2008-12-04 Thu 00:05
「 宇宙の仕組み 」
我々地球人の殆どにとって、宇宙はただ広いと言うことのみが分かっている。そこには名もない無限の銀河系や星団、ブラックホ-ル、ホワイトホ-ルなどがあり、光年という単 位で測られる無限の空間である。宇宙の正確な大きさや形、そして、それがどの様に始まったのかについては殆ど分かっていない。最新の科学ではビッグバン理論なるものが非常 に話題になっている。しかしそれは、宇宙を理解するためには、ほんの少しばかり手掛かりを与えてはくれるが、殆どの人にとってはその理論すらよく分からないと言える。また 宇宙にはある種の神の御力、あるいは創造のエネルギ-が存在し、その様な存在の力こそが宇宙創造に関わったであろう事については、殆どの人が同意するであろう。地球の科学 者達が物質的宇宙に関して論理的説明をしようと研究にいそしんでいる一方で、我々の霊的指導者達は創造のエネルギ-の役割について理解を深めようと試みている。科学者と魂 の理解に努める者とが、宇宙についての見解を一致させる事は滅多にないが、究極的には両者は共通の結論に達しようとしている。
その結論とは物質的世界と霊的世界と、どちらも宇宙を作る一部であり、そのどちらが欠 けても宇宙は存在し得ない、と言う事である。宇宙の創造プロセスについての理解を深めるために、まずプレアデス人の科学技術を理解すると言う基本的なことから始めたい。彼 等は時間の枠外へ旅して宇宙がまさに創られるところを探検して来ただけではなく、時空という制限を超えて、自分達(プレアデス人)よりはるかに進化した他の種族達から、「 創造」の永遠の進化という神秘について学んだのである。この情報に関する信憑性のほどは読者の皆さんに理解して頂き、判断してもらう他はない。しかし残念ながら、今のとこ ろ我々地球人にそれを判断出来るような科学力はない。我々の住む世界(宇宙)は、プレアデス人によると「アブソル-タム」と呼ばれる卵形の「創造の広大なエネルギ-領域」 に包まれているという。およそ人知を超えたアブソル-タムと呼ばれる霊的エネルギ-に満ちた領域には、10の49乗の数の宇宙がすっぽりと含まれている。今のところプレア デス人は、あちこちの宇宙を旅して回ることしか出来ないが、夫々の宇宙の大きさが僅かながら異なり、形は似ているが夫々進化レベルに差があるということを、彼等は実際の探 検によって理解している。
プレアデス人はアブソル-タムと言うものが、それを凌駕する「創造」の力の中にあると 信じているが、アブソル-タムと創造の力との関係については、まだ何も知らない。アブソル-タムの霊的エネルギ-のことは創造の在り方そのものである。覚えておいて頂きた いのは、「創造」は物質的形態では存在しないと言うことである。一般的に創造は霊と呼ばれる「高等知性体」として存在する。創造は非物質的な姿で存在する生命形態であり、 自らの広大さに含まれる全ての生命形態の霊的エネルギ-から構成されている。アブソル-タムと呼ばれる広大な「創造」の存在は、それ自身で生を営み、自然の法則として進化 し続ける存在である。進化とは即ち学習することである。ものを考えるプロセスはエネルギ-を創りだし、創り出されたエネルギ-は論理的な一連の思考となり、その結果として 知識が生じるという順序になるのだ。知識がより複雑になると、それは経験を通して学ばれて知恵となる。そして、この経験を通じて得られた知恵こそが、霊的成長を作り出すの である。
霊的エネルギ-が進化し続けるためには物質的生命体を創造することが不可欠であり、霊 的エネルギ-によって創造された物質的生命体は、経験による学習を通じてこれもまた成長する。つまり「創造」の霊的エネルギ-は進化を通じて自らを成長させるためには、物 質的生命体を創造することが絶対不可欠であると言うことを「知って」いるのである。この創造のエネルギ-が創造した物質的生命形態こそが、我々が宇宙と呼んでいるものなの である。事の発端は、アブソル-タムの創造エネルギ-が新たに物質的宇宙を創造することで、自らの進化を続けようと考えた事であった。創造のエネルギ-によるこの思考は、 独自の「意識」としてある種の形になるまで絶え間なく続けられました。もしも、創造のエネルギ-によるこの小さな思考を目で見ることが出来たとしたならば、それは「卵形」 をしていることに気づくだろう。思考が意識として確実なものになる以前の段階では、この芽生えたばかりの小さな思考は、アブソル-タムの霊的エネルギ-が集まったプ-ル状 のものの中に、既に物質として存在している多くの宇宙と共に存在している。
この小さな思考には物質的宇宙を創造する「永遠で理想的な本質(理念)」が含まれてい る。この若い思考はアブソル-タムの広大無辺な空間の中ではノミほどの大きさもない。アブソル-タム、即ち創造の霊的エネルギ-は、「理念」を持つことによって進化し続け ることが可能になるのであり、この営みはあらゆる生命体に課された営みである。「理念」は自らの懐の中でまだ生の営みを始めたばかりであるため実に小さく「物質的宇宙」を 発達させていく新たな「創造を司る霊的想念」を胎動させているところである。容易に分かり易くするために、アブソル-タムの創造エネルギ-を「創造の源」と呼び、我々が住 む宇宙を新たに創造した新しい思考を「進化の初期段階にある被造物」、あるいはシンプルに「創造の萌芽=ゾハ-ル」と呼ぶことにする。
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「 思考の螺旋状エネルギ- 」
数年間が過ぎた後にも、我々の宇宙を生んだ「創造の萌芽」は依然として小さな思考形式 のままであり、成長するために何をすべきかを論理的に考え答えを見つけようと努力していた。思考とはそれ自体が動きを持つエネルギ-なので、この思考形式をごく近くから観 察するなら、それが螺旋を描いて回転している様子が見えるはずだ。この螺旋は多次元にわたる細い道から成っており、小さな思考、つまり「理念」のエネルギ-の流れを一定の 方向に導いている。この螺旋の形は「理念」が形となった時に「創造の源」によって自然に創り出されるもので、これから先永遠に「創造の萌芽」の中のエネルギ-の流れをコン トロ-ルする役目を果たす。多次元に亘る螺旋を三次元世界で分かり易く描くのは不可能と思われる。
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「 ゾハ-ルとは 」
