六.神光、大師を追い、断臂して道脈を継ぐ
神光は、旅の和尚が語ったとおり、大師は熊耳山(ゆうじさん)に居られるに違いないと確信しました。そう思うと矢も盾も堪らず、神光は熊耳山目差して韋駄天走りに駆け出しました。
昼夜を分かたず飲まず食わずの行程を重ねて神光は、ようやく大江(おおかわ)に辿り着きました。ところが上流にも下流にも、その川には橋が全く見当たりません。しかも川幅は広く、水量豊かで波荒く流れも早いため、尋常な事では渡る術はありません。
神光は思案に暮れて川岸を行ったり来たりしながら辺りを見廻しましたが、人っ子一人おらず、渡る舟もありません。大師は本当にこの川を渡って熊耳山に行かれたのであろうか。別の所に行かれたのではなかろうか。心は焦るばかりで、神光は進退谷(きわ)まってしまいました。
一方大師のほうは、神光が来ることを知っておりますから、熊耳山でずっと面壁して待っていました。しかし神光に来る機會を与えなければならないので、一人の漁翁に変化(へんげ)し、大江に小舟を浮かべて釣り糸を垂らしていました。
神光はこれを見付けて、相手が大師であるとは識(し)らず、必死の思いで
「願わくば、私を向こう岸まで渡して下さい」
と何度も繰り返しましたが、漁翁は少しも慌てず、ゆっくりと舟を岸に着け、再び神光の用件を訊きました。
「老翁よ、是非私を向こう岸へ渡して下さい」
「岸遠くして江深し、舵を取る人尋ね難し。自己渡(ど。救霊)し難きに、豈(あに)敢えて客賓を渡せんや」
と、大師は詩に歌って答えました。
「他に渡った人がありますか」
「以前一人の老僧があって、葦の葉を千切り、それを踏んで川を渡って行きました。その時は風も凪(な)いで波浪もなく渡り易かったが、惜しむらくは、あなたは時を錯(あやま)りました」
神光は慇懃に漁翁に向かって
「私が時を錯ったのは、舟に乗る時だけではありません。江を渡ったと言う、その老僧との遇り會いも錯ったのです。今は後悔してなりません。ところでお伺いしますが、その老僧は再び江を渡って帰って来られましたか」
「いや、彼はきっと熊耳山の洞窟で坐行しているでしょう。私は朝夕ここを離れていないから、帰っていないことに間違いありません」
神光は、大師が山中に居ると聞いて心忙しく火が燃えるようになり
「是非とも、今直ぐ江を渡らせて下さい」
と拝み頼みました。漁翁は神光の達摩を求める心が切々であるのを見て、初めて江を渡らせようと心に決めました。神光を小舟に乗るように導き、暫くの間目を閉じ精神を凝り固め心を澄まして静坐するように言い付け、そして神光を向こう岸に渡しました。
神光は舟から降りて漁翁の眞心に感謝し、贈る物がないのでただ言葉で許しを乞いました。
「迷っているときに、あなたは私を渡(わた)しました。私が目覚めたときは、あなたを渡(ど)します。恩を頂けば当然これに報いるべきであるのが、眞の循環の道理です。有難うございました」
謝辞を述べ終えた神光は、ひたすら熊耳山の頂上を目指して登り始めました。ようやく洞窟に辿り着くと、大師が壁に向かって黙然と坐禅をしている姿が目に入りました。神光はその後姿に向かって四礼八拝しましたが、大師は振り向きもせず端然と静坐し巍巍(ぎぎ)として動かず、口を開こうともしません。神光は、ただ後ろから俯伏し、大師を拝んで告げました。
「弟子、肉眼凡胎なるが故に大師が西より来られたことを識らず、冒した一切の罪過は、まさに雷霹に値します。伏して至尊にお願い申し上げます。慈悲を以って私の罪をお赦し下さい」
それでも大師は、長い間相手にしようともしません。神光は再三再四哀願して、言葉を続けました。
「神光、地に跪き、涙は顎に満ちています。師よ、怒りを息(しず)め心を寛(ひろ)くして下さい。肉眼なるが故に、西来の御僧を識らなかったのです。只々お願い申し上げます。至尊よ、私の罪をお赦し下さい」
神光は、一昼夜懇願し続けました。時は十二月九日で寒気厳しく、夜に入ってから大雪が降り出し、神光の全身は雪に覆われました。それでも大師が快い返事をされないので、神光はそのまま動かず、じっと立ったままでいました。夜明け頃には、雪が積もって腰まで没してしまいました。神光は更に言葉を続けて
