転載:Bible Land museum
バイブルランド博物館
出エジプト記 No. XV 天からのパン
16:1 ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にはいった。 16:2 そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。 16:3 イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
エジプトを出て、20~30日。そろそろ持参した食料が尽きてきたころです。イスラエルの人々は本当ならとっくに先祖の地カナン(パレスチナ)に着いているはずでした。それがアラビヤの砂漠の真ん中に取り残されたのです。いくら紅海が割れる奇跡を見たとはいえ、明日何を食べたらいいのか不安が押し寄せてきます。モーセにしてみれば、神様の命令に従って100万人以上の民族大移動を開始したのですが、彼らに何を食べさせたらいいのか、もしかすると、この砂漠の真ん中で彼らを餓死させるのか、気が気ではなかったでしょう。何という立場でしょうか。ただ、頼むのは神への信仰だけです!
「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」とはよくも言ったものです。彼らは奴隷の立場で、決して肉なべやパンに満ち足りていたのではなかったはずです。しかし、不安は不安です。彼らの気持ちも分かります。モーセはどんな気持ちでその訴えを聞いたのでしょうか。要するにこれは重大な国家的な危機、食料備蓄の問題です。まったく有り得ない政治的冒険です。
16:4 主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。 16:5 六日目に、彼らが持って来た物をととのえる場合、日ごとに集める分の二倍とする。」
16:6 それでモーセとアロンは、すべてのイスラエル人に言った。「夕方には、あなたがたは、主がエジプトの地からあなたがたを連れ出されたことを知り、 16:7 朝には、主の栄光を見る。主に対するあなたがたのつぶやきを主が聞かれたのです。あなたがたが、この私たちにつぶやくとは、いったい私たちは何なのだろう。」 16:8 モーセはまた言った。「夕方には、主があなたがたに食べる肉を与え、朝には満ち足りるほどパンを与えてくださるのは、あなたがたが主に対してつぶやく、そのつぶやきを主が聞かれたからです。いったい私たちは何なのだろうか。あなたがたのつぶやきは、この私たちに対してではなく、主に対してなのです。」
ここで、神様はとんでもない事を語られました。天からパンを降らせるというのです。また、肉も与えるというのです。そして「私たちにではなく、神様に直接言ってくれ」という、モーセの心情が分かりますね。
16:9 モーセはアロンに言った。「イスラエル人の全会衆に、『主の前に近づきなさい。主があなたがたのつぶやきを聞かれたから。』と言いなさい。」 16:10 アロンがイスラエル人の全会衆に告げたとき、彼らは荒野のほうに振り向いた。見よ。主の栄光が雲の中に現われた。 16:11 主はモーセに告げて仰せられた。 16:12 「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。彼らに告げて言え。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう。あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる。』」
16:13 それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。 16:14 その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。 16:15 イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう。」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。 16:16 主が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。』」 16:17 そこで、イスラエル人はそのとおりにした。ある者は多く、ある者は少なく集めた。 16:18 しかし、彼らがオメルでそれを計ってみると、多く集めた者も余ることはなく、少なく集めた者も足りないことはなかった。各自は自分の食べる分だけ集めたのである。 16:19 モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」 16:20 彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。16:21 彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。
16:22 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわち、ひとり当たり二オメルずつ集めた。会衆の上に立つ者たちがみな、モーセのところに来て、告げたとき、 16:23 モーセは彼らに言った。「主の語られたことはこうです。『あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。』」 16:24 それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。 16:25 それでモーセは言った。「きょうは、それを食べなさい。きょうは主の安息であるから。きょうはそれを野で見つけることはできません。 16:26 六日の間はそれを集めることができます。しかし安息の七日目には、それは、ありません。」 16:27 それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。 16:28 そのとき、主はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。 16:29 主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。」 16:30 それで、民は七日目に休んだ。 16:31 イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。