我々の宇宙を創造するという芽生えたばかりの「理念」は、螺旋の中で脈動するがごとく に振動している。「理念」の思考力(叡智)は亀の様にゆっくりと成長しつつある。数十億年の後、この卵形の螺旋状エネルギ-は、自らを成長させる方法に関する理解を深めて 、爆発しゾハ-ルと呼ばれる燦々たる光に変わるのである。この光を創り出した「創造の源」に助けられながら、この小さな「創造の萌芽」は物質的宇宙を進化させる事が出来る 大きさにまで発達する。ゾハ-ルはアブソル-タムの中の、他の幾多の宇宙の中で揉まれながら、自分の領域を確保するべくなんとか自分自身を押し広げ、確保した領域を新たな 物質的宇宙の進化に役立たせる。この段階では星や物質はまだ一切存在せず、叡智と知識とを持つ霊的な「精妙な素材」があるのみである。ゾハ-ルの持つ叡智と知識は、「理念 」が数十億年の歳月をかけた経験から学んだ論理的思考そのものであり、この叡智と知識を学びとる際には、生みの親である「創造の源」の手助けが少しばかり手助けしている。
美しく脈動するゾハ-ルは、今ではアブソル-タムの中の多くの宇宙の仲間の一つとして 姿を見せ、経験から学んだ「功徳」を用いて「創造の源」と「創造の萌芽」の進化に貢献し始めたばかりである。この様にしてゾハ-ルはアブソル-タムの中での自分の存在位置 を確保し、現存する10の49乗の数にのぼる宇宙の一員となった訳である。我々の宇宙を含む「創造の萌芽」は、常に霊的エネルギ-、及び物質と一体であるが、現段階では霊 的性質しか備わっていない。と言うのはゾハ-ルはまだ、ようやく物質を創造する方法を理解出来るまでに進化したばかりだからである。ゾハ-ルの進化は気の遠くなるほど緩慢 であり、それから先、何兆年もの歳月をかけて進化していくことになる。何故ならゾハ-ル即ち創造の萌芽が叡智や知識を集めて蓄積する速度は非常に緩慢であり、どの様な知識 でも一つ一つ段階を追って学習することが不可欠だからである。どの様な生命も例外なく、飛び級する様に学習過程を省略して次ぎに進むことは許されておらず、全て順を追って 経験を蓄積しながら発展していかねばならない。段階を経ながら進化すると言う方法は、あらゆる生命形態のものが守らねばならない法則である。生命体に課されるこの法則は「 創造の第一法則」の一つであるとも言える。
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「 ウルとは 」
「新たな創造の霊」が前述の段階まで進化すると、今度は「創造の源」がウルと呼ばれる 特殊なエネルギ-を送り、その成長の手助けをする。ウルは「創造の源」による最初の、そして最も重要な霊的エネルギ-であり、これは超空間の創造を司るエネルギ-でもある 。ウルは高次に進化した霊的エネルギ-であり、自分以外の霊的形式のものを創造することも出来る。この地球の属する宇宙の創造プロセスの場合、ウルは「創造の萌芽」すなわ ちゾハ-ルに対して、より論理的に考える事が出来るように思考能力を授ける役目を果たす。更にウルは、この新たな宇宙の赤ん坊に、感じ、理解し、感覚によって分別し、論理 的に考える能力を授け、また宇宙という概念を与えたのである。
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「 新たなる物質的宇宙の形成 」
「創造の萌芽」即ちゾハ-ルは、今では新たに授けられた思考力と論理的分別の能力を駆 使して、宇宙と時間を創造した。時間と空間とは、それから生まれ出る物質的宇宙の基盤を形成し始める重要な要素となる。まず「創造」はエネルギ-帯を創造したが、このエネ ルギ-帯は霊的エネルギ-の空間や時間を多くの層、あるいは帯に分ける役目を果たす。見た目には螺旋はまるで丸太を切った断面を見ている様に見えるはずだ。「創造の萌芽」 の中心部には最も進化レベルの高い創造のエネルギ-、即ちアブソル-タムが存在し、その周りの帯(二番目、三番目の帯)はアブソル-タムよりも僅かに進化レベルが低く、輝 きも劣っている。三番目と四番目の帯はエネルギ-の度合いが中心部よりも更に小さく、この新しい物質的宇宙の進化発達を継続させるための様々な役割を果たす。五番目の帯は 「物質の帯」と呼ばれ最も重要である。何故なら宇宙の物質的な部分の全てがそこに形成されるからである。星や惑星、物質的生命体などの全ては、この五番目の帯にしか存在し ない。その他のエネルギ-帯の全ては霊的エネルギ-が様々な形で存在している状態であり、物質的なエネルギ-帯の発達に関わると共に、常に霊的性質を保ち、決して物質を含 む事はない。
物質的なエネルギ-帯を創造して、自らの継続的な進化に役立たせようとするのは「創造 の萌芽」の目的の一つである。「創造の萌芽」の霊的エネルギ-は、それ自身でものを考え、論理的思考をまとめる事ができ、感じることも出来る。しかし進化するためには自分 で思考したり感じたりするだけでは不十分で、高次の意識レベルを備えた生命形態を進化発達させることが必須である。以上が物質的帯の存在理由である。五番目と六番目の帯の 間には、「変化の帯」と呼ばれる創造的エネルギ-の層があり、この層はエネルギ-の性質変換に関わっている。六番目の帯は宇宙飛行に利用されることもある。と言うのは、こ こでの時間の性質が異なるので、気が遠くなるほどの時間と距離を数秒で移動出来るからである。宇宙の一番外側を構成する七番目の帯は、他の宇宙からの影響やエネルギ-を遮 断して、この宇宙を守る役目を果たしている。宇宙はその生みの親である創造の進化レベルに基づく物質的要素から作られているので、進化レベルの異なる宇宙同士は互いに良い 影響は与える事が出来ない。守りの帯は外宇宙の影響やエネルギ-から我々を守り、他の宇宙をはねつける役割を担っている。
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「 物質の創造 」
創造が進化を続けるに従って、創造の霊的エネルギ-はいっそう複雑な多くの叡智を含ん だものとなる。また、創造の進化レベルが上昇するにつれて霊的エネルギ-量も増大する。なぜ創造の進化と霊的エネルギ-の増加が関係するかと言うならば、思考はエネルギ- であることから、思考の複雑さが増すにつれてそこに含まれる力が増大し密度を生むからである。固体状の建築用ブロックの役割を果たす中性子、陽子、電子などの成分は、この 様な霊的エネルギ-の上昇に伴う思考力の増加によって生まれるのである。これらの成分が化学混合物の原子を作り、地球の科学者達でなんとか理解出来ている固形状の被膜の様 なものを形成する。つまり「創造の源」となるエネルギ-は完全に純粋な物質であり、「創造の源」のエネルギ-によって創られた物質は完全に純粋なエネルギ-なのである。我 々の宇宙全体は物質とエネルギ-とによって作られている。「コ-ス・マタ-:物質」、「ファイン・マタ-:エネルギ-」と言う等式が成り立つと考えるならば、読者にとって は理解し易いかもしれません。
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「 物質の進化 」
