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バシャール:濃厚な人間関係

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2018-08-13 02:32:54 NEW !
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貴方の本気の思いは必ず相手に伝わります。それが”ネガティブな想い”だろうと”ポジティブな想い”だろうと変わる事はありません。貴方の本当の想いがちょっとした仕草や行動に表現されたり、話し言葉や口調に乗せられたりしています。

また、高波動の現在の世の中ではエネルギーに敏感な人達(エンパス)で溢れかえっていますから、表面的な”社交辞令”も同様に中身のない”空っぽさ”もしっかり相手に伝達されているのです。ですから心にない事を言うくらいだったら、”言わない選択”もある事を知ってください。中身のない社交辞令を言う代わりに、貴方の本当の想いを乗せてから伝達する。すると、相手にちゃんと貴方の気持ちが伝達されてゆく事ができるのです。ですからセールスが上手な人は気持ちを言葉に乗せてコミュニケーションを取る方法を知っているからこそ、人の心を掴むことができます。つまり、本気で信じる事だけを口に出しているのです。

本気の想いは空っぽな社交辞令の何百倍ものパワーを持っています。つまり、何百倍もの影響力を持っている事を意味しています。ですから、貴方の本当の想いを言葉に乗せて言葉をかけてみましょう。たったそれだけの事で、何百倍もの濃厚な人間関係を築ける事になります。


プマプンク遺跡―失われたオーバーテクノロジー(南米チチカカ湖)

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奇妙な旧世界 >

公開日: 2015/04/11 : 最終更新日:2015/06/18   奇妙な旧世界, 謎の古代文明 , , , , , , ,

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驚くスペイン人征服者に原住民は笑って言った。作ったのは我々じゃない、ここは我々が来るより遙か昔に建てられのだ――と。ここは巨人がラッパの音を使って一晩で作ったのだ――と。
学者も言う。「確かに1万5千年前、ギザのピラミッドより1万年以上古い、最終氷期、後期石器時代。だが……あり得ない」
超古代テクノロジーの証が残る場所、そこは天空の廃墟プマプンク。

神は積み木遊びをするか

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南米はチチカカ湖。
標高は富士山の頂上より高い3890メートルに位置し、天空の湖と呼ばれる神秘の湖だ。

16世紀にこの付近を訪れたスペイン人征服者たちは、驚きを隠せなかった。
そこに彼らの知っている『遺跡』というイメージから大きく逸脱した遺跡を見たからだ。

ゆうに10トンは超えるであろう巨石があちこちの土に埋もれ、それらにはどのようにして加工したかもわからない精巧精密な細工が施されている。巨大な基壇らしきもの。一枚岩で造られた巨大な門。並べられたH型をしたブロック。
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高原地帯で周囲に石もなく、木々さえも生えていない。その荒野とも言うべき場所に、打ち棄てられた遺跡――過去には立派だったであろう建築物の廃墟群がひっそりと眠っていた。

この廃墟群はティワナクと呼ばれる。

ピーター・ジェイムズは著書の中でこう表現している。
「これほどの高度では過去も現在も人間の活動の痕跡はきわめてマレで、あったとしても風景に比べるとひどく見劣りがしてしまう。だが、ボリビアのティアワナク遺跡だけは別だ」

まさに他の遺跡とは毛色が違った。

新大陸で略奪や虐殺を行っていた征服者や探検家――つまりはコンキスタドールであった、ペドロ・デ・シエサ・デ・レオンは後に執筆した年代記の中でティワナク遺跡群に辿り着いた時の感想をこう述べている。
「装飾や彫刻の素晴らしさのみならず、これほどの大きな石をどうやって運んだのか想像も出来ない」

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プマプンクの代名詞とも言えるH型ブロック。
精緻を極める細工は経年劣化が進む現在にあっても、依然として驚異的である。
ほぼ直角を描く角や、滑らかな表面処理をして、工作機械なしでは不可能と評する研究家もいる。正統考古学ではこれらを石のハンマーと青銅のノミで造ったとしている。

そしてシエサ・デ・レオン以降に訪れた征服者達も同じような脅威を感じ、17世紀に訪れたベルナベ・コボ神父は、言い伝え通り巨人族が造ったに違いない――と所感を述べている。

地元のインディオであるアイマラ族は、自分たちが造ったのではないと言うし、実際に彼らにその能力はないだろうと探検家達は考えた。

では誰がこのような壮大な遺跡を造り、そして忽然と姿を消したのか。

アイマラ族は言う。伝承通り、巨人族が造った。巨石はラッパの音により空中に浮き、運ばれたのだ、と。

様々な探検家や研究者が訪れたが、誰しもが首をひねるばかりだった。

1863年。アメリカ人考古学者のエフライム・スクワイヤーはティワナクの遺跡群を見て回り、こんな事を言った。

「あれほど数学的な正確さと、見事な技術で切り出された石はティワナク遺跡以外では見たことがない」
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たしかに数学的であった。

石材の角はほぼ90度の直角に切られており、石がまるで機械で加工されたようだった。
曲がることなく直線に引かれた溝の中には、等間隔に並ぶ小さな穴。あまりにも高度な加工技術だった。

プマプンクに残された石材の中で、『H型ブロック』と呼ばれるものがある。
これもやはり精密な造形をしており、それが遺跡のあちらこちらに打ち棄てられていた。
どういった用途でこのH型ブロックが用いられる予定だったのかは不明で、現代もなお議論が続いている。

ある論者は言う。

ブロックはプレハブ工法の建材にも見えます。この工法を行うには工程計画や設計がつきものです。プマプンクは高地に住んだ先住民アイマラ族によって作られた神殿跡だと考古学会では考えられています。しかしアイマラは石器時代に生きた人々で、文字を持ちませんでしたから、設計など絶対に不可能です。石器時代の人々がプレハブ工法を行えたとは思えませんから、ブロックの精度の高さは不思議としか言い様がありません。

同じ大きさ、同じ形、つまりは同一規格の建材を用いて建設するのがプレハブ工法だ。
このH型ブロックがそのプレハブ工法用の建材だったのではないかと言う。

こんな古代の人々が、プレハブ式工法を?
いや、古代、古代と言うけれど、具体的にいつ頃なのだろうか?

これに対し、考古学者で探検家でもあるアーサー・ポスナンスキーは50年に及ぶティワナク研究の成果として、以下の年代を割りだした。

――約1万5千年前。

これは尋常な数字ではない。1万5千年前というと、地球はようやく氷河期の終わりにさしかかり、人類が後期石器時代に突入した頃だ。まさに有史以前だ。

そして、他の科学者、【具体的にはハンス・ルーデンドルフ博士(ポツダム天文台)、フリードリッヒ・ベッカー博士(ヴァティカン天文台)、アーノルド・コールシュッター博士(ボン大学)、ロルフ・ミュラー博士(ポツダム天体物理学研究所)の4博士】
による3年間に及ぶ綿密な検証が行われた。

その結果、博士たちはポスナンスキーの意見は基本的に正しいと結論づけた。

数字だけではピンと来ないかと思われるので、以下に簡単な図表を用意した。有名な遺跡がいつ頃造られたのか、これらと比較してプマプンクの『ありえなさ』を実感してみよう。
下に向かうにつれて現代に近づきます。

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とにかく、プマプンクは規格外だ。

ヨーロッパの人間が拾ってきた石を直列に並べたり、円状に並べたりして、やいのやいの喜んでいるその1万年前には緻密な設計をなされたプマプンクが建てられたことになる。

そんなこと、あり得ない。石器時代にどうすればこのような遺跡を造れるというのか。

誰もがそう思う。

そして一部の人はこんな風にも思う。

ティワナクの人々は、なにかしら素晴らしいテクノロジーを持っていたのではないか。

もしかしたら、そのテクノロジーは、地球外からもたらされたのではないか。

遙か古代、地球は異星人の来訪を受けたのではないか。

そして人類は彼らから先端技術を授けられたのではないか。人類は、慌ただしい歴史の中でそのテクノロジーを失ったのではないか。
そんな風に考える人たちがいる。

そう、古代宇宙飛行士説だ。

オーバー&ロストテクノロジー

ここでプマプンクに関する基本的な部分に目を向けてみよう。

プマプンクは現地のアイマラ族の言葉で『The Door of the Puma』という意味だ。ピューマはご存じネコ科の大型肉食獣である。

そしてその場所。
Photoshopを導入して嬉しくて仕方がないオカクロ特捜部は頑張って古地図風のモノを作成した。
が――上手く使いこなせなかった。PSがオカクロにとってのオーバーテクノロジーであった。

プマプンク地図

チチカカ湖の面積は琵琶湖の12倍。富士山の山頂より高い高地に位置しているが、熱帯に属しているため雪に閉ざされてはいない。クリックで拡大。



ティワナクという呼び名は、現代にあっては管区と村名、そして過去の時代や文化、そして遺跡名という広い意味を持つ。

混乱を避けるために説明しておけば、遺跡に関し、大きな枠組みでティワナク遺跡という遺跡群があり、その中の小ジャンルとしてプマプンク、アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などがあるということになる。pumapunku0014


ただティワナク遺跡の中にプマプンクを含めるべきかどうか、少し考える必要がある。

距離が離れているからだ。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などは近接して建てられているが、プマプンクだけは1㎞ほど離れている。これをしてプマプンクだけは別の時代に建てられたという論者もいる。

たしかに他のティワナクの遺跡と比較して、プマプンクはどこか毛色が違うようにも思える。

比較画像を見ていたただければ、その違和感を感じていただけるかと思う。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿。そのどれも言うまでもなく立派な遺跡であるし、見事な造形である。

だがそれらと並べてみれば、プマプンクだけ作りたい物のベクトルが違うように感じられはしないだろうか。

この『特異感』からか、こんな主張が生まれる。
プマプンクはティワナク遺跡群から切り離して考えるべきだ――と。

もっと言えば、プマプンクを造った者とティワナクを造った者は別の存在である、と。

原住民であるアイマラ族も言ったではないか、「自分たちが造ったんじゃない」と――。

そう、プマプンクだけは別の時代に建てられた――。

実際に、プマプンクは発掘調査が遅れているためか、誰が何のためにために建てたか明確なことはわかっていない。
そして、「巨石をいかにして運んだか」という点においても、いまひとつ明確になっていない。

プマプンクの石を切り出した石切場は、プマプンクから直線距離にして80㎞ほど離れた山中であると言うことは判明しているが、その運搬方法については学者の間でも足並みが揃っていない。

木の丸太をコロにして運んだと言う意見には、「樹木限界線を超えた場所で荒涼たる荒野である。そもそも木がないすよ」とケチがつく。

最近になって「巨石は運河を利用してイカダで運ばれた」という説があがったが、運河の総延長が20㎞しかなく、それもチチカカ湖とティワナクを結ぶだけのものであったため、これも弱いように思える。

運搬は厳しく、加工は困難。そしてその高度なテクノロジーを持った民族は何処へともなく、消えた。
こうなってくると、一部の有識者は天を指さしてニヤリと笑う。

遙か太古のティワナク人は、異星人の来訪を受け、彼らにテクノロジーを授かった――。

あるいはこの遺跡を造ったのが異星人なのではないか――。

そんな古代宇宙飛行士説の論者が主張する話に耳を傾けてみよう。

ここ数年、もっともHOTな論者で古代宇宙飛行士説を扱う専門誌『Legendary Times』を発行するジョルジョ・ツォカロスは荒廃したプマプンクを以下ように観察する。

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古代宇宙飛行士説の論者、ジョルジョ・ツォカロス(Georgio A. Tsoukalos)
楽しそうに無茶苦茶な主張を語るからか、懐疑派、ビリーバーを問わず世界中の諸兄から大人気だ。
胸に光るブローチはオーパーツ界隈で有名な『コロンビアの黄金ジェット』。不思議なものへの愛情が伝わってきます。
画像:古代の宇宙人


「プマプンクはこれを建設した宇宙人の手で故意に破壊されたと私は考えています。宇宙人は地球を離れて次の任務へ向かう前にここを壊していったのです。どんな破壊行為が行われたのかは想像しがたいのですが、宇宙人は地球を去る前にここで宇宙戦争を行っていたのではないかと思います」

もうね、好き。

やはりこれぐらいブッ飛んで貰わないと、満足できない。戦争まで飛躍するのがチャレンジブルではあるが、旗幟鮮明な人物だ。

彼ら古代宇宙飛行士説論者に言わせればプマプンクの緻密な石加工は機械によってのみ可能で、十数トンにも届く巨石の運搬にももちろん地球外テクノロジーが用いられたと言うことになる。
そもそも、プマプンク自体、宇宙人が建てた遺跡であり、それを人間たちがマネて造ったのがティワナク遺跡なのだと。

このティワナク周辺には『ビラコチャ』という創造神の伝説が語り継がれている。
ビラコチャは豊富なアゴ髭をたくわえた大柄な白人男で、アンデスの人々に農業、牧畜の知識を授け、時には病気の治癒もした。

興味深いのが、このビラコチャが『大洪水』を起こしたとされる話だ。

遙か古代、創造神は世界を創ろうとした。初めに大地と空を作り、石から巨人も作った。はじめは上手くいっていたが、やがて巨人同士が仲間割れを始め、働くことを拒否した。
そして、その報いとして創造主は世界に大洪水を起こし滅亡させた。ある者は溺れ死に、ある者は石になった。箱の中に入っていた男女二人だけが助かった。
その大洪水が一段落した後、創造主は人間の姿となってチチカカ湖に降臨し、ティワナクを拠点にアンデスのほうぼうを訪ね知識を授けた。時が来ると、ビラコチャは海の泡と消えた。

世界中で確認できる大洪水伝説がアンデスの山中にもあるのは実に興味深い。
大洪水をノアにだけ告げてエコ贔屓したキリスト教圏の神と違い、ビラコチャは根絶やし狙いでいっている。なんだか冷酷残忍なようであるが、本来、平等とはこのようなことを言う。

ちなみにこの創造主ビラコチャ伝説はティワナク周辺だけでなくアンデス全域に広がっており、後に発祥するインカ帝国もビラコチャを創造神としていた。16世紀以降に侵略してきたスペイン人に無理やりキリスト教化されるまでビラコチャ信仰は生きていた。

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創造神ビラコチャの図。
土台がアカパナ遺跡の形状になっており、両足の左右にコンドルが描かれている。アカパナは天文台であったとされ、コンドルは南十字星の4ッ星を戴き、アカパナ・ピラミッドの上を通過してゆく。
太陽と同じ位置に立つビラコチャは、どこか完全武装したハニワを思わせる。どう贔屓目に見ても白人には見えない。もう諸兄らにもフルアーマー・ハニワにしか見えないはずだ。


このビラコチャの創世神話を古代宇宙飛行士説論者に解説して貰えば以下のようになる。

宇宙人ビラコチャが地球にやってくる。プマプンクに降り立つ。

せっかくなので、着陸基地としてプマプンク設営。

実験的に自分たちに似た生き物を作り(ゼカリア・シッチンによれば、金の採掘を手伝わせるため)、どうなるのか宇宙から研究観察。

なんだよ、ニンゲンたちはなんだか文明を発展させるどころか、争い始めたじゃないか! やだこれ醜い!

もう見たくない。実験は失敗。 リセット、リセット。

大洪水。

もう一度やり直そう。今度は変に争わないよう、ちょっとだけ入れ知恵して、農業とか教えてみよっか?

なんだか飽きたし帰ります。なんかようわからんけど、誰とするかもわからんけど、戦争もしときますね。

プマプンク、壊しちゃった……なんかゴメンね……。

そして現代へ。

一聞しただけでは荒唐無稽な話に思えるが、やはり荒唐無稽な話である。

だが宇宙人はともかく、ロストテクノロジーの可能性まで一緒くたにして否定するのも誠実とは言えない。

古代宇宙飛行士説にしても、オカクロは頭ごなしに否定はしない。大事なのは真理を探求すること。
ガリレオは笑われた。エジソンは疎まれた。だが正しかった。アダムスキーを笑ったのは正しかった。

世界中の大人が冷笑しても、オカルト・クロニクルはこれらの問題に最後まで真摯に付き合ってゆきたいと思う。

では次ページでは失われた技術と神々の居た証拠を整理してみよう。

オカルト・クロニクル:http://okakuro.org/puma-punku/ より転載

ヤクート死の谷の謎―永久凍土に眠る大鍋(バイカル湖)-1

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奇妙な旧世界 >

公開日: 2015/08/30 : 最終更新日:2015/10/06   奇妙な旧世界, 謎の古代文明 , , , , , , , YakutiaEye2

広大な永久凍土の片隅。『死の谷』と呼ばれる禁足地。そこで学者は奇妙な構造物を発見した。
それは半分地面に埋もれ、地面から突出した部分だけを見れば巨大な鍋のように見えた。
様々な人たちが訪れ、他にも不可解な構造物が発見される。
様々な観察、様々な発見、だが、それらはさらなる謎を呼ぶだけだった。
誰が作ったのか。いつ作られたのか。
雪深い極北の地、封印は凍っているか。

ここは声の凍る国

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東シベリアの奥地に位置するヤクート地方、世界有数の『極寒の地』として知られる辺境。

この地では、囁き声も叫び声も、相手に届かないまま唇の先で凍るとされる。凍結したそれらは極寒期が終わるとゆっくりと溶けて、短い春の騒がしさを後押しするのだという。

1859年。そんな極北に1人の科学者があった。

博物学、地理学、そして人類学の専門家、リヒャルト・マーク(外部)教授だ。
当時ドルパート大学(現在のタルトゥ大学)で教鞭を執っていたマーク教授はロシア地理学会から、「ながらく未踏の地であったヤクート地方を調査して欲しい」との依頼を受け、ビリュイ川流域の学術的調査に赴いていた。

そうして何度も繰り返された遠征で得た調査結果を、『Vilyuysky District Yakut area』と題した三冊の書籍にまとめる流れになるのだが、その手記の中に、興味深い事が書かれている。

リヒャルト・オットー・マーク(Richard Otto Maack 、または Richard Karlovic Maak) シベリア極東地域の研究で知られる。博物学、地理学、人類学者。 様々な発見に貢献し、マメ科の属名『Maackia』やスイカズラ科の種『Lonicera maackii』に献名されている。 Буква — Маак Ричард Карлович

リヒャルト・オットー・マーク(Richard Otto Maack 、または Richard Karlovic Maak)
シベリア極東地域の研究で知られる。博物学、地理学、人類学者。
様々な発見に貢献し、マメ科の属名『Maackia』やスイカズラ科の種『Lonicera maackii』に献名されている。
画像出典:Буква—Маак Ричард Карлович

それはマーク教授がビリュイ川の上流の、ある地域に辿り着いた時のこと。
そこは周辺に住むヤクート諸族に『死の谷』と呼ばれていた場所で、竜王が眠っていると信じられていた場所だった。

もちろんそこは禁足地。

足を踏み入れれば竜王の怒りを買う聖域とされており、『ヒイシ(境界の地という意)』と呼ばれる入り口から先へは行ってはならぬとされていた。周辺住民でも立ち入るのは1年に4日だけ、竜王へささげる祭祀を行うため、一部のシャーマンだけが死の谷に入る事を許される。それも奥地まででなく『ヒイシ』までだ。
奥地である『マナラ(死霊の地)』まで侵入するなどとんでもない。

そんな信仰ゆえか、調査探検の大きな助けとなるはずの現地ガイドが高額の報酬を約束したにもかかわらず同行を断った。

「なんだよ約束が違う! 言ったじゃん、行くって言ったじゃん!」

とマーク教授は憤るが、現地ガイドは首を振るだけ。

「数ヶ月前、40年ぶりに死の谷で竜王が火を噴いた。多感な時期かもしれんし、怒りを買いたくない。今はそっとしておこう、な?」

などと受験ノイローゼの子供をかかえた親御さんのような事を言う。

もちろん、マーク教授は竜王の親御でも何でもないので、多感であろうがなかろうが、無視して死の谷へ足を踏み入れることにする。

そうしてトナカイの背を借りて雪に閉ざされた世界を進むこと数日。ようやく辿り着いたそこで――死の谷で、マーク教授は後世まで第三者による議論を呼ぶことになる体験をする。

ビリュイ川上流へ向かうこと2日、支流沿いに進むこと1日、『境界の地』をいくらか越えた地点でマーク教授は奇妙なモノを発見した。

発見したのは『大鍋』だった。

地面から斜めに突き出した大鍋型の構造物。 トナカイに乗っているのが少し羨ましい。 Долина Смерти (Якутия)

死の谷に眠っていた地面から斜めに突き出した大鍋型の構造物。『谷』という表現から渓谷をイメージしがちであるが、実際はなだらかな丘陵が続く森林地帯になっている。
トナカイに乗っているのが可愛い。すごく羨ましい。

画像出典:Долина Смерти (Якутия)

それは一見して平鍋――もちろんそれは通常目にするような鍋のサイズではない。ボルシチにして数百人分は仕込めそうな大きさだった。

地面から突き出している部位だけで、高さ3メートル、推定される全体の直径は7~8メートル。
表面のほとんどがコケなどの地衣類に覆われており、本体は胴に似た赤い金属でできていた。

これはなんだろうか。
古くからヤクート諸族はビュリュイ川の事を『アルギュイ・ティミルニト――大きな鍋の沈む川』と呼んでおり、この目の前の大鍋がその由来だろうか。

この『鍋』は一つではなく、付近の針葉樹林に同じようなモノを幾つも発見する事ができた。

そして、他にも奇妙なモノを見つける。

それは洞窟の入り口のような穴だ。
河原の斜面にポッカリと空いた大穴。

近づいて観察してみれば大穴は高さにして3メートル、幅にして2メートルほどの楕円形をしており、地下へ向かって急傾斜の通路が続いていた。

これは、決して自然の造形物ではない、なぜなら、その通路――壁面や床が赤い金属で構成されていたからだ。

――竜王の住処なのだろうか。
リヒャルト・マークがそう考えたかは定かではないが、少なくとも学者としての好奇心は刺激されたらしい。

マーク教授はタフなことに、その中に入ってみる事にした。
穴に入り、階段のような段差を降りて行くと、やがて広いホールにたどり着いた。

そこはドーム状の円形広場になっており、円の直径は20メートルほどだった。

マーク教授による奇妙な穴のスケッチ。 マーク教授による奇妙な穴のスケッチ。画像出典:極北に封印された「地底神」の謎より

マーク教授による奇妙な穴のスケッチ。
画像出典:極北に封印された「地底神」の謎より

そしてそこも先ほど発見した大鍋同様『赤い金属』で作られおり、不思議な事に内部は採光窓もないのに明るかったという。

タフボーイであるマーク教授は、やはりタフであるからして

「ふむ。なんだかよくわからんが、これは風雨をしのげて丁度良い。さっそくテントを張って泊まり込むとしよう」

これは無神経と紙一重のタフさである。

とにかく、マーク教授はこのドームを拠点に周囲を詳しく調査する事にした。

死の谷には、なんらかの未知の部族が存在し、その部族がこれらの奇妙な構造物を作ったのかも知れない。
だとすれば、調査依頼を受けた身として仔細に調べねばなるまい。

そうして翌日以降、周辺をくまなく調べてみれば、他にも奇妙な事が確認できた。
まず、音だ。

死の谷は声も凍るような静かな場所だが、耳をすませてみれば何かが聞こえる。
低い音――まるでクマバチの飛行音のような、唸るような、ブーンという音が何処からか断続的に聞こえる。

これは、ヤクート諸族にして『竜王の唸り声』と呼ばれるものか。
そして針葉樹林がまばらになった場所には『露骨なドーム』があった。

高さにして20メートル、半球体の直径は10メートル。
明らかに自然造形物でなく、何者かの手による構造物であったが、奇妙なことにそのドームには窓も入口もなかった。そして、やはり赤い金属で作られていた。

マーク教授が触れてみると、ドームは微かに震動しており、ほのかに暖かかった。
この赤みは銅だろうか、と金属のサンプルを採取するため大型のハンマーで叩いてみたが、頑丈すぎて傷一つ付けることができない。

見目には似ているが、これは銅ではない――。

結局、なんのサンプルも採取できず、マーク教授が持ち帰ったのは以上のような土産話だけだった。

凍土に埋もれた大鍋。
地に埋もれたドーム。
入り口のないドーム。
竜王の唸り声とされる異音。

これは何なのか。
未知のヤクート諸族の手による建築物だとしても、あまりにも不可解すぎた。

そして、1867年。
マーク教授は再度、ビリュイ川流域の調査探検に旅立ち、奇妙な構造物を見つけたポイントへと向かった。

だが、不思議な事にこの時は何も見つからなかった。
再訪した死の谷には、数年前に見つけた大鍋もドームもなく、ただ荒涼とした永久凍土が静かに広がっていた。
ただ、低い――異音だけを響かせて。

マーク教授はその後、2度とその『特異構造物群』に出会う事はなかったが、半世紀以上の時を経て、その調査報告を裏付ける『同じようなモノ』が目撃されている。その詳細を記した手記がサハ共和国の国立図書館に収められている。

砂金堀りだったミハイル・コレツキー(М.П.Корецкого 註:日本の書籍ではユーリ・ミハイロフスキと書かれているが、おそらく翻訳ミスとその孫引き。ミールヌイ在住の研究者ミハイロフスキーと混同したと思われる)による数回におよぶ目撃証言だ。

コレツキー親子は砂金を採取するため死の谷へ入っていた。
ただでさえ人の寄り付かないシベリアの奥地、さらに原住民ですら禁足地として近寄らない場所。これは、ほとんど命がけになる金採取旅行だった。だがもしかすると、手つかずの砂金が大量に存在するのではないか――コレツキーズはそう考えた。

最初は1933年、ミハイル・コレツキーが10歳だったころ父親と。
そして1939年。
そして最後は1949年。国立図書館所蔵の手記には、3度に及んだ死の谷トレイルでミハイル・コレツキーが目撃した『特異構造物』について言及されている。

死の谷に入って1週間ほどキャンプ生活をしていたコレツキー親子だったが、ある夜強烈な地鳴りによって目を覚ました。
テントから這い出して周囲を見回すと、森のあちこちに『銅鍋』のようなものが見えた。

明るくなると、さらに奇妙な構造物が出現しているのに気付く。
それは『光るキノコ』のような建物だった、前日まで何もない場所にそれはあった、と言う。

コレツキーズもマーク教授と同じくこの『特異構造物』の金属片を採取しようとハンマーで叩いたが、やはり傷一つつけることが出来なかった。

そうして、親子が死の谷から離れた頃、ちょうどその特異構造物があったあたりで『巨大な火の玉』が火柱のように天高く上がったという。

そして、目撃談はこれだけにとどまらず、『Загадки истории России(ロシア史のミステリー)』や雑誌『Юный техник(若き技術者)』に地元のハンターたちが体験した奇妙な出来事がいくつか掲載されている。

様々なスケッチ。ほとんどの場合、特異構造物の周辺の植生は異常な成長を見せていたという。 中央の天に昇る火の玉はが目撃した物。

様々なスケッチ。ほとんどの場合、特異構造物の周辺の植生は異常な成長を見せていたという。
中央の天に昇る火の玉はがミハイル・コレツキーが目撃した物とされている。
右上のイスラム風のドームはマーク教授が目撃した物で、とにかく、デカイ。よくみればドームの右下に小さな教授とトナカイが描かれている。かわいい。

人の寄りつかぬシベリアの奥地。伝説の息づく禁足地。
そこに、なにがあるのか。


シベリアは雹雨 あなた何処へやら

マーク教授の奇妙な体験から100年。人類は2度の大戦を経験し、歴史書は加速度的にページを増やした。

だが『死の谷』に関するページは決して多くない。

なにかがあるらしい、だがその『なにか』がなんなのかはわからない。

人類は1961年にロシア人によって宇宙飛行を達成した。
地球を外から見て、その青さを知ったにも関わらず、ヤクートの奥地の事がわからない。情けないったらない。

そんな思いがあったかは定かでないが、1986年、モスクワ大学のアレクサンドル・グテノフ教授が旧ソビエト連邦科学アカデミーの委託を受け、ビリュイ川の特異構造物に関する調査を行った。

