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朝日新聞:パリを訪問している希望の党代表の小池百合子・東京都知事は23日、キャロライン・ケネディ前駐日米大使と対談し、惨敗した衆院選について「都知事に当選して(女性の活躍を阻む)ガラスの天井を一つ破った。都議選でもパーフェクトな戦いをしてガラスの天井を破ったかなと思ったけど、今回の総選挙で”鉄の天井”があるということを改めて知った」と語った。
この”鉄の天井”とは明らかにベンジャミン氏が言う”闇のハンドラー、リチャード・アミテージとそれを操る日本の闇”の正体です。小池百合子代表がキャロライン・ケネディをまえに宣戦布告した意味は、下の横田由美子女史のレポートに”異常とはおもえないほど異様な選挙”として滲み出ています。と同時に今回の選挙戦は闇の行き詰まった動きがそのまま各党首の言動に顕れていますが、闇の策が選挙民の動向に自らの方針を堅持しながら流動的に事態に応じる力の”勘違いとそのおごり”が、小池し始め国民や政界に新しい動きを造り出している重要性に気がついていません。この政変を通じてそれぞれが”あたらしい勇気,使命をもった者の確信”を引き出す歴史的な直感・感動を味わいつつあることです。それに対して闇の欠点は自分たちが最も優れているというコンプレスを抱えているため意識レベルを上げるには行き着くところまでいかなければならないという宿命をかかえていることです。この時を境にして”闇の内部改革”を進めるハンドラーとその実行者は思惑とちがうマジックに引っ張られてゆきます。もちろんキャロライン・ケネディにしても選挙民にとっても・・・。「今」は、まさに過去から未来にシフトしている避けられない”希望”のときです。
2017.10.25
埼玉県生まれ。青山学院大学卒業。週刊誌、月刊誌などを中心に、主に政治、官僚、ビジネス、女性をテーマに記事を執筆している。著書に『私が愛した官僚たち』(講談社)『ヒラリーをさがせ!』(文春新書)などがある。
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10月22日、日本列島には季節外れの超大型台風21号が接近、深夜から翌23日の明け方にかけて直撃するとみられていた。まさにその頃、別の“超大型台風”が永田町を直撃していた。
この日は、首相の安倍晋三が仕掛けた “電撃解散”に伴う、衆議院総選挙の投開票日。当初、東京都知事の小池百合子が立ち上げた「希望の党」が、 “台風の目”となって野党再編を起こし、自民党に迫る議席を獲得するのではないかと見られていた。ところが、選挙戦に突入するや希望の党はあっという間に失速、結果は強い暴風雨に吹き飛ばされ、死屍累々の有り様だった。
開票日に代表不在という異常事態が異常とはおもえないほど異様な選挙
開票が始まった22日午後8時、東京プリンスタワーの地下に設置された、希望の党の開票センターには、代表である小池の姿はなかった。都知事としての公務で、フランスのパリに出張していたからだ。
総選挙の開票日に党代表が不在というのは、これまで聞いたことがない異常事態。だが、それを異常だとは感じられなくなるくらい、今回は小池という一人の“女性政治屋”がかき乱し続けた異様な選挙だったと言える。
それなりの記者が集まっていたものの、重苦しい空気が漂っていた開票センターにいた私は、会場に設置されていたテレビカメラを見ながら、10年前に防衛省で小池が起こした、ある抗争に思いを馳せていた。小池という政治家を大きく変えるきっかけとなった出来事だったからだ。
防衛省での抗争で退任それでも「I Shall Return!」
それは、防衛省の人事をめぐり、防衛相だった小池と、“防衛省の天皇”と呼ばれていた次官の守屋武昌との間で起きた争い。小池は守屋の首を取ったものの、官邸までも巻き込む形で騒動は大きくなり、結果、小池は就任からわずか2ヵ月にして退任に追い込まれた。
その際、本人はどこ吹く風といった雰囲気で、濃密な百合の香りがあふれる議員会館の自室に多くの防衛、安全保障関係の本を積み、「I Shall Return! !」という名言(迷言)を掲げ、「防衛大臣として必ず市ヶ谷(防衛省)に戻る」という執念を隠すことなく語っていた。
しかし、その後のインタビューで小池は、「一兵卒でやると言って身を退いたら、本当に一兵卒だったわね」と、退任後の冷遇ぶりに対して愚痴をこぼしたことがある。またその頃、周囲に対して、「永田町では、女は男の10倍働かないと認められない」とも漏らしていた。
権力や要職からひとたび離れてしまうと、再びそこにたどり着くまでには長く困難な道のりが待っていること、そして女性であるがゆえの苦労を、抗争の経験を通じて身を以て知ったのだろう。
