Archangel Uriel:Ministration of Kindness
17 September 2015 - 2:44pm
ジュリー・ミラー経由
Channeler: Julie Miller
Ministration of Kindness
Archangel Uriel’s Weekly Message ~ September 17 – 24, 2015
received by Julie Miller
September 17, 2015
すこし時間を取って、皆さんにとって非常に大きな意味を持つ人々を思い出してください。皆さんが感服して、その周りにいることが大好きな人々です。こうした人々は裕福ではなく、もしかすると余り成功していないかもしれず、おそらく他の人々によって話題にされることはありません... しかし、皆さんにとってそういった人々は大切であり、皆さんの絶えず発展している生命と旅にひとつの活動的な側面を添えます。皆さんにとって最も大切なこうした人々、皆さんが感服する皆さんに近い人々であり、今まで皆さんは、その人々をわたし達の人生の中の他のどのような個人とも違う人にするものについて、考えたことがあるでしょうか? その人々は、無私無欲で親切な援助を無条件に与えますか?既にその人々が別の個人を助けている時、その人々は最も幸せで、最も成功していると非常に感じているでしょうか?
純粋な与え手達、無条件に与える人々が単純にどのような見返りも求めない理由は、与えそしてその人々にできる何らかの方法で別の人を助けるという行為が、その人々の恩恵になっているからです。与えることは肯定的な称賛の姿になることがあります。最悪な芸能人、運動競技者、学生等々でさえ、その人々が対処を誤ったものにいつも意識を向ける代わりに、その人々が上手に行ったものに対してすべて認められる価値があります。その人々は間違ったものに関する念押しは必要ではなく、かつてその人々も全盛時の出来事を経験した時期があったことを、今までいつも、そしてこれからも、認識しているでしょう。しかしあらゆる個人が、無私無欲な愛に溢れることろから導かれる思いやりある称賛と温かな行為を通して、親切に扱われ感謝される価値があります。
世界の純粋な与え手達は、支援を求めることが難しい状況を理解します。しかし皆さんがその人々を選ぶ時、皆さんはその人々に向けて大いなる価値がある何かを伝えています。皆さんは、それほど数多くの言葉を話すことがなくても、皆さんはその人々を信頼していると語っています。その支援が助言の形か、温かな抱擁、励ましの笑顔、親切な称賛、あるいは移動の支援、予約した場所までの付き添い等々の形かどうかに、違いはありません。親愛なる皆さん、皆さんが支援を求める時、皆さんは、皆さんが脆弱で皆さんが支援を求めるために用いているその強さは皆さんの特徴を損なってはいないことを、皆さんは宣言しています。しかしそれは、皆さんは人間であり、皆さんは間違いを犯すことがあり、皆さんは皆さんの間違いの責任を取り、時には幾つかの粗い継ぎ当てを通り抜けるためにひとつの小さな心優しい配慮または支援の手が必要なことを、まさに実証します。
時に皆さんがひとつの困難な挑戦を経験している時にひとりの与える個人が与えるものが、その人々の時間です。そして皆さんにその時間を与えることによって、その与え手は皆さんに忍耐という贈り物を提供していることがあります。皆さんの急速な世界の中で続いているすべての殺到と押し合いを受けて、純粋に配慮し、見返りの利益を求めない誰か、そして絶対的な忍耐や皆さんの自信が戻るように後押しするこの大いなる態度を明らかにして皆さんはひとりではないと皆さんに深く認識させる誰かを見付け出すことが、時に難しくなることがあるかもしれません。皆さんは、皆さんが霊の支援者達を持つことを確かに認識しますが、しかしそこにいて皆さんの幸せを無条件に配慮して、皆さんがそれを最も必要とする時に永遠の叡智を提示する誰かを知っていることは、素晴らしくないことでしょうか?
