2015年1月29日
第18話 宰相、死を覚悟して妙荘王を諫める
老宰相アナーラは、度重なる妙荘王の横暴に胸を痛めていた矢先に、突然妙善姫が処刑されるという知らせを受けました。慌てて刑場に駆け付けたが、全ては既に終わった後で、群衆は口々に妙荘王の非道を非難しながら散って行きました。
姫の処刑と失踪に絡まる一連の噂はたちまち国中に広まり、群衆はこの奇蹟の話に湧き返りました。一体姫は誰かに連れ去られたのか、はたまた処刑されてしまったのかという疑問と、否、姫はきっと生きていらっしゃる…姫を捜そうという議論が沸騰して、国中の話題を攫いました。やがて姫は生きていらっしゃるという空気が大勢を占め、何時しか彼方此方で姫の捜索が始められました。
処刑の日から四十九日が過ぎ、一人の樵夫(きこり)が興林国の西方に位置する香山(こうざん)に伐採に入ったとき、何処からと無く清らかな香りが流れてくるのを嗅ぎ付けました。樵夫がその匂いに釣られて山奥深く進み入ると祥雲が棚引いていて心地よく、更にその雲を辿って行くと平坦な松林が現れ、その中に古びた庵が一軒ありました。
樵夫が恐る恐る庵に近寄って中を覗いてみると、一人の気品高き少女が静座修行しておりました。樵夫は直感的にこの方はきっと妙善姫様に違いないと思いましたが、念のため何回か暫く様子を窺っているうちに少女の全身から溢れ出る霊気を感じ姫様だと確信するや、驚きと嬉しさの余り一目散に山を駆け下り、宰相府に直行しました。
この事は衛士を通じて即刻アナーラに報告されましたが、老宰相は半信半疑の様子でした。しかし、あまりにも真剣な樵夫の訴えを聞いているうちに自分の目で確かめてみようという気持ちになり、樵夫の案内で単身香山に向かいました。
庵に入って少女が正しく姫であることを知るや、アナーラは感涙に咽びました。早速姫の御健在を祝すると共に、姫に帰殿されることを願いました。姫は黙ったままでしたが、そのお姿には今までに感じたことのない近寄り難い気品があり、アナーラはその気品に打たれてしまいました。姫は宰相の言葉が終わると、静かな口調で宰相の好意に感謝し、本山に留まって更に修行を続けるという心情を述べ、弥陀の大法理を心を込めて説きました。
姫の言葉に感動した宰相は、妙荘王を諫めて姫の修行を正式に許して貰い、新しい仏陀の教えを広めようと決意しました。そして菩薩のような神々しい柔和な姫の姿に掌を合わせて一礼し、その場を辞しました。今の姫を無理に帰殿させるよりも、むしろ此所に留まって修行をさせたほうがよいと信じた宰相は、是非とも妙荘王を説き伏せなければならないと固く決心して下山しました。
宮殿に帰ってきた宰相アナーラは、早速妙荘王に謁見を申し入れました。如何にして妙荘王に真実を打ち明ければよいか、という思案で頭が一杯です。いろいろと考えてみたが、結局は素直に言上しようと意を固めました。
妙荘王の前に出たアナーラは、今までの経緯を述べた後、姫が香山で修行していることを報告しました。妙荘王は不審と驚愕の思いで聞いていたが、アナーラが直に確かめてきたことを知るや、初めて王も姫の生存を信じました。
王は今となっては、姫を罰する気になれません。しかし国王としての体面上、一旦出した命令を軽々しく撤回するワケには行かず、全く苦悩の面持ちです。
「王様、真の仁慈ある王者は、『過ちを改むるに憚ること勿れ』と言います。また真の智慧ある王者は徳力を以て民心を感服させるべきであり、真の勇気ある王者は正しい事に決断を以て処すべきでございます。古の王者は民衆と心を一にし、沈着・冷静・聡明・慈愛・明智、何一つ欠ける処がございません。今の王様は、軽挙・横暴・無智・過酷な無道の王に変じつつあります。どうか、考えをお改め下さい。姫をお許しになり、今後の修行を心の赴くままにさせて上げて下さい。我が国に秀れた菩薩のような姫を出したということは興林国の栄誉であり、高く讃えられることです。徳高き王様の御子であってこそ、秀れた菩薩の顕現があったものと信じます。私の願いを入れて、是非姫を許して上げて下さい。この秋にこそ王様は、大いなる慈愛の令を発して、天下に姫の大赦を布告すべきだと存じます。そうなれば民衆は、挙って王に心服し、王統の万歳を祈り讃えることでございましょう」
