2014年02月02日
一昨日にこのブログ上で行った「管理人カミングアウト」、そして間もなくいただいた読者の方々からのポジティブなレスポンス で、しばし無上の高揚感に浸る時を過ごしました。その翌日の昨日2月1日、その反動?でしょうか、昨日の私の精神状態は、どう表現したら良いかわからないような、奇妙な感覚に陥っていたようです。「落ち着いている」といえばそうなのですが、しかし「精神が集中されていて、穏やかでいる」という「快適な落ち着き」ではない、さりとてハッキリと「不快」でもなく、あえていえば、「精神エネルギーの集中がなく、無味平坦」という感覚です。「こう来たか」と、それを客観視する自分がいますが、なんとも「困った感覚」で、それが昨日の記事にも表れていたようです。
あるチャネリング情報によると、日本時間1月31日、2月1日、2日の三日間(72時間)は、何か特別なエネルギーの注入が起こる期間である(あった)ようです。そのため、「静けさとバランスを保ち、無条件の愛に浸っていること」が重要なことであったようです。私のここ数日のエネルギー偏差も、こうした激しいエネルギーの波の影響を受けたものであったのでしょう。皆さんは、どうでしょうか?
さて、そうしたわけで、昨日の記事は、その前に読者の方々を思わせぶりに引っ張っておきながら、なんとも素っ気ない記事であるように感じられたのではないでしょうか。「ハイアーセルフが云々」とか書いていますが、都合の良い言い訳であったのか、それとも本当に「昨日の段階では真実であった」のか、自身でも分りませんが、おそらく後者だと思います。でも、便利ですね、「私のハイアーセルフがこう言っているので」。最強ですな(笑)
昨日の記事を返上して、一年にわたって翻訳スタッフとして携わってきていた「Despertando」からの「お引っ越し」の件について、書きましょう。今日は書けるようです。
新年2014年1月早々、日本語版の管理人のAさんから、一通のメールが届きました。「申し上げにくいのですが、実はお話があります。こちらの方に、『ソウルカメラさんの翻訳は読み辛い』というコメントが、複数寄せられています。最初の方でつまずいてしまって、最後まで読む事ができない、という御意見が多いのです。一方、ソウルカメラさんに関しては、『彼は間違いなく光の仲間だ。それは文章から感じられる』という見解もあります。しかし、『読み辛い』ということでは、一致しているようです。どうか、もう少し平易で分り易い日本語での翻訳を、ご検討願いませんでしょうか」。
要約ですが、おおまか以上のような、管理人Aさんからのメールでした。そして、翻訳文の改善がみられるまでの掲載中止という、突然の措置でした。これは、それまでお互い懇意にしてきたAさんにとっても、管理人としてそれを告げること、その措置を取らざるを得ない事態は、誠に遺憾の極みであったことと思われます。
「ガーン!これが新年2014年だ!」私は、何故か他人事のように、興奮しました。
すぐ続きます
2014年02月02日
ソウルカメラからのメッセージ4「もう少し読みやすく分り易い文章で翻訳して欲しい」というのは、実は、翻訳活動開始当初から、最も近い知人に言われたことでした。それを受けての私の反応(反論)は、次のようなものでした。
「分りますが、これは原文自体がそういう表現なのです」
「 それでも、なるべく砕いているつもりなのです。これ以上表現を砕くと、原文の響きを損ねます」
しまいには、「読む方にも理解する努力が求められる」とか、「ヘブライ語やプレアデス語じゃないんだから、日本語なんだから、なんとか読めるでしょ」などと。
単なる「翻訳スキルの上達」を促してくれている忌憚のない他人の意見に対して、感情的に過剰反応していたのです。これが「エゴ」の仕業であり、「マインド」が行う巧妙な「言い訳」であることに、その時は気付いていません。
確かに、特に初期の頃の自身の翻訳文は、読み返すと、極端な誤訳は少ないとはいえ、稚拙な翻訳文であることが分ります。表現の洗練よりも、誤訳に注意を払って、なるべく「直訳」を優先するというポリシーでした。同時に、「翻訳の世界」の奥深さに気付き、何より自分自身がスピリチュアル・メッセージを読みたいという動機付けも手伝って、翻訳作業に楽しみを見出し始めていた時期でもあったので、そうした「自己満足」に水を差すものとして、感情的に反応してしまっていたのです。
それでも、時には、ワンセンテンスに何時間も頭を悩ましたり、「もしかしてこれって、大学院レベルの英語なのでは?」と思うような原文と対峙して格闘したり、「英語の専門教育を、自分は何故受けて来なかったのか?」と痛感したりしながらも、この時期にこの世界に導かれたのは「神の思し召しだ」と自分を納得させながら、とにかく翻訳作業を続けて参りました。
同時に、気付いたことは、「翻訳も一種のチャネリングである」ということ、「英語というのは、ちょっと間違えると真逆の意味に訳して伝えかねないこと」、そして、「どのチャネリングを自分が翻訳するかは、自分との共振で、自然に導かれている」ということでした。
話がやや脱線しました。とにかく、「周囲の意見」に感情的に過剰反応して意固地になる、というのは、どうやら、私自身の、今生の課題、スピリチュアルな成長に必須な「エゴの克服」という課題であることに、本当に気付くことになるのは、約一年後だったのです。私達は、本当に目を覚ますような何か大きな出来事が起こらないと、なかなか自覚することが難しいようです。そうしたエネルギー・フィールドであるのは、「地球」の特性なのかも知れません。
もうお気づきの通り、私が「エゴ」の痛みを避けることなく、自身の翻訳文に対する客観的な意見を聞き入れて、周囲の意見に脊髄反射せずに、真摯に聞き入れる姿勢を得ることになったのは、2014年初頭の、前述の予期せぬ出来事だったのです。
しかし、その時、どうしても拭い切れない疑問がありました。「そうだとして、ただでさえ翻訳ボランティアの人手が少ないDespertandoでの、突然の掲載中止という事態とは如何に?」という疑問です。
しかし天然である私はすぐに、これを、「何か、大いなる意志が働いているに違いない」と納得しました。自身を納得させたのではなく、「納得した」のです。
そこで、私が選択したのは、「Despertando」からの「お引っ越し」でした。表面的には「左遷」であるも、これは「栄転」だと!
そういえば私の今生の人生は、「所属」に永住出来ず、常にはじかれるか、自分から出る、という傾向の連続であったような気がします。
これが、「Despertandoからの引っ越し」の顛末です。これまで自分を育ててくれた「Despertando」には本当に感謝しており、これからも、一読者であり続ける事に変わりはありません。
そして、日本語版管理人のAさんが、賢明な文言の告知「ソウルカメラ様はお引っ越しなされました」
(さすがAさん!と感じたものです)を上げてから、引っ越し先のこちらのブログ(実は既にあったブログですが)のアクセス数が、一気に上がりました。
「こういうことだったか」と、悟ったのです。
そして、「読み辛い」という感想にも真摯に耳を傾け、より翻訳スキルの向上に努める意志を新たにし、2014年新年を向かえることにしました。
読者の皆様、これまで、ソウルカメラの翻訳文をお読みくださり、本当に感謝です。私は、自分の翻訳文に関して、責任と、そして私也の自負も持っていますので、どうか、今後も安心しておつきあいください。
それではまた
愛を込めて
ソウルカメラ