皆さんの現代世界の中で共有されているこれほど沢山の物事と伴に、プライバシーと慎ましさはより一層少ないものになっています。しかし皆さんがある困難な試練を経験している時、皆さんは事実通りこれを世界全体と共有することを望みません。皆さんは皆さん自身の内部に向かい、暗い情緒と不安な気持ちが激しくなるように助長するそういった内面の傷を育てることを望みます。事実通り与える個人は、皆さんに皆さんの空間を与えて、どのような一線の限度も超えることも、さらに酷い動揺を引き起こすことも望みません。皆さんが心地良さと助言に対する準備が整っている時、皆さんは手を伸ばすようになるでしょう。そして皆さんが手を伸ばす時、その手と引き換えに何らかの暗く厄介な瞬間から皆さんを引き戻す支援をするために手を伸ばす人が現れることを、皆さんは驚くかもしれません。
純粋な与え手になるために不可欠な部分は、他の誰かに話をさせるか、他の誰かにその素晴らしさを実証する機会を与えることによるものです。職場、学校、家庭で、あるいは皆さんが出歩いている時に、そうなってください。配慮を求める代わりに他の誰かにその人の光を実証させることは、ひとつの驚くべき才能であり、そしてそれは、他の個人がさらに大きな信頼と自信を感じるために役立ちます。他の人々へ共感し、打ち明けて支援を共有して、かつてその人々が締めて分離を引き起こした結束の扉を開くことがどれほど難しく、時に苦痛に満ちたものになるか、それを認識し、感じ、そして理解したままでいてください。
皆さんが話しかけるまたは接触を持つあらゆる人が、純粋に誠実であるとは限りません。これほど数多くの人々が公平な専門家意識という非情な仮面を着用します。人生の異なる側面の中で人々を理解することは、ほとんどありません。率直に人間であることによる職業的な側面、個人的な側面、あるいは霊的な側面です。真の誠実な与え手は、どのような人生の領域の中でも、率直であり、物事が順調に進んでいる時に自分達の行動の中で純粋な誠実さを積極的に実証するよりも、その先を歩いています。更には、その人々は辛い仕事や努力に対して他の人々を簡単に褒めて、自分自身に対する誠実な失望を表現し、その非難を他の誰かに向けることはありません。皆さんがまさに現代社会の中で生きるという理由は、皆さんは石のように冷たくて硬くなる必要があることを意味しません。今は、今まで以上に、必ずしもお金の形とは限らない方法で与えて、いつでも自分自身の一部を共有するさらに純粋に親切な人々が必要です。
本当の純粋な与え手になる別の部分は、敬意ある奉仕の中にあります。誠実で正直な人は、自分達の仕事または職務を上手にこなす人々や既に成功している人々に対して敬意を払うだけではなく、ひとつの些細な問題によってその仲間の個人がどのような尊厳も失わないようにするために、大きな間違いを犯してしまった人々に対しても敬意を払います。たとえひとりの上司が誰かを解雇しなければならないとしても、それは屈辱的で侮辱的な言葉を用いてその個人を追い払わなければならないことを意味しません。ありとあらゆる個人が、親切と敬意に値します。誰ひとりとして、自分達はそれに値しないと感じるべきではありません。敬意を払うことによって、わたし達は、自分自身を不愉快に思う人々を自由にして、自己への慈悲を強化する支援をします。純粋な与え手達は、与えなければならないから与えることはありません。彼らが与えるのは、彼らが与えることを望み、それは行うことが正しいことだとその人々に伝える内面の何かがあるからです。
親愛なる皆さん、今まで皆さんは、皆さんには目的があると皆さんに感じさせる誰かに遭遇したことがあるでしょうか?一部の親愛なる魂達は、その通り皆さんはまさに目的を持ち、しかも皆さんはただひとつの仕事またはひとりの親または配偶者としての平凡な職務を経験するためだけにここにいる訳ではないことを皆さんに気付かせる、この尋常ではない技巧を持ちます。一部の人々は、皆さんは宇宙を含めたあらゆる生き物と結び付けられていることを皆さんに気付かせるために、皆さんの人生に現れます。さらに言えば、皆さんがひとつのチームとして協力する時、良い物事が起ります。
誰もが、ひとりの個人の使命記述書を創り出すことができます。確言は素晴らしいものですが、しかしそれは、ひとつの目的または使命を創り出すことに対して、遥かに多くの努力と配慮が必要になります。その人々が行うことはその人々の人生の中だけではなく他の人々の人生に影響を及ぼす可能性がある原因と結果を持ち、そのことをその人々が理解することを、他の人々に詳しく説明することは、信じ難いほど難しいものになることがあります。しかしそういった人々は手を伸ばして、支援を望むという唯一の目的のためにどうしてもその人々のこころを与えます。与える人々は、それをするために必要なものまたは注意の仕方を伝える特別な便覧または記述された手引きは、持ちません。その人々はただ、その人々が配慮する理由とそれが重要であることを認識しているだけです。
そしてその通りに...
And so it is…
わたしは大天使ウリエル、ジュリー・ミラー経由
I AM Archangel Uriel through Julie Miller
http://lightworkers.org/channeling/216529/ministration-kindness
翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。
転載される場合には、出典を明記してください。
きらきら星へようこそ...☆ より転載