両膝を跪き、床に頭を着けながら懇願する宰相の頬に、涙が止めどなく流れます。そのような痛々しいアナーラの姿から目を逸らした王は、小さく呟きました。
「よく解っておる。しかしアナーラ、今余が妙善を許したならば、民の心は王命を懼れず、それに乗じて民衆の反乱が起こり、国が乱れる基になるのではないか」
「それは王様が、姫の本当の御素性をお知りにならないからです。我が興林国の民は、一人として姫をお慕いしない者はございません。また王様はご存じないかも知れませんが、天竺から伝わった仏道の信仰に大方の民衆は帰依しております。権力を以て圧迫しても、却って民衆の信仰心を激しく燃え上がらせるだけです。如何なる迫害も、効力はございません。正しい信仰は、許すべきです。正しい法の伝来を最優先に受け入れ、仏道を国教にすべきだと存じます」
「アナーラ、汝は余に対して説法をする気か。余に改宗をさせようと言うのか」
「説法ではございません。真実の声です。また、改宗を勧めているのでもございません。正しい法をその上に加えて、純化した阿弥陀の道に帰依することが正しい道だと存じます。姫が王様を愛する心と、民衆が王様を慕う心を素直に認めて上げて下さい。民衆は姫によって菩提心を得、心から明るく生命の喜びを感じているのです。どうか自我を捨てて過ちを過ちと認め、姫の修行をお許しになり、民衆の願いを聞いて上げて下さい。徒に面目に執らわれず、むしろ白雀寺の再建をお命じなさることです」
「今更、どうしてそれが出来るのか」
妙荘王の顔には、苦悩の色と自暴自棄に似た色が浮かびました。如何にすべきか、と思い悩んでいる妙荘王の顔を見てアナーラは、更に信仰の自由と求道の必要性、姫の心情と王者の道などについて諄々と説き続けました。その言葉は恰も肺腑を抉り、血を吐くかのようでした。
苦悶する妙荘王、その様子を一心に見詰めるアナーラ、主従二人の間に重苦しい沈黙の時が流れました。何時しか日も暮れ、夜の帳が下りようとしています。一人の宮女が密かに入ってきて灯火を点したことも気が付きません。二人の影は動かず、まるで化石になったかのようです。
やがて妙荘王は、大きな嘆息を吐いて
「アナーラ、余はどうすればよいのだ」
肩を落とし落胆したような老王の声に、アナーラの顔には喜びの表情が浮かびました。
「賢明にして徳高き王様、よくぞお聞き下さいました。先ずは亡き五百尼僧の遺骨を鄭重に集め、国を挙げてその霊を弔うのです。次は白雀寺の再建と、獄舎に繋がれている長老尼僧の釈放です。そうして長老尼僧を白雀寺の住職に任じ、仏道を一層広めるよう勧めては如何でございましょう。また民衆の修行に対しては、禁止や否定などの布令を出さないで下さい。更に白雀寺再建の暁には、必ず王様が自ら参拝に出掛けられることをお願い申し上げます。それが、今の民心を和らげる唯一の道だと存じます」
王は目を伏せて考えていたが、暫くして言いました。
「だが、妙善をどうするのだ」
「勿論、姫の出家をお許しなさることです。しかし白雀寺は焼失してしまいましたから、その寺にはお戻りになれないでしょう」
「では、何処に出家させるのだ」
「今姫は、香山の庵にいらっしゃいます。恐らく姫は、宮殿にお戻りにはならないでしょう。そこにお留まりになり、そのまま修行を続けられるものと思われます。私の考えですが、香山の連峰に耶摩山(やまさん)があり、その中腹に金光明寺(こんこうみょうじ)という古寺があります。以前僧侶達が集まりそこで修行しておりましたが、猛虎が出没すると言うことで、今では無住の荒寺となっております。ここを改築して、姫の修行の場とされては如何でございましょうか。修行には、絶好の場所ではないかと存じます」
