2014年02月08日
読者の皆さん、こんにちは、ソウルカメラです。
今日は「スピリチュアルとお金」についての話題、というか「問題」についての、私也の見解または持論をお伝えしようと思います。
その前に先ず、ここで読者の皆様に、ハッキリとお伝えしたいと思っていることがあります。この「ソウルカメラのブログ」というフィールドは、メインである「チャネリング・メッセージの翻訳発信」を含めて、「フリー・サイト」であることは、今後も変わりません。「フリーサイトが、アクセス数の上昇にともなって、いつの間にか 何らかの有料システムに結びつく、あるいは、ドネーション(自由献金)を設置する」ということは、ありません。というか、「ない」ことに決心しています。これは本当に私の、いわば「ライトワーク」の一環であり、「無私のワーク」でもあり、そこに注がれるエネルギーの報酬は、作業それ自体、そして、声の有る無しに関係なく、皆様からのハートの支援、励まし、ラブコールです。少なくともこのフィールドに関しては、この素晴らしい流れを、三次元的な古いパラダイムのシステムで濁したくありません。皆様が表現してくださった声が、その決意を新たに固めてくださいました。読者の皆様に「ソース」からのメッセージを流す(共有する)単なる中継導管として、今自分に出来る貢献に導かれているだけですので、それが「届いている」ということだけで、それ以上のことはありません。受け取ってくださってありがとうございます!それだけです。
ですから今後も、共振するソウルの方々への、それぞれのワークの支援の一端になることだけが、このブログの趣旨ですので、そして、それが「自分自身への貢献とスピリチュアルな成長へのチャレンジ」でもありますので、どうか、安心してこのブログをご利用ください。お付き合いください。
とはいえ、私の「スピリチュアル活動」は、「趣味」などではありません。年金受給者でもありませんし、生活保護を受けてもいませんし、貯金があるわけでもありません。「何事も、金銭収入に結びついていなかったら、『趣味』の域と価値でしかない」という言葉は、よく語られることで、私も尤もなことだとその考え自体にはうなずきますが、一方、その考え自体も肯定されつつ、しかしあまり「ハートを歌わせるもの」とも言えず、このパラダイム自体が次のパラダイムへの移行期にあると、私には感じられます。「移行期」、つまり「パラダイムの転換」というのは、「大変」なことです。「この新しいパラダイムへの移行に『参照点』はない」ということは、多くのチャネリング・メッセージでも伝えられていることです。
「参照点」がないということは、「参照点がない存在」や「参照点がない活動」が、「パラダイムの転換期」には今後重要な要素になっていく、というのが、私の考えです。これは、ある意味チャレンジングなことです。何故なら、そういう存在、そういう活動を、これまでのパラダイムで何と呼ぶかというと、「愚か」、すなわち、人呼んで「大馬鹿もの」ですから(笑)
ですが、この大変な移行期であるからこそ、なるべくのソフトランディングが望まれるべきであり、だからこそ、旧パラダイムとのバランスを保つ「参照点のある存在/活動」も、同じく大変重要な要素となります。現在、人望があったり人気があったりしている日本国内のスピリチュアル・ワーカーの方々というのは、そうした方々です。これもお役目の方々です。
そうした方々の一人で、私自身は余り詳しく存じませんが日本国内のスピリチュアル・フィールドの「大家」でもあった方が、2014年1月、お役目(参照点のお役目)を果たされたのでしょう、肉体をお去りになりました。これは、象徴的な出来事であると、私は思っています。
そのF氏がそうでしたが、国内で現在人望と実績を兼ねて、人々の「精神世界のランドマーク」として人気がある方々は、経済、つまりマネーや事業の世界に精通しておられる方や、または「理系」の方が多い、と知りました。
これも一つの必須の流れであり、「仕組み」であったのだと思います。
ですがどちらかというと「文系/芸術系」(実は文系理系というのも、二元的な言葉ですが)の傾向がある私は、以前このことを分析して、「エゴ」や「マインド」による、ある意味「批判的」な見方をしたことがありました。
「バブル時代に成功組だった人達が、まさにそれを可能にせしめた先見性で、次は『精神世界』が有望株と見て、またはそうせざるを得ない状況を見て取って、首尾よくマネーからスピリチュアルに乗り換えた人達である。つまり、この流れは、ツールをマネーからスピリチュアルに変えただけの、『精神世界バブル』に過ぎず、根本的なパラダイムの転換には届かない」と。
つまりあまりポジティブとは言えない見方をしていたのです。
そして、それは「事実」なのです。
しかし、この流れが、ちゃんと「仕組み」に適ったことであることを後に得心し、「宇宙」は、「神」は、私のちっぽけなエゴやマインドでは計り知れない動きで進んでいることを知り、これに対する「ネガティブ」な見方を、捨てました。
このことを、次の記事で解説します。
愛を込めて
ソウルカメラ