その後10月くらいに、あるクライアントさんで神道のことをやっておられる方ですが、滋賀に実家があるので時々そちらに行き、「原水爆損傷解放ワーク」をお母さんと一緒に読み合わせしながらやっていた。そして3回目の時、70代のお母さんが、「ああよかった。やっと帰ってこられた。プラスチックを火にあぶるとフニャフニャってなるでしょう。実は、原爆が落ちた時に、日本人が全員、ああなっちゃったのよ。でもやっと戻ってこられた。私、ずっとそうだったの」と言ったそうです。
現場を体験して、ぐじゃぐじゃになっちゃったという、70代のお母さんのレポートのおかげで、原爆が落とされたことで何が起きていたかがよくわかった。それで日本人全員の力強い生きる力、エネルギーがフニャフニャになったのです。
2008年8月より以前の我々日本人は全員が、しょっちゅうどん底まで落ち込んでは、何とか立ち上がって隊列に戻るんだけど、再び落ち込んでしまう。それは小さい子どもから老人まで、本当にそうだったのです。ところが磁場的な修復が起きてきたことにより、初めて自分が自分自身の中心にいられるようになった。
つまりブレないでいられる時間が持てるようになった。
自分自身を見ていられるようになったから、どんどんまとまるようになった。ああ、自分はこう思っているんだな。ここが自分の中心なんだな。こういうふうにすればいいのか。人といることが不安じゃなくいられるようになってきた。それはとてつもなく素晴らしいことだったんですね。
その時、つまり2008年8月から、戦後初めて、日本人の成長が始まったのです。
それまではそんなことをしてる場合じゃなかった。それは誰のせいでもない。もちろん、それを企んだ者たちがいて原爆を落とし、地球上のボルテックス(エネルギーの渦)をぐじゃぐじゃにした。当然、乱されたのは日本だけじゃなく世界中だった。
そしてその後の11月に、次はこれだぞと降りたのが『王の帰還』なのです。
ぐじゃぐじゃになっていて、自分の中に全然芯(しん)がない。だから人とまともにいられないし、しょっちゅう落ち込む。自分はだめだと落ち込んでは分裂してしまう。そんな中でつくってしまった親子関係の認識、自分の愛する者と愛し合えない、理解されないし、分かり合えない。自分はダメだ、弱いと思う。でもそういう認識は、本来すべて妄想でしかないから、内に埋め込まれたそうしたプログラムを解除しなさい、ということが来たのです。そこで編み出されたのが、『王の帰還』です。
ですから、今までの認識はもう使えません。
なぜなら、みんながだんだん自分を取り戻してきたからです。だから今までとは全然違うし、当然自分も違えば、世界も、地球も違うんです。それは、今までの認識はもう必要のない、まったく別のプログラムであり、物の見方です。
奴隷としての教育が始まるとき
7歳になったら、我々にはどういうことが起きるか。
皆さんは今日から学校というところに来ます。いいですね。今までは幼稚園で自由に、気ままにできたけど、これからはそうはいきませんよ。お兄さんやお姉さんと同じように、今日からこの学校というところに来てください。四角い建物の中の四角い教室の箱に来るんですよ。朝ちゃんと8時には来てくださいね。お父さん、お母さんにもしっかり言いつけてありますからね。
先生という人が来て、黒板に誰かが書いた本を写しますから、皆さんは机と椅子の間に挟まれて、しっかり自分を止めて、ほかのことは一切あきらめて、誰かが書いた本をまっさらのノートに書き写して覚える、これが皆さんのこれから一番大切なことですよ。これができない子はだめな子です。
皆さんが35万年ぶりくらいに会った友達だらけで、ウキウキわくわくしているからといって、勝手に話をしたり、遊んだり、そういうことは絶対にいけませんよ。ここはそんな場所じゃないんです。行儀よく、黙って、自分を止めて、誰かが書いた本をちゃんと覚えてください。これが、これから皆さんがやる一番大事なことです。