多くの宇宙がひしめく空間から「物質的宇宙」の進化のための居場所を確保した宇宙の大 元である明るい光のゾハ-ルは、自分に閃いた考えに従ってそうしたに過ぎない。しかし、ゾハ-ルと言う光のこの考えには卓越した知性が含まれている。またゾハ-ルの思考は 純粋なエネルギ-形式のものである。このままゾハ-ルが考えることを続けていくと、その思考は「意識」へと発展し、更に「意志」へと進化する。意志は十分な密度を持つまで に進化し、今度は「フラッフィ・マタ-:綿毛の様にふわふわした物質」と呼ばれる物質にまで発達する。フラッフィ・マタ-はガス体に変わる前の段階の多次元的螺旋に適応し ながら、振動、回転するエネルギ-体である。フラッフィ・マタ-が作られてからは宇宙を作る全ての要素が、どの様に組み立てられるかの詳細な計画が、ようやくそこに収めら れることになる。フラッフィ・マタ-が進化を続けて一定の進化レベルに達すると、最初の気体である水素が作られる。水素が作られた段階では、既に核の中にプラスの電荷を持 ち、その周囲に単一の電子が回転する元素が誕生している。この様にして物質が作られるが、この物質は知性を備えた動的エネルギ-体であり、この物質の持つ知性とは、そもそ も、この創造を思いついた「進化し続ける」叡智を含んでいる。
物質をエネルギ-に変換したり、その逆の変換をする機械を創造するのは不可能ではない 。「物質」とは相当の大きさを持つ「思考」なのだと考えるべきであり、あらゆるエネルギ-は全て固体に変換が可能である。必要なのは非常に大きな力を加えてエネルギ-を凝 縮させ高密度にすることだけだ。エネルギ-を物質に変換すると言う営みは創造が何兆年もの歳月をかけて、ゆっくりと自然の法則に従って行っている営みである。そもそも物質 を創造しようと言う考えを実行に移したのは、他ならぬ創造そのものなのだから、創造の思考が物質にまで進化するのは当然と言えるであろう。創造の霊としての本質は自分の思 いつきを時間をかけて濃縮・凝縮してファイン・マタ-・エネルギ-に変換し、それが更に密度を増してコ-ス・マタ-となる。以上が五番目の帯の霊的エネルギ-が時間をかけ て進化し、最終的に幾多の星や惑星、そして生命体が生を営む「物質的宇宙」にまで進化を遂げるプロセスの全貌である。
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「 時間の始まり 」
宇宙を構成する物質の帯に含まれるエネルギ-が進化し始め次第に密度を増していくに従 い、「時間」という要素(原子)が動き始める。時間とはエネルギ-であり、波動として物質の帯に含まれるコ-ス・マタ-の自転や回転、動きなどを生じさせる大元である。時 間が自分の役割を果たし始めるのは時間というエネルギ-が気体となって、前述したフラッフィ・マタ-になるまでに凝縮してからのことである。時間が自分の役割を果たし始め るのは物質の帯の内部だけである。何故なら、我々が知っている通り、時間とはただそこに存在するだけの性質のものだからである。時間は物質の帯を通してその速度を速めるに 従って、多次元的螺旋によって予め決められていた通りに動き始める。螺旋は時間に限らずあらゆるエネルギ-を適切な方向へと導く役割を担っている。プレアデス人は次元が2 2個以上あるということまでは解明したが、それでもなお、彼等がまだ見つけていない次元が依然としてどこかにあるはずだと感じているらしい。物質を作る元素は次元によって 異なっており、ある次元では存在出来ないこともある。
次元の中に我々になじみの物質的時間を持つものもあれば、三次元世界の時間の流れをは るかに超える速度で時間が経過する次元もある。逆に限りなくゆっくりと時間が流れていく次元も存在するのだ。物質の帯の中で時間が経過し始めると、フラッフィ・マタ-の自 転と回転が始まり波動を持つようになる。フラッフィ・マタ-の自転・回転速度は時間の経過速度に従って変化する。この様にして進化が進むにつれてフラッフィ・マタ-はゆっ くりと気体状の形態へと変化し、我々が住む地球の様な星を形作っていく。そして最終的にフラッフィ・マタ-の進化が一定のレベルに達すると、高等知性体が住める様な環境を 提供する星となるのである。この様にして、時間の開始に導かれてゆっくりと星の進化が進む一方で、その星に関係するあらゆるものが営みを始める。物質を構成する原子未満の あらゆる粒子の回転速度を制御することによって、我々の住む三次元世界、星や惑星、空間などが一つになり、ようやく人間の目にも認識出来る固体としての物質的世界へと姿を 変えるのです。
時間の存在なしには物質は一つにまとまることがなく、夫々が勝手にくっつき合ったりは じき合ったりしてしまい、星や惑星のようにきちんと粒子が固体に進化することはまずあり得ない。我々は五感のうち視覚を使って世界を知覚する。身の回りのものが固体として 存在し、生命などの固体的物質を認知することによって、物質が特定の速度で動き変化していることを知る。それこそが我々が時間と呼ぶものの本質である。我々は一瞬一瞬、物 質が変遷していく様子を知覚することで時間を認知し、その時間の流れを測定するために、時計という道具に頼る。事象の盛衰が我々の五感の目には切れ目のない流れとして見え るのは、我々が時間の流れを五感という物質的器官だけに頼って認知しているからである。顕微鏡を覗けば我々は物質を作っている究極的なもの(粒子・クオ-ク)が回転してい る様子を実際に見ることが出来る。顕微鏡のようなものに頼らずに我々の目で見えないものがある。
それはあらゆる物質というものが恒常的に粒子の回転を通じて回転し動いており、その動 きは、その物質を懐に入れている宇宙が存在する限り永続すると言う事実である。従って「物質は絶え間なく永遠に動き変遷する」という事実は、この広大な宇宙で最も自然なこ となのである。つまり我々の五感(視覚、触覚、嗅覚、聴覚、味覚)は、ただ単に森羅万象のミクロ的な変遷の様子を知覚出来ないだけのことである。
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「 時間の中での事物の動き 」
時間に備わる振動エネルギ-は、我々の住む三次元世界で絶えず動き変化しており、あら ゆる物質を一つの固体として繋ぐ役目を果たす粒子の淀みないエネルギ-としての流れによって生じている。例えば、月が無数の粒子の集まった固体として留まり決してバラバラ になることがないのも、時間が月を構成する粒子の動きを制御しているからに他ならない。だが仮に我々が手を加えて月を構成している粒子の動きを邪魔したら一体何が起こるだ ろうか。月は時間の枠の外へ出てしまうのだろうか。第一に、究極的ミクロにまで分解すると月は単に回転する粒子の集合体となる。月を構成する粒子の振動は3種類に分ける事 が可能である。即ちプラスの電荷、マイナスの電荷、そしてどちらでもない中性の電荷である。時間を究極的ミクロの段階まで細かく刻んでいけば数十億分の一秒と言う時間の中 で、粒子がこれら3つの電荷を行き来しながら振動しているのが見えるはずだ。そして粒子がプラスの電荷を帯びている時には物質としての姿をしている。ゼロの電荷、即ち中性 の電荷を帯びた状態では反物質、あるいは非物質的形態となる。