以下は北周一郎氏による著作による情報になる。

グテノフ教授は調査開始から1年後にあたる1987年に第一次中間報告を出した。

それは、なんらかの古代遺跡が存在する可能性を示唆しながらも、岩盤によって発掘調査は困難であるというものだった。

さらに翌年に発表された第二次中間報告書では、ビリュイ地区を『特別保護区に指定し、一般人の立ち入りを厳重に禁止すべき』と意見を具申、さらに不可解なことに『エジプトのピラミッドを詳細に調査する必要性』を訴えた。

この報告以降、グテノフチームの調査は国家機密指定を受け、国民への情報は伏せられた。
そして、ソビエト連邦の崩潰とともに資料は散逸し、すべては闇に――。

ということだ。

すべては謎のまま――と言いたいところであるが、ソ連崩壊もなんのその、グテノフ教授の調査は続いていた。ロシアの学者はとにかくタフである。

グテノフ報告によれば、『特異構造物』つまり『大鍋』や『ドーム』は死の谷地区周辺15平方Kmの範囲において、21基確認された。

だが、資料を読み進めるとグテノフ・リポートはどんどん信じがたい方向へと向かってゆく。

・『大鍋』や『キノコ建造物』『ドーム』は岩盤をくり抜いて作られた穴に設置されており、普段は地下にあるが必要に応じて地上に露出する。

・この『穴』は少なくとも、100万年前に人工的に掘削されたものである。

・予断は禁物であるが『大鍋』などの建造年代は『穴』の掘削と同じく100万年前と推定。

・特異構造物を構成する赤色の金属は、不明な部分は多いが、少なくとも地球上には存在しない金属である。表面は三層のコーティングからなり、それが剛性、酸化防止、老朽化を防いでいる。

・地表を流れるエネルギーを別種のエネルギーに転化していることを確認。

・エネルギー変換はギザのピラミッドでも行われていた。ただ、三大ピラミッドは必要な部品が失われたため、機能を停止しているが、ヤクートのモノはまだ動作している。

・1年のうち4日間、すなわち春分、夏至、秋分、冬至にはエネルギーの方向性が変わるため機能を停止する。

これらの報告を読んで、諸兄は憤るのでしょうね。ここに書くのもはばかられるような下品な言葉で罵るのでしょうね。

たしかに、にわかには信じがたい話であるし、熟考しても信じがたい話である。100万年前……。

「死の谷は聖地であり、なかなか詳細な調査はできなかった」とグデノフは言うが、変に細かく調査できてると思う。『地表を流れるエネルギーを別種のエネルギーに転化していることを確認』とあるが、どうやって確認したのか。

残念なのが、これほど詳細にレポートを出しているにも関わらず、『特異構造物』の写真の一枚もない。

そうして訝りながらこの『ヤクート死の谷奇譚』に関して、海外の資料を当たってみれば、結構な違いが見受けられる。

たとえば、アレキサンダー・グデノフなる人物は実際に死の谷を調査しているが、教授であること、機関の委託を受けたこと、などは一切書かれておらず、一般人の調査探検者である――とされている。(註:ちなみに、共に調査にあたったのが前述のユーリ・ミハイロフスキ。鍋調査40年のベテラン)

国外の奇現象サイトではオカルト雑誌『Nexus Magazine vol.11, no.1』から4回に分けて連載されたヤクートの記事を参考に書かれたものが多く、そのNexusでは上記のようなグデノフの話はまったく触れられていない。

2000年

Nexus Magazine 2003/12-2004/1表紙。
この雑誌の中で『MYSTERIES OF SIBERIA’S “VALLEY OF DEATH”』と題してヤクートの一連の出来事が扱われている。
画像出典:nexusmagazine.com

このグデノフの話はかなり『盛られた』もの、あるいは捏造情報であると考えるべきだろう。なにがどうなってこういう情報になったのかわからないが、それはいい。

ちなみに、砂金取りのミハイル・コレツキー(М.П.Корецкого 註:日本の書籍ではユーリ・ミハイロフスキ。実にややこしい。もうどっちでもいい)に関して、日本の書籍では「ドームの中から黒い人が出てきた。びっくりして父と必死で逃げた」という異人遭遇譚まで書かれているが、これも他にソースを求めれば以下のようになる。
グデノフとミハイロフスキが「『死の谷の辺りにいる、黒い、鉄の服を着た単眼の痩せた人』の話を地元のハンターから聞いた」

おそらく、この話が色々と拡大変形して遭遇譚にまで発展したのかも知れないが、オカクロとしては見なかったことにして触れない。
この際、グデノフ&ミハイロフスキ報告は忘れてしまおう。

もちろんグデノフ報告以外にソースは多く、実際に『死の谷には何かある』とみて調査や捜索が行われている。

実際にヤクート諸族の伝説には興味深いものがある。

死の谷の内部は人間でないモノが住んでおり、そこには竜王の口があり、竜王の唸り声も常に響き渡っている。
竜王の口は火の玉を吹き、その火柱は天を焦がす。そしてマナラに足を踏み入れた者たちは、竜王の怒りによって、その身を生きたまま腐らせる――と。

死の谷を実地調査したイワン・マッケールも言う。

古くから、この地に残る叙事詩を読むと、ニュルグンブートゥルとトンドゥーライという名の悪魔がかつて森には住んでいたこと。そして悪魔たちが壮大な戦いを繰り広げていたことが語られている。その戦いのさなかには地中から火の玉が打ち上げられていた。轟音が鳴り響いて森の木はなぎ倒されて岩も粉々になって、あたりは不毛の地と化したという。

全てが静まると、垂直にそびえ立つ構造物が出来ていたが、しばらくすると永久凍土に沈んでいった。死の谷の大地には不思議な物体が埋め込まれていると言われており、この物体は大昔から何世紀にもわたって作動していて地球に害を及ぼそうとやってくる飛行体を迎え撃つために火の玉を発射していたという。


こうなってくると、やはりリヒャルト・マーク教授が目撃した『大鍋やドーム』をそれらの火球伝説と繋げたくなるのが人情というもの。
短絡的に言うと「それらの特異構造物が火球を空に飛ばしたに違いない!」となる。

いつの時代に作られたモノか判らないロストテクノロジー的なモノ――と言われると、なんだかロマンをかき立てられる。

しかもそれが『火球を発射する旧世界の兵器』となると、もう何が何だかわからないままにガッツポーズだ。
しかも、まだ動作しているだなんて! 行こう! いますぐシベリア超特急に乗って!

と、テンションは上がるが、ここは冷静に様々な意見を確認してゆこう。

シベリア自体に神秘的な側面があるせいか、このヤクートの大鍋は様々な人々の様々な想像力を刺激した。

もちろん、諸兄の愛してやまない古代宇宙飛行士説の論者たちも例外ではない。
彼らは主張する。

「この一連の特異構造物は、地対空迎撃システムである」

地対空迎撃システム。必要に応じて地表にせり上がり、防衛する――。

このヤクートの鍋は『地球防衛システム』だったんだよ!

YakutiaDV007a雑な画像ではあるが、要旨とかっこよさは伝わったかと思う。

この『地球防衛システム説』はかなり人気のある説のようで、海外サイトでも男たちの熱い眼差しが向けられている。

ヴァレリー・ミハイロヴィッチ・ウヴァロフ博士が2003年2月上旬、アメリカ、ネバダ州ラフリンで開催された「第12回国際UFO会議コンベンション&映像フェスティバル」の席上で発表したのも影響しているのかも知れない。(このコンペが初出ではなく以前からウヴァロフはこの説を主張)

月刊ムーの伝えるところによれば、ウヴァロフ博士はUFOマガジンの編集者グレアム・バザールにインタビューされたとき、次の三点を明言した。

調査に当たったロシア国家安全保障アカデミー(略称NSAR)はあくまでもれっきとした同国政府機関であること。
第2にウヴァロフの上には直属の上司が2人いるが、その上にはプーチン大統領しかいないこと。
第3に彼らの部署はUFOの実在を認め、それを前提として活動しているということ。

ウヴァロフ博士は言う。
ツングースカ大爆発も、この超古代地球防衛装置の作動により引き起こされた――と。

ツングースカ大爆発が一番有名ではあるが、ほかにも1984年2月26日のチュルイム川など、ロシアではたびたび火球の目撃が起こっている。最近で言えば2013年チェリャビンスク州の隕石落下が話題となった。
むりやりこじつければ、ディアトロフ峠周辺で目撃された光球【別項】もこの範疇に入るかも知れない。

これら、地表に壊滅的な破壊をもたらすであろうモノが周辺に飛来すると、ヤクートのシステムが起動し、撃墜するのだ! と。

地球防衛システム仮説はやはり、男のロマンをくすぐる案件であるせいか、この『大鍋』をさがして何度も調査隊が出向いている。調査目的とは言え、禁足地にドカドカ入り込んで良いのかわからないが、それはいい。

しかし、この繰り返される調査の甲斐もむなしく、残念ながらまだ鍋は発見されていない。

その事実に諸兄は憤るかも知れない。聞けば、オカクロの朗読をしてくれているニコ生主がおられるそうなので、今回は諸兄にも文学的に憤って欲しい。

『諸兄は激怒した。必ず、かの蒙昧無知の商業主義を除かなければならぬと決意した。諸兄には日本映画がわからぬ。諸兄は、日本の会社員である。アニメを見て、いちいち作画監督をケナして暮して来た。けれども実写化に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明諸兄は村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此東京ビッグサイトにやって来た――』

ヤクートと関係のない、あまりにも文学的な冗談はともかく、『鍋』の存在を信じる者は多く、ロシア人を中心に今日でも調査が続いている。
その情熱を支えるのは、『少なくない情報』だ。

ここで『鍋』が実在する信憑性を高める目撃証言と調査の歴史を簡単に振り返ってみよう。

1794年

最初の記録は『Походный журнал сержанта Якутской воинской команды Степана Попова』という行軍遠征記録に残っている。
1794年9月の記録で死の谷周辺の地理に触れており、「川の近くに不可解な建造物」があったとしている。これがおそらく最古の記録。

1853年~

前述のリヒャルト・マーク教授が現地住民から、地中に埋没しかけている不思議な物体の話と伝承を聞く。
そして実際に教授自身も大鍋を目撃。
一連の調査が終わった後、大鍋の記述を含む博物書『Вилюйский округ Якутской области (Vilyuysky District Yakut area) (1877–86)』を順次上梓した。

「ビリュイ川の支流沿いに大鍋のようなものがある。周囲の植物は異常な成長を見せている」うんぬん。

リヒャルト・マーク『Вилюйский округ Якутской области』
ビリュイ川流域およびヤクート地域の文化や植物、地形についての詳細な報告がまとめられている。
P37,38「ビリュイ川の支流、アルギュイ・ティミルニト(大きな鍋の沈む川)に大鍋のようなものがある。半分ほど埋もれており全貌は不明である。周囲の植物は異常な成長を見せている」うんぬん。

1933-1947年

砂金堀りコレツキー親子による三度にわたる目撃。
地元のガイドも一緒に目撃。火柱も上がった。

1936年ごろ


地元の老人ハンターと孫娘ジーナによる証言。「地元のハンターは昔は鍋に泊まったものさ」などとタフな事をいう。

1962-1963年

地質学者V.V.ポロシンが川北岸を探索すると、なんだか人が住んでいた。10人ほどの男女がおり、歓迎してくれた。
彼らが何者だったかは現在でも不明。脱走兵? 再調査が行われるも発見されず。

1970年

水力発電用貯水池の建設計画のために、ジョージ・コロディンをリーダーとするチームが編成され、一帯に分布する鉱物資源の調査が行われる。
無線技士がベースキャンプと通信しようとしたところ、付近から無線に干渉する電波が出ていた。位置の特定は出来なかったものの、妙な洞窟は見つける。中には部屋があったと報告。

1971年

前述のユーリ・ミハイロフスキ、およびアレキサンダー・グデノフによる調査が始まる。
このあたりから超古代文明説、UFO関係説、地底人説などがチラホラと囁かれ始める。というか、おそらくこの二人が囁いた。

1972年

死の谷、支流アラキト川上流で地質学者が死亡。

救難信号をキャッチして救援がヘリコプターで向かったところ、さびれたテントを発見する。2㎞ほど離れた地点で地質学者の遺体発見。暴力的な死の痕跡。靴を履かず、寝袋から逃げ出したように思えた。のちに『ディアトロフ峠事件【別項】■』との類似性が指摘される。が子細な調査は行われず。

1980年代~

有志によるいくつかの調査計画がもちあがるも頓挫。
噂が噂を呼び、夢が膨らむざわざわタイム。

死の谷について報じる新聞記事。

死の谷について報じる新聞記事。鍋やドームについて地元のハンターなどに取材している。特定は出来なかったが、掲載誌はおそらく『コムソモリスカヤ・プラウダ』(Комсомольская Правда)と思われる。ソ連の共産主義青年同盟中央機関紙として1925年に創刊。

1997年

前述のヴァレリー・ミハイロヴィッチ・ウヴァロフが『地球防衛システム説』を発表。一部のコアな紳士の熱い視線を浴びるも、科学界は歯牙にもかけず「B級フィクションよりしょぼい」と冷たい視線を向ける。シベリアでは珍説も凍る。

1999年

一部の新聞記事に取りあげられ、微妙な盛り上がりを見せたため、ジャーナリスト、ニコライ・バセゴヴァが死の谷を取材調査。
結局、2000年までネタを引っ張っぱり、一部のコアな紳士の中でおごそかな盛り上がりは見せたモノの――成果は上がらず。あきらめる。

2003年

レオニード・ラチェット率いる探検隊が死の谷に金属探知機を持ちこむ。頭良い。
2カ所の地中に大きな金属の反応を確認し、「すわ大鍋か」と発奮とするも、掘削機械は持ちこんでおらず発見には至らず。帰る。

2005年ごろ

探索の足がかりになっていた近くの村が放棄され、死の谷の秘境化が進む。「核実験のせいだ!」と研究家は憤る。

2006年

チェコの研究者。イワン・マッケールによる死の谷現地調査が行われる。
TV番組『古代の宇宙人』で調査探検の様子を見ることが出来る。

マッケールは言う。

「これがただの伝説なのか、それとも実在するものかは全く判りませんでした。まずは何よりも大鍋の場所を見つけ出すことが先決でした。調査して、自分なりの見解を出したいと考えていたのです」

YakutiaDVmap

マッケールたちはゴムボートで死の谷周辺まで向かい……。
空へ!

YakutiaDV011


死の谷周辺は、雪解けと共に凍土が泥濘化し、底なし沼のようになって歩行者の足を取る。
これもあって秘境と化していた一面もあるが、フワフワと空を行くパラモーターならば影響を受けない。これならば、短時間で広大な範囲をカバーできる。わくわくする。

かくして、マッケールたちが上空から探索を続けていると、やがて怪しい地形が発見された。

YakutiaDV012


なんだあれは!
露骨に怪しい!
鍋じゃないか! あれ、鍋じゃないか!
 
マッケールは地上班をつれて、早速現地へ急行した!

画像が増えてきたので次ページに続く。

オカルト・クロニクル:http://okakuro.org/puma-punku/ より転載

【すべては真理探究の道筋】世界最後の謎を解き明かす(ムー大陸探検事典) ~第4章 古代核戦争と謎の地下都市:高橋良典の仮説1

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Ray:新しい社会システムで『ピラミッド型社会システム、すなわち階級制組織構造は太古の時代から存在していたのだと、バシャールも話しています。つまり、アヌナキの時代にまで遡る事ができるシステムなのです。ロイアルティーや特権社会制度、王制や年功序列の世界観は、古い概念の世界観では大いに機能する事ができましたが、これらかの新しい時代ではもはや機能しない概念となります。』と伝られているように、新しい時代は未体験の世界です。過去の歴史の真実を参照することは自分自身をおしはかる意味で確かな手がかりではないでしょうか。

第4章 古代核戦争と謎の地下都市 : 高橋良典の仮説1

ムルロア環礁の水爆実験でできた巨大なキノコ雲

紀元前の高度な文明は、今からおよそ二八○○年前に発生した核戦争とそれに伴う異変で滅び去った、という壮大な仮説がある。この仮説は、チャーチワードが唱えたムー文明の滅亡原因を明らかにしてくれるだけでなく、アトランティス人と戦った地中海の謎の民族の正体をもうまく説明してくれる。世界各地のミステリー遺跡や遺物、不可解な伝説群を総合してみると、従来の歴史家たちが消し去ってきたムー王国の住民力ラ族の栄光の物語がよみがえってくるというのだ。

証拠1

地球が誕生してから考えられないほど長い時間がすぎた。人類の存在などそれにくらべればほんの一瞬にすぎない。しかし、その一瞬の時間の中で起きたことが、どうしてもわからないのだ。そして、地球には数知れないほどの謎が残されたままになっている。ここに取りだしたものは、ひとつの仮説(高橋良典の古代核戦争地球大異変説)を証明する、さまざまな謎である。これらの謎が解き明かされた"とき、""古代に核戦争があった""とい"う仮説が証明されるのだ。しかし、それはたやすいことではない。ひとつひとつの謎が、複雑にからみあい、あるものはさらに新たな謎を追加する。こうした謎の追跡は、だが、まったく思いもかけない結論を生むかもしれないのだ。常識をはるかに超えた、驚異の結論を------。

秘境にひろがる荒れ狂った大地

トルコの首都アンカラの南東にあるアナトリア高原中部に、二〇〇キロ平方にもわたる広大な荒地がある。いまも"世界屈指くつしの秘境"とされているカッパドキア地方だ。一年の半分以上は日照りが続き、緑ひとつない裸の土地が露出している。見渡すかぎり岩山と荒地が続く風景は、まさに地の果てといっていい。そのあたりの小高い丘に登ってみると、さらに圧倒的な荒漠こうばくさが見る者の心をつかむ。地表を大きく裂き、深く臼い谷がある。その向こうには鋭くとがった三角の岩が林立するかと思えば、古代の巨石文明を思わせる壮大な岩山が散らばる。そしてその背後には、数キロメートルにも及ぷ長い断層。それは幻想的でさえある光景なのだ。だから、見る者の心は、このカッパドキアが創生されたその瞬間を夢想する。そのとき、あたりはもうもうたる炎やガスに包まれ、天と地の境もなかったに違いない。大爆発にしやくねつようがん岩は灼熱の溶岩流となり、飛び散り、溶け、激動し、叫び続ける----。とにかく、とてつもなく巨大なエネルギーが、この大地に荒れ狂ったことだけは実感できるのだ。この秘境カッパドキアは、一部の人にはその名をよく知られている。この荒地の内部には町らしい町はほとんどないのだが、そのかわり無数といっていいほどのキリスト教洞窟修道院がある。岩山や断崖に掘られたその修道院は、ほとんど廃彊になっているが、その一部にはたくさんの宗教壁画が描かれており、そのためキリスト教美術の宝庫とされているからだ。この魂をゆさぷるような荒野にキリスト教の修道士たちが入りこんだのは、三世紀の初めごろだとされている。彼らがなぜ、この不毛の荒野で神に祈らなければならなかったのか、それもひとつの問題だ。だが、いまここで取りあげたいのは、その洞窟修道院のさらに地下深くひろがっている、とてつもなく大きな穴ぐらのことである。

数十万人が住める巨大地下都市があった

それはイェラルトゥ・シェヒル(地下都市)と呼ばれる。地元の村人たちには古くから知られていたらしいが、そのうわさが政府に伝わり、トルコの考古学者が初めて調査したのは、一九六五年五月のことである。そして彼らが発見したのは、まさに地下都市と呼ぶのにふさわしい機能を備えた、巨大な地下遺跡だったのだ。トルコ政府の報告書はこう伝えている。「地下都市は、人間がそこで快適な生活を営むのに必要な機能を完全に備えていた。まず、最重要な通気孔(エアコンディショナー)が、地表から一五〇メートル以上もの深さまで、都市の中心部を貫いている。その都市は確められただけでも、地下八階建ての構造があり、各階層は階段や傾斜した通路でつながれている。通路と部屋の境目のところどころには、輪状の石扉が備えつけられていた。井戸もあった。共同炊事場もあった。炊事場には汚水おすい処理の溝と、煙を通気孔に導くベンティレーションが備えてある。寝室、仕事場、大広場があり、三条に分れた堂々たる地下歩道があった。」そして、カイマクルと呼ばれるようになったこの地下都市の推定収容人口は、なんと一万五〇〇〇人だという。いま、世界のどこにこれだけの人々が、日常と変わりのない生活を送れる地下都市があるだろうか。 しかも、こうした地下都市は一か所だけではない。一九六五年の調査で発見、確認されたのが、ほかにデリンクユ地下都市(収容人口六〇〇〇人)、ギョズテジン地下都市の二つ。その後、さらに収容人口がなんと六万人というオズコナーク地下都市が発見され、マヴルージャンという所にも地下都市が存在することが、最近明らかになった。その事実だけでも驚くべきことだが、このカッパドキアには、大小とりまぜてもっと多くのアンダーグラウンド・シティがあるらしいのだ。

戦争に備えた地下都市の疑問

それについてはいっさいが謎に包まれている。というのは、この地下都市群があまりに巨大すぎて、ほとんど調査ができていないからだ。地下八階まで確認されているカイマタル地下都市にしても、土砂が完全に取り除かれて見学可能なのは、上の数層にすぎない。そしてそこからは、ほとんど何の生活用具も出土していないのである。そこで、この地下都市群を研究している人たちは、地上にある洞窟修道院と関係づけて考えている。四世紀末、キリスト教はローマ帝国の国教となり、カッパドキアは東ローマ帝国に組み入れられた。そして六世紀になると、ササン朝ペルシアが東ローマ帝国をおびやかしはじめたため、両国の国境に近いカッパドキアは戦乱の場と化した。さらに七世紀になると、ペルシアにかわったアラブの回教軍がカッパドキアを襲う。修道士たちはこうした攻撃を防ぐために、地下都市を築いたのだ……。これが現在考えられている一応の解釈なのである。その根拠のひとつとして、この地下都市が、〃ある一定"の期間だけ使用された臨時の都市"""だったと推定できる調査結果がある。しかし、古代から現代までの戦争の歴史で、地下都市にたてこもって侵略者に対抗したという国や民族があったろうか。中国は旬奴きようどに対抗するため万里の長城を築いた。日本の歴史でも戦争のために築かれたのは、城や砦とりでである。とはいっても、カッパドキアの地下都市が、戦争に備えたものであったことは明らかだ。というのは、地下にたてこもって往き来できるように、デリンクユ地下都市と隣のカイマクル地下都市は、秘密の地下道で結ばれていたからだ。この二つの地下都市は九キロも離れている。当然、発見されたトンネルも九キロの長さを持っている。この距離は日本の丹那トンネルよりも長く、清水トンネルの長さに匹敵するのだ。地上に回教徒軍が攻めてきたとき、洞窟に隠れるくらいならまだしも、一〇万を越える人間が地下一五〇メートルの奥まで逃げなければならない戦争とは、いったいどういう戦争だったのだろうか。ひとつの地下都市がやられたら、九キロもの地下道pをくぐりぬけて別の都市へ移らなければならない戦争とは、いったい何だったのか。さらに不思議なことがある。一〇〇メートルや二〇〇メートルの距離ならともかく、九〇〇〇メートルもの長さの地下道を掘って、二つの都市を正確に連絡できるような技術を、六~八世紀の人々がほんとうに持っていたのだろうか、ということだ。二十世紀に行なわれた丹那トンネルの掘削くっさくでさえ、国家的な大事業だったのだ。今から一二○○~一四〇〇年も前のこと、それは想像を絶する大土木工事だったはずである。また、カッパドキアの荒れた地上風景を見るかぎり、この地方が六~八世紀当時、一〇万人以上もの人間が生きていけるほど豊かだったとはとても考えられない。まして戦争に備えて地下生活をする以上、かなりの食料や生活必需品を貯えておく必要があるが、キリスト教徒たちはそれをどこから手に入れたのだろうか。それともこのカッパドキアは、かってそんなに多くの人間を養えるほど豊かな土地だったというのだろうか。そして、騎馬のアラブ軍団と弓矢を武器としたキリスト教徒との闘いが、豊かな緑野をこんな草木もはえない不毛の岩山に変えてしまうほど激烈なものだった、と!こうした疑問は、はたして解決できるのだろうか。合理的な説明はつけられるのだろうか。

核戦争が地下都市を襲ったその問いに答えるのは、非常にむずかしい。しかし、まず大胆な仮説をあげて、それについてさまざまな検討を加えてみたい。その過程でカッパドキアの秘密は、明らかにされるはずだ。さて、その仮説とは次のようなものである。《カッパドキア地下遺跡は、昔、核戦争で滅んだ都市の跡だ》もちろん、現在の歴史の常識では、想像もできないような飛躍である。"しかし、カッパドキアの秘密は、""古代核戦争""を仮定すると、すべてに"合理的な説明がつけられるのだ。決して単なる空想ではない。その仮定には数多くの裏づけがあり、それらのひとつひとつを組み立てると、まさに恐ろしい大破壊"核戦争が、このカッ。ハドキアを襲ったことがわかるだろう。まず、人間が戦争に備えて地下深くもぐるのは、どんな場合かを考えてみよう。七世紀のアラブ軍団のような侵略者に対してだったら、人間はこんな馬鹿なことはしないはずだ。なぜなら、侵略者は少数の兵力で洞窟の入口を占領すれば、勝利をおさめられるからだ。入口をおさえれば、中に閉じこめられた人間はいずれ餓死してしまう!また、飛行機による火薬爆弾類の爆撃なら、第二次世界大戦をふりかえってみればわかるように、ちょっがんじようと頑丈な地下室で十分防げるのだ。とすると、地下一五〇メートルの地下都市が備えるのは、核兵器による攻撃以外にはありえない。"広島と長崎が.人類で初めて""と"いわれる核兵器攻撃の洗礼を受けてから半世紀。核兵器は今やインド、中国といった発展途上国にまで拡散した。と同時に、世界の国々は核戦争に備えて、軍事基地や貯蔵施設、研究所、工場などを続々と地下に移すようになっている。一時的には十万人以上の人間を収容できる地下都市も、世界各地につくられているほどだ。

デリンクユ地下都市の平面図

たとえばモスクワや北京の地下には、網の目のようにトンネルが掘られている。ワシントンの地下には、核戦争のとき避難してきた人々を、一定期間養えるだけの必要物資が貯えられている。ノルウェーは、軍港まで地下に移してしまった。そして、外国の一般市民は、個人用核シェルターをつくることに必死になっている。平和の国スイスに放射能汚染に備えた地下避難所が、数多くつくられていることは有名な事実だし、イギリスでは政府が核シェルターづくりを奨励している。アメリカの核シェルター・メーカーは成長産業だ。

