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【すべては真理探究の道筋】世界最後の謎を解き明かす(ムー大陸探検事典) ~第2章 失われた神々の遺産を求めて、地下都市探検の物語

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                     メキシコのモンテ・アルバン遺跡から出土した地下都市の王ミクトランテクトリ

二〇世紀の世界史に巨大な足跡を残したドイツの総統ヒトラー。彼は失われたアトランティス・ムー文明の遺産が今も地球のどこかにあると考え、秘密のうちに世界各地の洞窟を調査した。『九二〇年代にアメリカやイギリス、ロシア、ドイツが先を争って捜し求めた太古の遺産とは何か。それはイギリスの探検家フォーセットがめざした黄金都市エルドラードに眠るアトランティスの秘宝か。それともムー王国の地下都市に隠された古代カラ族の空艇ヴィマナか。伝説のクルの宝をめぐる水面下の戦いは今なお続いている。

エピソード1 第2章 失われた神々の遺産を求めて/地下都市探検の物語

二〇世紀最後の秘密

「ジー、いま聞いた話を他の人にしゃべっちゃだめだよ。私たち以外の世界があるということをね。」ジーは立ち上がると父親の額に口づけし、笑いながら答えた。「舌は気まぐれだけど、お父様がそうおっしゃるなら、絶対誰にも言わないわ。私の口から何か洩れて、私たちの社会が危険にさらされると心配しておられるなら、いま聞いた話の記憶をブリルの力で頭の中から消してしまったら?」(『来るべき民族』)神秘主義に関する本の中で、一番捜し出すのが難しいものの一つに、『来るべき民族』という奇妙な本がある。イギリスの作家ブルワー・リットンが一八七一年に出版したこの本の内容は、ひとことでいえば、地下の別世界に住む高度な民族の物語だ。そこに描かれた地底人ブリルヤたちはすべて超能力をもち、地上の人類よりはるかに進んだ超科学を駆使するだけでなく、やがて地下から現れて地上全体を支配するよう運命づけられている。今から百二十年ほど前に、すでにレーザー光線やロボット、飛行機械の登場を予知し、現在のわれわれが直面している文明の危機をいち早く見通していたリットンの書は、二十世紀に入ってまもなく、ヒトラーの世界観に大きな影響を与え、ナチの超人思想と超科学、そして第三帝国の誕生をもたらすきっかけとなった。若きヒトラーに多大の感化を及ぼしたドイツの将軍カール・ハウスホッファーの考えによれば、この本にブリルヤとして描かれたユダヤ人はアトランティスの異変とともに地下に隠された太古の遺産を世界支配のために用いているが、この遺産こそはアトランティス直系の子孫であるアーリヤ人、すなわちゲルマン民族のものである。ドイツ人は今こそこの遺産をすみやかに手に入れてユダヤ人の世界支配をくつがえし、アーリヤの栄光ある千年王国を実現しなければならない、というのが彼の持論だった。リットンの死後およそ四十年を経て勃発した第一次大戦はロシア革命とドイツ革命を生み出し、敗戦後のワイマール体制のもとでかつてない敗北感と経済的な苦しみを味わったドイツ人は、ワイマール共和国を指導する少数のユダヤ人に対して不満を抱き始めていた。当時ドイツ共和国の問に根強く広まっていた噂によれば、相次ぐ革命と社会不安の元凶はユダヤ人にほかならず、彼らがフリーメーソン結社員と共産主義者の両方を背後から操って世界支配をもくろんでいるという流言は、またたくまにナチの台頭をうながした。この時代に反共・反ユダヤのスローガンを掲げて慧星のごとく現れたヒトラーは、ドイツの大衆から国民をどん底の苦しみより救い出す英雄として迎えられた。そのヒトラーが、一九二三年のミュンヘン一揆に失敗してランズベルクの獄中にいる時、失意の彼にリットンの書を読むことを勧めたのは、ほかならぬカール・ハウスホッファーだった。

