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手近なユートピア~誰でもベーシック・インカムをもらえるとしたら?

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モナ・ショレ (ジャーナリスト) 訳:山章子

 これまでとは別の生き方を選ぶこと、別の人間関係を作り出すことは、この危機の時代に問題外に思われるかもしれない。しかし、その実行が今ほど必要とされることはない。ヨーロッパで、ラテンアメリカで、そしてアジアで、無条件の給付金支給というアイデアが歩みを進めている。[フランス語版編集部]

 人は働くものである。仕事をするから報酬を受け取れるのだ。こうした論理は人々の心の中にしっかりと根ざしているので、ベーシック・インカム[所得保障制度の一種で、すべての国民に政府が最低限の生活に必要な一定の金額を無条件で支給する。日本では支給額は月に一人当たり5〜10万円で議論されることが多い。——訳注]の導入、つまり各自にその人の働きに関係なく、月々生活するのに必要な金額が国から支給されることは、常軌を逸したことのように思われるかもしれない。われわれは、いまだに乾燥して不毛の自然から額に汗して生活の糧を手に入れなくてはならないと信じて疑わない。ところが事実は全く違うのだ。

 奨学金・育児休暇・退職年金・育児手当・失業手当・フランス間歇就労芸能者給付制度(注1)・生活保護。いずれの手当も共通しているのは、給付と労働との関係を切り離している、ということだ。こうした措置はいずれも不十分だし批判もされているが、ベーシック・インカムが《もうそこまできている》ユートピアであることを示している。ドイツでは、国民の所得のうち労働から直接に得ている割合は41%にすぎないとダニエル・ヘーニーとエンノ・シュミットが彼らの映画『ベーシック・インカム』(2008)の中で指摘している(注2)。フランスにおいては、2005年には、国民の所得の30%は他人の所得からの再分配に依存していた(国からの種々の手当)。すなわち、「あらゆる種類のイデオロギー的な批判にもかかわらず、また福祉国家(新自由主義者たちから嘲弄されているような)の崩壊にもかかわらず、強制的な税金徴収による国家負担制度はミッテラン、シラク、さらにサルコジ大統領のもとで強化された(注3)」。人々を貧窮から救うために、その方針をさらに前進させることはそれほど困難というわけではないだろう。

 ベーシック・インカムの最初の論理的帰結は、失業問題が無くなることである。失業問題は社会問題であり、同時に個人の困窮の原因でもある。失業がなくなれば、第一歩として、完全雇用の追求という公的目標に関わる経費の節約が可能になるだろう。さらに、企業に対して雇用を促すような施策は行われなくなるだろう。こうした施策のための社会保険料の免除・軽減政策といった費用は1992年の19億ユーロから2008年の300億ユーロに増加していることを記憶にとどめておこう(注4)。あるいはまた、韓国の大宇グループは1998年に3500万ユーロの補助金を受け取りロレーヌ地方に3カ所の工場を建設したにもかかわらず、2002年に工場を閉鎖して1千名を解雇している。一方、ベーシック・インカムは全ての人に無条件で与えられる。すなわち、貧乏人にも金持ちにも与えられるのだが、金持ちは税金でこれを返すことになる。社会保障受給者の不正受給監視に関わる行政上の職務を全て廃止することで節約が実現可能だ。こうした職務は人に屈辱を与え、干渉的で道徳を振りかざすために、評判が良くなかった(注5)。

 しかし、ベーシック・インカムとは正確にはどんなものなのかもっと明確にしておこう。1960年代、ジェームス・トービン(彼は金融取引に課税する案の提唱者でもある)(注6)から自由主義経済学者ミルトン・フリードマン(注7)にいたるまでの毛色の様々な経済学者によって推奨された措置であり、世間を当惑させることになった。この言葉の指している意味が、使う人によって異なるという状況は今も変わっていない。フランスでは、クリスチーヌ・ブタン(キリスト教民主党)が推奨したベーシック・インカムは、イブ・コシェ(環境保護主義者)や《ユートピア運動》(緑の党や左翼党を横断する運動団体)が擁護するベーシック・インカムと同じではないのだ。

