前回のつづき。
赤岳に登るのに上諏訪に前泊したので、2年前に訪れて感銘を受けた、諏訪大社などいくつかの施設を再訪した。
<iframe class="embed-card embed-blogcard" style="max-width: 500px; height: 190px; width: 100%; margin: 10px 0px; display: block;" title="2013夏の旅1日目 姥塚古墳、甲斐銚子塚古墳、尖石遺跡、諏訪大社 - 墳丘からの眺め" src="http://massneko.hatenablog.com/embed/2013/08/14/104644" frameborder="0" scrolling="no"></iframe>
はじめに向かったのは神長官守矢(じんちょうかんもりや)資料館。設計は藤森照信。
公式サイト(下記)によれば、守矢家は諏訪神社上社の神官の一つである「神長官(じんちょうかん)」を中世から明治まで勤めてきた家柄で、史料館は鎌倉時代から伝えられる1600点以上の守矢文書(諏訪大社祭礼などに関する古文書)を保管する。信玄の書状もある。
中央道諏訪ICを降りて諏訪大社上社へ向かう途中にある。門前に3、4台停められる駐車場がある。
門の手前にある祈祷殿。
以下は案内板より。
市指定文化財 神長守矢家祈祷殿 昭和56年3月31日指定
守矢家の祖先は諏訪大明神建御名方命入諏以前から土着の神といわれ、古代以降上社大祝を補佐し、上社五官の筆頭として代々祈祷と政務事務を掌握してきた家柄である。
現在同邸内には祈祷殿のほか、旧祈祷殿遺跡・御頭役郷庄の精進屋遺跡・御頭みさく神・勅使殿等がある。
神長官家の祈祷は一子相伝で、神長以外他の何人もたずさわるを許されず、神長が祈祷殿に籠って祈祷調伏した記録が「満実書留」(守矢文書)に数多くみえており・・・(後略)昭和58年3月 茅野市教育委員会
門を過ぎるとすぐ右手に資料館がある。
以下、建物の解説はいただいたパンフより。
鉄筋コンクリートの構造の上に、壁体部分においては内外とも特別調合の壁土を塗り、床面は同様のタタキとし、さらに一部壁土の上にはサワラ手割板をかぶせている。また、屋根には地元の平石と天然スレートをのせている。正面入口の庇を貫く4本柱は、地元産のミネゾウの樹を使っている。
入館料は大人100円。
入ってすぐの広間では御頭祭(おんとうさい)の復元展示がある。
諏訪神社上社で御柱祭と並び重要な神事で、上社前宮の十間廊で行われ、かつては鹿の首70頭余りが供えられていた。現在でも剥製の鹿の首3頭で神事を行っているそうだ。
こちらの展示では猪と合わせて25頭あった。
面と向かうと、話かけられそう。
・・・
資料館の大きな窓からは藤森照信氏の実家も見える。
資料館のすぐ先にある「ミシャグジ社と社叢」
諏訪社の神事で重要な役割を果たしていたミシャグジ(御左口神・御社宮司)を祀る。
祠には中央に頭骨のようなものが祀られていた。賽銭は一円玉が多かった。
その右隣にはさらに小さな祠が2つ。どちらも小さな御柱に囲まれていた。
ミシャグジ社の左数十mの場所には古墳があったがそれは次回で。
祠の後ろの斜面を案内板のとおりに進んでいくと、藤森教授設計の2つの「空中茶室」があった(中には入れない)
「空飛ぶ泥舟」
茅野市美術館での藤森照信展(2011年)で設計・制作。展示後に移築された。
背後に回ってズーム。茶室からの風景もこのような感じか。
そのすぐ先に、高過庵(たかすぎあん)
Time誌に「世界でもっとも危険な建物トップ10」に選ばれている。
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資料館の方によれば、海外からもこの茶室を見にくるそうだ。
高過庵の下には柱や梁も茅で飾った小さな祠もあった。
つづく。