妙荘王は、唸って腕を組んだまま返事をしません。まだ心の中に蟠りがあって、決断をしかねている様子です。だがアナーラの血を吐くような熱情溢れる言葉は理路整然としており、一言一句に深い愛情が迸っていることが解るだけに、王はだんだんと過去の愚かさを後悔し始めました。
今日のアナーラの諫言は普段と違い死を覚悟していることが、王にはその気配でよく察することが出来ました。考えてみれば、姫は出生・幼時から常人とは異なる使命と目的を帯びて生きているように思えました。自然に内面から醸し出される雰囲気は周囲の人を徳化し、思い通りの道を歩んで来たことが王にも解りました。誰からも愛され、誰からも慕われてひたすら信仰の道を進む姫の行く手は如何なることがあっても阻むことが出来ないほどの気高さがある…と、妙荘王は切実に感ずるようになりました。
確かに姫は何かの使命を帯びて生まれてきている、あの白雀寺を一嘗めにした猛火の中で奇跡的に助かり、斬首・絞殺の刑を以てしても姫を罰することが出来なかったのは、姫の心が弥陀に通じているからではなかろうか。何故今までこの事に気が付かなかったのか、そうだ、姫は生まれながらにして仏道を宣揚する人であると老翁に言われたことがある。自分は、何を血迷ってその事を忘れていたのであろう。五百余名の尊い尼僧の命を奪った代償として今頃になって気付いた私は、何と愚かな人間であろう。
完全に目覚めた妙荘王は、言いしれぬ懺悔に胸を痛めながら
「アナーラ、余は悪い事をした。今まで考え違いをしていたのだ。一切を汝に任せる。全て、良きように計らってくれ。頼むぞ」
と言い残し、妙荘王は沈痛な面持ちで力なく接見の間を出て行きました。アナーラは、賢明な王の正直な告白と慚愧・悔恨の心情を汲み、感涙に咽んで妙荘王の後ろ姿を拝するのみでした。
妙荘王の打って変わった理解ある態度に恐懼感激した宰相アナーラは、大任を果たした喜びを抱いて妙音・妙元の二姫に事の次第を報せました。両姫は思い掛けない父王の深い慈愛に痛く感激し、心から妹姫のために喜び、その成就を願い、妙善姫の修行求道の外護を決意しました。
そして一日も早くこの朗報を妙善姫に伝えるべくアナーラ宰相と協議した結果、日を選んで二人の姉姫が出向くことになりました。妙音姫の心中には、果たして妙善姫が松林の修行処から金光明寺へ移るだろうかという不安・懸念がありました。
一方、金光明寺は早速造修されることが決まり、監督兼責任者には妙音姫の婿超魁が任命され、槌音も高らかに工事が進められました。この知らせを受けた城下の民は、我先にと長蛇の列を作って献身を志願し進んで工事に参加したため、老朽腐蝕していた庵寺はたちまち面目を一新し、荘厳な威容を顕し出しました。妙荘王の強い意向で金光明寺から宮殿に通じる道路が補修され、猛虎の棲息を許した森林も伐採されて平地となり、境内を広げて説法の法場として兼ね使えるようにしました。
香山で独座修行をしている妙善姫の苦行を心配して妙音・妙元の両姫は、数日後、保母、永蓮と護衛の供を連れて香山にある松林の精舎に向かいました。その精舎は金光明寺から西方十里ほどの山腹にあるが、付近一帯の森林樹木は昼なお暗く、樵夫の他に足を踏み入れる人はありません。
妙音・妙元姫は、難儀しながら樹間を抜けて奥に分け入りましたが、刑場に於いて突風砂塵と共に消えた妹姫は如何なる経路を辿ってこのような山奥に来たのであろうか…不可思議な神秘感に打たれる思いです。二方はアナーラが書いてくれた道順に従って歩き、ようやく紫雲棚引く松林精舎に辿り着き、そこで妹妙善姫の無事な姿を見付けて喜び合い、弥陀の高恩に感謝しました。