アーネンエルベ

ヒトラーは、一九二五年に自由の身になると、さっそく『我が闘争』を出版し、ドイツ革命によって倒された第二帝国にかわる不滅の第三帝国の実現に向かって、ナチの活動を本格的に開始した。この時期に彼がつくったブリル結社啓明支部(バラ十字会ドイッ支部)は、のちにアーネンエルベとして知られるようになったナチのオカルト局、すなわちSSの秘密部隊の前身となった。彼が最初に手がけたことは、ナチの内部に確固たるゲルマン精神を身につけた親衛隊を組織し、極秘のうちにユダヤ人とブリルヤの秘密をつかむことだった。ユダヤ人の恐るべき才能は、思想、芸術、科学、経済、政治のいたるところで明臼に認められた。共産主義の創始者マルクス、精神分析学の開祖フロイト、相対性理論の提唱者アインシュタインはユダヤ人だった。ロシア革命の指導者レー二ンやトロツキー、ワイマール共和国のエーベルト大統領、アメリカ合衆国のルーズベルト大統領もユダヤ人だった。ピカソやシャガール、チャップリンなどの天才、名優を生み出したユダヤ人は、一方でロスチャイルドやロックフェラー、モルガン、ワールブルクといった世界的な財閥をも輩出している。近代科学の主な発明と発見の歴史に登場するのは、ほとんどユダヤ人だ。ユダヤ人がこのように優秀で、かつてなく豊かになったのはなぜだろうか。彼らは、何かわれわれの知らない秘密をつかんでいるのではなかろうかーヒトラーとナチの幹部たちがそう考えたのも当然だった。アメリカは一九二四年にレーリッヒ探検隊を出し、イギリスは一九二五年にフォーセット探検隊を出しているが、それらのスポンサーとなったユダヤ人があれほどまで熱心にヒマラヤとアマゾンの奥地に興味を示したのはなぜか。それはこの地域に未発見の地下都市があり、そこにアトランティスの太古の遺産が隠されているからではないか。そもそも地下都市がこの地球上にあることはほとんど知られていないが、それはユダヤ人がブリルヤの秘密を独占しようとしてきたからではないのか。ヒトラーとナチの幹部は、ユダヤ人が他の民族よりも優秀なのは地底世界の秘密を知っているからだと考えた。もしかしたら彼らは、地下に眠るゲルマンの太古の遺産をいち早く手に入れたかもしれなかった。

地下都市を発見せよ

ハウスホッファーとヒトラーはただちに地下都市探検隊を組織し、各地に伝わる地底伝説を集めた。ナチの地理学者や考古学者、地質学者たちはブリルヤヘ到る地下道の入口をすみやかに発見せよと命じられた。ドイツとオーストリア、チェコ、イタリアなどの各地にある洞窟と鉱山はひとつ残らず地図上にマークされ、地下都市へとつながる可能性をチェックされた。一二世紀のドイツの騎士タンホイザーが住みついたヴィーナス山中の洞窟はどこか?一二世紀にアルプス山中をくぐりぬけ、六回もイタリアに遠征したドイツ国王バルバロッサの利用したトンネルはどこにあるのか?トイトブルクの森にあるエクステルンシュタインの巨岩の下に秘密の通路はないか?デンマークのクローネンブルタの洞窟はどこまで続いているのか?彼らがボヘミアやズデーテン、トランシルバニア、カルパチアの山中にある巨大な洞窟群に注目していたことはもちろんである。さらに、ギリシアやトルコ、ウクライナ方面の洞窟情報についても、重大な関心を払っていたことはまちがいない。また彼らは、イギリスのフォーセット探検隊やアメリカのレーリッヒ探検隊に関する情報を注意深く分析し、アメリカや中央アジア、アフリカ、インドの洞窟について書かれた報告書を次々と検討していった。一九二六年に始まるナチのブリルヤ探検隊は、一九三六年になると、毎年のように定期的に世界の各地に派遣された。ヒトラーの指導のもと、親衛隊長ヒムラーの責任において派遣されたアーネンエルベの科学者たちは、イタリアやスペイン、トルコばかりでなく、チベットやブラジルの彼方まで調査に出かけた。それらの探検隊のうち、ブラジルに派遣されたグループは、北東マットグロッソのロンカドル山地で無数の地下道からなる迷宮を調査した。また、この地からパラグァイ、ボリビア、アルゼンチンヘと向かった分遣隊は、チリで別のトンネル網を発見した。このときの調査に加わったV・Mという隊員は、ペルーからエクアドルヘ向かい、クエンカの近くでインディオが入口を守る巨大な地下都市を発見している。こうして世界の各地から続々ともたらされ始めた情報と資料は、ナチの記録保管所に集められ、別の科学者たちによって分析されていった。その結果、ヒトラーとナチの幹部が手にしたものは、まさにアトランティスの驚異としか言いようのないものだった!