 ベーシック・インカムの給付金額がかなり少額の場合、人は働かないですませることは出来ない。そのために自由主義者が唱えるベーシック・インカムは企業に対する補助金のような役割を果たし、社会保障撤廃の一環をなすことになる。これがフリードマンの説く《負の所得税》である。これに対して左翼の側の考えでは、これは生活するに十分な金額でなくてはならない。この《十分な》という言葉の定義が厄介な問題であることは想像出来るだろう。そして、公共サービスや社会保障(年金、失業保険や健康保険)、さらにはいくつかの住民保護などがその代わり無くなるとは想定されていない。他の福祉手当も同様だ。ベーシック・インカムは誰にも平等に、いくつかの別の指標に基づいて与えられるのだ。すなわち、個人個人に対して毎月、生まれた時から死ぬまで給付されるのであって(未成年は成人よりも少ない額を受け取る)、世帯ごとにではない。どんな条件もつかないし、代償も要求されない。労働による収入があってもなくても、受給できるのである。

 こうして、人々はそれぞれ人生において自分がやりたいと思う事をすることが可能になる。すなわち、働き続けてもよいし、つつましやかな生活水準で満足しながら自分の時間を大事にしてもよい、あるいはこの二つを相互に行うこともじぶんで選べるのである。無職の期間ももう心配する必要はない。なぜなら、給料をもらうことだけが収入を得る道ではなくなるからだ。保障された給付金だけで暮らすことを選んだ人は、自分が本当に熱中できる仕事そして/または社会のためになると思うことに完全に打ち込むことができる。一人でやっても、複数でもかまわない。

 それというのも、ベーシック・インカムは、この計画自身が作り出すかもしれない自由な人間関係を当て込んでいるのである。2004年、ルーヴァン・カトリック大学(ベルギー)の二人の研究者が、ベーシック・インカムのもたらす効果を調べようとして、クイズ番組《Win For Life》(フランスの番組《Tac o Tac TV人生の勝者》と似ているベルギーの番組で、クイズの勝者に終生月給を払う)の勝者に関心を寄せている。しかし、エッセイストのバティスト・ミロンドはこれに対して、比較される二つのケースにはかなりの違いがあると指摘し、二人の研究者の結論にやや懐疑的な見方をしている。「ベーシック・インカムの受益者は、周囲にも他のベーシック・インカムの受領者がいるわけだが、クイズの勝者の方は全く孤立している。ところで、自由な時間を他の人のために使える人々がたくさんいれば、自由時間の価値は増大するだろう(注8)」。このように、ベーシック・インカムは大多数の人々にとって仕事との関係・時間との関係・消費生活・他人との人間関係などを同時に変化させるだろう。賃金労働を選んだ人も同様だ。彼らも影響を受けるであろうからだ。もっとも、新たな社会参加のあり方を後押しもするのは確実だろう。さもなくば、ある種の後退を促す恐れもある。とりわけ女性たちが家庭に閉じこもってしまう可能性があるのだ。

1972年のアメリカ合衆国の民主党の公約から今日のドイツまで

 第二次世界大戦後、進歩主義者たちによるベーシック・インカムの考え方が登場したのはアメリカにおいてだった。1968年、ジョン=ケネス・ガルブレイス、ポール・サミュエルソンや1200名の経済専門家とともにこの趣旨の呼びかけの主導者となったトービンは、1972年の大統領選挙の際、民主党候補ジョージ・マクガヴァンの顧問をつとめ、マクガヴァンの政策方針の中に所得保障の計画を導入した。しかしリチャード・ニクソンに大敗し、この計画は葬り去られた。

 再び日の目を見たのはヨーロッパでのことで、まず1980年のオランダにおいてであった(注9)。ベルギーでは、1984年創設の研究者と組合運動家のグループ、経済学者で哲学者のフィリップ・ヴァン・パレースを囲む《シャルル・フーリエ協会》がある。ルーヴァン・カトリック大学で1986年に行われた討論会でベーシック・インカム・欧州ネットワーク(BIEN)が誕生し、2004年には世界的な団体(ベーシック・インカム世界ネットワーク)になる。創設者の一人、ギー・スタンディングは、国際労働機関(ILO)のエコノミストで、2011年インドでベーシック・インカムプロジェクトに参加した。

 ドイツでは、スザンヌ・ヴィストが率いるキャンペーンのおかげで、この数年、特に活発な議論がなされている。彼女はドイツの北部に住んでいるが、その前まではキャンピングカーに12年間住んでいた。それは自由が欲しかったからでもあるが、家賃を節約するためだった。幼稚園助手として働き、苦労してなんとか生計を立てていた。ある税制改革によって彼女の家族手当が課税所得と見なされるようになったことが彼女を激怒させた。彼女はドイツ語圏スイスにおける《ベーシック・インカム・ネットワーク》Grundeinkommenの創始者であるヘーニーとシュミットに出会って彼らの考え方に共鳴した。

