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衆院選で明白、政治家のレベルの低さこそ本当の「国難」だ

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2017.10.24

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Photo:東洋経済/アフロ

衆議院議員選挙は、自民党が単独過半数を大きく超える283議席を獲得する圧勝に終わった。公明党と合わせれば、安定多数を超える議席を得て、安倍総理の解散総選挙は功を奏したと言えよう。当初、注目を集めた小池百合子都知事率いる希望の党の失速、立憲民主党の意外な躍進、関西における維新の没落の背後に見える有権者の相違と我々が直面する「国難」とは何か。(政治ジャーナリスト 黒瀬徹一)

何の「国難」が突破されたのか
選びようのないものを選ぶ無茶

 この解散は「国難突破解散」だ――。

 台風とともに永田町に解散風が吹き荒れ、9月28日に召集された臨時国会の冒頭、安倍総理は衆議院を解散した。解散の大義は「国難の突破」。

 当初、民進党の前原誠司代表と小池百合子都知事の決断によって、野党再編が期待を集めたものの、その勢いはあっさりと失墜。蓋を開ければ野党第一党の座を、「排除」したはずの立憲民主党にさえ奪われる有様だった。

 突然、「選挙をやるぞ」と言われ、野党のドタバタ劇が次々と繰り広げられる中、「さぁ、選びなさい」と言われても、何をどう選べばいいか、戸惑った有権者も少なくなかったろう。「選挙は難しい」と敬遠される方もおられるかもしれないが、正直、今回の選挙は「難しい」というより、「選べるわけないものを選べ」と言われる無茶な儀式なのだ。

 結果としては、自由民主党が単独過半数を大きく超える283議席を獲得して圧勝。まさに自らの掲げた消費税の使い道の変更、アベノミクスの継続や安全保障政策を推し進める力を得た形だ。

 しかし、筆者の感覚では、今回ほどレベルの低い選挙はなかったように思う。その理由を有権者の選択の結果から考察しつつ、有権者が選挙においてどうあるべきか、について考察した。

希望の党の大惨敗
東京10区での痛い敗北

 まず、今回の選挙で誰もが注目したのは、希望の党の誕生と急速な没落だ。

 9月末、小池百合子都知事がいきなり国政政党「希望の党」の新設を発表。そこに民進党の前原代表が「合流」を発表したことから、一気に野党再編の期待を集めた。

 だが、筆者はもともと小池都知事の時期尚早な国政進出には反対の立場だった。(小池都知事率いる「希望の党」に全く希望が見えない理由)。国会議員を辞めて都政に転じたのに、何の実績も挙げぬ間に国政進出…というのは筋が全く通らないからだ。

 特に小池都知事の発言で評判が悪かったのが「排除」という言葉だ。代わりの有能な候補にアテが無いのならば、「排除」なんかせずに、いったん受け入れて勝手に滅びるか引退するのを待てばよかったのだ。

 特に総理経験者は、伊達にトップまで昇りつめたわけではあるまい。排除するのはそこではなく、むしろ政党を渡り歩く三流議員の方だったはずだ。今回は「二大政党」の一翼を担いうる野党の基盤づくりをする、ということだけ宣言し、政策協議は後でゆっくりやればよかったと思う。

 ただ、そもそも、「排除の論理」なんて、排除された政治屋からすれば大問題だが、正直、有権者からすればどうでもいいこと。むしろ、希望の党に投票する人の数が想定よりあまりいなかったのは、もっと本質的な原因がある。

 まず、自民党の「お友達厚遇」を批判しながら、自らが擁立した候補者のデタラメさはひどすぎる。例えば、東京7区で擁立した荒木章博氏は元熊本県議。なぜ熊本県議が東京から衆議院を目指すのか…と首を傾げていたら、7月に都民ファーストの会から当選した荒木ちはる都議会議員の父親だというのだから呆れてしまう。

 前回の衆院選で維新の党の近畿単独比例1位の座を得て当選した小沢鋭仁氏を、今回東京都第25区で擁立。もはや議員になるためなら選挙区も政党も関係ないと言わんばかりの見事な"政党サーファー"ぶりだ。

 小池都知事の地盤だった東京10区でさえ、若狭勝氏が惨敗。若狭氏は敗戦の弁で「私の敗因は野党の分裂」と述べたが、立憲民主党の候補にさえ得票数で負けている事実を見れば、あまりにも謙虚さに欠ける総括だろう。

次に、政策がデタラメ過ぎた。たとえば、「花粉症ゼロ」「満員電車解決」と言われても、そりゃたしかに都民の「希望」かもしれないが、まったく具体的な道筋は示されていない。そもそも、この課題は東京都のみならず全国規模の課題なのだろうか。