円盤の謎を解明せよ

「ビシュバカルマとチャーヤーパルシャ、マヌとマヤ、ならびにその他の建造者を見習うこと。これは各種の航空機の製造を可能にするであろう。」・「バーヤバーパラカラナに示したごとく、ヤーサー、ビヤーサー、プラヤーサの力を大気圏の第八層で用いよ。これは太陽光線の闇の部分を機体にひきよせ、敵の視界からヴィマナを隠すために使うことができる。」・「シャクティータントラに従えば、ロイネー光線を投射することにより、ヴィマナの前方にある物体を目に見えるものとすることができる。」・「ダンダバクトラをはじめとする大気の他の七つの力をひきつけ、太陽光を照射した上でヴィマナの中心に送り、断続器を作動させよ。これによりヴィマナは蛇のごとくジグザグ飛行するであろう。」・「ソーダミネーカーラの章もしくは電磁学の説明どおり、ヴィマナの集音装置を用いよ。これによれば飛行中の敵機内の会話と音を聞くことができる。」・「ヴィマナの撮影装置は、敵機の内部を画面に映し出すことができる。」・「ヴィマナの前部にあるつまみを回せば、ディシャーンパティ装置が敵機の接近方向と位置を示してくれる。」・「有毒のアプスマーラをヴィマナ上部の管内に注入し、スタンバナ装置で放出すれば、敵機の搭乗員は意識を失うであろう。」はたしてこれらの記述は何を意味しているのだろうか?ヴィマナとは何なのか?もともとこの資料はどこにあったのか?ここに記されたものは、明らかにこれまでのナチの科学者が全く知らない新型の航空機だった。この文書は、ヴィマナと呼ばれる未知の航空機の性能と操作法を記したものらしかった。チベットのラマ教寺院から発見されたこの文書は、古いサンスクリット文字で書かれていた。ヒトラーは、この報告を受けとるとただちにナチの科学者を招集し、全力をあげてヴィマナの秘密を解明するよう指示した。この文書の不明な語句を解読できそうなラマ教の高僧が、次々と首都ベルリンに招かれた。そして、博学なラマ僧とドイツ最高の言語学者、物理学者、航空技術者が何度も極秘のうちに会合を重ね、不明な語句の意味をひとつずつ明らかにしていく過程ではっきりしてきたことはーこのヴィマナが未知のエネルギーを用いて大気圏の内外を自由に飛行できる超高速の航空機であるということだった。それはまるでリットンの書に登場するブリルヤの乗り物―――ブリルの力によって地底空間を高速で移動する乗り物を思わせた。ナチの科学者が手にしたものは、チベットの僧院に古くから伝わるアーリヤ民族の古い写本で、インドの叙事詩『マハーバーラタ』にも記された大異変によって滅び去った、紀元前の高度な文明の遺産だった。が、この秘密資料に記されているアストラ(ミサイル)やアラタシャ(ロケット)、ククラ(核兵器)、モハナ(催眠兵器)の数々は、何と恐るべき兵器だろうか。

ヴィマナの復元図(ダヴエンポート作成)

一九三九年までに多くの秘密資料を手に入れたナチのアーネンエルベが、その後ヒトラーの作戦計画に合わせてヴィマナの建造に取り組んだことはいうまでもない。彼らの得たサンスタリット文献には、ヴィマナの建造法が具体的に記されていた。その基本構造は、車輪(回転ギヤ)のついた床の中心に空洞軸(磁極)と機械室をすえ、上部を丸天井で覆った円盤であった。ナチの科学者たちは、新兵器を造るに先立って、ロケットやミサイルの実験をしなければならなかった。また、ユダヤ人が極秘に進めているマンハッタン計画に対抗して、原水爆の開発を急ぐ必要があった。しかし、これらすべての開発計画の中でも、新型航空機ヴィマナの建造は、極秘中の極秘計画だった。

