通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
通りゃんせ
その昔、修道者はよく知っていました。その真理を得る道を「天神様の細道」と言っています。その志のない者「ご用のないもの」はこの道を通ることができません。「この子の七つのお祝いお札を納めに参ります」 西洋的には7つという数字はラッキーナンバーですが、アジアでは中国で顕著のように本来8が神聖な数です。
※ 「お札」とは志を表わす証。
この数字の由来は達磨の「七転八起」の故事で真髄を垣間見ることができます。達磨は、慧可(えか)に禅の奥義を授けています。 その奥義は、不立文字(ふりゅうもんじ)、以心伝心、直指人心、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)に要約されます。この意味は道を得て妙意が分かりますが、そのことを人生と生活に練りこんでその印象を伝えてきた言葉が「七転八起」です。
一般的には「7回転んでも8回目には起きる」という人生訓に取られますが、なぜ7回なのか、なぜ8回なのかという余韻を残してきました。スピリチャル世界的な意味では第七チャクラ、第8のチャクラのことと解釈することが出来ますが、今のところスピリチャル世界では「真理あるいは道」について深く言及せずこの時期の配慮がなされています。解説は当たらずも遠からずの印象を与えています。
「通りゃんせ」の童謡で「七つのお札を納めに参ります」は「七五三の祝いの7歳になるお札」と解釈されてしまいます。「この子」とは誰でしょうか。7つの段階までようやくたどり着いた、それが「神の子」の私達だとしたら、ここまでは大変だったけれど、ここまでこれたのは幸いでした。 「行きはよいよいかえりはこわい、こわいながらも通りゃんせ」では、さて天に還るこれからの道はこわい(神の子が神になる道は、今までのように情に絆されてはいけません)世界ですから・・・
※ 「こわい」と云う字は「恐い、怖い」と云う字より「重荷:強い:屈強」の意味に捉えたいと思います。