自民党総裁を目指したころから女性初の大物政治屋に
この頃から、小池は一か八かの“奇策”に打って出るなど、大きく変わった。特に、挽回を図ろうと、女性初の自民党総裁を目指し始めてからはなおさらだ。恐らく、加齢の恐怖もあったはずだ。男は年齢と共に社会的な地位を盤石にしていくが、女の場合は逆だし、自慢の美貌も衰え始める。恐怖は往々にして人を冷徹にする。この頃から、小池も人を斬ることに躊躇がなくなるなど、冷徹な一面を見せ始めていた。
一方で、権力に対する執着を見ていると、小池はある時から「権力さえつかめば、男女に違いはない」ということを理解したのではないかとも感じる。小池の挑戦の多くは失敗に終わり、幾多の辛酸も嘗めたが、その経験を武器にアピールとプレゼンテーション技術に磨きをかけ、策謀をめぐらす女性初の“大物政治屋”となっていった。その結果、東京都知事選挙と、それに続く都議選で成功を収めたのである。
だが、今回の総選挙を振り返ってみると、小池のめぐらせた策謀は、民進党を分断させるなど混乱に次ぐ混乱を招いただけでことごとく失敗。その過程で、無謀な戦略や、強い権力志向についていけなくなった議員たちの心は、小池から離れていった。そして「排除」という配慮のない言葉を使ったことが決定打となった。
22日当日、希望の党の発足メンバーだった一人に、「今日は東京プリンスの開票センターには来ないんですか?」と尋ねると、「そんな話もあったけど行かないよ。地元の選挙事務所に決まっているでしょう。緑のおばさん?今や、誰それ?という感じだよ」と、怒りを静かに炸裂させていた。
翻弄された樽床、細野そして民進党の前原
小池の代わりに開票センターに登場したのが、急遽、代表代行に指名された樽床伸二と、チャーターメンバーの細野豪志だった。ちなみに細野の名刺には、「代表補佐」という肩書きが当初プリントされていたが、赤い二重線が引かれており、すでに“逃亡”する位置についたのかもしれない。
背後のボードにはぱらぱらとしか緑の薔薇がつかず、樽床も細野も苦虫を噛みつぶしたような表情だった。樽床は、着席するとこわばった顔で真正面を見据え、希望の党が“台風”となって作り出した多くの混乱を、「企業に例えますと、中小企業の船出のようだった」と総括した。
だが、途中からは、あまりに増えない薔薇の数を見てあきらめの境地に達したのか、二人の硬い表情は崩れ、最後には笑顔が出始めていた。
一方、小池によって融解させられた永田町の民進党本部。テレビモニターが1台だけ設置された会見場では、代表の前原誠司が淡々とテレビの生中継に出演していた。こちらも記者はそれなりに集まってはいたが、希望の党同様にどんよりとした空気が漂っていた。
この日は、前原が代表になって52日目。時計の針が日付を超え、53日目となった時に、記者会見が始まった。
「政治は結果が全て。今回の結果は非常に厳しく、真摯に受け止めたい」と総括し、「希望の党を中心に大きなかたまりを作るということはいったん見直さなくてはいけない」と、民進党全体での合流断念を表明。再来年の統一地方選挙、参議院選挙に向けて方向性を向けて考えていくと述べ、一定の期間後に出処進退を明らかにすると話した。
そしてその日の未明、ついに台風が上陸。小池、そして前原も、まるで台風の暴風雨に吹き飛ばされたかのようだった。
解散直後に逆風が吹き、大きく議席を失うとまで言われていた自民党は、単独過半数を超える284議席を獲得。公明党と合わせて313議席と、憲法改正に道を開く3分の2の議席を押さえた。
一方、野党でも希望の党が50議席で惨敗したのとは対照的に、前原と袂を分かった枝野幸男が代表を務める立憲民主党が55議席を獲得して野党第一党に躍り出た。
安倍が憲法改正に乗り出したとき小池は最後の賭けに出るのではないか
こうして幕を閉じた総選挙。安倍の悲願である憲法改正に道が開けたものの、法案を確実に成立させるためには、野党との協力も必要になってくる。
恐らくその時、小池は最後の賭けに出るのではないか。“反安倍”勢力と手を組み、自民党を内側から崩すなど、今回は惨敗したとはいえ使える “手”はまだたくさんある。
そもそも、男より10倍も20倍も働いて、苦労の末に手に入れた都知事の座や、苦心して作った希望の代表の椅子も、小池は手放さないだろう。選挙結果を受けて、パリで受けたインタビューでも、惨敗に関する自らの責任に言及したものの、その責任の一環として「代表の続投」を明言しているほどだ。
「I Shall Return!」
小池は今、遠い異国の土地でこの言葉をつぶやいているのではないか。そんな気がしてならない。(敬称略)
(ジャーナリスト 横田由美子)