「昔の人は、道を求めるのに『骨を敲(たた)きて髄を抜き、血を刺して飢えを救い、髪を布(し)いて泥を掩い、崖に身を投じて虎を飼う』と申しましたが、古にあってもなお斯くの如しです。私は、また如何すればよいのでしょうか」
今はもう涙も涸れて声も出ません。老僧はそれを見て、初めて哀れみ
「汝、久しく雪の中に立って、まさに何を求めようとするのか。洛陽はよき道場ではないか。三蔵の經典も口に任せて話せる汝が、どうしてわれを趕(お)いかけてここまで来たのか」
神光は、これを聞いて、恥ずかしさと悲しみで頭を地に摺りつけ
「ただ願わくば、大師の御慈悲を以って以前の言葉をお忘れ下さい。眞(まこと)の人と別れては、何も求めることができません。どうか甘露の門を開いて、群品(ぐんぼん)を度して下さい」
「諸佛の無常の妙道は曠劫(こうごう)に精勤し、行じ難きをよく行じ、忍び難きをよく忍ぶに、どうして小徳・小智、しかも軽信慢心をもって眞常を願おうとする。徒に勤苦に労するのみである」
「是非とも師の心法を傳えて頂かなければ、六道の輪廻を解脱して三界を超越できません。私の寿命は既に尽きたので、どうぞ生死の道からお救い下さい」
大師は心の中に憫みの情を起こし、偈(げ。詩)を詠じました。
「心に清静を求めても、清静を得ることはできない。
意は安(安閑)を欲しても、安なることはできない。
愚かな心では、三界を超え難いであろう。
妄意を存すれば必ず深淵(地獄)に墜ちる」
「弟子は敢えて愚かにも、佛祖に成就したいと妄想してはおりません。実は自己の性命は終え難く、閻君は免れ難く、地獄は躱し難いが故であります。大師の坐行を乱していることはよく存じておりますが、如何ともし難く、ただ師の御慈悲を以って御指示を垂れ賜わんことを願います」
「正道を求めんと欲すれば、すべき事として先ず左旁(さぼう)を去れ。紅雪が腰に斉(揃)うのを待って始めて傳授しよう」
神光は大師の言葉の中の左旁を左膀(臂)と聞き違え、戒刀をもって自らの左臂を断ち切りました。血は吹き出して全身を染め、辺り一面の雪も紅に染めました。大師はこれを見て大いに慈悲心を動かされ、また神光が正しく法器であることを知り、急いで自分の袈裟を裂いて神光の左臂を覆いました。その瞬間に血は止まり、痛みもなくなりました。大師は、賛嘆して
「われ想うに、東土の衆生に既にこのような心念を持つ者が出た。全く、眞傳を受けさせるべきである」
と言い、神光に「直ちに洪誓(こうせい)の大願を立てるよう」命じました。神光は三歩退って衣服を整え、跪き天に向かって誓願を発しました。
「想うに父母生養の大恩は、身を殺しても報いることはできません。天地の覆載(ふくさい。天地の創造)を蒙り、日月照臨、皇王水土の恵みを享け、至尊の厚き教誨(おしえ)、種々の深き恩、何によって報答できましょうか。もし誠ならずして至道を求めれば生死を脱することはできず、五恩(天地覆載の恩、日月照臨の恩、皇王水土の恩、父母養育の恩、聖師傳法の恩)に報いることはできません。一生を虚しく過して六道四生に墜ち、どうして再びこの奇縁に遇り會うことができましょうか。よって即ち天神の監察を乞う。弟子、道を求めて若し二意あり、師を欺き祖を滅することがあれば永遠(とこしえ)に地獄に墜ち、超生を得られません」
大師はこの言葉を聞いて
「善哉(ぜんざい。よいかな)、善哉。正しい道を修めんとするには、先ず左道旁門を去れと言うことである。しかるにどうして左膀を切り落としたのか、危うく残生を誤るところであった。紅雪が腰に揃うとは、要するに心の誠を験していることに他ならない。今後汝はこの紅袈裟をもって後世に留め、人々を警(いまし)めよ」
更に大師は
「吾本(われは)、茲(こ)の土(ち)に来たる。法を傳えて迷情を救う。
一華は五葉(禅宗五家)を開き、結果は自然に成る」
の偈を示して神光を呼び
「汝の智慧良可なるによって、これより汝を慧可(えか)と名付けよう」
と言われました。神光(以下、「慧可」とする)は、大いに謝恩してこれを受けました。
(続く)