2013年03月04日
エンキの誘惑
高官イシムド:エンキに仕える忠実な僕
マルドゥク:エンキの長男。エンキがニンキと結ばれる以前にヘビ族のラクササスの皇女と結ばれて生まれた。宇宙征服の野心を持ち、エンキテ(エンキ一族)の中で力をつけて、イナンナに対抗する。後にラーの神(光の使者)、アムン(隠れた神)と呼ばれる
エリドゥ:第一の都市。アラルにエンキが与えた領土で、アラルの死後エンキは王妃ニンキ(ダムキナ)をニビルから迎えてそこに移り住む。第一の都として栄えた都
シュルバク:第四の都市。エディンの近くで、エンリルが自分の城近くに建てたニンマーの病院周辺をいう。大洪水後そこはニンフルサグによってアダブと改名される
ニップール:第五の都市。シュルバクに隣接したエンリルの領土。大洪水後は「キシュ」と呼ばれる。新しいネフェル(アヌンナキ)の首都に定まる
☆
ニンマーはエンリルとニンニルが結ばれてからというもの、やっと自分の心にも整理がつき、仕事に専念することができた。そんなある日、突然エンキから招待状が届いた。
エンキはアラルに次いで、二番目に地球に到着したアヌンナキであり、義理の父のアラルが死んだあとは、自らがアラルの都だった「エリドゥ」を治めていた。そこに豪華な神殿を構え、女神ニンキを迎えて暮らしていた。
エリドゥから遠く離れた新たな開拓地アブズにエンキは拠点とした。そこには、金を発掘するためにニビルからやってきた多くのアヌンナキ労働者たちがいて、地球最大規模の金の発掘現場となった。その地は「アブズ」とよばれ、彼はニンキをおいてそこに単独で移住した。そして彼は、アブズとエリドゥを自家用シェムで常に往復していた。これはアラルの死後数シャルが経過したころである。
エンリルはというと、レバノン杉に囲まれた城にニンニル(元スド)を迎え入れてからは、その都を「ニップール」と改名した。
比較的平和な時期が続いた。それを見計らったかのように、エンキはシュルバクにいるニンマーにある招待状を送り、ニンマーを誘い出そうとした。
『愛する妹、ニンマーよ。久しく会っていないが、お互いの研究成果を報告し合わないか?
ぜひ、アブズに来てほしい。君が訪ねて来てくれるのを、僕は首を長くして待っているよ』
と、そう書かれていた。
ニンマーはエンリルとの一件があったあと寂しかったので、喜んでエンキの誘いに応じることにして、アブズへの旅の準備をした。
エンキが最初拠点としたエリドゥの館は絢爛豪華だったが、アブズの屋敷は比較的簡素に建てられていた。それでも、湖の畔に建っていて、巨大なコラム(円柱)がそびえ立ち、各々の台は、煌びやかなモチーフがあしらわれていて、湖面はその装飾の宝石でキラキラと輝きを映していた。屋敷の床には、ラピスラズリが張り詰められていた。そこは、ひっそりとして落ち着いた住処だった。エンキは、いつの日かニンマーがここを訪れることを知っていたからだろう。
中央の広間には、天を突き刺すような塔がそびえていた。その塔の目的は、エンキだけが知っていた。ニンマーが訪れると、エンキは大喜びして館を案内した。
「もっと粗末な住まいを想像していたわ。なんて美しいんでしょう!」
エンキはニンマーにそっと近づいて囁いた。
「エンリルのことなんか、もう忘れなさい。僕は君の永遠の恋人だということを、思い出しておくれ!」
エンキは彼女を引き寄せてキスをした。
エンキはエンリルのように巧妙な手口で誘惑するようなことはできなかったが、相手の心の深いところに届く魔力を持っていた。ヘビ族の母親イドから生まれたエンキは、ヘビ族の目で狙った獲物は必ず仕留めることができた。その奥深くから輝く鋭い目で見つめられると、ほとんど女は皆、骨抜きにされる。そんな魅力をエンキはもっている。
ニンマーも最初はたじろいでいたものの、次第に彼の目力に虜になっていった。ほどなくして、二人はアブズのエンキの屋敷で情事を交わした。そのときから9日目に、ニンマーは女児を出産した。それにしてもニンマーとの間に男児をもうけたかったエンキは、再びニンマーを誘った。またしても9日目に女の子が生まれた。
「どうか、お願いだから息子を産んでおくれ!」
エンキはニンマーについ本音をつい、こぼしてしまった。ちょうど彼女をまた誘おうとしていたところだった。
「とんでもないわ! 近寄らないで!」
ニンマーはエンキにすっかり憤慨させられた。エンキに純粋な愛を求めていたからだ。エンキと子をもうけることには抵抗なかったが、彼には正式な妃ニンキがいて、すでに右腕となるマルドゥクまでいるのに、どうして自分との間にまだ息子を欲しがるの、ニンマーは理解できなかった。
ニンマーは、自分がはめられたような気がしてみじめになった。そして、夕食のテーブルで、ふとあることを思いついた。
(エンキを懲らしめてやろう・・・)
彼女は自分の腰につけていたポーチから小さな瓶を取り出し、料理が盛られた皿の上にこっそりと瓶の中の液体を数滴垂らしておいた。
「さあ、あなたの大好物よ、召しあがれ!」
ニンマーが優しくそう誘ったので、エンキは喜んで皿の上の大好物の鶏肉を平らげた。食事後、ニンマーはさっさとシェムに乗り込み、屋敷から去っていった。