更にマイナスの電荷の時には再び物質に変化する。物質->反物質->物質という粒子の 回転のサイクルは、エネルギ-の波動として流れている時間によって制御されている。従って月を構成している粒子の全ては一定の速度で振動しており同時にプラス、マイナス、 中性の電荷を帯びていることになる。この例の様に一定の速度で粒子が同時に3種類の電荷を帯び、従って物質と反物質の両方の状態で同時に存在出来る場合、それは我々の目に は固体として映ることになる。もし物質を構成するあらゆる粒子が思い思いの勝手な回転や活動をしてしまうと、その様な粒子で作られている物質は固体として存在することが不 可能となる。ある仮定をしてみよう。タイムマシンのスピ-ドダイアルを回し続けて、どんどん月の粒子の速度を遅らせると最後には月は我々の視界から全く見えなくなってしま うだろう。なぜ我々の目では見えなくなってしまうかと言うと、我々の備わる五感の目は事物を「三次元世界で一般的な時間」の中で認知しているからである。タイムマシンのス ピ-ドダイアルによって粒子の回転速度を遅らせられた月は三次元世界の時間の枠外へ行ってしまい、
その結果へとタイムトラベルしてしまうのだ。ところで過去へ行ってしまった月をもう一 度三次元世界へ呼び戻せるかと言うと、何等かの方法で粒子の回転速度を上げ、三次元世界の他の物質と同じ速度にまで追いつけるようにさせればよい。タイムマシンのスピ-ド ダイアルをひねって粒子の回転速度を上げない限りタイムマシンを使っていったん時間の枠外に出てしまったものを再び元の状態に戻すことは不可能である。忘れてはならない事 は時間というものが始まったのは何兆年も昔に溯り、フラッフィ・マタ-が生の営みを始めたのもその時であるという事実である。何兆年もの昔、時間の始まりと共に宇宙を構成 する物質の自転・公転も始まったのだ。またこう表現することが出来るかも知れない。創造の時計が時を刻み始めたことの影響を受けて以来、宇宙のあらゆる粒子が「創造の源」 の時間の流れに従って回転し始めたのだと。要は時間が始まったのは気が遠くなるほどの太古であるという事実である。我々の住む物質界に存在するあらゆる粒子は「創造の源」 が定めた多次元的螺旋を辿って止むことなく動き続けており、粒子の活動が始まったのは遥か昔に溯る。
仮に我々が螺旋の細かな部分までじかに見られるとしたら「時間のエネルギ-」によって 定められた速度で動いている我々の三次元世界の様子を目の当たりにするだろう。ミクロ的な目で見た螺旋の中では、時間の一刻一刻が粒子の形をしているのが見えるはずだ。物 質界は電荷を持つ粒子の全ての通り道を作るが、螺旋を見れば粒子が通過した跡を辿ることが出来る。霊的エネルギ-は螺旋の道にくっついているのではなく、螺旋の道を流れて いるのだと考えて欲しい。そう考えると、まず我々の本質は霊であり、ただ単に物質的肉体を仮の宿にしているに過ぎず、従って我々の霊としての本質も他のものと同様に螺旋の 道に付着しているのではなく、螺旋の道を時間の流れに合わせて行き来しているのだと考えられる。映画のフィルムが一巻あるところを想像してみて欲しい。フィルムの一部を光 にかざしてじっとそれを動かさずに見ると、そこに写っている個々の映像が透けて見えるはずだ。今度はフィルムを目の前で一定の速度で動かしてみると今まで静止していた画像 が滑らかに流れる様に見える。
映画の場合、フィルムは毎秒24コマの速さで動くようにしてある。映画のフィルムは螺 旋の道に沿って流れている我々の物質世界に良く似ている。我々一人一人の霊的自己は映画のフィルムの動きを追っている目の様なものである。映画のフィルムは毎秒24コマの 速度で動くが、時間と言うものは凡そ無限にまで細かく刻む事が可能である。我々の知っている三次元世界を作り上げている無限の粒子達は、毎秒数十億回の速度で回転しており 、そうすることで滑らかに流れる様に動く物質、三次元世界という「幻影」を創り出しているのである。もしも西暦1000年の月を見てみたいと望むなら、その姿は螺旋の道の 中に見いだせるはずである。人間の霊としての本質は瞑想することによって時間を遡ることが出来る。瞑想を通じて「霊」は人間の物質的身体に付随する物質的意識から遊離し、 螺旋の道を辿って異次元の時間の枠を見たり、或いはそこを訪れる事が出来るのだ。過去に起こったあらゆる事象は全て螺旋の道に留められており、螺旋の道に留められているも のに手を加えて変更させることは不可能である。
また未来とは、現在に基づいてこれから起こる事の投影を指す言葉に他ならない。過去と は異なり未来の場合には、それはまだ螺旋の道に留められてはいないため、いくらでも変化させる事が可能である。以上の説明から分かることは、過去に生じたあらゆる事柄は螺 旋の中に留められており、何等かの手段でそれを訪ね見る事が出来る一方、未来の事象はまだ出来上がってはおらず、現在によって様々に変化する可能性を帯びていると言う事実 である。以上のことをまとめると、要するに存在する全ての歴史や過去は螺旋の中に全て収められており、その配列にはその事柄が生じた時期は反映されておらず、あらゆる過去 は全て同時期のものとして螺旋の中では扱われている。従って、あらゆる存在の過去の情報や知識を収めた巨大な貯蔵庫、即ち螺旋は、いつでもアクセス出来る情報と知識の宝庫 である。必要なことは、その叡智の宝庫にアクセスする手段を身に付けること、及び自分が一体何を学びたいかを決めることである。
またプレアデス人のビ-ムシップの様に超空間にアクセスすることによって、時間を旅す るタイムトラベル用マシンを建造することも可能である。超空間を利用して時間を旅するビ-ムシップの様な方法の場合、ビ-ムシップを構成する粒子の回転速度をコントロ-ル することで、ビ-ムシップを非物質化して超空間を突破してから再びビ-ムシップを物質化して三次元世界に戻るというプロセスを辿ることになる。このビ-ムシップの様な高等 な科学技術を開発し、使いこなせる様になるためには、まず地球人が霊的世界と物質的世界についての理解を深める事が不可欠である。と言うのも、この2つの世界を完全に理解 することによって、宇宙の仕組みに関する知識を深め、宇宙について完全に理解して初めてビ-ムシップの様な科学技術を駆使することが可能になるからである。
続く・
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転載: ありのままに http://19750108.blog77.fc2.com/blog-entry-2.html