エピソードーⅡ

古代カラ族の地下都市文明

「もし、われわれのために捜索隊を出すつもりなら、後生だ、やめてくれ!われわれは最初からそのつもりだったのだ。」一九二五年、イギリスの探検家フォーセット大佐と長男のジャック、そして友人のラレー・リンメルの三人は、ブラジルのマットグロッソ州こつぜん地域のジャングルで忽然と姿を消した。そして、不思議なことに彼らが失踪したあとには、冒頭のような走り書きのメモが残されていた。彼らはロンカドルの山中でアトランティスの大いなる遺産と失われた部族、滅亡した都市を探し求めていた、といわれる。大佐の妻ニナ・フォーセットは、時がたつにつれ、夫はジャングルで野蛮な裸族に殺されたのではなく、重要な秘密を発見したために現地にとどまっているのだ、と確信するようになった。また世間ではこんな奇妙な噂も広がっていた。「彼らは失われた古代都市の跡を発見し、太古に超文明をつくった人々の子孫とともに、地下都市の中で生き続けているのだ」と。フォーセットとほぼ同時代、古代カラ族の遺跡を世界各地に求めていた探検家のチャーチワードが、チベットの奥地で謎に包まれた古地図を発見した。その地図には、南米のアマゾン河がかつてアマゾン海と呼ばれる美しい内海を形づくっていた頃、この巨大なアマゾン海の周囲に、インドのデカン高原でも活躍していた日本人の祖先カラ族(すなわちインドの『マハーバーラタ』で有名なクル族)が「七つの都市」を築いていたことが記されていた(エクアドルやペルーでは、その昔、カラ族の王ステルニが大船団を率いて西の海を越えてやって来たという伝説が今も信じられている)。ただし、「七つの都市」の中で、チャーチワードの地図に場所が明確に載っている都は五つしかない。そのため、「七」という数字は象徴的な意味合いしかもたず、実際には五つの都をさしたものとみなされてきた。しかし、ヨーロッパの秘密結社に伝わっていたもう一つの古地図には、何と、アマゾン海のほとりにある「宝石の都」が第二の都として記されているのだ。これで六つ。さらに、いずれの古地図にも記載されていなかったが、ちょうどアマゾン海の東北海岸にあたるブラジル東部ピアウイ州のセテ・シダデス遺跡を第七の都市として加えれば、古代南アメリカには七つの都市が実在したことになる。しかも、南米には、これらの都がいずれも巨大な地下トンネルで結ばれていた、という伝説もあるのだ。われわれは、これまで報告された事実や資料をもとに、南米の失われた七つの都と古代カラ族の地下都市の位置を割り出すことに成功した。つまりわれわれ日本人の祖先がかつて南アメリカに築いたとみられるカラ帝国の七つの都は、次のような地域にまちがいなく存在する、と言えるようになった。・第一の都……ボリビアのティアワナコ遺跡・第二の都……ペルーとエクアドルの国境にあるアカヒム遺跡(宝石の都)・第三の都……ブラジル・マットグロッソ州南部にある未確認遺跡(黄金の都)・第四の都……ブラジルのサンタカタリーナ州とパラナ州の境界にある未確認遺跡・第五の都……ブラジルとベネズエラの国境地帯にある未確認遺跡・第六の都……ボリビアのラパス東方、第一の都と第三の都のほぼ中間にある未確認遺跡・第七の都……ブラジルのピアウイ州にあるセテ・シダデス遺跡。このうち、第二の都市アカヒムはエクアドルのコトパタシ山南方にあり、われわれはすでにこの地下都市の入口を発見している。また、南米にはこれら七つの都以外にも十八の地下都市遺跡があるが、そのうちの一つはエクアドル第二の都市グアヤキルの近くにある。そしてこの地下都市から出土したといわれる黄金板には、伊勢神宮の奉納文に使われた日本の古代文字で、「ここに我がタルの宝集めしめ、のちの世に伝へて、いしすえたらしめむ」(地球文化研究所・高橋解読)と読める銘文が確かに刻まれているのである。中国に伝わる『山海経せんがいきよう』には、われわれの祖先が世界各地に残した地下都市が「神々の地下の館」として正確に記されている。

 UFOは地底王国から飛来する?

われわれがこれらの地下都市を発見し、失われた日本の太古の歴史を回復する日はいよいよ間近に迫っている。

[アーネンエルベ]

九三三年、正式にはドイチェス・アーネン・エルベ「ドイツの古代遺産」と呼ばれるドイツに創立された民問の文化団体で、二年後にはSS(ナチ親衛隊)長官ハインリッヒ・ヒムラーによってナチス・ドイツの公式機関となり、一九三九年の初め、SSに吸収された。表向きは祖先の遺産及び遺伝問題を研究する団体ということになっていたが、オカルト的色彩の濃い部局で、五〇もの研究部門を持っていた。そこでは、純粋に科学的なものから捕虜の生体解剖、秘密結社研究、オカルト実践などが行なわれ、さらにオカルト的特殊情報部までがあった。

 ヒトラー

[アメリカの地下回廊]