 彼女は市民の請願運動を起こして大成功し、2010年には連邦議会で審議されるまでに至った。活動の過程でヘーニーとシュミットの映画『ベーシック・インカム』の大々的上映を必ず行っている。

フランスにおける学生と労働者の運動

 フランスにおいてベーシック・インカムの主張は、1994年エドゥアール・バラデュール内閣の社会統合契約(CIP)(注10)の計画に対する学生たちの反対運動の際に具体化した。この際、パリで《最適生活基本金のための行動グループ(Cargo)》が結成され、まもなく《反失業連帯行動(AC!)》に統合された。

 ベーシック・インカムの主張は、1997年から1998年にかけての失業者の運動の際に再び登場した。同時期、哲学者で環境保護運動家のアンドレ・ゴルツがこの主張に賛同した(注11)。この理念はアルテル・モンディアリスムの運動の形成過程においてもその反映がうかがわれる(注12)。アラン・カイエ(注13)は《社会科学における反功利主義運動(Mauss)》の創始者だが、彼もまた支持に加わっている。

 最後に、一部の間歇就労芸能者給付制度の受給者たちは、彼らの還付金制度に対して 2003年から始まった攻撃に直面して、この制度の維持を図るばかりではなく、社会全体へのこの制度の拡大を目指して闘い始めた。その目標は休業期間と労働期間の定期的な繰り返しを正常化させることである。労働期間は休業期間を滋養にして成り立つのだ、と彼らは強調する。労働は休業期間なしには存在し得ないものなのだ。社会党員でパリ4区の区長クリストフ・ジラールは、彼の考えとこの運動の考え方とが大変近いため、2011年の党の集会の前日に、万人共通のベーシック・インカムの段階的導入を訴えた(注14)。

 以前、1988年ロカール内閣の時代、就職促進最低所得保障制度(RMI)の成立にあたり、結局最終的に可決された法案には大したものは残されなかったのだが、社会がその構成員に対して、生活の糧を得る手段を与える義務を負うという考え方が、法案をめぐる議会の論争を支配していた。一部の左翼は、法案説明者ジャン=ミシェル・ベロルジをはじめ、同法案について《社会同化への努力》に条件付けをしていることを批判していた。彼らはいぶかっていた。お金の支給が審査委員会の議を経て打ち切られることがあったり、支給には代償が要求されたりするような場合、これを「権利」と呼ぶことができるのだろうか?(注15)左翼が言いたいのは失業者たちのデモのむき出しのスローガンの趣旨と同じである。すなわち「暮らせる金を!」ということだ。いかなる貧困にも脅かされない社会ならば、各人がふさわしい人生を送る権利を持てるはずなのだ。

 しかし、急進的左翼の内部では、ベーシック・インカムは満場一致の賛同を得るにはほど遠い状態である。ベーシック・インカムの支持者の幅が非常に広いので、疑わしい連中と組むことになるのではないかという恐れを彼らに抱かせる。そのうえ、ベーシック・インカムは反資本主義左翼が通常抱く考え方とは多くの点で異なる。彼らの心情的抵抗感を慮ると,ベーシック・インカムというアイデアを彼らはおそらく容易には認められないだろう。たとえ認めることがあったとしてもその実施は全ての問題を解決するにはほど遠いだろう。もっとも、ベーシック・インカムの主唱者たちも、そんなことは主張していないのであるが。

 ベーシック・インカムの狙いはまずなによりも、先進国でも途上国でも、皆に生存に必要な最低限の金を与えることである。この考え方の支持者は途上国にもいる。一般的には、途上国においては経済活動を活発化させる効果があると考えられている。また先進国では経済活動を少々減速させるだろうと予想されているが、そのことが環境保護活動家の関心をそそる理由となっている。西欧諸国では、人々は失業・不安定な生活・劣悪な住宅・生活の困窮などから逃れることが出来るだろうし、サラリーマンの中には仕事からくる肉体的、精神的ストレスから解放されるものもいるだろう。