久し振りに見る妹姫の姿には白光が漲り、姉姫達にはこれがたいへん眩しく感じられました。二方は、この度の父王の心の変化と今後の修行を許可された経緯を告げ、続いて妹姫に松林精舎を引き払い金光明寺で修行するように要望しました。ところが意外にも、妹姫は首を横に振り
「私には、私のために亡くなった五百余名の尼僧の霊を弔う義務があります。私が此所に運ばれてきたのも、弥陀の御意によりましょう。独り此所に留まって修行し、諸々の霊が救われるように念じ、吾が罪を亡ぼす必要があります」
「妹姫よ、今一歩考えて下さい。その罪は、貴女が犯したものではありません。父君の犯した罪です。よしんば貴女が犯したとしても、此所に留まって、どうしてその罪を亡ぼし、衆尼の霊を救うことが出来ましょう。父君は白雀寺も再建されて、長老尼僧ほか国内の信者達を保護されるとおっしゃっています。ですからこの機会に金光明寺に行き、正式に出家されるほうが好ましいと存じますが」
妙音・妙元姫の二方は、交互に詞を強くして説き続けました。姉姫の詞が途切れるや、姫は静かに顔を上げました。姉姫の後に控えている保母と永蓮の瞳が涙に濡れて、何かを強く訴えているようです。この二人は、一生姫に跟いて修行を行おうと決意していました。
姫は、暫く黙したまま思念を統一しました。実は姫が金光明寺への出家を渋っていた原因は、この松林精舎の修練で自らの運命を強く悟られ、二つの誓願を立てられたのです。一つは、須弥山へ求法に出掛けて老翁との約束を果たすこと。もう一つは、五百余名の衆尼を済度すべく地獄の亡霊を救うことにあります。そのために南海普陀山へ赴いて自らの霊場を求めよう、須弥山の行も南海への行も共に苦難の道であろうが、自分一人がそれをやり遂げなければならない、自ら道を得てこそ更に衆生を救い得るものである…との決意を固めていたところでした。
姫の決意を察してか、保母は徐に姫に問い掛けました。
「姫、洪願を果たすには段階がございましょう。父君の御意を受け入れることは、父君の心を救うものと思います。ひとまず金光明寺に入られてから、改めて御崇高な弘願を果たされてもよいのではないでしょうか。その時は、私達にも手助けさせて下さい。姫お一人の為でなく、全て仏道を志す人々のために、今一度お考えを深くして下さい」
保母の詞に姫は初めて深く頷き、四人の前で金光明寺に正式出家する決意を表明しました。
「全ての霊の為に己を虚しゅうするのが菩薩道を行ずる人の心構えです。果てしなき苦海を彷徨う人々のために、自分がその礎になりましょう。姉姫、父君に心から御厚意をお受けしますと申し上げて下さい」
妙音・妙元両姫と保母、永蓮の四人は心から姫の決意を喜び合いました。そして皆で相談した結果、金光明寺の修築が完工する日に姫は正式に晋山されることに話が決まりました。更にその時には、保母と永蓮も姫に従って出家入山することになり、二人は手を取り合って喜びました。とりわけ永蓮は、天下晴れて姫の許で求法修行出来ることの喜び大きく、その興奮がなかなか冷めない様子であります。
姫は仏恩の高大を謝し、今まで自分の信仰を憎み、出家を妨害してきた父妙荘王のこの度の改心と仏道の宣揚援助に礼拝しました。そして、一応金光明寺へ参ろう、そこで暫く修行説法し、時を見て求法伝法の行に赴こうと決心されました。
保母と永蓮の二人は姫に願ってそのまま姫の許に残ることになったので、姉姫の妙音・妙元の二方は名残を惜しみつつ護衛を連れて下山しました。
姫の修行にはこの様に陰に陽に妙音・妙元姫の庇い立てと努力があったことは特筆すべきことですが、姫の仁徳に引かれ、逆に姉姫達が妹姫に感化されたところから良き縁が結ばれ深まっていったのであります。
