3千年前に今日の世の中がどうなるかを伝えた経典です。
2012年6月3日 15:01
仏説法滅盡経
釈迦さまがKushinagara国に住んでいた、涅槃に入る三ヶ月頃の話です。多くの出家者と菩薩が釈迦様を廻って座っているほか、無量無数の群衆は釈迦様のいる所までに集まり、大地の上で釈迦さまに恭しく礼拝します。
釈迦さまはただ沈黙のままで何も言わず、身からも光明を放っていません。阿難(Ananda)尊者は釈迦さまに頂礼して質問します。「釈迦さま、昔に説法なさる前となさった後、大威徳光明を放っていますが、無数の衆生が集いに来た今日だけ、光明がちっともないとはどういうことでしょうか。」釈迦さまは相変わらず沈黙を守って、その質問を答えません。
阿難(Ananda)尊者はこうして三度質問を繰り返しました。すると、釈迦さまは阿難尊者や大衆に仰いました。「私が涅槃に入って、仏法が滅びる頃、五逆罪を為しているこの汚濁世間に、魔道が非常に盛んになります。魔は仏門内に入り、修道人と変装して、私たちの正道の破壊活動をします。もしくは、世俗人の衣裳を着て、豪奢のお袈裟や彩った服飾を好んで着用します。魔は酒を飲んだり、肉を食べたり、命を殺害したり、食欲に耽ったりします。慈愛の心もないし、互いに憎みや嫉妬を抱きます。
偶に菩薩、辟支仏(pratyekabuddha)、阿羅漢などが世間に現れ、精進して道徳を修習し、一切の物事を至誠な心で応対しています。こういう修道人は、人に崇敬、帰依されるべき人で、平等で一切衆生を教化します。貧しい人を可愛がって、老人に暖かい心遣いをし、貧乏人や苦難者を教育し、助けます。よく経典や聖像を持って、恭敬、勉強、恭順や供養するよう教えます。
菩薩は広く一切の功徳をし、衆生に賜る善行ばかり考えています。他人を犯さないし、自分を捧げて、万物を捨てて他人を救済します。自身を出し惜しまないし、忍辱を行い、慈悲深くて内心が優しいです。若し、こういう人が出ると、魔比丘はみんな彼のことを嫉妬し、その修道人の過ちばかりを誹謗中傷し、正道の修道人を排斥、見下ろし、追い払い、除名し、修道に安住させないよう邪魔します。
魔比丘は共に業を為していますから、自ら道徳を修しないし、お寺が空っぽになって修道人が一人もいません。道場が壊れても建て直す人がいないから、最終的に滅びます。魔比丘は財物を寄せ集めるだけに興味を持って、真の福徳を修しません。
奴婢や財物を販売し、作物を植え、山林を焼き、衆生を慈悲なく傷付けます。他人(お金や名利含む)の奴婢のように根性が低い人は、出家の比丘・比丘尼になって、道徳無しに、婬欲に放縦し、汚濁混乱に行い、男女混住して礼を守ることができません。
正道がますます薄くなり、なくなるようにしたのは、こういう人です。政府の審査・逮捕から逃げるため、修道の隊伍に混ざる人もいます。沙門にならんと求めたんだけど、戒律をちゃんと守れなくて、半月ごとに表で布薩説戒(ふさつせっかい)をやっていますが、心が疲れてまったく聴聞する気がありません。もしくは、前と後を略して、戒律の条項集を全部読もうとしません。
お経を読誦、勉強したくない、もしくは、読誦しても、文字と章句の意味を知らなくて、自分の解釈こそが正しいとしいていい、分かった人に教えを請わない、自分が高ぶって名誉が欲しがっています。エレガンスのふりをして、光栄に思い、すべての人から供養してもらうよう言い立てます。
これらの魔比丘(在家の魔衆も)は死んだあと、間違いなく無択地獄に堕落します。五逆罪を犯した悪行のものは、ガンジス川の砂ほど数え切れない劫(kalpa=世界の成立から破滅に至るきわめて長い時間)に、ずっと餓鬼・畜生の身をして苦しみを耐えています。三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の苦しみを舐め尽くしたあと、人としてへんぴな処や自然・社会環境が厳しい処に生まれ、仏法僧の三宝に恵まれていません。
