国のペルシャ人(イランの古代名)=秦人が日本に渡来して秦となり6世紀後半から7世紀半ばにかけて秦河勝のことはよく知られている。実は秦氏はヘブライ人(ユダヤ人)であり現在多くの共通点が日本とユダヤの間ではある。

日本人の知らない日本

ここの記事は何回も紹介しましたが日本とロスチャイルド家との関係が大変簡潔にうまくまとめられております。

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京都御所で発見されたロスチャイルド家の紋章とそっくりな紋章
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京都御所 清涼殿の一角獣と獅子  2011年4月撮影(リンクトップにあるrenaissanceさんのHPより)

『平安時代の内裏では、天皇の日常生活の場として使われた御殿が清涼殿であります。この一角獣と獅子の組み合わせは、古代イスラエルがソロモン王が亡くなり、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂しますが、北イスラエル十支族のリーダーであるヨシュアのシンボルマークが一角獣、そして南ユダ王国ニ支族のリーダーであるユダのシンボルマークが獅子であります。』  

すなわち、この一角獣と獅子の組み合わせは、古代イスラエルを表すもので、ユダヤ系国際金融財閥のロスチャイルドの家紋も、一角獣と獅子の組み合わせであります。

イスラエル12支族

旧約聖書の12支族の謎を解く

秦河勝の謎

歴史に秘められた謎

歴代イスラエル王の系図

イスラエルの失われた10支族(Wiki)

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今サンカに関しての謎の詳しい説明は後日に譲るとして「成りすましの明治天皇・大室寅之祐はサンカであり田布施の朝鮮部落出身であることはくどいほど記事にした。サンカは朝鮮人ではなく朝鮮部落が暖かく迎えてくれたといったほうが早いだろう。熊本や山口の田布施に詳しい人から先日話を伺いましたがいずれも田布施はサンカの好む山岳地帯と共通している。ですから田布施の朝鮮人部落出身といっても正確には田布施の朝鮮人部落で一緒に暮らすサンカといったほうが分かりやすいだろう。例えば戦後の総理大臣岸信介もサンカの末裔であったと言えば話は早い。

「僧(そう)は三宝の1つで、「仏教の戒律を守る、男性の出家者(比丘)・女性の出家者(比丘尼・ビクニ) の集団」を言う。サンスクリット語ではサンガ(saṃgha संघ)であり、それを音写したのが「僧伽」である。今日では個人を「僧」と呼ぶことが多いが、原義として、僧とは具足戒を受け、これを守る出家修行者たちの集団をいう。」これはWikiの説明でありますがサンスクリット語でサンガというように古代ヒッタイト人の祖先ヘテ人がたどりついたのは中国や半島でありそこで「僧侶」をし多くの尊敬を集めある一団が日本に来て山岳に住み着いたと考えた方が正解かも知れない。そして田布施の朝鮮人部落はサンカの僧侶たちを心から喜んで受け入れたということでしょう。サンカ(山窩)は本来サンガの音訳の「僧伽」であった。日本では出家した者を僧,あるいは僧侶と呼びますが正しくは「僧伽・そうぎゃ」なんでしょうね。

僧伽(サンガ)比丘達の集い

『僧伽(サンガ)とは、あくまで「比丘または比丘尼の集い」を指して言うもので、在家信者を含まない、あくまで出家者集団を指す言葉です。これを特に「比丘僧伽」・「比丘尼僧伽」と言うことがあります。また、これはある一定の区域にある比丘・比丘尼について言うことで、以下に詳説していますが、僧伽とは、比丘あるいは比丘尼それぞれが、同一区域内に、最低四人そろって初めて成立するものです。』

日ユ同祖論にかんしてこれは正論であろうと思われる。ヘブライ人であるユダヤ人が渡来して築き上げた日本をイスラエル(ユダ族)が快く思うわけがない。それがヘブライ人の末裔を日本のリーダーから排除したのは至極当然であったかもしれない。イスラエルは彼らと血のつながりのある民族に対する考察は非凡なところがある。サンカは古代ヒッタイトの祖先であることをロスチャイルドは見逃さなかった。なぜならサンカはロスチャイルド家にとって祖先のそのまた祖先なのである。つまり遠い親戚にあたるということだ。そうでなかったら戊辰戦争から3.11までつながった糸はとっくに切れていたであろう。