古代世界最古の文明発祥地とみられるアメリカ大陸には、アジアに比べてより多くの地下都市に関する証拠がある。たとえば、古代インカ帝国の首都クスコにあるサント・ドミンゴ寺院の祭壇(かつてインカの太陽神殿があつたところ)の下には、クスコ市街からサクサワマン要塞へと通じる地下回廊が延びており、この回廊はボリビアの国境にあるティアワナコの神殿カラササーヤの下からクスコを経て、エクアドルのクエン力回廊、グァテマラ、メキシコのプエプロ回廊、さらにはテオティワカンのピラミツドの下にまで延びていたと考えられる。エクアドルのクエンカ回廊の入口はいくつかあるが、そのひとつはかつてドイツの情報部に務めていたファン・モーリスが発見したロス・タヨス(太陽鳥洞窟)であり、この一帯には未知の巨大な地下都市がある。また、プエブロ回廊の入ロは一七世紀にグァテマラを調査したスペインの司祭グスマンによって発見されたもので、プチュタのプエプロからテクパンのプエプロまで長さ五〇キロのトンネルがあったといわれる。このプエプロ回廊の別の入口はグァテマラ西部のサンタ・クルス・デル・キチェの近くにもあり、ここからさらにメキシコヘと延びる回廊の先、ハリスコ州カボ・デ・コリエンテスの東一二〇キロ地点やメキシコ・シティの北西一六〇キロ地点には、別の地下都市があるとみられる。このほか、チャビン・デ・ワンタルやテオティワカンの地下、ロンカドルやサンタ・カタリナの山中には、未知のトンネル網と地下都市があるといわれているが、今なお十分な調査はなされていない。

エクアドルのロスタヨス地下都市

[インカ帝国]

一二世紀から一六世紀まで南米アンデスの高地に栄えた謎の帝国。最盛時の領土はコロンビアからチリにまたがり、南北の都市は五〇〇〇キロを"越える""王の道""によって"ひとつに結びつけられていた。首都はクスコ。一五三三年、スペインのピサロによ"って征服されるまで、""太陽""の皇帝""と称した歴代のイ"ンカ女王はクスコに住み、"""太陽の神殿""に仕える最高"の神官として、インカ神権政治を指導した。帝国のおもな住民はケチュア族。日本人によく似た顔をしているプレ前インカの数々の遺産を受けついだインカ帝国の領土内にはティワナコやナスカ、チャビン、クスコ、マチュピチュ、チャンチャンなどの遺跡が豊富にあり、インカ帝国の成り立ちを研究することによって古代世界の謎が次々に解明されると期待されている。

チヤビン・デワンタルの要塞

イン力帝国拡張図(泉靖一作成)

宇宙考古学一九五七年、ソ連の人工衛星スプートニクの打上げ成功によって幕明けした宇宙時代の考古学。アトランティスやムーに関する従来の研究は、以後、宇宙の広がりの中でとらえなおされ、太古宇宙飛行士説として新たな展開をみせると同時に、保守的な考古学界にも古代科学の予想以上に高い水準を見直そうという動きが具体化した。一九六六年までの第『期に活躍したルイ・ポーウェル、ジャック・ベルジェ、P・コロジーモ、A・卜ーマス、A・ゴルボスキーらは、従来知られなかった古代文明の高度な遺産を紹介し、現在の文明を唯【最高のものとする見方をくつがえした。一九六七年に始まる第二期になると、失われた文明の存在を示す証拠がふえるとともに、この文明の担い手と滅亡原因をめぐって新説が続出。世界中に古代ロマンをふりまいたデニケンが異星人来訪説を唱える一方では、何人かの研究者が太古核戦争説の可能性を示唆し、注目された。【九七七年に始まる第三期の特徴は日本においても本格的な宇宙考古学の機運が生まれたことで、二の年以後、『トワイライトゾーン』(旧称UFOと宇宙)や『ムー』、『たま』、『歴史読本』『歴史Eye』など、いくつかの雑誌に興味深いレポiトが寄せられるようになった。一九八七年以降の第四期は、従来の成果を踏まえてさらに実証的・総合的な研究が進められているところに特徴がある。ムー文明を太古a本の宇宙文明として捉え直す見方が最有力。

チチェン・イッツァーの天文台カラコル

[エルドラド文字]二十世紀初頭、『ソロモンの秘宝』の著者として世界的に有名になったイギリスの作家ライダー・ハガードが、南米のインディオから入手したといわれる彫像の文字。【九二五年にアマゾンの黄金都市エルドラードを目ざして行方不明になったイギリスの探検家フォーセット大佐は、友人のライダー・ハガードからこの彫像を譲り受け、その胸に刻まれた碑文を解読しようとつとめた。そして大英博物館の研究者に依頼した結果、その文字は東洋系の文字であろうとみなされたが解読には至らなかった。地球文化研究所では、この文字を日本に伝わるアイヌ文字とトヨクニ文字の混合文として読み、次のような結果を得ている。瑠璃富むカムイの宝は----------を越えた--------(所在地)の中にありけり、フォーセットのマスコッ卜人形として知られるこの彫像の銘文には、南米の失われた黄金都市、エルドラードのありかと、そこに秘められた宝の位置が記されているものとみられる。