 このように候補者と政策がどちらもデタラメなのだから、有権者からしてみれば選ぶ理由がないのである。

 正直、今回の選挙で一番失ったものが多かったのは小池都知事だっただろう。今後の小池都知事の都政運営にも影を落とすに違いない。

維新の失墜が意味すること
関西政局は戦国時代へ突入か

 これまで、関西では根強い支持を維持してきた日本維新の会が、ついに大幅に議席を減らすことになった。今回の衆院選は元大阪府知事・市長の橋下徹氏が完全に去った後での初めての戦いであったが、有権者からの審判は予想以上に厳しかった。

 選挙前勢力の14から大きく議席を減らし、確保できたのは衆議院465議席中たったの10議席だけ。もはや共産党をも下回る少数政党になってしまった。

 本場大阪でさえ、維新が小選挙区で勝利できたのは19区中たったの3区だけ。

 特筆すべきは、なぜか比例1位の座を得ていた京都3区の森夏枝候補の得票率の低さだろう。小選挙区では比例復活の権利を失う有効得票数の10%ギリギリの支持しか受けていないにもかかわらず、優遇された比例の座によって復活当選。この結果はあまりにも不公平であり、他の候補者の不満は強まり、党の結束にもヒビを入れることだろう。政党には、有権者からほとんど支持を受けてない人物を無理矢理議員にする理由を説明する責任があるのではないか。

【京都3区 開票結果】

 当 泉健太  希 6万3013票
 比 木村弥生 自 5万6534票
   金森亨  共 2万6420票
 比 森夏枝  維 1万6511票
   小田切新一郎 無 2059票

 隣の兵庫県では、維新候補は全滅。兵庫1区では希望の党候補にさえダブルスコアで敗北しており、兵庫6区でも立憲民主党にも惨敗している。同日に実施された神戸市長選挙では、日本維新の会候補が現職にトリプルスコア以上の差をつけられて大敗を喫している。これまで、すべて大阪の言いなりで、兵庫としてのビジョンや戦略を考えてこなかったことに対する有権者の怒りが爆発した結果となった。

維新の崩壊によって、関西の政局は"戦国時代"を迎えた。果たして新たに関西の野党の覇権を握るのは立憲民主党か、希望の党か、はたまた維新が巻き返しを図るのか。今後の動向から目が離せない。

立憲民主党の躍進
二大政党の軸は「左右」ではない

 それにしても、今回の野党再編――民進党分裂――のトリガーを引いた前原代表の決断には賛否両論があるだろうが、実をいうと、筆者はこの決断を評価している。

 小池都知事にしても、まだ都政で実績を上げてもいないのに、時期尚早と筆者自身批判したものの、選挙は数年に一度しかやってこないイベントであることを考えれば、ここで政界再編を促進させようとした剛腕ぶりは評価に値すると思う。

 ただし、政治は「結果がすべて」であるから、大惨敗に終わったことは謙虚に受け入れなくてはならないというだけだ。

 前原代表と小池都知事が「排除」したはずの立憲民主党が55議席を確保し、野党第一党の座に踊り出た。東京1区では立憲民主党の海江田万里元民主党代表が小選挙区を制し、東京7区でも長妻昭議員が、東京18区でも菅直人元総理が小選挙区で勝利した。

 立憲民主党が野党第一党に選ばれた理由は「勝ち馬に乗ろうとしなかった」ことへの賞賛もあるだろうが、選挙期間中に枝野幸男代表が何度も主張していたように、もはや今の二大政党の軸は、「保守vsリベラル」「右か左か」ということではなく、「上からか草の根からか」ということなのだろう。

 希望の党が掲げた「改革保守」という言葉の意味は、あまりにも意味不明だし、時代錯誤だ。冷戦構造が崩壊してから四半世紀が経とうとしている今、保守かリベラルか、などという問い自体がナンセンスすぎる。

 選挙特番を見ていると、保守・リベラルという言葉に必要以上にこだわる学者がいたが、筆者からすれば、頭でっかちの机上の空論にしか感じない。そんな言葉は自称政治通の似非インテリの間だけで話されている戯言にすぎず、人々の間ではとっくに死語になっているもので、まったく意味不明だろう。

 一方で、枝野代表が主張したボトムアップ型の政治というのは聞こえは良いものの、具体的なビジョンを上から示さないということでもあり、何をどう実現するのか、有権者に理解していただくことが難しい。

今後、野党は何を軸にまとまっていくのか。そして、自民党への対立軸をどう示していくのか。既存の思い込みを超えたクリエイティビティが求められている。

無所属の勝敗を分けるもの
政治家に求められるものは気骨

 良くも悪くも政党政治が根付いた今、通常、衆院選のような大きな選挙では政党の看板なしには戦えないというのが常識だったが、今回の選挙では多くの「無所属」候補が出馬し、注目された。

 まず、無所属でありながら勝ったケースを見てみよう。

 愛知7区の山尾志桜里議員は、わずか834票の僅差で自民党候補を下し、小選挙区で勝利した。「不倫」スキャンダルで打撃を受けたものの、もともとプライベートの問題であり、選挙戦を通じて有権者に反省の誠意が伝わったということだろう。共産党が候補者擁立を見送り、野党が"刺客"を擁立しなかったことも大きかったが、そうさせなかったことも含めて山尾議員の力であろう。