 しかし、ベーシック・インカムは資本主義を打倒したりするものではない。《所得の上限》の計画を組み込もうとする者たちもいるが(注16)、そうしたとしても不平等を取り除くことにはならないだろう。大勢の人々が必ず批判するのはこの点についてである。例えば、リベラルな共産主義者クロード・ギヨンはベーシック・インカム・プログラムについてあまりにも小心すぎると評価し、ある著書の中で、「保障主義」であると言って揶揄している。しかし「最悪の状態やその持続をテコとして抵抗運動を行うこと」は自己に禁じているし、そして、人は腹が満たされている時に政治についてより適切に語るものだと認めてもいるのだが……(注17)。

個人への信頼を前提とする変革

 ベーシック・インカムは、不公平な秩序を覆して公正な秩序に変えるというよりもむしろヘーニーとシュミットの映画の副題にもあるように、《文化的衝動》を与えるものだ。これは利益優先の市場経済の枠外で行われる活動に対して承認・激励を与えるものとされる。その進み方は、だれにもその展開が予想出来ないようなものである。さらに、個人にその選択がゆだねられるのだから、個人を信用することが前提となる。確かに左翼たちは、エッセイストで自由主義者のニコラ・バヴェレの次のような強烈な議論には同調できないだろう。「最下層の者たちにとって自由な時間というのは、アルコール中毒・暴力の拡大・犯罪と同義なのだ(注18)」。だが一方、左翼が擁護する政治路線の急進性は、多くの場合《よき生活》に関する少々時代遅れな定義とセットになっているのだ。

 けれども、こうした論理の放棄こそが、スイス人活動家オリバー・シーゲルの心を捉えたのだ。彼は映画『ベーシック・インカム』のフランス語版の共同制作者である。《ロンゴ・マイ》はアルプ=ド=オート=プロヴァンスで1968年以降に設立された農業地域コミュニティーだが(注19)、それの元メンバーである彼は、現在から振り返って、「(彼や彼の仲間が)前衛的な革命家であり、Dデー[ノルマンディー上陸作成の決行日。さらに拡大して革命の決行日。——訳注]のための準備を整えてやっているこしゃくなエリートだという暗黙の前提があった」が、いまはそうとは認めていない。それとは正反対にベーシック・インカムは、「人々に何かを強制することがない。彼らになりかわってものを考えたり、イデオロギーを噛んで含めるようにして教えて、黙って従うように強いる必要もない」。社会の変化こそ全てだ(易しいことではないが)。「もし、人々が自分の本当にしたいことを真剣に考えなくてはならないとしたら、きっとみんな頭が痛くなったり、心臓や胃の具合が悪くなったりして、からだの代謝はすっかり調子が狂って しまうだろう。何十年もの間、自分なりに考えることもせず仕事ばかりしていたとしたら、まともでいられるわけがない。 だが本当に、ベーシック・インカムが成し遂げられたらどうなるか見たいものだ」。(注20)

働かざるもの、食うべからずなのか?——労働価値説から離れて

 ベーシック・インカムに向けられるもう一つの重要な批判的立場は、ベーシック・インカムが労働という規範的な価値を問題にしている点である。歴史的に、労働運動は賃労働システムの中で組織された。搾取に対する全ての抵抗手段を作り上げ、あらゆる権利(有給休暇から社会保障まで)を手に入れた。その結果、労働総同盟(CGT)がアミアン憲章(1906)(注21)のなかに、目標の一つとして《賃労働システムの消滅》を記載したことを、時には忘れるに到った……。それに、労働組合やそれに近い諸政党にとって、労働とは自己の誇りや自己実現のかけがえのない源泉なのだ。《市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシアシオン》(Attac) のメンバーである経済専門家ジャン=マリー・アリビによれば、労働とは「望むと望まざるとに関わらず」「社会統合の真の要因」をなしているものである。なぜなら労働とは、「完全な人間、つまり生産者で市民という資格」を個人に与えるものだからだ(注22)。

 しかし逆説的なことではあるが、ベーシック・インカムの一部の信奉者がこれを支持する動機としているのは、労働の擁護なのである。彼らはベーシック・インカムに職場の労働条件の改善手段を見いだしている。《労働の権利》は人権宣言の中に書かれている。しかし、ヘーニーとシュミットは映画の中でこう尋ねるのだ。「何かをしなくてはならないという権利なんて、あり得るのでしょうか?」 ベーシック・インカムがあれば、給与生活者たちは、望むなら給与生活者をやめることも可能だし、給与生活者に戻りたい失業者たちは再就職も可能だ。自分の生存がかかっていないという事実は、雇用主との交渉に際して今までよりずっと大きな力を与えるだろう。特につらい仕事に関しては。ヴァン・パレースとヤニック・ファンデルボルツは、ベーシック・インカムが「長期ストライキの場合(注23)」の切り札になると考えるよう勧めている……。