フォーセット大佐のマスコット人形 

[エル・フェルテ]

ボリビアのサンタクルス市西方約九〇キロ、標高一六〇〇メートルの地にあるプレ前インカ時代の要塞。その名もスペイン語で「砦」を意味するこのエル・フェルテは、全体の長さ約六五〇メートル、幅三〇〇メートルに近い奇怪な構造をもち、南北の両斜面にきれいに刻みこまれた数段の岩棚、東南斜面に劇場の座席にも似た区画のある不規則な階段がある。岩山の中央部、なだらかな斜面の中ほどから頂上に向かって約三〇メートルの区域には、幅三〇センチ、深さ一ニセンチの溝が二本、およそ一メートル問隔で平行に並び、しかも二本の溝の左右および中間には長さ三三センチの菱形の刻みが一〇〇個ばかり頂上へ向かってくさり鎖状に伸びている。これらの溝と刻み目は、ミサイルのようなものを打ち上げる発射台のように見える。

クスコ

ペルーの首都リマの東方六〇〇キロ、アンデス山中標高三三〇〇メートルの高地にある旧インカ帝国の首プレ都で、市内には前インカ時代からひきつがれた巨石遺構や地下回廊がある。"かつてインカの""太陽の"神殿〃があったサント・ドミンゴ寺院の祭壇の下から市内の地下に抜けるトンネル網は郊外のサクサワマン要塞に通じるといわれ、コロンビアからチリに至るアンデス山脈の地下に造られた大地下回廊の主要な出入り口のひとつであったという。空から見たクスコの形プレが前インカ人の好んだジャガーに似せて設計されているのも興味深い。

航空考古学

二十世紀に入り航空機のめざましい発達にともなって生まれた考古学の新分野。上空から写した航空写真の解析によって神殿や墓、道路の運河など地下に埋もれた遺跡の存在があらかじめわかり、今日の考古学的調査に不可欠の手段を提供している。この分野の発達によってナスカの地上絵やプレ・インカの大運河網、アメリカ中西部の大墳墓群などの存在が次々と明らかにされ、古代史は大きく書き変えられようとしている。特に最近の人工衛星写真は、未知の遺跡を発見する有力な手がかりとなっており、一部では月や火星にすら人工物の跡を認めようとする動きもある。

 

[サクサワマンの要塞]

インカ帝国の首都クスコ郊外、オヤンタイタンボに向かう途中の海抜三七〇〇メートルの高地に築かれたプレ前インカ時代の要塞で、その下にクスコ市街へ通じる、地下道が掘られている。一辺約四〇〇メートルの敷地・に張りめぐらされた高さ約二〇メートルに及ぶ三重の複雑な城壁、そこに使われた大小数トンから数百トンまでの多面体の巨石、それらの巨石をすきまなく組み合わせた技術、そしてこの巨石群を高い山頂まで運ぴ上げた能力は、まさに驚異そのものである。また、周囲の岩山に残る高熱で溶けた跡も謎である。

 クスコのサント・ドミンゴ寺院につながる地下トンネルがあるといわれているサクサワマンの巨石要塞

[ナスカ象形文字]

ペルーの南部、ナスカ川支流のインヘニオ川地域一帯の砂漠に描かれた有名な地上絵。これは一種の絵文字とみなして解読することができる。図は現地で「シャチ」を描いたものとみなされている。しかし、この図形を分析してみると、ここには日本に伝わるアイヌ文字で、チカヲ、ホリケル(地下を掘りける)と記されていることになる。はたして、このシャチの図形の心臓部に地下への秘密の入口があるのだろうか。

ナスカ平原に描かれたシャチの絵

 

日本のアイヌ文字で「地下を掘りける」と読める

[ブラジルの地下都市]

