Ray:その時を侍す、日本の大地に、ただその時を侍す奥義があった
転載:神霊の思頼(みたまのふゆ)
2003年09月01日
かんながらの道
今日から9月である。
中国の十進法では、数字の九は極まりの数字で、一番大きな数と成っている。そして、一は始まりの意味を持つので、9月1日は「一番大きな数の始まりの日」という事になる。
今朝のメッセージは、大型バスで、多数の人々が冒険旅行をしているのが映って来た。私が、その人々に、効果的な旅の方法を教えようと、近付いて行くと、目に見えない、大きな光の力で、止められてしまった。
私は、苦労しながら旅をする人々に同情を覚え、身悶えして耐えている処で、其の映像は終わった。
そして、19年前に別れた妻「名越美代子」が現れ、私の暮らす部屋の中を片付けていて、「時々来て 片付けていたのよ」と云う。そう云う妻の顔は、優しく美しくて、何故か、歯が奥歯まで真白であるのが見えた。
私は、19年の旅の間に、様々な事を学んだが、その中に「かんながらのみち」の世界が有る。
「かんながら」とは、「随神」とか「惟神」とか書かれるが、「かむながら」の古語から来ており、「神の御心のままで、人為を加えないさま。神慮のまま。」の意味である。
「かむながらのみち・惟神の道」とは、「神代から伝わって来て、神慮のままで、人為を加えぬ日本固有の道。神道。」と、説明されている。 広辞苑
「惟神の道」とは、道を求める其の人自身が、唯一人、孤独で歩く心の道である。
「惟神の道」の掟・おきては、「問うてはいけない。」「教えてはいけない。」「見てはいけない。」「見せてもいけない。」世界と、されている。
「惟神の道」は、他人に教えてもいけないし、他人の遣り方を見て、真似てもいけないのである。
その点で言えば、教育を受けたり、他人を教育したり、他人に付いて学習してもいけない理・ことになるので、現在の学校教育や、何かの研修を受ける事とは異なっている。
「惟神の道」とは、人間の生業を離れて、神の配慮に従う事だから、人間の思惑を、全て捨て去らなければならない生き方である。
その道は、普通の人達にとっては、最大の冒険の旅と言えるだろう。
冒険とは、未だ見た事の無い、未知の世界へ旅立つ意味である。
其れは、現在の旅行の様に、パンフレットが有ったり、コースが定められて、全てが用意されている旅は、冒険の旅とは言えないのである。
「惟神の道」は、パンフレットも無いし、コースも指定されておらず、ガイドも居ない世界である。
例えて言えば、初心(うぶ)な娘が、見た事も無い町の、知らない男性に嫁ぐ時の、不安に似た様なものが有るだろう。しかし、不安だからと言って、歩き出さなければ、神に随神する事は出来ないのである。
幼い娘が、何も知らない家に嫁ぐのであれば、母親や父親は、何らかのアドバイスをしてあげようとするだろう。
処が「惟神の道」は、其れさえも、してはいけない世界とされている。
娘には、娘自身に与えられている運命があるのだから、その運命に任せきって、神を信じ、他人は口を出す事を控えるのである。
先方の家に辿り着けば、其処には、新たな世界が待っているのである。
やがては、可愛い孫を連れて、里帰りをして来るかも知れない。それを、暖かい気持ちで待ち続けるのである。其の親の心が、かむながらの道の極意に、少し似ているのかも知れない。
今朝の私へのメッセージは、娘の嫁入りではなく、精神的な成長の旅をする人達に対して、口を出してはならないとの事であった。
考えてみれば、私が、現在の様な人生を送る事に成ったのは、父親の育て方と、母親と弟妹の存在があり、其れに、屋久島の自然環境と、人間的繋がりがある。
私の人生に対して、父親が、特に此れと言って、口を出した記憶が無いので、私の父親は「惟神の道」の理・ことを、明確に理解していたものと考えられる。
母親の話では、広島県の宮島に在る「厳島神社」の神主・神官?の息子さんと、よく神の事に付いて語り合っていたとの事である。