時々テストが行なわれて、誰かが書いた本のカッコ抜きの問題が渡されて、それを全部埋められた人が一番素晴らしい人ですよ。先生もうれしいし、お父さん、お母さんにも褒められて、愛されるかもしれないし、何か買ってくれるかもしれないから頑張ってください。落ちこぼれというのは、これができない人のこと。そういう人が出ないように、みんな仲良くお互いに見張り合って。先生もそれが一番の望みですから、仲良くやってくださいね。
これを毎日やるんですね。
お父さんもお母さんも、そのようにやってきた。家に帰ると、お父さんもお母さんも「おまえ、誰かが書いた本をしっかり覚えられたのか?」「遊んでばかりいるんじゃないよ。誰かが書いた本をしっかり覚えなさい。ちゃんと計画表を作ってやるんだよ。そうしないといい学校に行けない」「いい学校に行けば、いい会社に入って、いいお給料をもらって、いい地位について、みんなにも褒められるような立派な人になるんだから頑張りなさい」
このようにして18歳までの最低でも12年間、大事な成長期にある自分を完璧に止めて、外の決まりに従って、誰かが書いた本をしっかり覚えるということに集中することによって、完璧な奴隷が出来上がるんです。
人間というのは、自分の衝動や欲求、感情、タイミング、直感によって動いて、世界とまみえ、体験して、選んで、失敗したり成功したりしながら、失敗したら振り返って原因は何かとシミュレーションして、ああ、このために失敗したんだなとその仕組みがわかり、それをファイルして、次の選択に活かして、また出会っていく。そういうことを重ねることからだけ、人間は成長するんですね。
それを24時間のほとんどを自分を止めて、誰かが書いた本を暗記し、決まりや枠に従ってその中で生き、諦(あきら)めることを覚えさせることで、18歳までに完璧な奴隷が出来上がるのです。我々の社会はそんな社会なのです。それも親子の伝承を断ち切るために、こういう教育制度がつくられたのです。
天才というのは親子間の伝承によってしか生じないのです。
それは祖先から培われた親子の伝承です。物の見方や考え方、捉え方、世界観、人間とは何か、生きるとは何か、そういうことを伝えていくことによって、それが積み重なったあるときに天才ができるんですね。あるいは親子が愛の温かいつながりを持ち、尊重し合う中で立派な人格が出来上がります。そういった人や天才を騙すことはできないので、(そうした人間ができないように)それを切るような教育制度をつくるのです。
親のカルマは子どもに現れる
親は自分の子どもを見ていて不憫(ふびん)になり、自分がちょっとイヤになるんです。子どもに自分のイヤなものが映り込んでいるから。だから子どもからちょっと離れるんですね。それで厳しくしたり、ちょっと突き放したりする。祖先から受け継いだ、自分の中にすでに限定されたプログラムがあってそれを生きているのに、そのパターンを自分の子がまた受け継いでいるのを見ると辛いのです。
子どもはそんなことは知らなくても、親から受け継いだものを身に受けて、「あなたがそうしていると、私はこんなふうになっちゃうよ」と親に見せているんですね。ところが親が正直に真摯(しんし)にありのままに、「あんたにこんなもの受け継がせちゃって、ごめん。私が身をもって超えて見せるから」と言えばいいけれど、ほとんどの場合、「何であんたはこんな子なんだろうね」と言って逃げてしまう。子どものほうは自分がどんどん固まっていくばかりで、自分では変えられない。だから9歳以降に、反抗期という名前のタイミングが来るのです。
ところが反抗期というものに関して、心理学者たちは本当に怠惰だから、ウソを教えます。ですが反抗期とは何かというと、子どもが小学校という社会の中で生きて、他人と自分を比べて、自分のことや自分の嫌なところに気づく。そしてそれが親からもらったものだということに気づくことなのです。
