2016年11月24日
4、大師、化身して楊胭脂の難を避く
年老いた大師は、武帝と神光を救い損ねて暫くは慨嘆していましたが、やがて東緑関(とうりょくかん)に向かって歩き始めました。関内に入ると、一人の婦人に遇り逢いました。その婦人の名は楊胭脂(よういんし)と言い、大師が来られたのを見て
「老僧は何処から来られ、そして何処へ行かれるのですか」
と問いました。
大師は、度重なる失敗に懲りて、余り気乗りがしなかったが
「私は西域からやって来て武帝と神光とを救おうとしたのですが、二人とも縁に欠けているので、また西へ帰るところです」
と答えました。
これを聞いた楊胭脂は、この人は相当有徳な非凡の僧に違いないと思い、自宅に迎えて大いに歓待して上げれば決して損はないと心に邪心を抱き
「どうぞ、私の家にお越し下さい。私は幼い時から佛法に帰依して經堂を持っています。ここでご静養いただければ幸いでございます」
と言いました。
大師は、この婦人に邪念があるのを視透しましたが、人の心を試すのも一つの法と考え、招じられるままに楊胭脂の經堂に案内されました。楊胭脂は、大師を法座に上らせ、自分は法座の下に跪き大師を礼拝して申しました。
「弟子楊胭脂は、多年に亘って斎戒を持して参りましたが、未だ明心見性の域に至っておりません。今日縁がございまして、ここに明師のご降臨を仰ぐことができました。これは、終世の幸せでございます。私はここに喜んで願を立て、老師の徒(でし)になりたいと存じます。願わくば師のご慈悲を蒙り、私を徒とされ、正法を開示下さいますようお願い申し上げます」
大師「今、汝が願を発して道を求めたことは小さい事ではない。しかし女の体は穢れ多く、また愆(つみ)も多いので、正法を得るためには、更に天のように高く海のように深い大願を発し、三皈五戒(さんきごかい。三皈は仏・法・僧に皈依すること。五戒は殺・盗・淫・妄・酒の戒め)を堅持し、正しい念を強く抱いて行わなければならない。もし願に違えば、反って墜落(地獄に墜ちること)の目に遭うだけで萬劫(まんごう。永遠に)救われ難いであろう。よくよく考えた上で行なうことが賢明であり、軽々しく誓願を立てるべきではない」と嗜(たしな)めました。
断られると逆に思いの募るのが人情というもので胭脂は、大師の言葉を聞いて、また一段と辞を低くして申し上げました。
「佛を証(あかし)として願を立てさせていただきます。もしも私が法を得てより師の恩を忘れ、規(のり)や戒律を守らず、中途で道から退嬰(たいえい)するようなことがあれば、永遠(とこしえ)に苦海(塵界)に沈み萬劫三界を越えられません。是非お助け下さいませ」
しかし大師は、楊胭脂の心に虚(いつわ)りがあるのを見抜いて、僅かに幾句かの偈を告げ語られました。
「若(も)し三苦(さんく。三界)に在(あ)って正法を求めようとすれば、只ひたすら身中の動静の功を明らかにすべきである。
法は萬物を生じ、三界を穿つ。道は天地を包み、虚空に満ちる。
骨を穿ち髄に透り至らざる所なく、八方に応現してその妙、窮りなし。
四大(しだい。地水火風)に周流してこれを眞の主とし、内に形相なく、外に踪(あとかた)もなし。
常に三家(道・儒・佛の各開祖)と相會う。内外一体であって共にその金容を現わす」
楊胭脂は感激して、熱心に聞き入っていました。大師は更に言葉を続け
「人法両(ふたつ)を忘れるのは、これ即ち眞空である。活発動静(どうじょう)、允(まこと)にその中(ちゅう)を執れ。自家の眞人を認め透すことが出来れば、詔を待って極楽宮に飛昇することが適う」
胭脂は大師の法話を一言一句も洩らすまいと熱心に耳を傾け、その全てを記憶に留める努力を重ねる日々を何日か過ごしました。こうして大師から傳授された言葉を口授心印と錯覚した胭脂は、遂に本性を暴露し始めました。
――これで私も、明師と同じ位になった。明師の実質的な後継者は私である。天下に並ぶべき人がいない今は、大師が生きていては邪魔である。老師を毒殺してしまおう。大師を殺してしまえば、かの有名な武帝や神光がやって来て私を師と仰ぐことになろう。そうなれば、眞に光栄の至りである――
このように考えて胭脂は、大師を毒殺する機會を窺っていました。大師は始めから胭脂の心を見抜いておりましたが、わざとその謀(はかりごと)に掛かろうとされました。
或る日、楊胭脂は飲み物の中に毒を盛って大師に捧げました。大師は事前に片方の草履(ぞうり)を脱いでそれを自分の化身とし、わざと胭脂が捧げた毒入りの飲み物を飲み、死を装った化身だけを残し、ご自身は身を隠してしまわれました。
楊胭脂は、大師が亡くなったのを知って喜びながらも表面は嘆き哀しみ、葬儀一切を済ませた後、大師の亡骸(なきがら。実は大師の化身である草履の片割)を東緑関の郊外に埋葬しました。
大師は残りの片方の草履を手に持って東緑関を出て、歩きながら胭脂の一件を大いに嘆じ、偈を作ってその心を表しました。
「婦女を歎く。迷昧多く、自性(じしょう)を明らかに出来ない。
既に回心(改心)して斎戒を持してはいても、未だ生死を究めることが出来ない。
全く五漏(ごろう)の体(たい)は罪過甚だ大であるにも関わらず、そこまで思いを致すことがない。
前劫に際して迷昧することが多かったために、修行することを知らない。
故に女身に変じ、いろいろ不便多く難儀して尽きることがない。
三従(さんじゅう。婦人の従うべき三つの事柄、即ち家にあっては父母に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う)四(しとく。婦人の守るべき四つの、即ち婦徳、婦言、婦容、婦工)に従い、命を人に聴く。
楊胭脂が既に我に出會ったことは、三生の幸があると言える。
今まさに一貫不二の法門を求めようとする。
我、胭脂をよく観察すると、口は達者であるが、心はこれに反して正しくない。
このような者に、正法を軽々しく傳授するわけには行かない。
禅の奥義について話を合わせられることを幸いに、吾を毒殺することを思い立ち、そしてあわよくば人の師となろうと考えた。
これらの点から推察するに、我が来た時は一条の路經があったが、
我が去った後は、数知れぬ宗門をぞくぞく輩出する虞が多分にある。
更に信心の固い人を捜し出し、道統の後継ぎを定めねばならない。
慧眼によって四部州を見渡しても、そのような人は一人もいない。
只、那(か)の神光のみが信ずるに足る人物と思われる。
我、再び彼の許に去(ゆ)き、転化することなければ、
他に人を訪ねて度そうとしても、枉(むだ)であろう」
続く・・・