我々地球人の殆どにとって、宇宙はただ広いと言うことのみが分かっている。そこには名もない無限の銀河系や星団、ブラックホ-ル、ホワイトホ-ルなどがあり、光年という単 位で測られる無限の空間である。宇宙の正確な大きさや形、そして、それがどの様に始まったのかについては殆ど分かっていない。最新の科学ではビッグバン理論なるものが非常 に話題になっている。しかしそれは、宇宙を理解するためには、ほんの少しばかり手掛かりを与えてはくれるが、殆どの人にとってはその理論すらよく分からないと言える。また 宇宙にはある種の神の御力、あるいは創造のエネルギ-が存在し、その様な存在の力こそが宇宙創造に関わったであろう事については、殆どの人が同意するであろう。地球の科学 者達が物質的宇宙に関して論理的説明をしようと研究にいそしんでいる一方で、我々の霊的指導者達は創造のエネルギ-の役割について理解を深めようと試みている。科学者と魂 の理解に努める者とが、宇宙についての見解を一致させる事は滅多にないが、究極的には両者は共通の結論に達しようとしている。
その結論とは物質的世界と霊的世界と、どちらも宇宙を作る一部であり、そのどちらが欠 けても宇宙は存在し得ない、と言う事である。宇宙の創造プロセスについての理解を深めるために、まずプレアデス人の科学技術を理解すると言う基本的なことから始めたい。彼 等は時間の枠外へ旅して宇宙がまさに創られるところを探検して来ただけではなく、時空という制限を超えて、自分達(プレアデス人)よりはるかに進化した他の種族達から、「 創造」の永遠の進化という神秘について学んだのである。この情報に関する信憑性のほどは読者の皆さんに理解して頂き、判断してもらう他はない。しかし残念ながら、今のとこ ろ我々地球人にそれを判断出来るような科学力はない。我々の住む世界(宇宙)は、プレアデス人によると「アブソル-タム」と呼ばれる卵形の「創造の広大なエネルギ-領域」 に包まれているという。およそ人知を超えたアブソル-タムと呼ばれる霊的エネルギ-に満ちた領域には、10の49乗の数の宇宙がすっぽりと含まれている。今のところプレア デス人は、あちこちの宇宙を旅して回ることしか出来ないが、夫々の宇宙の大きさが僅かながら異なり、形は似ているが夫々進化レベルに差があるということを、彼等は実際の探 検によって理解している。
プレアデス人はアブソル-タムと言うものが、それを凌駕する「創造」の力の中にあると 信じているが、アブソル-タムと創造の力との関係については、まだ何も知らない。アブソル-タムの霊的エネルギ-のことは創造の在り方そのものである。覚えておいて頂きた いのは、「創造」は物質的形態では存在しないと言うことである。一般的に創造は霊と呼ばれる「高等知性体」として存在する。創造は非物質的な姿で存在する生命形態であり、 自らの広大さに含まれる全ての生命形態の霊的エネルギ-から構成されている。アブソル-タムと呼ばれる広大な「創造」の存在は、それ自身で生を営み、自然の法則として進化 し続ける存在である。進化とは即ち学習することである。ものを考えるプロセスはエネルギ-を創りだし、創り出されたエネルギ-は論理的な一連の思考となり、その結果として 知識が生じるという順序になるのだ。知識がより複雑になると、それは経験を通して学ばれて知恵となる。そして、この経験を通じて得られた知恵こそが、霊的成長を作り出すの である。
霊的エネルギ-が進化し続けるためには物質的生命体を創造することが不可欠であり、霊 的エネルギ-によって創造された物質的生命体は、経験による学習を通じてこれもまた成長する。つまり「創造」の霊的エネルギ-は進化を通じて自らを成長させるためには、物 質的生命体を創造することが絶対不可欠であると言うことを「知って」いるのである。この創造のエネルギ-が創造した物質的生命形態こそが、我々が宇宙と呼んでいるものなの である。事の発端は、アブソル-タムの創造エネルギ-が新たに物質的宇宙を創造することで、自らの進化を続けようと考えた事であった。創造のエネルギ-によるこの思考は、 独自の「意識」としてある種の形になるまで絶え間なく続けられました。もしも、創造のエネルギ-によるこの小さな思考を目で見ることが出来たとしたならば、それは「卵形」 をしていることに気づくだろう。思考が意識として確実なものになる以前の段階では、この芽生えたばかりの小さな思考は、アブソル-タムの霊的エネルギ-が集まったプ-ル状 のものの中に、既に物質として存在している多くの宇宙と共に存在している。
この小さな思考には物質的宇宙を創造する「永遠で理想的な本質(理念)」が含まれてい る。この若い思考はアブソル-タムの広大無辺な空間の中ではノミほどの大きさもない。アブソル-タム、即ち創造の霊的エネルギ-は、「理念」を持つことによって進化し続け ることが可能になるのであり、この営みはあらゆる生命体に課された営みである。「理念」は自らの懐の中でまだ生の営みを始めたばかりであるため実に小さく「物質的宇宙」を 発達させていく新たな「創造を司る霊的想念」を胎動させているところである。容易に分かり易くするために、アブソル-タムの創造エネルギ-を「創造の源」と呼び、我々が住 む宇宙を新たに創造した新しい思考を「進化の初期段階にある被造物」、あるいはシンプルに「創造の萌芽=ゾハ-ル」と呼ぶことにする。
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「 思考の螺旋状エネルギ- 」
数年間が過ぎた後にも、我々の宇宙を生んだ「創造の萌芽」は依然として小さな思考形式 のままであり、成長するために何をすべきかを論理的に考え答えを見つけようと努力していた。思考とはそれ自体が動きを持つエネルギ-なので、この思考形式をごく近くから観 察するなら、それが螺旋を描いて回転している様子が見えるはずだ。この螺旋は多次元にわたる細い道から成っており、小さな思考、つまり「理念」のエネルギ-の流れを一定の 方向に導いている。この螺旋の形は「理念」が形となった時に「創造の源」によって自然に創り出されるもので、これから先永遠に「創造の萌芽」の中のエネルギ-の流れをコン トロ-ルする役目を果たす。多次元に亘る螺旋を三次元世界で分かり易く描くのは不可能と思われる。
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「 ゾハ-ルとは 」
