アダマス・セント・ジャーメインからのメッセージ
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(キリスト教信者に向かい) どうやって天国に到達すればいいのでしょうか?
それは地球で肉体に転生することを通してです。それはあなたのあらゆる要素(アスペクト)を、この「今」の瞬間に融合することを通してです。自分自身についてのすべてを受け入れ、今現在の瞬間に、最大限充実した人生を生きることによってです。
アトランティス時代(約5万年前)に遡ってみると、当時の人々は人間であることと、霊的意識体が肉体とマインド(表面意識)に顕在することに、焦点を 合わせていました。それはスピリット(霊的意識体)がそのまま、(目に見える)物質的に具現化した状態でとどまることの困難さをよく理解していたからで す。よってアトランティス時代の取り組みの多くは、肉体の旅を尊重し、肉体を強化することを目的としていました。すなわち肉体を神の神殿と考えたのです。
しかしそれから後、再び地球に転生したあなた方は、自らの人間性を否定するようになりました。つまり、カタリ派の生き方こそが完徳者のものであり、地 球上にあるものはすべてが邪悪だと信じるようになったのです。それは肉体に関することだけではなく、自然の美に対してさえも邪悪だと信じたのです。おそら く彼らは、その誘惑的なエネルギーを怖れたのでしょう。彼らは独自の世界の神や悪魔を創造しましたが、そのゆえに、肉体という現実の中に生きることすべて が闘いになりました。
カタリ派が自らに生み出した「地獄」
カタリ派は古代の多くの謎を知っており、神性についても知っていましたが、それはごく一部分でした。彼らがアンバランスを創り出してしまった原因は、 人間自身への否定と、人間の生きる体験への否定があったからです。彼らはさまざまな意味で今のあなた方に似ています。そして実際に、彼らはいろいろな意味 で、今の現実を生きている”あなた”そのものです。
彼らは、魂の進化と、輪廻転生のあることを知っていましたが、輪廻転生を良いも のだとは考えず、それは懲罰であると見なしていました。彼らは肉体の現実を否定していたので、セックスに対しても、肉体的な愛という美しいものも否定して いました。彼らはこの地球上にあるすべてを否定し、この人生という祝福すべきものまで否定していたのです。そしてこのようなアンバランス(不均衡)が、独 自の地獄を創りだし、光と闇という問題を生んだのです。
カタリ派の信者はたまに少しだけセックスをし、食物や俗世間的な楽しみを享 受しましたが、一般の信者たちでさえが、人間の体験は悪いものだと信じていました。そして言うまでもなく(カトリック)教会は、そこに罪や人間の弱さなど を持ち込むことで、そうした信念をより強化したのです。それ以来、現在ではそれが一般的な信念体系に定着しています。すなわち、神は完璧で、人間は欠陥が あるというものです。
それが、(キリスト教会が持ち込んだ)男性女性のエネルギー的優劣、あらゆる二元性的概念、力による操作、独 自の教義、歪曲、コントロールだったのです。それ以来、人々は強力な二元的概念のもたらす問題を背負うようになりました。そして彼らは自分たちは光であ り、それ以外の人やものはすべてが闇だと信じるようになったのです。(キリスト信者だけが救われるとする考えもここに発している)
大勢のキリスト教信者の人々が去る準備をしており、あの世に行くのを待っています。
そしてユートピア(理想郷)はどこか離れた領域にあると信じています。ありません。一般的な人間が地球を去る時は、肉体を離れて、自分の今の意識体と 一緒に次の場所へ行きます。あなたの意識は今の意識そのままです。そしてほとんどの場合、たいていはそこが自分が思っていたような、フワフワした天国でな いことに失望します。なぜならほとんどの人にとってそこは、(自分の意識レベルに応じた)地球で生きていたのとほぼ同じ状況だからです。違いは、ただ肉体 がないだけのことです。
想像してほしいのですが、それがどれほどの失望と落胆だと思うでしょうか。
彼らは完璧を目指 して全生涯をかけ、決してそうはなりませんが、とにかく神に祈ります。そして「許し」とは彼らが思っているようなものではないのですが、許しを請います、 その必要もないのに。彼らはあの世に到達すると、そこが自分の生きていた状況と同じであることを発見します。それであっという間に、彼らが地球に転生して 舞い戻って来るのは無理もありません!
現在、人々の意識は変化しています。
それはあなたのような霊感に溢れた存在を通して変化しているのです。そうした変化は、今、まさに今ここで起こります。人間性を否定するということではありません。人間性を愛し、表現し体現し、楽しみ、そして何よりもそれと遊ぶことなのです。
大事なのは、「今」この瞬間に、ここで(自分自身に)統合することです。
それは完璧さではなく、統合です。もしあなたが完璧さを求めるならば、そのゆえによりいっそう地球上で多くの生涯を送ることになります。完璧さというものはありません。あるのは受容です。
これは実にシンプルな原則なのですが、どういうわけか、人間はそれをあまり信じたくありません。もっと奥の深い、学ぶべきことが何かあるはずだと信じているのです。肉体を完璧にする何かを、達成する何かを、深遠なミステリーを何か理解する必要があると。
「あなたもまた、神である」ということ以外に、聖なるミステリーなどどこにあるのでしょうか? あまりにもシンプルなので、(それを信じない)あなたのために泣きたいくらいです。
『神性を生きる』 ジェフリー・ホップ、リンダ・ホップ著 ナチュラルスピリット 抜粋