仏法は滅びる時、女性たちは修行に励み、年月をかけて功徳を積みますが、男性たちは修行を怠り、我意を張り法話に従おうとしません。修行者を見て臭い糞尿のように扱い、信奉や愛敬の心は全くありません。仏法が完全に消えてしまうとき、天界にいる善人はみんな涙を流して泣きます。降雨や旱天は整いません。五穀米は正常に実らなく、いい収穫が取れません。色々な疫病はどこもかしこも流行って、被災者も死者も数多く出てしまいます。庶民は疲労困憊でへとへとになったが、官府は苛酷で、天道に従わずに、享楽や迷乱ばかりを考えています。海の中の砂のように悪人は積んで多くなります。一方で、善人は一人、二人ほど少ないです。もうすぐこの劫の一番最後になりますので、一日間と一カ月間の時間は短くなり、人間の寿命も短くなります。人間は40才になって、髪が白くなり、老人になります。男性たちは淫欲に溺れるため、精力を使い尽くして早死してしまいます。男性の寿命は短いに対し、女性の方は長生きしています。男性は60才の寿命とすれば、女性は70才、80才、乃至100才までに生きます。
洪水は突如として襲いかかり、思いがけずに不定なところに氾濫します。世の中の人は正しく仏法を信奉としないで、昔のまま悪行しています。豪門だろうが、穢多だろうが、いろんな人は混雑して水の中に浮き沈みして、魚類や亀類に噛まれてしまいます。その時、菩薩、辟支仏や阿羅漢は救いの手を伸ばそうとしても、魔衆に邪魔され、追い払われてしまいます。声聞、縁覚や菩薩の根性を持っている衆生は、深山など福徳の地に入り、恬淡としてただ本分を守り、歓喜を得て長寿を全うしました。後には、諸天に保護されて月光菩薩は世に現れ、三乗の衆生に会い、52年間、正道を盛んに興しました。
『首楞嚴経』『般舟三昧経』などは一番早く世の中から消えます。そして、十二部経は相次いで消え、文字まで見えなくなります。沙門の袈裟は自然に俗人様になり、在家者の服装と何も異なるところはありません。仏法が滅びる時、オイルランプの如く、火が完全に消える前の瞬間、一時明るくなります。仏法が滅びるのも、オイルランプの火が消えると同じ、一時的な繁栄が見られます。これからの状況はなにも言えません。
このような状況は数千万年間ずっとしてはじめて、弥勒菩薩がこの世に誕生され、修証によって成仏されます。よって、天下が太平に戻り、毒気が消除されます。好天候に恵まれて、作物はよく育っています。立木も人間も高いです。身長が八丈に達する人類は八万四千才という長寿です。生死の海から救い出される衆生は数え切れないほどおおいです。
賢者阿難は釈迦さまに礼拝されて、訊ねました。「どんな名前をこのお経を呼んでよろしいでしょうか。どのようにこのお経を奉行、受け持ちするでしょうか。」
釈迦さまはこう申せました。「阿難よ。このお経の名前は「法滅盡」と申します。このお経をすべての人に広く知らせ、分別・決断の根拠を衆生に与える人は計れないほど無量の功徳を積みます。」
お経を聞いた四部弟子は悲しくて心が沈み込んでしまい、みんな無上の道意を興しました。釈迦さまに頂礼して御前を退きました。
(大正新脩大蔵経データベース:http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=0396_,12,1118c09&key=%E4%BB%8F%E8%AA%AC%E6%B3%95%E6%BB%85%E5%B0%BD%E7%B5%8C&ktn=&mode2=2)
日本語訳:如云妙法 転載:http://lang-8.com/357376/journals/1509960/%25E4%25BB%258F%25E8%25AA%25AC%25E6%25B3%2595%25E6%25BB%2585%25E5%25B0%25BD%25E7%25B5%258C