このように核攻撃に備えた現代の地下都市と、カッパドキアの地下都市と、どこに違いがあるだろう。むしろあまりの類似に驚くばかりだ。

証拠Ⅱ数百万度の熱でできたガラス層

人類が核兵器を初めて手にしたのは、一九四五年のことである。とすれば、それ以前、はるかな昔に築かれたカッパドキア地下都市が、核戦争に備えたものである、というようなことが考えられるだろうか。しかし、ここに驚くべき事実がある。この地球のあちこちでは、いつとは知れぬ遠い昔に、核爆発があったという証拠が、次々に発見されているのだ。一九五二年にイスラエルで発掘作業にあたっていた考古学者たちが、五メートルあまりの深さの地層から、厚さが約六ミリで二~三〇〇メrトル四方に広がっている、溶解した緑色のガラス層を掘りだした。それは石英の砂の層が、その部分だけ溶けて変色したものだった。このような砂のガラス化現象が起こるには、きわめて高い温度が必要だ。火山活動や通常の爆発、火事などではこんな現象は生じない。それには数百万度の数…が必要だが、地球上でそれだけの熱が得られるのは、熱核反応しかないのである。そして、アメリカの考古学者たちは、それと似たガラス状物質をかつて見たことがあった。ニュー・メキシコ州の核実験の跡で!一九七三年にはイラク南部の砂漠で、同じようなガラス層が見つかった。この層はバビロニアやシュメ;ルなどの遺跡のかなり下に薄くひろがっていた。その南のアラビア南部の砂漠には、ハラスと呼ばれる強烈な放射能を受けたことを示している、黒く焼けこげた石の原っぱが二八か所ある。また、油田の調査をしていたフランス人の技師は、サハラ砂漠南部で緑色のガラス層のひろがりを見つけ、そこの溶解した珪土けいどが、「ホワイト・サンズ(アメリカの原爆実験場)のものと似ている」と報告している。モンゴルのゴビ砂漠でも、焼けてガラス状になった地層が発見されている。核爆発の証拠は、こうした不毛の砂漠(この砂漠自体、重要な問題を示している)だけでなく、世界各地の遺跡にも見られるのだ。

高熱破壊の遺跡は何を語るのか

ブラジルのピアウイ州に、セテ・シダデス(七つの都)と呼ばれる遺跡群がある。なかでも最大のものは、長さが約一・六キロもある都市だが、その中心にある大きな建築物の遺跡をのせた岩は、その南面が溶けてガラス状になっており、赤い金属が溶解して岩壁に涙のしずくのようにこびりついていた。探検家の一入はこう報告している。「あそこで発見されたいくつもの都市の遺跡は、規模として最大のものだと思われるが、一部は焼けつきてガラス状になっているし、溶解した石やクレーターだらけだった。無気味な裂け目が入った石の舗道や家があるかと思えば、岩がたぎってできた親指ほどの泡もある。それは、まるで巨人の火かき棒で襲われた跡のようだ!」さらに新大陸では、似たような遺跡がほかにもある。ペルーのタスコからそう遠くないところには、約一・六キロ四方にわたって山の岩が溶解し、結晶化している地域があり、城塞とおぼしき建造物の花崗岩かこうがんブロックは、高い放射熱によってガラス化している。このようにガラス化した遺跡は、北アメリカの南カリフォルニア地方、アリゾナ州、コロラド州でも見つかっている。もちろん、旧世界にも核爆発の影響を受けた遺跡がある。アイルランドのダンレアレとエニスの城塞の壁には、花商岩が溶けてしまうほどものすごい高熱の跡が残っている。また、古代ギリシアの地理学者であるストラボンは、その著書『地理』に、"""死海の地域には、原因不明の火によってとけた岩がある〃と書いている。場所がカッパドキアに近づいてきたが、もう二つだけ証拠をあげておこう。ごく最近、小アジアのハットウサの遺跡が発掘された。すると、ここではレンガ積みの家が溶けて、赤いかたまりになっていたのだ。かつてこの町は、想像を絶する高温によって破壊されたのである。また、古代バビロンの地域には、"何人かの学者が""これがバベルの塔""の名残りだ""と主張している、高さ"四六メートルの塔の廃墟がある。ここにもまた、人工的につくりだされた高温破壊の跡が残っている。これについて学者の一人は、「数万のレンガを赤く熱しただけでなく、これを溶かし、塔の骨組全体と粘土壁全部を焼きこがしている。こんな高熱はどこから生まれたのだろうか。説明がどうしてもつかない……」と話している。有史以前、文明が栄えた中近東やアジアのみならず、ヨーロッパの辺境アイルランドや南北アメリカにまで、核爆発としか思えないようなすさまじい破壊の跡が散らばっているのだ。このことは、いつとは知れぬ古代、全地球的規模での核戦争があったことを物語るのではないだろうか。ひとつの都市、ひとつの地域ではなく、当時の文明すべてを滅ぽすような、そんな大規模な戦争があった。しかも核という最終兵器を使って……。

伝説の兵器は現代の核ミサイルか?

こうした大破壊があったとしたら、それはなんらかの形で後世に伝えられて必ず人類の記憶として存在するはずである。それを示す文献はないものだろうか。それがある。インドの古代サンスタリット語文献の中で、最も有名な『マハーバーラタ』は、さながら核戦争についての教科書のような文献だ。この文献は二五〇〇年前から現在の形で存在していた二〇万行からなる叙事詩だが、古代では考えられないような超兵器のようすを、くわしく伝えているのである。ヴィマナ(鉄でできた胴体に翼がついている空の戦車)に落ちつきはらって陣どっていた英雄アドワッタンは、水面に降りたち、神々すら抵抗しがたいアグネア兵器を発射した。並みはずれた殺傷力を持ち、煙をともなわぬ火を放つ鉄の矢は、束になって敵を包みこんだ。流星が光を放って空から落ちた。たちまちのうちに敵の軍勢の上空は、濃い闇におおわれた。天も地もわからなくなった。強烈な風が吹きはじめ、不幸をもたらすたつまきが生じた。黒雲がとどろき、空高く登っていった。チリや砂が突然降ってきた。太陽でさえ目をまわして、ゆれ動いているようだった。地球はこの兵器の恐ろしいまでに激しい熱にゆれ、焼けこげた。広大な地域で、動物たちが大地にくずれ落ちて死んだ。水は蒸発して、その中の生物たちは死にたえた。あらゆる角度から炎の矢が絶えることなく激しく降りそそぎ、敵の戦士たちは猛火に焼かれた木立こだちのように倒れた。何千もの戦車が横転した。これはまさに核弾頭を備えた対地ミサイルの爆発ではないか。そして兵士たちも、この兵器の性質を知っていた。というのは、助かった少数の兵士たちは、まだ戦闘が終わっていないのに、大急ぎで近くの川にいき、自分たちの衣服や武器を洗って"いるのだ。""死の灰""による放射能障"害を防ぐための行動によく似ているではないか。『マハーバーラタ』が伝えるのは、核ミサイルだけではない。核爆弾による都市攻撃をも報告している。高速のヴィマナで飛んでいたグルカは、三つの都市に向けて、宇宙のすべての力を秘めている弾丸を投下した。太陽が一万個集まったほど明るい、煙と火がからみあった光り輝く柱がそそりたった。ヴリシュニとアンダーカの全住民が灰と化した。死体はひどく焼けていて、見わけがつかなかった。髪の毛やツメは抜け落ちていた。まるでだれかが、広島や長崎のあの日を見て書いたような文章ではないか!米国ロス・アラモスの最初の原子の火を見たジャーナリストは、"""一〇〇〇個の太陽より明るかった"""と報告したが、この爆発の様子、立ち上る煙と火の柱、犠牲者の姿、放射能による汚染の影響……などの記述は、核兵器以外のものを考えさせない。そして、インドにはこの『マハーバーラタ』を裏づけるような証拠がある。『マハーバーラタ』は、核戦争のあった場所をガンジス川上流だとしているが、まさにその地方に、焼けこげた無数の遺跡があり、岩石が"溶けてできたかたまりは、""溶解した"鋼鉄がすず鋼の中を貫流したかのように""中空になっている。"また、ずっと南のデカン高原にも、建物の中の調度品すらガラス状になっている高熱廃嘘がある。そしてこの地方では、普通のものの五〇倍の放射能を持った人間のガイ骨が発見されているのだ。こうした古代の核戦争の存在を伝える文献や伝説はほかにもある。同じインドの古文書『ドロナ・パルバ』は、五十万人をまたたく間に壊滅さ"せた""カピラの閃光せんこう""について記述"している。中国にも古代核戦争を伝える文書がある。シベリアやカナダの原住民"のあいだには、""金の貝がら""に乗っ""て空を飛び、""輝く光の矢〃で都市を"破壊しつくした戦士の話が伝わっているのだ。こうした古文献の記述を、すべて古代人の空想とみることも可能だ。事実、核兵器が開発される前は、おとぎ話として放置されていたのである。しかし、核兵器の実態が知られるにつれ、古文献の研究者たちは、こうした記述の再検討を迫られ、そこに新たな意味を見つけだしつつあるのだ。

アルタミラ

スペイン北部にある有名な先史洞窟。一八七九年、一少女によって偶然発見されたこの洞窟の内部には見事な牛の絵が描かれている。最近はこの洞窟に先史の宇宙船らしき各種の円盤模様が描かれてしるということで、新たな注目を集めている。

 

ヴァル・カモニカ

 イタリアのミラノ北東百キロの地にある峡谷。この谷の岩に彫られた線刻画は、先史時代からローマ初期のものまで[万五〇〇〇点を越え、中にはヘルメットをカぶった宇宙人が向かいあって戦う場面を描いたとされる不思議な絵がいくつもある。カモニカ漢谷の一帯は、紀元前八世紀の戦争と大異変の時代に、づアジアのトロイから亡命した原日本人カラ族の一派、カムナ族が移り住んだ地域とみられ、日本の神字(カムナ)とそっくりの刻文が残されている点で注目される。

[エジプトの地下都市]

世界各地に存在する地下都市や地下トンネル網は、転襯や神話の中で、迷由員黄泉の国、地下の楽園、または地獄として描かれている。ギリシア神話の英雄イアrソンに率いられたアルゴr号の乗組員たちは魔女メデイアの住む黒海沿岸の地底王国コルキスを訪ね、龍の車(宇宙母船)と黄金の羊の皮ごろも(宇宙服)を手に入れたといわれたり、エジプトのファラオは女神アメンティの住む地下の楽園を訪ね、そこにある宇宙基地チュアト(星に向かうところ)からかホルスの眼"と呼ばれる宇宙船に乗って星の彼方に飛んだといわれる。これまでエジプト神話のオシリスの国、暗黒の地下世界は空想的なものと考えられ、何ら実体がないとみなされてきた。が、探検協会ではオシリス神話の世界が太古のエジプトに実際にあった地下都市の記憶をとどめるものと考えている。最近エジプトのピラミッドで新たに謎の地下室が発見されたところから、伝説的なピラミッド回廊の存在が再び注目されている。サッカラの階段状ピラミッドの下に、強い放射能を含む塵ちりに満たされたトンネル網があることを知っている人は、王家の谷の性格を従来とは異なった視点からとらえなおしているかも知れない。おそらく古代エジプトの信仰を今もとどめるコプト派の人々の中には、エジプトからスーダン、エチオピアにかけて実在した太古の地下都市の記憶を伝えている人もいるにちがいない。探検協会では、ナイルの源流地帯に今なお太古の遺産を秘めた地下都市があることを固く信じており、いつの日か、パピルスに記されたチュアトの存在が明らかになるのではないかと、目下、調査を進めている。

王家の谷

エジプトのテーベ郊外にある王家の谷は、『死海写本』で有名なヨルダンのクムラン洞窟、トルコのカッパドキア遺跡とともに、考古学上画期的な発見がなされた地として知られる。クムランやカッパドキアそっくりの外観をもつこの地の洞窟群から発見されたッタンカーメンの黄金のマスクや歴代ファラオのミイラ、数々の豪華な遺品と遺構は、昔目のテーベの繁栄をしのばせるに十分である。しかし王家の谷は、古くからファラオの呪いに満ちた死の影が漂う土地でもあった。その呪いは、ツタンカーメン王墓の発掘にたずさわった関係者が次々に謎の死を遂げた時、すべてのエジプト学者をふるえあがらせた。原因は何だったのだろうか?この問題を調査した学者たちはやがて意外な事実を発見した。それは、王家の墓が大量の放射能を含む塵ちりに埋もれていたことだ(ゴネイム論文)。この事実は何を物語るものだろうか(同じ地形をしたクムラン地方でも二万人の遺体を収容した地下墓地と放射能が確認されていることは注目される)。

 

[オデッサ回廊]

オデッサ・力タコームとして知られるウクライナの地下回廊はロシア有数の第四紀動物化石の産地で、一九二九年、グリツァイによって発見され、現在までロシア科学アカデミーが継続的に調査している。オデッサ市の地下三〇平方キロにわたって図のように張りめぐらされたトンネル網の一部は明らかに人工的なものであり、キエフ市の地下トンネル網やクロマニヨンの地下マンション(収容規模二万人)との関係が注目される。オデッサ地下回廊平面図

カイマクル

トルコのカッパドキアにある謎の地下都市群のひとつ。人口数万人を収容できる地下八階構造の大遺跡として知られる。中央部のタテ穴の深さは一五〇メートル以上。各階の部屋は傾斜した通路や階段で複雑に結びつけられ、地下八階には三条に分かれた堂々たる回廊もある。八階にうがたれたトンネルは十キロ離れた隣の地下都市デリンクユに通じ、さらにデリンクユから他の地下都市へも伸びている可能性があるカイマクルの内部

[カッパドキア]

トルコのアナトリア高原中部にある広大な不毛地帯カッパドキアは、ギリシア語のカッポータス(つまりゼウスの異名「落とす者」)に由来する「雷挺の落ちたところ」だ。ウチュヒサールと呼ばれるこの地方の中心にある奇怪な岩山に立つと、周囲数十キロを赤々とした崖に取り囲まれた盆地のいたるところに、異様な形をした尖塔群が林立するさまを見ることができる。尖塔のひとつひとつは数階建ての洞窟で、その内部にほどこされた無数の宗教画と彫刻の存在は、この地を東口ーマ帝国時代のキリスト教美術の宝庫としている。

しかしこの地の最大の驚異は、ウチュヒサールを囲む台地の下に眠る巨大な地下都市群の存在であろう。現在までに調査済みのカイマクル、デリンクユ、ギョズテジン、オズコナークをはじめ、マヴルージャンその他の地に存在するいくつかの地下都市は、すでに確認されたオズコナークだけでも推定収容人口六万入の規模を誇るもので、ここにかつて生活した人々の数は数十万にのぽるとみられる。しかも注目されるのは、これらの地下都市が、デリンクユとカイマクルを結ぶ長さ約十キロの地下トンネルを一例として、かつては相互に結ばれていたとみられることだ。一九六五年にこれらの遺跡を調査し、初めて世界に地下都市の存在を紹介したトルコの考古学者ヒクメット・ギュルチャイとマフムット・アコクの二人は、この巨大な地下施設の建造年代を六~十世紀と推定した。しかしその後の高橋の調査によれば、これらの建造年代は、カイマクル・カレの一部にみられる高熱による風化作用の跡や同地域で検出される高濃度の放射能、アナトリアの巨石文化や王家の谷の成立年代などからみて、少なくとも紀元前八○○年ころまでさかのぼるとみられる。カイマクル・カレという地名が「クリーム状の城」、すなわちクリームのように溶けてしまった都市を意味していることは、これら地下都市の造られた目的と無関係ではなかったろう。

カイマクル地下都市断面図

紀元前8世紀の核戦争マップ

[クーガ王国]
チベットの最奥地、ナムナニ峰の麓に広がるアリ高原には、今も謎につつまれたクーガ王国の遺跡がある。海抜四五〇〇メートルを越えるこの地の、異様な山肌を表した比高三〇〇メートルの山頂にクーガ王国の都城はあり、断崖絶壁によって周囲の台地から隔てられたこの王宮へと到る道はただひとつ占厘の麓に口をあけた洞門をくぐって、暗黒の通路を登りつめる以外はない。そしてこの絶壁の急斜面にもまた、無数の洞窟が口を聞き、何百という建物が頂上まで連らなっているのである。これらの遺跡は、チベット王朝の末期にランダルマ王によって弾圧された仏教徒が、ラサ、シガツェからこの地に亡命して建てたクーガ王国の遺産とみられている。しかし、彼らが立てこもったこの王城の設備はあまりにも当時の水準からかけ離れたみごとなトンネル技術の跡を示している。クーガ遺跡と同じ構造をもつ要塞は、インドやセイロン、ブラジル、南アフリカなどに数多く残されているが、それらは本来、どのような技術と意図をもって造られたのだろうかクーガ王国の北西に位置するパミール高原で、ロシアの調査団はすでに巨大なホールと階段、整然とした区画をもつワハンスカヤ地下都市を発見しているが、この地下都市の建設者とクーガ遺跡を残した人々との問には、どんなつながりがあるのだろうかすべては大きな謎につつまれたままである。

ダージリンより見たヒマラヤ山脈

クレタの迷宮

一九〇〇年、イギリスのA・エヴァンスによって発見された地中海クレタ島のクノッソス宮殿のこと。複雑怪奇な迷路と近代的な設備(水洗便所など)をもつこの四階構造の石造宮殿は、ギリシアの英雄テセウスが退治した牛人ミノタウロス"の住む""クレタの迷宮""と"して神話に語り伝えられたもので、シュリーマンのトロイ発見に次いで、神話が歴史的真実を含むことを証明した画期的な遺跡である。 <!--[if !vml]--><!--[endif]-->

紀元前の目本人が建設した?クレタのクノッソス宮殿

[古墳シェルター説]

核爆発にともなう放射能の被害を防ぐには、なんらしやへいかの遮蔽物が必要だ。鉛によるものが効果的であることは知られているが、土や水も効果がある。たとえば、土を一メートルほどの厚さに盛って、よくつき固めた場合、放射線は地上の五〇分の一に減ってしまう。核攻撃のときに、このような盛り土を固めた""古墳"""内部の石室、石棺、木棺の中にしばらく(四~五日問)避難すれば、一次放射線を浴びて死んだり、重い放射線病にかからないですむだろう。このように、""古墳""はもともと死者を埋葬する施設というよりは、緊急避難用の簡易シェルターとしてつくられたのではないか。たまたまこのシエルターで生き残った人々が、新たな文明再建の中心になったため、子孫が彼らを祭る場所とし"て崇拝した。これが""古墳"""造営の始まりとも考えられる。

[サハラ砂漠の謎]

地球上最大の砂漠サハラには、かつてアルビエンヌ海と呼ばれる広大な湖があった。有名なタッシリ遺跡"やセファールの""七つの都市""を含む、""炎の島""ハガ"ールのまわりに広がるこの美しい湖は、伝説によれば、太陽神ヘリオスの子パエトーンの操作する車が誤って地上に落ちた時、一瞬のうちに消え去ったといわれる。その原因は何だったのだろうか。古代の歴史家や詩人たちが繰り返しその悲劇をとりあげたパエトーン伝説の真相を解き明かす鍵は、リビアン・ガラスとも呼ばれるテクタイト(ギリシァ語のテクトス「溶けた岩」に由来するもの)の成因にある。テクタイトは岩石が最低二五〇〇度の高温で溶けたあと急激に冷えてできたもので、これまで火山生成物ないし隈石であろうと推測されてきた。しかしリビア砂漠のテクタイトが火山生成物であるという証明はなく、隕石説も、テクタイトの成分が砂漠の砂とほぼ同一で地球外起源の成分を含んでいないために無理がある。むしろわれわれは、テクタイトに含まれる放射性同位元素の存在などから、その成因を核爆発の高熱に求めるべきだろうサハラ砂漠が核爆発によって誕生したとみられる別の根拠としては、エジプト、チュニジア、モロッコにある地下都市や地下回廊、今西探検隊が偶然発見したサハラの玉石(簡易式シェルター)などがある。また最近の人工衛星写真によれば、サハラ砂漠の西には巨大なウラン埋蔵地があることも確かめられている。この地に近いオクロで「天然原子炉」の跡が発見されていることは何を物語るのだろうか。

[C14年代測定法]

年代測定には"上の地層は下の地層より新しい〃というぐあいに時問の前後関係だけを示す「相対年代」と、"今から何年前"というように年数で示す「絶対年代」とがある。この二つのうち絶対年代は、古代史研究には欠かせないものだ。よく聞かれる「放射年代測定」もこの絶対年代を出すためのものだが、その中のひとつに「放射性炭素法」(C14法)がある。これは現在の大気中のCロ量を一〇〇とした時、ある遺物のC14量が五〇であれば、C14量が五〇パーセントに半減する期間五七三〇年をもとに、その遺物は五七三〇年前のもの、と測定する方法だ。放射性元素の崩壊速度は、まわりの温度や圧力などに左右されず、規則正しく進行するので、このC14法なども比較的正確な絶対年代を測るものと思われてきた。ところが、高橋良典は、この測定法には落し穴があるという。仮に今から五七三〇年前の大気中のC14量が五〇しかなかったとすれば、遺物に含まれるC14量は二五になっているはず。にもかかわらず今までの方法だと、一○○のものが五〇になるのに五七三〇年、さらに二五になるまでの五七三〇年を加えて、一万一四六〇年という年代を出してしまう、というのだ。そして地球上のC14量は変化している、という最近の研究成果を考え合わせると、このC14年代は再検討する必要がある、と指摘するのだ。もしこの指摘どおりなら、現在知られている古代地球の歴史は、大きく書きかえられることにもなるのだが、はたしてその真相は?

シカゴ大学のリビー博士が開発したC14年代測定法には問題がある

 [シルダリア地下回廊]

ロシアには、昔から豊富な地底王国の伝説がある。カザフ共和国のシルダリア地下回廊にまつわる話もそのひとつだ。四世紀の終わり頃、フン族に侵略された中央アジアの遊牧民族サルマートの言い伝えによれば、彼らは征"服者の迫害を恐れて""秘密""の地下道""づたいに""シャンバラ""へ逃がれたといわ"れる。カザフ共和国の歴史家ドスジャノフは、この伝説の真偽を確かめるため長年中央アジアの伝説と洞窟調査を続けてきた。そして彼は、遂に伝説のトンネルとみられるものをシルダリア川の上流に位置するタシケントの郊外で発見した。高さ約ニメートルのこのトンネルは、支柱を使わなくても安全な堅い岩盤に高度な技術を駆使してつくられたもので、約二〇メートルことに地上部に達する通気孔が天井に設けられているという。彼の発見したトンネルが、昔からこの一帯にあると噂"されてきた""シャンバラ国"""の地下回廊の一部をなすものかどうか不明であるが、シルダリアの流域にはこのほかにもいくつかの人工トンネルがあり、それらは、十九世紀の初めにチベット文献を調査したハンガリーの探検家ケーロスが明らかにしたシャンバラ(クジルオルダの北東・北緯四五~五〇度一帯)の地下都市につながるものとみられる。シルダリアが流れるツラン低地とアラル海の周辺は、地下都市研究が盛んな地域のひとつで、無数の地下川がその下を流れるウスチウルト砂漠の表面に、ナスカの地上絵をはるかに上回る規模の巨大な地上絵が数多く残されていることは、地上絵と地下都市の秘められたつながりを物語っている(ナスカ台地の下にも推定延長数百キロに及ぶ地下トンネルの存在が確認されている)。

ロンドンのシェルター図

カイマクルの迷宮

テクタイト

エジプト、スーダン、リビア三国の国境地帯、ウェイナット山の近くのクレーター周辺から、リビアン・ガラスと呼ばれるテクタイト(ギリシア語のテクストケ"溶けた岩""を意味するもの)が見つかっている。これは隕石のカケラとみなされてきたが、地球外起源の成分を含んでいない。逆に、リビア砂漠の砂と化学構造が非常に類似していることが判明している。一般にテクタイトは、岩石が最低二五〇〇度の高熱で溶けたのち、急激に冷えてできたものとされている。このような高温は火山活動でも生じるが、リビア砂漠が火山活動でつくられたという証明はない。むしろテクタイトに放射性同位元素が含まれていることから、これをつくったのは核爆発によるものだと考えることができるのである。

トロイ

ヨーロッパの地図を開くと、ひとつの奇妙な事実に気がつく。「卜ロイ」という地名が、あちこちに見られるのだ。たとえば、イギリスの「トロイ」は古くから信仰の中心地とされ、そこには迷路状の地下道がある。また地下宮殿で有名なクレタ島には、「卜ロス」と呼ばれる地下墓地がある。この「卜ロス」が「トロイ」という言葉に関係することは確かだ。さらにヨーロッパを離れると、アフリカのチュニジアには「卜ログローディス」と呼ばれる地下生活者がいる。「卜口」は「卜ロイ」に関係ある言葉と思われる。こうした「トロイ」に共通するのは、「地下」とか「洞穴」ということだ。つまり大胆に仮説を提起すれば、「トロイ」という言葉は、単に小アジアのトロイをさすのではなく、地下回廊や迷宮などの.地下都"市がある場所""を示しているといえるかもしれない。

[パエトーンの落下]

 ギリシア神話に描かれた次のような核戦争の記憶。今、地上は高い山々まで炎に包まれ……大都市はその城壁もろともことごとく崩れ落ちている/工トナ山は二重の火によって高々と巨大な火柱をあげ、パルナソスの二上山、エリュクス山……カフカス山脈……アルプス山脈の高峰、雲をまとったアペニン山脈まで炎に包まれてしまった/リビアは熱のためその水分をすっかり失い……ナイル河は七つの河口の水がかれて砂漠となり……大地は到るところで裂けた/海は干あがってかつての大海原は不毛の砂漠と化し、深い水におおわれた海底一の山脈があらわれてキュクラデのごとき島々となった/パエトーンはその髪の毛をちりぢりに焼かれながら、空に大きな弧を描いてまっさかさまに墜ちていった……(オヴイディウス)

バベルの塔

聖書に史上初の権力者ニムロデが築いたと記された塔。イラクのバビロン遺跡にあるジッグラトがその遺跡とされる。推定によれば、底辺と高さがそれぞれ九〇メートルの階段状ピラミッ頂上の神殿で宇宙神マルドゥクを迎えたという。この塔跡で不可解な高熱で溶けたレンガが発見されている。高熱で破壊されたあとを示すバクダットの階段状ピラミッド

ヒッタイト

トルコのアナトリア高原を中心に栄えた謎の帝国。ヨーロッパからアジアに進出したその民族は一時は西アジア一帯に勢力をふるいエジプトとも戦った。アナトリアに残された首都ハツトゥシャの遺跡は、随所に巨石を用いたもので、家々のレンガが当時としては想像もつかない高熱で溶けた跡をとどめている。マブレヤ文字に似駄鎚以字や前インカに似た絨毯をつくったヒッタイト人は、帝国もろとも謎の消滅をとげ、その技術、文化も多くの謎につつまれている。

「ラーマヤナ』の舞台となったキシュキンダーの王城ハットウーシヤ <!--[if !vml]--><!--[endif]-

古代核戦争の廃墟から出撃するアトランティスの軍隊1

[放射能の後遺症]

核爆発は、人体に直接・間接に悪影響を及ぽす。それは広島・長崎の例でもよくわかるが、古代に全地球的規模の核戦争が行なわれたとすれば、放射能による後遺症の記録が、なんらかの形で残っているはずだ。この点に関し、地球文化研究所の高橋は、イースター島のモアイ・カヴァカヴァやオルメカ、チャビンの彫刻が、放射能障害としてのケロイドや奇形、甲状腺腫、.クレチン病などを表していると指摘する。このような土偶や石像、木像は、似たようなものが世界各地で見つかっている。ネアンデルタール人がクル病にかかっていた、というのは有名な話だが、クル病は放射能障害の後遺症とみることもできるのだ。古代核戦争の結果、生き残った者の子孫はその悪影響で退化したことも十分に考えられる。

ケロイドのあとを示すオルメカ遺跡の出土品

蛙子ひるこをかかえて悲しむ父親(イザナギ)

[ボリショイ・キテジ]

