2013年7月6日
Learning Patience
7-6-13
http://www.suzanneliephd.blogspot.co.uk/2013/07/learning-patience.html
Suzanne Lie
今日、しばらく前に書いたこんなものを見つけました。
今週見た夢の中で、私は上昇していた。朝3時に突然目が覚め、頭の中で「たった今、上昇していく夢を見たわ」というのが聞こえた。でも、それがどんな感じか思い出せない。それからトイレに行った。ベッドに戻り、もう一度その感覚を思い出そうとしたけれど、身体があまりにも熱くて集中できない。熱い夜ではなかった。その熱は私の外ではなく、内側から発していた。
しばしベッドに横たわり、私の中の強烈な暑さを感じていたけれど、ついには眠りに落ちた。朝になってその経験を思い出すも、その夢の感覚は思い出せない。幸いなことにその日は鍼の予約をしていたので、治療の時に夢の感覚を思い出すつもりだった。
鍼を受ける寝台に横になり、しばらくすると夢に戻っていった。雲のようなものの中に自分がいるのが徐々に見えてくる。私は直立していて、手は下におろしている。そしてゆっくりと上に上昇していった。でも、すぐに足のところに何かが付きまとっている感じがして、上昇する動きが止まってしまった。
何かを解放しなければならないのだ、と思った。何を解放するのかはわからないし、その何かが重要かどうかもわからない。ただその時重要だったのは、上昇を続けられるようそれを解放しなければならない、ということ。そこで、一度大きな呼吸をして自分にこう言った。「手放して!」 その途端、ゆっくりと、でも着実にまた上昇し始めた。
ところが、またすぐに何かが付きまとってくるのを感じる。今回は何をすべきか、わかっていた。一度大きな呼吸をし、言う。「手放して!」 何度も何度も手放した。何を手放しているのやら、全くわからないまま繰り返した。上昇していくことが一番重要なのだとだけわかっていて、ただとにかく上昇を続けなければならなかった。
ついには上昇スピードが速くなってゆき、付きまとわれる頻度はずいぶん減った。その時、遥か上の方に何かが見える。興奮を抑えながら、未知に向かって上方へ我慢強く浮き上がってゆくた(私は我慢強くはないのに)。思考が頭の中を漂っていたけれど、簡単に無視することができた。そして高次元の強い高揚感を感じ始めた。私の身体はジンジンし始め、ハートは開き、第三の目は私の上にぼんやりとあるものに焦点を絞った。
ついには全ての思考が解放され、私の感情はただ期待と驚嘆の感覚だけになった。付きまとう感覚は完全に消え、ただ解放がずっと続いていた。私はただ「身を委ねる」のみで、それがとても自然な感じだった。私から光が出ていて、身体は極度に熱くなっていた。
その時、上方に光が見えた。朝のほの暗い空に夜明けが訪れた時のよう。光に近づいてゆくと、私の上にあったものがどんどんはっきり見えてきた。それは顔のついたオーブだけど、光がまぶし過ぎてよく見えない。その顔が近づいてきてもまだ見えない。ただ、それが誰かはわかった。それは私だった。私の自己の顔だった。
その週は、あの「私」を思い出した。ただ、日々のドラマや混乱、交通移動の煩わしさ、未払いの請求書などなどを「手放す」ことができた時にしか思い出せない。手放すことが難しいのではなく、手放すことを思い出すのがとても難しい。その夢ではっきりわかったこと、それは日々の生活を送る中で自分の注意の向け先をどこにおくか、一瞬一瞬に無数の選択肢があり、私達は一瞬ごとにその選択をせねばならないということ。
いかなる形のものであろうと自分の平穏をかき乱すものに注意を向けることを選ぶなら、私達は「自己の顔」から離れ、3D生活のドラマや不協和音の中に沈んでゆく。私は完全に変わり、動揺させるようなものには注意を払わなくなった、と言えればよいのだけれど、残念ながらそうではない。自分にもあなたにも正直に言うと、その夢の通りに生きるということに今も挑戦中だ。