パンは天から降ってきた露のようなものが固まったものでした。イスラエル人は互いに「これは(フー)、何だろう(マーン)」と言ったので、それはマナと呼ばれるようになりました。マナとは「何だろう」という意味です。マナについては後に引用するように色々な説があります。しかし、100万人以上の人々が、その後、40年間も毎日食べたという記録から、自然なものではなく奇跡によるものと考えるのが当然でしょう。マナは安息日の前日(金曜日)以外は、その日の分だけしか集めてはいけないとされました。
このマナはイエス様が御自分を表すのに「天からのパンである」と言われているように、イエス様を象徴するものです。
わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。ヨハネ6:51
また、現在は聖書として私たちに与えられている神の御言葉を表します。私たちは神の御言葉を毎日集めなければなりません。翌日では腐ってしまうのです。また、太陽が出る前、早朝に集めなければなりません。
16:32 モーセは言った。「主の命じられたことはこうです。『それを一オメルたっぷり、あなたがたの子孫のために保存せよ。わたしがあなたがたをエジプトの地から連れ出したとき、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らが見ることができるために。』」 16:33 モーセはアロンに言った。「つぼを一つ持って来て、マナを一オメルたっぷりその中に入れ、それを主の前に置いて、あなたがたの子孫のために保存しなさい。」 16:34 主がモーセに命じられたとおりである。そこでアロンはそれを保存するために、あかしの箱の前に置いた。 16:35 イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまで、マナを食べた。 16:36 一オメルは一エパの十分の一である。
マナは壷に入れられ、この後に作られる契約の箱の中に収められました。長く記憶されるためです。契約の箱の中には他にアロンの杖と十戒の彫られた石の板が入れられました。
日本には奇妙なことに、食べ物に関してマナという言葉があります。まな板、また魚のことをまなと呼ぶ地方も有ります。さらに、非常に古い神道の一派、物部神道の籠(この)神社の別名は真(ま)名井(ない)神社と言い、その裏紋は六芒星すなわちダビデの星といわれるカゴメのマークなのですが、驚くことにこの神社の御神宝は「真名(まな)之壷」と言うそうです。また、前方後円墳は実はマナの壷を表しているという説もあります。不思議ですね。
ちなみに森永のマンナという赤ちゃんのビスケットは、初代社長の森永さんが熱心なクリスチャンだったので、このマナから付けられたものだそうです。
うずらについてはこの後に引用する文を読んでください。うずらは羽が短く太っているので高く飛べず、地上から一メートルぐらいのところを、群れを成して飛びます。年に二回同じコースを往復するそうです。骨ごと食べられます。おいしいですよ。
■マナ (〈ヘ〉man,〈ギ〉manna) イスラエルの民は,エジプトを脱出してシンの荒野をさまよっていた時,食物の不足のことでモーセとアロンにつぶやいた.その時,神は彼らに食物を与え,その必要にこたえられた.それがマナである(出16:31).ヘブル語では「マーン」であるが,ギリシヤ語の「マンナ」はアラム語の「マンナ」に由来したもの.その名は,イスラエルの民がそれを見て「これは何だろう(〈ヘ〉マーン・フー)」(出16:15)と言ったことによると言われている.それに対し,エジプト語でマーンは樹液を,アラビヤ語では樹枝につくマナ虫の分泌物の凝固したものをそれぞれ意味していることから,それらに由来しているという説もある.
聖書によると,マナは「地に降りた白い霜のような細かいもの,うろこのような細かいもの」(出16:14)であり,「コエンドロの種のようで,白く,その味は蜜を入れたせんべいのようであった」(出16:31.参照民11:7).彼らは「それを集め,ひき臼でひくか,臼でついて,これをなべで煮て,パン菓子を作っていた.その味は,おいしいクリームの味のようであった」(民11:8).
マナは荒野における自然の産物であるのか,それとも神によって超自然的に与えられたものであるのか,説が分れている.自然の産物と考える者は,シナイ半島に自生しているマナ虫の分泌液体であると言う.マナ虫は,窒素を摂取する必要があるために多くの樹液を吸い,その不必要なものを甘い分泌液体として大量に排出する.それが白色の粒子に凝固し,地上に落ちる.遊牧民は,それを「天からのパン」として食べるという.しかし,主なる神がモーセに「見よ.わたしはあなたがたのために,パンが天から降るようにする」(出16:4)と語っておられるように,超自然的に与えられたものであると解釈するのが自然である.それは,マナがイスラエルの大群衆の必要を満たすのに十分であり,必要に応じて保存することもでき,また40年間も供給され続けてきたことからも明らかである.そのことは,イスラエル民族には神に対する信頼を呼び起させる原体験であり(ネヘ9:20‐21,詩78:23‐29,105:40),代々にわたって語り継がれてきたことである.イエスは,この荒野におけるマナの経験にふれながら,「わたしがいのちのパンです.わたしに来る者は決して飢えることがなく,わたしを信じる者はどんなときにも,決して渇くことがありません」と語っておられる(ヨハ6:26‐35).マナはイスラエルの民には神から与えられたパンであり,いのちのパンの原型であった.
■うずら 〈ヘ〉セラーウ.にわとり類きじ科の鳥.小さい猟鳥で体長20センチ前後.食欲旺盛で太っており,しかも翼は9―10センチと短いので,低くしか飛ばない.
季節風を利用して集団移動する渡鳥で,春に北アフリカからシナイ半島,パレスチナ地方を通って南東ヨーロッパへ北上,秋には同じコースで南下する.神は,荒野を旅するイスラエルの民が肉を求めてつぶやくのを聞き,南風,東風を吹かせ(詩78:26),大量のうずらを宿営に落された(詩105:40).このうずらの大量供給の出来事は,最初,エジプトを出て約1か月後,シンの荒野で起った(出16:1‐13).次は,それから約1年後,そこからさほど遠くない荒野で起っている.この時は,主の怒りによって疫病が発生し,多くの民が死んだ.それでその場所はキブロテ・ハタアワ(欲望の墓)と呼ばれた(民11:4‐34).