ロシアの民衆の問に今も生き続ける地底王国の伝説の中で、最もよく知られ、親しまれているのがボリショイ・キテジの物語である。ジンギスカンの孫バツーの率いるモンゴル軍の攻撃のさなか、突如、地底に消えたスズダリ公国の都ボリショイ・キテジの話はロシアの作家や詩人、リムスキー・コルサコフのような作曲家が取り上げたおかげで、今なおその存在を信じる人が跡を絶っていない。一二三六年に消えたこの都の住民は、伝説によれば、今も地底でしあわせな生活を送っており、スズダリ公国の故地に近いスベトロヤーリ湖の水面に、ときおり町の姿を映し出すといわれている。実際にこの湖を調べたダイバーたちは、伝説を裏づける証拠を湖底に見つけることはできなかった。しかし、この小さな円い湖を取り巻く周辺の台地には、かつてこの地を訪れた信者たちが掘ったとされる人工の洞窟が無数にあり、内部は何層かの迷路になって、地上に通気孔が残されている。さらにスベトロヤーリ湖一帯を含む、ヴォルガ沿いのマリ族居住地区の到るところに、このような人工洞窟や地下トンネル、地底湖や地下川、あるいは巨大な陥没地がある。ということは、やはりこの一帯にかつてボリショイ・キテジの伝説を裏づける地下都市が実在したことを物語っているのではないだろうか。    

 

[マハーバーラタ]

インドに伝わる世界最大の叙事詩。バーラタ族の戦争伝説を中心とする全一八巻ニニ万行に及ぶ詩編の起源は、遠く二七〇〇年前まさかのぼで遡る。作者はヴィヤーサと呼ばれるマハーバーラタの勇士と同時代に生きた伝説的聖人。物語の舞台となるのはガンジス河とヤムナ河のメソポタミア両河にはさまれたクルの大平原である。ここでバーラタ王の血を分けあった二組の子孫パーンダヴァとカウラヴァの両派が王位をめぐって対立を深め、遂には最終戦争によって共倒れの悲劇に終わる。全編の筋書きは、ホメロスの伝えるギリシア叙事詩『イーリアス』の構成に通じるものがある。両陣営が決戦に臨んで用いた兵器の数々と戦闘の場面は、この説話が今から二七〇〇年以上も昔の戦争を扱ったとは想像もできないほど現代的であり、ククラやアグニのような核ミサイルを思わせせんこうるもの、核爆発の閃光とその後生じる放射能障害を描写したようにみえる記述が"十八日戦争"を扱った六~九巻の随所にあらわれる点は大いに注目されてよい。また、この叙事詩に登場するクル族(バーラタ族)の英雄が、日本神話の高天原で活躍したわれわれの祖先と一致することも興味深い(徳間書店刊『謎の新撰姓氏録』参照)。

[ムー王国の地下都市]

紀元前六八七年の最後の異変前に、シュメール語でムーと呼ばれた宇宙船を駆使していたわれわれの祖先は、以下の地域を含む地球上の各地に、大規模な地下都市群とトンネル網を残したとみられる。

クーガ(中国)

ラサ(〃)

トルファン(〃)

トンホワン(〃)

コイリン(〃)

ユエヤン(〃)

ムスタング(ネパール)

アティス(モンゴル)

コリマ(ソ連)

キテジ(〃)

シルダリア(〃)

オデッサ(〃)

カフカス(〃)

アルメニア(〃)

カーネーリ(インド)

ジュンナール(〃)

ワハンスカヤ(アフガン)

ゴルガン(イラン)

アニ(トルコ)

カッパドキア(〃)

サモス(ギリシヤ)

クレタ(〃)

ローマ(イタリア)

クマエ(〃)

エニャーツィア(〃)

モーディカ(〃)

べツサ(〃)

カルパート(チェコ)

プロバン(フランス)

ピレネー(スペイン)

グランカナリァ(〃)

タンジール(モロッコ)

アハガル(アルジェリア)

マトゥマタ(チュニジア)

バールベック(レバノン)

クムラン(ヨルダン)

エルサレム(イスラエル)

ギゼー(エジプト)

ゴンダル(エチオピア)

クライン(南アフリカ)

ワマ(ナイジエリア)

マラニヨン(フラジル)

ロンカドル(〃〉

サンタカタリーナ(〃)

ロライマ(〃)

アタカマ(チリ)

ラノララク(〃)

ティアワナコ(ボリビア)

ナスカ(ペルー)

クスコ(〃)

マチュピチュ(〃)

クエンカ(エクアドル)

サンアウグスティン(コロンビア)

テクパン(グァテマラ)

ロルトゥン(メキシコ)

アカンバロ(〃)

チョルーラ(〃)その他

[ムスタング]

チベットとネパールの国境地帯に、ムスタングと呼ばれる地方がある。ここにはかつてムスタング王国があり、チベットやネパールの諸王朝から独立した王侯が、長い間勢力をもっていた。フランスの探検家ミシェル・セペールは、一九七〇年代の初期に、ヒマラヤ山中の険しい谷に囲まれたこの地を調査することになり、ロ・バス族の居住地に近い荒涼とした山の絶壁で、みごとな掘削技術の跡を示す二九の人工洞窟群を発見した。これらの洞窟は、絶壁の中ほどに等間隔で口をあけ、中に入ると秘密の通路でつながっていて、奥には広いホールと大小無数の部屋があった。現代の石工も及ばない高度な技術を使ってきれいに仕上げられたこの洞窟遺跡は、明らかに、いつの時代か、大勢の人間が共同生活を営んだ跡にちがいないが、セペールによれば、この地に長く住むロ・バス族も、この遺跡を残した人々については、何も知らなかったこの遺跡に関する情報をマイケル・グラムリーから入手した地球文化研究所の高橋は、一九九二年に現地におもむきジョング河谷の北面斜面にうがたれた無数の人工洞窟を調査した。しかしその後、この遺跡を中国政府やネパール政府が本格的に調査したという話は聞いていない。ヒマラヤ山脈の国境をめぐる関係諸国の紛争の原因は、案外、これらの洞窟に眠る未知の文明の遺産にかかわりがあるのかも知れない。

ラーマヤナ

『マハーバーラタ』と並び称されるインドの英雄叙事詩。全七巻。作者は前三世紀の詩人ヴァールミーキと考えられている。物語はヴィシュヌ神の化身ラーマがガンジス河の北にあるコーサラ国王ダシャラタ王の息子として生まれるところから始まる。首都アヨーディヤの宮廷に育ったラーマはシータと結婚し王位を約束されていたが、継母の陰謀によって森に追放され、そこで魔王ラーヴァナにシータを奪われる。猿王スグリーヴァと同盟を結んだラーマは、ハヌマーンの協力でシータがランカの宮殿にとらわれている二とを知り、ラーヴァナとの一大決戦におもむく。ラーヴァナとの壮絶な戦いと勝利の後シータを取り戻したラーマは、シータの純潔を確かめた上でアヨーディヤに凱旋がいせんし、王として迎えられて善政をしく。このような内容をもつラーマ物語は一片の美しい口マンだが最近この叙事詩は、ヴィマナ"と呼ばれる""宇宙船や""プシュパカ""と"いう不思議な空中戦車が登場することで注目されている。この叙事詩の中で魔王に仕立て上げられたラーヴァナが美女ヘレネーを誘拐したトロイの英雄パリスとして欧米に知られている太古日本の大王オモタルヒコであったこともさらに注目されてよい(『謎の新撰姓氏録』参照)。

国常立の息子クベ-ラとシバの都とされたチベットのカイラス山

 その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変わってしまった…:

 尭・舜の時代に地球全土は戦火に包まれ、禺は洪水の後始末に追われた

 ところが、このような戦争と異変の混乱に乗じて、人身牛首の神を祭る者、蛇身人首の鬼を祭る者が西から東へ次々と来たり、我らの地に住みついた

 ー『契丹古伝』

 続く・・・

Beneficiary‘s Personal Pension Fund(6)~銀行に替わって非営利のインハウスバンク的金融システムに・・・

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Beneficiary‘s Personal Pension Fund(個人生涯年金基金)

 

類愛・世界愛・生命愛

21世紀、世界は公のものとなり,あらゆるものは人類の共有となります。

人種や国家の壁は取り払われ、人々は好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由な交易が行われます。

民族愛・国家愛は、人類愛・世界愛・生命愛に変わり、人々は互いに慈しみ通じ合います。

老人は皆自分の親とみなし、すべての子供は、自分の息子や娘とみなされ、愛着をもって大切にされるようになります。

国は相互扶助の本体として再生し、人々は道徳を以って相互扶助を実践します。

自己の能力を生かし、天職を尽くして、奉仕貢献する者には尽きることのない報酬が約束されます。

やがて、人々の安全は保証され、恐怖や不安がなくなり、力ずくで搾取する必要もなくなります。

人生の目的は、競争ではなく助け合うことに変わり、助け合うことによって進化しつづけます。

以前のことは過ぎ去って、悲しみや苦しみもなく、全てのものが新しくなって人生最高の幸福をしみじみと味わうようになります。

人類の尊厳は復活し、真理を尊び、この理念に準じて永久に栄えます。

 

【プロジェクト概要】

Beneficiary's Personal Penshin Fund (個人生涯年金基金) のBeneficiaryは、聖なる報酬に由来し、天に代わって奉仕をする者への報酬を意味します。 

BPPFは、相互扶助(Mutual Aid)社会を創造するため、一元化された世界の公共信託基金から個人に信託される個人生涯年金基金です。生活の安心・安全が保証され、全人類の創意によって一体化を推進します。

世界の情勢が大きく変わってきた今、市民一人一人が直接世界の金融経済を担う第一歩となるよう発進します。 このプランが神々の助言とその役目を担う方々によってさらに進化してゆくことを願っています。

統治体および全ての公益団体(非営利事業体)の財源も、人類の総意により一元化された公益信託基金からダイレクトに信託されます。

OPPTは、世界の金融経済を大転換させるため、地球人類の資金・資産・資源の一元化を諮り、NESARAは、統治体と地域の安定、平和共存・文明の融合を実現するため、そしてBPPFは、個人の尊厳と生活の安全・安心を守り人類と宇宙の進化を諮ります。この3つは一つのクォンタムな相互扶助システムです。                

【金融の定義】

「金融」には、大きくわけて「お金の流れ」と「お金の貸借」という2つの意味があります。「お金の流れ」というのは、金融業だけでなく政府の財政や、企業などの事業活動、そして個人の家計も金融の一部と言えます。「お金の貸借」とは、余っているお金を足りないところへ融通して一時的な過不足を調整することです。このように、金融取引の行う場を金融市場(financial market)と呼んでいます。

【金融の起源とギルド(互助組合)】

古代社会では、物々交換が行われていましたが、相手が自分の欲しい物を持っているとは限らず、物々交換は不便な面がありました。お金の登場は、さまざまな交換取引を可能にし、売り手と買い手が地理的に離れている場合に金融は大切な役割を果たしました。

中世の西欧社諸都市では、貿易大商人によって組織された商人ギルドが経済を独占していました。しかし、商人ギルドによる市政独占に反発した手工業者たちは職業別の手工業ギルドを組織しました。もともと盗賊は皆このギルドに所属しており、盗賊同士の互助組合(生活・食事・技能の伝承の場)的なものでした。商人や盗賊が奪った財宝を家系の中で専門に管理する役割が発展してマーチャント・バンク(Merchant Banks)に変わってゆきました。

【マーチャント・バンク】

マーチャント・バンクとは、海外の政府や政府系機関、大企業などの取引をアレンジする主にイギリスの金融機関で、手形引受や証券発効を主要な業務としています。また、金(Gold)および外国為替市場、貿易金融、投資管理、保険に関連した多くの機能を果たしています。 

参照: http://ningyocho.blogspot.jp/2010/12/blog-post_09.html

マーチャント・バンクの顧客は一般市民ではなく、政府や金持ち、大企業が取引先で、主要な業務内容は、信用供与ですから、貿易金融に関連し、必然的に国際金融と密接な結びつきを持っています。会社の資本調達に従事し、企業合併にも助言を与え、国際借款業務を戦略的に取り扱っています。

銀行は、一般市場向けの業務、マーチャント・バンクは支配階級と銀行や国家の間で銀行ができない業務を行っていました。世界の国々の膨大な借金の債権を取り扱っているといえば、それが戦争資金の融通を通じて、同業界の権力争いが国家に代理戦争などをさせる元凶となっている金融組織であり、その原点は盗賊・山賊の互助システムでした。

私たちの日々の生活に根ざしている銀行や行政そして司法などは、限られた範囲の調整を行っているだけで、実態はこの歴史的な金融支配システムの歯車に過ぎません。今後世界の金融システムが市民生活に支障がないようにどう解体・崩壊してゆくかを見定めるとき、すべては原点に返るものであることが一つの目安になります。

1970年代後半から世界的規模で金融機関や金融資本市場の再編が進みました。その発端は「1975年の米国に於ける金融手数料等の自由化」であり、次いで1987年の英国に於ける「ビッグ・バン」でした。日本は90年代を通して、未曾有の大不況(デフレスパイラル)に喘ぎ、管理不能なまでに肥大化した不良債権と、不適切な局面での金融ビッグ・バンの実施で自ら金融危機を招く結果となりました。その為、金融再編の過程は欧米より遥かに遅れて到来しました。金融機関のコングロマリット化が進む一方、信用失墜の金融機関は顧客、消費者、市場のニーズに対し実質的に機能不全に陥っています。

現在の日本の状態を単純に捉えると、山賊・盗賊の域を出ない金融マフィアが、最後の牙城である日本を舞台に激しい内部抗争と債権の取り立てを行っている状態です。国には彼らに押し付けられた膨大な債務があるわけですから、その債権取立ては恫喝によって無秩序に行われます。

仕組みは実に単純です。もともと博打の嫌いな善人に、酒色で迷わせ、博打場に誘い込みます。 博打に負けてしまって自暴自棄になった善人にさらに掛け金を貸付け、博打を続けさせます。気がつくと畑や家財など一切が担保に取られ借金までが残っていました。善人は裸一貫になり死ぬまで働いて借金を返さなければなりません。こういうことを当たり前に画策してしのぎを削るのが裏社会でした。国家・国民がこの裏社会の餌食になっているわけです。

1987年以降、ドル基軸経済による世界経済の統制、手数料の自由化、総量規制、金利規制などが進み、米国のサブプライムがマーチャント・バンクを消滅させ、その後ヨーロッパ・EUの崩壊につながりました。

マーチャント・バンクが無くなりバックアップシステムが無くなったIMF,世界銀行、FRB中央銀行システム、あるいはSWIFTによる通常業務の銀行は、過去のように産業開発や戦争軍事産業のために資金調達ができないことを意味します。マーチャント・バンクによって育成された世界の多国籍企業は、すでに再編名目で資本解体が行われ、1970年代からインハウスバンクという新しい金融システムに転換を始めています。

金融の原点は、財宝を預かるだけの金庫番の役割でした。銀行が衰退してゆく様子は、すでにコンビニや駅周辺にキャッシュサービスが大量に設置されていることでもわかります。貸付による金利収入の時代を終え、お金の出し入れによる手数料収入に転換する動きが1975年から始まっています。その結果、例えば給与が通帳に記帳されていれば、キャッシュ・カードでほとんど決済できます。

貨幣が必要なのは、国に貸付けてあるという債券の役割を貨幣がしているからです。つまり借用書を信用券として流通させてきたことになります。金本位制は金を裏づけにした貨幣を金融上公に使用できる制度ですが、この話には見えない部分があります。貸付けている存在がある限り増えた貨幣は返済に回されます。それでは金融システムの本質が変わりません。マーチャント・バンクが扱っていた世界の債権(国際担保勘定)を何時どのように処理するかという課題が今後を大きく左右します。

※国際担保勘定とは・・・

http://s3alpha.net/blog/recap-what-are-global-collateral-accounts-what-have-governments-o

1875 年に王室と国家の資産は植民地ルールの下に世界の全ての国の利益になるように一つの複合勘定として、集中的に管理されるようになっ  た。これは世界負債処理に関する複合国際担保勘定として知られるようになった。この仕組みの中には今では合計1045 (クアドロデシロン)ドルに達するセント・ジャーメインの聖なる基金と世界信託が含まれる。この資金はNESARAと繁栄資金の配布に用いられる。この合意の延長は、あるものが依然として極秘扱いになっている以下の国際条約Jekyll Island Treaty (1910)、The London Treaty (1920)、The Second Plan of the Experts (1929)、The Hague Agreement (1930)、The Far East Combined Depositories Agreement (1932 1945)、The Bretton Woods Agreement (1944)、The B.I.S. / Allies Agreement (1948)、The Green Hilton Agreement (1963)、The Schweitzer Conventions (1968)、The Election / Appointment of Sole Arbiter Agreements (1995)、The Washington Panel (1998)、The Treaty for Respecting the Rights (2003) で規定されている。これらの条約は偽の企業体政府ではない、正式の政府による世界の国家によって批准されている。この証拠は国連に記録されている全ての国家の憲法に記載されている。米国については憲法に基づいている。王、女王、大統領、首相、及びある場合には財務大臣、外務大臣のみがこれらの口座を利用出来る。監査は国連本部の特定の規定の下の特定のオフィスを通じて行われる。

第二次世界大戦後、1945年から1995年の間に、この国際担保勘定の資産は米国、英国、及びフランスによる三極委員会によって管理されるようになった。この委員会はドルを国際基軸通貨として選択し、CIAにこの担保口座の管理責任を委託した。CIAの駐在を好まない国には同じ条件で外部委託することが許された。直後にCIAはこの国際担保口座から資産を盗み、新世界秩序(NWO)プロジェクトに注ぎ込むようになった。1995年にこのような不法行為を防止するために三局委員会はCIAから権力を剥奪し、国連にある国際財務管理者と国際財務管理オフィスに管理を委託した。それに加えて、今ではこれらの機関はIMF,世銀、国際決済銀行(BIS)に対する司法権を握っている。それにも関わらず、IMF,世銀、及びBISは、この資産を世界の人民のニーズを顧みずに、不法に自身のファイナンスに流用している。

マーチャント・バンクは、もともと金銀財宝などを安全に保管する金庫の役割でした。又貨幣は、作物の種を翌年の作付けの割り当てをキリスト教の協会が管理する慣わしで、農家から預かった種の預書を発行したことが始まりだったという説もあります。この種の預り書が価値を生み物々交換取引の融通や一種の約束手形的な役割として利用され貨幣の必要を生み出してゆきました。経済という名の下に複雑化した金融経済は1987年から転換期に入り、マーチャント・バンクと多国籍企業や銀行間の特殊な超法規金融システム、あるいは特殊な優遇を受けられる治外法権の特区などが次々告発されるようになり、肥大化した世界の特権金融システムは縮小に転じてゆきました。その結果世界の金融経済の暗部に光が当てられてきました。

この間世界の経済を先導してきた非人道的金融資本家やその関連組織が企業と株主に衣替えし、競争が激化するほど利益の先取りに走り、ピラミッド型の組織が崩れ内部分裂して世界経済の混乱に拍車をかけてきました。

マーチャント・バンクの発祥は金庫番でしたが、戦争のための資金として流用し際限ない画策が今日の金融支配を築きました。また階級制度下の特権階級は庶民から物資を搾取して、さらにその資金を高利で貸し付け、土地を取り上げ人身を売買してきました。そして、30年ほど前から今日の行き詰まりを見越して、合法的な企業活動の枠組みの中で、旧い金融システム(中央銀行システム)にかわる金融手法としてインハウスバンクが実施してきました。

【インハウスバンク(In-HouseBank)】

インハウスバンクというのは、多国籍企業グループ内の決済や資金仲介を行い、金融機能を担うグループ内子会社をインハウスバンク(In-HouseBank)と呼びました。今日の多国籍企業は世界中いたるところに子会社網を張り巡らしています。世界最大の多国籍企業ジェネラル・エレクトリック(GE)は世界中に1117の子会社をもち、そのうち785は本国アメリカ以外の国にあり、現代の巨大化した多国籍企業の典型です。

海外子会社網の拡大に伴い、多国籍企業グループ内での貿易や国境を越えた投資活動が頻繁に行われるようになりました。多国籍企業におけるグループ内取引の活発化がインハウスバンク(In-House Bank;グループ内銀行)を生み出しました。その役割はグループ内での効率的なグローバル・キャッシュマネジメント(世界全体での資金管理)でした。その主な機能は ①ネッティング ②資金のプーリング ③為替・金利リスクなどの一元的管理 ④外部金融市場での資金調達、運用の一元的管理、などです。

そして各子会社の口座残高などのデータを効率的に集めるには、紙、電話、ファクスといった従来の連絡媒体では到底追いつきません。インターネット網を用いた多国籍企業グループ内の情報システムの統一が必要不可欠となります。さらにこうした社内のシステムと銀行のエレクトロニック・バンキング・システムの連動性、SWIFTなどの決済システムへの接続、電子CPなどの資金調達手段へのアクセスなどが付加されることでキャッシュマネジメントの質が向上したのもIT技術の発展の必然でした。

さらにグローバル・キャッシュマネジメントの導入を可能にしたのが各国の為替規制の撤廃と資本移動の自由化でした。現在、世界でもっともクロスボーダーのキャッシュマネジメントが進んでいるのがヨーロッパですが、これはEUによる統一通貨ユーロの導入とその実現に向けた資本移動の自由化措置が背景にあります。イギリスやオランダなどは70年代から為替規制の撤廃、資本移動の自由化を実施していました。

【NPOバンク・POINTシステム】

また、相互扶助社会のさきがけとして、NPOバンクが世界で普及し始め、一時は都市銀行がNPOバンクのバックアップ部門を銀行内に設けたこともありました。スイスでは銀行がPOINTを融資したり、日本でもご承知のように急速におまけ・ポイントが普及し換金システムや相互の提携も進んでいます。

【銀行に替わるインハウスバンク】

グローバル企業が行っているインハウスバンクの機能は、そのまま世界の統治体ネットバンクとしても、地方自治体の金融システムとして移行しても十分な実績と能力を備えています。国際的な合意により法的な措置も即順応可能です。現在の金融システムを再構するために行われていることが、やがて市民による金融システムに転換される準備ができています。30年以上も前から人口の増加・経済の発展などの合理性から自然発生的に実績を重ねてきました。今までの金融システムが一時的に戦前の預金銀行のようにお金を安全に預けるだけで貸付を行わない金融機関になり、しかも政府が運用をすることなく、預金者にすべてをオープンにして預金者が運営する開かれた金庫として、BPPFの目的にそった互換機能を持つ銀行に暫時変化を遂げることになります。

【地球環境の整備と相互扶助による進化】

嘗て、ソ連の経済が崩壊したとき、物々交換経済が長期間続きました。古代の物々交換とは違い、現代の物質社会の緊急時の実績は、世界の研究者によってまとめられこれからの環境変化に安心感と十分な情報がもたらされます。アメリカの共和国宣言についでロシアの経済改革に果たす役割にも注目してゆきたいと思います。                                       

現在の金融システムが原点に回帰し、同時に人類の生活から階級制度の弊害を除けば、元来人類の生活はシンプルで、神々の祭事と衣・食・住に関する合理的な環境になります。しかし現在の生活からそこに還るまで、暦世の悪習慣を正すため一時的に困難を克服してゆく過程を歩みます。多くの高次元の導師の指導を受け、全人類の6%が自覚・覚醒した時、その波紋は急速に拡大して瞬く間に地上は楽園と化します。10年で達成するか、15年かかるか、それは大宇宙に匹敵する魂の尊い「あなた一人だけでいい(釈迦:天上天下唯我独尊)」「One Personal」の天意と真理の時代に復興する機会でもあります。多くの新時代のプロフェッショナルの努力によって、人類は今までになく多くの情報を得ています。まだほんの入り口かもしれませんが、私たちの「存在」についての答えはもう身近にあり、まったくの暗闇に確かな明かりが燈されています。

薄暗がりの中で足元を確かにして、後から来る人たちのために道を築くため、足元の瓦礫を利用して効果的に道を造り前に進まなくてはなりません。「労苦する」ことしか価値がないように洗脳されてきたため、政治・経済・医療・福祉・教育・科学などあらゆる社会機能が奴隷化のために仕組まれていたとは信じがたいことです。もし自らの囲いから出ようという意思を持ってもこの瓦礫に立ち塞がれ出口がないような錯覚を起こし、一時は挫折感を味わうかもしれません。

神戸や東北の大震災の時もそして熊本の時も、みんなが復興に立ち上がりました。人は人を信頼すること、助け合うことは人間本来の心です。真心とはそういうもので人はもともと意識の高い存在です。事が起きると一早く整理整頓に取り掛かる実行力があり、人を思いやる惻隠の心を具えています。

この大変革は、「地球環境の保全・整備」と「人類の相互扶助と進化」のため未来永劫地球市民が管理運営する相互扶助社会の創造です。

特に地球環境の保全・整備は慣れ親しんでいる自然環境との対話から始まり、誰もが参加できる取り組みやすいテーマです。“農業が地球の環境を破壊してきた”という事実や、商業化のために歪められた“温暖化の根拠”など多くの擬旗が明快に暴かれてゆきます。国連でさえ20年も前に環境問題の真の原因について、十分な協議がなされ答えが出されています。

人々の生活中心の社会にするため、恐怖心が織り成す善悪の判断、あるいは正しい方向を分断して複雑化することによって真実を隠し、マインドコントロールしてきたすべての意図、全ての社会構造を市民自らの手で削除してゆきます。

※ マイナス金利が旧銀行システムの崩壊する姿であることを長期的に見届けてください。世界はソフトランディング に掲載したように、この国際金融経済の秩序に繋がる新しいプログラムには、予想不可能な展開が期待されます。天には、決して権力は存在しえないからです。

シェルダン・ナイドルニュース 2016年7月26日~繁栄のための資金配布を東洋では観音様を任命

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http://www.galacticchannelings.com/english/sheldan26-07-16.html


7月26日:シェルダン・ナイドルニュース

Dratzo! 本日は、この美しい青緑色の星の為に準備されている変化についてお話しする為に、やって参りました。闇の秘密組織の最後の残党たちは何年間もの間、絶対に避けられない変化をどうにか回避もしくは遅延させしようと努力してきました。しかし、現在その為に正式に任命された存在たちはようやく繁栄の為の最初の資金配布及び必然である通貨の評価替え(RV) のスケジュールを私たちと共に設定してくれました。この世界的な資金の配布は、事実上のアメリカ政府とその闇の仲間であるヨーロッパ連合(EU)にとって、死を意味する凶兆の鐘の音となるでしょう。イギリスのEU離脱の開始が世に知られるようになるにつれ、BRICSの上昇及びより公平な世界の銀行システムに向けた新しい財政システムの準備が可能になりました。私たちにとって、銀河新年として開始したこの活動が公表される事は非常に重要です!それによって、新しい現実が次々と現れる時がやってくる上、更に大量の新しいエネルギーも利用可能になります。光の仕事を行っている存在及び、新しい資金の流れを監督している存在たちは、狂喜乱舞しており、この時期を新しい領域の始まりとして捉えています。現時点で、素晴らしいイベントがいくつも実現しており、この一連のイベントの数々が最高潮を迎えるのは世界通貨改革(GCR)が完了する時です!