前の記事の繰り返しになりますが「ヒッタイト文明は(宗教は非シュメール的),シュメール社会の教会のすぐ外側のカッパドキアで紀元前1500年以前,世界国家:紀元前15世紀頃にはその地域一帯の支配的文明になっていた;紀元前1352年以後,紀元前1278年に平和にいたる間,エジプトと数回交戦;紀元前1200-1190年の民族移動の波に圧倒される。詩 ホメロス叙事詩 宗教 オリュンポス諸神崇拝 蛮族:東北:ガスガ族 西北:フリュギア族 西南:アカイア族

 ロスチャイルドの祖先ヒッタイトの正体はバーディシャーにあり.......

オスマンリ:かれらの最大の挑戦は,遊牧社会を異質的な環境へ移動させ,そこで動物でなしに,異種の人間社会を支配するという,新しい問題ととりくまなければならないことであった。その離れ業はオトマン奴隷家族であった。つまり,バーディシャー(解説:オスマン帝国はパーディシャーを元首号とし、しばしば皇帝とされますが、ガージャール朝ではバーディシャーは地方領主の号)の人間家畜を管理する人間番犬を選び訓練することであった。かれらは出来るだけ人間性を捨てて動物性を身につけたり,単線的な本能的行動にもっぱら心を向けるという,驚くべきことをやってのけた。

 羊,山羊を飼育する畜産民は,子羊が生まれると,一年以内に雄は種付け用を少し残し,後は殺して食べる。ごくわずかの雄を去勢して群れの先導役にさせる。それを人間支配の技術に転用するのが去勢の意味。シオン長老の議定書(プロトコール)第18議定書より。これこそがバーディシャー由来の人間家畜の管理術。

『キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる』

これが高利貸しロートシルトの祖先だ。

名古屋地方のサンカは『八』と呼ばれていたという(八鏡文字?)。恐らくはハッティ(管理人注:紀元前2500年-紀元前2000年頃にアナトリア半島に居住していた民族で、ヒッタイトの先住民。「原ハッティ」「ハッティ人」などと呼ばれる。)のことであろう。つまりサンカ(山窩)=ヒッタイトの先住民=創世記ヘテ人が祖先ということであろう。

ヒッタイトという名称がよく知られるが、これは、英語読みで原音はハッティ。現在の小アジア・シリア地方の古代帝国で、紀元前1500年前後の数世紀に繁栄していた。鉄を生産し、武器や戦車に用いた。エジプトの記録ではヘタ、創世記にはヘテ人と記された民族で、インド・ヨーロッパ語族に属する。(管理人注:ヨシュア記一章四節、士師記一章二十六節、列王紀上十章二十九節、列王紀下七章六節その他聖書の各所に記されてある)

ハッティ帝国の首都ハットウシャシュ

 エサウは何人もの妻を持つ。ヘテ人の娘アダ。ヒビ人の娘オホリバマ、イシュマエルの娘バセマトです。この事情は創世記26章34節~35節にも書かれていますが、全く名前が異なっている。
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ベツレヘム(Bethlehem)とへブロン(Hebron)の間にはKing Solomonの池と呼ばれる三つの池がある。これはその池の最大のもの。池のポンプはスエズ運河を横切ってナイルから引いた。「池をいくつも掘らせ,木の茂る林に水を引かせた」(コへレトの言葉:第2章6節)

 ヘテ人は申命記7章1節によるとカナンの地の七つの原住民の筆頭民族である。アブラハムはサラが死んだとき、この「ヘテ人」からヘブロンにあるマクべラの洞窟を買い取った。ヘテ人は北方から来た先住の民族であり、文明は進んでいた。エサウは原住民ヘテ人の娘と結婚することによって原住民と協調して過ごすことが出来ました。また、最も東に住むイシュマエルの娘を娶ることによって、東の民(アラビア)との友好関係を築いた。そのためエドムは広い地域を安定して確保できたといえる。