我々の宇宙を創造するという芽生えたばかりの「理念」は、螺旋の中で脈動するがごとく に振動している。「理念」の思考力(叡智)は亀の様にゆっくりと成長しつつある。数十億年の後、この卵形の螺旋状エネルギ-は、自らを成長させる方法に関する理解を深めて 、爆発しゾハ-ルと呼ばれる燦々たる光に変わるのである。この光を創り出した「創造の源」に助けられながら、この小さな「創造の萌芽」は物質的宇宙を進化させる事が出来る 大きさにまで発達する。ゾハ-ルはアブソル-タムの中の、他の幾多の宇宙の中で揉まれながら、自分の領域を確保するべくなんとか自分自身を押し広げ、確保した領域を新たな 物質的宇宙の進化に役立たせる。この段階では星や物質はまだ一切存在せず、叡智と知識とを持つ霊的な「精妙な素材」があるのみである。ゾハ-ルの持つ叡智と知識は、「理念 」が数十億年の歳月をかけた経験から学んだ論理的思考そのものであり、この叡智と知識を学びとる際には、生みの親である「創造の源」の手助けが少しばかり手助けしている。
美しく脈動するゾハ-ルは、今ではアブソル-タムの中の多くの宇宙の仲間の一つとして 姿を見せ、経験から学んだ「功徳」を用いて「創造の源」と「創造の萌芽」の進化に貢献し始めたばかりである。この様にしてゾハ-ルはアブソル-タムの中での自分の存在位置 を確保し、現存する10の49乗の数にのぼる宇宙の一員となった訳である。我々の宇宙を含む「創造の萌芽」は、常に霊的エネルギ-、及び物質と一体であるが、現段階では霊 的性質しか備わっていない。と言うのはゾハ-ルはまだ、ようやく物質を創造する方法を理解出来るまでに進化したばかりだからである。ゾハ-ルの進化は気の遠くなるほど緩慢 であり、それから先、何兆年もの歳月をかけて進化していくことになる。何故ならゾハ-ル即ち創造の萌芽が叡智や知識を集めて蓄積する速度は非常に緩慢であり、どの様な知識 でも一つ一つ段階を追って学習することが不可欠だからである。どの様な生命も例外なく、飛び級する様に学習過程を省略して次ぎに進むことは許されておらず、全て順を追って 経験を蓄積しながら発展していかねばならない。段階を経ながら進化すると言う方法は、あらゆる生命形態のものが守らねばならない法則である。生命体に課されるこの法則は「 創造の第一法則」の一つであるとも言える。
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「 ウルとは 」
「新たな創造の霊」が前述の段階まで進化すると、今度は「創造の源」がウルと呼ばれる 特殊なエネルギ-を送り、その成長の手助けをする。ウルは「創造の源」による最初の、そして最も重要な霊的エネルギ-であり、これは超空間の創造を司るエネルギ-でもある 。ウルは高次に進化した霊的エネルギ-であり、自分以外の霊的形式のものを創造することも出来る。この地球の属する宇宙の創造プロセスの場合、ウルは「創造の萌芽」すなわ ちゾハ-ルに対して、より論理的に考える事が出来るように思考能力を授ける役目を果たす。更にウルは、この新たな宇宙の赤ん坊に、感じ、理解し、感覚によって分別し、論理 的に考える能力を授け、また宇宙という概念を与えたのである。
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「 新たなる物質的宇宙の形成 」
「創造の萌芽」即ちゾハ-ルは、今では新たに授けられた思考力と論理的分別の能力を駆 使して、宇宙と時間を創造した。時間と空間とは、それから生まれ出る物質的宇宙の基盤を形成し始める重要な要素となる。まず「創造」はエネルギ-帯を創造したが、このエネ ルギ-帯は霊的エネルギ-の空間や時間を多くの層、あるいは帯に分ける役目を果たす。見た目には螺旋はまるで丸太を切った断面を見ている様に見えるはずだ。「創造の萌芽」 の中心部には最も進化レベルの高い創造のエネルギ-、即ちアブソル-タムが存在し、その周りの帯(二番目、三番目の帯)はアブソル-タムよりも僅かに進化レベルが低く、輝 きも劣っている。三番目と四番目の帯はエネルギ-の度合いが中心部よりも更に小さく、この新しい物質的宇宙の進化発達を継続させるための様々な役割を果たす。五番目の帯は 「物質の帯」と呼ばれ最も重要である。何故なら宇宙の物質的な部分の全てがそこに形成されるからである。星や惑星、物質的生命体などの全ては、この五番目の帯にしか存在し ない。その他のエネルギ-帯の全ては霊的エネルギ-が様々な形で存在している状態であり、物質的なエネルギ-帯の発達に関わると共に、常に霊的性質を保ち、決して物質を含 む事はない。
物質的なエネルギ-帯を創造して、自らの継続的な進化に役立たせようとするのは「創造 の萌芽」の目的の一つである。「創造の萌芽」の霊的エネルギ-は、それ自身でものを考え、論理的思考をまとめる事ができ、感じることも出来る。しかし進化するためには自分 で思考したり感じたりするだけでは不十分で、高次の意識レベルを備えた生命形態を進化発達させることが必須である。以上が物質的帯の存在理由である。五番目と六番目の帯の 間には、「変化の帯」と呼ばれる創造的エネルギ-の層があり、この層はエネルギ-の性質変換に関わっている。六番目の帯は宇宙飛行に利用されることもある。と言うのは、こ こでの時間の性質が異なるので、気が遠くなるほどの時間と距離を数秒で移動出来るからである。宇宙の一番外側を構成する七番目の帯は、他の宇宙からの影響やエネルギ-を遮 断して、この宇宙を守る役目を果たしている。宇宙はその生みの親である創造の進化レベルに基づく物質的要素から作られているので、進化レベルの異なる宇宙同士は互いに良い 影響は与える事が出来ない。守りの帯は外宇宙の影響やエネルギ-から我々を守り、他の宇宙をはねつける役割を担っている。
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「 物質の創造 」
創造が進化を続けるに従って、創造の霊的エネルギ-はいっそう複雑な多くの叡智を含ん だものとなる。また、創造の進化レベルが上昇するにつれて霊的エネルギ-量も増大する。なぜ創造の進化と霊的エネルギ-の増加が関係するかと言うならば、思考はエネルギ- であることから、思考の複雑さが増すにつれてそこに含まれる力が増大し密度を生むからである。固体状の建築用ブロックの役割を果たす中性子、陽子、電子などの成分は、この 様な霊的エネルギ-の上昇に伴う思考力の増加によって生まれるのである。これらの成分が化学混合物の原子を作り、地球の科学者達でなんとか理解出来ている固形状の被膜の様 なものを形成する。つまり「創造の源」となるエネルギ-は完全に純粋な物質であり、「創造の源」のエネルギ-によって創られた物質は完全に純粋なエネルギ-なのである。我 々の宇宙全体は物質とエネルギ-とによって作られている。「コ-ス・マタ-:物質」、「ファイン・マタ-:エネルギ-」と言う等式が成り立つと考えるならば、読者にとって は理解し易いかもしれません。
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「 物質の進化 」