 

この活動自体は、中世の後半にヨーロッパやアジアで開始しました。この壮大な陸続きの大陸中が長い不安定さと荒廃の時期を迎える中、金やその他の多くの貴金属が蓄えられました。当時、特別に選出されたアセンデッドマスターたちのグループから成る特別な委員会が設けられ、そこで長年妖術に精通している裕福な家系がいくつか選ばれました。大天使ミカエルが主催する特別な天上の評議会はこのマスターたちの長としてラント卿を任命しました。天上の評議会は、ラント卿に多くの富を集め、秘密の貯蔵庫に保管するよう依頼します。こういった貯蔵庫の在り処は闇の存在たちから守り、神聖なタイミングが訪れるまで秘密にする事が決まっていました。ラント卿は、一番大切にしていた弟子のクアン・イン(観音様)を東洋における管理人に任命し、その後は西洋におけるその役目に相応しい存在の探索が開始されます。クアン・インの大いなる探索は、16世紀の初めにアセンデッドマスターサンジェルマンに出会う事で終了します。それから、天の希望は神聖に叶えられていく事になるのです。



その後の数百年で、壮大な貯蔵庫が数々と建造されます。サンジェルマンは西洋の専制君主たちを銀行経営の新しい時代へと導きました。そして、この冒険によって西側諸国はその極悪非道なシステムを広げ、帝国時代を築く事が許されます。これらの弊害の裏で、クアン・インとその仲間らが隠していた分の資金を反映するように、信用基金は成長していきました。20世紀が始まる頃には、世界が真に変わる為のステージが整います。そして、それを象徴するかのように、20世紀に行われた第二次世界大戦は突如終了します。この世界大戦を受けて西洋諸国によって設立された新たな法令の数々は、いくつかの合法的戦略の基盤となり1990年代の中盤に実を結ぶ事になります。当時、突然に締結された“アンチャラ条約”によって、この星の闇の存在たちは平和と豊かさの光の時代へと続くような領域へ移行する方向へと方向転換したのです。この流れが今日まで続き、今私たちは闇の手下たちが握っていた経済力の終焉、真の世界通貨の発行を含む壮大な新しい銀行システム樹立の瀬戸際まで来ています。

 

それと同時に、今は長らく待たれていた私たちの大規模着陸の最終準備の期間でもあります。私たちの着陸によってみなさんの教師的存在も到着し、お互いの事を深く学びあう機会ができるでしょう。真実の歴史に対する信頼を深め、それを定着させる為にも、この期間には1年を要する予定です。みなさんをサポートするべく、アセンデドマスターたちからはみなさんに最適な歴史の授業が行われます。特にアトランティス人たちがその最後の日々に行ってきた事については、完全に明かされる必要があります。みなさんとは多くの事を話し合わなければなりません。例えば、アヌンナキがみなさんに嘘の情報を信じ込ませ、いかにみなさんを操作したかなどの事です。こういった事実を見直し、互いにフランクな話し合いをする必要があります。今までみなさんは、限られた情報の中でしか考える事ができなかったので、アヌンナキとその手下たちがどうやってみなさんを騙せたかの分析は必須です。更にいわゆる聖書に書かれている“大洪水“の後に本当はみなさんに何が起きたのかについても、みなさんに知って頂く必要があります。こういった非常に重要な議題と共にこの件も明らかにしなければなりません。この教育課程及び、何故今がその時なのかという壮大なご質問にお答えするのに約1年間かかりそうです!

ナマステ!私たちはみなさんのアセンデッドマスターです!既にみなさんにお伝えした事を、よりクリアにする為にやって参りました。私たちが初めて神の愛に溢れる光の元に形成されたのは、神聖な目的があったからです。人類は闇のアヌンナキたちのなすがままでしたが、天は「そこまで」と宣言するその時が来るまでの期間限定で表面地球の支配をさせるという事でした。私たちの役目は愛と慈悲をもってそれを監視し、闇によって与えられる苦痛を和らげる事です。私たちはこの役目を果たす事で、今まさに効果を発揮している神聖な計画に貢献してきました。

私たちは、宇宙の家族であるみなさんが今は天によって特別に導かれるようになったという事実に歓喜しています。今はこの暗い領域を変え、そしてみなさんがどうやって今の状況になるに至ったかをみなさんにお教えできる許可を得る為の数々のイベントの瀬戸際にいるのです。私たちは、このような天の計らい、そして継続する闇の存在たちの敗北、および進行中の神聖な変化について、天に感謝しています。

私たちはみなさんにも感謝をしています。そして、現在この素晴らしい地球に起きている出来事に日々愛をお送りしています。闇の存在たちはガイアをその限界ぎりぎりまでに追いやりました。私たちは集合的な目標をしっかりと定め、正義感をもってたくさんの存在たちの勇気ある行動と多くの素晴らしい慈悲の心が目指してきた事を完成させます。みなさんお一人お一人は完全に気が付いていらっしゃいますが、これらのイベントの数々は実現に時間は掛かっているものの、しっかりと起きています。みなさんのポジティブなエネルギーが違いを作っているのです。みなさんの仲間たちの協力もあって、資金の配布や、新しい財政システムの形成、新しい政権の発表が可能となっています。私たちは、今までこれらのイベントが実る歴史的な瞬間に向けて、休みなく働いてきた存在たちを裏で支える素晴らしいチームとなりました。私たちは、平和、自由と豊かさの時代の瀬戸際まで来ています。

どうかこの貴重な時間を使って気を引き締め、天がみなさんの苦境を知っていて、それにちゃんと対応しているという事を心の奥深くでご理解ください。天の宣言に沿うには、まだ多くの事がクリアにされる必要があり、無数の条件が合致しないとなりません。たくさんの神聖な存在たちがその力を使って、天と地球を意義ある変化を遂げられる方向に動かしてきました。これは既に済んでおり、その偉大なる貢献によって、長い間の悪夢であったみなさんの限定意識が終了するべく必要な変化が促されています。みなさんは完全意識に向けた道を歩み、約束された愛と自由からみなさんを遠ざけてきた不神聖で独りよがりな存在たちは隔離されています。私たちはこの動きを歓迎します。これでみなさんと私たちは共に銀河的な自由と責任の次なるレベルに移行できます。こういった神聖なエネルギーの働きは私たち人としてのほんの始まりに過ぎません。私たちにはこの先、お話しするのが楽しみな運命があります。ホサナ!ホサナ!ホサナ!

本日私たちは、今起きる準備が整ってる事柄の一部をお伝えしました。私たちはこれらの事が達成するにあたって、抵抗が最小限であった事に感謝しています。無限に暗黒の考えを生み出す闇の存在たちをこれほどまで見事に抑え付けるのは並大抵の事ではありません。どうか勇気をもってポジティブな視覚化を続けてください!そして、どうか知ってください、無限の供給と終わる事の無い天の豊かさは実にあなたのものであると!そういう事です!一つであれ!喜びの中にあれ!

Website: Planetary Activation Organization

訳:JUN

 

参考資料:ラント卿

http://www.greatdreams.com/masters/Lanto.htm

Lanto郷は主に中国に化身し、その国の文化を大きな知恵で満たした終焉の炎を焦束しました。中国の周時代(具体的な化身の1つ)のは、孔子の導師であったと考えられます。幻の初代の皇帝と言われた黄帝(こうてい)もLanto郷と言われています。中国では老子と混同されますが、別人です。

 

全ての発祥地、日本。【CGS 表博耀 日本人を考える 第15回】

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全ての発祥地、日本。【CGS 表博耀 日本人を考える 第15回】

【釈迦・法華経は地底世界の予言】教えないで殺すのか!~天・地・人が一体となって矛盾を克服する

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古来、聖人は、“教えないで殺すのか!”という天への思いを内に秘めていました。どれほどの転生を繰り返し、人々とどれほどの苦しみを分かち合ってきたでしょうか。20世紀、みなさんも目を背けたくなるような世界の惨状を体験することになりました。

釈迦や達磨・文殊・普賢・観音、老子や孔子・孟子、キリスト・・・が人類の尊厳を悟っていながら3000年の歳月を待たなければならなかった念い、“教えないで殺すのか!”と言う“神の子である同胞への慈悲(完全愛)でした。そして、この性命の聖なるファーストレーションこそ、唯一絶対の創造主と我々の偉大な信頼の絆の証として大宇宙史に刻印され続けてきたものです。

人の尊厳の本源はまさに唯一絶対の「真理」でした。最近多くの機会を通じて、その実証が徐々に明かされようとしています。聖山に至る道は幾つも登山口がそれぞれに道程あります。しかし、山頂に至る橋を前に、晴天の霹靂(足下から雉が立つ:シンプル・ライフ~孔子・論語の中に、人類への聖なるメッセージ)に雷鳴が鳴っているのにも拘わらず、時を知らずに多くの人は“いらだたしく”感じています。

ムーとアトランティス、ソドムとゴモラ、ノアの箱舟、モーゼの出エジプト、トルイドのハロウィン・・・など歴史が警鐘を鳴らし続けてきたのは、「ハルマゲドンの戦い:人間(闇に支配された)の諸政府と神との間の最終的な戦争」で、闇の支持者たちは現在でも神に敵対し,神の支配権に服することを拒んできたことでした。(詩編 2:2)ハルマゲドンの戦いでは,闇(王たち)の支配に終わりがもたらされます。(ダニエル 2:44) と言う問題とその秘密についてでした。

時が満ち、人類はついにこの領域に進入しようとしています。シェルダン・ナイドルニュース始め光のメッセージでは、この一大事をみなさんに慎重に伝えようとしています。世界が混迷を迎える中で、隠された歴史遺産の数々が公開され、人類に目に見える形で確かな希望を与えてゆきます。そしてアガルタ人との交流も静かに始まっています。宇宙の生命にとって覚醒、アセンション、あるいは進化と言われる一大ページェントは、どのようなものなのか“思い描く”時が来ました。

2016年 5月10日  シェルダン・ナイドルニュース

みなさんの地球中に隠されているのは、あなたが今真実であると信じる内容とは異なる歴史を裏付けるような遺跡などです。闇の存在等は、その手下たちにこれらの偽の証拠を隠すよう命令を下しています。彼らは、重要な真実を隠蔽するような一連のひどい嘘をみなさんに信じ込ませようと、様々な手を使いその能力を駆使してきました。このように、うまく手ほどきされた手下たちが手際よくその作業を行っているのを私たちは見てきました。しかしながら、アガルタ人たちが何千年も前にうまく隠した“真実”の証拠も同じくらい巧みに隠されており、それはまだその場所にまだ残っています。

真実を隠した遺跡の存在自体は無数の古代文書にほのめかされていたり、より最近の難解な文書にもそれが実際何であったかについて表現されています。闇の存在らはその力を利用して、真実を知る多くの預言者を殺害したり、抑圧して彼らの知っている事実について口封じをしました。これらの隠された事実はまもなく出現し、アセンデッドマスターたちの偉大なる事実表明を手助けする事でしょう。この正統に隠された叡智の目的は、あなたが何者であり、本当は何であるかを説明する事です!

2016年5月17日 シェルダン・ナイドルニュース

私たちの働きに対して、毎日天も独自の天意を足してくれています。このような神聖な思いは、私たちの活動にとっての非常に需要な後ろ盾になっています。天と私たちの共同作業により、私たち全員にとっての新しい領域が創造されています。私の子供たちよ、この領域とは転換の為の領域であり、私たちの意識の成長が促され、これからよりよく生きていく為に最適なあなたへと調整する事が可能になります。このプロセスは、みなさんが新しい教師的存在と出会い、地球へ歓迎する時間へと繋がっていき、それと同時にみなさんは生きた祖先であるアガルタ人たちとも会う事になります!

以下の「従地涌出品第十五」には、“娑婆世界の三千大千世界のすべての国土が激しく揺れ、地が割れ、その中から幾千万億の菩薩たちが一気に湧き出てきた”と現在の宇宙と地球の震動の様子、地底の使者の様子が語られています。 また、“みなさんは生きた祖先であるアガルタ人たちとも会う事”について“二十五歳の人が百歳に人を指して・・・”と説かれています。これからどのような領域に進入してゆくのか、「あなたが何者であり、本当は何であるか!」と言う正しい答えを導くヒントになればと思います。

要約法華経 従地涌出品第十五

そのとき他の世界から来た、八つのガンジス川の砂の数ほどの菩薩たちは、起立し、合掌し、礼拝して釈尊に言った。
「世尊よ、もしわれらに、世尊の入滅ののち、この娑婆世界でこの経を護り、読み、誦し、書写して供養することをお許し願えれば、 われらは広くこの経を説いて廻りましょう」
釈尊は諸々の菩薩たちに告げた。
「いや、その必要はない。わたしには六十のガンジス川の砂の数に等しい菩薩たちがいる。さらに一人一人の菩薩に六十のガンジス川の砂の数に等しい随行者がついている。このものたちが、わたしの入滅ののちにこの経を護り、読み、誦して 広くこの経を説くだろう」
そのとき、娑婆世界の三千大千世界のすべての国土が激しく揺れ、地が割れ、その中から幾千万億の菩薩たちが一気に湧き出てきた。身は金色に輝き、如来の相を有し、光明を放っていた。みな娑婆世界の下の虚空に住んでいて、釈尊の声を聞いて現われてきたのである。菩薩たちは湧き上がって、虚空に浮かび、七法の塔の多宝如来と釈迦牟尼仏に向かって頭面に足を礼し、また諸々の宝樹に座している諸仏にもそれぞれ礼拝し、二仏を仰ぎ見てまたそれぞれの菩薩が仏を賛嘆した。こうして五十小劫が経ったが、その間、釈迦牟尼仏は黙然として座していた。会衆には半日に思われた。
この菩薩たちのなかに、四人の導師がいた。それぞれ上行 、無辺行 、浄行 、安立行といった。一同は釈尊に挨拶の言葉を述べた。
「世尊よ、つつがなきや。救うべきものたちは、教えを信受しておりますでしょうか。世尊にご面倒をかけておりませんでしょうか」
「おお、その通りだ。面倒なことは少しもない。この衆生は過去世において諸仏に仕え善根を植えているので、わたしの所説 を聴いて、容易に如来の智慧を得るに至っている」

そのとき弥勒菩薩は不思議に思い、 また八つのガンジス川の砂の数に等しい菩薩たちもみな同じ思いをもっているのを察して、 弥勒菩薩は詩句をもってその思いを釈尊に問うた。
「世尊よ、この大量の菩薩たちはどこから来たのでしょうか、またどうして来たのでしょうか。菩薩の数は無量であり、 菩薩たちが率いる随行者たちの数もまた無量である。ある菩薩たちは六十のガンジス川の砂の数に等しい随行者を連れており、それより多くの菩薩たちが五十ガンジス川の砂の数に等しい随行者を率い、さらに多くの菩薩たちがあるいは四十の、あるいは三十の、あるいは二十の、 また十の、また五の、四の、三の、二の、一のガンジス川の砂の数に等しい随行者を連れている。その数は幾千万億かかっても 数えることができない。さらに多くの菩薩たちが、百万、一万、百、五十、十、三、二、一の随行者を従えており、 またただ独りを楽しむものもあり、それらの菩薩たちはさらに多数います。これらガンジス川の砂の数に等しい劫の間数えても、その数を知ることはできないでしょう。誰が、これらの菩薩や随行者たちに法を説き、彼らは、どのような仏法を称揚し、 どのような経を信じ、どんな仏道を修行したのでしょうか。世尊よ、われらは未だかってこのようなことを見たことがなく、わたしはこの中の誰一人として知りません。どうかわれらの疑問に答えてください」

釈尊は弥勒菩薩に答えた。
「よい、実にいい質問をしてくれた。わたしは今お前たちに告げよう。この無量阿僧祇の菩薩たちは、わたしが娑婆世界で、○○の近く尼連禅河のほとりの菩提樹下で○○を得てから、わたしが教え導いたものたちである。この菩薩たちは、娑婆世界の下の虚空に住し、衆のなかにいることを願わず、静かな処を好み、精進を重ねて休むことを知らず、 深い智慧を求めたのである。今、真実を告げよう。わたしは久しい昔からこれらのものを教え導いて来たのである」
弥勒菩薩は釈尊に問うた。
「世尊よ、世尊は太子であったときに釈迦族の宮殿を出て、伽耶城の近くに座し、阿耨多羅三藐三菩提を得られました。それから 四十年余の年月しか経っておりません。その間にこのような無量の菩薩たちを無上道に導かれたのですか。この菩薩たちの数は、千万億劫をかけて数えたとしても数え切れません。またこの菩薩たちは久しい昔から、幾千万億劫のあいだ、諸々の善根を植え、菩薩道を修して来たものたちであるとします。このような有り得べからざることは、世間の人は信じられないでしょう。たとえば、 二十五歳の人が百歳に人を指して、これはわたしの息子であると言い、百歳の人が年少の人を指して、これはわたしの父である、と言うようなものです。わたしたちは信じたとしても、世尊の入滅ののちの人びとは信じないでしょう。 そしてこの経に疑いをもつでしょう。どうかこの疑惑をとり除いてください」

弥勒菩薩はこれらのことを、重ねて詩句をもって唱えた。

転載:要約法華経 従地涌出品第十五 

http://www.james.3zoku.com/pundarika/pundarika15.html

.《地底王国(アガルタ)の歴史》 
 ・ 650万年前に金星からサナート・クメラが飛来、シャンバラの王として地球を守護する。
 ・ 6万年前、理想の地底王国シャンバラを築く。約2万5千年前のレムリアの壊滅から現在まで地上世界を監視・活動中。
 ・ アトランチス文明の末期、アトランチス帝国によってレムリアが破壊される約1万5千年前、“スピリチュアル・ハイラーキー”(霊的聖師団)からの忠告を受け、レムリアから2万5千人が地下(現在の地底王国の代表的都市、カリフォルニアのシャスタ山の地底都市“テロス”)へ移住。
 ・ 地上に残ったアトランチス文明は核戦争や天変地変によって壊滅、一部各地へ避難した人のみが生き残り、一部の高度文明を伝承した。
 ・ その他の生き延びた住民は、毎度のことながら原始的生活からの再出発。
 ・ 以後、空洞地球の内部表面で生活する。現在120以上の高度に進化した光の地底都市で生活している。合計約2,500万人。
 ・ 地球の奥低へと入って行くことで、進歩することが運命付けられていた。
 ・ 以後、今日までレムリアの文化を発展させ、高度に進化を続けている。
【 地底で生活することを選択した理由 】
 ・ あらゆる戦争や天変地変のない安全な避難所であることを知り、そこで文明を伝承していくことを望んだ。
 ・ 戦争やバイオレンスの無益さを学んできた為。
 ・ 過去の宇宙規模の大戦争の結末を見れば、地価での生活を選択したことは大正解であったことが理解できるでしょう。
 ・ アトランティスとレムリア大陸の沈没、サハラ・ゴビ・その他の広大な砂漠はいずれも宇宙規模の核戦争の結末でした。
 ・ 秘密は自己の保護の為。
 ・ 神霊によってベールで覆われている。

詳細は、http://www.h4.dion.ne.jp/~mf124/sub-5-tajgenn-4-shannbara.html#61302 をご覧ください。


性理題釋~大道の沿革

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道すなわち真理を統べる神聖な伝承が天命によって奉じられてきました。この天命は5000年間、青・赤・白の三期の時期の変革を経てきました。青の時代、伏義氏から始まって周公までの期間を「道は帝王にある時代」といい、赤の時代、老子から劉祖までの間を「道は聖人ある時代」と称し、いずれも天が遣わした特定の聖人のみに玄妙不可思議な真理を授けることが許されました。そしてこの度、時代が変わって白の時代となり「道は火宅に伝わる」といい、苦悩に満ちた世界、つまり今までの天命は出家した僧職であったものが、白の時代から普通の家に住む人(一般人の中に転生してきている)に下命されました。

天命がこのように変わったのは日本の鎌倉時代のころ、以来、この「火宅に天命がある」道が熟成して宇宙と地球表面とそして地底の三層を救済する天命を担った「師」がこの世紀の一大事を大々的に布告したのは1930年でした。おりしも民主主義の理想を掲げた国家アメリカ合衆国で、この国を乗っ取るために闇が大恐慌を起こしたころです。シェルダン・ナイドルニュースで最近伝えられている宇宙の神々が人類のために同行する「師」とは、このことであり、聖書のマタイ3:1-12: 「私はお前たちに、回心に向け、水によって洗礼を施している。しかし私の後から来たるべき者は私よりも強い。私はその者の皮ぞうりを脱がす値打ちすらもない。彼こそ、お前たちに聖霊と火とによって洗礼を施すであろう。・・・」という「私の後から来るべき者」「聖霊と火によって洗礼を施す者」がこの「師」にあたります。

老水還潮《これより天命が再び中国に戻る》と言いますが、インドから東に道《真理》を伝承した達磨大師より18代目、師による厳粛な運びが、今年これからの新たな道を見極める大切な指針になります。

1940年12月1日(昭和15年)に降ろされた 《性理題釋》 をご案内いたします。

ー濟公活佛《師》の自序ー

道は理であります。理を知らなくて、どうして道を修行できましょう。故に道を修行しょうする者は、まづ先にこの理を理解せねばなりません。理を理解するには、疑問があればその都度質問して、明白に了解できるまで究めることが必要です。惜しむべきは、世人はとかく人に物事の理を尋ねるのを恥じることです。それ故、疑問が重なって遂に迷路に陥入り、迷ってしまったことすら自覚しないばかりか、又、それ故にますます道から遠ざかってしまいます。大道がこの世に降り、普く世人を済度する道が拓かれて以来、道を得た原仏子《以前に天から降って人間になった者を佛子、又原子とも呼ぶ》は少なく、その道理をよく究めて道を修行する者は暁の星のように少ない。どういうわけでしょうか? それはすべて疑問があっても質問せず、又質問しても理解し得ない故であります。

このような状況に鑑み、平常よくうける疑問を例題として解答を与えました。その解答に当って、なるべく簡潔明瞭に解釈する様に努め平易な言葉を使用しました。この書に記載した数十の例題は完璧とは言えなくとも、あらかた理路は整っていて、修道を志す士の参考とするに足るものです。師の本望とする所は、修道を志す者がこの書を読んで真理を徹底的に理解し得るのみならず、更に進んで修行の指南となし得ることです。又、道を求める者にはこの書の精読が、疑問を解き道理を理解し進んで道を求めて入門の助力となり得ることです。世の人がこの書の説く如く実行すると、たとえ最高の天位に到達し得なくても過去の世代に積重なった罪障を消滅し得て相携えて、この世の苦海を離脱して悟への路に登ることができます。これが師の深く望むところである。

三、大道の沿革

 老子、清静経に『大道は無形にして天地を成育す』とありますが、これは天地の源が道であり、未だ天地が創造される以前に道があって、道が天地を生み、そして育てたことを意味します。史記に『天は子(ね)の会に開き、そして戌(いぬ)の会に没す。地は丑(うし)の会に闢(ひら)き、而して酉(とり)の会に没す。人は寅(とら)の会に生じ、而して申(さる)の会に没す』とあります。(下図をご参照ください)

人間が始めて地球上に生まれて来たのは寅の会であって、当時人の本性は皆善(ぜん)でした。その当時、天によって人が生じたので、人を支配する一切の働きは天にありましたから、人が道をどうこう論ずる必要もありませんでした。道が中古に伝わり、人が人を生むようになってから、人間社会を支配する一切の働きは人に移されました。始めに伏羲(ふくぎ)氏が出世せられ、天地自然の仰観俯察(ぎょうかんふさつ)して、先天八卦を画き、天地の奥妙を顕しました。これが道が世に降りた始めになります。継いで、蒼頡(そうけつ)氏が文字を創り、有巣(ゆうそう)氏が宮室を建て軒轅(けんえん)氏が衣装を整えるなど、文化は大備しました。これで道が地上に華を咲かせたことになります。

尚続いて、堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)、湯(とう)、文(ぶん)、武(ぶ)、周公(しゅうこう)と道統を受継いで、心法を一脈相伝しましたが、これを青陽期(せいようき)と申し、これで道が整ったことになります。時代は変わって周(しゅう)の末世となって五覇(ごは)が起こり,互いに争って、天子の政令が天下に行なわれなくなり、道は紅陽期(こうようき)に転じ、分かれて三教(道教・儒教・仏教)となりました。これを道の分かれと申します。

老子様が降世して道の宗旨を発揚し、東方の魯(ろ)に孔子を渡ましたが、孔子は『吾今、老子にまみえしが、それなお龍を見るが如しかな』と嘆詞を残されました。老子様はその後、西域の胡王(こおう)を化そうとして、紫雲瑞気溢れる函谷関(こくかん)を出ようとすると、関尹子(かんのいんし)に留められ書をつくらせられましたので、たので、道徳経五千言を著わしました。これが道教の始であります。

孔子様は道を受けて周遊列国氏、西方を教化しましたが、その後詩を刪(けず)り礼を訂(ただ)すなど、継往開来(けいおうかいらい)して永久不変の真理を闡(ひら)かれ、万世不易の定論を立てられました。大道の精微にして奥妙かつ玄妙な理は、大学と中庸などに悉く(ことごとく)叙述されましたが、これが儒教の始祖であります。孔子様は道を曽子(そうし)に伝え、曽子は子思(しし)に伝え、子思は孟子(もうし)に伝えましたが、孟子以後、道脈は西域に還り、中国には心法が失伝してしまいました。

それから、秦(しん)、漢(かん)、晉(しん)、隋(ずい)、唐(とう) を経て、学者の議論は囂然(ごうぜん)として蜂起しましたが、悟りの境地には至りませんでした。そして炎宋(えんそう)の時に至り、文運は大いに開き、偉い学者が輩出して、立派な議論も百出し、特に濂渓(れんけいという場所)の周敦頤(しゅうとんい)、洛陽(らくよう)の程灝(ていこう) と弟の程頤(ていい)、関中(かんちゅう)の張載(ちょうさい)、閩中(びんちゅう)の朱熹(しゅき)等の賢人が相継いで起こり、真儒を盛んに提唱しましたが、然し乍、道統は孟子以後、西域に転じていたため運に相応じることができませんでした。宋の時代に儒者は輩出しましたが、ただ道旨を闡揚したに過ぎませんでした。

釋教として西域に接受された道は、お釈迦様の大弟子迦葉(かよう)に渡しました。これが佛教の始祖となりました。こうして道は三教に分かれ、各々一地方に伝えて、また各々経典に留めました。

釈教(佛教)ではお釈迦様より単伝して、二十八代目の達磨尊者(だるまそんじゃ)に至りましたが、中国の梁(りょう)の武帝(ぶてい)の時に達磨様が西域より中国に渡られ、真機は中国に還りました。これを老水還潮(ろうすいかんちょう:本の水が本に還る)と申します。

達磨様が中国に渡られてから、真道は中国において一脈相伝しました。達磨様が初祖となり、二祖神光(しんこう)、三祖僧燦(そうさん)、四祖道信(どうしん)、五祖弘忍(こうにん)、六祖慧能(えのう)となりましたが、六祖に至って衣鉢(えはつ)は失伝しました。その当時、南頓北漸(なんとんほくせん)の称がありましたが、その実、道は俗家(僧侶でない人)に帰しました。六祖は白・馬祖二人に渡して祖としましたが、道は火宅に転じて八代の羅(ら)祖、九代の黄(こう)祖、十代の呉(ご)祖、十一代の何(か)祖、十二代の袁(えん)祖、十三代の徐(じょ)・楊(よう)祖、十四代の姚(よう)祖、十五代の王(おう)祖、十六代の劉清虚(りゅう・せい・きょ)祖に至りました。この十六祖で紅陽期は円満になり、道は白陽期に転じて、弥勒様の応運となって、路(ろ)祖様が初祖となられました。

そして大開普渡して大いに道の玄妙な天機を万人に伝え、三層(天・人・地)を普渡し、万教を和して帰一せしめる末後の一着の大聖業を、弓長(ゆみなが)・子系(しけい)が受け継いで応ずることになります。三代以上は道は君相にあって、一人で天下を化せられましたが、これを青陽期と申します。三代以後には、道は師儒(しじゅ)にあって、三教相継いで起こり、各々一地方を治めましたが、これが紅陽期であります。現在は三期末会で世風は頽廃(たいはい)し、災難が流行して地球の至る所に完全な処がなくなりました。そして道は庶民にあって人は皆成道し、一人一人が成仏(完全愛に目覚める)できるようになりましたが、これが白陽期です。以上が大道の沿革になります。