へブロンにあるマクべラの洞窟

ヒッタイト帝国の概要から引用

『(原)ハッティ語を使っていたハッティ族こそが、本来のアナトリア高原の現住民族でした。旧約聖書に出てくるヘテ人、もしくは、アッカド語のハッティも本来はこの民族とその言語のことだったのです。すなわち、この言語こそが、ヒッタイト語と呼ばれるべきだったのです。
 しかし、多くの人々(学者さん達)は、すでに名付けられてしまっているヒッタイト族やヒッタイト語を変更する事による混乱を恐れ、この原住民とその言語に、ハッティもしくは原ヒッタイト(プロト・ヒッタイト)と名付けることを選びました。このハッティ語については、今のところ、系統も不明で、若干の単語の意味が知られているだけです。

 フルリ族とフルリ語は、近年研究が活発になって来ています。フルリ族はヒッタイトの東南に当たるコーカサス山地の原住民ですが、早い時期からアッシリアを介してシュメール・アッカドの都市文明に接しており、また前2000年紀のオリエント世界、とくにその北部に広く分布し、政治的にも文化的にも多大な影響力を持っていました。ヒッタイト人が楔形文字を使うようになったのも、フルリ族がメソポタミア文明をヒッタイトへ媒介したためといわれています。
 また、ヒッタイト帝国と一時期覇を競ったミタンニ王国は、フルリ系の人々が打ち立てたもので、ヒッタイトは、この国からも各種の影響を受けているようです。
 フルリ語は、膠着語であり、言語系統としてはコーカサス語族に属しているそうです』
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 シュメール語のペトログラフ
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           サンカ文字
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(クリックするときれいに見れます)カタカムナ文献基礎資料、第五首、第六首。カタカムナとは八鏡文字のこと。ヒッタイトという名称がよく知られるが、これは、英語読みで原音はハッティ=八=名古屋地方のサンカは『八』と呼ばれていたという。丸と十字が見られますね。

丸と十字

カタカムナ辞典

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古代神代文字総覧

日本とヘブライの共通点

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伊予文字......伊予城下ハ幡社(愛媛県)より伝承。後に丹後国の熊野郡鹿野村の旧家に伝わる「神事記」にも用いられている。また、近江の散所村「三尾神技士」には『秀真伝』が所蔵されているが、そこで用いられている“秀真文字”と書体は全く同じ物であるが、「秀真伝」を発見した小笠原家の子孫は、伊予の出身であることから何らかの因果関係があることは否定できない。
書体の形式は、決められた図象を組み合わすことによって作られ「秀真伝」によれば母音となる五つの図象は、宇宙を構成するというものである。
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カタカムナ図象文字.......昭和25年頃、科学技術研究家「楢崎皐月」が兵庫県 六甲山のふもと金鳥山で「平十字」(ひらとうじ)と名のる力タカムナ神社の宮司と遭遇し、彼から“力タカムナのウタヒ”て書かれた巻物を筆写することを許される。楢崎は、これを解読し力タカムナ文献として伝える。書体は字とゆうよりは、丸と十字を基本(ヤタノカガミ、オクタント図象)として、それをとり囲むハつの小丸で構成された書体で表記される。また図象を複数組み合わせて、意味を持つ言葉となる。

カタカムナってな~に?

カ・感じる タ・確かに カ・感じる  ム・見えない ナ・何か 

『カタカムナではこの世はたった二つのモノから成り立っているといっています。それはアマとカムであると。アマとはあらゆるマを発生する要素。これが自然科学が対象とする物質現象の元になります。それに対してカムとは形を伴わない要素。これが宗教の対象となる実態のない世界、これを現象に対して潜んでいるかたち・潜象といいます。しかもアマ・カムは単独で存在しているのではなく、偶構造、つまりくっついてるといっています。アマとカムは正反対の性質でアマどうし、カムどうしは反発し合い、アマとカムは親和するともいっています。この基本的な性質により森羅万象が発生する原理を解き明かしているのがカタカムナなのです。』