其の父親は、私が17歳の秋に、49歳で亡くなったので、私は此れと言った薫陶を受けてはいないが、父親が、中国から戦後引き揚げて来る時に、たった一つ大事に持って帰った物が、「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿の置物である事から察すると、父の想いが、惟神に有った事は理解出来る。
今朝のメッセージで、私が口出し出来ないで、身悶えていたのは、私自身の魂しいではなく、私の意識の内に住んでいる、父親の意識であったのかも知れない。
私の苦しさや、母親の苦労を見ていれば、手を出して、どうにかしたくなるのは、父親とすれば当然の気持ちであろう。しかし、其れは、神の計画が成熟するまでは出来ないのだ。
私が「惟神の道」を全うし、人々の悟りへの道筋を整えるまで、見護るしかないのだろう。
此処まで到達した私が、また他人の旅に口出しをして填まり込み、道を外れる事を、心配しているのだろう。
私を導いてくれた、父親と無庵師匠、其れに先覚者の「矢追日聖氏」や天竜寺の和尚等は、私を理解して下さったが、一様に、私の遣り方には一切口出しはしなかった。
私を、理解する力の有る方は、其の人達が、私より体験を深めており、口を出してはならない理を能く知っていたのである。
他人の修行に対して、何かの口出しをする事は、自分の体験を押し付ける事であり、他人の道筋を狂わす事になる。
温かく見護る事は、大事なのだが、余計な手を加えたり、余計な情報を与えたりしてはならないのだ。
神を求めて、純粋に成っている者に、何かの強い言葉を与えると、通常の何倍にも響いて、強い影響を与えてしまう事に成る。そんな事をすれば、その人が辿り着くべき入口の扉が、別の扉と成ってしまうのだ。
人間社会は、一人一人が違った個性を有する事で、全体が調和する様に創られている。だから、他人の真似をする事は、自分の個性を駄目にする事であり、自分の役目を果たす事が出来なくなる事にもなる。
私が、此処まで進んで来られたのは、人真似ではなく、自分のオリジナルで進んで来たからである。誰かの弟子と成ったり、何かの主義主張に嵌ってしまっていれば、現在・いまの自分は無いのである。
今では、釋迦牟尼佛やイエスキリストの気持ちが、能く理解出来る様に成って来た。それは、私が、キリスト教や佛教や道教等の、宗教を信じるのではなく、イエスキリストや釋迦牟尼佛や、老子の生き方自体を、対象に見据えて生きて来たからである。
イエスキリストや、釋迦牟尼佛や、老子は、経典を唱たり、祈祷等の行為は一切してはいない。彼等に共通している事は、唯一神に随伴する「神惟の道」を歩いた事である。
彼等は、宗教を興したのではなく、宗教や全ての煩わしさから、自由に成る事を説いているのである。全ての煩わしさから、自由に成ると言う事は、神と伴に進む、一番の近道なのである。
他人が、口出しをしなくても、自分から、他人の業の煩わしさの中に、入って行く人達が、何と多い事か。其れ等の人々を救う為には、「惟神の道」の世界を、人々が知る処としなければならない。
「惟神の道」は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の世界だが、「惟神の道」の世界が存在する事だけは、全ての人達に知らせる必要が有るだろう。
其の「惟神の道」の世界がある事を、全ての人類が知る事に成れば、人々の認識が変わり、皆が「惟神の道」を進む事も、容易に成って来る。
無い世界は歩けないが、目に見えなくても、「在る」と万人が認める世界であれば、人々は歩き出す事が出来る。
「惟神の道」と言う世界があるのだが、口出しをしてはいけないとの概念だけが、人類全体に知れ渡る事と成れば、天意も働き易く成るし、神の意志を受け取る人間も数が増えて、世の中は良く成って行くだろう。
そんな世の中に成れば、新しい霊魂も安心して、どんどん地上に降りて来る事が出来るだろう。
もう、私の様な苦しみを、長く続ける必要が無くなるのだ。