【Ray:進化の原点は?】人が、神のかたちとして、神に似せて造られたこと

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天が創造主ヤファエーに人間を創造させた時「真理に基く『義と聖』を持って神にかたどり造りだされ、アダムは『義なる性質』を与えられて・・・・云々とあります。これこそ今までの時代を表現しています。義は階級を生み偏って物質社会を生み戦争を醸し出しました。これから神が人を救われる時(今)その人のうちに『元の神のかたち』を復元され始め、新しい人を造ると予言しています。この心を天は『過去の義』に対して、これからは『真理に基く仁と聖を以て神になる』と唯一絶対の根源創造主が祝福しています。聖書的に言う「博愛」、スピリチャル的には「完全愛」です。『人類が神に似せて造られている』ことは、人類進化の基本構造の基本的なファクターです。宇宙から地球に生まれ変わってくる生命も地底世界の生命も全てこの進化に参加するために時を待っています。

転載:日本語版 www.GotQuestions.org  

https://www.gotquestions.org/Japanese/

質問: 人が、神のかたちとして、神に似せて造られたというのは、どういう意味ですか?(創世記1章26-27節)

答え: 創造の最後の日に、神は仰せられました。「さあ、人を造ろう。我々のかたちとして、我々に似せて、、」(創世記1章26節)こう押して、神はご自分の仕事を’個人的なタッチ’をして終わらせました。土地のちりで人をかたち造り、その鼻にご自分のいのちの息を吹き込んで、人を生きものとされました。(創世記2章7節)それで、人間は神のすべてのほかの創造物の中で、特別なのです。物質(体)と非物質(魂/霊)と両方の部分を持っています。

神の’かたち’と’似たところがあるというのは、簡単に言えば、私たちは神に似たように造られたということです。アダムは、肉体を持っているという意味では、神に似ていません。聖書は「神は霊である」(ヨハネ4章24節)といっているので、神は肉体なしに存在するということになります。しかしながら、アダムの体は、完全な健康体として造られ、死なないようにできていたという限りでは、神のいのちを反映していました。

神のかたちとは、人の非物質的な部分を指しています。それは人間を動物世界から遠く引き離し、神の意図されたとおり、”支配”するもの(創世記1章28節)にふさわしいのです。そして、その非物質の部分で、創造主なる神と親しく交わることができるようになるのです。それは、精神的、道徳的、社会的に、似ているところなのです。

精神的に、人は理性のある、意志を持った者です。つまり、人は論理的に考え、選択することができるのです。これは、神の知性と自由を反映しています。 誰かが、機械を発明したり、本を書いたり、景色を描いたり、交響楽を楽しんだり、総額を計算したり、ペットに名前をつけたりするときは、いつも人間が神のかたちに似せて造られた事実を宣言しているのです。

道徳的には、人は義と完全に清く造られました。それは、神の完全な聖さを反映しています。神はご自分の造られたものすべて、(人間も含めて)をごらんになって、「それは非常によかった」と言われました。(創世記1:31)私たちの良心、または、”道徳の羅針盤”は原型の名残りなのです。誰でも法律を作ったり、悪にひるんだり、良い行いを賞賛したり、または罪責感を感じたりするとき、その人は人が神のかたちに似せて造られたという事実を確立しているのです。

社会的に、人は他の人と交わるように造られています。このことは、神の三位一体のご性質と神の愛を反映しています。エデンの園では、人の主な関係は神との関係でした。(創世記3章8節は神との交わりを暗示しています)そして、「人がひとりでいるのはよくない」ので(創世記2章18節)、最初の女を作られました。人が結婚したり、友達を作ったり、子供を抱きしめたり、教会に集ったりする時、私達は神に似せて造られた事実を示しているのです。

神のかたちに似せて造られたということのひとつには、アダムは自由に選択できる能力を持って造られたということです。アダムは義なる性質を与えられていましたが、創造主に対して反逆するという悪い選択をしてしまいました。 そうすることで、自分のうちにある神のかたちに傷をつけたのです。それから、その傷物のかたちをその子孫に(私たちをも含めて、ローマ5:12)受け継がせたというわけです。今日でも私たちは神のかたちに似ています。(ヤコブ3章9節)が、罪の傷跡をも持っています。 精神的に、道徳的に、また社会的に、その効果/影響が見えます。

良いニュースはと言えば、神が人を救われるとき、その人のうちに元の神のかたちを復元され始めるのです。「真理に基く義と聖を持って神にかたどり造りだされた、新しい人」を造ることによって。(エペソ4章24節;コロサイ3章10節も参考)

※Ray:「人のうちに元の神のかたちを復元され始める」そのとき「真理に基く義と聖を持って神にかたどり造りだされた、新しい人」は、義から仁に変わります。仁とは「博愛(キリスト教)・慈悲(仏教)・感応(道教)・清真(イスラム教)・忠恕(儒教)」に秘められてきた「道すなわち真理」の軌道です。

 

人類の夢、日本が世界を救うはしごの伝承~ヤコブの梯子 (創世記28:12)そのはしごは虹のはしご、希望のはしご、天地をつらぬくはしご

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【天の運び】:日本国全体(台湾をふくむ)が世界の「神聖な祭司の殿堂」、日本の浄化(禊:道徳の復興)が世界をひらく・・・

                                             ー北海道襟裳岬の虹ー  

「はしご(梯子)」または「天梯(てんてい)」と言いますが、“異次元へ架け橋”を経典や聖書で伝えてきました。

このゲートがどこにあるのか、いつ啓くのか、それが歴史以来、人類の謎であり、その機密を解き明かすことが人類史が継承している最も重要な課題でした。十戒の石板も契約の成就に重要な役割を持っています。

日本でも伊勢神宮の宇治橋〔三重県伊勢市にある皇大神宮(内宮)の参道口にある、別名御裳濯橋(みもすそばし)は、そうして文字通り「宇宙を治めるかけ橋」、五十鈴川の神聖な 川、清浄な水で心身ともに清めてから渡る橋、と言う意味で御裳濯橋の別名があります。

ほかにも出雲大社の古代の社や天の橋立など日本各地に異次元へ架け橋は伝承されてきました。

※御裳濯橋~裳(も)は十二単を構成する着物の一つ、 腰のベルトとなる二本の小腰、袴の腰板のような大腰、後ろに引きずる紐のような二本の引腰とプリーツスカートのような裳の本体で構成される。濯(すそ):身に受けた恥や不名誉・悪い評判を除き去る・・神社の奉納舞の原型は禊の舞です。また北海道には【襟裳(えりも)】と言う岬があります。虹の橋をわたるため襟をただし裳を清めるところです。

 

 

         出雲大社の古代社復元図                        天の橋立

 

                 伊勢神宮の宇治橋

日本の神社は多かれ少なかれ禊という基本は同じですが,この架け橋についての解釈が時代相応に天意が具現され、時代がたっても明らかになるよう伝承されてきました。

本Blog 孔子・論語に、その時と土地を伝える聖なるメッセージ でも、儒教・論語・孔子で雄牝2匹の雉がこの架け橋で時を告げるくだりが重点でした。

又、諏訪の守矢資料館の館内にも、説明できない橋が天井に架かっていたり、北海道江差のソーラン・ソーランのニシン御殿の中にも橋が具えてあります。

           守矢資料館の梯子(左上)

          ニシン御殿の中の梯子  

今その待ち待った重要な時がまじかですが、神との契約は多くの歴史的議論をするものではないと言えることは確かです。

天とあなたの間に神以外が介在することは出来ないはずです。

しかし、その約束の地が日本であることは確かです。

以下ご参照ください。

 

転載:朝の光(聖書の言葉)

ヤコブの梯子

「そのうちに,彼は夢を見た、見よ、一つのはしご(梯子)が地に向けて立てられている。その頂は天に届き,見よ,神の使いたちが,そのはしごを上り下りしている。」

(創世記28:12)
ヤコブは夢を見ました。はしごが天から,地に向けて立てられました。そして,神の使いがはしごを上り下りしているのです。

バベルの塔(創世記11:1-9)は、神への背反行為に対するものでした。それに対し,ヤコブのはしごは,神自らが天と地をつなぐものでした。のちに,イエス・キリストが,このはしごは御自身のことであると言います。

 ※ 参照:吾は道なり真理なり性命(いのち)なり http://blog.goo.ne.jp/adachi4176/e/f6a0d7958a455d23821d0a8a2237cbb9

イエス・キリストは,天と地の仲保者(人:最も価値あるもの)だからです。イエス・キリストは,次のように言いました。
「そして言われた。『まことに,まことに,あなたがたに告げます。天が開けて,神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを,あなたがたはいまに見ます。』」(ヨハネ1:51)

(創世記28:10-19)
ヤコブはベエル・シェバを立って,カランへと旅立った。ある所に着いたとき,ちょうど日が沈んだので,そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り,それを枕にして,その場所で横になった。そのうちに,彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き,見よ,神の使いたちが,そのはしごを上り下りしている。そして,見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神,イサクの神,主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を,あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり,あなたは,西,東,北,南へと広がり,地上のすべての民族は,あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり,あなたがどこへ行っても,あなたを守り,あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは,あなたに約束したことを成し遂げるまで,決してあなたを捨てない。」



ヤコブは眠りからさめて,「まことに主がこの所におられるのに,私はそれを知らなかった。」と言った。彼は恐れおののいて,また言った。「この場所は,なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」

翌朝早く,ヤコブは自分が枕にした石を取り,それを石の柱として立て,その上に油をそそいだ。そして,その場所の名をベテルと呼んだ。しかし,その町の名は,以前はルズであった。

(イエスは)言われた。「まことに,まことに,あなたがたに告げます。天が開けて,神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを,あなたがたはいまに見ます。」(ヨハネ1:51)

世界が見守っている一大神事、真実がわからないまま伝承されてきたこの「梯子」の秘密は、今この時期に地上に降り立ってきたみなさんが真理を得て身をもって人々に説き明かすことになります。

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シェルダン・ナイドルニュース 2016年7月5日 本文 http://blog.goo.ne.jp/adachi4176/e/a95e1a808a19c61e5d1f71c12de1d670

おかしいと思うことには、必ず重要なメッセージがあります。みなさんは、SNNのメッセージが毎回予定通りにならないこと、特に資金のことについては直接携わっているわけではないし、曖昧模糊として常に疑念を持っていませんか? 他のメッセージツールでも同じような傾向があります。勿論、どうしてそうなったのか影響の無い範囲で経過は知らされますが、しかし、何年もそういう傾向があると「またか」が、いつのまにかあなた自身の思考を止めることもあるのではないでしょうか。この間、あなたが違和感を持つことが多々あったのは、あなたが常に自身に忠実であり、そう言う来歴であることを意味します。それは、あなたが光でありたいと努力し続けている潜在的な意識の証明です。今回のSNNメッセージの最後に「みなさんは、ようやく闇を捨てて、新しい光の領域の使者である光の存在を迎え入れる事になります。」 と、つまりあなたの闇に光が満ち溢れ光の領域の存在を迎え入れられる時になったという、今まであまり触れていないあなた自身の闇の現実について、本当に長い間天地の恩恵が実り、みなさんが本格的な荘厳な時の“入り口に立った”ことを伝えています。アトランス以来、みなさんが光と共にこれまでに至った成果がどれほどの崇高なものであるか、今回はこの極めて重要な問題についてマクロ的な見地で解読させていただきます。

シリウスのティアランからの励ましのメッセージ:http://blog.goo.ne.jp/adachi4176/e/675550435e67bfc5685ca0e15dc8ba36

では、この一連の物語は「宇宙連合の最終目標は進化をして神(aka:アカシックレコード・クラウドコンピューター・全ての叡智が入った愛のエネルギー)と統合する事である。いわゆる神と呼ばれるこの知識の集まりは、全てと繋がり個々とエネルギーの交換をしながら、拡大しながら存続している。宇宙連合はそのあまりの素晴らしさを知っているために神に憧れ、神との統合を目指している。」 と説明しています。

因みに、地球と人類の存在する宇宙が50億年前に創生されたとすると、みなさんが学んだ宗教の時代は3000年余り、13000年以前のアトランティスの攻防はまさに一瞬です。その相対宇宙は、物の始まりから全ては完全な原因と結果の法則である天意によって成り立っています。地球や人類の存在が起因で、この壮大な宇宙空間が一瞬にして創出されたのは、天意による壮大なプログラムの一環でした。3次~5次元世界の体験という進化のエネルギーを得ることができる物質密度の高い次元で、ちょうど鉱炉で鉄を溶かし鋼をつくるように鍛えられ、ついに仕上げに入るその時を迎えました。

その目的は、宇宙連合では「神との統合」と言っていますが、3次元のみなさんも、宗教の時代は「天国に還る」と言う表現で、神との優美な統合を目指し苦難の体験を重ねてきました。その長きに渡った転生のため、ふるさとに還る道を忘れないように、今この時のために歴史に隠されてきた崇高なイベントが浮上してきています。

前回、闇の時代が崩壊し消滅すると共に、クリスタルライトチェンバー、フルコンシャスネス、ファーストコンタクトのコンテンツが、NESARAとおなじように進化し始めます。そして、世界規模の静かな革命の中心が「人類」であることを「新しい規範」にそって開示しされてゆくことになると締めくりました。

その仕組みの概要をご説明し、これまでのシステムがどのように・改新・進化してゆくかの本源を理解していただきたいと思います。幸い、この度SNNではそのことが分りやすく語られています。

その前に、個々の内面と外面の壮大な規模の大宇宙、この2つの世界の原則的な流れを追って見ます。

 

みなさんはこの図の中でどこに属していると思いますか? 闇の世界、つまり宗教意識の世界では、地獄に堕ちないよう善行を施すことを教えられてきました。しかし今になってこの世の中こそ奴隷社会で逃げ場の無い極めて陰湿な地獄であることに気がつきました。常に不善を行い悪習慣を重ねてきました。ほとんどの人はまだ気がついていません。この図では「地獄界(闇の世界)・進化と共に消滅する低次元世界・心・不善性・習性」が今まで私達が属していた世界です。最も忌むべき地獄そのものでした。

それではみなさんは今どこにいると思いますか? もうはっきり言うことにしましょう。みなさんはこの図で「3次元~5次元世界・魂・半善/半悪・気質性」世界に入ったところです。闇の住民が闇の法によって終身刑を言い渡され服役中でした。しかしこの度、天地の恩赦で出所することになり、ちょうど属隷社会の出口から出たところです。ちょっと違和感のある表現だと思いますが、大きな歴史の節目には人類存亡の危機もありました。今回それらをしのぐ広大無辺な世界を目前にした時、一種の緊張感を自らに課して畏敬の念を抱く心を持ちたいと思います。

これから「3次元~5次元世界・魂・半善/半悪・気質性」世界でどのようなことが始まるのか、その先の核の部分には「霊(性)・純善性・天性」が観えてきました。みなさんが目標としてきた「フルコンシャスネス」を体験することによっても到達できる世界です。

体験を得るためさらに密度が高くなり、陰陽の世界・時空の世界の循環が上図のように定まってきました。この大宇宙が消滅を繰り返し、数限りない変遷を重ねながら、今この喜びの時を迎えました。今回はアトランティスの崩壊を戒めとして、129.600年の一サイクルで中間地点にあり、成果を生む一つの段階を勝ち得ました。歴史的に太陽の時期(夏)、収穫の時期(秋)を経て、聖なる十字架、聖なる白の時に入りました。人類史にはこの神聖な物語が色濃く遺されています。この物語の主人公であるみなさん方が太陽の時期(魚座)から多くの経験を経て聖なる白の時(水瓶座)に入りました。

上図の三界の輪廻は、現在今までの闇の時代と幾分ニュワンスが異なっていますが、必然的なカルマの清算によって今後1万年に渡って継続的に宇宙・地底すべての魂が救われてゆきます。

みなさんはこれまで「フルコンシャスネス」を目指してこの三界の一体化を目指してきました。収穫の時期から始まって、この時期人類はそれぞれの役目によってその道が分かれることになります。無意識あるいは夢の中で、レムリアのクリスタルライトチェンバーで浄化を赦されたものが3次元世界でどのような生き方を選択するかは自由意志に任されます。生死の境がなくなったことを実践できるものには自由意志の領域はさらに拡大されます。フルコンシャスネスを目指す新しい領域は、学びの場として更なる体験を得、5次元世界で、さらに感性を高め道を究めるための殿堂が設けられています。(参照「シリウスの超叡智」パトリシア・コーり著) この超次元の学びの関門を超えることができたマスターは、更に高次元へと進化します。

今、3~4次元でこの機会が実現することが可能になったのは、天地創造主の限りない恩恵です。それによって地底レムリヤ、そして宇宙の同胞がこの道を求めて原人である人類と同行し、人類の目覚めを急速に促すことになります。この地上に最後まで残り、すべてを救済する志を持った勇者達によって、宇宙人類の生命が5次元を超える永遠の旅立ちの機会を得ることになります。宇宙の平和も同時に進行し、霊のふるさとに回帰するため、黄金の羅線循環が構成されます。

実際の世界に居て、肉体を持ったまま次元上昇することができる(明晰夢)のは、3~5次元を自由に移動するためだけではなく、最も重要なことはこの肉体をかりて天地創造主からのこの至福の恩恵を受けることができるからです。肉体を得ていることは魂のシェルターのみならず、その「時」や「地」とともにこの世で最も尊い宝の一つなのです。人類の意識が高まれば高まるほどこの道の降臨という恩恵の価値を理解できるようになり、進化が一段と早まりこの地球の神殿文明を実現できることになります。

【図の簡易説明】

 A: 過去の伝統的な道における個別のイニシエーション(バプテスマ)として前触れのあったことは、遅かれ早かれ世界規模ではじまり、人類を高次元に先導する宇宙的なイベントになります(ウーテ)。 この道は、1920年代に一般に公開され、縁ある人に人から人へと伝えられています。5次元を経過せずに即7次元に至ります。古来「解脱」や「超生了死の法」と言われ聖人から聖人に機密の内に伝承されてきたものです。

B: 功徳を積んで5次元に上昇したものが、修道の機会を許されて新世界の殿堂で道を求めることができる段階。これは中国古代の「状元(最高学問の試験)」のように極めて厳正な試験があります。

C: 更正できなかった者が、家族などの功績で超法規的に抜粋される恩典が施される時になりました。

しかし、以前にも言及しましたように1000年前、地球上では数億の人口だったものが、今は70億人を超えています。一人の寿命が70年として一年で約1億人の人がなくなり1億人の人が生まれてきています。その人たちがどこから来てどこに行くのでしょうか。みなさんもどこから来てどこに還るのでしょうか。いったい何を基準にそのような往来が決まるのでしょうか。そこに人類の重要な課題があります。今の時代は嘗て無いほどの大量虐殺が行なわれてきました。その殺人者はどの領域に回収されることになるでしょうか。政治・経済・福祉・・・麻薬・売春・人身売買そして暴力、見て見ぬ振りをし続ける司法・検察・・・等々、みなさんの日常で清廉潔白な生活に自信のある方はいるでしょうか。

今日のSNNを契機に観察を深めていただきたいと思います。メッセージの一文に

「その昔、アトランティスに対するみなさんの見解が気に食わないという事で、罰としてみなさんはアトランティスで権力を握っていた存在たちによって創造されました。当時のみなさんの見解は、アトランティスの前提は間違っているというもので、その為にみなさんは大きな代償を払わされました。今天はみなさんを完全意識に戻すという形で、みなさんに褒賞を与える準備が出来ています。」

今も昔も道理は一緒です。権力者からみた「神との統合」であり、天地創造主の営みは生命の「進化」、まさに一瞬の煌きでした。アトランティスの支配者(アヌンナキ)は高度な科学文明を馳駆し天に近づこうとします。バベルの塔も同じ問題を呈しています。そしてEUの本部の建築デザインがバベルの塔をモチーフにしているように、その誤った支配思想が奥目も無く続いていました。英国のEU離脱がこの支配構造を覆すきっかけになりますが、世界支配を目指す闇の者たちには肝心なことが理解されていません。(現代のバベル、CERNの研究は本来ならば第3次世界大戦を引き起こす低次元意識の産物です。) アトランティスの崩壊を招いた原因は、超科学を権力維持の手段にした支配者ばかりではなく、それに反対した司祭グループです。神を司る神官が支配者の考えに反対し、逆に権力者に生命の改造を余儀なくされました。当時ムー人(縄文人)はアヌンナキと交わり調和を保ってきましたが、アヌンナキ系の過激な神官がその調和を崩してゆきました。みなさんに知っていただきたいのはいつの時代も権力に対抗しようとするものは権力を奪取する意図のあるもので、神官といえどもすでに天意から遠く外れてしまいます。神に畏敬の念を持つ真心の神官は権力争いを避けて密かに聖なる新天地を目指します。ご承知の今月10月31日「ハローウィンの祭りは脱出の前夜祭」です。

「その為にみなさんは大きな代償を払わされました。今天はみなさんを完全意識に戻すという形で、みなさんに褒賞を与える準備が出来ています。」

この代償を払わされたものは、権力者とその反対者の神官、双方に言っています。権力者はアトランティスを海に沈めた者達として、反対者の神官は神官でありながら権力を欲した者として、以来13000年に渡って辛苦の経験を通してその償いを続けてきました。Ray私自身もその一人だと思っています。そしてこの物語が大きな節目に、アトランティス崩壊の当事者双方が果たした役割は、天地創造主の営みである生命の「進化」への貢献であり、まさに一瞬の煌きでありました。その褒賞は、経済中心の物質的な観点からは計り知れません。それはみなさん自身に天国のような世界を創生する能力が付与され、それを現実化する天の保証が与えられたことです。

みなさん「目から鱗が落ちる」と言う言葉をご存知でしょうか。『新約聖書』使徒行伝・第九章にある「The scales fall from one's eyes.」という言葉に基づきます。キリスト教を迫害していたサウロの目が見えなくなったとき、イエス・キリストがキリスト教徒に語りかけ、サウロを助けるようにとキリスト教徒のアナニヤに指示しました。アナニヤがサウロの( )の上に手を置くと、サウロは目が見えるようになり、このときサウロは「目から鱗のようなものが落ちた」と言っていっています。今の瞬間に通ずる物語ですが、実際は真理を比喩しています。天から降りてきて肉体を得ているものにほどこされている天機です。

【すべては真理探究の道筋】世界最後の謎を解き明かす(ムー大陸探検事典) ~第5章 ムー文明の継承者・東大国と日本 : 高橋良典の仮説 Ⅱ

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第5章

ムー文明の継承者・東大国と日本

高橋良典の仮説II

 キンバレー山脈の岩壁に描かれた古代日本の帝王ラ・ムー  

ナスカ平原に描かれた地上絵 

チャーチワードは語るー「今から一万二〇〇〇年以前に栄えたムー大陸の住民カラ族は、イースター島からアメリカに植民してカラ帝国をつくると同時に、インド方面にも植民してナーガ帝国、ウイグル帝国などをつくった」と。彼の説く「ムー文明」がかつて宇宙規模の広がりをもつ「空艇文明」であったことは、のちに概説するとおりだ(第8章参照)。が、はたして、チャーチワードの仮説に登場するカラ族が世界各地にムー文明の都市をつくったというのは、考古学その他の学問から明らかにできる確かな事実なのだろうか。この点に関し、地球文化研究所の高橋は、ムー文明時代のカラ族が世界各地に雄飛していた当時の証拠を求めて、過去二〇年余り調査を進めていくうちに、以下に述べる貴重な手がかりをつかんだ。つまり、われわれは今のところムー王国の実在を直接的には証明できないが、『契丹古伝』という稀有の書物に記された東大国と、そこに登場するカラ族の存在を明らかにすることによって、間接的にムー王国の実在を証明できるのではないか、という見通しを得たのだ。

 「いさかひを避け、とこしへに温れむいのちを重ねしめよ」と記されたエクアドル地下都市出土の黄金の胸飾り

証拠1

大いなる『契丹古伝』

今から一〇〇〇年ほど前(九四二年)に遼の史官を務めた耶律羽之の手に成る王家の書『契丹古伝』は、.やまとふみししとさつかみすち『耶摩駝記』『氏質都札』『汗美須鍾』さいせいしようしよひ『西征頚疏』『秘府録』『神統志』『費みこくししんいんたいき彌国氏洲鑑』『辰殷大記』『洲鮮記』の九つの史料をテキストとして編纂されている。そこには、今日のわれわれが三〇〇〇年の時の流れの中で転変と流移の果てに忘れ去ってしまった、はるか昔の日本人の祖先の歴史が脈々と息づいている。『契丹古伝』の目的は、建国まもない遼(契丹)の王家がみずからの歴史的背景と正統性を明らかにしながら、漢民族の中原支配に抵抗する周辺諸民族の団結をリードし、鼓舞するところにあった。が、同書は結果的に、われわれ日本人が今となっては入手できなくなった、『耶摩胎記』をはじめとする八世紀以前の古代史料を駆使することによって、記紀や他の古史古伝から洩れてしまった渤海滅亡以前の高句麗・日本の太古史を明らかにしている.、同書がわれわれに垣間見せてくれる太古日本の歴史は、その内容があまりにも通説とかけ離れているため、これまで欧米や中国の学者が流布してきた世界史の常識に従えば、全くの空想としか見えない。が、『契丹古伝』によれば、われわれ日本人と契丹人の共通の祖先である東大神族の歴史は、過去三〇〇〇年にわたってエジプト、シュメール、インダス、黄河の地を次々に侵略してきたアトランティス人、つまり中あや国で漢人として知られる欧米の支配階級アッシリヤ人~アーリヤ人の手で抹殺され、改ざんされてきたという。つまり、われわれがこれまで教わってきた紀元前の日本と世界の歴史はすべて虚構であり、われわれの祖先の真実の歴史、カラ族(タル族)と呼ばれてきた東大神族がかつて地球のすみずみに築き上げてきた輝かしいムー文明の歴史は、アトランティス人(漢人~アーリヤ人~アッシリヤ人)の手で巧妙に流布されてきた歴史の通説にひそむ大ウソを暴かなければ明らかにできない、ということを同書は訴えているのである。はたして、『契丹古伝』に書かれていることは、全面的に信頼してよいものか。そこに記された東大国は本当に紀元前七世紀ころ、地球の大部分を治めた国だったのか。

 "幻の""東大国""首都分布図"

 東大国の主要都市リスト

中原の首都

鹿児島県川内平野の入来(いりき〉

東原の首都

アラスカ南部の州都ジュノー

南原の首都

ニュージーランド北島のマヌカウ

西原の首都

アフリカ南部のジンバブエ

北原の首都

カザフ共和国のケンピルサイ

神京

パキスタンのペシャワル

秦率母理京

オーストラリアのジランバンジ

離京

イースター島のホツイチ

海京

エクアドル海岸部のエスメラルダス

斉京

ケニヤのヒラッタスヒル

仲京

韓国迎日湾地区の高壇耶(かこや)

    サハラ砂漠に描かれた太古日アフリカに侵入したアトランティス(アッシリヤ)の同盟軍と戦うムー(カーリァ)の戦士たちサハラ砂漠の伝説の都イジュンハンの位置を示す地図

また、当時の東大国王スサダミコが歴史的に実在したとすれば、その証拠は、世界各地にどのような形で残っているのか。今、われわれが明らかにしなければならない疑問はあまりにも多く、一朝一夕には解決できそうもない。けれども、高橋は、彼自身の専門分野である古代文字の研究を通じて、今では『契丹古伝』に書かれていることが、ほぽ全面的に正しいのではないか、という見通しをもつようになった。『契丹古伝』に記された東大国の伝説の都をいくつか現地調査していくうちに、彼は、日本神話の高天原が東大国の中原地方(日本からインドに到る地域)に実在したことや、アンデス・ヒマラヤの奥地にムー文明の痕跡が残されていることを突きとめた。そればかりではない。以下に記すごとく、『契丹古伝』に書かれたとおりの「歴史の抹殺」が、奈良時代以前の日本で実際に行なわれた証拠をつかんだのである。

