今その時・・・
「時なるかな、時なるかな」と論語に遺され解釈が難しいとされて来た2500年前の一編が、今現在の「時」を示すことは、本Blogの「シンプル・ライフ~孔子・論語の中に、人類への聖なるメッセージ」で明らかにすることができました。この「時」と「土地(空間)」のコードは仏典や聖書の中にもちりばめられています。
そして、人類の今の大転換は、古来より次の四つの条件が揃うことで、まさに奇跡であると言われてきました。
① 身体を得てこの世に生まれてくること
② 今この時期に生まれてくること
③ この地域(アジア:亜細亜の亜の字は白十字になっています)に居ること
④ 根本を把握することができる「道すなわち真理」を得ること
神聖を保つため聖典にさえ具体的にはあらわすことができない「聖なる奇跡の到来」を、貧賤や富貴・老若男女にかかわらず万民に知らせる絶妙な知恵、“かごめかごめ”の童歌もその一つですが、闇の支配が終わるまで、天の機密を護るためたくさんの伝承コードがあります。
「サンタ(聖なる)・クロス(十字)」も人々の心をとらえて離さない「希望」のコード(聖なる波動)です。今日9月21日のように秋の収穫が終わって、まもなく秋分の日(9月28日)、我に返ってゆったりとした静かな時を過ごします。奇跡と言われる心の「鍵」を伝えるため、真っ白な雪が降る12月24日の聖なる夜、蜀台に明かりを灯し家族揃った暖かい暖炉のある家庭に、大きな袋にたくさんのプレゼントを入れ、よい子のためサンタ・クロス(聖なる十字)が遠い北の国からトナカイに轢かれてやって来ます。
サンタ・クロスは狭く長い煤(すす)で汚れた煙突から家の中に入るので、人々は家の煙突を掃除(心の浄化を意味する)しておきますが、もし汚れたままにしておくとサンタ・クロスが入れず大切なプレゼントを受け取れないかも知れないからです。2000年もの長い間、その時のために家族・友人がプレゼント(愛)を交換しながら高め励ましあい奇跡の感動を夢見てきました。寒い雪の中では、マッチ売り少女がマッチに火を灯し、火が消えるまでのつかの間に、居間の暖炉の温もりと、やさしい母の面影を抱きながら昇天してゆく幼い少女の聖夜物語も人々の心を篤くしました。
東洋では、弥勒菩薩の顕現のとして慕われてきた布袋様の袋がサンタ・クロスの袋に相当します。布袋様の袋の中身は「金」でした。これはお金やGold(金)の意味ではなく、「金」と言う字に隠された伝承です。「金」と言う字を分解すると「人」の下に「王」そして陰(女)陽(男)を意味する「点」が二つ「王」の左右にあります。本当に悟った人こそ謙虚で人々の下に位置し、真の王であり人々をさえることができる。それでこそ男女の調和を織り成し進化するというメッセージが込められています。
布袋の十牛図
十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。
尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。 見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。 見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。 得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。 牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。 騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。 返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。 入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。聖書のマタイによる福音書3章で、主は民を裁くために、今まさに斧が振りかざしておられる。良い実を結ばない木は切り倒される。私は悔い改めのために水で洗礼を授けているが、まもなく(2000年後の今)来られるその方は、比べることもできないほど偉大なお方で、私はその方の履物を脱がせる値打ちもない。その方は火と聖霊によって洗礼をお授けになり、もみ殻ともみをふるい分けて、殻を焼き尽くされる。」と言っています。
「火と聖霊によって洗礼を授ける」後から来る方を象徴しているのがサンタ・クロスと言えます。「火」はサンタ・クロスの赤い服、「聖霊」は人間によるものではなく聖霊による洗礼(バプテスマ)で、「洗礼」はサンタ・クロスが煙突から入る的に比喩した真のプレゼントの意味になります。
さらに、サンタ・クロス(聖なる十字)は、ヨハネ 福音書14章6節 「吾は道なり真理なり生命(いのち)なり…」でより明確に記されています。キリストが伝えようとしたことは、人間(吾)ならば誰にでも備わっている性(霊)があり、それはすなわち「道」であり「真理」であり、天国へ帰る道は「十字架」によらなければならないという意味でした。人々は「後から来るもの・・・」「十字架による・・・」の正しい解釈が出来ない時期、「真理」がまだ一般に公開されていない時期のため、「キリスト」の偶像崇拝に偏向してきました。
以上の天のコードをご参考にしていただきながら、“かごめかごめ”がなぜ童歌で親しまれてきたのか、そしてなぜ「契約の箱(アーク)」が日本に運ばれてきたのかについて、「真理」に基づく解釈をお伝えしたいと思います。
「かごめかごめ」のヘブライ語訳 「日本とユダヤのハーモニー」 http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=110 より
今までは、日本語とヘブライ語の解釈の整合性を持たせようとする試みが多かったと思いますが、本編では、日本語・ヘブライ語それぞれに、上記のように陰・陽、あるいは内・外、「体と用」の観点から、その本質と役割に分けられます。
かごめかごめ 「カゴ・メー カゴ・メー」 (誰が守る)
かごの中の鳥は 「カグ・ノェ・ナカノ・トリー」(硬く安置された物を取り出せ)
いついつでやる 「イツィ・イツィ・ディ・ユゥー」(契約の箱に納められた)
夜明けの晩に 「ヤー・アカ・バユティー」(神譜を取り、代わるお守りを作った)
鶴と亀がすべった 「ツル・カメ・スーベシダ」(未開の砂漠に水を沢山引いて)
後ろの正面だ~れ 「ウシラツ・ショーメン・ダラー」(水を貯め、その地を統治せよ!)