そして、「イエスキリスト」や「ジャンヌ・ダルク」を磔にした様な、間違いを犯す事も、二度と無く成るであろう。
今朝のメッセージは、神の働きが、何時も在る事・ことを知らないで生きている人達への、神の愛(かな)しみの姿が、映って来たモノだったのかも知れない。そして更に、その神の愛しみに一番気付いていなかったのが、私自身だったのだろう。
私は、結婚10年目の記念日を境にして離婚した。
31歳の若さで、幼子を三人連れて実家に帰された妻は、何も解らず、只驚きの世界に在ったと思われる。
何も言わずに去って行った、妻の気持ちを察すると、胸の詰まる憶いはするが、悲しくても、全てを捨て去らなければ、人類も家族も守れない理を知らされたので、仕方なく、泣きながら、子供達とも別れる事となった。
インドの釈迦は、自分でその道を選んだのだが、私は、神霊達にそうされたのである。あれから19年が経過している。
お陰様で、三人の子供達も、立派に成長している様だ。
今朝は、別れてから、19年も経った妻が夢に出て来て、時々は片付けを手伝っているのだと言う。其れは、私が居ない間も、目に見えない形で、何等かの支えをしてくれたとの意味だろう。
そして、奥歯まで真白の歯は、何を意味しているのかは分からないが、古代では、歯型を取り、歯が丈夫で揃っていなければ、王に成れなかったと聞いた事もあるし、奥歯が揃っていない人は、根性が無いとの話もある。
歯が全部揃っていない者は、神の試練に耐えられないのであろう。
私の妻が耐えられたのは、歯が丈夫であったからだと、伝えて来たのだろうか。
私も、無庵師匠に探し出された時、最初に云われた事は「歯を見せろ」との事だった。私の、修行の始まりは、先ず歯医者に通う事からだったのである。
私が、19年前に無庵師匠に探し出されて学んだ理・ことは、歯が一番大事であるとの理・ことだったので、自分の子供達を、虫歯にしてしまっていた事は、一番辛い事であった。
「惟神の道」を歩くのは、心の重圧に堪える事なので、口出しは出来なくても、歯を丈夫に揃えて置く程の事は、知らせても良いとの事だろうか。
平成15年9月1日
礒邉自適
かんながらの道
今日から9月である。
中国の十進法では、数字の九は極まりの数字で、一番大きな数と成っている。そして、一は始まりの意味を持つので、9月1日は「一番大きな数の始まりの日」という事になる。
今朝のメッセージは、大型バスで、多数の人々が冒険旅行をしているのが映って来た。私が、その人々に、効果的な旅の方法を教えようと、近付いて行くと、目に見えない、大きな光の力で、止められてしまった。
私は、苦労しながら旅をする人々に同情を覚え、身悶えして耐えている処で、其の映像は終わった。
そして、19年前に別れた妻「名越美代子」が現れ、私の暮らす部屋の中を片付けていて、「時々来て 片付けていたのよ」と云う。そう云う妻の顔は、優しく美しくて、何故か、歯が奥歯まで真白であるのが見えた。
私は、19年の旅の間に、様々な事を学んだが、その中に「かんながらのみち」の世界が有る。
「かんながら」とは、「随神」とか「惟神」とか書かれるが、「かむながら」の古語から来ており、「神の御心のままで、人為を加えないさま。神慮のまま。」の意味である。
「かむながらのみち・惟神の道」とは、「神代から伝わって来て、神慮のままで、人為を加えぬ日本固有の道。神道。」と、説明されている。 広辞苑
「惟神の道」とは、道を求める其の人自身が、唯一人、孤独で歩く心の道である。
「惟神の道」の掟・おきては、「問うてはいけない。」「教えてはいけない。」「見てはいけない。」「見せてもいけない。」世界と、されている。
「惟神の道」は、他人に教えてもいけないし、他人の遣り方を見て、真似てもいけないのである。
その点で言えば、教育を受けたり、他人を教育したり、他人に付いて学習してもいけない理・ことになるので、現在の学校教育や、何かの研修を受ける事とは異なっている。
「惟神の道」とは、人間の生業を離れて、神の配慮に従う事だから、人間の思惑を、全て捨て去らなければならない生き方である。