ムー(カーリア)との戦いを示すヒッタイトの壁画

抹殺された神代の記憶

一九九三年に遷宮せんぐうの大祭を二十年ぶりに迎えた伊勢神宮。その伊勢神宮の境内にある神宮文庫に古くから収められた史料は、奇妙なことに、漢字でも仮名でもない不思議な文字で書かれている。この由緒ある神社に源義経や平将門が残した歌、菅原道真や稗田阿礼が奉納した詩歌に、現在のわれわれが知らない文字が使われているのはなぜか。これまでわれわれが学校で教わってきた歴史によれば、古代の日本に漢字以外の文字はなく、漢字以前の文字もなかったことになっている。ところが、実際に古墳から出土しかめかんた鏡や、甕棺に副葬された弥生時代の遺物、各地の博物館に収納された縄文土器を丹念に調べてみると、それらの表面には、伊勢神宮の奉納文に使われているものと同じ文字が刻まれている。

新しい読み方:ヒツキヲアタヘム   従来の読み方:日之光天下大明見

鏡(模写)と解読結果(東京国立博物館蔵)この章で紹介したいくつかの例を見てもわかるとおり、漢字伝来以前にそれらの文字が使われたことは確かである。にもかかわらず、奈良時代に成立した『古事記』や『日本書紀』に漢字しか使われていないのはなぜか。

今日の学界では、江戸時代に本居から宣長が「上古文字なし」「漢ごころを廃せ」と主張して以来のしきたりに従って、古代の日本には文字がなかったことが通説とされている。が、事実に即していえば、古代の日本には縄文時代から文字があったし、漢字以外に旧字と新字の区別があったことは文献にもはっきり記されている(書紀・天武十一年の記載ほか参照)。宣長は『日本書紀』を軽視するあくだりまり、同書の天智六年の条に記された「築紫都督府」の設置とそれに伴う「漢字使用令」が、カラ心を廃してアヤ心(漢人あやひとのいつわり)を育てたことを見過ごしてしまった。再び事実に即していえば、古代の日本から神代の文字とカラ心が消されてしまったのは、六六三年の臼村江の戦いで、カラ族(日本)がアヤ人(中国)に決定的な敗北を喫したからである。つまり、われわれがカラ族固有の文字で記録された太古日本の輝かしい歴史をことごとく見失ってしまったのは、臼村江の大戦後、九州の大"宰府に進駐して日本占領軍司令部"""築紫都督府を設置したアヤ人ら(唐の軍人官僚二千余人/書紀・天智八年の記事参照〉の陰謀により、それまで使われてきた神代文字の使用を禁止され、漢字の使用を強制されたことが最大の原因なのだ。「築紫都督府」が唐の占領軍司令部を意味していることは、この時期にくだらこま日本とともに唐と戦った百済と高麗のそれぞれの都が、唐に敗れたのち、「熊津都督府」「平壌都督府」という、同じ「都督府」の名称で唐軍の占領管理下に置かれた例を見れば明らかに太古の秘密を記した宮下文献である。

この時代に、われわれはそれまで使ってきた固有の文字を公式の書物に用いることをやめ、神代文字で書かれた古史古伝を、『古事記』『日本書紀』のような漢字表記の書物に書き改めた。その結果、白村江の敗戦以前にわれわれの祖先が世界各地に雄飛していた記憶は、地名・人名の漢字化とともに次第に失われ、日本の有力氏族がかつてインド、ヒマラヤ山脈の麓にも高天原の都を定めて、アジアからアフリカ、アメリカ大陸に到る九州全土を治めていた時代の輝かしい歴史も徐々に失われてしまった。『契丹古伝』は、紀元前の日本人が、東大神族と呼ばれたカラ族(クル族)の一員として、紀元前のインドでもテイルムン(太古の目本)の高度な建築技術のあとを示すモヘンジヨダロ遺跡活躍していたことを伝えているが、当時の記憶は、九世紀の初めに万多親王らが編纂した『新撰姓氏録』という有力氏族の家系由来記に化石的な形でかすかに痕跡をとどめるのみである。

よみがえる高天原の神々

だが、この『新撰姓氏録』に残されたわずかな情報だけでも、われわれの祖先の失われた歴史を復元する上で、はかり知れない意味をもっている。例えば、そこには、京都の祇園祭りで有名な八坂神社の一族が、朝鮮半島から日本列島に移り住むはるか以前に中国大陸の久留(呉仔長江流域)にいたこと、その前はタイの川麻乃(チェンマイ)にいたこと、そしてさらにその前はインド東部の意利佐(オリッサ)にいたことが記されている。九世紀末に遣唐使を廃止して国風文化の復興につとめた菅原道真のルーツを『新撰姓氏録』に基づいて調べてみると、これまで実在したか確力めようのなかった日本神話の高天原の所在や、そこで活躍した日本の神々の実体がはっきりしてくる。

この書物から、われわれは、菅原一族の祖先の天神たち、初代の穂日(ホピ)や息子の夷鳥(イドリ)、末孫の鵜濡淳(ウジュヌ)らがインドのデカン高原を流れるゴダバリ河とナルマダ河の流域に住んでいたことを知るだけでなく鵜濡淳がウジャイン(ナルマダ河の北)の町に、夷鳥がインドーレ(ウジャインの東方)の町に、また穂日がボーパール(インドールの東)の町に拠点を定めて、これらの都市を建設したことが読みとれるのである(高橋良典著『謎の新撰姓氏録』徳間書店刊を参照)。そして、これから述べることが最も重要なポイントであるが、実際にわれわれ探検協会のメンバーがインドのデカン高原へ調査に行ってみると……。驚くなかれ、穂日の町や鵜濡淳の町はここにちがいない、と単に文献から仮説を立てたにすぎないボーパールやウジャインの古い寺院の壁や古城の敷石のいたるところで、われわれは、日本の神代文字で書かれた古代日本語の銘文を発見することができたのである(第6章参照)。このことは何を意味するかといえば、それは、菅原氏に代表される日本の有力氏族が、かつてインドのデカン高原サハラ砂漠の洞窟に描かれたムー(太古日本)の女王ガーナカン高原にいたことを示している。

そればかりではない。われわれがデカン高原の中心部にある有名なアジャンタ石窟寺院の最古の柱から写しとった刻文を、あとで高橋が解読してみるとそこには、伊勢神宮の古代文字で「クダハラマロ」(管原麻呂Vと読める寄進者の名が刻まれていたのだ。クダハラマロのタダハラ(管原)は、『姓氏録』によれば、菅原氏の元の氏族名である。そのクダハラ氏の男子の名がアジャンタにあるということは、いまや疑いようもなく、菅原氏の祖先がインドのデカン高原でも活躍していたことを証明している。

アジャンタの石窟に描かれた壁画そして、紀元前三世紀まで湖るアジャンタ石窟の創建者が菅原道真の遠い祖先であったといえるなら、天神の穂日や夷鳥たちが活躍したという日本神話の高天原は、まちがいなく、インドのデカン高原に実在したといえるのだ。一九九〇年に高橋が、『新撰姓氏録』という歴史学会公認の文献から"導き出したデカン高原""高天原仮説"は、今やわれわれだけでなく、インドのデカン高原へ行った人なら誰でも、現地と日本に共通する神代文字碑文を目にすることによって、決定的な形で確かめられる。しかも、彼の仮説は、インド人と日本人の言葉や遺伝子を調べた専門家の研究によっても、また、インドと日本の古い伝説や祭りの伝統、考古学上の遺物を比較した研究者の報告によっても、二重、三重に重なる結論として確実に裏づけられる。今なお戦いはやまずこのように見てくると、われわれの祖先がかつて中原(インドから日本に到る地域)に都を定めて世界全体を治めたという『契丹古伝』の言い伝えは、現在のわれわれにとって確かに信じがたいものではあるが、太古日本の忘れ去られた歴史の真相をかなり正確に伝えていることがわかる。

イオンと格闘する太古日本の王ギルガメシュる。

日本ではこれまで、江戸時代に神代文字の存在を明らかにした平田篤胤の功績が学問的に根づかなかったため、過去二〇〇年問、欧米の考古学と言語学の発展に貢献し、オリエント世界の古代史を解明する上で決定的に重要な役割を果たしてきた碑文学の伝統がなかった。けれども、今やわれわれは、過去二〇年にわたる高橋の調査によってその正しさが明らかになってきた古代カラ族の神代文字を有力な武器として、世界各地に築かれたカラ文明の諸都市を探りあて、『契丹古伝』に記された東大国の位置や、高天使鶏という空艇に乗って世界を駆けめぐったわれわれの祖先の足跡を発見できるようになった(第7章参照)。『契丹古伝』に登場する東大国の実態を解明する作業は、ここ数年前に始まったばかりである。そのため編者の耶律羽之が採録した九つのテキストの史料価値も、今のところ定まっていない。また、『契丹古伝』に記された原日本人のカラ族と、チャーチワードが紹介したムー文明の建設者ーカラ族との関係も十分に明らかになってはいない。しかし、高橋の見通しでは、二つのカラ族は時代を異にする同じ日本人の祖先であり、『契丹古伝』のカラ族が建設した東大国は、紀元前六八七年(C14年代で一万二〇〇〇年前)の大異変で滅亡したムf文明の継承国家ではなかったかという。世間では、チャーチワードの唱えたムi文明とプラトンが紹介したアトランテイス文明が、ともに今から一万二〇〇〇年前に滅び去ったと伝えているが、『契丹古伝』というたぐい稀な文献とデカン高原に残されたカラ族碑文に基づけば、ムー(カラ)とアトランティス(アッシリヤ/アーリヤ/アヤ)の戦いが異変によって中断されたのは、前八世紀から前七世紀にかけてのわずかな期間であった。

アトランティス(ギリシア)との戦いを見守るトロイ(ムー)の英雄パリスムーとアトランティスの戦いは、われわれの見方によれば今なお続いておりこの戦いは、日本人が『契丹古伝』に記された太古の歴史を解明し、アヤ人によって長いあいだ教えられ続けてきた虚構の世界史を書き改めない限り終わることはない、というのがわれわれの偽らざる思いである。

[アヒルクサ文字]

アヒルクサ文字は、伊勢神宮・出雲大社などの由緒ある神社や旧家に古くから伝わる神吠岐諄のひとつ。九州の阿比留家に伝わる阿比留文字の草書体と考えられたことから、江戸時代の国学者として有名な平田篤胤らによってアヒル草文字と命名された。が、本来はアヒル文字と別個に発生した紀元前の文字で、最近は股いん代甲骨文字の草書体ではないかと考えられている。アヒルクサ文字に代表される日本の古代文字は、伝世資料によって百数十種類あったことが知られているが、古墳・甕棺から出土した鏡や刀剣、縄文時代の土器・土面、石造物の表面に刻字が確認されているのは、今のところアヒルクサ文字以外ではイヅモ文字、トヨクニ文字、北海道異体文字などの数種に限られており、今後の研究が待たれている。

伊勢神宮神宮文庫に収められたアヒルクサ文字とイヅモ文字の奉納文

汗美須鍾かみすち

『契丹古伝』に引用された史料。汗美須錘(神統)には次のような内容が記されている。神祖ヨセフは、ヒンズークシュ山脈の南のふもとにあるアソタの地に都を定め、その都をペシャーワルと名づけた。ペシャーワルは神の都である。ヨセフはシャー・ジ・キのシャーンキヤー王に命じてこの都を治めさせた。彼はまたシラヒゲアケ(白髭王)に命じて朝鮮半島の迎日湾地羅らしめ、この地を高壇邑と名づけた。高壇の地は太陽つき観測の中心地(都祁)であった。高壇邑は南アフリカのアスハムとエクアドルのエスメ一フルダスを結ぶ大円軌道の中点に位置するため、仲京と呼ばれた。ヨセフはエクアドルのコカムイトパクシ神に命じてエスメラルダスに居らしめ、その地をグアヤスと名づけた。グアヤスの港グアヤキルは太平洋航路の重要拠点だったので、海京と呼ばれた。彼はまた南アフリカのアカムイスハム神に命じてケニヤのムグルクに居らしめ、その地をヒラックス・ヒルと名づけた。ヒラックス・ヒルのあたりはアフリカに住むカラ族の宗教的聖地となり、キスームの都、斉京と呼ばれた。彼はキリコエアケ(聞得王)に命じてボゴングの地(オーストラリア)を治めさせ、その都をジランバンジと名づけた。ジランバンジは神祖ヨセフが最初に降臨したところモリなので、始祖降臨の都と呼ばれた。キリコエアケは、ジランバンジのほかにも、イースター島のハンガ・ヌイに宮殿を建てて住んだ。ハンガ・ヌイの地はホツイチと呼ばれ、ラノニフラク火山のふもとにあって神都ペシャーワルから最も離れた地球の裏側の地にあたるため、離京と称された。キリコエアケは生まれたときから頭に刃のような角をそなえ、常人とはちがっていた。彼は人問に害をなす悪霊や邪鬼を退治するのが何よりも好きだった。死者を甦らせたり、病気を封じたり、気の流れを変えたりする秘密の行法を二十四項目にわたって体系化したのは彼である。彼の教えは今でも有効であることが確かめられている。

イースター島遺跡分布図。ラノ・ララクの東に離京があった。

[契丹古伝]

遼の耶律羽之がまとめた契丹王家の歴史書。全文四六章から成り、次のように始まる。いま神とは何かを考えてみるに、古くからの言い伝えでは、神は光り輝くものとある。その光り輝くようすはたとえようもない。しいてこれを譬たとえれば、日の光に輝く鑑のようである。そこで鑑は太陽神をかたどったものとして日神体と書かれ、カガミと読まれる。その昔、天界を統治した太陽女神たる我らの目祖アメウシハクカルメ"(阿乃法翅報云亭霊明""天"統治日霊女)は、シベリア南部のエニセイ川中流域に広がるミヌシンスク盆地に宇宙船で着陸し、盆地の南部から東部にかけてつらなるサヤン山脈のふもと、カーメンヌイで日孫を産まれた。のちに東大国主となられた日孫ヨセフ皇子は、またの名をアバカンといい、スサダミコともいう。ミヌシンスク盆地の中心都市アバカンにその名をとどめる目孫に、目祖はみずから乳を与え、彼が大きくなると、コマカケと呼ばれる飛行艇を与えて、地上に降臨させた。これが我らの神祖ヨセフの誕生の由来である。ヨセフを神祖と仰ぐ我らカラ族は、世界の各地で活躍した。カラ族の勇者はイースター島のラノ・ララクの南東にあるホツイチの霊廟にまつられ、各地のカラ族の都はいずれもコマヤ(高麗国・高天原)と呼ばれ、国名をシウク、族名をシウカラ、国民をタカラと称し、国王をシウクシフとたたえた。シウクとは東大国とうだいこく、シウカラとは東大民族、シウクシフとは東大国主という意味である。神祖ヨセフの子どもや孫が世界の各地でカラ族の国を受け継いだのは、ヨセフの時代にカラ族が世界的な規模で活躍したからである。紀元前の我らの祖先の活躍を記した別の書物には、こう記されている。すなわち、トコヨミカド"(常夜帝""地下都市の王/"常世尊=不死の王)と呼ばれた東大国主ヨセフは、初めオーストラリアのジランバンジに降臨し、次いでミヌシンスク盆地を見おろすアファナシェヴァの山に降臨した。オーストラリアとシベリアの二か所にカラの二つの源があり、同じシウ氏を名乗る二つの宗族がいるのは、神祖ヨセフの右のような降臨にともなって、我らの祖先が現地にとどまったからである。紀元前七世紀にカラ族の一員となったティルムン(東冥ー日本~インド)の人々はヨセフの子孫ではなく、大洪水のあとティルムンの楽園に住んだウトナピ"シュティム(阿辰法須氏""""天御中主""禺)の子孫であ"る。アフリカのカラ族の王としてその名を世界中の人々に知られたエチオピア王タルハカ(寧義氏=ニンギルス=ニニギ)が"現れたのは、ウトナピシュティムの時代より八〇〇年ほどあとのことである。ウトナピシュティムやタルハカ、ヨセフの時代に我らの祖先が世界の各地で活躍したことを垣問見るにつけても惜しまれるのは、その後千数百年の問に我らカラ族のかつてのつながりが見失われ、祖先の貴重な記録が散逸さんいつしてしまったことである。そこで私は複雑にからみあった瓜うりのツルや綿糸のかたまりを解きほぐす思いでカラ族の失われた歴史を解き明かし、その昔、カラ族の祖先が今とは比べものにならないほど広大な土地で活躍した時代があったことを明らかにしたいと思う。

アッシリヤ(アトランティス〉の宮殿

西征頌疏さいせいしようしよ   

『契丹古伝』に引用された史料。西征頒疏には、紀元前七世紀の戦いのようすが断片的に次のように記されている。神祖ヨセフはいよいよ西に向かって反撃を開始するにあたり、ボルネオ島の西部にいたクチン王の軍隊を同島南西部のクタパン要塞に移し、デカン高原中部にいたサガール王の軍隊をインド半島最南端のアーディチャナッルール要塞に移動させ、南オーストラリア海岸の中部にいたユークラ王の軍隊をエーア湖の西にあるクーバーピジー要塞に派遣して攻撃の準備をさせた。そしてついにみずから大軍を率いて怒濤のごとくエリュトラ海を渡り、アフリカに侵入した敵軍を駆遂してサハラ砂漠の西にあるイジュンハンの丘に達し、夕ロホスとイン・タデイニの間にタデメッカの都を設けてカラの同朋を救出した。ここにエリュトラ海とあるのはインド洋のことである。イジュンハンはアフリカ大陸のさいはて、夕陽が沈む西アフリカの海岸に近いアドラール・デ・ジフォラスの高地にある。スサダミコ神祖ヨセフ(順嵯檀彌固"""山幸彦ホホデミ)は紀元"前六六〇年に即位してみずから東大国を治められた。そしてこの記念すべき年から数えて八八0年たった紀元二二〇年、高句麗の山上王位宮とその弟の百済王仇首(山上王ちほやえちくの弟の蘭須)は千穂八重築しかむのみね紫神之峰と呼ばれた九州・鹿児島の八重山に登り、漢帝国の滅亡を祝って、「秀穂立つシナカキ、とよあしかびさか神が培えけむ、豊葺芽栄」と神に感謝した。この年カラの人々はついに漢帝国の支配から脱し、再び日祖ゆかりのカラの故地を奪回して、日向高千穂と呼ばれた霧島山の神の都に永くとどまれるようになったのである。その後およそ[六〇年余りたった紀元三九一年、高號の好太王は右のように栄ある東大国の伝統を継いで高句麗王となり、大いに我らの旧領を回復して広開土王(コウカイトワケ~トコイカウワケ~瑳競伊弐王~瑞競伊尼赫琿)と称えられた。好太王の時代に人々は久しく失われていた祖先の気風を取り戻し、カラ族の勢いは再び盛んになったのであった。西征頒疏によれば、カキとは稲葦神洲のことで、稲穂が豊かに実る神の国という意味である。

シャンカ文字

インドの初期仏教遺跡、サーンチー、バールフト、あるいはデカン高原の先史美術の宝庫バンパトケア、その他の遺跡から発見されている謎の未解読文字。現地でシャン力文字と呼ばれている、この未解読文字の代表例は、図に示したアジャンタ最古の石窟の柱に刻まれた文字群である。高橋良典は『謎の新撰姓氏録』(徳問書店刊)の中で、日本人の祖先、たとえば太宰府天満宮に祀られた菅原道真らの祖先が、紀元前のインド・デカン高原で活躍したこと、日本神話の高天原の歴史的な舞台は、インドのデカン高原だったという仮説を唱えている。古来より日本で「天神さま」として親しまれてきた菅原氏は、『新撰姓氏録』によれば、かつて管原(くだはら)氏と呼ばれた。そして、アジャンタ最古の石窟に刻まれたシャンカ文字を解読した高橋は、驚くべきことに、これを目本の由緒ある神社に古くから伝わるアヒルクサ文字とタガラ文字で、クダハ一フ(管原)マロ(麻呂)と読んでいる。ということは、菅原氏のような日本の有力氏族がかつてインドのデカン高原で活躍したことを決定的に物語っているのではないだろうか。

石窟の石柱

 石柱のシャンカ文字の解読結果

辰殷大記しんいんたいき

『契丹古伝」に引用された史料。辰殷大記はこう記している。イサク(殷叔)と呼ばれたイスラエル最後の王ホセア(忍穂耳)には老年になっても息子がいなかった。そこでカラの人々からこの上なく高貴な人物(殷越―干越)であると尊敬されていたイサクは、アフリカやヨーロッパ、小アジアの各地に離散したイスラエルの人々を率いて東方の聖地ティルムン(日本)へ旅立つにあたり、スサダミコ(密矩)と呼ばれたヨセフ(火々出見)を養子として迎え、彼の後継者とした。その後まもなくイサクは亡くなったが、そのとき彼は八十九歳だった。こうして我らの神祖ヨセフが永遠のいのちを授けとこよひこみこられた太陽の御子、常世トコヨヒコミコ日子御子(督抗費国密矩)としてイサクの跡を継いだのは、紀元前六九五年(伊兮歩)乙酉の秋、九月(七月)のことだった。

太古日本の王イサク

ティルムン

大洪水ののち、ペルシア湾の東方につくられた神々の楽園。シュメールの伝説によれば、ティルムンは大洪水を生きのびたウトナピシュティムが神々とともに住むことを許された楽園で、息子のギルガメシュがクラブ(イラク南部の古代都市)の英雄になったあと、不老長寿の薬草を求めてやってきた土地という。有名なギルガメシュ叙事詩に、「はるかなる地、川々の河口」にあると記されたティルムンは、別の言い伝えによれば「太陽の昇る土地」にあり、計画的に区画された耕地を潤すすばらしい灌潮用水路と井戸のおかげで穀物が豊かに実り、町には立派な穀物倉庫があったという。神々の楽園ティルムンの"すばらしさは""エンキとニ""ンフルサグ""と名づけられ"たシュメールの粘土板に、次のように記されている。ティルムンの国は清らかだ/ティルムンの国は輝かしい……/ティルムンからすでは烏が不吉な漣霧あげることもなく、雄鶏がけたたましい叫びを発することもない/ライオンは生き物を殺さないし、狼も仔羊をとらえない:…/眼病になる人もいなければ、頭痛になる人もいない/女性は年をとっても若々しく、男性もまた老いを知らない…・シュメール伝説のティルムンは平知そのもので、争いことや病気のない清らかな国、人間がいつまでも若さを失わない輝かしい国だった。以上のティルムンは、高橋の研究によれば、太古の日本そのものであり、異変を生きのびたウトナピシュティムとギルガメシュは、あめのみなかぬしたかみ輻体神話の天御中王、高皇産霊に相当するという。つまり、ティルムンは、ティムン(契丹古伝の東冥)ティプン(契丹古伝の東表)に変化したあと、ジプン~ジポン~ジッポンを経て日本になったといえる。

ウルク(夏)の王ギルガメシュ(日本神話の高皇産霊)の物語を記したアッシリヤの粘土板

 [秘府録ひふろく]

 〔契丹古伝』に引用された史料。秘府録にはこう書いてある。神祖ヨセフは、今日アジアと呼ばれている地域を中心として、アフリカからオーストラリア、アメリカ大陸にまたがる広大な土地をカラ族のために確保し、これを五つの地域に分けて統治した。彼はまず、マダガスカルのチアファジャブナ王を南アフリカのジンバブエに派遣して、東大国の西部を治めさせた。次に彼は、北アメリカのシトカ王をアラスカのジュノーに派遣して、東大国の東部を治めさせた。また彼は、九州の串木野カムイ神を喜入(または入来)に派遣して、東大国の中部を治めさせた。彼は中央アジアのカザフ(またはケンピルサイ)にウラル山脈南部のカンダガチ王を派遣して東大国の北部を治めさせ、ニュージーランド北島のマヌカウにオーストラリアの南のタスマン王を派遣して東大国の南部を治めさせた。ヨセフは、右のように東大国の諸大陸の統治を五人の長にゆだねると、みずからは宇宙船に乗って天空の安全をはかり、大海原を航海する人々の安全をはかった。また彼は、九州の句嬰国(のちの狗奴国)の司祭に対して、つねづねの祭りことをおろそかにすることなく、東大国民の末ながい平和と繁栄を保つよう心がけよと命じた。紀元前七世紀にヨセフが東大国の五つの地域を治める以前、これらの地域にはカラ族以外の先住民がいた。北原と呼ばれた中央アジァのステップ地帯には、遊牧民族のマッサゲタイ人(没皮)と狩猟民族のイユルカイ人(龍革〉がいた。西原と呼ばれたアフリカ大陸には、穴居民族のギリガマイ人(魚目)とティブー人(姑腹)がいた。そして中原と呼ばれた東アジア地域にはアイヌ(熊耳)とコロポックル(黄眉)が住み、南原と呼ばれたインド・オセアニア地域には、マオリ人(苗羅)とパプア人(孟潟)がいて農業を営み、海原と呼ばれたアメリカ大陸にはジェー語族(菟首)とコリャ族(狼裾)がいて海洋漁業にいそしんでいた。これらの先住民は、カラ族とともに東大国の国民になったとき、いずれもヨセフの指示に従い、言いつけをよく守った。けれども、その当時インドにいたバクトリア人(箔)とガンダーラ人(牌圏、サカ人(籍)だけは性格が凶暴で手がつけられなかった。そこでヨセフは彼らを征伐してインドから駆逐し、ベンガル湾に追放した。

費彌国氏洲鑑[ひみこくししゆうかん]

『契丹古伝』に引用された史料。費彌国氏洲鑑には次のようなことが書かれている。その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変わってしまった。この異変で地軸が傾いた結果、大地は中国の北西部で縮んで盛りあがり(ビルマ~チベット~ヒマラヤの隆起)、南東部で引き裂かれて水没し蛇身人首の鬼を祭る者が次々にやってきて我らの土地に住みついた。そして彼らは我が東大古族の神の子孫とみずからを偽つたばかりでなく、伏犠や神農、黄帝、少昊なる人物を我らの王の祖先に仕立てあげてその系図に自分たちの祖先をつなげ、あるいは我らの王を陶・虞と改めて彼らの王にみせかけたうえでその子孫になりすまし、これら偽りの神と王に対する崇拝を人々に強要してみずかた(日本海溝~フィリピン海溝の形成)。プングラン(乃后稜)諸島のあたりにあった南シナ大陸と東北の大陸は沈んで海となり、アジア大陸の地殻が太平洋方面に大きく傾いて沈んだため、天が東に向かって海面から遠ざかっていくように見えた。秦・舜の時代に地球全土は戦火に包まれ、禺は洪水の後始末に追われた。ところが二のようなドサクサにまぎれて西からは人身牛首の神を祭る者やらを聖帝の子孫なりと誇らしげに語っている。けれども、彼らは自分たちの祖先だと思っていた発と舜が彼らの思惑に反して東大古族の王であり、我らの祖先であったことをはたして知っているのだろうか。西から我らの地にやってきて帰化した人々が王として仕えたのは、嘉・舜のあと世界の王になった夏の国の禺が最初であった。その後久しく続いた夏王朝の創始者である禺のことを彼らは中国だけの王であったかのように記しているが、これはとんでもない間違いだ。というのも、史記に記された禺は大洪水を生きのびてティルムン(日本~インド)の楽園に住んだシュルッパクの王ウトナピシュテイム(天御中主nアソベ王朝初代ウソリ王)をさしており、彼のいた夏の国とは英雄ギ"ルガメシュ(高皇産霊尊"""アソベ王朝第二代タミアレ王)が活躍したクラブ(呉羽)の都をさしている。禺は中国だけの王ではなく、世界全体の王であったことが西族の伝承によっても確かめられるのである。

