東洋経済ONLINE(リンク )を転載します。
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「社会人になったら保険の1本ぐらいは入っておこう」
「結婚したら愛情の証として、子供が生まれたら親の責任として保険を契約しよう」
これが平均的な日本人の保険の入り方です。
でも、このように考えているのは、おそらく世界中で日本人だけです。こうした保険の入り方は、欧米諸国の人たちにはとても理解のできない、日本特有のものなのです。
それでは、世界一の保険大国・米国では、どのような場合に保険に入るのでしょうか。
まずもっとも利用されるのは、住宅ローンを組んだ時です。死亡によりローンが返済できなくなった場合の担保として保険が必要となります。
次は、相続対策として生命保険が必要な場合です(主に金持ちの人たちです)。どちらもスキームの中に保険が組み込まれているケースです。その他の場合、米国人は特に生命保険に入ろうとは考えません。
■絶対に必要な保険にまで入らない米国人
社会人になったからとか、結婚したからとか、そんな理由で保険に入る米国人は、まずいません。日本では固定観念に近い、子供ができたら生命保険に入る、という感覚も共働きが当たり前の米国人は持ち合わせていません。夫婦のどちらかが死んだ場合でも、遺された方が自分の収入でなんとか子供を育てあげられるなら保険はいらないと考えます。
「できるだけ保険に入らない」という米国人気質が典型的に現れたのが、医療保険の分野です。米国には、日本のような公的な健康保険制度がありません。そのため民間保険会社の医療保険に加入していないと、病気の際に治療してもらえません。だから米国では、医療保険は生活する上で必須の保険です。
ところがその医療保険ですら、5000万人近い人たちが入っていなかったのが実情です。米国が長らく悩み続けている無保険者問題です。ついにオバマ大統領は「オバマケア」と呼ばれる、医療保険加入を強制化する法律を成立させ、昨年より施行されています。
このように、必要な保険までなかなか入らないのが、保険大国と言われる米国の実態なのです。
■ヨーロッパではもっと「保険に入らない」
欧州に目を転じても、英、仏、独といった先進諸国の人たちは「保険にはできるだけ入らない」と考えています。その傾向はむしろ米国よりも強いと思われます。
保険発祥の国・英国で売られているのは、ほとんどが一時払いの年金保険です。フランスでは、伝統的に銀行での保険販売が盛んですが、売られているのは、投資信託などと同じ運用目的の保険です。どちらの国の人々も、日本では代表的な死亡保険にはほとんど入りません。
生命保険料総額では、世界の1位が米国、2位が日本、3位英国、そして4位仏国と続きます。しかし、その中身をよく見てみると死亡保険、がん保険、医療保険のような保障系の生命保険は、日本以外ではわずかしか売れていません。日本こそが世界トップの保障保険大国なのです。
では、なぜ日本人はこのように保険好きなのでしょうか。その大きな理由として、次の3つが挙げられると思います。
ひとつ目は、戦後からバブル崩壊まで、長い間続いた高度成長経済です。この間、人々の給与は上がり続けました。そして豊かになったフトコロが、膨張する保険料負担を支えました。経済的余力があったからこそ、日本人は多くの保険に入ることができたのです。
2つ目は、成長経済下で育まれた日本人の「一億総中流」意識です。そもそも生命保険は、中間所得層向けの金融商品です。富裕層はお金があるので保険を必要としません。低所得貧困層の人たちは、保険料を負担する経済的余裕がないので保険に入れません。唯一、保険の引き受け手となるはずの巨大な中間所得層が、かつての日本には存在しました。
そして、まわりの人たちが次々と保険に入る様子を見ながら、何となく自分も保険に入らねば、との思いも生まれます。中流意識と日本的ヨコ並び意識が相まって、保険加入の流れが加速されたのです。そこでは欧米のような、何のために保険に入るのか、保険は必要なのか、といった根源的な疑問が生じることがありませんでした。
3つ目は、保険情報の閉塞性です。人々が目にする保険情報は、ほとんどが保険を売るサイドから発信されるものばかりでした。「売らんかな」のバイアスがかかった情報ばかりに振り回され、いつしか人々は、売り手の思惑通りに行動するようになりました。
「どの保険が選ぶのがよいのか」を迫る保険情報によって、「何のために」「そもそも必要なのか」といった視点は覆い隠されてしまいます。その結果、いつの間にか「保険は入るもの」が日本人の常識になってしまいました。
■日本の保険はガラパゴス状態
こうした日本人の保険観は、世界の潮流から取り残された保険ガラパゴス的産物と言えるかもしれません。そこからは、欧米のような「保険はそもそも必要なのか」という疑問は生まれません。そして、「必要がなければ保険はできるだけ入らない」という当たり前の発想もついに出てきませんでした。
日本人は、必要でない生命保険に入り過ぎています。日本は、とうの昔から欧米諸国並みに社会保障制度の充実した国になっています(場合によっては欧米以上です)。ですから、屋上屋を重ねるような多額の生命保険に入る必要はありません。
不要な保険に入る、ということは、それだけ他の生活費を圧迫する、ということです。
「保険は入るもの」と情緒的、感覚的に信じ込み、何となく生命保険に入る時代は、とうに終わっているのです。