その道は、普通の人達にとっては、最大の冒険の旅と言えるだろう。
冒険とは、未だ見た事の無い、未知の世界へ旅立つ意味である。
其れは、現在の旅行の様に、パンフレットが有ったり、コースが定められて、全てが用意されている旅は、冒険の旅とは言えないのである。
「惟神の道」は、パンフレットも無いし、コースも指定されておらず、ガイドも居ない世界である。
例えて言えば、初心(うぶ)な娘が、見た事も無い町の、知らない男性に嫁ぐ時の、不安に似た様なものが有るだろう。しかし、不安だからと言って、歩き出さなければ、神に随神する事は出来ないのである。
幼い娘が、何も知らない家に嫁ぐのであれば、母親や父親は、何らかのアドバイスをしてあげようとするだろう。
処が「惟神の道」は、其れさえも、してはいけない世界とされている。
娘には、娘自身に与えられている運命があるのだから、その運命に任せきって、神を信じ、他人は口を出す事を控えるのである。
先方の家に辿り着けば、其処には、新たな世界が待っているのである。
やがては、可愛い孫を連れて、里帰りをして来るかも知れない。それを、暖かい気持ちで待ち続けるのである。其の親の心が、かむながらの道の極意に、少し似ているのかも知れない。
今朝の私へのメッセージは、娘の嫁入りではなく、精神的な成長の旅をする人達に対して、口を出してはならないとの事であった。
考えてみれば、私が、現在の様な人生を送る事に成ったのは、父親の育て方と、母親と弟妹の存在があり、其れに、屋久島の自然環境と、人間的繋がりがある。
私の人生に対して、父親が、特に此れと言って、口を出した記憶が無いので、私の父親は「惟神の道」の理・ことを、明確に理解していたものと考えられる。
母親の話では、広島県の宮島に在る「厳島神社」の神主・神官?の息子さんと、よく神の事に付いて語り合っていたとの事である。
其の父親は、私が17歳の秋に、49歳で亡くなったので、私は此れと言った薫陶を受けてはいないが、父親が、中国から戦後引き揚げて来る時に、たった一つ大事に持って帰った物が、「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿の置物である事から察すると、父の想いが、惟神に有った事は理解出来る。
今朝のメッセージで、私が口出し出来ないで、身悶えていたのは、私自身の魂しいではなく、私の意識の内に住んでいる、父親の意識であったのかも知れない。
私の苦しさや、母親の苦労を見ていれば、手を出して、どうにかしたくなるのは、父親とすれば当然の気持ちであろう。しかし、其れは、神の計画が成熟するまでは出来ないのだ。
私が「惟神の道」を全うし、人々の悟りへの道筋を整えるまで、見護るしかないのだろう。
此処まで到達した私が、また他人の旅に口出しをして填まり込み、道を外れる事を、心配しているのだろう。
私を導いてくれた、父親と無庵師匠、其れに先覚者の「矢追日聖氏」や天竜寺の和尚等は、私を理解して下さったが、一様に、私の遣り方には一切口出しはしなかった。
私を、理解する力の有る方は、其の人達が、私より体験を深めており、口を出してはならない理を能く知っていたのである。
他人の修行に対して、何かの口出しをする事は、自分の体験を押し付ける事であり、他人の道筋を狂わす事になる。
温かく見護る事は、大事なのだが、余計な手を加えたり、余計な情報を与えたりしてはならないのだ。
神を求めて、純粋に成っている者に、何かの強い言葉を与えると、通常の何倍にも響いて、強い影響を与えてしまう事に成る。そんな事をすれば、その人が辿り着くべき入口の扉が、別の扉と成ってしまうのだ。
人間社会は、一人一人が違った個性を有する事で、全体が調和する様に創られている。だから、他人の真似をする事は、自分の個性を駄目にする事であり、自分の役目を果たす事が出来なくなる事にもなる。
私が、此処まで進んで来られたのは、人真似ではなく、自分のオリジナルで進んで来たからである。誰かの弟子と成ったり、何かの主義主張に嵌ってしまっていれば、現在・いまの自分は無いのである。