【愛知県第7区】

 山尾志桜里 無 12万8163票
 鈴木淳司  自 12万7329票

 神奈川8区では元みんなの党の仲間同士の骨肉の争いが行われた。元々東京5区からみんなの党で出馬していた三谷英弘元衆院議員が、神奈川8区に自民党公認で出馬。同じく元みんなの党の江田憲司衆議院議員が無所属で受けて立ったが、この勝負は江田議員に軍配が上がった。やはり、有権者は「勝ち馬」に乗ろうとする選挙区替えや政党サーファーには厳しいということだろう。

 次に、無所属で敗北したケースを見てみよう。

 まず、今年の流行語大賞ノミネート間違いなしの「このハゲー!」で有名人となった豊田真由子衆議院議員が埼玉県第4区でビリの大惨敗。「悪名は無名に勝る」というが、やはり知名度があるからと言って得票にはつながらないということだろう。むしろ、筆者からすれば、よくまあ2万人以上もの人が豊田氏に投票したものだなと思う。ぜひ投票した理由を聞いてみたいものだ。

ヤジを受けたことで有名になった塩村文夏元東京都議会議員は広島3区で敗北を喫した。都議会でヤジを受けていた女性都議が一期務めた後、なぜか広島市の北の方に現れ、「本人」と書かれたタスキをかけて路上に立って手を振り始め、6期当選の総理補佐官に無所属で挑んで落選。注目は集めたかもしれないが、普通の人の目から見れば実におかしな行動だ。そんな塩村氏のキャッチコピーは「おかしなこととは闘う!」だが、自らがおかしいことに気づかなくなっていくのが議員病の恐ろしい症状の一つである。

 こうして、無所属の勝者と敗者の顔ぶれを眺めてみると、有権者が政治家に求めているものは「気骨」なのかなという気がする。そして、その「気骨」とは「議員でありたい病」とは似て非なるものではないだろうか。

本当の「国難」にあたって
有権者に求められるもの

 さて、冒頭でも述べたが、正直、選挙は「難しい」というより、「選べるわけないものを選べ」と言われる無茶な儀式だった。

 いろんな政党サーファーが入り乱れる中、有権者が本当に気骨ある政治家だけを選び、そうでない議員を落選させることは難しい。というより、制度上できない。

 有権者にできることは、まず候補者の公約をしっかりと覚えておくことだ。ビラなどを保管しておくことをオススメしたい。与党や現職議員を評価する際に見るべきは、今回の選挙の際に配っているビラではなく、むしろ前回の選挙で配っていたビラである。そこに書いてあることの何割を実現できたのか。実現できなかったとしても、どのように実現に向けて動いたのか、を評価せねばならない。

少なくとも、自民党は自らの公約を守っている。経済については、株価は相変わらず上昇を続けているし、安全保障政策にせよ憲法改正にせよ、もともと主張していることを実行していることは事実だ。

 そして、与党の政策や政治姿勢にNOを突きつけたいならば、野党に投票することになる。この時、野党がバラバラだと、どうしても反対票が分裂してしまい、結果として自民党を利することになる。小泉進次郎議員が選挙中の演説で述べていたように、「野党が分裂して食い合ってるだけで、自民党が積極的な支持を得ているわけではない」というのは真実である。

 政策や理念というものは、議員の数だけバラバラで当たり前。自民党に代わりうる野党をまとめることは、有権者の責任ではなく、政治家の仕事であるはずだ。

 これを妨げているのが、小選挙区と比例の重複立候補の制度である。これがあるために、野党が比例票目当てに乱立してなかなか統合されず、テクニカルな票読みで生き残ろうとする政党サーファーも絶えないことになる。前述した森夏枝氏の例だけでなく、北海道の鈴木貴子議員は、かつては民主党に所属していたのに、いつの間にか自民党の比例2位の座を得て当選。一方で、父親の鈴木宗男元衆院議員は新党大地で出馬していた。もう親子そろって、わけがわからない。

 こうした当選は有権者が望んだものなのだろうか。その他にも、候補者の顔ぶれを眺めてみれば、夫婦で出馬したり、兄弟で違う党から出馬したり、なぜそんなメチャクチャがまかりとおるのか、理解に苦しむ。

 小選挙区はあくまでも無所属で出馬してもらうのが理想の姿。比例は廃止して、政策ごとに国民投票をやるか、政党の党首に得票ごとの決定権を与えた方がよほどいい。

 本当の国難とは、今回の選挙で露呈した政治家たちの政党サーファーっぷりだ。政治改革に必要なものは何よりも政治家自らが身を引き締めることなのだ。こればっかりは精神論でしかなく、申し訳ないが、政治家の「レベルの低さ」こそが本当の「国難」なのである。

 そして、有権者には、それを「絶対に許さない」という姿勢が求められているのである。

 この解散総選挙を機に、今こそ、この国難を乗り越えようではないか。

 


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