だから、今は「何かに付きまとわれている」ことを以前よりも意識している。ただ、そこに陥ってからやっと気づく、といったことがよくある。一方で、即座に手放し、身を委ねることを選ぶことができる時は、自らが選んで日々を創造することができるという自分の能力を十分に意識して使うことができる。
今日まで、とても強烈なエネルギーが到来し続けている。強烈で、速く、混乱を誘い、破壊的な変成エネルギーだ。私達の魂は私達を呼んでいる。同時にエゴは私達の裾に付きまとってくる。私達の次元上昇のプロセスは始まっている。全てのプロセスがそうであるように、一番難しいのは惰性を打破することだ。
だから、私達は毎日何か違ったことをしなければならない。私の父はよくこう言っていた、「長く勉強し続けると間違った勉強になるぞ」と。こうも言った。「何かやりなさい、それが間違っていてもいいから。」 彼が言いたかったのは、いつも正しくあろうとすると行き詰ってしまう。間違いをおかせば、恐怖に焦点を当ててしまったら、それでもいいのだ、ということ。大切なのは、いつかはそんな自分に気づくこと!
常に正しくあろうとするのは私達のエゴだ。私達の魂は全ての二元性を超越して共鳴するのだから。だから、正しいも間違いもない。あるのは行動だけ。私達は行動を通して学び、歩みながら学ぶ。私達はこの次元上昇を創造している!それも、「今」創造しているところなんだ!
ハッピー 10-10-10
これを書いたことを、すっかり忘れていました。実はそんな経験をしたことも覚えていません。私達はこの次元上昇のプロセスには辛抱が必要だと今一度思い出すためにこれを書いています。いらだちは怒りを生み、怒りは恐怖を生みます。恐怖は私達の意識を下げ、私達が無条件の愛に戻るまで次元上昇プロセスは中断になります。
次元上昇の道は、「辛抱」で舗装されています。私達は人間の時間で考える習慣がありますが、実際には時間を抜け出しています。ですから、「時間」の中で思考すると、三次元パラダイムを打破するどころか、そこに縛られることとなります。実のところ、「〜しようと努める」のも怒りを生み、意識を下げることになります。
これまで、たくさんの人々がアルクトゥルス人にこう尋ねました。「次元上昇を促すために、何をすればよいのでしょうか?」アルクトゥルス人の答えはいつも同じです、「あなたの大好きなことをやるのです!」愛は手放す行為です。愛は、信念と委ねに基づいているからです。もし私達が愛の中に身を委ねることができないと、愛は繋がりを経たれて枯渇してしまうのです。
あらゆる人・存在・ものと愛情関係を築いている人−それは夫や子供、友人、動物だったり、庭や仕事、クリエイティブなプロジェクトかもしれませんが−そのような人々は、愛を生かし続けるためにハートとその愛をいつも繋ぎとめていてください。同じく、私達はハートを次元上昇のプロセスに繋ぎとめておかなければなりません。
あなたの次元上昇の経験を書き留めておくと役立ちます。日常でもがいている間にそのような経験のことを忘れてしまうものです。そして、自分の次元上昇の「実際のしるし」など無かったかのように感じたら、何年か前にみた夢や瞑想、一瞬の経験を見返すことができます。そしてあなたは次元上昇しているのだ、と再確認できます。そうすることで辛抱を得られるのです。
さらに、皆さんが愛する人と「時間」を過ごすことが大切であるように、皆さんは大好きな場所や環境に行って自分の自己と時間を過ごす大切さを思い出すことでしょう。私はまさに、そうするところです。私はレッドウッドの林にいるのが大好きなので、夫と行って来ます。
インターネットの環境はあまり整っていないので、どれくらいブログに投稿できるかはわかりませんが、私の無条件の愛と共に自然の中で過ごす感覚も皆さんにお送りしますね。
(翻訳:Rieko)