潜象と日本人の使命

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八咫鏡(やたのかがみ)の裏面にはヘブライ語が

「神聖不可侵」の八咫鏡- その鏡は,天皇陛下でも見ることはできない

当時,文部大臣であった森 有礼(もり ありのり)氏が,伊勢神宮の「八咫鏡(やたのかがみ)」(つまり,皇居にあるレプリカではなく,本物)の裏面に,ヘブライ文字(ヘブル文字)で,

ヘブライ語「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」我は有りて在る者なり)
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 “'Ehyeh 'Asher 'Ehyeh”
 「エフエ ・アシェル・エフエ」

と刻まれているのを,自分の目で見たというのである。(脚注10へ)

この,森 有礼(もり ありのり)氏が伊勢神宮の「八咫鏡(やたのかがみ)」(本物)の裏面に見たというヘブライ語の文字は,実は,聖書の二番目の書「出(しゅつ)エジプト記」の3章14節に出てくる非常に有名な言葉である。

森 大臣が生きていた明治時代に訳された聖書翻訳は,そのヘブライ語を次のように訳している。

「神モーセにいひ給ひけるは 我(われ)は有(あ)りて在(あ)る者なり(“I AM THAT I AM”欽定訳聖書。脚注11へ) 又(また)いひ給ひけるは 汝かくイスラエルの子孫(ひとびと)にいふべし 我有(われ あ)り(“I AM”欽定訳聖書)といふ者 我を汝らに遣はし給ふと
神またモーセにいひ給ひけるは 汝かくイスラエルの子孫(ひとびと)にいふべし 汝らの先祖等(たち)の神アブラハムの神イサクの神ヤコブの神エホバ われを汝らにつかはし給ふと 是(これ)は永遠(とこしなへ)にわが名となり 世々にわが誌(しるし)となるべし」
-出エジプト記3:14,15。[文語訳聖書]

これは,モーセが神(創造者)に対して,

「我(われ)イスラエルの子孫(ひとびと)の所にゆきて 汝らの先祖等(たち)の神 我(われ)を汝らに遣はし給ふと言はんに 彼等(かれら)もし其(その)名(な)は何(なに)と我(われ)に言はば 何(なに)とかれらに言ふべきや」
-出エジプト記3:13。[文語訳聖書]

と尋ねた際,神が自らお答えになったものである。
(M・トケイヤー著「ユダヤと日本 謎の古代史」産能大学出版部,昭和50年(1975年)。126ページ。).............

この,神自らがモーセに話し,聖書に記されている言葉が,日本の伊勢神宮にある「八咫鏡(やたのかがみ)」(本物)の裏面に,しかも,「ヘブライ文字で」記されているというのである!

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天皇家が避ける伊勢神宮

神道で神社の頂点に君臨するのは天照大神を祀る伊勢神宮ですが、表裏一体となって同じくらい力を持っているのが京都の下鴨神社です。  その証拠に、天皇の即位の儀礼や最も重要な「大嘗祭」を主催し、そのすべてを取り仕切っているのは、宮内庁でも伊勢神宮でもなく、京都の下鴨神社なのです。  
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下鴨神社

八咫烏・神武天皇とアレキサンダー大王

『エジプトに勝利したアレキサンダーは、自らファラオになる事を決意しますが、エジプトにおけるファラオとは、太陽神アメンの子供を意味し、ファラオに即位するには、太陽神の息子として認められる必要がありました。そこで、アレキサンダーはリビア砂漠のオアシスにあるシヴァに向かいます。 シヴァにはアメン神殿があり、ここで託宣を受ける必要があったのです。  しかしながら、途中ですさまじい砂嵐に巻き込まれ、ついにアレキサンダーの一行は道を失い、立ち往生してしまします。そこに天空から一羽のカラスが現れ、アレキサンダーをシヴァのオアシス(管理人注:シヴァというのはリビア砂漠のオアシスの中にある)まで導き、無事アメンの託宣(あるいはアマンの託宣)を受け、ファラオとして即位できました。  

