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変化するとは、特定の考え方や感じ方、行動、習慣をやめること(Deshiの浅解)

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 2016年8月30日

バーバラ・マーシニアック:変化するとは、特定の考え方や感じ方、行動、習慣をやめること

古来より、下記のように詳細に説かれてきた道理に基づき、一つは、今この時にDNAが活性化し、そのことがタイムラインと関係あると説明しています。そして眉間にある窓を通して自身の存在意義を発見できることを明確に示しています。

英語の原文で「第3の目を通す」がどのように表現されているか定かではありませんが、真理の観点から、この表現は明らかに「道を得る」ことの重要性を説いています。

「変化するとは、特定の考え方や感じ方、行動、習慣をやめること」

に説明されているように「殻」を捨てる、つまり悪習慣を捨てることは、性善説にほかなりません。そして修道の目的が「真理」の解明、「道を得る」ことであることは古来からの人類の普遍な存在意義です。

世界が変わると同時に人類の生活環境が大きく変わってきますが、その根本には道があります。

諸説は歴史的に為政者がゆがめている部分が多々ありますので、時期が来ましたら真理に照らし正しく吟味する必要があると同時に、次元上昇とDNAの活性化に伴い理解度に相応したさらに深い道理(数理的・幾何学的・あるいは音感的・・・)が公開されていますので、時の叡智を吸収し、真理の理解をさらに深めてゆくことができます。この過程では、落差が大きいため今の価値観を一旦すべて捨てることと同じように感じるかもしれません。

以下、ご覧のように古代からの伝承も、今はもうほとんど聞くことがない状態だからです。

孟子は、公孫丑上篇に記されている性善説の立場に立って人の性がであることを説き、続けて(四徳)を誰もが持っている4つの心を根拠としました。

人間には誰でも「四端(したん)」(四つの端緒、きざし)の心が存在すると説いています。

「惻隠」は仁の端:他者の痛みを感じいたたまれなく思う心

「廉恥」は義の端:不正や悪を憎む心

「辞譲」は礼の端:譲ってへりくだる心

「是非」は智の端:正しいこととまちがっていることを判断する能力

真理に到るため切磋琢磨して四端を修めます。例えば幼児井戸に落ちそうなのをみれば、誰でも無心で助けようとします。佛教の慈悲心とも同義です。

したがって、人は修道することによって自分の魂の中に埋もれている「四端」を引き出し、性(霊)を完全に発揮することができます。

そのために、孔子の弟子の顔回が実践し、仁の道を成就した四つの戒めを「四忽(しい)」と言います。

礼に非ざれば視ること勿れ

礼に非ざれば聴くこと勿れ

礼に非ざれば言うこと勿れ

礼に非ざれば動くこと勿れ

 道からはずれたこと、すなわち礼に適わないものは「見ざる」「聞かざる」「言わざる」「行わず」ためには、日常の瞬間瞬間の意識に気づくことで生活習慣をあらためることができる大切さを解いています。

Deshi A


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