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・自分の外にあるいかなる物や人にも依存しない

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      神社仏閣にあるさまざまな像や仏像は、どのような目的で作られてきたのでしょうか?
   それは昔、人々が神々にお礼を言う目的のために作られたものです。しっかりした信仰を持ち、よりふさわしい想いで本物の神々に接することを願ってさまざまな仏像を作りました。つまり、高い神々などの存在と接することが不可能なことからそうした形を作ったのです。そうした像や仏像を通して、人々は地球や地球の神々をより近くに感じることができました。

   像の中にはさまざまなものがあり、人だけでなく動物やトカゲ族などを表す形もありました。問題は、ある宗教を通して像が作られる時、その宗教、宗派が祀る神、あるいはそれらを通して邪悪な存在の力を受けることです。それは特に、その宗教団体や創始者の霊的レベルと関係しています。その宗教団体のエネルギーや力がすべてそこへ入るからです。

   ですからある宗教団体が本来の信仰を失い、宇宙の法則である神とは反対の方向へ逸れてしまうと、像のエネルギーも変わってしまいます。それはネガティブなものや、怖ろしいものが入る可能性があるということです。そうした存在のエゴの想いは、像を通して信者をコントロールするようになります。

   初めのうちは奇跡などがあったとしても、次第に人々の魂や想い、信仰がそこで束縛されるようになり、やがて信者たちはそれぞれが大きな問題を抱えるようになります。つまりそうした像や仏像を通して、信者すべてのメンタルをコントロールするようになるのです。

   像の中に宿る霊には動物霊だけでなく、邪悪な霊や自然霊がありますが、それらはすべてそうした像を崇拝している宗教や人々のレベルによります。像とは形を持った単なる物質であり、3・8次元から4次元の空間と関わっています。つまり物質として存在するものには、常にエネルギーである何者かが入るという可能性があるのです。それがさまざまな霊やエレメンタルなどです。

   組織や団体の、あるいは個人の思念や責任の欠如が原因で、ネガティブなものを引き寄せることがあります。たとえばある個人が、ある宗教団体から仏像を引き受けて面倒を見ていたとします。その人が亡くなり拝んだり供養する人が誰もいなくなると、その像の中に棲みついていた霊に見捨てられているという悔しい思いが生まれ、関係者にさまざまなことが起きるようになります。

   彼らはこれまでのように、世話してくれる人々から霊的エネルギーが欲しいのです。
   それが得られなくなったとなると、亡くなった人の家族や親類縁者などに、霊的な問題や病気などがもたらされるようになります。彼らの立場になってみれば理解できることで、今まで信仰の対象として崇められていたものが、ある日突然人間の側からの都合で放置されるわけです。

   それは悔しいに違いありません。
   それを得ようとして関係者たちの霊的エネルギーを吸い続けるので、家族などにはさまざまな問題が生じるようになります。彼らの悔しい思いが、霊的に感情的に、精神的、肉体的な問題を引き起こすのです。

   また、古い宗教の像などがあります。
   それはこれまでしばしば邪悪な力に利用されてきており、それをたくさんの人々が信じてきたわけで、ここには大きな問題があります。そうしたものを崇拝することにより、知らないエネルギーの世界に足を突っ込むことになります。一方、先祖の仏壇へ入れる小さな仏像が、ネガティブエネルギーでいっぱいの場合が少なくありません。

   そうしたほんの小さな仏像が、亡くなった先祖たちを支配したりコントロールするようになります。それにより位牌(いはい)が動いたりすることがあります。そこには先祖は不在であり、動物や邪悪なネガティブなものが仏壇を支配し、手を合わせる人々のエネルギーや供え物のエネルギーを吸収します。それでは先祖は仏壇を訪れることはできません。

   たとえその像が、神の姿や美しい形をしていても、中身は別の物に占領されている場合が多いのです。ですからそのような形あるものを祭るのであれば、ネガティブなものが入り込む隙がないように、小さなものも含めて像に対する必要な取り扱いが求められます。なぜなら一度お祭りすると、そこには義務や契約が発生するからであり、それを破ると子孫がそれを負うことになります。