日本語の解釈は陰に属し、伝えたいことの本体、つまり人類にとってもっとも大切な「真理」をちょうどサンタ・クロスの物語と同じように伝えています。
かごめかごめ : かごの中の目(図―1を参照)
かごの中の鳥は : 鳥(契約の箱)、陰陽の陰(本体)、方位は西(極楽浄土)、酉は五行では金(堅固・確実な性質、収獲の季節「秋」の象徴)
いついつでやる : その時はもうすぐやってくる
夜明けの晩に : それは世の中の夜明け(弥勒の世・大同世界)前、まだ暗くて見えていない時に
鶴と亀がすべった : 鶴(天)と亀(地)が統べる、天地が一つになる
後ろの正面だ~れ : 後ろに隠れている(真理の目)ものな~に
図―1
目は真理の目(正法眼)
達磨大師の四諦句
不立文字(文字で表わさない)
教外別伝(教えの外に別に伝える)
直指人心(直接人の心を指す)
見性成仏(性を見て仏と成る)
「真理」は古来厳粛な「以心伝心」の法でした。つまり“かごめかごめ”の本当の意味は書いたり話したり説明できないものであることを伝えるのがその目的だったという結論です。人それぞれに様々な解釈することが大切で,分かるようで分からない、分からないようで分かる、ある様でない、ない様である、この天の機密はその時が来るまで決して漏らすことができません。機密だけれどそれがあるということを知らせる方法、それが“かごめかごめ”の童歌です。
ヘブライ語では「契約の箱」について
かごめかごめ 「カゴ・メー カゴ・メー」 (誰が守る)
空海は太平の世を願って“かごめかごめ”の歌に従って四国剣山からアークを移動しました。アークが無くなった四国(死国」の禍を避けるため八十八札所を設けました。人並みはずれた知能の持ち主でユダヤの家系のようです。このような特殊な神事は最もふさわしい方に禅定されるようになっています。日本の霊的に能力の高い師儒・僧侶が後継者を選抜します。現在も同じように引き継がれています。
かごの中の鳥は 「カグ・ノェ・ナカノ・トリー」(堅固に安置された物を取り出せ)
剣山に安置されていた「契約の箱」に中に安置されていた十戒の石盤、マナの壷、アロンの杖のうちマナの壷とアロンの杖はソロモンの秘法としてどこかに隠され、契約の箱には十戒の石盤だけが収められていました。
いついつでやる 「イツィ・イツィ・ディ・ユゥー」(契約の箱に納められた)
契約の箱に収められていた十戒の法に
夜明けの晩に 「ヤー・アカ・バユティー」(神譜を取り、代わるお守りをつくり)
十戒に代えて新しい法をさだめよ
鶴と亀がすべった 「ツル・カメ・スーベシダ」(未開の砂漠に水を沢山引いて)
未開の砂漠(砂漠の地下に豊富な水の層がある砂漠があります) を開拓して、世界中の難民が自由に住めるような豊かな土地に替えてゆく。
後ろの正面だ~れ 「ウシラツ・ショーメン・ダラー」(水を貯め、その地を統治せよ!)
多くの聖人・賢人が治水事業に力を注ぎましたが、日本でも唐から帰った空海がこの神託に従っています。日本には多くの技術があります。しかしその奥義は世界の四海(水)の同胞を治めることでした。間もなく契約の箱によって日本から聖なる巡礼が始まり世界に新しいコミュニティが創造されてゆきます。これによって支配や所有の観念は無くなり世界は一つのものになってゆきます。
国歌発効記念誌の表紙
君が代のヘブライ語解釈
「君が代は、千代に八千代に、さざれ石の巌をとなりて、苔のむすまで」
歌詞は10世紀初めに編纂された『古今和歌集』の短歌の一つで、曲は1880年(明治13年)につけられた。以後、国歌として歌われ、1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に国歌に制定されましたが作者は不明です。これを古代ヘブライ語で読むと.....
「立て 褒め称えよ 神を シオンの民 神に選ばれた民 喜べ 生き残り選ばれた民 救え 人類を 神の印(真理)が来る そして全地に語られる」
その時が近づいていることが、すでに国歌にも詠われていました。世界の良識は隠されてきた日本の役割を知っています。日本人々の意識は高まっています。
人類への応援歌です。人類の希望の時、“かごめかごめ”の真実の時がついに到来しました。