レジスタンス・ムーブメントの真実
黄金伝説はエジプトのピラミッドのようにのろいがかかっているといわれます。のろいを演出しているのはもちろん宝物のゲートキーパーですが、神なのか住民権をもたない人なのかの問題ではありません。大切なのは「私の金鉱を見つけるには牛舎の前を通らなければならない」「金鉱の入口には夕陽が差し込む」というアメリカ黄金伝説の一節です。
牛による臨済宗の僧の諭しである十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされていますが、本流である達磨大師から慧可(禅宗の初祖:中国名は神光)に伝承された道から外れた臨済宗の僧の諭しでした。彼らは機会を得て(天の恩恵)後の世のために真理の印象を遺す役割をしました。
尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。 見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。 見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。 得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。 牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。 騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。 返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。 入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
牛を題材にしたものには長野の善光寺があり、庶民に親しまれ「牛にひかれて善光寺参り」が盛んでした。また牛頭天皇が頭に角があることで知られていますが、八坂神社に祀られているスサノオノミコトなどなどさまざまな逸話が遺されています。「金鉱を探すには牛舎の前を通らなければならない」と言う遺言には上図のように悟りの道筋を経なければならないという解釈に行きつきます。闇の高度な情報や技術をしても黄金にはたどりつけないところに天の力がうかがえます。
「金鉱の入口には夕陽が差し込む」は、日の出国の古事記では、誓約で身の潔白を証明した建速須佐之男命は、高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。他の神は天照大神に苦情をいうが、天照大神は「考えがあってのことなのだ」とスサノヲをかばった。しかし、天照大神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。ここで天照大神は見畏みて、天岩戸に引き篭った。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神の案により、さまざまな儀式をおこなった。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。鍛冶師の天津麻羅を探し、伊斯許理度売命に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた。玉祖命に八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた。天児屋命と太玉命を呼び、雄鹿の肩の骨とははかの木で占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八咫鏡と布帛をかけ、フトダマが御幣として奉げ持った。アメノコヤネが祝詞(のりと)を唱え、天手力雄神が岩戸の脇に隠れて立った。天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。

これを聞いた天照大神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と太玉命が天照大神に鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思った天照大神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていたアメノタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。すぐにフトダマが注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうして天照大神が岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。八百万の神は相談し、須佐之男命に罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した、とあります。・・・ウィキペディアより
日本の信州地方にはさまざまな黄金伝説がありますが真実はさだかではありません。牛にひかれて(岩戸が開き(夜明け前)、日が差したらこの世紀の秘密はおのずと明らかになると伝えているのは確かです。
ハザールマフィヤの牛の象徴
(赤子を胸に抱いていることに注視してください)
今世界で起きていることによって世界の善男善女が目覚めてはじめています。
アメリカ・アリゾナの黄金伝説の根源もやはり日本にあります。
私たちが世界に何を伝えてゆくかという問題を提起しています。
歴史に隠されてきた黄金伝説はみなさんが立ち上がることに資して、普遍的な公共経済の礎になります。
10/7(土) 8:20配信

もし金鉱が実在したとしても、彼らの屍を踏み越えて採掘するにはかなりの勇気がいるに違いない。(Photograph by Ashiga/Shutterstock)
戦乱や災害、盗難や事故などで失われた大切な人類の財産。王室や貴族の秘宝に加え、貴重な絵画、音楽、文学などの芸術作品、古代の文明や都市、伝説上の人物、特殊な技術や知識に企業秘密……。ナショナル ジオグラフィックの『絶対に見られない世界の秘宝99』は、そのような失われた財産の謎と、秘宝探索の手がかりに迫る書籍だ。ここではその中から、「ロストダッチマン鉱山」の物語を紹介しよう。
「迷信山地」のどこかにロストダッチマン金鉱は、一獲千金を夢見るトレジャーハンターたちを、今も引きつけてやまない。その場所についてはさまざまな推測があるが、言い伝えによれば、アリゾナ州にあるスーパースティション山地のどこかだという。「スーパースティション(superstition)」とは「迷信」の意味。伝説やら謎やらが渦巻く場所に、これほどうってつけの地名があるだろうか。
ジェイコブ・ワルツはダッチマンと呼ばれていたが、実はオランダ人ではなかった。1810年にドイツで生まれ、1839年に移民として米国ニューオーリンズに渡ってきた。その後、金鉱で働きながら1861年に米国籍を取得、1868年あたりからはアリゾナ州のスーパースティション山地で金鉱探しの仕事を請け負っていたと見られている。
1891年にワルツが死ぬと、少しして彼の晩年の世話をしていたジュリア・トーマスという女性が金鉱探しの一行を率いてスーパースティション山地へと向かった。ワルツが彼女に何を話したのかはわからないが、ジュリアが金を見つけられなかったことだけは確かだ。
やがて彼女がいい加減な宝探しの地図を売る小さな店を始めたのも、失敗に終った金鉱探しの費用を穴埋めするためだった。1895年を迎えるころには、ダッチマンの消えた金鉱の話は勝手に独り歩きを始めた。その一つのきっかけは、フリーライターのP・C・ビックネルが次々と書き下ろしたセンセーショナルな記事だ。彼はジュリア・トーマスに大金を払ってインタビューし、想像で話を膨らませていった。
物語には次第にこと細かく尾ひれが付き、金鉱には呪いがかけられているという話まで加わった。ワルツが残した宝の在りかの手掛かりだという謎の文言も盛り込まれた。例えば「金鉱掘りには私の金鉱は見つけられない」「私の金鉱を見つけるには牛舎の前を通らなければならない」「金鉱の入口には夕陽が差し込む」などだ。
金鉱探しの騒ぎの中で命を落とす者も多かった。アドルフ・ルースという人物は1931年に行方不明になり、5年後に発見された彼の頭蓋骨には2発の銃弾で打ち抜かれた跡があった。

『絶対に見られない世界の秘宝99』(日経ナショナル ジオグラフィック社刊)
地質学的にいえば、スーパースティション山地に金鉱が存在する可能性はあまりないが、アリゾナ州全体には有名な金鉱地帯が点在している。ロストダッチマン鉱山は本当にあったのだろうか。存在をはっきり否定する決定的な証拠が見つかるまでは、多くの人々が金鉱の存在を信じ続けることだろう。
※ナショナル ジオグラフィック『絶対に見られない世界の秘宝99』を一部抜粋して再構成