   そうしたトラブルは、人間関係や病気や事故など、さまざまな形でやってくることがあります。それは知らなかったとはいえ、さまざまな仏や神、人、動物やトカゲ族などの形をしたものを祀った人々の、無知と責任の欠如によるものです。ですからそういうものを引き受ける際には、十分気をつけねばなりません。取り返しのつかない結果になる場合もあるのです。

   もし像を引き受けて家に置くのであれば、そこに義務や契約が発生し、良い悪いにかかわらず、さまざまなことがあることを理解しておくことです。しかるべき場所で像を祀るのは悪いことではありませんし、そうしたエネルギー存在がおられるでしょうが、でもすべてがそうではないことを知っておいてください。

   すでにお伝えしたように、その宗教組織や団体の指導者がどのような霊的レベルにあるかによります。それはどこまで、宇宙の法則に対して忠実に生きているかということです。ですからあなたが買う物や、家へ持ち帰る物には気をつけてください。そうした物を家へ持ち帰ることにより、邪悪なエネルギーとあなたの家とが繋がれてしまうことも実際に起きています。

   一度そうしたエネルギーと繋がると、邪(よこし)まなエネルギーは強いことから、より大きな神々やそうした存在の力でなければ、それを断ち切るのは困難な場合が多いのです。しかも特に、現在のアセンションによるエネルギーの変換期においては、ネガティブな存在たちが人類を逸脱させて霊的進化を妨げようとしており、そうした像に入り込むことで利用しています。

   眺めるのと祈るのとは違います。
   ですからめったに手を合わせたり、祈ったりするべきではありません。多くの場合、そうした像の後ろにどのようなエネルギーが潜んでいるかわからないからです。いつも本物の神々が存在するわけではなく、中にあるものがあなた方には見えないからです。

   祈ることと尊重することとは違います。
   祈りを上げるということは、契約をすることと繋がる場合が多いのです。実は願いも祈りもエネルギーなので、そうした場所で祈ったり願ったりしたことでその場所のエネルギーを持ち帰り、それが自分だけでなく家族にまで影響を与えることがあります。福を呼ぶつもりで家に持ち帰った小さな像が、後に自分や家族の人生に大変なことをもたらす場合があるので、十分に注意してください。

自分の外にあるいかなる物にも人にも依存しない

   これからのあなた方の進み方としては、決して自分の外にあるどのようなものにも依存することなく、まず自分自身を見つめ、自分の考え方を吟味し、意識を上げて成長することを目指してください。大切なのは形ではなく、そこにある神の本質というエッセンスであり、これを見る心の目が大切です。常に本質に目覚めていれば、間違うことはないでしょう。

   ですがあなた方はしばしば、外見や見た目に翻弄され、それがあなた方を盲目にし、違う方向へあなた方を連れていくことになります。物の形や外見、人の意見や噂などに左右されてはいけません。しかし現実には、多くの人々がお札や小さな像などをお寺などから持ち帰ります。しかしあなた方はその中に何が隠されているかを知りません。

   人々や寺の指導者の間違った信仰心をうまく利用して、人をコントロールしようとする見えない存在のあることを忘れないでください。心の目を開き、内なる神聖な本質を求めながら進んでください。家や職場などに神棚を祭るのは悪いことではありませんが、それなりにふさわしい意識や心で祀るのでないならば、あなた方の意識レベルに応じたネガティブな霊的存在と繋がることになり、その影響下に身を置くことになりかねません。神棚への正しい概念を持つことが大切です。

   かつて日本人は信仰心のある国民でした。
   しかし今の人の信仰心は、多くの場合、宇宙の法則や神に向かって自らを高めるためのものではなく、単なる習慣として困った時の神頼み、心の依存、あるいは観光や遊び心によるものです。しかし今のこの時期、地球の変わりつつある波動に合わせて自分も変化する努力をしないならば、加速していく高まる波動についていけなくなるでしょう。

   地球はアセンションするためのプロセスを確実に歩んでいますが、その上で生活している人類にとって、もはやアセンションという次元上昇は個人の問題となっています。


      ”ホワイトブラザーフッドが語った『日本の新しい霊的現実』のすべて”
          神社仏閣にいた神々はすでに立ち去りました
   『もっと悟って もっとアセンション』 A・ジョルジェ・C・R/高木友子
                      ヒカルランド

                             抜粋


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