今は亡きホピの長老ホワイトベアはこう語った。「かつてワシ族が最も強力な武器でヘビ族の町を攻撃した。そのとき彼らが用いたのは、電磁力を応用したもので、雷のような破壊力をもっていた。ヘビ族は彼らの攻撃に備えて人々を地下に避難させ、その砦を厚いシールドでおおうとともに、これを電磁兵器で守った。彼らの攻撃が午後になって止んだ時、ヘビ族は敵の攻撃から身を守ることに成功した。そしてヘビ族はワシ族の要塞の下までトンネルを掘り進めたのである……これらのことはすべてクリスタル・ディスクに記録されている。第三世界の誕生の記録は、今も、南米のどこかにある地下都市の中に眠っているのだ。」南米インディオの一部族、モグララ族の長老タチュニカ・ナラも、彼らの神は南米の地下に巨大なトンネル網を造ったと述べており、アカコルやアカニス、アカヒムと呼ばれた地下都市はクスコやマチュピチュの洞窟とつながっていると証言している。タチュニカによれば、これらの古代都市のうちアカヒムと呼ばれた地下都市は、北西ブラジルのジャングル"を見おろす""三つの峰""の"ふもとにあるとのことで、デニケンにエクアドルの地下都市の存在を教えたファン・モーリスも、一九六七年にタチュニカからその話を聞いてロス・タヨスの洞窟を「発見」したのだという。

エクァドルの地下都市から出土したといわれる黄金の人形と円盤

ホピの迷宮

ラビリンスアメリカのアリゾナ・ユタ・コロラド・ニューメキシコ州を中心に、プエブロ・インディアンと呼ばれる人々がいる。プエプロと称される特徴的な家に住むこれらの人々の中でも、ホピ族は昔ながらの儀式や習慣をよくとどめ、古い時代の記憶を今に伝えている。このホピ族が、プエブロ地区の岩壁に描かれた壁画や太古の洞窟画の意味を知っているとみられるのは、特に注目すべきことだ。ホピの伝承によれば、赤"い岩絵は""予言の書""であ"り、その意味を解するホピの仲問たちは、きたるべき第三の地球の滅亡の日にも、これらの絵から正確な情報を得て生きのびることができるという。そしてホピの長老は、ある種の岩絵を見ると、そこにはどんなトンネルがあり、どこへ通じているかがわかるともいう。はたして彼らは、太古の時代に造られた地下都市と地下回廊の秘密を知っているのだろうか。そもそもプエブロ・インディアンは、他のインディアンと異なり、どこから現在の居住地にやってきたか謎である。彼らが南米のアンデス山中にあるクスコやマチュピチュのことをよく知っているのは信じがたい話であるが、フランク・ウォーターズの『ホピの書』やデニケンのホワイトベア会見記などによれば、.彼らは南方の"""赤い都市""をめぐる戦いを"逃がれてこの地へやってきたという。"その""赤い都市""とは南""アメリカの""七つの都市"""のひとつであったのだろうか。ホピの記憶によれば、彼らがその昔二の都にいた頃、突然包囲されて集中攻撃を浴びた。その時ホピの守護者であるカチナはすばやくトンネルを掘り、彼らを敵の背後の安全地帯に導いた。ホピはカチナの造った南米の地下トンネルを通って北アメリカにやってきたという。それは全くありえないことではない。カチナは、ホピによれば、人間や地球の他の生物と異なった存在で、ロボットのようなものと考えられる。ホピの岩絵に描かれたカチナは、チリ北部のタラパカル砂漠やペルー南部のモレンデ郊外で発見されたロボットの岩絵とそっくりである。これらは、ホピ族が彼らの守護者を記念して地下回廊の入口に残したものではないだろうか。もしかしたら、ホピ族の祖先がかつて築きあげた巨大な地下都市とトンネル網の秘密は、ラビリンスの伝説とともに古くから伝わる謎の迷宮紋様のうちに隠されているかもしれないのだ。エクアドルの地下都市の入口(太陽鳥洞窟)に近いクエンカのあたりで使われている迷宮図や、アルゼンチンのサンタクルス、ネウゲン地方に残された迷路文様は、いずれもホピの伝統的な迷宮紋様とよく似ている。これらの迷宮文様は地下都市とそこへ到る複雑なトンネル網に関する情報を与えてくれるのではないかと予想される。もし読者が世界各地の洞窟とその周囲に残された迷宮紋様との関係を組織的に調査すれば、これまで全く知らなかった太古の世界の歴史を明らかにできるのではないだろうか。