釈迦さまがKushinagara国に住んでいた、涅槃に入る三ヶ月頃の話です。多くの出家者と菩薩が釈迦様を廻って座っているほか、無量無数の群衆は釈迦様のいる所までに集まり、大地の上で釈迦さまに恭しく礼拝します。
釈迦さまはただ沈黙のままで何も言わず、身からも光明を放っていません。阿難(Ananda)尊者は釈迦さまに頂礼して質問します。「釈迦さま、昔に説法なさる前となさった後、大威徳光明を放っていますが、無数の衆生が集いに来た今日だけ、光明がちっともないとはどういうことでしょうか。」釈迦さまは相変わらず沈黙を守って、その質問を答えません。
阿難(Ananda)尊者はこうして三度質問を繰り返しました。すると、釈迦さまは阿難尊者や大衆に仰いました。「私が涅槃に入って、仏法が滅びる頃、五逆罪を為しているこの汚濁世間に、魔道が非常に盛んになります。魔は仏門内に入り、修道人と変装して、私たちの正道の破壊活動をします。もしくは、世俗人の衣裳を着て、豪奢のお袈裟や彩った服飾を好んで着用します。魔は酒を飲んだり、肉を食べたり、命を殺害したり、食欲に耽ったりします。慈愛の心もないし、互いに憎みや嫉妬を抱きます。
偶に菩薩、辟支仏(pratyekabuddha)、阿羅漢などが世間に現れ、精進して道徳を修習し、一切の物事を至誠な心で応対しています。こういう修道人は、人に崇敬、帰依されるべき人で、平等で一切衆生を教化します。貧しい人を可愛がって、老人に暖かい心遣いをし、貧乏人や苦難者を教育し、助けます。よく経典や聖像を持って、恭敬、勉強、恭順や供養するよう教えます。
菩薩は広く一切の功徳をし、衆生に賜る善行ばかり考えています。他人を犯さないし、自分を捧げて、万物を捨てて他人を救済します。自身を出し惜しまないし、忍辱を行い、慈悲深くて内心が優しいです。若し、こういう人が出ると、魔比丘はみんな彼のことを嫉妬し、その修道人の過ちばかりを誹謗中傷し、正道の修道人を排斥、見下ろし、追い払い、除名し、修道に安住させないよう邪魔します。
魔比丘は共に業を為していますから、自ら道徳を修しないし、お寺が空っぽになって修道人が一人もいません。道場が壊れても建て直す人がいないから、最終的に滅びます。魔比丘は財物を寄せ集めるだけに興味を持って、真の福徳を修しません。
奴婢や財物を販売し、作物を植え、山林を焼き、衆生を慈悲なく傷付けます。他人(お金や名利含む)の奴婢のように根性が低い人は、出家の比丘・比丘尼になって、道徳無しに、婬欲に放縦し、汚濁混乱に行い、男女混住して礼を守ることができません。
正道がますます薄くなり、なくなるようにしたのは、こういう人です。政府の審査・逮捕から逃げるため、修道の隊伍に混ざる人もいます。沙門にならんと求めたんだけど、戒律をちゃんと守れなくて、半月ごとに表で布薩説戒(ふさつせっかい)をやっていますが、心が疲れてまったく聴聞する気がありません。もしくは、前と後を略して、戒律の条項集を全部読もうとしません。
お経を読誦、勉強したくない、もしくは、読誦しても、文字と章句の意味を知らなくて、自分の解釈こそが正しいとしいていい、分かった人に教えを請わない、自分が高ぶって名誉が欲しがっています。エレガンスのふりをして、光栄に思い、すべての人から供養してもらうよう言い立てます。
これらの魔比丘(在家の魔衆も)は死んだあと、間違いなく無択地獄に堕落します。五逆罪を犯した悪行のものは、ガンジス川の砂ほど数え切れない劫(kalpa=世界の成立から破滅に至るきわめて長い時間)に、ずっと餓鬼・畜生の身をして苦しみを耐えています。三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の苦しみを舐め尽くしたあと、人としてへんぴな処や自然・社会環境が厳しい処に生まれ、仏法僧の三宝に恵まれていません。