多くの宇宙がひしめく空間から「物質的宇宙」の進化のための居場所を確保した宇宙の大 元である明るい光のゾハ-ルは、自分に閃いた考えに従ってそうしたに過ぎない。しかし、ゾハ-ルと言う光のこの考えには卓越した知性が含まれている。またゾハ-ルの思考は 純粋なエネルギ-形式のものである。このままゾハ-ルが考えることを続けていくと、その思考は「意識」へと発展し、更に「意志」へと進化する。意志は十分な密度を持つまで に進化し、今度は「フラッフィ・マタ-:綿毛の様にふわふわした物質」と呼ばれる物質にまで発達する。フラッフィ・マタ-はガス体に変わる前の段階の多次元的螺旋に適応し ながら、振動、回転するエネルギ-体である。フラッフィ・マタ-が作られてからは宇宙を作る全ての要素が、どの様に組み立てられるかの詳細な計画が、ようやくそこに収めら れることになる。フラッフィ・マタ-が進化を続けて一定の進化レベルに達すると、最初の気体である水素が作られる。水素が作られた段階では、既に核の中にプラスの電荷を持 ち、その周囲に単一の電子が回転する元素が誕生している。この様にして物質が作られるが、この物質は知性を備えた動的エネルギ-体であり、この物質の持つ知性とは、そもそ も、この創造を思いついた「進化し続ける」叡智を含んでいる。
物質をエネルギ-に変換したり、その逆の変換をする機械を創造するのは不可能ではない 。「物質」とは相当の大きさを持つ「思考」なのだと考えるべきであり、あらゆるエネルギ-は全て固体に変換が可能である。必要なのは非常に大きな力を加えてエネルギ-を凝 縮させ高密度にすることだけだ。エネルギ-を物質に変換すると言う営みは創造が何兆年もの歳月をかけて、ゆっくりと自然の法則に従って行っている営みである。そもそも物質 を創造しようと言う考えを実行に移したのは、他ならぬ創造そのものなのだから、創造の思考が物質にまで進化するのは当然と言えるであろう。創造の霊としての本質は自分の思 いつきを時間をかけて濃縮・凝縮してファイン・マタ-・エネルギ-に変換し、それが更に密度を増してコ-ス・マタ-となる。以上が五番目の帯の霊的エネルギ-が時間をかけ て進化し、最終的に幾多の星や惑星、そして生命体が生を営む「物質的宇宙」にまで進化を遂げるプロセスの全貌である。
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「 時間の始まり 」
宇宙を構成する物質の帯に含まれるエネルギ-が進化し始め次第に密度を増していくに従 い、「時間」という要素(原子)が動き始める。時間とはエネルギ-であり、波動として物質の帯に含まれるコ-ス・マタ-の自転や回転、動きなどを生じさせる大元である。時 間が自分の役割を果たし始めるのは時間というエネルギ-が気体となって、前述したフラッフィ・マタ-になるまでに凝縮してからのことである。時間が自分の役割を果たし始め るのは物質の帯の内部だけである。何故なら、我々が知っている通り、時間とはただそこに存在するだけの性質のものだからである。時間は物質の帯を通してその速度を速めるに 従って、多次元的螺旋によって予め決められていた通りに動き始める。螺旋は時間に限らずあらゆるエネルギ-を適切な方向へと導く役割を担っている。プレアデス人は次元が2 2個以上あるということまでは解明したが、それでもなお、彼等がまだ見つけていない次元が依然としてどこかにあるはずだと感じているらしい。物質を作る元素は次元によって 異なっており、ある次元では存在出来ないこともある。
次元の中に我々になじみの物質的時間を持つものもあれば、三次元世界の時間の流れをは るかに超える速度で時間が経過する次元もある。逆に限りなくゆっくりと時間が流れていく次元も存在するのだ。物質の帯の中で時間が経過し始めると、フラッフィ・マタ-の自 転と回転が始まり波動を持つようになる。フラッフィ・マタ-の自転・回転速度は時間の経過速度に従って変化する。この様にして進化が進むにつれてフラッフィ・マタ-はゆっ くりと気体状の形態へと変化し、我々が住む地球の様な星を形作っていく。そして最終的にフラッフィ・マタ-の進化が一定のレベルに達すると、高等知性体が住める様な環境を 提供する星となるのである。この様にして、時間の開始に導かれてゆっくりと星の進化が進む一方で、その星に関係するあらゆるものが営みを始める。物質を構成する原子未満の あらゆる粒子の回転速度を制御することによって、我々の住む三次元世界、星や惑星、空間などが一つになり、ようやく人間の目にも認識出来る固体としての物質的世界へと姿を 変えるのです。
時間の存在なしには物質は一つにまとまることがなく、夫々が勝手にくっつき合ったりは じき合ったりしてしまい、星や惑星のようにきちんと粒子が固体に進化することはまずあり得ない。我々は五感のうち視覚を使って世界を知覚する。身の回りのものが固体として 存在し、生命などの固体的物質を認知することによって、物質が特定の速度で動き変化していることを知る。それこそが我々が時間と呼ぶものの本質である。我々は一瞬一瞬、物 質が変遷していく様子を知覚することで時間を認知し、その時間の流れを測定するために、時計という道具に頼る。事象の盛衰が我々の五感の目には切れ目のない流れとして見え るのは、我々が時間の流れを五感という物質的器官だけに頼って認知しているからである。顕微鏡を覗けば我々は物質を作っている究極的なもの(粒子・クオ-ク)が回転してい る様子を実際に見ることが出来る。顕微鏡のようなものに頼らずに我々の目で見えないものがある。
それはあらゆる物質というものが恒常的に粒子の回転を通じて回転し動いており、その動 きは、その物質を懐に入れている宇宙が存在する限り永続すると言う事実である。従って「物質は絶え間なく永遠に動き変遷する」という事実は、この広大な宇宙で最も自然なこ となのである。つまり我々の五感(視覚、触覚、嗅覚、聴覚、味覚)は、ただ単に森羅万象のミクロ的な変遷の様子を知覚出来ないだけのことである。
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「 時間の中での事物の動き 」
時間に備わる振動エネルギ-は、我々の住む三次元世界で絶えず動き変化しており、あら ゆる物質を一つの固体として繋ぐ役目を果たす粒子の淀みないエネルギ-としての流れによって生じている。例えば、月が無数の粒子の集まった固体として留まり決してバラバラ になることがないのも、時間が月を構成する粒子の動きを制御しているからに他ならない。だが仮に我々が手を加えて月を構成している粒子の動きを邪魔したら一体何が起こるだ ろうか。月は時間の枠の外へ出てしまうのだろうか。第一に、究極的ミクロにまで分解すると月は単に回転する粒子の集合体となる。月を構成する粒子の振動は3種類に分ける事 が可能である。即ちプラスの電荷、マイナスの電荷、そしてどちらでもない中性の電荷である。時間を究極的ミクロの段階まで細かく刻んでいけば数十億分の一秒と言う時間の中 で、粒子がこれら3つの電荷を行き来しながら振動しているのが見えるはずだ。そして粒子がプラスの電荷を帯びている時には物質としての姿をしている。ゼロの電荷、即ち中性 の電荷を帯びた状態では反物質、あるいは非物質的形態となる。