ホピの迷宮 アメリカ合衆国のアリゾナ・ユタ。ニューメキシコ・コロラド・ワイオミング州にある迷宮の入口

マチュピチュ

インカ帝国の首都クスコに近いアンデスの山頂三〇〇〇メートルの高地に築かれた謎の神殿都市。月の宮殿からワイナ・ピチュの頂きに向かうと左手に太陽の神殿、その先に日時計と呼ばれる巨石遺構および中央広場がある。推定収容人口二万人の居住施設をもつこの都市の随所には今も不可能な巨石加工の跡があり、また都市全体が霊鳥コンドルの形になぞられて設計された可能性がある。一九二年ハイラム・ビンガムが調査を開始して以来知られるようになったこの山頂都市は、巨石運搬技術の謎など今なお多くの秘密に包まれている。

 謎の空中都市マチュピチュ

[マヤの地底王国]

キチエ族の聖典『ポポル・ヴフ』によれば、メキシコおよびユカタン半島には、オルメカ・マヤ時代に"""シバルバー""とよばれる地"下帝国があったという。シバルバーは険しい段々道を下った谷底の低地の奥深い地下にあり、そこには"""闇の館""や""寒風の館""、""ジ""ャガーの館""や""コウモリ""の館""、""剣の館""、.炎の館"""などがあったといわれる。、シバルバーの人々は、キチエ族からドゥクール(みみずくH悪漢)または悪魔と恐れられ、実際にアルタ・ベラパス州の州都コバンの近くにあるイッツァ族の地、カルチャフの谷の地下に住んでいたと考えられている。チチェン・イッツァーにカラコル(天文台)を築いたオルメカ・マヤ系のイッツァ族は、『チラム・バラムの"書』などによれば、""七つの""洞窟""のある.七つの谷(地""下の穴)""の町トゥランにい"たと伝えられている。この伝説は、カルチャフの谷にイッツァ族の地下都市トゥラン・スイヴァ(シバルバー)があったことを意味しているかも知れない。

[南アメリカの要塞]

南米にはチャビン・デ・ワンタルのカステイーヨをはじめとする未知の要塞がいくつもある。ピーター・コロジーモが宇宙船の機密構造をもつと指摘したチャビンの要塞は、七五×七ニメートルの広さをもつ石造の大建築物で、内部にある三つの部屋に新鮮な空気を送りこむための特別な換気装置がついているほか、別の要塞へ通じるとみられる秘密の地下道を備えている。東大教授の泉靖一(故人)は、一九五八年にこの遺跡を訪れた時、一番奥の石室の下に未知のトンネルがあることを確認し、入口の床石をはずして中に入ったが、「二〇分ほどかかっても出口らしいものに到達できなかった」ため、調査をあきらめてしまった。はたしてこの地下道の奥に何があるか、それはどこへ通じているのか?

チャビン・デ・ワンタル遺跡の平面図(ルンブレラス作図)

 チャビン・デ・ワンタルの地下回廊

[ラスト・バタリオン]

南米チリのエスタンジアや南極の秘密基地を拠点として、いま、第四の地球帝国づくりをめざしていると"いわれるナチス・ドイツ"""第三帝国の生き残り部隊。ヒトラー最後の地球制圧部隊で、第三次大戦の結果消耗した米露両国を同時におさえ、これまでだれも果たさなかった世界帝国を一挙に樹立する任務をもった"""見えざる軍隊〃のこと。"一九四五年の二月二五目、ベルリン陥落の約二ヵ月前にラジオを通じて流されたヒトラーの演説にも登場する。「いつの日か東(ロシア)と西(アメリカ)がぶつかり合う日が必ずやってくる。その時、戦いの結果を左右する決定的役割を演ずるのは我々ドイツの"""ラスト・バタリオン"である。」ここにヒトラーが予言"した""ラスト・バタリオン""とは、最終戦争を勝"利に導く最後の決戦部隊という意味をもち、SS(親衛隊)の関係者の中でも特にすぐれた素質をもつ人たち二五万人で構成されたといわれる。このラスト・バタリオンがどのように連合軍のきびしい包囲網を突破して南米に到着したか、その後四五年問、なぜユダヤの世界的情報網にもかかわらず存在できたかは大きな謎だ。しかもドイツのラスト・バタリオンは、いま、米露の秘密兵器ではないかと噂されているUFO(未確認飛行物体)、つまり円盤型航空機を五十年以上前から開発し、実用化することに成功しているという。

ヒトラーの開発した円盤

おお、天と地の父よ…汝(太陽)はその経路をいずこに変えたるやなにゆえオリンポスの真昼をにわかに夜となせるや…-昼どきの農夫はいまだ疲れざるに夕げのとき至れるを驚き牛を連れて立ち去りぬセネカ(『テユエステース』) 


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