仏法は滅びる時、女性たちは修行に励み、年月をかけて功徳を積みますが、男性たちは修行を怠り、我意を張り法話に従おうとしません。修行者を見て臭い糞尿のように扱い、信奉や愛敬の心は全くありません。仏法が完全に消えてしまうとき、天界にいる善人はみんな涙を流して泣きます。降雨や旱天は整いません。五穀米は正常に実らなく、いい収穫が取れません。色々な疫病はどこもかしこも流行って、被災者も死者も数多く出てしまいます。庶民は疲労困憊でへとへとになったが、官府は苛酷で、天道に従わずに、享楽や迷乱ばかりを考えています。海の中の砂のように悪人は積んで多くなります。一方で、善人は一人、二人ほど少ないです。もうすぐこの劫の一番最後になりますので、一日間と一カ月間の時間は短くなり、人間の寿命も短くなります。人間は40才になって、髪が白くなり、老人になります。男性たちは淫欲に溺れるため、精力を使い尽くして早死してしまいます。男性の寿命は短いに対し、女性の方は長生きしています。男性は60才の寿命とすれば、女性は70才、80才、乃至100才までに生きます。
洪水は突如として襲いかかり、思いがけずに不定なところに氾濫します。世の中の人は正しく仏法を信奉としないで、昔のまま悪行しています。豪門だろうが、穢多だろうが、いろんな人は混雑して水の中に浮き沈みして、魚類や亀類に噛まれてしまいます。その時、菩薩、辟支仏や阿羅漢は救いの手を伸ばそうとしても、魔衆に邪魔され、追い払われてしまいます。声聞、縁覚や菩薩の根性を持っている衆生は、深山など福徳の地に入り、恬淡としてただ本分を守り、歓喜を得て長寿を全うしました。後には、諸天に保護されて月光菩薩は世に現れ、三乗の衆生に会い、52年間、正道を盛んに興しました。
『首楞嚴経』『般舟三昧経』などは一番早く世の中から消えます。そして、十二部経は相次いで消え、文字まで見えなくなります。沙門の袈裟は自然に俗人様になり、在家者の服装と何も異なるところはありません。仏法が滅びる時、オイルランプの如く、火が完全に消える前の瞬間、一時明るくなります。仏法が滅びるのも、オイルランプの火が消えると同じ、一時的な繁栄が見られます。これからの状況はなにも言えません。
このような状況は数千万年間ずっとしてはじめて、弥勒菩薩がこの世に誕生され、修証によって成仏されます。よって、天下が太平に戻り、毒気が消除されます。好天候に恵まれて、作物はよく育っています。立木も人間も高いです。身長が八丈に達する人類は八万四千才という長寿です。生死の海から救い出される衆生は数え切れないほどおおいです。
賢者阿難は釈迦さまに礼拝されて、訊ねました。「どんな名前をこのお経を呼んでよろしいでしょうか。どのようにこのお経を奉行、受け持ちするでしょうか。」
釈迦さまはこう申せました。「阿難よ。このお経の名前は「法滅盡」と申します。このお経をすべての人に広く知らせ、分別・決断の根拠を衆生に与える人は計れないほど無量の功徳を積みます。」
お経を聞いた四部弟子は悲しくて心が沈み込んでしまい、みんな無上の道意を興しました。釈迦さまに頂礼して御前を退きました。
(大正新脩大蔵経データベース:http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=0396_,12,1118c09&key=%E4%BB%8F%E8%AA%AC%E6%B3%95%E6%BB%85%E5%B0%BD%E7%B5%8C&ktn=&mode2=2)
日本語訳:如云妙法 転載:http://lang-8.com/357376/journals/1509960/%25E4%25BB%258F%25E8%25AA%25AC%25E6%25B3%2595%25E6%25BB%2585%25E5%25B0%25BD%25E7%25B5%258C