(ヘビ族の血が流れているエンキは頑強だから、たった数滴の毒なら命には別状ないはず・・・でも、あの瓶には、いざというときのための強力なトゥルバが入っている・・・)
そのころエンキは、床に倒れてもだえ苦しんでいた。毒は数滴含むだけですぐさま全身に広がり、内臓を燃え尽くすほどの威力がある。その激しい痛みに耐えられずのたうち回割っていると、ちょうどそこにエンキの部下の高官イシムドが入ってきた。
「ご主人様、どうなさったのですか!」
声をかけても動かないエンキを、イシムドは抱きかかえて寝室まで運んだ。しばらくすると、意識は少し戻ったものの、まだ続く激痛の中で声を絞ってイシムドにエンキは伝えた。
「ニンマーを呼び戻すのだ、急いでくれ!」
イシムドは、ニンマーの後を追ってシェムを走らせたが、彼女はすでにシュルバクに到着していた。徐々に怒りはおさまったものの、今度は、エンキのことが少し心配になってきた。ちょうどその時、エンキの使いのイシムドが現れた。ニンマーは彼を見るなりいっしょにシェムに乗り込み、再びアブズのエンキの屋敷へと向かった。寝間では、今にも息を引き取りそうなエンキが横たわっていた。
驚いたことにその場には、ニビルからわざわざアヌが到着していた。彼ばかりではなく、ニンキやニヌルタまでが駆けつけてきていた。そのときになってニンマーは、自分が大変なことをしてしまったと悟った。皆が、じきに訪れるエンキの死を沈黙の中で悲しんでいた。アヌが一言、ニンマーに頼んだ。
「もうこれ以上、兄を苦しめないでくれ、お願いだ、毒を消してやっておくれ!」
アヌの頼みは断れない。いわれるまでもなくニンマーは、治療方法を考えていた。まず、体に回った毒を取り去るための呪文を丹念に唱えはじめ、それを7回彼女は繰り返した。それから自分の腰につけていたポーチから、生命の水が入った小さなボトルを取り出し、7滴ほどエンキの口に含ませた。すると、毒で黒ずんでいたエンキの皮膚はみるみるうちに生気を取り戻し、彼は息を吹き返した。そのタイミングを見計らって、ニンマーはエンキにひと言とどめを刺した。
「二度と私を誘わないで! あなたとはもう会うこともないでしょう」
そういうとニンマーは、一目散にシュルバクへ戻っていった。途中で彼女は、やっぱり自分はアヌから処罰を受けたとおり、夫を持つことができない運命なのかと悲しんだ。
☆
あの事件のあと回復したエンキは、すぐにニンキが待つエリドゥに戻っていった。エンキは妻のニンキとの間だけでなく、方々の愛人たちとの間にも子を多くもうけた。長男のネルガル、ニナガル、ニンギシュジッダ、そして末っ子のドゥムジを次々と五人の息子をニンキは産んだ。
エンリルの方は、ニンマーとの間にニヌルタをもうけてから、ずいぶんたってから正妻ニンニル(元スド)との間に、地球で初めてのアヌ一族の王位継承者となるナンナールをもうけた。ナンナールこそイナンナの父である。そのあとイシュクルという弟君も生まれた。
さて、金の発掘現場では、重労働を課せられていたアヌンナキたちの不満は募る一方だった。彼らは労働交代制にも文句を言い、労働を拒むようになってきていた。もともと、ニビル星人は重労働には向いていないからだ。
このようなことからエンリルは、「運命の石板」をもちいて、一刻も早くニビル-地球間の直行ルートを開発しようとした。その努力が実り、ラームを経由しない直行便がついに可能になった。これにより、採集された金をニビルに輸送する前に、単分子レベルにまで精製する、「バド・ティビラ」という金属都市が誕生した。
その新しい都は、ニヌルタに任せられた。そのうち、中間ステーションであるラームの重要性は薄れてきて、ラームに滞在していたイギギたちは、地位の高い者たちから順にニビルに戻っていった。さらには、新しい直行ルートによって、大量の金がスムーズにニビルに運ばれるようになった。よってニビルの大気圏は修復される兆しをみせた。それにしてもまだ、重労働に苦しむアヌンナキやイギギの反乱は無くなることはなかった。
一方エンキは、アブズの湖の畔にある自分の屋敷の隣に、「生命の家」と呼ぶラボを建てて、ある研究に没頭した。それは、地球の大気と自転サイクルによって、どんな種類の疾病が起きるかといったような、生態圏に関する研究だった。
そんなあるとき、アブズの採掘現場で起きた労働者の暴動を抑えるために、エンリル自らがアブズまでやって来た。このことを知ったアヌンナキの労働者たちは、エンリルと取引しようと、彼が宿泊していたエンキの屋敷を真夜中に包囲した。暴動が起きるのではと恐ろしくなったエンリルは、エンキや息子のニヌルタにも守ってもらうように頼んだ。
結果的にいうと、団結したアヌンナキたちを抗えきれず、彼らを重労働からすぐに解放し、彼ら全員がすみやかにニビルに戻れるように総司令官エンリルは約束させられた。エンリルとエンキはこのことをすぐにアヌに報告したが、アヌからは、まず金を十分に貯蓄することが先だとあっさりと否定された。しかし、アヌも頭を痛めた。
「エンキ、お前はアヌンナキの労働者の現状をよく把握しているはずだ。どうすればいいか、すでにお前は考えているのではないか? 一刻も早く、この問題を解決するのだ!」
実はエンキは、少し前からある解決策を練っていた。
次回は「神と女神の共同プロジェクト」です。