一方、金光明寺の修築は急速に進みました。人々は連日に亘り嬉々として骨身を惜しまず作業を手伝ったため、約五か月を過ぎた頃には内備外装が完全に出来上がり、今や院主となられる妙善公主の御来寺を待つばかりとなりました。その間保母と永蓮は、姫に従って不遇罹災した五百尼僧の冥福を祈り、やがて自分達が成道した暁には必ず救度成道を行うという誓願を発しました。
そうして衆霊を救うには、先ず自ら正法得受を経て無上楽境の彼岸に到達すべきであることに気付きました。この事を心中深く刻み込んだ二人は、姫と共に大自然の景観地、崑崙山脈中央部の一角にある松林精舎で自らの霊光の純熟を練り、坐を組み法輪の順転を計りました。
ある日永蓮が恐る恐る伺いました。
「姫、金光明寺に入られるときには、猟師を連れて行かなければならないと思いますが」
「修道の行者が、猟師を連れて行くとは何事ですか」
「私が聞いたところによりますと、金光明寺のある耶摩山には猛虎が棲み着いていて、時々出没しては住民に害を加えると言うことで付近一帯に住む者はなく、これがため以前の寺は廃寺同然になったそうです。だから私達は、猛虎に備えて、猟師を連れて行ったほうが安全かと存じます」
「その事なら、危惧するに及びません。虎の性は獰猛ではあるが、山中の王としての霊感が備わっています。仏道では虎を巡山夜叉と名付け、山野を巡回する役目を与えています。虎に襲われる人は、心に疚しい処があるか、悪業を犯した人ばかりで、虎の目から見ればこのような人達は人間に見えず、他の禽獣畜生として映るのです。虎の目に明らかに人間として映るならば、絶対に襲われることがないと言います。私達は仏陀を信奉し、弥陀に帰依して一心に修行している身ですから何も心配することはありません。何も気遣う必要はないのです」
心配そうに語る永蓮に、姫は優しく諭されました。しかし永蓮は、納得せず
「姫、それは誤りでございましょう。金光明寺の前住者は僧侶ばかりで、全員が念経礼仏三昧の生活をしておりましたが、幾人もの僧侶が猛虎に攫われています。これは、どういう理由ですか。僧侶が人間として虎の目に映らなかったのか、それとも虎が誤って人に害を加えたのでしょうか」
「永蓮よ。修行では、外形の行は必ず内面の心意に合致すべきであるということを弁える必要があります。外形の行は戒律を守り経巻を誦え、勤行に務め、斎食・荒行に努めることです。しかし、それには心が伴わなければなりません。心からそうあることを願い、喜び守るようでなければ、歳月を無駄に費やすだけです。正果の成就には形式を廃し、虚飾を除き、深い信仰が伴わなければなりません。
例えば一人の優婆夷(うばい)があって仏門に帰依し、念経・念仏に勤めていたが怨念去らず、姦淫・窃盗・殺人・放火の所業を犯すなど罪深い事をしていたとしたら、このような場合は、仮令身は仏門に入っていても心は夜叉の如き人で仏弟子にはなれません。修行者の犯した罪は、凡人よりも倍も数倍も加えられてその身に降り掛かってきます。無上の正果を得るどころか、無下の業果を累ねることになります。かの災難に遭遇した僧侶達も、何かの業縁があったのか、前世の宿縁があったのでしょう。修行は容易ではなく、受難は付き物です。物事には縁の起こりがあり、終わりがあります。始まりを慎み、終わりを飾ることが大切で、苦労して修行をしても中途で挫折したり、魔障に屈服したりしては全て徒労に帰します。己への被害を恐れず、生物への加害を試みず、菩薩心を起こして終始不退転の願心を立てなければなりません」
姫の言葉に感激した永蓮は、双膝を跪き
「私は、考え違いをしていました。生物に対して、平等感の慈愛の心を持つことに欠けていました。お許し下さい。なにとぞ、永蓮を信じて下さいませ。誓願して、一生修行に退嬰すること無きように努めます」
姫は永蓮の誠意を察して心から満足し、将来の良き修友を得たことを喜びました。静寂な山腹の林中にある庵の中の丹房は、心暖まる気に充たされ、ここに居合わせた三人にとっては真実の心の極楽であり光明境でありました。
続き・・・