人生で故郷に帰省するドラマは鮮明な記憶です。
そして母との再会を思い何度も涙に暮れたことでしょう。
その瞬間、母の目を見て照れ隠しした思い出があります。
人生は「母と私」の関係に集約されるのかもしれません。
仏教詩人の坂村真民さんの「もっとも美しかった母」という詩から、「全ての源である神との再会」がどのようなものなのか、ちょっとだけ感じてみようと思います。
もっとも美しかった母
もっとも美しかった母の
その姿がいまもなお消えず
わたしの胸の中で匂うている
きょうはわたしの誕生日
わたしに乳を飲ませて下さった最初の日
わたしはいつもより早く起きて母を思い
大地に立って母の眠りいます
西方九州の空を拝み
満天の空を仰いだ
その日もきっとこんなに美しい
星空だったにちがいない
よく母は話してきかせた
目の覚めるのが早い鳥たちが
つぎつぎに喜びを告げにきたことを
その年は酉年だったので
鳥たちも特に嬉しかったのであろう
そういう母の思い出のなかで
わたしが今も忘れないのは
乳が出すぎて
乳が張りすぎてと言いながら
よく乳も飲まずに亡くなった村びとの
幼い子たちの小さい墓に
乳をしぼっては注ぎしぼっては注ぎ
念仏をとなえていた母の
美しい姿である
若い母の大きな乳房から出る白い乳汁が
夕日に染まって
それはなんとも言えない絵のような
美しい母の姿だった
ああ
いまも鮮明に瞼に灼きついて
わたしを守りわたしを導き
わたしの詞と信仰とを支えている
虹のような乳の光よ
春の花のような乳の匂いよ