Quantcast
Channel: Mutual Aid Japan
Viewing all articles
Browse latest Browse all 11837

・進歩、向上はエゴのないところで起きる

$
0
0

Q、  愛するOSHO、私はとても多くのグループに参加し、成長に関わる多くの体験をしました。それにより、自分は変わった、素晴らしい洞察を得たと心から思える体験でした。しかし私は未だに、同じ間違いをします。あらゆることをしてきたにも関わらず、過去にしていたことを相変わらず繰り返しており、そこには選択の余地がないかのようです。どうしたらいいのでしょうか? 変化というものは続かないものなのでしょうか? 私たちが自分を成長させるためにしているワークはただの幻想であり、何の意味もないことなのでしょうか?

   最初に言っておきたいことは、自己改善を目的とした努力は、必ず失敗に終わるということだ。それはエゴに問題があるからだ。エゴは、絶えず何かを改善しようと努力する。もっと金を手に入れよう。もっと大きな家を手に入れたい。もっといい車が買いたい。きれいな女を恋人に、美形の男を夫にしたい、とあれもこれも手に入れようと努力している。これがエゴだが、それはあなたもよく知っている。

   だがその一方で、エゴは別のゲームも展開する。
   もっと穏やかに温和になろう。もっと愛情深くなり、悟りを達成しよう。ブッダのようにならなければ、とエゴは言う。だがこれもまた向きが変わっただけで、実は同じゲームに過ぎない。つまり、一方は外にあるもので自分を飾ろうとしていたエゴが、今度は内側のもので自分を飾りたいと考えているのだ。

   だから、あなたが自己改善を試みているのなら、失敗するのは確実だ。
   問題なのはエゴであり、向上したい、こうなりたい、ああなりたいと考えるのはエゴの欲だ。この「~になろう」という考えこそが、エゴの投影なのだ。だが一度このことを理解したら、革命は起こる。その革命は、「あなた」が為すべきことではない。その革命は、エゴの手口を理解することで起こるものだ。

   お金や権力、名声や政治などを追い求めていたエゴと同じエゴ、その同じエゴが今度は内側で瞑想のゲーム、悟りのゲームなどのあれこれのナンセンスをしているとわかったら、一度、それが同じエゴだとわかったならば、まさにその理解においてあなたの中に笑いが起こる。ゲームをすることのばかばかしさを、あなたは感じるようになる。

   向上はない。
   私は変化がないと言っているのではない。変化はある、それも完全な変化がある。だが向上はない。向上とは修正された形を意味する。だが変化は、あなたは同じままだが何かがそこに加わる。それがたとえば、もっといい車、家になり、女性が、男性が付け加えられる。だがあなたはいつもと同じだ。そして今度はそれが瞑想に向けられ、瞑想者になる。だがあなたは同じで、深いところでは以前と同じままだ。

   そして今度はあなたはさまざまなものを溜め込むようになる。
   つまり、性質や特徴、性格、倫理観、徳、知識などをあなたは溜め続ける。それらは車や恋人にとって代わっただけであり、いつものゲームをしているだけで、そこには何ら新しいものはない。こうしたことの中に、向上が起こることは決してない。

   向上は決して起こらない。
   このことがわかった時、つまりこうした欲望である、自分以外の誰かになりたい、もっと大物に、重要な人に、尊敬される人になりたいという切なる欲望を理解し、これらがみなエゴのゲームだと一度理解したならば、その瞬間、突然の変化という目覚しい飛躍、ジャンプが起こる。その時、あなたはもう以前のあなたではなく、新たなものがあなたの中にある。

   いいかな、新しいものは古いものと何のつながりもない。
   だから私は、それを向上とは言わない。新しいものは古いものとは何の関係もなく、そのくらい新しいものは絶対的に、完全に新しい。古い人は完全にそこにはいない。それは過去とのつながりのない、完全に新しい存在であり、この隔たりのゆえに、それを向上と言うことはできない。霊性(スピリチュアリティ)は達成するものではなく、それは野心で獲得できるものではないからだ。

   あなたは「たくさんのグループワークに参加し、成長に関わる多くの体験をした」と言うが、そうした体験は、成長とは無関係のものだった。それは単なるエゴのゲームだった。あなたはそこで満足感を覚え、エゴに褒められてあなたはとても気分が良かった。エゴはそうした体験を利用し、それは絶対的に危険なものとなった。エゴに利用されると、なんでもたちまち毒されてしまう。

   あなたのそうした体験への期待は、エスカレートしていったに違いない。
   あなたは高潔な人になり、敬虔な人になった。こうしたことはもっともっと沢山起こるだろう。「あれは良かった、素晴らしかった、もう一度体験したい」と言うなら、それは継続性のあるものを作ろうとしていることだ。

   新しいものは、「あなた」がいない時にしか起こらない。
   だがあなた(というエゴ)は片時も自分を離れず、ずっとそこに座り続けるだろう。たとえもう一度、同じワークを経験しても、それで心満たされることはないだろう。なぜならあなたは期待して待っているからだ。「さあ、これが起こるぞ」と待っている時には何も起こらない。なぜなら、その「待つこと」の中に、”あなた”(というエゴ)がいるからだ。


       神秘家・カビールを語る
            『  愛の道  』   OSHO   市民出版社


Viewing all articles
Browse latest Browse all 11837

Trending Articles