このごろの「礼節」は「ありがとう」と言う言葉がはやっています。
ある町では、お早う、こんにちは、今晩は、の挨拶はみんなの宝・・・とう言う標語が掲げられています。
消費時代が過ぎ、「楽しみ」も変り、デパートやスーパーでさえ298円セールとか安い印象の価格設定の薄っぺらな投げかけにもかげりが見られ、ネットなど上代を大幅に引き下げた良いものが人気で、一店舗の限られた品物よりもあらゆる品物と価格を比較できるネットショッピングの方に人気があるのは至極当然です。
コンピュータが苦手な高齢者のピーク2030年の前に買い物の形態が変わってもっと斬新な新しい生活形態も生れることでしょう。
楽しみと言えばそのほかにも旅行やアート・スポーツみんな「多様化」という名目で変ってきていますが、見方によっては崩壊していると言えます。
この変化の中で学んでいることは、今までのように押し付けの社会・押し付けの消費生活、商売人の邪な押し付けプランではなく、それによって長年にわたって鍛えられ精錬されてきた自分自身の選択が純熟して、礼儀にしても楽しみにしても、自分にとって礼節や楽しみそれぞれの本質を悟るべきです。
例えば「ありがとう」と言う言葉は、感謝と言う意味をあらわしていますが、本来は「有り得ないようなこと(有得難し=ありえがたし)」の意味から庶民化したもので神聖な語源の意味からすると「道を得ること」であり、それが「有得難し(絶対ありえない)」と言う意味になります。
その“有り得ない”時が来た今、「ありがとう」と言う言葉が頻繁に使われ人々の心の交流の触媒になっている状況はデジャブ的な不思議でありがたい光景ですが、心の中では「ありえない時期が来ています」と発したいところです。
井戸は必ず源泉に達するまで掘ってはじめて深く掘った意味があるように、人の智慧や行動も必ず到達してはじめて本位に到達した真の造詣(ぞうけい)といえるわけです。
創造の源泉である道の軌道をなす者は、志を成就できずまるで高い山に登る者が頂上に到達する前に力尽きてしまうことを最も忌むべきです。
神聖な道と俗事は、その根元が交錯していますが、これはみなさんの智が試されていることで、信ずる心に打撃を与え失望し脅威を受けることは忍耐力を磨くことになります。
つまり、世の中に失敗はなく、あなたがまだ最も良い方法を見出していないだけなのです。