更にマイナスの電荷の時には再び物質に変化する。物質->反物質->物質という粒子の 回転のサイクルは、エネルギ-の波動として流れている時間によって制御されている。従って月を構成している粒子の全ては一定の速度で振動しており同時にプラス、マイナス、 中性の電荷を帯びていることになる。この例の様に一定の速度で粒子が同時に3種類の電荷を帯び、従って物質と反物質の両方の状態で同時に存在出来る場合、それは我々の目に は固体として映ることになる。もし物質を構成するあらゆる粒子が思い思いの勝手な回転や活動をしてしまうと、その様な粒子で作られている物質は固体として存在することが不 可能となる。ある仮定をしてみよう。タイムマシンのスピ-ドダイアルを回し続けて、どんどん月の粒子の速度を遅らせると最後には月は我々の視界から全く見えなくなってしま うだろう。なぜ我々の目では見えなくなってしまうかと言うと、我々の備わる五感の目は事物を「三次元世界で一般的な時間」の中で認知しているからである。タイムマシンのス ピ-ドダイアルによって粒子の回転速度を遅らせられた月は三次元世界の時間の枠外へ行ってしまい、
その結果へとタイムトラベルしてしまうのだ。ところで過去へ行ってしまった月をもう一 度三次元世界へ呼び戻せるかと言うと、何等かの方法で粒子の回転速度を上げ、三次元世界の他の物質と同じ速度にまで追いつけるようにさせればよい。タイムマシンのスピ-ド ダイアルをひねって粒子の回転速度を上げない限りタイムマシンを使っていったん時間の枠外に出てしまったものを再び元の状態に戻すことは不可能である。忘れてはならない事 は時間というものが始まったのは何兆年も昔に溯り、フラッフィ・マタ-が生の営みを始めたのもその時であるという事実である。何兆年もの昔、時間の始まりと共に宇宙を構成 する物質の自転・公転も始まったのだ。またこう表現することが出来るかも知れない。創造の時計が時を刻み始めたことの影響を受けて以来、宇宙のあらゆる粒子が「創造の源」 の時間の流れに従って回転し始めたのだと。要は時間が始まったのは気が遠くなるほどの太古であるという事実である。我々の住む物質界に存在するあらゆる粒子は「創造の源」 が定めた多次元的螺旋を辿って止むことなく動き続けており、粒子の活動が始まったのは遥か昔に溯る。
仮に我々が螺旋の細かな部分までじかに見られるとしたら「時間のエネルギ-」によって 定められた速度で動いている我々の三次元世界の様子を目の当たりにするだろう。ミクロ的な目で見た螺旋の中では、時間の一刻一刻が粒子の形をしているのが見えるはずだ。物 質界は電荷を持つ粒子の全ての通り道を作るが、螺旋を見れば粒子が通過した跡を辿ることが出来る。霊的エネルギ-は螺旋の道にくっついているのではなく、螺旋の道を流れて いるのだと考えて欲しい。そう考えると、まず我々の本質は霊であり、ただ単に物質的肉体を仮の宿にしているに過ぎず、従って我々の霊としての本質も他のものと同様に螺旋の 道に付着しているのではなく、螺旋の道を時間の流れに合わせて行き来しているのだと考えられる。映画のフィルムが一巻あるところを想像してみて欲しい。フィルムの一部を光 にかざしてじっとそれを動かさずに見ると、そこに写っている個々の映像が透けて見えるはずだ。今度はフィルムを目の前で一定の速度で動かしてみると今まで静止していた画像 が滑らかに流れる様に見える。
映画の場合、フィルムは毎秒24コマの速さで動くようにしてある。映画のフィルムは螺 旋の道に沿って流れている我々の物質世界に良く似ている。我々一人一人の霊的自己は映画のフィルムの動きを追っている目の様なものである。映画のフィルムは毎秒24コマの 速度で動くが、時間と言うものは凡そ無限にまで細かく刻む事が可能である。我々の知っている三次元世界を作り上げている無限の粒子達は、毎秒数十億回の速度で回転しており 、そうすることで滑らかに流れる様に動く物質、三次元世界という「幻影」を創り出しているのである。もしも西暦1000年の月を見てみたいと望むなら、その姿は螺旋の道の 中に見いだせるはずである。人間の霊としての本質は瞑想することによって時間を遡ることが出来る。瞑想を通じて「霊」は人間の物質的身体に付随する物質的意識から遊離し、 螺旋の道を辿って異次元の時間の枠を見たり、或いはそこを訪れる事が出来るのだ。過去に起こったあらゆる事象は全て螺旋の道に留められており、螺旋の道に留められているも のに手を加えて変更させることは不可能である。
また未来とは、現在に基づいてこれから起こる事の投影を指す言葉に他ならない。過去と は異なり未来の場合には、それはまだ螺旋の道に留められてはいないため、いくらでも変化させる事が可能である。以上の説明から分かることは、過去に生じたあらゆる事柄は螺 旋の中に留められており、何等かの手段でそれを訪ね見る事が出来る一方、未来の事象はまだ出来上がってはおらず、現在によって様々に変化する可能性を帯びていると言う事実 である。以上のことをまとめると、要するに存在する全ての歴史や過去は螺旋の中に全て収められており、その配列にはその事柄が生じた時期は反映されておらず、あらゆる過去 は全て同時期のものとして螺旋の中では扱われている。従って、あらゆる存在の過去の情報や知識を収めた巨大な貯蔵庫、即ち螺旋は、いつでもアクセス出来る情報と知識の宝庫 である。必要なことは、その叡智の宝庫にアクセスする手段を身に付けること、及び自分が一体何を学びたいかを決めることである。
またプレアデス人のビ-ムシップの様に超空間にアクセスすることによって、時間を旅す るタイムトラベル用マシンを建造することも可能である。超空間を利用して時間を旅するビ-ムシップの様な方法の場合、ビ-ムシップを構成する粒子の回転速度をコントロ-ル することで、ビ-ムシップを非物質化して超空間を突破してから再びビ-ムシップを物質化して三次元世界に戻るというプロセスを辿ることになる。このビ-ムシップの様な高等 な科学技術を開発し、使いこなせる様になるためには、まず地球人が霊的世界と物質的世界についての理解を深める事が不可欠である。と言うのも、この2つの世界を完全に理解 することによって、宇宙の仕組みに関する知識を深め、宇宙について完全に理解して初めてビ-ムシップの様な科学技術を駆使することが可能になるからである。
続く・
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転載: ありのままに http://19750108.blog77.fc2.com/blog-entry-2.html