このように、太陽神、カラス、大王というワンセットの話は、ユーラシア大陸全般に存在しており、アレクサンダー大王の話が各地に伝わったのだと考えられます。』
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Gorge of THE CHERITH(ケリト渓谷)。エリヤ(ELIJAH)が大カラスにエサを与えられた聖書的な場所として知られる。近くにはエルサレムからエリコに通じる旧道がある。.......主の言葉がエリヤに臨んだ。「ここを去り,東に向かい,ヨルダン川の東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その水を飲むがよい。わたしはカラスに命じて,そこであなたを養わせる。」エリヤは主が言われたように直ちに行動し,ヨルダン川の東にあるケリトの川のほとりに行き,そこにとどまった。数羽のカラスが彼に,朝,パンと肉を,また夕べにも,パンと肉を運んできた。水はその河から飲んだ。しばらくたって,その川も涸れてしまった。雨がこの地方に降らなかったからだ。(列王記Ⅰ大17章2~7節)

聖書ものがたり・列王記参照

天皇家が伊勢神宮を避けている.......は天皇ではなくイスラエルの盟主である英国のご本尊が避けているということでしょう。イスラエル(ユダ族)とヘブライ族の子孫ユダヤ人との対立は根が深いのです。

伊勢神宮の灯篭の謎

八咫烏(やたからす)


八咫鏡~八咫烏~八鏡文字(カタカムナ)~カタカムナウタヒ

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遠い古代エジプトで「12黄道宮のモザイク」が発見されましたが「丸と十字」の原型とはこれではなかったのでしょうか。
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創造性のネメシス(むくい)参照

紀元前2400年ごろに描かれたバビロニアの太陽神シャマッシュ。シャマッシュの神は一年を司る。船で空を渡る月の神シンの息子で,シャマッシュとシンはカルデアの神話の中心をなしている。ちなみに,バビロニア神話においては,イシュタルは月の神シンの娘です。

 エジプトのラメス二世(紀元前1300~1236年)は,黄道12宮のうちの基本となる4宮,すなわち牡羊座,天秤座,かに座,山羊座の確立に大きく貢献しました。墳墓の飾りに,占星学の符号を刻み込むことによって彼が占星学に感心を抱いていたことが後々まで伝えられました。カーナックにあるアモンの神殿に見られるこの浮き彫りでは,ラメスが空の女神アーソーと手をつないでいる。

 昔の人は,かなりぼんやりして星を眺めていたと思っていたとしたら大間違い。夜通し見ていたんですね。偉いです。というか,暇だったんでしょうかね。

 「私たちは特定の時間に特定の場所で生まれている。そして製造年代がものをいうワインと同様に,生誕した年や季節でそれぞれ特性をそなえることになる。このことこそ,占星学の拠り所にほかならない」<C・Gユング>

 紀元前8000年,古代メソポタミア地方では,人間は常に空の脅威にさらされて生活していました。人間の精神は,計り知れない要素に満ちた宇宙に支配され,天体は,人間にはどうすることもできない壮大かつ破壊的で予知不可能な攻撃~雷,稲妻,灼熱,日食,月食~を仕掛けてきたのです。こうしてすぐに,天体優位の考え,すなわち,導き手を求めて空を見上げる姿勢が日常生活の一部になったのです。

 原始時代の人間には,偶発事の可能性を考慮に入れることはできませんでした。起こったすべての現象は,ある目的を持つ力によって起こされたものだと考えられていました。なぜなら,狭い経験の範囲内では説明のつかない現象に対しては,それを巻き起こした物理的な力を見つけ出し,名づけなければならなかった。それは人間の弱さを補強する手段でもあったのです。

そこから神話が生まれ,叙事詩が生まれ,宗教が生まれたと考えてなんの不思議もないでしょう。星はシュメール族にとって,神聖なものの象徴でした。この地方の空に満ちていた星こそ,占星学を最初に生み出したものといえます。今日では,私たちは太陽と月が私たちにたいして物理的な影響を与えていることを知っていますが,原始人にとっては,この影響はかなり重大なものであったに違いありません。太陽は人間に暖を与え,昼と夜があり,海には潮の満干があります。成長と衰微の神秘的な過程,自然秩序の満干に取り囲まれていた原始人が,宇宙を物理的に説明する方向へと向かっていったのはごく普通の自然なことだったのでしょう。