今では、釋迦牟尼佛やイエスキリストの気持ちが、能く理解出来る様に成って来た。それは、私が、キリスト教や佛教や道教等の、宗教を信じるのではなく、イエスキリストや釋迦牟尼佛や、老子の生き方自体を、対象に見据えて生きて来たからである。
イエスキリストや、釋迦牟尼佛や、老子は、経典を唱たり、祈祷等の行為は一切してはいない。彼等に共通している事は、唯一神に随伴する「神惟の道」を歩いた事である。
彼等は、宗教を興したのではなく、宗教や全ての煩わしさから、自由に成る事を説いているのである。全ての煩わしさから、自由に成ると言う事は、神と伴に進む、一番の近道なのである。
他人が、口出しをしなくても、自分から、他人の業の煩わしさの中に、入って行く人達が、何と多い事か。其れ等の人々を救う為には、「惟神の道」の世界を、人々が知る処としなければならない。
「惟神の道」は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の世界だが、「惟神の道」の世界が存在する事だけは、全ての人達に知らせる必要が有るだろう。
其の「惟神の道」の世界がある事を、全ての人類が知る事に成れば、人々の認識が変わり、皆が「惟神の道」を進む事も、容易に成って来る。
無い世界は歩けないが、目に見えなくても、「在る」と万人が認める世界であれば、人々は歩き出す事が出来る。
「惟神の道」と言う世界があるのだが、口出しをしてはいけないとの概念だけが、人類全体に知れ渡る事と成れば、天意も働き易く成るし、神の意志を受け取る人間も数が増えて、世の中は良く成って行くだろう。
そんな世の中に成れば、新しい霊魂も安心して、どんどん地上に降りて来る事が出来るだろう。
もう、私の様な苦しみを、長く続ける必要が無くなるのだ。
そして、「イエスキリスト」や「ジャンヌ・ダルク」を磔にした様な、間違いを犯す事も、二度と無く成るであろう。
今朝のメッセージは、神の働きが、何時も在る事・ことを知らないで生きている人達への、神の愛(かな)しみの姿が、映って来たモノだったのかも知れない。そして更に、その神の愛しみに一番気付いていなかったのが、私自身だったのだろう。
私は、結婚10年目の記念日を境にして離婚した。
31歳の若さで、幼子を三人連れて実家に帰された妻は、何も解らず、只驚きの世界に在ったと思われる。
何も言わずに去って行った、妻の気持ちを察すると、胸の詰まる憶いはするが、悲しくても、全てを捨て去らなければ、人類も家族も守れない理を知らされたので、仕方なく、泣きながら、子供達とも別れる事となった。
インドの釈迦は、自分でその道を選んだのだが、私は、神霊達にそうされたのである。あれから19年が経過している。
お陰様で、三人の子供達も、立派に成長している様だ。
今朝は、別れてから、19年も経った妻が夢に出て来て、時々は片付けを手伝っているのだと言う。其れは、私が居ない間も、目に見えない形で、何等かの支えをしてくれたとの意味だろう。
そして、奥歯まで真白の歯は、何を意味しているのかは分からないが、古代では、歯型を取り、歯が丈夫で揃っていなければ、王に成れなかったと聞いた事もあるし、奥歯が揃っていない人は、根性が無いとの話もある。
歯が全部揃っていない者は、神の試練に耐えられないのであろう。
私の妻が耐えられたのは、歯が丈夫であったからだと、伝えて来たのだろうか。
私も、無庵師匠に探し出された時、最初に云われた事は「歯を見せろ」との事だった。私の、修行の始まりは、先ず歯医者に通う事からだったのである。
私が、19年前に無庵師匠に探し出されて学んだ理・ことは、歯が一番大事であるとの理・ことだったので、自分の子供達を、虫歯にしてしまっていた事は、一番辛い事であった。
「惟神の道」を歩くのは、心の重圧に堪える事なので、口出しは出来なくても、歯を丈夫に揃えて置く程の事は、知らせても良いとの事だろうか。
平成15年9月1日
礒邉自適