八咫やたの鏡文字

一伊勢神宮に伝えられた八咫の鏡の表面に刻まれた文字。これらの文字は従来、ヘブライ語で左から右に向かって、エイエアシェルエイエ(我は在りて在る者なり)と読まれてきた。しかし、そのような読み方はヘブライ文字にもとづく根拠のあるものとはみなされない。むしろこれらを分析した結果によれば、古代のサハラ砂漠で使われていたティフィナグ紋字で、あな畏けあがサハな崇めつることほイサクら言祝ぎつあな畏けサハな崇めつると読める(地球文化研究所.高橋解読)。つまり日本神話のイザナギに相当するイサク(古代イスラエル王国最後の王、ホセア)が紀元前七〇〇年頃に、サハもしくはサバと呼ばれた太古の宇宙船サブハをことほいだことが記されたものと解釈される。このサバは有名なシバの女王が使った空飛ぶ乗り物であり、日本では天照大神の太陽円盤として、古くから崇められてきた。、、

エイエアシエルエイア伊勢神宮の八咫鏡文字

 [耶摩駘記]

「やまとふみ契丹古伝』に引用された史料。著者の塢須弗は、耶摩駘記の中でこう述べている。目本がいまだかつて滅びることなく衰えることなくして国を保ってきたのは、この国を治める者がティルムン以来の輝かしい歴史を見失わず、先代から受け継いだ伝統を大切に守り続け、神の言葉にすなおに耳を傾けて、人問としてなすべきことを行なってきたからである。日本のことを秋洲とも書いてアキシマと呼んでいるのは、紀元前七世紀に神祖ヨセフがこの国に世界の都を設け、目体列島を世界の中央島、央畿島アキシマと定めたからである。

[ヨセフ]

旧約聖書にイスラエル十二部族の祖ヤコブの子として登場する人物。日本神話に山幸彦ホホデミ(火々出見)、ホオリ(火折)として描かれ、東日流外三郡誌つかるそとさんぐんしにウヘリ(宇比利)の子として記されたマシカカ(馬司利)に相当する。紀元前六九五年に亡くなったホセア(旧約聖書のイサク/記紀のオシホ耳)の養子に迎えられ、アッシリヤに滅ぼされたイスラエル王家を再興したティルムン(東冥/日本)の王。前八世紀から前七世紀にかけて、アッシリヤ王サルゴン、センナケリブ、およびエセルハドンと戦ったティルムン王ウヘリ(大日霊女/アマテラス)の子、スダース(須瑳檀密矩/ホホデミ)として実在した。

契丹古伝に東大国主スサダミコの名で伝えられたスダースは、前七世紀の戦争と異変の時代に、われわれ日本人の祖先(カラ族/クル族/カーリア人)を地中海、アフリカ方面からインド、日本へ安全に導いた。その功績は忘れ去ることができない。彼は、前七世紀の初めにアッシリヤ(アトランティス/アーリヤ)に征服されたヨーロッパを除く地球全土を五つの地方に分け、それぞれの地域に都を定めて世界を統治した。旧約聖書に彼の父と記されたヤコブ(ニニギ)は、前七世紀にアフリカで勇名をとどろかせたエチオピア朝エジプトのファラオ、タルハカであり、彼の息子と記されたエフライムは、記紀および古史古伝にホホデミの息子として伝えられたウガヤ皇子と同一人物である。

ティアワナコの太陽の門に描かれたヨセフ

原日本古代文字発見地点日本探検協会/高橋良典 調査 日本探検協会では、デカン高原=高天原仮説を証明するため、これまで何度も現地調査を行なってきた。そしてその都度インドでも解読されていない碑文を採集し、100例以上の碑文を解読した結果、古代の日本人はインドのデカン高原あるいはインダス文明地域でも活躍していたことをつきとめた。日本探検協会が毎年継続して進めているインド・ネパール・古代インダス文明地域(ティルムン=日本)の調査に協力下さる方は協会までご連絡ください。

 

太陽神アフラ・マズダはイーマに告げた

おお、美しきイーマよ

この邪悪なる世界に厳しい冬が訪れようとしている

雲高くそびえるかのアヴィ山の項きにも厚い雪が降りつもるであろう

そして水の豊かな緑なす牧場であるこの大地もまた

かつてない大雪に見舞われる

さればイーマよ

今のうちに大いなるバーラを造れ(この大地に大いなる地下都市を造るのだー)    

『ゼンド・アヴェスタ』

Beneficiary‘s Personal Pension Fund(7)~人類が今まで甘んじてきたすべての環境を再評価する

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Beneficiary‘s Personal Pension Fund(個人生涯年金基金)

 人類愛・世界愛・生命愛

21世紀、世界は公のものとなり,あらゆるものは人類の共有となります。

人種や国家の壁は取り払われ、人々は好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由な交易が行われます。

民族愛・国家愛は、人類愛・世界愛・生命愛に変わり、人々は互いに慈しみ通じ合います。

老人は皆自分の親とみなし、すべての子供は、自分の息子や娘とみなされ、愛着をもって大切にされるようになります。

国は相互扶助の本体として再生し、人々は道徳を以って相互扶助を実践します。

自己の能力を生かし、天職を尽くして、奉仕貢献する者には尽きることのない報酬が約束されます。

やがて、人々の安全は保証され、恐怖や不安がなくなり、力ずくで搾取する必要もなくなります。

人生の目的は、競争ではなく助け合うことに変わり、助け合うことによって進化しつづけます。

以前のことは過ぎ去って、悲しみや苦しみもなく、全てのものが新しくなって人生最高の幸福をしみじみと味わうようになります。

人類の尊厳は復活し、真理を尊び、この理念に準じて永久に栄えます。

 

【プロジェクト概要】

Beneficiary's Personal Penshin Fund (個人生涯年金基金) のBeneficiaryは、聖なる報酬に由来し、天に代わって奉仕をする者への報酬を意味します。 

BPPFは、相互扶助(Mutual Aid)社会を創造するため、一元化された世界の公共信託基金から個人に信託される生涯年金基金です。生活の安心・安全が保証され、全人類の創意によって一体化を推進します。

世界の情勢が大きく変わってきた今、市民一人一人が直接世界の金融経済を担う第一歩となるよう発進します。 このプランが神々の助言とその役目を担う方々によってさらに進化してゆくことを願っています。

統治体および全ての公益団体(非営利事業体)の財源も、人類の総意により一元化された公益信託基金からダイレクトに信託されます。

OPPTは、世界の金融経済を大転換させるため、地球人類の資金・資産・資源の一元化を諮り、NESARAは、統治体と地域の安定、平和共存・文明の融合を実現するため、そしてBPPFは、個人の尊厳と生活の安全・安心を守り人類と宇宙の進化を諮ります。この3つは一つのクォンタムな相互扶助システムです。  

【何から始めるべきか】

胎児が胎内にいる時、どんな体験をしているのか、赤ちゃんを育てる時に乳飲み子に何が必要か、何が良くないか、もう多くの母親は社会で行われていることに必要以上に注意をはらわなければならないことを体験しています。

母乳以外のミルクは本当に大丈夫なのか、予防接種は? 離乳食は? ・・・。親が学んで情報判断しても、次々と新しい情報に押し流され、さまざまな考えや学説の欺瞞によって混乱の中に巻き込まれてしまいます。こういう状態は社会全体に蔓延していて、政治一つ見ての通り何が正しいか、この混乱は常に変化して掴みどころがありません。

この状態をどう整理するか、このことがBPPFを実施する上で、最も重要な3つの課題、①相互扶助金融システム、②生活評価システム、③世界のすべての国の合意、の②「生活の評価システム」です。皆が真に参加する、市民が創る社会のスタートを切る仕組みです。

【生活評価システムの背景】

この生活評価システムがどのような世界的な背景のもとに行われることが望ましいでしょうか。まず、世界の財源が一元化されていることを確認するため、世界各国から派遣される事務レベル代表者会議に、この件を含めた総合的な取り組みに関する協議を負託し、BPPFと同時に生活評価が実施されることについての判断を一任します。協議が整うまでどれぐらいの期間がかかるかは、市民の協力と準備次第という面があり、それはとても重要なことです。

世界8~11箇所の6万人程度の中堅都市で具体的な実験を行い(宇宙レベルでは、米国のサンタフェをセンターとした計画も進行していますが、日本から発進しなければならない計画は、天意による進化、道徳など東洋としての様々な計画を包含しているからです。 データを市民および国家、そして国際事務レベル協議会と諮問評議会(宇宙レベルを含む)が共有して、迅速に改善・判断する体制を執る必要があります。 

OPPT・NESARA・BPPFの互換性はこの過程で役割分担がさらに具体化します。ヨーロッパ・アメリカ・アジアの歴史的文化的特質も生かされます。又、アフリカ・東南アジア・中東・南米など本計画の恩恵を始めに受ける国々から、その生活の水準や特質から相互扶助の本質を学ぶことができます。

人類は、自らにとって地球や宇宙がどのように按配されているかを見失っていました。存在の意義を実践するため、一つの霊が生じた時に、この無限で壮大な宇宙は同時に一瞬に生じました。宇宙の万物はこの一つの霊に対して、すべての事象が同一かつ対称的な一体として、一寸の狂いのない墺妙な進化共同体として、「今」という成果を深い学びの機会として従容しています。

この運びの中で、今という時を覚知するに至っても、許容している自己の質性(生活習慣体質)は、アトランティス時代を遡る遥か以前からエネルギー軌道であり、開放の導火線でもありました。人類は自己の中でこの偉大な進化の節目を迎えようとしています。導火線の火花が今まさに点火され、聖なる膨張が開始されると、人類の細胞や魂に注ぎ込まれてきた光の洪水は、“One Personal”の膨大なエネルギーにトランスしようとしています。

このような時間の現象を読み取ると、今は明らかに一体化あるいは統合、原点に還る流れに乗っています。これから創造しようとすることがこの流れであれば計画は必ず実現するという意味です。躊躇して「今までの習慣の中で修正」しようとすれば、それはもうすでに違うタイムラインになって、過去にも未来にも存在しないものになってしまいます。

現実の実践計画は、身近な生活の場ですが、実際は今までになかった時空間です。そこでは幅広い生活環境を新たに評価する時空間となり、生活意識を調整リードするための、市民による、老若男女誰もが主役の、ひとりがみんなのために、みんなが一人のために真心を実践する、相互扶助機構の「信託評議会」を世界規模で設置してゆきます。

【評価対象となる社会問題】

科学が発達して人間が自然環境を支配し、生活環境を破壊してきたかのように思い込まされてきました。実際に環境破壊を扇動にしたのは一般市民ではなく、市民から搾取を繰り返してきた極一部の乖離者の仕業で、悪環境を造りだしたのは市民だと押し付けられ、生活環境改善の意欲を殺がれてきました。物事を根源から正しく評価することはほとんどタブー化して、正反対の価値観を植えつけられてきました。それは衣・食・住の基本的から、人類の歴史や宇宙物理の分野まで人類の知覚全体を汚染しました。

強制労働を強いて対価として貨幣を与え、その貨幣を持っていなければ生活必需品が手に入れられないよう、教育や医療も受けられないようにシステム化して、劣悪な環境に囲い込み、無知や貧困を意図的に造成し飢餓や病気により大量の殺戮を繰り返してきました。

このような表現は、一種の偏った社会批判のように思いますが、そのことこそ洗脳されていることにまったく気がつかない状態であること証しています。近親者の何人が癌で死んだでしょうか。それだけを捉えて見ても、人々から事実が隠され、死の恐怖から不安は真実を避け、心を塞いできたことがわかります。

いまの社会制度は、問題点を挙げそれを改善しようとしますが、前例主義で根拠のない効果のない結果を出す方法で個々の生活や組織の保身を図ります。たとえば基準の上下の血圧を決めるとき医学的根拠となる研究データと判断基準は適正でしょうか。看護婦は言われたまま患者に伝え、異常と判断されれば薬が処方されます。130を160とした方が薬の投与も減り、病気が改善するケースのほうが圧倒的に多いというデータがあります。一方薬の売り上げがどれだけ落ちることになるでしょうか。功利的巧妙な守旧意識が社会全体に蔓延し心を蝕んでいます。

医療を免疫力・自己治癒力・療養の観点から考えると90%の西洋医療すなわち対処療法が必要なくなるという見解とデータがあります。また、国・地方自治体が医療費に膨大な税金をつぎ込み、その医療現場で患者が大量に死に追いやられているという悲痛が横行しています。

【評価のための段階的社会制度】

BPPFの実施にあたって、テーマである環境の保全・整備や人類の進化を妨げる問題点を精査して、高効率の社会貢献ができる機会を社会制度として整えてゆきます。参加してゆきます。すべての分野を一時期に制度化することは、経験的効果を妨げるものであることに十分配慮しなければなりません。また、自然環境や生活レベルそして文化・慣習が異なることを、文明の融合に生かしてゆくパターンに社会システムを集約してゆくことになります。

過去、国連の環境計画では、国際環境条約に関する総合的な調整を主とし、各種条約ワシントン条約ボン条約バーゼル条約、生物多様性条約)の管理を通じ、オゾン層保護、有害廃棄物、海洋環境保護、水質保全、化学物質管理や重金属への対応、土壌の劣化の阻止、生物多様性の保護等、地球規模の環境問題についても調査を実施し警鐘を鳴らし、国際環境条約を各国が批准、国内法を整備することに寄与するなどの調整活動を続けてきました。

この活動の効果が低迷する原因は、言うまでもなく貧困を生み出す企業の利益追求による相互のモラル破壊でした。

導火線が尽き限界に達した結果、人類の環境問題に対する意識は急速に拡大しました。この時期に環境問題をBPPF起債のテーマとして取り上げることは適切であり、評価システムを社会制度として段階的に確立することが可能となります。あらゆる分野の再評価が開始されます。地球の自然環境意識に止まらず、引き続いて官公庁はじめ基幹産業から個人商店に至るまで、すべての職業に携わる人々の社会参加における環境意識は開花促進されます。                                              

【人類が今まで享受してきたすべての社会環境を再評価する】

これまで行ってきた内部改革のための再評価ではなく、まったく新しい環境を創り出すことになる新しい価値、新たな社会の種を発見する作業です。医療に例えれば、人体の免疫システムを再活性化させる技術を最優先すれば、今までの対処療法医療ほとんどの医術・理論は誤っていたものになります。その結果医療の考え方そのものが無くなり、人体の再活性化のための療養・あるいはヒーリングが中心になり、意識改革の分野とリンクして日々の生活そのものの価値になってきます。不用なものを捨てることは、原点に返ることになり、原点から引き出される人間の能力は、今まで病気が蔓延していた異常な環境とはまったく別の清浄で病気のない環境になります。日常生活に根付いている食料品・電気製品などあらゆる物品も同じ原理が当てはまります。  

【モラル・ハザード(Morale hazard:倫理の欠如)】

戦争行為をその国民が継承すべき責任に転化して、真の戦争犯罪を隠すプロパガンダが行われてきたように、搾取行為(商行為)を正当化するため、ユーザーの恐怖心を煽って日常の悪習慣や惰性を醸成し、社会への猜疑心を植え付け持たり、ポイ捨てなど小さな鬱憤のはけ口行為をモラル・ハザードと定義して、ユーザーの無意識下に刷り込んだ弱点を対称に、搾取を法定外で正当化し、元々あり得ない企業倫理のリスクとして位置づけてきました。

経済学者たちがモラル・ハザードの言葉で意味したのは、リスクが把握されない場合に生じ得る非効率のことで、関与する人々の倫理や道徳のことではありませんでした。

欧米においてもこの解釈には混乱があり、通常は保険加入者側の)詐欺や非倫理的な行為を指していましたが、やがて真に倫理的側面を覆い隠すようになりました。モラル・ハザードを日常的にどのように理解しているかと考える前に、私たちの預金、生命・火災保険、年金、健康保険は勿論、電気・ガス・水道、PC、ネット、携帯電話、電気製品などあらゆる生活経費の契約がモラル・ハザード名目で事業者のリスク回避、とピラミッド型の搾取ツールになっている実態を把握する必要があります。

それが再評価システを考える前提になります。つまり私たちの生活は利便性を追求するとことと、モラル・ハザードを設定することでユーザー(Beneficiary)である人間本来のモラルを巧妙に封じ込めてきました。そのため新製品が出ると自動的に買い替えをしたりする飼い慣らしのレールにのせ、バブル崩壊などのような大規模なモラル・ハザード搾取を引き起す土壌を醸成し、常に戦争に誘導できるよう意図されていました。

【モラル・デファランス(Moral difference:モラル格差)】

捏造されたモラル格差は、「格差社会」を正当化する方便と位置づけられていますが、もともとモラル格差とは、階級性を否定した平等社会の劣化(倫理の崩壊)ではなく、階級性を隠すため支配者と属隷者の関係を似非学問によって法的にも社会通念上も社会全体の既成慣習に置き換えたものです。その結果「格差社会」を認知させ大規模な搾取構造を正当化したものです。

王位に神格があり禅定がおこなわれていた時代から、世襲制に変わって階級制や王権維持のため、一族は支配者の財産で、金銀財宝や土地、家畜と同じように扱い売買する奴隷制を生み出しましたが、階級制がある以上、国民に生産させ、残ったわずかな収入の中から税金やそのほか相続、消費税、自動車税、・・・・と巧みな便法で搾取し、それを法外な軍事費や公共投資につぎ込み支配階級に分配される仕組みは、古今東西変わらない奴隷階級制によるものなのです。

この現実の中で、モラルを規定する場合に階級性がその骨組みになっていること、また階級性はいわゆる「道徳」とは相反する社会制度であることを明確に認識しなければなりません。

私たちが居住しているこの社会の「道徳」はすでに廃れ、あてを失った人類のモラルはいつの間にか搾取のための市民のモラル・ハザードに置き換えられたのです。しかし格差社会を正当化するためのモラル・ハザードの定義は、その矛盾ゆえに臨界に達しています。支配者にとって道徳の復興がいかに脅威か、それが評価の真髄になり、必然的に国際法の数々の本質をディスクロージャーし、人類の秩序の基底構造を新たに構築してゆきます。

人間の些細な問題を解決する時、何をするにも体を痛め辛い思いをしながら生きていくのを終わりにする時です。

物理学と科学が意識と融合する時代に入り、不確定なことを心配するのを終わらせるため、すべてを見直すための行動を開始します。

【マクロ的評価に取り組む】

20世紀まで人類は滅亡や復活を繰り返してきました。現在は、129600年サイクルの中にあって、聖書の記録でヤハウェの裁きによる滅びの象徴として、

ソドムとゴモラ :http://www.geocities.jp/todo_1091/short-story/001.htm

ノアの箱舟 : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%96%B9%E8%88%9F


など人類は退廃の歴史を歩み自らその災いを受けてきました。

5000年前世界は大洪水に見舞われ、その後新たな文明規範が中華に再生されました。新しい文明は5000年後の今日のために宗教や科学を通じて華やかで荘厳な意識を開花するため、その糧を日々の自然環境や生活の中に玄妙な心の中に秘めてきました。

人類は自らの能力を知り・社会の過ちを修正し・そして個々を奮い立たせるため、現在居住している退廃社会を再評価する一大事業を展開します。

個々において、地域において、国家的にそして世界的・宇宙的な協業体制が構築されます。

生活が織り成す居住環境や生産されてきた物品に対し、真実を前提としたゆるぎない評価基準を策定するため、ディスクロージャーの段階的進行に伴って定期的により充実した評価替えを行います。

政治・経済・教育・自然科学・医療・福祉・芸術などそれぞれの分野で、並行してマクロ評価を行い、実生活もこの評価に照らし論理的に改善されます。

詐取社会で偽装されたモラルハザードもこの当初の段階で見直され、東洋の道徳が西洋のモラルの源流であることが明らかになり、評価基準が「道徳」に根付くという原点に回帰します。

当面のコモンロー法などの適用は、人類史の深遠な価値観から見て限界があるため、人類の尊厳を回復する「道徳」の復興計画を同時に開始します。過去の人類史の清算を含め宇宙間の規範となる極めて重要なコアとして、神と人とが一体である多次元現実の華が啓きます。

【マクロ的評価の効果】

宇宙の真理・人類史・超物理・地政・環境・・・マクロ評価は人類覚醒の効果を生活の中に体現できる最善の社会システムです。以前の生活環境を取り巻くすべての事象は闇の中のポジティブで限定的な幻想でした。次元上昇や目覚めという光のエネルギーで導かれ、個々の内面を観察し恐怖を除きその余裕が生まれ、自らの性の自然な働きである道徳性を引き出す輪廻転生と忍耐を終えます。

人類はついに、新しいスタート地点に到達します。

マクロ的効果とは、すなわち自ら新しい意識領域である生活と人生の領域の大扉を次々と開ける偉大な作業です。日常生活の中で玄関の扉を開けると宇宙に飛び出したかのような「ドラエモンのどこでもドアー~」の世界が始まります。

その時期が来た人たちにとっては、まさに光の導管を奔る静かな感動の連続です。それぞれの役割のためにまだ時期を待つことが必要な人にとっては、複雑で一貫性のない社会の変化をもう少し体験しなければなりません。

つまり、マクロ的評価の効果は役割のために時期を待つ人々との相互扶助関係になり一体の意義を創造します。覚醒に前後・後先は無く、地球人類が開創する多次元世界では強者も弱者も元々なかったことに気づき、不必要な慣習を精査し消滅させてゆきます。

闇が経済を掌握しコントロールするために、世界のあらゆることは負の評価で覆われています。教育の偏差値、勤務評定、JIS規格などなど、学術的という曖昧な根拠ですべての意識や行動パターンにレッテルを貼って分別してきました。音や光の世界まで貼れる物すべてに貼って覚醒を促すものを選別し隠蔽してきました。

物理環境はそのように管理されてきましたが、この負の評価社会をどんでん返しするには、まさにマクロ評価の観点から社会を見て、その事象を活用してチャンスに変えることになります。ターゲットとなる物理的要素は、人類の日々の生活に密着した金融・経済と統治システムです。

人類に対する鉄壁の支配システムが産業や情報の発達によって市民意識が高まり、狡猾で強引な改革を推し進めてきた「ワン・ワールド構想」の闇が暴露され、予定さていたディスクロージャーが伝播して、マクロ評価システムがライフワークとして定着しソフトランディングさせながら、社会生活すべてが人々にとって“進化の機会”に転換します。

 

道すなわち真理の轍(わだち)

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天地の始めは、これというなんら形のない混然としたもので、声もなく、臭いもない、極めて虚にして、神なる実に無一物の境地でした。道教の祖、老子様は「無名にして天地の始め、有名にして万物の母」と申されましたが、これを表現しようがないので、天地の始めを「〇」にかたどり、万物の生ずる状態を「一」にかたどりました。

ー万教帰一(すべての教えは「一」に帰る)ー

道は大にして無名であります、故に『強いて名づけて道という』のであります。又、道は大にして無形であります、故に『強いて圏「〇」を以ってこれをかたどった』のであります。では、圏「〇」はなんであるかを追求しますと、一の静止した姿でありまして、虚なる「一塊の真理であり、又道の全体であります。一は圏の動いた姿であって、宇宙一切万物を生じる母体であり、万物はその実在の現れであります。これを「一本は万殊に散る』と言い、又『道の達用』と申しております。

圏が動いて一が生じ、一が縮まれば点「・」となり、点「・」を伸ばせば一となります。そこで実に圏と一と点は動静と伸縮の違いであり、変化して極まりないものであります。之を放して拡大すれば六合「東西南北上下、すなわち天地宇宙」を満たし、無際限の状態で伸長するので「一」を以ってこれを表し、又、之を巻いて縮小すれば密(極めて微細なもの)にも蔵められるので点「・」で表現したのであります。拡大すれば大にして外になく、縮小すれば小にして内にありません。故にこの道は天地に行きわたり、一切の万物を含んでいるのであります。実に不可思議な働きをするので『真空妙有』と申されましたが、あらゆる万物の生霊を支配する主宰者であります。

 

ー日本神道の真象も同じー

この主宰者は天にあれば「理」と呼び、人に宿れば「性」と名づけられます。そこで理とは万物の本体を統一するところの性であり、性とはあらゆる物の各々が具有する所の理であります。人々は各々その性をもちながら、その有ることを知りません。若し、この性をお把握することが出来れば、大悟した神聖の境地になられます。然し、これに反して理を迷い、性を把握することがなかったならば、鬼魂の世界に落ちなければなりません。

故に『千経万典は一点に如かず』と申しまして、如何に多くの経典を読んでも、「明師の一点」を欠いては、何もならぬと申されたので、「一点」が如何に大事であるかを知ることが出来ます。この「一点」は、孟子様の四端 『惻隠の心即ち仁の端、羞悪の心即ち義の端・是非の心即ち智の端、辞譲の心即ち礼の端』 を統一し、その中に万善を包含しているのであります。これを図表すれば縦は智と礼になり、横は仁と義になりまして、四端の交差する中心に信があるわけであります。孔子様は 『人にして信なければ、その可なるを知らず』 と申され、人間にもし信がなければ、何事もあてになるものではないと申して、この重要性を説いた訳もここにあります。

キリスト教はじめ古来すべての十字架が示すのは十字の中心の「点」

又、その重要性を縦に書いて「|」となし、横に書いて「─」としたのは体と用(本体とその働き)とを十字の形に現して、その縦には経と理が、横には緯と数が這入るのでありますが、この意味を深く玩味し、探究するならば、誠に極まりないものがあります。故に老子様は清淨経に『大道は無形にして天地を生育し、大道は無情にして日月を運行し、大道は無名にして万物を長養す』 と申されました。道は未だ天地が成立せぬ時、その本体を立てられ、既に天地が形づくられてからは、その運用を拡大して天地万有に及ぼしたのであります。

ー道の淵源ー


【Ray:北朝鮮についでトルコに対するトランプの経済制裁!】トルコ・リラ急落で市場動揺 対米強硬姿勢が「火に油」

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8/13(月) 21:50配信

朝日新聞デジタル

【グラフ】トルコリラは急落が続く

 トルコの通貨・リラの急落が、世界の金融市場を揺さぶっている。エルドアン大統領が米国に対して強硬姿勢を貫き、利上げも拒む構えでいることが、通貨危機に「火に油」を注ぐ構図となっている。各国の株式市場は軒並み下落し、東京でも約2%の下落。通貨安が新興国全体に広がるとの懸念もくすぶる。


 「金利は金持ちを富ませ、貧しい者をもっと貧しくする搾取の手段。私が生きている限り、金利のわなには陥らない」

 トルコのエルドアン大統領は12日、国内の演説でこう強調し、利上げして通貨安を食い止めることに慎重な姿勢を示した。これを受け、13日の外国為替市場ではさらにリラが売られ、一時1ドル=7リラ台の過去最安値を更新した。

 リラ安の原因は、米国人牧師の長期拘束に端を発する米国との対立だ。米トランプ政権は10日、トルコの鉄鋼・アルミへの追加関税引き上げを発表し、リラ売りに拍車がかかった。

 エルドアン氏は12日にも演説で対米強硬姿勢を崩さない意向を表明。10日付の米紙ニューヨーク・タイムズへの寄稿では、米国以外との関係を強化することを示唆した。

 アルバイラク財務相は13日朝、「預金が没収されたり、銀行口座の外貨がリラに転換されたりすることはない」とツイッターに投稿したが、市場の不安は強まる一方だ。

朝日新聞社

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最終更新:8/13(月) 22:48
朝日新聞デジタル

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