 地球から見れば,星は毎年殆ど変わりない位置を保って私たちの周囲を回っています。勿論,変化はつねに起こっていますが,原始人には観察できないほどのわずかのものです。彼らは,七つの主要な天体の背景をなしている星の,比較的早い動きには気づいていました。いわゆる,可視惑星です。もっとも古い記録には,太陽,月,そして惑星は人間の生活に介入し導く力をもった神を象徴している,という考えがみられます。バビロニアにおいて天体観測がされるようになったころには,神々の座がはっきりと確立され,それぞれの神に,人間生活の各部分を司る力を与えた。これが,すべての始まり。

 最古の暦は,アッシリアのアシューバニーパル王の時代,紀元前7世紀の中ごろに書かれたものです。いわゆるカルディア人のころです。また話はとんで,ストーンヘンジのオーブリー穴も有名です。メキシコのチェチェン・イッチャ市にある古代マヤの回転式天文台も有名です。コロンブス以前のマヤ文明がいかに高度な天文学的,占星学的な技術をもっていたかがわかります。貝の形に似た内部の螺旋階段は,いくつかの窓に通じています。その窓は,季節ごとに観察する惑星の位置に合うようにつけられている。


五木寛之著「風の王国」

『こうして意外なことが次々に露わになってくる。まずケンシはセケンシの略で、世間師であるらしい。山の世界の彼岸と里の世界の此岸との間の世間を動く民のことである。そうだとすると、この集団はサンカ(山窩)のことだということになる。
ところが、ここからこそ五木寛之がこの作品を通して強く主張しているところになるのだが、この集団は「誤ってサンカと名指された一群」であって、実はそこにはこの一群・一族の「正体」をめぐる苛酷な歴史があったのである。

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この物語の主人公たちは、明治維新に廃藩置県があったとき、葛城山系に住んでいた箕作りの一族の末裔たちだったのだ......
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 写真は「パピルスの籠」。ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は,一人残さずナイル川に放り込め。女の子は皆,生かしておけ」......しかし,もはや隠しきれなくなったので,パピルスの籠を用意し,アスファルトとピッチで防水し,その中に男の子を入れ,ナイル河畔の葦の茂みの間に隠した。(出エジプト記第2章1~3節).......箕作りと共通する造り方なのであろうか?(管理人注:箕作りは主にフジ、シノダケ、ヨツドミなどを使う)

聖書ものがたり・出エジプト記参照

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この物語の最初にしきりに竹内街道の話が出てくるのは、この街道をはじめとする大阪・奈良の連結開削開発工事にも、そのような目的がひそんでいたことの伏線だったのである。そして、それと抱き合わされるようにして、明治10年には最初の大和・和泉・河内での「サンカ狩り」がおこなわれたのだった。
 これは「山窩」という蔑称を押し付けて、この人々の正体を公然と刻印するためでもあった。警察が動き、ジャーナリズムもこの蔑称を使う。』ポルトガルのイエズス会士,ホアン・ロドリの日本大文典には七乞食として河原乞食,猿楽乞食,田楽乞食,ささら説教乞食,青屋乞食,革屋乞食,鉢こくり乞食とあるが河原に追いやられたライ病患者とともに住んだ河原乞食という差別用語ははサンカを指しているようだ。(部落問題辞典)

しかし,ここにトリックがある。伊藤博文が光明天皇とその皇子を殺害した後の16歳の成りすまし明治天皇「大室寅之祐」は田布施の朝鮮部落出身のサンカ「山窩」であった。その背後にはネイサン・ロスチャイルドの子ライオネル・ロスチャイルドがいた。明治政府は徹底的に「古代神代文字」を封印しサンカを蔑むのである。サンカが古代ヒッタイトの先住民族でありロスチャイルド家と遠縁であることを隠すためでもあった。

消えたシュメール人

ソロモン王の知恵

アレキサンダーの帝国
 

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