 しかし一方、他のベーシック・インカム推進者たち(とりわけミロンドやユートピア運動)は、特にこの衰退の時代における、賃労働システムに対する批判を明確に表明している。彼らは次のように主張している。ほとんどの仕事は、労働者に誇りも与えないし、全体の利益に奉仕しているという感覚ももたらさない。明確に逆の感覚を抱かせるとまでは言わないが。それにたとえそういう場合、つまり誇りや奉仕の感覚を得られる場合でも、科学技術の進歩と結びついた生産性の増大のせいで、いずれにせよ全員にふさわしいポストを提供することは不可能だろう。国の税負担制度の拡大によるベーシック・インカム導入の信奉者ベルナール・フリオは以下のような考え方に賛成している。すなわち、「公務員をクビにする仕事に携わっている女性視学官や、モンサント社(注24)のために不毛性の種子を作っている労働者になるぐらいなら、働かないほうがましだ」。彼は《栄光の三十年》[第二次世界大戦終了から1973年までの期間のこと——訳注]における完全雇用を「まやかし」と呼ぶ。人々はその時代に回帰したいと言っているのだが。「1960年代のいわゆる完全雇用というのは、男たちのための完全雇用だった、ということを決して忘れないでおこう」。(注25)。

 イタリア労働者のアウトノミア運動(注26)に触発された流れは、フランスではヤン・ムリエ=ブタン(注27)あるいはCargoの共同創始者ロラン・ギヨトーによって体現されているが、この流れによる賃労働批判は、カール・マルクスから取り入れた《一般的知性》(注28)の概念に依拠している。マルクスは『経済学批判要綱』の中で、社会全体によって年月を重ね蓄積された知性が価値創造の核となる時代が来ることを予測していた。非物質的なものの経済の到来によって、そうした時代のまっただ中にわれわれがいることを、読者は認めることになるだろう。そして、その時以来、資本主義はしだいに攻撃的な寄生的性格を強めることになるだろう。すなわち、資本主義は、資本主義の外部で発達し人格と切り離せない能力を横取りするだけで、しかも人格のほうはというと能力を発揮するのに資本主義を必要とはしていないのだ。

 富の産出の大部分はそれゆえに、雇用の範囲外で行われるのだ。のんきなセミと勤勉なアリの姿のあいだに、ムリエ=ブタンは第3項、すなわちミツバチをおく。ミツバチの受粉作業は直接的な価値は作り出さないが、その働きがなければどんな作物も存在しない。これと同様に、人々は皆各々、最も取るに足りないような日常の活動によってであろうとも、世の中の経済に間接的に寄与しているのだ。

生きていることそれ自体への給付

 こうした議論は、デマゴーグがふりかざす偏見に満ちた表現、つまり《生活扶助を受けている人》は他人の働きで暮らしている役立たずの怠け者である、という言いぐさの無意味ぶりを思いおこさせるという利点がある。しかし、そのような議論に基づいてベーシック・インカムの正当化をすることは、アンドレ・ゴルツが良く見抜いていたように、罠におちいってしまう。すなわち、「そうすることによって、人は労働価値説(注30)や生産性第一主義の立場にとどまることになる」のだ。ところが「《生きていることそれ自体への給付》は、賃金を求めないし、支払いもしないという点にもっぱら意義があるのだ」。つまり、《生きていることそれ自体への給付》はむしろ「金に置き換えられない豊かさ」を作り出すことを可能にするはずなのだ(注29)。

 いずれにせよ、ベーシック・インカムの実施を理論上根拠づけるために、《一般的知性》に従う必要は全くない。ベーシック・インカムの最初の提唱者の一人で、英国出身のアメリカ人革命家トマス・ペイン(注30)は、彼の著書『土地配分の正義』(1796)の中で、土地の占有に対する正当な補償として、土地所有者に税金をかけ、それをベーシック・インカムにあてようと述べている。土地はもともと皆のものなのだから……。

 

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年5月号)


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