その時に子どもが、「お父さん、お母さん、私は自分のこんなところが嫌いです。それもあなた方のこういうところから来たんですよ。お父さん、お母さん、あなたにとってもこれは本当に良くないので、どうぞこれを直してください。そこを超えてください」と言う。それに対して親が、「本当に申し訳なかったね。このまま逃げ切ろうとしたけど、あんたがそうやって指摘してくれたからわかった。お母さんは自分のこういうところを頑張って超えて見せるからね。あんただけに背負わせるわけにはいかないからね」と言い、それをやって見せて、超える。
そしてお母さんが「ああよかった。人生の自分の課題を、子どものおかげで超えることができた。本当にありがたい」と子どもに感謝する。子どもは感謝を受け取る、自分が活かされた。その瞬間に、子どもに受け継がれてきたそのパターンが消えるのです。自分が頼んだことを親はやってくれて、自分の成長を選んでくれた。そのおかげで自分は救われている。そのことで子は親を尊敬するんです。これが反抗期の正しい在り方(であり、含んでいる意味)です。たったそれだけなのです。
自分自身の親になり、自分を育てる
ところがそれが、なかなかできない。
学者とかそういう人たちも、そういうことをやらない。ただ誰かが作り上げた説を覚えるという隷属状態だから、新しいことがわからない。皆さんもそうだけど、自分という人間をサンプルとして見る以外に、どうやって人間を知るのですか? あなたにとって一番身近で、全部を見られる人間は自分だけなんですよ。それを自分の第8チャクラから全部観ているということが、自分を統合するための鍵なんです。
自分が自分の親にならなきゃいけない。
なぜなら今言ったように、あなたの親だって逃げてしまうし、誰もあなたのことを全部観てはくれないのです。だから自分で観るのです。自分で観て全部自分でやる。つまり理想的な親は自分にしかできないし、自分が自分にやるしかないのです。
この子をどう育ててやったら、どのようにわかってやったら、どう導いてやれば、本当に伸び伸びした素晴らしい人に育つのだろうかというのを、自分で自分にやってあげるのです。これが自立です。これがない人はまったく自立できていない「お子ちゃま」なんです。常に被害者の立場で、問題を抱えて、他人に社会に世界に文句ばかり言って、逃げて、言い訳ばかりしている。全然、本来の自分じゃない。それも当たり前で、自分を育てていないからです。だから自分のことを好きじゃないし、愛せないのです。
愛するというのは、ここ(頭の上)でやるのです。
ここには波動形態エネルギー研究所の足立育朗さんが『波動の法則―宇宙からのメッセージ』(ナチュラルスピリット)で言っているように、「エクサピーコ」と呼ばれる第8チャクラがあり、過去世のすべてのエッセンスの集合体としての自分がいる。そこから自分を観てやるんです。その時に、あなたは自分が本来の霊であり、自分を導き育てる親の役にちゃんとなる。なぜかというと、この子が理解されて育(はぐく)まれなければ、あなたという本来の霊はここに融合できないからです。つまり、本当に生きるということができないからなのです。
この世界が嫌いだ、辛い。
だから帰りたいと言っているあなたは、こうした中間状態にいるだけで、思考とマインド(表面意識)だけの状態にいる。つまりこの体の中にしっかり定着していないし、この地球にもグラウンディングしていない。ただ片足だけ突っ込んでおいて、ここは嫌だから早く帰りたいと言っているだけ。だからどんなに素晴らしい景色の中にいても、状況にいても、それを全面的に味わって体験していない。どこか白けて中途半端な状態にいるのは、しっかり焦点を合わせず、そこから自分をずらしているのです。それは、ここにいるのは嫌だと言っているからです。
生きていないのです。
生きているというのは、全面的にこの肉体において地球に暮らすということです。死んだら本来の霊として、そこから抜け出なきゃいけないから。そこで、あなたには自分が本来霊であるという自覚があるかないか。おそらく、それすらないから体の中にもいない。どっちつかず、どこにもいないという状態で損をしている。それをこれから取り戻していきましょう。
トータル・ヒューマン・チューニング
『王の帰還』ワーク 木盛龍彦著 ヒカルランド
抜粋
zeraniumのブログより転載