天曰く・・・
一件のことが生ずれば、その中にもまた必ず目に見えない無数の事柄と繋がりがある。
今は、決して肉体に依って生きているのではなく、霊体によって生きているのである。
但し又、この肉体を借りて、この世界の毎一刻、毎一種の環境や情節(事情)を感受し体得しなければならない。
故に、人は霊性が肉体に投入した時、とても容易に肉体の感官の世界に惑わされてしまう。
ゆえにあなたは、本当の我についてどのような面目であるのかを、容易に了解できなくなってしまう。
だんだん自我がわからなくなってしまうと同時に、人類はまたお互いの間でだんだんと、垣根や心の壁、虚偽や罪過をつくる。
本来学習するべきもの、互いに成長するべきものが、却って互いに恨みを報いあい、因果は断えない。
つまり、この世界がいくら乱れても、みな真理の主宰にある。但し、真理の表現は何を用いて顕すのか?
因果とは便ち、一種の相を顕す一種の方法であり、あなたが好い因を植えれば、好い果を得る。悪い因なら、当然悪い果を得る。
世界がもしもますます悪劣で、ますます悪性な循環に変還するなら、最後に到り、一つの新しい秩序が作られる前に、一つの大毀滅をもたらし、もって再度、平衡を求める。
現在人類は正に、この平衡が間もなく崩壊し破裂して、挽回することが出来なくなる時のその一つの前に一刻に身を置き、最も原始の平衡点を必死で求める必要がある。
この様である以上、あなたが理解しなければならないのは、人がこの世の中に来て、どうしてこの様に複雑な変化があるのか?どうして各霊体は異なった面貌が生じるのか?
を理解しなければならない。
2003年春